Fete/Breaking Down   作:鮭漉 鎌太郎

6 / 49
02 闇は寄り添う B

 

 

 

 

 

 ――草原に、一人の女性が歩いている。

 夕暮れの茜に染まっている草原を、素足で歩いている。

 彼女の表情には、何もなかった。

 感情を何も表していない訳では無い。

 

 優しい微笑を湛え、そこには負の感情は一切ない。今彼女の髪を揺らす凪が、彼女の心を満たしているのが感じられる。

 そして理解する。

 

 彼女の人生は、そんな凪の人生とは違うものだったと。

 彼女の生きてきた道は、それほど穏やかなものではなかったと。

 

 それでも、彼女は笑みを浮かべる。まるで、これで良かったんだと言わんばかりの笑みを。

 ……それを見て、自分は思う。

 

 

 

 ――□ましいなぁ、と。

 

 

 

 

 

 

          ◆

 

 

 

 

 

「――おい、衛宮。こんな教室で爆睡とは、昨日は寝てなかったの?

 それなら、家に帰ってちゃんと寝なさい。いくら何でも、暖房も掛かっていない教室で寝ると風邪をひきかねない」

「……ん、」

 

 ハキハキとしたその声で、少し重たい目蓋を開く。

 眼の前にあるのは、自分がいつも授業を受けている教室だ。

 灯りは消され、夕闇で薄暗くなっている教室は、一瞬そのように形作られているだけの箱のような印象を持つ。

 ……ああ、そうだ。自分は帰りがけに、後藤とここで雑談をしていた。

 

 どちらも今は忙しくない身だ。バイトは慎二さんの言葉通り休むにしても、帰るのには早いと思ったのだ。

 だから時間をつぶしていたんだが……身を起こすと、腕の下から乾いた音が聞こえる。そこには一枚のノートの切れ端があった。

 

『気持ちよさそうに寝てるから、先に帰るぞ!                 後藤』

 

 ……やれやれ、分かっているならば起こしてくれても良いだろうに。

 

「衛宮は随分、薄情な友人を持ってるね。置手紙で済ませるところは、流石後藤だ」

「これもある意味、アイツの優しさではあるんですが。

 ありがとうございます、美綴先生。起こして頂かなければ、夜まで寝ていたかもしれません」

 

 顔をあげると、自分を起こしてくれた教諭……美綴綾子先生に礼を言う。

 栗色の短い髪に整った容姿。

 ジャージ姿のラフな格好をしているが、それは体育教師故なのだろう。そこにはこだわりがあるらしく、式典でもない限り他の服は着ない。

 

 その容姿と親しみやすい声掛けの影響で、男女ともに人気が高い……というのは、後藤の聞いてもいない報告で知った。

 担任ではないものの、自分もお世話になっている人物だ。

 

「それにしても、ちょっと寝不足過ぎやしない? 今日は随分早く授業も終わっただろうに、こんな夕方まで眠っているなんて。

 まさか、アイツに面倒を押し付けられてないだろうね? だとしたら教師として、昔の級友として、お灸をすえる必要があるんだけれど、」

「いえ、そういうわけではありません。

 ……むしろ、今朝、慎二さんにはこっぴどく怒られたばかりです」

 

 自分の言葉に、美綴先生はおかしそうに顔を綻ばせる。

 

「ふふっ、そりゃあ、アイツも随分丸くなったもんだ。学生時代は仮面被ってるか、苛ついているかのだったアイツが、人の体を慮って説教とは。

 ま、怒っているのは相変わらずだけど」

 

 美綴先生の言葉には、懐かしさも含んだ少々複雑な音が混じっていた。

 昔、義父と慎二さん、美綴先生はこの穂群原学園に通っていたOB・OGだ。しかも同じ学年で同じ部活動。過ごしてきた時間も多かったのだろう。

 

 当時の話をする時、慎二さんは苦虫を噛み潰したような表情になる。良い思い出がないのか、それとも恥ずかしいのかは、自分には分からない。

 つまり美綴先生とは、少々教師と生徒以外にも共通項があるのだ。

 

「……なぁ、衛宮。お前とは授業以外で久しぶりに対面で話しているわけだから、ついでに話しておきたい事がある」

「はい、なんでしょう」

 

「――剣道部、戻ってくる気はない?」

 

「………………」

 

 すぐに返事をする事が出来なかった。

 少し前まで、自分は剣道部に所属していた。体を動かしたかったのもあるが、竹刀を持っている感覚が妙にしっくり来たから、というのもあった。

 剣道が好きだった……のだと思う。少なくとも、剣道をしているのが嫌だというわけでも、誰かにやらされていたわけでもない。

 

