アークナイツ サイドストーリー ~源野落陽~   作:丸・ぱそ男

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第一話 突然の衝撃

「……っ」

 

 車体に打ち付ける滝のような雨音と、全身を蝕むような鈍痛でリスカムは意識を取り戻した。

 

 どのくらい気を失っていたのだろう。感覚的にそう経っていないはずだが、ぼやける思考で何が起こったのかを思い返す。

 

(そうだ……崖から転落して)

 

 記憶にある直前の出来事を思い出し現状を把握する。

 反転している視界からして、運転していた四駆は完全に横転してひっくり返ってしまったようだ。シートベルトのお陰でミキサーされずに済んだが、車内は酷い惨状で目も当てられない。

 運転席に固定されたまま、上下逆さまの視界で詳細を確認するために首を巡らせて──目を見開いた。

 

「フ、フランカ……!?」

 

 飛び込んできたのは助手席の窓ガラスを放射状に走るひび割れを濡らす、ヌラヌラとした赤い液体。座席に固定されたまま両腕をだらりと垂らして動かない、頭部から血を滴らせるフランカの姿だった。

 

「フランカッ!」

 

 リスカムは呼び掛けに答えない彼女の頬へ触れ、そのまま首筋へと手を滑らせる。

 

(良かった、脈はある……)

 

 最悪の事態に至っていないことに安堵しつつ、先ずは彼女への応急処置だ。自分を抑え付けていたシートベルトを外し、運転席から天井へ落下する。

 受け身を取り損なって小さく呻きを漏らしつつ、リスカムは運転席のドアを開放して四駆から這い出るように脱出した。

 

「く……!」

 

 痛みを押し、車外へ脱出した瞬間全身を叩く暴風雨に視界を奪われ、煽られながらも助手席へと回り、フランカの救出に当たる。

 

「こ、の……っ」

 

 落下の衝撃で車体が歪んだせいか、助手席のドアノブに手を掛けるが開かない。

 どうにか開かないかと四苦八苦するが手応えがない。車体に足を掛け、歪みによって生じた車体のフレームとドアの隙間に手を差し込んで力任せにこじ開けた。

 

「フランカ!」

 

 バギャッ、と金属の千切れる音と共に引っ剥がしたドアを脇に放り、助手席に潜り込む。

 やはり返事を寄越さず目を閉じたままぐったりするフランカ。彼女の整った顔の右半分が血によってどす黒く染まっている。

 リスカムは縛り付けるシートベルトを外す反動で症状を悪化させないよう慎重に支え、苦慮しながらフランカを前部座席の天井に寝かせて傷の具合を診る。

 

(まずは止血を……!)

 

 傷口にガラスの破片が混じっていないことを確認し、リスカムは自分の上着でフランカの頭に噛ませ、血を拭い救急キットで消毒と止血の応急処置を施した。

 なおも意識の戻らない相棒の様子から脳震盪によるものだろう。通常であれば安静にするべきではあるのだが……。

 

「この環境じゃ……」

 

 轟々と音を立てる嵐によってビー玉のような雨粒が車内を浸水させる勢いで吹き込み、フランカの顔や首筋、シャツを濡らしていく。

 これではフランカの体温が奪われてしまう。このまま野晒しと変わらない場所で安静にしたところで放置していることと変わりない。

 

(確かフランカは……)

 

 ──目的地まで五キロは切ってるはず。そう言っていた。

 

 彼女の言葉を脳裏で繰り返すと、リスカムの判断は早かった。

 

「この嵐の中でも三時間あれば──」

 

 自分たちが向かっていた観光地には開拓拠点から発展した小さな町があるとフランカは楽しそうに語っていた。

 開拓地とはいえ町の規模であれば医者もいる可能性が高い。であれば彼女の負傷も治療してもらえるはず。

 その考えに至ったリスカムは豪雨の中、悪戦苦闘しながら後部座席やトランクのドアをどうにか開き、車内をまさぐって最低限の物資と装備や武器──フランカ愛用のレイピアと自身の盾を携えて行軍の準備を整える。

 

「──よし。行くよ、フランカ」

 

 いまだ目を覚まさない相棒に自分の上着を羽織らせ、少しでも熱を逃さないようにしつつ、ベルトで固定してフランカを体の前で抱えてリスカムは行軍を開始した。

 

「くっ……!」

 

