お父さんはわたしのせいで病んだ。
お父さんはわたしが壊しちゃった。
「……姉さん。ご飯、食べれそう?」
「……」
ごめんね、玲音、ごめんなさい。ごめんなさい。
「……姉さん」
作っただろう食事を部屋の前の床に置いたような音がして戸が開かれる。
逆光で顔が見えない。どんな表情をしているのか。顔から気持ちがわからない。
「……姉さん。姉さんは、悪くないよ」
わたしと目線を合わせるように屈んでそう言う玲音。
「父さんは、疲れていた。たくさん頑張って、でも疲れてしまった。姉さんが悪いわけじゃない」
「でも、わたしの曲が」
「姉さんの曲が父さんを壊したなら、父さんは……姉さんに、あのお願いはしない、と思う」
『奏は、たくさんの人を幸せにできる曲を作ってくるんだよ』
「……姉さん。そのお願いを受け止めるのも、受け止めない、のも。それは姉さんの自由。姉さんが選んでいいこと」
玲音がわたしを抱きしめる。ただ、少し暖かい人肌が触れている。
「全部、投げ出したくて。もう、消えることを選ぶなら。――私も、連れて行って。一緒に死のうよ」
「なんで、玲音も」
なんで玲音も死にたいのかわからない。玲音が精神的に危ういのは知っている。けど、当時のわたしにはわからなかった。
そして、その後に言った言葉の真意も
「一人は、寂しいよ」
それは柊さんが死んで一人になったからなのか。わたしが死んだら寂しいから、一緒に死のうという誘いなのか。それとも、消えようとしていたわたしへの言葉なのか。
今でもわからない。けど、玲音はわたしの弟で。わたしは玲音のお姉ちゃんだから。
「……曲、作らなきゃ」
「……姉さん?」
「いっぱい作って、色んな人に聞いてもらおう」
わたしは、生きなきゃ。玲音を殺さないために。
玲音が死んでしまわないように
小石を高く積み上げて
「玲音がいなくなった!?」
「……うん」
ナイトコードでみんなに連絡したら、すぐにセカイで会うことになって今の状況を話す。
玲音がいなくなったこと。遺書らしきものが置いてあったこと。部屋に敷かれたビニールシートのこと。
そして、空亡が投稿した作品。玲音の自画像『遺作』のこと。
「でも珍しいわね。空亡が題名をつけるなんて」
「あれ、そんなに珍しいことだっけ?」
「珍しいわよ。だって空亡よ? 空亡の作品は大半が題名がなくて、作品の特定が難しいのよ」
玲音は作品を掲載はしても題名がない。
ネットでたまたま見かけてから、ほとんど追ってるけど空亡のファンが各々好きなように作品に題名を付けている様子が見られる。そのことについて玲音に聞いたことはあるけど、困ったように首を傾げていた。
「うーん。題名をつけない理由を聞いた覚えはあるんだけど、どんな理由だったっけ」
「私が聞いたときは、好きじゃないからつけないっていってたけど。多分、それだけじゃないと思うから奏も何か知ってる?」
「絵名は聞いたことあるんだ」
「だって絵に題名がないのよ? なんでか気になるじゃない」
絵名は玲音から直接聞いたみたいだ。
玲音が題名をつけないのは別に好きじゃないからってだけでもない。
「……なんで、奏の弟は題名をつけるのが好きじゃないの?」
「題名をつけて作品が完成するって考えが一般的だろう。それに好きも嫌いもあるのか?」
「あ、ミク、カイト」
「私もいるわ」
「メイコも……」
続々と集まってきたミクたちVOCALOID。……あまり勝手に話すのは良くないかもしれないけど、今は緊急事態だから、許してね。
「玲音は、解釈がたくさんある方がいいからって。題名は基本的につけないんだ」
「あ、前に聞いたのと同じ理由だ」
題名が作品を縛ってしまう。タイトルをつけたことで、作品の解釈が狭まってしまう。
これが対外的に玲音が作品の題名をつけない理由。
だから、瑞希に対してもそう答えたんだろう。
だけど、本当は違う。
「……玲音は、空亡のアカウントを『捨て置き場』って呼ぶんだ」
