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知らず、ランサーは口元に笑みが浮かんでいた。霊体となって姿を消し駆けている間、思い起こしているのは先のやり取りである。
いずれも全力ではないとはいえ、二度戦ったが良い意味で得体が知れない、好奇心がそそられる相手であった。姿を脳裏に浮かべると、勝手に彼の笑みは深みを増していた。
アレは、剣の技術で言えばセイバーと比べ拙い。どうにもちぐはぐな印象が拭えない。
一撃だけを切り取って見れば、その鋭さは剣の英霊としても恥ずものではない。何千何万もの敵を下して得た理論と完成度があった。
守りにしてもそうだ。こちらの攻撃を受け、弾き、かわす。このサーヴァント中随一とされる俺の速度を相手にしてほぼ無傷で凌ぎ切っていた。その所業、決して雑兵では為しえない。
一度目と比べて二度目は明らかに手強くなっていたが、
――――だというのに、間がまるで駄目だ。『攻撃』と『防御』だけが戦闘技術として存在しているとでもいうのだろうか。普通はこんなことはありえないんだが、どう生きればああ成れるのか。
抜きん出る優れた能力と溢れる程の魔力で上手くその穴を埋めているようだが、英霊となって尚まだ磨く余地を残している。もしも磨き上げられたなら、珠玉となっていただろう。しかし逆を言えば、自分と同じく英霊という身になってさえ、アレはまだ原石でしかない。それは、槍が本分の俺でもわかるほど明白だ。
だが、この評価も剣の英霊としてである。終始こちらが有利としても、剣のみであの攻防を凌ぎきったアイツの本分はクラス通りであるとすれば弓。あのアーチャーは形は剣士でも、本質は弓兵の筈だ。
どういった戦いになるのかは想像もつかないが、次こそは全力を持って戦うことが出来るだろう。先の一戦だって、情報収集が目的でさえなければ、全力を奮い、宝具戦に持ち込んでいたのだが。
焦らされるのは好きではない。しかし、今回の聖杯戦争で俺と満足に戦えそうなサーヴァントはセイバーとアーチャーを残すだけだ。どうしたってぶつかることになる。
欲を言えばバーサーカーやアサシンとも制約なしの勝負をしておきたかったが、こうなっては無い物を強請っても仕方がない。残る殺し合いを楽しむだけだ。
それだって遥か先のことにはならないだろう。なにせ……
「――――身元が割れちまったんだ。あんの臆病モンもようやく重い腰を上げるだろうさ」
誰に言うまでもなく、言葉を口の中で転がしてさらに加速する。その速度たるや、霊体でなかったとしても通行人の目には留まらないだろう。
アーチャーは追って来てはいないので直接戻っても良かったのだが、念を入れて大きく迂回していく。彼のマスターが構えている霊地――教会に向かって新都を駆け抜けていった。
墓地を横に丘を上り、真正面に教会を見据える段になって、ランサーは霊体から実を持った身体に切り変えた。
相も変わらず、人気は皆無。ここを訪れていた者も、家に篭もって息を殺しているのだろう。何の感慨もなく、設えられたドアを潜り教会の中へ進んでいく。頭の中では、己のマスターとなった男の行動を思い返していた。
ランサーは、マスターである言峰綺礼と顔を合わしたこと自体があまりない。彼自身、特別会いたい相手でもなかったので今までは特に気にすることでもなかった。
数えてみれば、マスター権を移譲され令呪を強制された時、七人のサーヴァントと手合わせを終え、赤い嬢ちゃんとは違う『男の方のアーチャー』が、こちらの協力者であるから手を出すなと紹介された時の二回だけだ。
他のマスターに対する警戒もあったのだろう。何かあれば徹底して念話を通じて会話をし、マスターであると周囲に匂わせることもしなかった。用心深く、狡猾な考え方で事を進めている。マスターであるという疑いをかけられない立場にして、他からサーヴァントを奪う。事の善し悪しは別にして、なるほど上手い手だ。
だがそんな人間が何故有って無い様な情報を、わざわざ現時点の優位を放棄するようなことまでして求めたのか。どんな宗旨変えしたのか、表に出てこようとしている。何を考えているのか理解したいとも思わないが、行動の意図は依然として読めないままだ。