 少しでもフランカが嵐を凌げるよう片手で盾を雨具代わりに頭上に掲げ、もう片方の手をフランカの頭に回し南へ向けて進んでいく。

 轟々と唸る暴風雨に視界と聴覚を奪われ、二十五メートル先も窺うことが難しい状況の中、ふと振り返ったリスカムの目では置き去りにした四駆は輪郭も捉えることが出来なかった。

 暴風に煽られ、ぬかるみに足を取られ……それでもリスカムは歩み続ける。

 

「フランカ……頑張ってね」

 

 車両を横転させる原因となった雷は、ありがたいことに頭上に渦巻く嵐雲の中で時折光を放ち、雷鳴を轟かせるだけで先程のように落ちてくることはなかった。

 しかし──

 

「はぁ……はぁ……」

 

 身に付けた数々の装備品と掲げる盾の重み、そして延々と打ち付ける雨がリスカムの体力と体温を奪い始める。

 嵐の中を行軍で靴の中までグショグショに濡れ、膝まで泥まみれになり、足元から這い上ってくる寒さに身震いがしてくる。

 まつ毛から滴る大粒の水滴を瞬きで落とし、リスカムは荒い息遣いでここまで過酷な状況に追い込まれたのはいつ以来だろう、と場違いな考えを巡らせる。

 

 ──クルビア北部の荒野での原生生物排除?

 

 ──龍門郊外の原石採掘跡地でのレユニオン追討戦?

 

 ──サルゴン辺境の町で遭遇した変異生物を利用した反乱の鎮圧?

 

 確かにいずれも厳しい任務であった。だが、苦境に立たされた時そこには必ずフランカがいた。

 ひょうきんで冗談好きで、いつもこちらをおちょくっていた、いざという時は頼りになる相棒……。

 

(私が、あのとき運転を誤らなければ……)

 

 自分だけが軽い傷で済み、彼女を重傷を負わせ──最悪の事態を極力考えないようにしつつも、リスカムは己を責める。

 いや、そもそも自分がフランカのワガママを聞いてしまったのが間違いだったのでは?

 彼女の願いを叶えたいなどと、普段であれば取らない判断を下したことが現在の苦難に追い込んでしまったのではないか?

 答えの出ない問いがグルグルと頭の回り続ける。

 

(けど、それじゃあまるで──)

 

 

 

 ──アイアンフォージシティの時と同じではないか。

 

 

 

 フランカが鉱石病に掛かり、感染者となってしまった忌々しい記憶が蘇る。彼女が感染者になってしまっのが自分のせいであると思い詰め、勝手に背負い込んでいたところを彼女自身に諭されたされた、あの時の記憶が。

 

「今度は……必ず……!」

 

 今回に関しても自分のせいで彼女を傷付けてしまった。でも、今彼女を助けられるのも自分だけだ。

 同じ過ちは繰り返さない。

 相棒のためにも、自分のためにもリスカムは己を叱咤し、ぬかるむ大地を踏み締め、一歩一歩進んでいく。

 結局、どれくらいの時間を悪天候の中歩き続けたのだろうか。

 時間の間隔も曖昧になり、長時間の重装備での行軍と風雨に晒され、盾を掲げることも出来ない腕と、鉛のように重い足を引きずり、疲労と寒さで朦朧とする意識の中でリスカムは……。

 

「あ、れは──」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 町に一つだけある酒場(サルーン)『ミランディージャ』。

 『ミランディージャ』は嵐の夜を明かすため集った住民たちでそこそこ席が埋まっていた。

 言いしれない不安を払うように酒を煽り、だが低い声で言葉を交わし合う住民たちの中。少女は目の前に置かれたレモネードの杯にも手を付けず、一人カウンターに腰掛けていた。

 

「どうしたジル、窓なんてジッと見て」

 

「自分の美貌に釘付けかぁ?」

 

「ジルが綺麗なのは皆も知ってるけれど、それはナルシシズムってやつじゃないかい?」

 

「綺麗になったもんなぁ」

 

「もうっ、違うわよ」

 

 ガタガタと音を立てて揺れる窓へ視線を送っていた、ジルと呼ばれた少女はため息混じりに声の上がった方へ振り返る。顔の赤らんだ父よりも年嵩の老人老女たちがグラス片手に笑っている。皆ジルが幼い頃からの顔馴染みであり、叔父や叔母のような人たちだった。

 

「皆してからかって……ただ、嫌な嵐だなって思ってただけ」

 