「捨て置き場?」
玲音は自分の作品に対してあまり興味がない。
それも、完成した作品を記憶はしていてもそれに対する思い入れは特にない。
「玲音にとって、空亡のアカウントに投稿されている作品は全部落書きとか、手癖で作ったものが大半なんだ」
「アレが手癖」
「あー、でも玲音だしありそう」
「……実際、家で飾り切りとか、盛り付けとか細かい料理装飾もなんとなくでやってたし。実際そうなんだね」
絵も、工作も、玲音にとって深い意味合いは基本的にない。
ただなんとなく作りたいと思ったから作っただけで、それにメッセージもコンセプトもない。
だから、題名を付ける、付けない以前に。その作品に付与されるべき意味が初めから存在しない。
「手癖だから題名がないってだけなら、好き嫌いは入らないんじゃないかしら?」
「普通ならそう。だけど……」
例えるのが難しい。
「コンセプト。メッセージ性を持たせたいなら、それに適した色とか、物の配置。音の配置、機材を使って世界観を閉じるっていうのをよくやるんだ。だけど、そこから外れた違う視点から見える世界っていうのが人の認知の面白さなんだって」
「……つまりは、奏の弟は解釈を縛って仲間外れを生まないためにそもそもタイトルをつけない。ということか」
「うん。大体そんな感じ」
必要な場合。
コンクールとか、最近だと詩集を出すことになったからって題名を考えることはあるみたいだけど、それをすると世界が固まってしまうのが好きじゃない。だけど、形式上仕方がないってぼやいていた。
元々、玲音は題名を付けるのは小さい頃から好きじゃない。それが今の今まで続いているだけで、この理由もちゃんとしたものというよりは、言い訳的なものでもあるんだと思う。
「こう見てほしい。こういうテーマで描いている。そういうものを押し出したくないからタイトルをつけないってことなら、今回弟さんの描いた『遺作』という自画像は、遺作として見てほしいっていう直接的なメッセージになっている」
「……だと思う」
今までの傾向で考えるならそういう意味になる。
そうなら、本当に玲音が死んじゃう。
早く見つけないと、玲音が
「不安になるのはわかる。だけど、落ち着いて」
「……まふゆ」
「すぐに探したいのは私たちも一緒だと思う。だけど、今は何もわからない。だから、一度話し合おう」
「そうよ。そのために今集まったんだから」
「三人よらば文殊の知恵っていうし、焦って探すよりも見つかるよ」
「……」
「……みんな」
……そうだ。今は一人じゃない。玲音のことが心配なのはわたしだけじゃない。
「……ありがとう」
「いいの。気にしないで」
「そうだよ。意外と答えは目の前にあったりするし。もしかしたら、まふゆみたいにセカイに閉じこもってたりして」
「そうよ。あの時のまふゆみたいに……」
「……あ」
そうだ。玲音にはセカイがある。
セカイは、想いが形になった場所。一年前、まふゆは一時期セカイに一人で閉じこもっていた。
「セカイに行けば、玲音がいるかもしれない」
「じゃあ、ちょっと試してみる。玲音のミクー。虚白ちゃーん」
瑞希がスマホを取り出して呼びかける。だけど、スマホに反応はない。
それに首を傾げて、何度か玲音のミクを呼んでみるけどなんの反応もない。
「あれ、いつもならすぐに反応があるはずなのに」
「……そんなによく反応するの?」
「うん。たまに呼んだりしたら、すぐに反応があるんだけど……」
「おかしいなぁ」と、それからも何度か声をかけてみたけど、瑞希のスマホはなんの反応も示さない。
「聞こえてないのかもしれない。……奏、玲音のスマホからなら、何か反応があるかも」
「わかった。試してみる。」
玲音の部屋に落ちていた、玲音のスマホ。
画面が割れていて、液晶が漏れて画面には何も映らないけど電源は入っている。……と思う。
瑞希のスマホからの接続が切れているだけで、玲音のスマホならセカイの方へ届くかもしれない。
