Fete/Breaking Down   作:鮭漉 鎌太郎

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03 浸食 B

 

 

 

 

 

 ――子どもが泣いている。

 慎二さんと話して数時間ほどしてから、自分が通学路を歩いていると、そのような光景が目に入った。

 景色だけ見るならば、ただそれだけの光景だった。

 

 朝の通学路というのは、人通りが多く見えるようでそうでもない。

 今もこの道には昨日と同じように、自分と同じ穂群原学園の生徒や通勤途中のサラリーマンなどが行き来しているものの、その人影は多くはない。

 

 だから、なのかもしれない。

 小学生らしき子どもが一人、アスファルトの上に座り込んで泣いている姿を見ても、誰も声をかけようとしなかった。

 当然、と言えば当然なのかもしれない。

 このような場所で声をかければ、変質者として疑られる可能性もある。

 

 世知辛いと言ってしまえばそれまでだが、親切心等で声をかけようとして悪者扱いとは、ままならないものだ。

 

「――何かあったのか?」

 

 もっとも、自分はあまりその辺を気にする必要性はなかった。警察が来たところで、事情や自分の身分を偽る必要性がないのだから。

 自分に声をかけられて、少し動揺した様子だったが、小さな少年は泣くのをやめて、おずおずと返事をする。

 

「ころん、じゃったの……」

 

 なるほど、非常に端的な説明だった。

 視線を下にやると、確かに少年の膝からは擦り切れてしまったのか、血が滲んでいる。

 自分からすれば大した怪我ではないと思うが、それはあくまで自分の主観だ。

 

「少し待て」

 

 自分はそれだけ言うと、すぐ近くにあった公園に足を踏み入れる。

 公園には、決まって水道などがある。自分はそれで少し手に持っているハンカチを濡らすと、今一度少年の元に駆け寄った。

 

「しみるだろうが、堪えろ」

「――っ」

 

 そのまま少年の傷に濡らしたハンカチを当てると、少年は強く目を瞑る。我慢しているのが見て取れた。

 ハンカチは少し血が染み込み赤くなるが、それもすぐに収まった。ランドセルを背負っているとはいえ、少年の体はそう大きくはない。

 転んだ場所がアスファルトだったとしても、怪我はそう酷いものではないだろうという判断は、正解だったようだ。

 

「頭は打っていないか? 他に負傷個所は?」

「え、ううん、ない……とおもう」

 

 自分の言葉に、少年は不安そうに答える。

 ? 顔見知りであるわけではないというのは重々承知しているが、にしても警戒心がありすぎる。

 何か、不審な行動をとっただろうか、自分は。

 

「――どうしたんですか? 衛宮君」

 

 そんな事を頭の中で巡らせていると、空から声が降ってきた。

 顔を上げてみると、そこには桜小路が、きょとんとした顔で立っていた。

 

「おはよう、桜小路。いや、この子が転んでいるようなので、手当をしていたんだ。今は、他の怪我の有無を確認しているところだ」

「ああ、なるほど、そういう事ですか」

 

 納得気に頷くと、桜小路はその場にしゃがみ込んだ。コートの裾が、雪解けで湿っている地面に着くのもお構いなしに、少年と視線を合わせた。

 

「えっと、ごめんね、びっくりしたよね。

 お兄さんは、君が他に怪我をしていないか、心配しているだけみたいなの。どこか、痛い所はないかな?」

 

 桜小路の言葉に、少年は今度こそ安堵の表情を浮かべる。

 ――自分が声をかけた時よりも、随分安心したような表情だった。

 

「う、うん、だいじょうぶ。どこもいたくないよ」

「そう、良かった……衛宮君、差し出がましいとは思うんだけど、絆創膏とか持ってないですか? 私、そういうの持ち合わせが無くて」

「ああ、少し待ってくれ」

 

 自分はそう言うと、カバンの小さなポケットの中から絆創膏を取り出す。細かい作業の時に切ってしまった時用に、常備しているものだ。

 自分はハンカチをポケットに仕舞い、絆創膏の封を切って少年の傷に充てた。

 幸い、傷の大きさに対して絆創膏が小さいという事もなく、しっかりと傷を覆い隠した。

 

「これで問題ないだろうが、何か他に不調があれば、すぐ他の大人に言え」

「う、うん、ありがとうおにいちゃん! それに、おねえちゃんも!」

 

 少年はそう言うと、すぐに立ち上がって駆けだした。

 足運びを見るに、骨にも異常はないようだ。また走って転びでもしたらと思わなくもないが、それは自分が言う事ではない。

 

「朝から大変でしたね、衛宮君。でも、また意外な一面が見れて、私は嬉しいです」

「大変というのは否定しないが、しかしまた意外な一面か?」

 

 自分の言葉に、桜小路はクスクスと笑う。随分、楽しそうな事だ。

 

「ええ、意外です。あんな仏頂面で、転んでいる子の面倒を見ているというのは……でも、衛宮君。失礼だとは思いますけど、一つアドバイスしても良いでしょうか?」

「ん? ああ、聞こう」

 

 桜小路はその言葉で、一つ小さな咳払いをすると、自分の方に向き直った。

 やや真剣味を帯びた、それこそ柔らかい表情が売りの彼女らしからぬものだ。

 

「衛宮君。気遣うならば、最後まで相手を気遣わなきゃダメだと思いますよ。

 あんな詰問口調で、相手の立場になって考えないような訊き方、あの子がちょっと怖がるのも、当然だと思います。」

 

 ――そうだったか?

 改めて、自分の発言や行動を振り返ってみる。確かに、どこかそのような部分があったような気がする。

 子どもというのは、自分が思っているよりも警戒心が強いのかもしれない。

だが、

 

 

 

「なぁ、桜小路――それは、必要な事なのか?」

 

 

 

 ――一瞬、空気が静止する。

 何かおかしいのかと思いながらも、自分は言葉を続けた。

 

「彼は怪我を負っていたし、他にもどこか怪我をしていたかもしれない。それを訊く事が、悪い事なのか?」

「……いいえ。もうちょっと優しく聞いてあげても良かったかな、と思います」

「それは、必要なのか? だって、知らない子だろう、あの子は」

 

 丁寧に話すのが優しさなのか? ああ、優しさなのだろう。

 

 

 

 だがあの場で必要なのは怪我の処置で、優しさに必要性はなかった(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)ように思う。

 

 

 

「……それは、ちょっと違うかな。

 優しいって、別に必要性があるとか、ないとかだけじゃないと思うの。

 衛宮君が、転んだ男の子に優しくしたのだって、それを言ったら必要ないでしょ? それを言い出したら、きっときりがなくなっちゃうよ」

 

 それは……確かにそうだな。

 ようは最初に桜小路が言った言葉通り。やるなら、最後までやり切れと言う話なのだろう。

 

「そうだったか……済まない、桜小路。自分は、表情や言葉が硬いようでな」

「いいえ、別に構いませんよ。それじゃあ、私は先に学校に行っていますで」

 

 桜小路はそれだけ言うと、学校に向かって歩き始めた。

 自分はそれを見送る。同じ教室なのだし一緒に行けばいいのかもしれないが、お互いそういう気分でもなかったのだろう。

 

「しかし、相手の立場に立って考える、か」

 

 桜小路に言われた言葉を、改めて反芻する。

 かなり、難しい事を言われたような気がする。

 高校生である自分が、小学生である少年の立場になるというのは、甚だ難解だ。

 それに、

 

 

 

「そもそも、あの子はなんで、泣いていたんだ?」

 

 

 

 自分はそう言いながら、自然と小首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 




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