『一日の始まりは、まず美味い食事から始まるんだ』
そう言って毎日、義父は美味しい食事を作ってくれていた。
自分には最初その〝美味しい〟という概念がよく分からなかった。
食事とはあくまで生きる上での栄養摂取、エネルギーの補給だ。
時間と労力を費やし、生命維持に関係のない味覚を肥やす必要性はない。味覚など、毒がないかどうかを確認する程度で十分だ。
今もその考えが変わったわけではない。一人で食べる時はかなり手を抜いていると自覚している。
もっとも、あくまで一人の時だけの話だ。
少なくとも目の前の人物は、そんな言葉で納得してくれる御仁ではない。
「三十点」
慎二さんの採点は、あまりにも厳しいものだった。
「ボソボソしている、パサパサしてる、焦げてる、しょっぱい。
これが定食屋で出されたら、すぐにその店を潰すね」
それぞれがご飯、焼き鮭、卵焼き、味噌汁の感想だ。
そこまで言われるような出来ではない、と思うのだが、慎二さんは義父の料理の常連だ。
舌が肥えているどころか、もはやちょっとした美食家。慎二さんに褒めて貰うには、どこぞの割烹に弟子入りするしかないだろう。
「そこまで言うのであれば、食べなくてもいいのでは? 慎二さんの伝手であれば、美味い店をいつでも開けてもらえるでしょう」
「そんな失礼なことを、通人はしないもんなんだよ」
この人が通人だったとは初めて知った、とは言わない。
自分には、好き好んで小一時間も皮肉と罵倒を聞く趣味はない。
……そこから、会話は無くなっていく。
罵詈雑言が多い慎二さんではあるが、礼儀作法には通じている上に、異常なほど細かい。
口に物を入れて話すどころか、本来は食事中の会話も良しとはしない人だ。
拾われた当初から、自分もそのように躾けられた。と言っても、自分は元々あまり会話が得意な方ではなかったし、苦にはならなかった。
――居心地が良すぎて喋らなくても良くなる、というのもあるのだけれど。
「……そう言えば、お前まだアレ続けてんの?」
「アレ、とは?」
「バイトだよ。あの酒屋の、」
ああ、蛍塚さんのところか。
義父がアルバイトしていたのを縁に、自分も働いている酒屋の事だ。
酒瓶の積み下ろしや店の在庫チェックなどが主な業務だが、暇な時は併設のバーでバーテンダーの真似事もさせて貰っている。
店主である女性曰く自分は、『味は素っ気ないが、模範解答みたいなカクテル』を作るらしい。あくまで、余談ではあるが。
思考を他所に追いやって、同意の意を口にせず、ただ頷きを返した。
「あっそ。まぁ別にどうでも良いけど……しばらく休んで、早く帰れ。どうせ金に困ってるわけじゃないんだろう? 連絡くらい、僕がしておいてやる」
……意外な言葉だ。
慎二さんは、自分の気に入らない事に対しては言葉が厳しい人だ。
やれ効率が悪いだ、だから何時まで経ってもダメなんだと散々言ってくる。それはもう、こちらの心を折るつもりなんじゃないか、と思える程だ。
――けれどそれでも、一度だって自分の行動を強制したことはない。
やめておけと言う事はあっても、やめろと命令した事はなかった。
「理由を聞いても、いいでしょうか?」
自分の言葉に、慎二さんの目が一瞬揺らぐのが分かる。この人は本心を隠すのが上手いが、それでも動揺したのが理解出来た。
珍しく、自分が二つ返事を返さなかったからだろう。
「……大した理由じゃない。最近この街じゃ物騒な事件が多いってだけ。
折角僕が心配してやってるんだから、素直に聞いておけよ」
その動揺に言及する事はなく、慎二さんは何でもない風に答える。
「物騒、ですか」
言われてみて、思い当たる節がいくつか頭に浮かぶ。
深山町に通り魔が出たとか、不審な火災が起こったとか、平穏を絵に描いたようなこの街に相応しくない事件が起こっている。
大人達が囁く噂では、このような不幸な出来事の増える時期が、この街にはあるんだそうだ。正直、あまり大真面目には聞いた事はないが。
