第1話 郷紅魔
いつだってみんなは完璧な仕事をする。
寸分の狂いもなく整列された食器。弛み1つなく張られたテーブルクロス。血をぶちまけたような深紅の壁はいつも以上に深みを増している。レミリア・スカーレットは恍惚の表情を浮かべて客間を見回した。
傍らのメイドが真っ紅なワインボトルを氷から取り出し、花を扱うように丁寧に水滴を拭う。館のメイドがレミリア好みに何年もかけて改良したワインだ。
「素晴らしいわ咲夜。こんなに素晴らしいワインは生きてて此の方見たことがない。甘みと渋みのバランスを考えて、じっくりと醸成してきたんだろう? さらには開封タイミングまで計算した温度管理。5分後にはこの世で最も素晴らしいワインになっているだろう。流石は我がメイドたちだ。それはそうと開けちゃダメ?」
レミリアは興奮から、幼い体格には似つかわしくない大きな翼を羽ばたかせる。少女は上等なドレスを身にまとい、それでいて派手過ぎない上品な身なりをしていた。
「少しくらいは我慢を覚えたらどうですかお嬢様?」
十六夜咲夜は呆れて答えた。清潔でパリッとしたメイド服を着こなし普段の仕事ぶりを感じさせる。
「我慢は毒だよ咲夜。咲夜は余生短いんだからもっとはっちゃけないと」
「寿命はたっぷりですよ。お嬢様にとっては些末なことでしょうけど」
「私何歳だっけ? 400? 500?」
「その調子のくせに何で誕生日パーティは毎年開くんですか?」
「あんたたちが蝋燭を1本1本灯していくのを見たいのよ」
レミリアは不貞腐れた様子で、ワインクーラーを眺める。水滴が嘲笑うようにゆっくりとゆっくりと流れ落ちた。
「そういえば咲夜、客はまだ来ないの?」
「時間はとっくに過ぎてますね」
「まったく人間ってやつは」
レミリアはわざとらしく大きな溜息をついた。椅子に座ってからかれこれ15分は経過している。レミリアは暇と待たされることが何より嫌いだった。
「お客様は今何をしているんだろうね? 下々の妖怪とのごっこ遊びでくたびれて熟睡したか、貧乏すぎて目覚まし時計も買えないのか。あるいは日課の神頼みでもしているのかな?」
「もう寝てるんじゃないですか? 今25時回ったところですし」
「長命な分気が長いって思われてるのかな?」
「昼に寝て夜起きるお嬢様は、私たち人間には理解が及ばぬものですよ」
「私にとっても人間は理解不能なものよ。特に人間っぽいところがね。これから来るお客様は殊更に」
落ち着いたノックが小気味良く鳴る。返事をすると扉が開き、メイド妖精が頭を下げる。酷く緊張した様子だ。
「お客様がいらっしゃいました。お嬢様」
「賭け金は私の総取りだな咲夜」
「これ以上何を搾り取るんですか?」
「痩せこけた顔を楽しみにしよう。どうぞ入りたまえ」
レミリアは悠々と頬杖をつく。金の装飾があしらわれた豪華な扉を、メイド妖精が大きく開け放った。先に佇むのは紅白のシルエット。頭に結ばれた大きなリボン。不思議に揺らめく赤いスカート。赤と言っても血のような赤黒い色ではない。この洋館には似つかわしくない、おめでたい色の巫女がそこには立っていた。
「久方ぶりね博麗の巫女。私は紅魔館の主、レミリア・スカーレット。ようこそ我が城へお越し頂いた」
レミリアは霊夢の元まで歩き握手しようと手を差し出す。霊夢は訝しがりながらも、手を握り返した。霊夢の生き生きと色づいた大きな手と、レミリアの石膏のように白く幼い手が重なり合う。
「悪寒が走るわ」 と霊夢。
「定型的な挨拶よ。やせ我慢は得意でしょ?」
「屋敷も外から中まで真っ赤で気味悪いわね」
「時間が経てば慣れるよ。人間でもね」
霊夢は咲夜が勧めた椅子に、まるで自分の家のようにどかっと腰掛けた。レミリアは机上で手を組む。