情報交換が終わってからされた「一度戻って来い」との命令も、状況を見れば当然のこと。マスターが露見したのだから防衛に力を割くのは、定石といえばそうだ。
道理は何も違たがってはいない。だが、しかし何かが、引っかかっている。それは理屈ではない。本能に近いところが何かに感づいている。
絶えず自身を苛む違和感を振り払い、足を進める。
考えることは他の奴らに任せればいいだろう、そう思い直す。そういった策謀だのってのは、性に合っていない。英雄たる戦いをしにこの召喚に応じているのだから、求めた戦いに臨むだけでいい。その結果がどうなるかは、ランサーの知るところではない。
言峰は、応接間にいるようであった。中からは人の気配がしている。どうやら一人ではないようだが、相手の素性が読み取れない。
大きな魔力は感じ取れないが、隠蔽した魔術師って線もある。だが少なくとも、あの『アーチャー』ではないだろう。中に入っていって一般人であれば説明が面倒なところだ。ここは入っていくのは避けるべきか。
「ランサー、構わん。入って来い」
呼んでおいてどういう了見だ、と心の中で悪態をついていると計ったようにドアの先から声が掛かる。対して小さく舌打してからランサーは入室した。
紅茶の乗った低いテーブルを挟んで、対面になっているソファーには言峰と若い女が座っていた。
言峰は澱んだ目、欠けたままの表情で入ってくるランサーを見据えている。
その対面に座っている女は、入ってきたランサーに視線を向けることも無く俯いたまま。降りている前髪がその顔に影を作り、俯いている事もあってランサーからは表情を伺うことは出来そうになかった。
怪訝な表情を隠すことなく、ランサーはその女を見下ろした。見る限りでは普通の女だが、奇妙なのは日本の着物を着ていることだろうか。サイズが合っていないのか、胸元が大きく開いている。
ランサーは女の着ているものがこの国の民族衣装というところまでは判断できたが、流石に男物と女物による違いまでは知らない。女が男物の着物を着ていることに気づくことは出来なかった。確かに見かける服装ではないが、土地に根付いた民族衣装なのだから特別に不自然なものではないのだろうと、判断していた。
「こちらは関係者だ。事情も存じておられる」
「ああ、そうかよ。それよりも、何の用事があって呼びつけた」
同じ空間に身を置いた瞬間から女を警戒していたが、言峰の言葉にそれを切る。何者かは知らないが、サーヴァントに害を加えられる程の危険は感じない。もし魔術を使われたとしても、装飾品に刻まれたルーンがこの身を護るだろう。
改めて、視線を言峰へと向ける。事前の話では情報を手に入れた後は思うままに動いて構わないとあったが、マスターだと判明されて臆病風にでも吹かれたのか。……いや、普通の人間なら充分ありえる話だが目の前の相手を普通と当て嵌めるにはあまりに特異に過ぎる。
「何、ランサーよ。貴様の望みは存分に英雄と戦うことなのだろう。ならば、微力ながらその手助けをしようかと思ったのだ」
「――――は。てめえがそんな殊勝なことをほざくなんざ、一体どういう風の吹き回しだ。そもそもだ。俺は俺の思うまま全力で戦いたい、それだけだ。それに助けを借りる必要がどこにある?」
こいつが俺のマスターとして援護に回るなんてことは恐らく、今までも、これより先もないだろう。ならば、俺の目的を叶える上でこいつは邪魔にしかならない。おとなしく教会に引っ込んでいてくれたほうが余程感謝してやろうという気持ちになるものだ。
「生憎、私は臆病者なのでな。中々この教会から出て戦場に身を躍らせようという気にはならない。しかしそれでは、マスターである私が、お前の望む戦いとやらを叶えてやる事は難しいだろう」
「――――く」
そのあまりに白々しい口振りに、苛立ちより先に笑いが浮かんできてしまった。
サーヴァントとは比べるべくもないが、この男の肉体は間違いなく戦闘者のソレ。持つ雰囲気は、魔術師だとしてもあまりに血に濡れている。
並みの相手ならば、この時代の重火器を複数人が持っていたとしても打倒しえるだろう。そんなこいつがほざいた言葉が、それか!
