――そこは海の上だった。
荘厳という言葉とはかけ離れた、質実剛健な作りの無骨な甲板。
縄などの船を動かすのに必要な物ばかりでなく、衣服や酒樽、果ては剣といった武器の類まで散乱する、騒然とした場。
その中で、野太い声の歌が聞こえる。
異国の、古い言葉。きっと舟唄のようなものなのだろう。
男達は船を動かす為に動き回りながらも、陽気に歌を歌い続ける。
波は高い。荒れている、と形容しても良い程度には。
それでも、男達は手を止めない。楽し気な表情を曇らせる事もない。
その甲板を見下ろせる船首に、人影がある。
服は海水に揉まれ、酷く草臥れている。
剣の鞘には所々に消しきれない汚れの後。
胸当ては酷く錆び、とても防御力があるようには見えない。
それでも、彼女の口元は笑みを絶やさない。
揺れる船の中で舵を握るその手は力強い。
瞳は真っ直ぐで、美しい。
『――そうそう、人間ってこうじゃなきゃ』
彼女の表情は明るい。
まるで興味深い玩具を見つけた時の子どものように。
実に楽しそうだ。
実に嬉しそうだ。
『さぁ、野郎ども!
冒険に出掛けるわよ!』
彼女の号令に、応と力強い答えが返る。
きっと、辛いだろう。
きっと、危ないだろう。
きっと、戻れないだろう。
外洋は未知の世界で、もし海の切れ端に堕ちてしまえば世界の外に真っ逆さま。
行きて戻れぬ旅。
生きて帰れぬ冒険。
それでもなお、男達は気にしない。
――彼女は、気にしない。
だって、それ以上に楽しいモノがある筈だから。
◆
「――ん、くッ、」
目覚めの瞬間に感じた全身の痛みで、思いがけず苦悶の声が出る。
呼吸をする度に痛みが走る。呼吸器官の異常ではない。
それを支える骨が、それを包み込む筋肉が。
過度な酷使のツケだと、不平不満を言っているようだ。
……いいや、〝ようだ〟等と言うのは言い訳だ。実際、相当の無茶をした。
それに、
「……この疲れは、恐らくソレだけではないんだろうな」
音が聞こえる程盛大な溜息が、口から零れる。
魔力欠乏による疲労。痛みとは別に横たわる抗いがたい倦怠感の正体は、きっとそれだろう。
走り続けるバイクを維持する為の、器物への強化魔術。その後に、防御姿勢を取るための無理な魔術回路の励起。
――そして、
「……あれが、セイバーの宝具、か」
気を失う直前に見た、赤黒い炎。
宝具の真名は……正直、あの轟音の中で上手く聴き取れはしなかったが、威力は一瞬見ただけでも理解出来る。
あれを初手で出していたら、とも思うが、直ぐに考えを改める。
宝具は強力であるものの、気楽に使えるものではない。
サーヴァント自身の正体を露見させる可能性があるだけではない。
いくら自分の魔力量が通常の魔術師よりも多くない上に、消耗した後の事だったとしても、気を失うほどの魔力消費を必要とするのだ。
そう易々と乱発は出来ないだろう。
「……まぁ、使えない物ではない。と分かっただけ充分か、」
「――そうね。ある意味、今回の中の成果の一つでしょう。
もっとも、貴方のというより、セイバーのですが」
「……………………」
不覚だ。
いくら不調や疲労があったところで、この狭い部屋にもう一人いる事くらい、何故気付けないのか。
気が抜けている、どころではない。
「……もしかして、また世話になってしまったか? 桜小路」
自分が身を起こすと、部屋の隅で座っている桜小路が見えた。
このような状況でも姿勢を崩さず、正座している姿は凛々しい。いったい何時からそうしていたのか分からないが、短い時間ではなかっただろう。
スカートの皺ひとつないとは流石、クラスメイトから優等生扱いされる訳だ。
「世話をした、という程ではありません。セイバーは魔術師特有の体調変化に疎いようでしたから、助言した程度です。
今回は外傷もありませんから……無茶をした事に、変わりはありませんけど」
表情は不満げだが、声に怒気は感じない。
「怒っては、いないんだな」
「必要性がありませんから。囮を頼んだのは私ですし、衛宮君は充分役割は果たしました。
あの対応には驚きましたが……まぁ、セイバーの性格上、しょうがないかと」
納得は出来ないが、理解は出来る。
満点ではないが及第点、というところなのだろう。それなら、まぁ、良かったと言えるだろう。
桜小路はそのまま、綺麗な所作で立ち上がる。
「今後の事は、また後で話し合いましょう。
貴方はまず、やるべき事をしてください」
「? やるべき事?」
「ええ、やるべき事です……貴方のパートナー、相当落ち込んでますよ」
◆
「……これは、また、」
その光景を見て、次の言葉がすぐには思い浮かばなかった。
――寝ている。
姿だけであれば、そう表する事が出来るだろう。
セイバーが縁側にうつ伏せで寝そべり、表情は見えない。だが、起きているのは、寝息などが聞こえない事で分かる。
