土蔵の空気は、いつも自分がいる場所だと分かっているのに、どこか神聖な寺院を思わせた。
空気気は張り詰め、澄んでいる。満身創痍でボロボロの自分が、立っている事すら不安になるほど。
「何か、あったっけか」
乾いた口から、間の抜けた言葉が漏れる。
自分はここによくいるが、あくまで機械弄りの為だ。
多くの物品が仕舞われているのは承知しているが、それが魔術的に重要な物であったり、強力であったなどという記憶はない。
そもそも魔術に拘はがあっても、多くを修める事には興味がなかった義父だ。
魔術礼装どころか、まともな魔導書だって持っていなかった。
自分は教わらなかったし、ここにいて今までそのようなものを見つけた事もない。
――それでも義父が言ったからには、ここには何かがあるのだろう。
「っ、」
痛む足を動かしながら、ゆっくりと土蔵の中に入る。乾き切っていない血が床を汚すが、気にしている余裕もない。
「――〝感知、強化〟ッ」
五感とそれ以外、魔力を感知する感覚を強化し、周囲を見る。
魔力の流れのようなものは感じる。この家そのものが、土地の魔力が流れている地脈――
その為、この屋敷全体が
だが微かに地面から感じる魔力が、普段以上に濃い。
魔力が溜まるように調整し、一種の貯水槽のような働きをしているように感じる。
「くっ、」
敷かれているブルーシートを剥ぎ取り、その地面に触れた。
眩いほどではない。それでも魔力による燐光が模様を描き、自分が触れる事でさらに明るさを増している。
「これは、陣、か?」
魔術陣。
強化魔術以外は使えなかったが、知識としては存在する魔術行使の方法の一つだ。
映し出された模様や魔術言語を理解する事は出来ないが、義父が言っていた代物だというのは理解出来た。
しかし、
「これで、いったい何をしろって言うんだ、義父さん、」
起動に必要なものも知らない。どんな効果が発揮されるかも解らない。
これを自分に伝えて、義父は自分に何をさせたがっているんだ――、
「――それは、君が考える必要はない」
「なっ、ガッ――ッ!」
声を出すと共に感じた衝撃で、視界が激しく揺れる。
体に感じた勢いで、そのまま土蔵の奥に転がり込み、何の抵抗も出来ずに背中を強かに打ち付けた。
息が吐き出せない。
外気が吸い込めない。
その所為なのか、月光を反射する眼の前の鎧の所為なのか。景色が何度も明滅を繰り返す。
「――妨害が二度。そして二度も私の一撃を受け生きている。
主のお望みか、私が君を殺したくないのか……どちらにしろ、マスターの命に逆らえないのは。私の宿命なのだろうな」
銀鎧の男は自嘲のようにそう言い、兜の奥で嘆息する。
本気で自分を憐れんでいるのが分かる。
同時に男が感情に流されない事も、雄弁なのは自分に話しかけている訳ではない事も。
懺悔のようなものなのだろう。
それが罪悪感からなのか何なのかは知らないが……。
まるで、人間のフリをしている怪物か、――あるいはその逆か。
「――殺すなら、黙って殺せ」
――今の言葉は、自分が発したのか?
