亡き王女の為の讃美歌   作:ヨマオ

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第3話 暑気

 カーテンの隙間から眩しすぎる朝日が差し込み、閉じ切った瞼を焼く。固いクッションの椅子で気を失っていた魔理沙は、その暴力的な刺激と、容赦なく押し寄せる蝉の声で目を覚ました。脇のじっとりとした汗を拭い、徹夜で凝り固まったふくらはぎを叩く。

 目に飛び込んでくる、ここ数日嫌というほど付き合った机。机一面にはまるで空き巣に入られたかのように、ノートから切り離したメモが散らばっている。床にもクズ箱にも、メモ、メモ、メモ。何と書いたか思い出せない走り書きでいっぱいだ。右手に握られた赤鉛筆。掠れた赤い丸が、書き殴られた魔法式を何重にも囲んでいる。この5日間頭を回し続けた成果だ。

 溜まりに溜まった二酸化炭素を吐き、椅子に身体を沈める。まだ終わりじゃない。ここからは生成式を考える詰めの作業。良くて明後日で終わる。長引く公算が8割……。

「……朝でも食べるか」

 立ち上がる。別件の研究ノートと魔導書で通路ができた廊下を縫って、キッチンに向かう。目に入るページたちには、光弾の貫通力に関する試行錯誤だとか、マスパの火力強化の記録だかが書き連ねてある。吸血鬼が一段落すれば、これも再開しなければならない。

 キッチンには重ねたフライパンと鍋が置いてある。魔法で冷やす冷蔵庫から茸と卵を取り出し、フライパンに押し込み焼く。億劫だったので、目玉焼きが大方白くなったタイミングで火を止めた。そして茶碗に作り置きの白米をよそう。生焼けの茸と目玉焼きも皿に盛り、並べて完成。分量から味まで昨日と全く同じ献立。一昨日も一昨昨日も同じ。勿論昼も夜も含む。

 食卓につき、機械的に箸を動かし咀嚼する。美味しいのか不味いのかよく分からない。半熟にも満たない黄身と、生っぽい茸、歯にくっつく固い米だけが口中に残る。気が付くと、食事とも呼べないその行為は終わっていた。補給、と呼ぶのが適切だろうか。

 あの館で魔法陣を見た時は、こんなに時間がかかるとは思っていなかった。魔法陣は見た目より余程複雑で難解だった。ここまでこだわる必要があるか? と思うくらい細かくアルゴリズムが最適化されている。私ではまだ理解できない法式もたくさん組み込まれていて、お陰で魔法の実行速度は上がっているが、差は数秒ほどの微々たるものだ。これを書いた奴は相当な好事家だよ。そして正体は吸血鬼だ。

 吸血鬼は数千の齢を生きる。フランはまだ500年ほどしか生きていないらしい。今、積年の技術力の差を、魔法使いにとってはこれ以上ない分かりやすさで、まざまざと見せつけられている。

 皿洗いは後回しにして、身を整えようと廊下を歩き洗面台に立つ。今日は人里まで下りて霊夢と会う約束だ。徹夜を悟られないようにしなければ。

 鏡に映るのは、髪はカサカサ、目元がたるんだ酷い顔。目を閉じイメージする。髪は念入りに梳く。化粧は濃い目。どうにでもなる。

「……」

 薄い鏡。輝く金髪の根元で際立つ、黒い線。黒の地毛が目立ち始めている。

「染め直さないとな……」

 溜息をつき、肺が締め付けられる。髪を染める魔法はまだ身に付けれていない。染料で染め直さないといけない。ムラのないよう染料を染み込ませ、半日乾かす。そういえば残りはあっただろうか。ないなら里で調達しないといけない。霊夢と別れてから雑貨屋で……。

 ふと霊夢の姿を想起する。縁起良い巫女服と、頭に結ばれた大きなリボン、ウェーブのかかった緑に輝く黒髪。霊夢はいつも、それらをふんわりと靡かせ、自由に青空を飛んでいた。

 捨食の魔法。捨虫の魔法。人を捨てる魔法。

 洗面台に手をつき、項垂れる。額から汗が滴り落ちる。

 

 魔理沙はよく皴取りした魔女服と魔女帽子を纏い、地べたを踏み締めながら朝の商店街を闊歩していた。ここは昔から人の往来が多く活気があって、嫌いにはなれない場所だ。だが魔理沙の周りだけは別の所のようで、すれ違う人は皆、白い目で魔女を見る。