「それで? 何で遅刻したの? 博麗……」
「博麗霊夢です」 咲夜が口を挟む。
「そうそう霊夢ね。返答によっては土に帰ってもらうけど」
「寝てたわ。夜遅いのよあんた」
霊夢は不遜極まりない、事も無げな態度だった。レミリアはにやにやしながら続ける。
「それは良かった。土の下はさぞ寝心地が良いでしょうね」
「火葬派なのよ私」
「確かに火炙りも悪くないね。皮膚の焦げ目が美味しいのよ」
「吸血鬼は生食しかしないと思っていたわ」
「ははは面白い奴ね。吸血仲間にしてやろうか?」
「死んでも御免ね」
咲夜がランチの準備を進めている。咲夜はワインボトルを手に取り、レミリアのグラスに注ぐ。霊夢には別のボトルを注いで目の前に出す。霊夢はありえないものでも出されたように顔を顰めた。
「さあお待ちかねのランチタイムよ。咲夜、霊夢に出したものは何かしら?」
「これは2002年、フランスのブルゴーニュ地方の小さなブドウ畑で……」
「ブドウ農家を虐殺したのね」
吐き捨てるように霊夢が言う。突発的な言葉にレミリアは思わず吹き出してしまった。
「まあ霊夢。私がそんなに意地汚いと?」
「共食いをさせたら肉は美味しくなるってどこかで聞いたわ。そうやって私の肉を食べる魂胆ね」
「良い味にするには良質な餌が必要だからね」
「ほら、私の目に間違いはなかった」
霊夢がワイングラスを咲夜に押し付けて返そうとする。しかし咲夜は後ろ手を結び取り合わない。
「あんたも共食いは見たくないでしょ」
「私はどっちでもいいわよ」 と咲夜。
どちらも譲らず、押し合い圧し合いを繰り返す。レミリアはグラスからその光景を透き見し、さも楽しそうにワインをくゆらした。
「まあその位にしたら? 本当に人間の血は入っていないよ」
「本当?」
「本当本当。私も近頃は飲んでいないし」
「人間の髪の毛とかは?」
「それは配膳係に聞いてみるといい」
霊夢はまだ疑いの顔を残している。
「あんた人間を襲ってるんじゃないでしょうね。人里の」
「近頃は飲んでいないって言ったでしょ? 最後に飲んだのも幻想郷に来る前よ。元々飲食は必要ないし、期間を空けたら飽きちゃった」
「ふーん」
霊夢は納得したのか、不審がりながらもグラスに口をつけ一気に飲み干した。
「うーん渋い。確かに葡萄の味がするわね。いや、葡萄なのか……? やっぱり日本酒ね」
「そんな飲み方じゃあ酔いも回らないでしょう。お手本見たい?」
レミリアはワインを揺らす。まずは香りを楽しみ、口に流す。渋みの中に程よい甘みを感じるレミリア好みの味わいだ。そして本能をくすぐる隠し味。レミリアにはとても、少量の献血で得た血だとは思えなかった。
献血は人里でメイドにやってもらった。取った血の量は1人当たりコップ1杯に満たない程度。金銭さえ払ってやっていた。
霊夢は再度注がれたワインを見様見真似の覚束ない手つきで回している。力加減が分からないせいかワインの水面が渦を巻いていた。
「じゃあ霊夢にも取っ付き易いものを出してあげよう」
レミリアが指を鳴らすと、メイド妖精たちが追い立てられるように配膳カートを押して入って来た。そして皿をテーブルに並べクロッシュを開けると、オードブル、肉料理、米料理など色彩豊かな料理が現れた。
「うちのメイドが腕によりをかけて作った料理だ。好きなだけ食べてくれよ」 レミリアは小さく手を広げて嬉しそうに言う。
「あーそうそう。こういうので良いのよ」
霊夢は手を合わせ会釈をする。そして箸で意外なほど少しの米を取り、ゆっくり味わうように咀嚼した。口の中を完全に空にした後、霊夢は口を開く。
「で、今日は何の用で呼び出したのよ」