「虚白のミク。聞こえていたら返事して。玲音」
……ダメだ。なんの反応もない。
「瑞希、奏。こっちのセカイから、別のセカイに対して語りかけても届かないのかも」
「……一度、部屋に戻って試してみる」
「わかった。じゃあ、ボクも一度部屋に戻って呼びかけてみるよ」
わたしと瑞希が部屋に戻ろうとすると、気怠げな声が聞こえてきた。
「多分、部屋に帰ってもなんの返答もないぞー」
「どうしてわかるの?」
「そりゃ、セカイってのは安定しているようで、結構不安定だからだよ」
赤い髪に赤い目。そして、軍服っぽい服を着た青年のような見た目をしたVOCALOID。だけど、彼曰く。VOCALOIDではなく、別の電子生命体だという。
「ニセカイト、なにしにきたのよ」
「なにしにって。きちゃ悪いかよ、メイコ先輩」
ニセカイト。気がつけば瑞希のスマホの中にいたカイトを自称している電子生命体。
今はこのセカイに居着いていて、エセエモンと一緒にいることが多い。何かと話を聞いてくれるし、カイトさんみたいに率直な意見をくれる。
「セカイは、所有者の感情とか状態とかに左右されやすいんだ。マスターの状態が悪いってんなら、セカイ側から反応がなくても無理はないと思うがね」
「どういうこと?」
「どうもなにも、セカイが閉鎖的になって自衛をし始めてるってこと」
ニセカイトは、どこか面倒そうに頭を掻きながら壁に寄りかかる。
「セカイってのは、心を土台にして出来てる。だから極端な話。所有者が『もう誰とも繋がりたくない』って無意識に思えば、セカイそのものが閉じて、誰も入れないようにすることもある」
「そんなことあり得るの?」
過去にまふゆは消えたくて一人でセカイに閉じこもった。
だけど、ミクがわたしたちをセカイに連れてきて、まふゆと合わせてくれた。
一人になりたい。消えてしまいたい。そう願っても、セカイはわたしたちを拒絶してはいなかったし、完全に閉じているわけでもなかった。
「本来はあり得ない。だが、セカイが正常に機能していないとしたらどうだ? セカイはあくまでも望む未来のための器だ。当人が変わるための、未来へ行くための場所。そんな場所の支配者が、未来を望んでいないならどうだ?」
『未来を望んでいない』その言葉が重くのしかかって来る。
玲音は未来を見ていない。玲音の幸せの中に、玲音はいつもいない。
あの玲音の絵のように、幸せの中に玲音がどこにもいない。
「でも、そんなこと」
「あり得ないとは言わせないぞ、奏。姉として、長く見てたなら薄々勘付いてはいたんだろう」
「……」
否定したい。そんなことないと言いたい。だけど、言えない。
「いや、アンタはわかってて何もしていなかったんだ。だって、
「……」ダメー。イイスギー。
エセエモンがニセカイトの肩を叩いて、胸の前でバッテンを使って。口を閉ざさせるように指でチャックを閉じるような動きをする。
「……っ。まあ、いいさ」
舌打ちをしてそう吐き捨てる。
私は、玲音の状態を知ってて何もしなかった。何をすればいいのかわからなかったから。何もできなかった。
嫌になる。
私の背中に手が置かれて、隣にいるまふゆが少し前に出て、
「……ニセカイトは、どうにか出来るんじゃないの」
何かを探るように、エセカイトに疑問を投げかけた。
まっすぐ、希望的観測というよりは出来るとほとんど確信しているような感じだ。
「出来ると思うか?」
「出来ないの?」
「……出来ない。わけじゃないが、出来るとも言えない」
「どういうこと?」
ニセカイトがため息をついて、まふゆにそう返した。
「閉じたセカイをどうこうするのは無理だ。セカイに行く方法がないわけじゃない」
「! なら、」
「ただ、あっちがこっちを迎え入れる気がない場合。こっちから無理やり押し入る形になる。もちろん、激しく拒絶されるだろうし。正常な機能の仕方をしていないなら、
「……」
ニセカイトの言葉に、まふゆも黙った。