「よう大将!」

 すれ違った若い男に挨拶する。男はびくっと肩を跳ねさせるも気付かないふりをして過ぎ去った。まあいつもの光景だ。妖怪と同列に思われているんだろうなー。

 今日は霊夢に甘味処に誘われた。店は勿論行きつけのあそこ。家を出る前からお世話になっていた店だ。

「おばさーん」

「あら梨沙ちゃん。よう来たねぇ」

 店先で皿を片付けていたおばさんは、小柄な体で弾けるような笑顔をした。年老いてはいるがいつも明るく所作が可愛らしい人気の看板娘だ。魔理沙は店前の長椅子に座る。

「梨沙ちゃん元気だったかい?」

「元気元気。おばさん注文。いつもの2つで」

「あら巫女様も来るのかい?」

「うん」

「分かったわ。ちょっと待っててね」

 おばさんは店の中に入っていった。おばさんはあまり私の生活に触れようとしない。初めて金髪魔女で顔を出した時は、それはそれは腰を抜かして驚かれたものだが、今はすっかり慣れたものだ。

「あ、おーい霊夢―」

 相変わらずの紅白が近付いてくる。霊夢は「ん」と手を上げて返事し、隣に座った。

「お前が誘ってくるなんて珍しいよな」

「偶にはね。魔法解読任せっきりになっちゃってるし」

「いやぁ全くだよ。お陰で毎日の余暇が30分も減ったぜ」

「休みすぎね」

「手応えがなさすぎると集中力が続かないものだな。解読より魅力的な大衆漫画がありすぎてありすぎて……」

 和気藹々と話していると、おばさんが盆に大福と茶を載せて出てきた。歩幅の狭いよちよちとした歩きで魔理沙に近付いてくる。

「ありがとー」

 おばさんは皿を私たちの横に置く。にっこりするおばさん。その笑顔のまま霊夢に近付き、正面に立つ。そして、徐に膝をついた。

「あぁ、巫女様。いつもありがとうございます」

 おばさんは頭を下げた。両膝を土で汚して、まるで仏に祈るように背を屈めて、手を擦り合わせた。霊夢は慌てて椅子から立ちおばさんを制止する。

「ちょっとやめてくださいよ。そんな大したことしてないって、いつも言ってるじゃないですか」

「巫女様が私達を妖怪から護ってくださっているんだからねぇ。これくらいしかできないけどねぇ。感謝いたします。感謝いたします」

 あたふたする霊夢を端に、魔理沙はぼうっと通りを眺めている。行き交う人々の中にも霊夢を見つけると、会釈をしたり、立ち止まって頭を下げたりする人がいる。中には霊夢に手を振る子供、同じように親しげに笑顔を投げる大人もちらほら。茶を啜る。

 おばさんはようやく満足して手を解く。

「梨沙ちゃんも来てくれてありがとね。元気な顔見せてくれて嬉しいよ。ゆっくりしておいで」

「ゆっくりするよ」

 またおばさんはにっこりして店内に入っていった。霊夢は椅子に座り直し、胸に溜まった息を「あー」と天に吐いた。

「珍しいのよね、あそこまで敬意を払われるのは」

「そうなのか? もっと崇められてるのかと思ってたぜ」

「ほとんどの人からはお辞儀される程度よ。お辞儀も必要ないって昔から言ってるんだけどね。あといろいろと渡される」

「賽銭箱は空っぽのくせにな」

「それはそれ」 霊夢は大福を手に取る。 「でもみんな儀礼的にやってるだけだと思うけどね」

「そんなことないだろー。霊夢は人間の守護神、メシア、お地蔵様。巫女様には感謝感激雨霰だぜ」

 無言の霊夢。

「いただきまーす」

 魔理沙は大福を頬張った。もちもちとした食感と優しい白餡。子供の頃から変わらない懐かしい味だ。霊夢も「いただきます」と小さい口で食べ始めた。

「変わらない味だねぇ霊夢。ノスタルジーだぜ」 魔理沙は笑みを振る。

「そうね」

 心ここにあらずという空返事が返ってきた。霊夢の表情は虚ろで、何を考えているのか判然としない。霊夢はちゃんと大福を味わっているのだろうか。懐かしい味だと思ってくれているのだろうか。