「ならばということでな。お前が求める戦いをこなせるだろう場所をくれてやる」
「場所だと?」
「そうだ。この――――マキリについていくならば、そこは戦場となろう」
そう述べて、言峰は大仰に手を指し示して視線を女へと向ける。その芝居がかった動きにつられ、ランサーの視線も言峰に倣う。
「令呪は残り一つ。真っ当の手段であれば、主の移譲は難しいのだが」
「おい、待て。何を勝手に――――」
話を進める言峰に、ランサーは異を唱えようと視線を女から切りかけて――――その状態で縛られた。
俯いた女の顔が上げられていた。口元は弧を描き、だが瞳に光は無い。
ようやく本能が警鐘を鳴らす。肌が、一瞬で粟立った。目の前の存在の気配が、切り替わった。深夜時折感じていた、吐き気がするようなソレに。
いかなる相手と相対しても、これほどの怖気は覚えない。持った存在感でも、纏う武勇でも、放つ威圧でもなく、存在としての力の違い。それを感じ取っていた。
「てめえが――――!?」
次の瞬間にはランサーの右手に魔槍が現れた。それを構え、咄嗟に飛びずさろうとしてようやく別の異常に気づく。
部屋が、黒い泥に濡れていた。天井も、壁も、床も。出入り口だったドアは黒一色で塗りつぶされ、窓も塞がれて光さえ通さない。
「なんだ、こいつはッ――!」
足が、影の中に沈んでいく。影の中から伸び出てくる黒い布のような形状の其れに、身体が絡め取られていく。
マキリと呼ばれた女は虚の瞳で笑みを浮かべたままに、沈みゆくランサーを眺めている。
「ク、カカカッ! なるほど、何という神秘の塊よ! 聖杯を宿す身になって、初めてこの者たちの力の膨大さがわかるというものよ!」
二重に聞こえる声。女の声に重なるように、どこから響いたのかひび割れた声。しかしそれに構えるような余裕は、ランサーにはなかった。
沈んだ足は、見えなくなった先から感覚が消えていく。ずぶりずぶりと、影の中に喰われていくようだ。伸びた触手に絡まれた部分に力が入らない。力をいくら篭めてみてもぴくりともしない。魔力が、活力が奪われていく。
ここにきてランサーは、アーチャーの言っていた情報が嘘偽り無いものであると身体で理解させられていた。あっという間に、足元に現れた影に呑まれて腰から下は完全に影の中に埋まっている。両腕も拘束されて身動きすら取れる状態ではなくなっていた。
「が、ああああぁぁあっぁぁッッ! てめえはァ――――!」
「抗うだけ無駄よ。影に身を任せ、存分に沈んでいけ」
ブレる女と老人の声。ついに、ランサーは顔の半分を呑まれた。右耳は既に音を捉える機能を停止させている。体中の感覚が喪失している。
影から混ざる思考、意思、感情。怒り、憎しみ、悲しみ――その全てが殺意に結びついていく。侵食されていく。ランサーの外も中も、喰われていく。
だが、ランサーは揺るがずに睨み付けていた。先には言峰。怒りより、疑問が浮かんでいた。
あいつは何故同じ空間にいて、影に呑まれないのか。サーヴァントに対し天敵ではあるが、人間にしてもコレは猛毒だ。
これは、人である限り誰にだって絶えられるようなものじゃ――――ちくしょうが、アーチャーとの再戦がまだ――――
そこでトプン、とランサーのすべては飲み込まれていた。……思考の最後に自分をこの時代に喚び出した、元マスターの姿がちらついて、ランサーの意識は完全に途絶えた。