「その気持ち分かるぞ。俺も嵐でボロ酒場が倒壊しないか気が気でないからな」

 

「やかましい。なんなら瓦礫の下敷きにならないよう嵐の中に放り出してやろうか」

 

 どこからか飛んできた冗談にカウンターの向こうでグラスを拭いていた『ミランディージャ』のマスターであるフェリーンの老人が、吐き捨てるように脅しを掛ける。

 いつも通りの毒の吐き合いにジルも周囲の住民も笑い声を上げた。

 

「ははは、マスターもマークさんも喧嘩しないでよ……はあ」

 

 笑いながら諌めるジルだったが、ため息と共に表情を曇らせ、頭の羽根に触れながら再び窓の方へ視線を移した。

 

「ジル? 大丈夫かい?」

 

「うん、平気だよ。ただ……お父さんから聞いた話を思い出してただけ」

 

 心配した表情でこちらを慮る老女──ローズへ頭を振りつつ、ジルは悲しそうな顔で続けた。

 

 

 

「『荒野に大きな嵐が見舞う時、それは異邦の者が訪れる兆し』って話をね」

 

 

 

 父も彼の父──つまりは祖父から教わったという、クルビアの辺境に伝わる伝承である。

 ある時は風雨に混じり、ある時は雷鳴を伴い……ある時は嵐の過ぎ去った空を背に異邦人は姿を見せ、人々に善きにしろ悪しきにしろ変化をもたらし、沈む夕陽と共に去っていくという、おとぎ話のような言い伝えだ。

 

「その話が本当だったら良いな、って考えちゃって……」

 

 自分に言い聞かせるようにジルが話し終えると、それまで酒場に居合わせた住民たちは誰一人として声も発さず、杯に口を付けることもなくこちらの話に耳を傾けていた。

 それまで音の絶えなかった酒場の中はしんと静まり返り、雨と風の音だけが嫌に響く。

 

「でも……でもそんなことはありえないんだけどさっ。ごめんね皆、変な空気にしちゃって!」

 

「……いや。そうでもないぞ」

 

 向けられる視線に乗った感情に気付いたジルは慌てて謝ると、何か含むような声が上がる。

 振り向くと、声の主は先程マスターと口喧嘩をしていたマークであった。

 

「え?」

 

「こういう嵐の日には、どこからともなく得体の知れない連中が迷い込む、と子供の頃聞かされた記憶があるが……ジュゼッペ爺さん、まるで見てきたみたいに事細かにその時の話をしてたよ」

 

「あたしも婆様に聞かされた覚えがあるよ。ヴィクトリアからクルビアに移民でやって来た時、嵐に見舞われて、おまけに烈獣に襲われて家族共々餌になりかけたところに、見ず知らずのサンクタに助けてもらったとかなんとかって」

 

「そういえば儂も聞いたことがあるな」

 

「私もだね」

 

 無精髭に覆われた顎を撫でたペッローの老人(マーク)の言葉を皮切りに、他の住民たちも口々に先人たちの経験談を語り始める。

 ジルが驚きで声も出さず皆を見ていると、その内の一人が声を張り上げた。

 

「そういやマスターはその『嵐の中の異邦人』に会ったとかなんとかって以前話してなかったか?」

 

「えっ?」

 

「いやその話は……」

 

「本当なの、マスター?」

 

 酒場中の視線を集め、注目の的となったマスターは口ごもるが、ジルが食い付くようにカウンターから身を乗り出すと、彼はううんと唸りを上げて少し黙り込む。

 

「……昔、嵐の夜の酒場で飲んでた時にそういう得体の知れないのとあったことがある。あるが──」

 

「それで?」

 

「……友を殺されただか何だが知らんが、酒場に居合わせた保安官を撃ち殺しやがってな。保安官をヤッた後、そいつはどこかへ消え失せたんだが──後で知ったことだが、そいつは女子供も躊躇わず手に掛けるような、とんでもない極悪人だったそうだ」

 

「……そう、なんだ」

 

 拭いていたグラスを置いたマスターは言い辛そうにして締め括る。話の結末にジルはため息と共に体の強張りが抜け、肩を落として丸椅子に沈み込んだ。

 

「──この馬鹿! ジルを落ち込ませてどうすんだよ!」

 

「人の心がないのかいあんたは!」

 

「ち、違う違う! マスターの話のオチを知らなかったんだよ!?」

 