レミリアはワインを飲み干す。咲夜は流れるように追加のワインを注ぐ。
「知りたい?」
ワインを静かに波立たせる。手元が狂い、零れそうになる。
「知らないとは言わせないよ霊夢」
「そうね。ごめん」
霊夢は白米を取りかけていた箸を止め、音を立てず丁寧に置く。
「あんたがちゃんと人里を見ていないからあんなことが起こったんじゃないの? それでも博麗の巫女様か? 幻想郷の管理者とは名ばかりね」
霊夢はばつの悪そうに座っている。ただレミリアからは目を離さない。レミリアはワインを一口飲み喉を潤す。
「そうねぇ、まずはあの子について話しましょうか」
一息つく。
「あの子と初めて会ったのは満月の夜だったわ。墓にお酒をかけてから、ふと歩きたくなって1人で散歩していたの。そして結界の縁をぶらぶらしてた時に、泥だらけのあの子を見つけた。あの子は何も見たくないという風に蹲って、鬱蒼とした木陰に隠れていたわ。身なりから幻想郷の外から迷い込んだ人間だって分かったよ。私は哀れに思ったわ。何せ人肉を欲する妖怪の吐息がそこかしこから聞こえてくるんだもの。私は目一杯笑顔を作って、大丈夫? って聞いてあげたの。そしたらあの子どうしたと思う? こっちを見向きもしないで震え続けていたよ。無礼な奴よね」
またワインを飲む。もう底をついたので咲夜に新しく注がせる。
「半時間後には紅魔館に着いていたわ。勿論非常食ってわけじゃあないわよ。メイドとして働いてもらうことにした。まずはお風呂に入れて綺麗な服を着せてあの子の部屋を用意した。紅魔館の空き部屋は腐るほどあるからね。それで温かいスープとパンも用意したよ。警戒して部屋の隅っこで食べていたけど。数日後からは働かざる者食うべからずってね。咲夜に任せてメイドの仕事を叩き込んでもらったよ」
「要領が悪くて苦労しましたけどね」と咲夜。
「でもちょっとの期間で様になっていたでしょう?」
「お嬢様が全部押し付けるからやらざるを得ないんですよ」
「我ながら優秀な部下を持ったものだね」
レミリアはケラケラと笑う。気が済むと霊夢に向き直る。
「根暗だったあの子も、みんなと接してから明るくなり始めてね。1年足らずで妖精と庭で鬼ごっこするようになったよ。あの子の笑顔を初めて見た時、えくぼが浮き出ててとても可愛らしかったわ。仕事も真面目に取り組んで妖精よりも出来が良かった。それで良い機会だと思って、お使い係に任命したの」
「お使い?」 霊夢が反応する。
「人里のお使いよ。妖精や妖怪が行くと怖がられるもの。お使い内容は買い出しとか情報収集とか。あの子は仕事に妥協しない気質でね、どんな量の買い出しも両手いっぱいに抱えて帰って来たものだわ。それで汗を滲ませながら笑顔で、お待たせしました〜って咲夜に荷物を渡すの。本当に可愛い奴だったよ」
レミリアは思い出し笑みを浮かべる。その表情には陰りがあった。
「2週間前。私が起きる頃合いになってもあの子は帰ってこなかった。毎日門限を厳守していたあの子が? 真面目で可愛いあの子が? 待てど暮らせど門番は影1つ見かけないって言うの。メイドを里に向かわせたわ。私も心配で何も喉を通らなかったよ。でもメイドはすぐに帰ってきたわ。そしてあの子の死体を見つけたって言った」
霊夢は鼻から重たい息を吐く。
「あの子は人里で人間に殺されていたわ。それはそれは酷い死に様でね。長屋の裏に血塗れで打ち捨てられていたそうよ」
「確認したわ」
霊夢が重々しく口を開く。レミリアの身体に、後頭部を殴られたように感情が引き起こった。
「確認したからって何? 同情が深まった?」
「確認したってだけよ」
「まったく何が言いたいんだか。これだから人間は」
霊夢は物思いに耽るように顎に手を当てる。レミリアはちびちびワインを飲み、話を再開する。