「気にし過ぎじゃないですか? 夜遅い外出があるのは確かですが、最近になって危険度が上がったという感じもしませんし」
「そうかもしれない。でも、
どんな事も、簡単に断言できるもんじゃない。多少腕に覚えがあっても、解決できない状況はあるからな」
「心配していただけるのは有難いのですが、それでも自分なら、――」
「――〝自分なら〟、何だってんだよ」
言葉とともに鈍い音が、慎二さんの手元から机に響く。持っていた茶碗を、乱暴に置いたからだ。
鋭く、苛ついた視線が、自分を見据えている。
滅多に見ない、慎二さんが本気で怒っている時の視線だ。
「勘違いするなよ藤汰。お前は特別でもなんでもない。ただ他の連中が知らない事を知っている
思い上がるな。いつか痛い目に遭うぞ?」
慎二さんの言葉には、どこか自分に言っているというよりも、慎二さん自身に言い聞かせるような雰囲気がる。
かつての慎二さんが、そうであったかのような言い草だった。
「驕るつもりはありませんが、」
自分でも珍しく、反対意見が口を吐いた。
「鍛えていますから。暴漢程度にやられるつもりはありません」
「普通の相手だったらそうだろう。だけど、その相手が普通じゃなかったらどうするんだ?
もしこの一連の騒動が、普通じゃない連中の仕業だったら、お前にはどうしようもないだろう?」
「……そういう話が、」
「バカ、あったとしてもだ。
そうだったにしろ、どうせ土地を狙った連中と管理者の利権争いだ。そんなもん、知っても、俺等には関係のない話さ」
言いながら、慎二さんは茶碗を手に取り、再び食事を始めた。
さっきまでの感情的な慎二さんはどこにもいない。引き続きつまらなそうに、文句を言った食事を食べている。
つまり、話はここで終わりという事だ。反抗の余地なく、これ以上俺は考えを改める気はないというアピール。
納得しているわけではないが……慎二さんの、言う通りかもしれない。
自分に出来る事はなく、実際にそのような状況に直面した時に、自分が選べる選択肢も多くはないのだから。
――魔術というものが存在する。
慎二さんが、知っているだけと称した技術体系。
お伽噺に登場するような、奇跡を体現する全能とは違う。
魔力と触媒を利用し、体内の魔術回路を駆動させ、土地に根付いている魔術基盤に接続し、現象を生み出す特殊技能。
尋常の技術ではない。
使える者も限られる。
それでも全能どころか、万能ですらない。
あくまで人の再現出来る範囲に限られる――とどのつまり、人間に出来る事しか出来ない。
時間さえかければ、魔術で行える事は科学にだって再現可能だ。
火を付けたければマッチを擦れば良い。
空を飛びたければ飛行機に乗れば良い。
傷を癒したければ医術を用いれば良い。
魔術は、科学が物理法則を利用して行う事柄を
利便性と迅速性を考えれば、化学の方が上回っている分野もある。無論、化学より優れている点も存在する。
致命傷を瞬時に治したり、何もない所で規格外の爆発を起こすのは、常人から見れば十分〝奇跡〟の部類だろう
もっとも魔術を極めようとしている人間、魔術師と呼ばれる生命体にとって、それは過程であって到達点ではないのだが。
あくまで魔術師は、それを用いて根源――この世全ての原点に到達する事を目的としているのだから
まあ、自分には関係のない話だ。
魔術で、義父の夢を叶えようとしている自分には、関係のない話だ。
勿論、自分には大した技術はない。
魔術を学んだと言っても、才能があるわけでも、それを上回る程の知識量があるわけでもない。それをひっくり返せるほどの運にも恵まれていない。
――それでも、と思ってしまう。
どれほどそれが面倒な事で、自分に出来ない事だったとしても、それを
義父が――衛宮士郎が夢見たものを、引き継がなければいけない。
――自分は、正義の味方にならなければいけないから。
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