「なおさらタチが悪いじゃねぇか!」

 

 至るところから非難の声が噴出し始め、マスターへ話を振った住民を揃って責め立てる。

 顔を伏せていたジルだったが店内の雰囲気が剣呑になり始めたことにハッとし、顔を上げると慌ててその住民を庇った。

 

「いいのよ皆! 私は大丈夫だから! だからあんまりビルさんを責めないであげて」

 

「ジル……」

 

「でもあんただって──」

 

「この話はなかったことにしましょう! 皆仲良く、ね? ただでさえこの町は今──」

 

 にわかに騒ぐ住民たちを宥めようと明るく振る舞って、場の雰囲気を取りなそうとした、ジルの声を扉の軋む音が遮った。

 ギイ、とやけに響いたその音に、ジルだけでなく酒場の全員が肩を跳ね上げて一斉に振り返り──椅子の上でたじろいだ。

 

 

 

 視線の先。そこには重量感のある盾を持ち、剣を吊り下げ、人を抱きかかえる少女が、未だ揺れるスイングドアの内側に立ち尽くしていた。

 

 

 

 突然の闖入者たちに静まり返る酒場。

 吹き荒ぶ嵐に揺られる建物の軋みと、全身ずぶ濡れの少女か、滴る水の跳ねる音以外聞こえてこない。

 足元に水溜りを作る彼女たちの有り様に、住民たちが困惑の表情も露わに顔を見合わせる。

 まさか歩いてきたのか? この嵐の中を?

 

「あの……あなたは?」

 

 驚きと不安で身動きを取れずにいる中、こわごわとジルが声を投げ掛ける。

 返事を返さない闖入者の少女に不安を覚えつつ、彼女は何者であるかを見定めようとした。

 立ち尽くす少女の表情は雨に濡れた前髪が額に張り付き窺えないが、側頭部に生えた角と足の間から覗く背後に垂れ下がった尻尾の特徴で彼女がヴイーヴルであることは判断できた。

 もう一方、ヴイーヴルに抱きかかえられた方は耳と尻尾の形からしてヴァルポの少女であり──よく見れば頭に包帯が巻かれているではないか。

 

「その人、もしかして怪我を……?」

 

「──を」

 

「え?」

 

 不意に、か細い声がヴイーヴルの少女の口から漏れ出る。

 

「──者を……医者を、呼んでくだ……さい」

 

「あっ!」

 

 ガチャンっ、と盾が木張りの床に落下する重い音と共に助けを求めた彼女は直後にその場へと崩れ落ちる。

 反射的に駆け寄ったジルは顔から床に倒れ込みかけた彼女たちを抱き留めた。二人分その他の重みに負けかけるもどうにか耐えて受け止める。

 

「大丈夫!? しっかりして!」

 

 ジルは服が濡れるのも構わず膝を枕にし、ヴイーヴルの少女を仰向けに寝かせて彼女へ呼び掛け、気付いた。

 髪の貼り付く顔は蒼白になり、全身が小刻みに震えている。どう見ても低体温症の症状が出ていた。

 

「マスター! 彼女、凄く弱ってる。このままじゃ下手すると……!」

 

「分かった、二人を上の部屋に運ぼう」

 

 ジルが顔を上げて容態を伝える前に、マスターは既にカウンターから飛び出していたようで、傍に佇んでいた。

 『ミランディージャ』は他の開拓地の辺境にある酒場同様、二階に宿泊施設を兼ね備えている。

 

「おいマーク。手を貸してくれ」

 

「よ、よし来た」

 

「俺たちが二人を運ぶから、女性陣はジルと協力して嬢ちゃんたちの看病を頼む。男共の内何人かは嬢ちゃんたちの荷物を、残りはウォルツ先生を呼んできてくれ」

 

「お、おう」

 

「承知したよ」

 

「ヴイーヴルの嬢ちゃんよりもヴァルポの嬢ちゃんの怪我の方が重症かもしれん。急いでくれよ。行くぞ、ジル」

 

「う、うん!」

 

 ヴァルポの少女をマスターが、ヴイーヴルの少女をマークが抱きかかえ、ジルは先導のため階段へと足を向ける。

 

(『嵐の中の異邦人』……やっぱり本当の話だったんだ)

 

 父から聞いた伝承。それが現実に起こったことに、ジルは驚きと興奮のせいで自分の脈打つ鼓動が早くなっていることを嫌でも感じ取っていた。

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