――聖杯戦争。
過去、五度行われたこの戦争を知っている者は、魔術社会の中でも多くはない。
極東で行われる大規模魔術儀式だという認識はあるだろうが、その儀式を重要視していないと言えば正しいのかもしれない。
聖杯。
あらゆる願いを叶える願望機。
膨大なほどの魔力と魔法の一端を担うこれは、歴史・神話の中で多く語られている『願いを叶える万能の釜』を原点に持つ魔術遺物。
膨大な魔力リソースを持つ事により、大概の不可能を可能にしてしまう聖遺物。
魔術の粋を集めて創られたコレは、――未だ完成には至っていない。
聖杯はまず、七人の魔術師を選定する。それぞれが『令呪』というスティグマを貸与され、マスターの資格を得るのだ。
マスターになった魔術師達は、七つの
それらはサーヴァントと呼ばれ、七人のマスターはそれらを使役し、互いに殺し合う……最後の一組になるまで。
そこで初めて聖杯は完成し、残った一組がその聖杯を使用する権利を得る。
「――と、いう事で、自分の認識は合っているのだろうか? 俄かには信じられない話だが」
自分の言葉に、桜小路は静かに頷いた。
「ええ、間違いありません。
しかし意外でした。私が一度説明しただけで、凡そを理解して頂けるなんて」
「……自分は今、馬鹿にされたのか? そんな突飛な話を聞かされて、耳に残らない筈がないだろう?」
「あら、こんな状況で客にお茶とお茶請けを出すような緊張感のない人なので、もしかしたら状況を理解していないかな、とちょっと心配したんですけど」
それは、まあ、そう思われてもしょうがないかもしれない。自分は改めて、周囲の状況を認識する。
ここは自分の家――衛宮邸の居間だ。
明かりは灯り、暖房器具を付けて久しい。
食卓の上には、四つの湯飲みと、お茶請け用の煎餅が置いてある。
いや、自分も解っている。こんな状況でお茶どころかお菓子まで出しているのは、流石に普通ではないだろう。
体が自然と動いてしまったのだから、これはどうしようもないし、煎餅は最初から食卓に備え付けているのだ。
……最も、両方とも手を付けているのは、
「っ、もぐもぐ、煎餅って結構イケるわねぇ。しょっからくてちょっと喉が渇くけど……っ、ハァ、その分、緑茶が染みるわぁ」
自分の横にいる、自分のサーヴァントを名乗る女性だけだが。
桜小路は元より手を付けていない。その後ろで控えている桜小路のサーヴァント――アーチャーも、黙して語らずの状態だ。
自分が言うのもなんだが、こんな状況でリラックス出来るのは、彼女くらいなものだろう。
「……とにかく、自分は、マスターという役職に選ばれた、という事か?」
「ええ、そうでしょうね。セイバーとの
そう言われて、右手の甲に視線が向く。
不自然な模様。朝はただの痣のように見えたソレはいつの間にか変容し、三辺の奇怪な刺青に姿を変えていた。
令呪。
マスターの証明である聖痕……いいや、この場合は魔痕だろうか。
「これが、令呪」
「そう。マスターの証であると同時に、サーヴァント、英霊なんていう規格外なものを御せる唯一の方法。
三回限りではありますが、それを使えばサーヴァントに命令を遵守させたり、一時的にサーヴァントの性能を向上させる事も可能です」
性能を向上……嫌な響きだ。
「三回しか使えない……使い切ったら、どうなるんだ?」
「死にます」
桜小路の言葉は、飾り気もなく鋭かった。
一瞬言葉を失っている自分を尻目に、彼女は言葉を続ける。
「正しくは、マスターとしての権利を失います。
もし自分のサーヴァントと折り合いが悪ければそのまま殺されるし、そうでなくても、マスターになれる魔術師の存在は重要ですから」
桜小路の言葉に、自分はゆっくりと首肯する。
襲い掛かってこないとも限らない相手を、生かしておく必要性はないのだろう。
これが戦争だというのであれば。
またこの戦争でいう陣営が、二人という最少人数だというのであれば、必要な措置なのだろう。
そこで、はたと気付く。
陣営は七つ。敵は六組。多いとは言わないが、しかし少なくはない。援護も得られないような状況で他に大量の敵を想定しなければいけない。
潰し合うとしても、そう多くはないだろう。半数近くは相手取る必要性がある。
ならば、ならばだ。
自分とセイバーのような『事情が呑み込めずに右往左往している敵』など、最も潰しやすい相手なのではないだろうか。
事実、アーチャーはそうしようとした。それを止めたのは、今自分に懇切丁寧に説明してくれている桜小路本人だ。
そう考えてみれば、――
「――桜小路。君は随分、優しいんだな……ありがとう」
「……はい?」