 霊夢は口を空にして、食べかけの大福を皿に置く。そして魔理沙に顔を向ける。

「あんたここに来るの久し振りでしょ」

「ん? 確かにしばらく顔出してなかったな」

「あんたのこと心配してたわよ」

「誰が?」

「おばさんよ」

「ふーん」

 霊夢は次の言葉を待つように魔理沙を見詰める。魔理沙は大福を食べ続ける。疲労のせいか、やけに咀嚼音が頭蓋に響く。

「……それだけ?」 霊夢の唇から言葉が漏れ出た。

「何が?」

「反応よ。おばさんいつもあんたの生活気にかけてるのよ。無茶なことしてないかとか、ご飯をちゃんと食べてるのかとか」

「ご飯はちゃんと食べてるぜ。無茶はー、してないぜ!」

「してるでしょ」

「霊夢から伝えてくれよー。私は忙しいんだ」

「あんたの口から伝えた方がおばさん喜ぶわよ」

「どうだかねえ」

 口を結ぶ霊夢。

「おばさん本当に気にかけてるのよ。会うたびに魔理沙はどうしてるのかって聞いてくるのよ」

「そりゃ梨沙ちゃんのことは心配だろうな」

「それは昔からの呼び方ってだけで」

「私は所詮魔法使いだよ。おいどうしたんだよ急に。らしくないぜ?」

 霊夢は押し黙った。魔理沙は指に粉をつけながら、大福の最後の一欠けらを食べる。

 夏の日が燦燦と差していた。私たち2人は備え付けの日傘で直射を受けずに済んでいる。だが地面からの照り返しを黒い洋服はよく吸い取った。魔女服が暑さを孕み、布と肌の間に熱を籠らせる。纏わりつく熱が肌の内側まで入り込んで、身体を煮る。砂埃の舞う道路では、霊夢に頭を下げる人が後を絶たない。

「今日呼んだのは、別の相談事があるの」 霊夢。

「どんな相談?」

「吸血鬼の件から手を引いてほしいの」

 頭頂から針が魔理沙を貫いた。頭から真っ黒な血が噴き出して、髪を黒く染めていく。

「……聞こうか?」 喉を無理矢理広げる。

「危険よ」

「それがどうした? 百も承知だよ」

「何となく分かるわ。あんたが吸血鬼と戦いたい理由」

「へぇ」 引き攣る口角。 「理由、ね。やっぱり巫女様には何でもお見通しだな」

 霊夢は魔理沙に身体を向けて、手に手を重ねた。

「ちょっとだけ冷静になってほしいのよ。そんなに急いで強くなる必要がある? 魔理沙は魔理沙のペースでいいじゃない。それに魔法なんかで強くなんてならなくてもさ、おばさんとかあんたを気にかける人もいるし……いや違うわ、こんなこと言いたいわけじゃない。待って」

 手を引っ込める霊夢。

「何を言いたいんだ?」

「違う、違うの。私が口下手なだけ。あんたを傷付けるつもりなんて」

「傷付く? 私が? 何でだよ」

「……そうね。傷付く謂れなんてないわね。ごめん」

「あまり気持ちのいい気分じゃないな」

「ごめん。本当に」

 霊夢は俯いて、瞳を伏せる。

「でも私はさ、魔理沙が――」

「お前ならいいのか?」

「え?」

 巫女は丸くした目を私に向けた。滑稽なほどまん丸な目。魔女服の内で汗が伝う。

「博麗の巫女は強いから好き勝手振舞っていいのか? 私は弱いから家で祈っていなきゃいけないのか? ははっ。冗談じゃないぜ。私は」

 自由になる。出かかった言葉を押し込める。

 霊夢は私を見詰め続けた。次の言葉を待って、鋭い視線で。その視線が心の奥底に届きそうで痛い、痛いんだ。早く離れないと。

「帰るわ」

「魔理沙」

「お代はつけといてくれ」

 魔理沙は立ち上がり、帽子を目深に被って歩き出す。

「ねえ魔理沙」

 霊夢も立ち上がる。伸びかける手。しかし途中でぴたりと止まった。すっと伸ばされた指は、萎れるように力を失っていき、やがて胸に引き戻される。

「ごめん」

 魔理沙は振り返りもせず歩む。魔女の進む道を人々は避けていく。魔女はただ1人で進んでいく。

 

 捨食の魔法。捨虫の魔法。人を捨てる魔法。

 それは生理現象を魔力で補えるよう人体を作り変える魔法。捨食で寝食が必要なくなり、捨虫で成長が止まり老いることがなくなる。2つの魔法を完遂することで、膨大な時間を得て、魔法探求に費やせるようになる。つまり、人を捨てる魔法。

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