相手が息を呑むのと、自分が目を丸くしたのはほぼ同時だった。
こんな事を言うとは、返事をしようと思っていた訳ではなかったから。
銀兜の内側から、呑んだ息を鋭く吐き出す音が聞こえる。
「――今日は驚かされてばかりだ。
神秘と大義が薄くなったこの世界にも、このような人間がいるのだな。本当に惜しい。貴殿とは、出来れば戦場で競い合いたかった」
「ふざけるなっ、そんなの他所でやっていろ。自分は、自分は、」
――自分は、普通に生きていたいだけなんだ。
その言葉は、今一度振るわれた槍の閃撃によって阻まれた。
風を切り、押し出し、余波でガラクタの山は音を立てて崩れる。
現代の武装で、一動作でこの威力を持つものを武器とは言わない。
それは紛れもなく〝兵器〟。
自分を殺してなお余りある。
そんなものが、自分の命を刈り取るためにゆっくりと変化する。
それは人どころか、柱すら簡単に両断しかねない幅の鎌に姿を変え、その切っ先は自分の首を切断する方向に舵を切る。
「ここまでだ。敬意を払って、これ以上は何も言うまい。
さらばだ、おそらく敵だった青年よ」
鎌を振り上げる。
先ほどと同じように、景色がゆっくりと流れている。
あの時は恐怖が勝ったが、今は冷静にその切っ先を追っている。
自分は死ぬ。ああ、死ぬんだ。
それを、自分は不思議と受け入れた。
希死願望や自殺念慮があるわけではない。死にたいわけではない。
ただ、納得出来た。
自分は死んでもしょうがない。そう思っている自分がいたし、それに同意する自分がいた。
何故だか理由は分からないけど。
自分はここで終わってもしょうがない。そういう人間だと、分かっていたから。
「――でも、出来れば、ちゃんと生きたかったな」
――瞬間、光が爆ぜる。
衝撃もなく、焦げ付く熱もない。
それでも強力な魔力と閃光の爆発が、自分と男の間に割って入った。
「なっ、」
動揺の声を上げたのは、自分ではなく男の方だった。
閃光はそのまま寄り集まり、人のような形を形成していく。
何かを手に持った、人の形。
――それはそのまま、男にぶつかった。
「くっ――ッ!」
轟音と共に、光を受け止めた男は苦悶の表情で身を屈ませた。
――屈ませただけではない。足元に蜘蛛の巣状の罅が入り、男をめり込ませた。
今まで見たどの攻撃の比ではない。
強力な魔弾すら弾き返していた彼の膂力を覆したのだ。
男を縫い留める光が変化し、ゆっくりとその全貌を浮き上がらせる。
剣。
暗黒を斬り出して作り出されような、漆黒の剣。
巻き付いた布に刻まれている文字は魔力に呼応し脈動する。
銀鎧の男が持っている槍と同等。それでいてそれとは異種の、澱んだ魔力を周囲に纏い、敵を縫い付ける。
「――ちょっとごめんねお兄さん、まずはこっちが先約なの」
光の中から女性の声が聞こえる。
少女のような快活さと、大人のような落ち着きを併せ持った、不思議な声色。
「貴様――、」
「だから自己紹介やその他諸々は後――向こうでちょっと、待っててねッ!」
男の怒気にも流されず、声の主はもう一閃を叩きつける。
先に放った攻撃以上の威力を持つ横薙ぎ。
男はそれを、槍の柄で受け止めた。
――思い浮かんだのは、水切りの石。
自分から見てもその防御は完璧だったが、重厚な鎧を身に纏う男の体は、跳ねるようにその場を退いた。
――自分は、何も出来ずにその場に座り込んでいた。
痛みの所為ではない、起こった現象に動揺しているからでもない。
ただその姿に、目を奪われたから。
それは、女性だった。
紫のドレスに、水銀の鎧。
戦うにはあまりにも華美で、着飾るにはあまりにも覇気が過ぎるその姿。
彼女は、全く違和感を感じさせずに、佇んでいた。
勝ち気な表情と、紫色の瞳が強気に此方を見つめてくる。
戦うお姫様。
場違いに、でも自然にそんな言葉が浮かんだ。
「っ、ここに来て、新たなサーヴァントだと⁉」
少し離れた男の怒声も、自分の耳を素通りした。
ただその存在に圧倒され、言葉を失い、視線も呼吸も止まってしまう。
彼女は自分にとって〝完璧〟に思えた。
例え、アンバランスな装いをしていたとしても、彼女はそう思わせるだけの盤石さがあった。
「まったく、呼び出されるような願いなんてなかったんだけどね。ほら、私ってなんだって自分で叶えられちゃう自立した女だからさ。
でも、可哀想な男の子を放っておくほど、冷めてるつもりもないのよね」
状況に合わないほど、軽く明るい言葉。
女性は真っ直ぐな言葉と真っ直ぐな視線を、眼の前にいる自分に向ける。
「――ねぇ、貴方が私の相棒、マスターって事で、合ってる?」
――こうして、自分の
そろそろ、第一章も終局です。
次回は5月30日の21時に更新します。