部屋に広がっていた黒い泥が、吸い取られるように女の身体に戻っていく。それは犇めき合った蟲たちが退いていく様に、だが音も無く。
赤い槍が、担い手を失い部屋の床に落ちていた。
「――さて、これで残るはトオサカとエミヤを残すだけ。いや、アインツベルンの器に納められている二体分も回収せねばならんか」
「ほう? それではキャスターは」
「先ほど、逃げ回っているところを捕まえて腹の中に納めたところよ。儂が出向いておれば、ライダーとバーサーカーもこちらに納め、手間が省けたものを。よもや慎二があのような愚挙を起こすと察せなんだ、儂の不注意に他ならん」
そう己の失態を述べながらも、女はそれは嬉しそうに呵々と笑う。
元に戻った応接間で、変わらず相対したソファーに座り込むのは言峰綺礼とマキリ。部屋は元通りの姿を取り戻していた。
「対サーヴァントに関していえば、この身体はまさしく無敵といって差し支えない。人が相手では不安は残るが、手駒を使えば問題はなかろう。それを以って最低二体分のサーヴァントをこの身体に納めてしまえば、聖杯の孔を開く準備は整おう。アインツベルンの器に納められている二体でも、同じ姿をしているというセイバーとアーチャーでも構わん。二体分よ。さすればこの儂は、この極東の地にてついに不死へと至ることになろう!」
「……」
マキリはまるで外見の通りに可愛らしく笑みを浮かべるが、対する言峰はそれに、内心では嫌悪しか浮かぶものはない。地域を同じくしながらこの十年の間会うこともなかったが、いつかの、未だに葛藤を抱えていた第四次聖杯戦争時の苦々しい記憶が、回顧される。
損得勘定の上でランサーをくれてやったが、どちらにしてもいずれこいつに喰われていただろう。これが相手であればサーヴァントを差し向けても奪われるだけ。ならば自発的にくれてやったほうがまだ恩を売れる。ただそれだけだ。
「この身体。魔力を誇り、血統を誇り、何よりも間桐の魔術を持つ、この身体。朽ちず、老いず、死なず。さすれば儂はこの栄華と共に永久を生き続けることが可能となろう。折角の成功品を得たというのに、また腐る過程を経て得る喪失と苦痛を味わいとうはないわ」
問題は、間桐臓硯がいささか壊れ始めているところだ。長い時を生き、結果はこの妄執に捕らわれた化け物。
小物ではあるが、それ故に小賢しく知恵が回る。打倒するだけならば難しくも無いが、結果どのように動くのかわからない。
おそらくは聖杯と繋がって得た分の代償もあるのだろうが、この様子では生まれ
「カカカカカカ! ほれ、出て来い。
マキリの足元から黒が伸びる。そこから、浮き上がってくる人影。
それは確かに、呼びかけられたようにランサーのシルエットをしていた。だがしかし頭髪は色素が抜け落ち青がかった灰に、格好もかつて青かった部分は黒く塗り替えられていた。
「…………」
ランサーは言峰に視線を向けず、無言で落ちている赤い槍を拾い上げると、首を傾げて手の中の槍を眺め見る。
白がかかった赤い瞳がゆっくり閉じられると、じわり、と持ち手の部分から槍に黒が広がっていく。次にランサーが目を開いた時には、その槍もまた螺旋の軌跡を描くように黒く染まっていた。
「セイバーに比べれば劣るが、しかし魔術師相手であれば充分に過ぎるものよ」
そうしてマキリはまた、喉を震わせ笑い声を上げた。