「――それで?」
夕暮れと呼ぶには、まだ早い時間。空には茜が混ざりはじめ、道に微かな彩りを着けはじめた頃合いだ。
昼から夜へ。
日常から非日常へ。
変貌の予兆を感じさせる中を歩く白衣の男は、手を繋いでいる少女にそう聞いた。
ややぶっきらぼうに聞こえるが、彼を知っている人間からすれば、悪意がないと解る声色で。
「どうだった? 彼を間近で観察してみて」
少女はそれに、少し考えこんでから答える。
「――〝ふしぎ〟」
端的な言葉だけを返す。
「……いいや、違う。そうじゃないだろう」
男は溜息を零す。
呆れの色よりも、どちらかと言えば疲れの様なモノを滲ませて。
「君の言語野が発達していないのは、既に承知しているが、もっと努力は示してほしい。
解読するにしろ、取っ掛かりというのは必要だ」
男の言葉に、少女は更に考え込む。
頭の中にある数少ない言語を引っ張り出し、慎重に子土馬を選んでいく。
「――かれは、〝まじゅつし〟じゃない」
彼女の目は、ひどく冷静だ。
「まじゅつは、しってるとおもう。つかえると、おもう。
でも、ちがう。〝まじゅつし〟じゃない」
「……なるほど、やはりそうか。
妙だとは思ったんだ。彼からは、神秘の徒たる警戒心も、敵愾心も、何も感じなかったからな」
魔術師には、自負と意地がある。
自分が、あるいは自分の血統が、世界の真理を探究し続けているという矜持。
そしてそれを、どこかの匹夫に掠め取られはしないかという恐怖。
歴史を重ねれば重ねる程、魔術師には、魔術師の血にはそれが染み着く。それは、男もイヤと言う程心得るところだ。
しかしそれが青年――衛宮藤汰にはなかった。
「つまり彼は、魔術をそうと知らずに継承してきた不完全な家系か、あるいは最近になって他の魔術師に見出されたか……。
どちらにしろ魔術的側面で、こちらが遅れを取る事はない、という認識で良いだろう」
「うん、ない……けど、」
少女はそこで、言葉を一度止める。
目には鋭さはない。だが確かに、何かを見透かす聡明さがあった。
「あのひとは、ふつうじゃない。
たぶん、たたかうひと」
たたかうひと。戦闘を生業にする、一種のプロ。
そう言いたいのだろう、と男は即座に答えを出した。
「……その根拠は、説明できるか?
こういってはなんだが、そのような感覚は僕には分からないんだ。出来れば理論的に言語化してほしい」
「あのひと、ゆだんしてなかった。
せんせいにも……わたしにも」
「……なるほど、それは不思議で、普通ではないな」
たった数語の言葉だったが、男に疑う様子はなかった。ただほんの少しだけ、眼光を鋭くさせるだけだった。
油断をしない人間……そんな人間は、多くない。
特に相手が子ども等、自分よりあからさまに弱い存在、劣っている存在に見えれば猶更だろう。
そんな相手には油断するし――舐めてかかるものだ、大なり小なり。
だからこそ、一見弱い相手を前にして油断をしていないというのは、それだけで十分異常だ。
本能に近い部分の思考を、戦場の意思で捻じ伏せる。
訓練や修行といった特殊な手法で刷り込まれるこれらは、生半可な事で体得できるものではない。
少なくとも、一介の学生が身に着けられるものではない。
「つまり、こちらも油断するべきではない、という事だな……理解していなかった訳ではないが、こうなって来るといよいよ簡単にはいかないな」
男の表情は、絶望を通り過ぎて諦めの境地に達している。
その表情を覗き込んで、少女は無表情で小首を傾げる。
「……せんせいでも、むり?」
「無理だ」
男の返事は素早く、ハッキリしていて、恥も何も感じさせない程堂々としていた。
「僕達は、弱い。数ある陣営の中で最弱と言っても良い。君にしても僕にしても、手札を出したところで彼らの足元にも及ばないだろう。
彼女をちゃんと見ていたか? 『腐っても鯛』とはこの国の言葉だったか……流石、最優のクラスに滑り込んだだけはある」
男の脳裏には、藤汰の後ろに立っていた女性――セイバーを思い出す。
戦闘能力は、恐らく高くはないのだろう。少なくとも、男が感じた魔力量は破格ではあったものの、それはあくまで普通の人間と比較して、である。
魔力で身体を構成しているサーヴァントとしては、非常に小さいモノだった。
――それでも、男は彼女と正面から戦う気にはなれなかった。
少女流に言えば、『油断がない』どころか『警戒心なく警戒』していた状態だったのだろう。
もしこちらが攻勢に出ていたならば、気付いた時には頭と胴が離れていたに違いないと、確信できる。
「……じゃあ、ごうかく?」
「――いいや、勘違いしないでくれ、フロイライン」
男は頭を振る。
「僕は人に合否を与えられるような、高尚な立場ではないよ」
その口調と表情は、ひどく自虐的だ。
自分の過去を一瞬で振り返り、後悔するような深く暗い色合いに染まっている。
少女はそれに、何も言わない。
彼女に、慰める等という機能は存在しない。
彼女に、その必要性はない。
彼女は、そのように
「……だが、どちらにしろまだ見たい部分はある」
男は自分で気持ちを持ち直すと、言葉を続ける。
「精神的には頼れる存在かもしれないが、戦力として頼れる存在とは限らないからね」
「――じゃあ、ヤる?」
「――ああ、そうなるな。
その言葉に、少女は動じない。
そのような機能は存在しないから。
そのような必要性が無いから。
そのように造られていないから。
だから表情は乏しいまま、言葉を続ける。
「――さんだんアイスでいい」
白衣の男は一瞬だけ目を見開くが、直ぐに表情が崩れる。
どこか微笑ましさを含んだその表情は、先程よりもずっと人間らしく見える。
「――夕食を食べられるなら、良いだろう」
「だいじょうぶ、よゆー」
心なしか無表情な彼女の顔に、喜色が見えた気がした。