「自分の中にズケズケと踏み込まれる。その不快さを。アイツを傷つける覚悟があるってんなら、オレもできる限りのことはする。初代だってそうだ」
「……」キョクリョクスルヨー。テツダウヨー。
「玲音を傷つける……」
「……でも、それで玲音と話ができるならボクは行きたい。玲音のセカイに」
「私も。玲音にまだお返しできてないんだから行くわよ」
瑞希と絵名は行くことを決めたみたいだ。
まふゆも行くんだろう。……私は。
——一人は、寂しいよ。
——おいて、行かないで……。
「私も行く」
玲音は私の弟で、私は玲音のお姉ちゃんだから。
そして、もう。一人にしないから。
「……この先は地獄だぜ」
「それでも、玲音に会いに行きたい」
「……わかったよ。朝比奈まふゆさんや。セカイの一部借りるぜ」
「……わかった」
まふゆに何か確認をとって、ニセカイトが手を差し出してくる。
「じゃ、その壊れかけのスマホ貸してくれ。繋げてやるから」
「……はい」
玲音のスマホをニセカイトに渡した。一瞬だけ触れたい指先がとても冷たくて、不思議な感じがした。
玲音のスマホを指で小突くと、何か破片のようなものが浮き上がってふわふわと宙に浮いている。
「準備はした。あとは、このセカイのカケラに触れれば行けるだろうさ」
ニセカイトはそういって、玲音のスマホを私に差し出してきた。
それを受け取って、画面を見る。
相変わらずひび割れているけど、何かが写っているように見える。
「ほら、心が決まってるんなら早く行ってやれよ」
「ありがとう。ニセカイト」
「いいよ。気にすんな。じゃあ、オレはおさらばするぜ」
私のお礼にそっけなく答えてどこかへ行くニセカイト。
「ちょっと、待ちなさい」
「……悪いが、俺は手伝うことはできない。だが、自分の思いがあるなら伝えるべきだろう。悔いの残らないようにぶつかってこい」
メイコがニセカイトを追いかけてどこかへ行って、カイトも行ってしまった。
ミクが心配そうにわたしたちを見ていて、エセエモンは浮いているセカイのカケラなるものの近くに立っている。
「……行こう。玲音に会いに」
「ええ」
「行こうか」
「……うん」
セカイのカケラに手を伸ばして触れた。
次の瞬間。
ぐらり、と世界が揺れた。
「っ……!」
床が抜けるような感覚に、全身を包む浮遊感。
視界が赤く滲む。
ノイズ。
軋む音。
遠くで鐘みたいな音が鳴っている。
沈むような感覚と、全身に感じる冷たい水に濡れるような感覚。
とても深くて、凍えそうなほど冷たい。どこまでも落ちていってしまうような浮遊感。
そして――
気づけば、そこに立っていた。
「……ここが」
歩くと、ぴちゃりと水溜りを踏んだような感覚と音がする。
……なんの水溜りなんだろう。床を見れば、赤い液体が床の所々に水溜りを作っている。
空を見れば、無数のカラスが赤い空を乱れ飛んでいて、どこからともなく聞こえる赤ちゃんの泣き声。泣いている。悲しそうに、助けを求めるように泣き喚いている。
月がわたしたちを見下ろして、時計塔から重苦しい鐘の音が聞こえる。
床には折れた絵筆や破れたキャンバス。歪んだり、割れたりしている楽器。割れた仮面。見覚えのある作品群。玲音の作品たちが壊れた状態であたりに散乱している。
「瑞希、ここが」
「前に来た時はこんなんじゃなかったけど。……うん。多分、ここが今の玲音のセカイなんだと思う」
「何よここ、これがあいつのセカイなの」
「……これが、玲音のセカイ」
とても、怖くて。寂しいセカイ。
まふゆのいた『誰もいないセカイ』とは違った寂しさを感じる。
「おや、お客さんかな?」
中音域にある声が聞こえて、そこへ視線を向けた。
白い髪にショートヘアの少女。風貌からわかるのは、この目の前にいる少女こそが、玲音のスマホ越しに話をしたことがあるミク。虚白ちゃんなんだろう。
「……虚白ちゃん」
「どうも、この姿で会うのは初めまして。
玲音のミクはそういって、わたしたちを見て微笑んでいた。