「あの子が何でそんな死に様を迎えなければならなかったのか。理由は人里の驕りでしょうね。最近の人間は自分たちが妖怪に勝てると本気で思っている。今まで抑圧されてきた分の仕返しをするだとか、下剋上を成すだとか、そういう類の話はごまんと耳に入ってくるわ。そんなくだらないお題目であの子は殺されたの? 大勢に全身を殴られて蹴られて打ち付けられて、この上ない苦痛を感じながら死ななきゃならなかったの?」
「私に何をしてほしいの?」 と霊夢。
「下手人を殺していいっていうお墨付きがほしいの。人里に手を出すのはタブーでしょ? 人間が減り過ぎれば幻想郷を維持できなくなるらしいわね。なら人里の管理者である博麗の巫女に話を通すのが筋じゃない?」
「断れば?」
レミリアは口角を上げる。
「人里に霧を撒く。私の血肉を使った紅い霧をね。陽光は当分遮られるし、人間や弱小妖怪には毒でしょう。でもこうやって予告しておけば人間の死者も最小限にできるでしょう? 人間の数を減らさないという条件はクリアできるわ」
「草木も生えない土地にするつもり?」
「生活面はそっちで何とかしてくれ。まともに外を出歩けるかも怪しいけどね」
霊夢はレミリアを見据え続ける。怒っているのか悲しんでいるのか、はたまた不快なのかレミリアには分からない。静けさに包まれた。レミリアも咲夜も霊夢もほとんど身を動かさない。ただ時計が1秒を刻む音だけが、時が進んでいることを認識させる。張り詰めるような静寂を霊夢が切った。
「断るわ」
「どっちを? 殺す方? 霧の方?」
「両方よ」
レミリアの蛇のような紅い目が霊夢を穿った。霊夢は怯むことなくレミリアを見つめる。その目線は人間に似つかわしくない堂々としたもので、生意気だった。レミリアは口角を吊り上げる。
「下手人といっても、リーダー役1人でもいいのよ? そいつをあの子と同じ目に遭わせる。串刺しにして人里のシンボルにしてやるよ」
「それでもよ」
霊夢の口調は冷静だった。感情などないように。沸々と腹の底から苛立ちが湧いてくる。
「全く礼儀がなってないわね。諂うことが人間のすべきことじゃないの?」
「あんたの気持ちは分かるわ」
「あ?」
煮え滾っていたものが噴出したように、レミリアは言葉を発した。一気に場の緊張が高まる。それでも巫女は揺るがない。
「分かるけど、譲歩するわけにはいかない」
「安っぽいこと言うと命取りになるよ。博麗霊夢」
「恨みとか面子があるのは分かるけど、手を引いてほしい。八つ当たりならいくらでもしていいから、人里には手を出さないで」
「あんたの血はどんな味がするかしらね?」
「お嬢様」
咲夜が口を挟む。
「ここで争うのは得策じゃありませんよ。パチュリー様が仰っていた通り一旦帰してからでもいいんじゃないですか?」
咲夜はレミリアと違いほぼ平静だった。前からこういう奴だ。
「ああ分かってるよ咲夜」
レミリアは手を組む。
「霊夢、私たちの目的は殺し合うことじゃない。一旦持ち帰って、頭を冷やして考えてくれよ。人間1人で全部済むんだ。大勢の人間と天秤にかけてみろ。串刺しにすると言ったけどあれもなしでいい。だがけじめは付けないと駄目よ。今後みんなに同じことがないようにね。分かるだろう?」
「……そうね。あんたの頭も冷えるならそれでいいわ」
霊夢は不服そうに応じる。しばらく何か考え込んでいたが、やがて立ち上がった。
「ご飯を残してしまってごめんなさい」
「上手に言えたわね。丁重に送り届けてあげて」
霊夢は翻り、メイドが開いた扉から出ていった。
「パチェに話を聞かなきゃね」
「信用できるんですか?」
「聞くだけ聞いてみるわ。今回のブレーンに」