「えっと、何をしているんだ、セイバー。というか、慎二さんはどうした?」
縁側に続く居間の方を見れば、時間はもう朝とは言えない時間だ。
自分がそれほど寝ているという状況は滅多にない。状況を訝しんだ慎二さんが自分を起こしに来ない筈が無いのだ。
「……昨日の夜中に、シンジが来てね。色々誤魔化しといたわ」
床に顔が着いている所為か、くぐもった声が聞こえる。自分が想像した以上に落ち込んだ声だ。
「あの御仁はあの性格だから、『誤魔化されてくれた』が正解だけかもしれないけど……それでも、詳細は何も聞いていかなかったわ。
そんなシンジから伝言よ、『無茶をするな、警告は二度目だぞ』だって」
「……それは、穏やかじゃないな」
伝言には、セイバーが想像している以上の怒気が籠っている。
何とか、無茶をしないで……というか、無茶を気付かれないようにしなければ。
「……それで? セイバーはどうしてそんな姿勢を?」
「………………」
自分が彼女の横に座りながら聞くと、彼女はすぐには答えなかった。
ただ黙って寝転がり続ける。
……暫く、その時間が続いた。
矢継ぎ早に話を続けるセイバーにしては珍しいが、不思議と気まずくはならなかった。
「――いや、ちょっとやり過ぎたかなぁって」
ポツリと、セイバーが答える。
「予想してなかったわけでも、動揺したわけでもなかったけど。
それでも、貴方がいるってのが……と言うより、私が普通の人とはちょっと違うんだなぁってのが、改めて実感出来たのよ」
――それは、つまり、
「自分がサーヴァントだって忘れていたっていうのか?」
自分で言ってて、つい面白くなって口元が緩む。
サーヴァントがサーヴァントである事を自覚するなんて、そんな当たり前の事を忘れるとは。
セイバーはその言葉に反応してか、ゆっくりと体を起こす。
表情は、どこか不満げだ
「忘れてた、とはちょっと違うわ。
これでも、サーヴァントとして現界したのは初めてなのよ。私の身体能力や能力は、生前よりずっと強い。
それを自覚してなかった……私に出来る無茶は、貴方にも出来ると思い込んでた」
「……それは、君らしい勘違いだな」
皮肉ではない。
人を過小評価しない。自身を過大評価しない。
ある意味、自分の事を認めてくれたセイバーらしい間違いだ。そしてそれは、どこか嫌な気分にならない間違いだ。
何せ、自分の事を本当の意味で信頼して、ああいう行動に出た、という事だ。
「まぁ、命があったから別に構わない。魔力が多少枯渇するくらい、なんて事はないさ」
「……貴方、意味分かってる?
私はサーヴァントなの。で、貴方はマスター。貴方の命を守るのは私の仕事よ」
「ああ、そうなのかもしれないが……それ以上に自分達は、相棒なんだろう?」
セイバーの言葉に、自分は自然と答えた。
不思議と、違和感はない。
相棒。
仲間。
ストレートにそう言おうと思って出た言葉ではないが、それでも、悪くはない。
ああ、悪くはない。
「多少の無茶は付き合う、多少の賭けには乗るさ、きつかろうがな。
仲間とはそういうもの……なんだろう?」
横見てみると、セイバーはジッと自分を見ていた。
目を丸くし、少し呆然としたような表情。見た事もないような、信じられないようなものを見るような表情だ。
「……なんだ? 自分の顔に何かついているか?」
寝起きの顔だ、目脂でも付いていただろうか。
そう思って目を擦ると、セイバーは噴き出した。
「ウフフフ、いや、違うのよ。
貴方からそういう言葉を貰えるのが意外だったの……その顔もね」
「顔? やはり、何か可笑しいか?」
「ううん、可笑しくないわ……可笑しくないのが、奇妙なだけ」
? よく分からない。
自分が首をひねると、セイバーはさらに嬉しそうに破顔する。
「アハハ、こっちがちょっと落ち込んでたのが馬鹿みたい。
……よっし、反省終了! ここからは前向きに行くわよ」
彼女は立ち上がり、勢いよく伸びをする。
さっきまでの暗い表情はない。いつも通りの、明るいセイバーだ。
それを見ているだけで、少し安心する。
「ああ、そうだな。
……で、どうするつもりだ? ライダーは予想以上に強敵だぞ」
ライダー。
チンギスハーン。
ユーラシア大陸の大半を支配したかの英霊の宝具は強力だ。
圧倒的な物量。神秘の濃さなど意に介さない、文字通りの人海戦術。能力も高い方法もある意味簡潔だが、同時に厄介だ。
攻防一体のあの宝具を突破するのは、宝具を利用される前に倒すか、物量を突破する破壊力が必要だ。
「ウフフ、確かに、あのおじさん結構やり手よね。
でも、思い返してみましょうトウタ――私達、独りじゃないんだから」
セイバーが、不敵に、勝気に笑う。
更新が遅くなり申し訳ございません。
お楽しみいただけたでしょうか。
次回は、1/18㈰の17時ごろを予定しています。