心の奥底が掻き乱される。
そんな経験は、自分にはあまりない事だった。
これは美綴先生に言われた言葉のせいだろうか?
それとも朝、慎二さんと口論になったせいだろうか?
――それとも、朝からずっと違和感を抱いているからなのだろうか。
この生活は、まるで夢のようだ。
世話を焼いてくれる保護者、仲の良い友人、声をかけてくれる同級生、見守ってくれる先生。
一人でいる時にはとても感じられない、不思議な暖かさ。
普通の有り触れたものなのかもしれないが、貴重なものだ。
それを、
自分にとってはこれが日常で、当たり前であるはずなのに。
これが自分にとっての普通で、普遍なモノであるはずなのに。
守るべき存在で、何にも代えがたい大切なモノであるはずなのに。
何故か異常だ。
何故か異物だ。
何故か異様だ。
「……疲れているのかもしれない」
夜道を歩く足を止めずに、自分は頭を振る。
あり得ない事を考えているのは、きっと疲れているからだろう。なにせ昨晩は遅くまで作業に没頭していた。
今日は、早めに寝た方が良いかもしれない。朝起きれば、慎二さんがまた来ているのだろう。ならば、どちらにしろ布団で寝ていなければ叱られる。
そう思って横断歩道を歩き始めた時、眼の前の景色に一瞬、
「――っ」
息を呑んだ。
幼い少女が、そこにいた。
街灯があるとはいえ、薄暗い宵闇の中にぽっかりと空いたように、髪も肌も服も、純白に染まっている少女が歩いてくる。
その赤い目だけ、年格好に似合わず妖艶で、強い意志が宿っているように見える。
寝巻なのだろうか、白いワンピースは、このような時期に着るには相応しくない装いだ。
幻覚。
もし自分が不可思議なモノに理解がなかったら、そう連想していたかもしれない。
それぐらい、眼の前の少女は浮いている。
物理的にではなく、概念的に――彼女は、
「………………」
だからと言って自分が気にかける理由にはならない。
そのまますれ違い、終わっていく。ただそれだけの筈だった。
すれ違いざま、彼女が言葉を発するまでは。
「――喚び出したら死んじゃうよ、お兄さん」
「――っ!」
聞いてから振り返るまで、三秒だって掛かっていないはずだった。
――そこにもう少女の姿はいない。
本当に幽霊だったとでも言うように、向かいの道にもどこにも、彼女の姿はなかった。
「……なんなんだ、いったい」
心に、カリカリと爪を立てられた。
次話は明日の20時頃に更新します。