――なんだ、あれは。
なんだあれは、なんだあれは、なんだあれは。
走っている、冷たい風が頬に当たり、街の景色が後ろに置き去りにされていく。
生命の危機に、魔術回路が反応したのだろうか。
無意識に込められた魔力は歪つに自分の足を速める。
正しく魔術を使えばもっと早く走れるのかもしれない。頭の中でどこか他人事のように言葉が浮かんだが、動揺が掻き消す。
動かしている足に、まるで感覚がない。
「はっ、はっ、はっ」
槍を振り回す銀色の鎧の人物と、銃を撃っていた無数の人影。
荒れる呼吸と心臓の音が響く中、何度も頭の中で見た光景が繰り返される。
現実ではあり得ないその光景は、自分には不思議と腑に落ちた。
「魔術師同士の、闘争、」
慎二さんの言葉が頭の中で繰り返され、言葉となって浮かび上がる。
――魔術師の闘争は、現代の戦闘とは一線を画す異常な光景だと言える。
魔術はより年月を刻んだモノや古い器物との親和性が高い。
使われる道具や武具は自然と古めかしいモノになっていく。あるいはその魔術との親和性がより高いものに。
対して、現代兵器や表に存在する道具を模して、礼装を作る変わり者も一定数存在するのもまた知っている。
牽制になると同時に、魔術に一定のプライドを持っている者には有効な手段だ。
だから、あの景色には違和感はない。
――本当に?
――いいや、あり得ない。
魔術師同士の闘争にしては、感じられる魔力量は異常だった。
自分は魔術師としてそれほど優秀な訳ではない。
魔術家系に継承されている魔術刻印もなければ、魔術回路の本数も多くはなく貧弱。生成できる魔力も多くはない。
それでも、あれから感じられる魔力は、通常の魔術師のそれよりもずっと膨大なものなのは分かる。
「――はっ、」
焦りの吐息が、荒れた息に混ざる。
今はただ、目的の場所に向かって足を動かし続けるしかなかった。
◆
――風が、街を疾走する。
建物の隙間を縫い、建物の屋根を跳躍し、駆ける銀色の閃光はもはや、個人が出せるものと一線を画す速度で進んでいる。
さながら人間大のスポーツカーだ。
サーヴァントは人間の姿をしているが、その肉体は魔力によって構成されている。個々の生前の身体能力に由来するが、人間を超えているからこその英霊なのだ。
特に生前は重装歩兵として戦場を駆け、
ただ走る。それだけで追っている存在――ただの人間の足に負ける訳がない。
……そう、思われていた。
唐突に足を止め、ランサーは警戒するように周囲を見渡す。
「――結界、いいや、それほど大仰なものではないな」
視界が歪むのを感じる。街全体が靄に包まれたようにぼやけ、自分がどちらを進んでいるのかも判然とはしない。
これがランサー一人を対象にしている魔術であったならば、彼がその存在を感じる前に霧散していただろう。
対魔力。
セイバー、アーチャー、ランサー。三騎士と称されるクラスの者のみが持つクラス特性。
魔術に対しての強力な守りであり、魔術に親しみのなかったランサーでも、よほど強力な魔術でなければ影響を受けない。
この術式はランサーを狙ってのことではない。
効果の狙いとしてはこの場そのもの。
霧立ち込める森のように、方向感覚を惑わせ、ただ単純に迷わせるだけの効果。こんなものは、もはや魔術とも言えない。
現代の科学と言われる技術でも可能な、手品のようなものだ。
だからこそ、ランサーにも多少なりとも影響はある。
サーヴァントは魔力で形成されている存在だ。
目や耳などの感覚器官は形通りの役目だけではなく、人間以上に様々な感覚を備えている。
魔力を感じるのもそうだ。
前世は魔術に疎かったランサーでも、ある程度の魔力を感知出来る。
先程まで、魔術師もどきの一般人を追いかけていられたのもその一端。
追う者には、少なからず魔力があった。故に追うことが出来た。
それも、今は感じる事が出来ない。結界特有の魔力が薄く全体に広がっている状態では。
勿論、離れれば再び追う事は可能だろう。こんなものは、精々が足止め程度だ。
だから自分が追っていた青年がやった事だと、普通なら考えるだろう。