「……っ」
「――ぶっふぉ⁉」
呆れたようにこちらを見る桜小路。
目を見開き、唖然とした表情で黙り込むアーチャー。
そして、口に含んだ煎餅を勢い良く吐き出したセイバー。
この場にいた自分以外の三人は、文字通り三者三葉の様子だった。
「……ハァ、何なんですか、全く。衛宮君、ちょっとお人好しが過ぎます。
もっとないんですか? 私が貴方の油断を誘っているとか、何かに利用しているのだとか、そういう考え。
そのまま聖杯戦争に出たら、貴方、すぐに死にますよ?」
「失敬な。自分だってちゃんと考えての発言だ」
仮に、何か裏があったとしても。
そもそも、裏があるのが当たり前だ。それでも、彼女は自分に利益を返している。
もし騙そう、利用しようというのであれば、もっと上手い方法がある筈だ。勿論セイバーがいる手前あからさまな事が出来ないとしても。
もっと、上手い方法が……敵への利益を最小限にし、自分の利益を最大限に高める方法があるはずだ。
それを彼女はしていない。
単純に自分の勘だけど話だが、それでも断言できる。
桜小路凪子という人間は、善人ではないかもしれないが、悪人でもないのだと。
「考えた結果、お前は悪い奴ではない、と判断した。
無論、全幅の信頼を置く訳じゃない。言葉を聞いても問題ない、というだけだ」
「……へぇ、貴方もある意味魔術師らしいという事ですかね、打算的で結構」
「いや、事実を言っただけだが」
「………………そう、ですか」
言葉は流暢だが、表情の端々が引き攣っているように見える。
? またおかしな事言っただろうか?
「く、くふふふふふふ、アハハハハ! やばい腹捩れるぅ! 我慢できない!」
自分が小首を傾げていると、今度は隣のセイバーが声高らかに笑い始める。
文字通りの抱腹絶倒。腹を抱え、必死に呼吸を整えようとするが、痙攣のような笑いが溢れるようだ。
「……なにか、文句でもあるんですか、セイバー」
その様子が気に入らなかったのだろう。桜小路の鋭い視線は自分からセイバーに移った。
「あはは、あぁ、別に馬鹿にしたって訳じゃないのよ。
でも腹芸をするなら、相手を選んだ方が良いわ。私だって付き合いは数十分ってところだけど、どうやら彼、そういうのが通じないタイプみたい。
この国の言葉で、『歯に衣着せぬ』っていうのがあるけど、この子は衣すら持ってない。ある意味での強者……愚かなる賢人ってところかな」
なんだろう。
褒められている気が全くしない。
「……どうやら、そのようです。こんな人が魔術師とは、甚だ理解に苦しみます」
「ふふっ、まぁお姉さんからすれば貴女もだいぶ良い子だけどね。もし私のマスターだったら、頭を撫でてあげたいくらいには」
「……遠慮しておきます」
苦虫を嚙み潰したような顔の桜小路に、朗らかな笑みのセイバー。
水と油なんだろうか、二人は。
「――そろそろ、話を進めた方が良いんじゃないか、マスター」
そこで割って入ってきたのは、今まで沈黙を守っていたアーチャーだった。真剣な面持ちで、桜小路に一瞥する。
「夜も更けてきた。教会に赴くのであれば、早い方が良いだろう」
「……ええ、それもそうね」
そう言って、桜小路が立ち上がる。
「衛宮君。この戦争は確かに戦争だけれど、魔術師が絡んでいる以上隠蔽や表社会への配慮は必須です。
そのようなモノを一手に引き受けていると同時に、違反を行っていないか監視しているのが、この街の教会――言峰教会です」
「教会? 『教会』が魔術師の闘争に関与しているのか?」
教会。ここでいうそれは、唯一の神を信仰する普遍的な宗教を指してはいない。
その教理に反した異端者――魔術師を狩り殺す為に組織された、こちら側の組織。『聖堂教会』を指している。
魔術師社会と聖堂教会は、あまり折り合いが良いものではない。それこそ何かの場面で勝ち合えば、殺し合いすら演じる程だ。
勿論、目的の為ならば手段を選ばない両者だ。
何かあれば共闘する事があるのは自分も理解しているが……それでも、こんな戦争染みた魔術儀式に絡んでくるのは違和感だ。
「この戦争が聖杯の名を冠している時点で、彼らの干渉は不可避なんです。聖遺物とは異なるモノですが、その名が出る以上干渉しないわけにもいかない。
故に、この戦争を監督する立場――監督役を派遣し、お茶を濁しているんです」
なるほど、大人の事情というものらしい。
「とにかく、挨拶は必須ではないですが、損もありません。今から私達と一緒に、」
「あ、ちょい待ち」
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