 竹刀を持っている時には、何故か自分は無心になり、心が動く事もなかった。

 動揺も。

 悲しみも。

 辛い事も。

 何も感じなくなるあの感覚は、一種の救いでもあったように思う。

 

 ……まぁ、そんな自分はちょっと異端だったのかもしれない。

 部活で一緒に励んでいた仲間達から、ある日こう言われたのだ。

 

『衛宮、お前とはもう試合をしたくない。

 お前と試合をすると、いつか殺されるかもしれないと思ってしまう』

 

 無論、殺そうと思った事は一度もない。

 無心になれるから剣道が好きだったのだ。誰かを害そうどころか、相手の有無すら関係なかった。

 けれど、一度誰かがそう言ってしまえば、それは広がっていく。

 

 嫌われてこそいなかったが、腫物のように扱われ、好んで近づこうとする人間は次第にいなくなった。

 

 友人を作りたくて入った訳でもなかったが、皆が自分の所為で練習に集中出来ないという状況は、居心地を悪くした。

 だから退部した。

 家に道場があるので好きな時に竹刀を振れる環境だったし、部活動の時間をバイトにまわす事も出来た。

 

 悪い話ばかりではなかった。

 それでも顧問である美綴先生はそんな自分を気にかけ、時折自分に話しかけに来てくれた。

 それが義務感ではなく、同情でもなく、本当にただの気遣いであると理解していたから、それを無下にする気もない。

 ただ、自分の答えは決まっていた。

 

「……先生、お言葉は嬉しいです。

 それでも、自分一人の為に他の部員の居心地が悪くなるのは、先生が良かったとしても、自分が許せません」

「あんなの半分お前へのやっかみだよ。そんなものを気にして、お前一人が割を食うのを、顧問として見過ごす訳にはいかない」

 

「先生の考えは理解できます。

 ですが別に自分は、不利益を被っていません。そもそも、大会で記録を残したい訳でも、相手が絶対な必要な訳でもありませんから」 

「だが、衛宮、」

 

「……先生、自分はそれを許せません(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)

 

「………………」

 

 先生が押し黙る。

 どのような理由、どのような考えが先生にあったとしても。それが社会的に、学校の秩序の観点から見て同意出来ないとしても。

 

 異物がいてはいけない。

 

 自分の考え方や言動が人とズレているのは承知していることだ。だからこれはイジメではないし、追放されたわけでもない。

 その場にそぐわないと理解したから、自分から勝手に離れただけだ。だから、先生の優しい言葉に、自分は甘えてはいけない。

 

「……ハァ、なんでそんな所ばかり似ちゃうんだろうね、お前ら親子は」

「恐縮です」

 

「バカ、皮肉ではないけど、褒め言葉でもないよ……そこまで言われたらしょうがない。生徒の自由意志を縛る訳にもいかないし。

 でも、たまには顔を出しな。家で竹刀は振れるって言ったって、手入れやらなにやら、限界はあるだろう?」

「それは、……そうですね、お言葉に甘えます」

 

 拒否しようとして、言葉を飲み込んで頷く。

 美綴先生としても、これが妥協点なのだろう。

 決めたのならば止めはしないが、それでも世話は焼きたい。この人も義父と同じく、なかなかに厄介な御仁な気がする。

 

「うん、じゃあそろそろ帰りなさい。最近は物騒だし、早めに帰るようにホームルームでも話があっただろう?」

「ええ。確か、新都の方で行方不明事件が起こっていると言っていましたね」

 

 様々な事件の噂は聞いていたが、行方不明事件はホームルームで初めて聞いた。迷信はさておきとして、あまり時期的に良い頃ではないのだろう。

 

「ああ、だから、君も気をつけて帰りなさい」

「はい、それでは失礼します」

 

 カバンを持って立ち上がり、廊下に向かって歩き出す。日はゆっくりと暮れ始め、部屋の中の光度も低くなり始めた教室の中、

 

「ああ、そうだ、衛宮、」

 

 美綴先生の言葉で振り返ると、彼女は笑みを浮かべる。

 自分を気遣ってくれる先ほどの笑みとは違う、人を見透かすような笑み。

 

「お前は衛宮を見習い過ぎないようにね。

 あいつみたいに笑わないでいるのは、あまりよろしくないよ」

 

「……ええ、覚えておきます、先生」

 

 ただそれだけ答えると、自分はそのまま教室を後にした。

 

 

 

 

 

 




明日は20時すぎくらいの更新になります。
読んでくれている方がいるのか少々心配しながらも、頑張っていきたいと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。