それを、ランサーの勘が否定する。
これは別の人間の仕業だと。
「――どこかのマスターか。随分、面倒な事をするものだ。
私はマスターの命令により、目撃者の排除に向かっている。邪魔をしない方が、貴殿にも都合が良い筈では?」
虚空に向かって話しかける。
答えを求めての事ではなかった。
ここに魔術を仕掛けた術者本人がいるとは思えない上に、魔術の質から見ても自分のマスターよりも腕が立つとは思えない。
恐らく、使い魔などを使って何処かから一方的に見ているに過ぎない。
ランサーはそう思い、術者本人に自分の意図を一方的に伝えるために言葉にしたに過ぎない。
そうすれば、案外簡単に結界を解いて、一時的にでも無干渉を貫いてくれるかもしれないという、淡い期待からの言葉だった。
それ故に、
『――ああ、そうだろうよ』
どこからか返答の声が響いた時、ランサーは目を見開いた。
返答があった事にだけではない。
返答を行うということは、魔術的な繋がりにより使い魔が喋っているのか、この場に姿を隠している筈だ。
なのにランサーには少しも、その魔力を感じない事に驚いたのだ。結界の稚拙さに相反する、異常なまでに高性能な隠れ身の術だ。
『お前は与えられた命令をこなしているだけ。命令の中身にも間違いは一個もない。魔術師なら、そうするよな』
「ならば何故止める? 貴殿らにとってこの戦争――否、魔術とは秘匿されて然るべきなのだろう?」
『
生憎、こっちは真っ当な魔術師にもなれない落伍者でね。僕は僕の目的に沿って、あんたの邪魔をしているんだ。
別に、大した事じゃない。ほんのちょっと時間が欲しいだけさ』
「――それで、貴殿にいったい何の利益があるのだ?」
ランサーはそう言いながら、武器を構え直す。
結界は実に粗末な代物だ。槍に魔力を乗せ一閃してしまえば、簡単に晴らす事が出来るだろう。
相手は正体不明、次に何をしてくるか分からないという状態を見逃せば。
さらに、この術者がマスターであるならば、新たな情報を主に持ち帰る事が可能だろう。そうすれば、多少なりともこの戦争の一助になるかもしれない。
そんなランサーの考えは、次の言葉で霧散した。
『……ないよ。
つうか、本当は僕がここで出張る気はなかったんだ。別にアイツが死んだって損があるわけじゃない。僕には関係ないし、そこ。
ただ、ほら――寝覚めが悪くなるような事はしたくないじゃないか』
――なんて。
なんて普通の事を言い出すのだ。この術者は。
困惑し、動揺した。
普通の人間が言いそうな事を、なんでこんな異常な状況で吐くんだと。
戦場には異常な事しかない。
戦場には異常な人間しかいられない。
戦場は異常な状況でなければ成立しない。
そんな事は、ランサーが一番知っていることだった。
そんな異常だらけの中、この術者は、忌々しそうに、面倒くさそうに、唾棄すべき事かのうように。
――しかし当たり前のようにそう言ったのだ。
(……こういう相手ほど、厄介だ)
異常な空間で自分の意見を真っ当に言える人間ほど、危険な存在はない。
「……考えを改めよう。貴殿はマスターにとって邪魔な存在だと判断した」
魔力を槍に込める。槍は金切り音を上げ、現在の自分にとって必要な形状に変化していく。
先ほど異形に使ったのと同じ大鎌。眼の前の広範囲を振り払い、全てを切り裂き、全てを霧散させるために必要な形状。
魔力により、空間が歪んでいくのを感じながら口を開く。
「貴殿をこの場で殺しはしない。マスターの命を優先しなければならない上に、貴殿を見つけるのは簡単ではないだろうからな。
しかし、時間稼ぎに此方が付き合う道理もまた、なかろう?」
『……ああ、そうだろうね、そうでしょうとも。ちくしょう、これだから英霊なんて連中は嫌いなんだよ、おかげで振り回されっぱなしだ。
別に良いさ、時間稼ぎだ――小手先でせいぜい足止めさせて貰うよ』
どこか頼りなく面倒くさそうな。
それでも譲るつもりのない術者の声に、ランサーは兜の奥で笑った。
次話は5月24日の21時頃に更新します。