亡き王女の為の讃美歌   作:ヨマオ

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おおよそ1.56秒。


第7話 0.0000000495年の波紋

 フランは掌に魔法陣を描く。何本もの鎖が弾丸のように放たれ霊夢と魔理沙に迫った。2人は飛翔して避ける。

「霊夢!」

 鎖をお祓い棒で弾く霊夢。魔理沙は鎖の迷路をなんとか回避し霊夢の元に辿り着く。

「下がっててと言ったでしょ」

 霊夢は鎖を防御しながら異様なまでに落ち着いた声で言った。魔理沙は臆することなく言葉を返す。

「敵前逃亡は魔法使いの恥晒しだよ」

「邪魔なのよ」

「貧乏神はとり憑くものって言ったろう?」

 鎖を弾き続ける霊夢の後ろ、魔理沙はミニ八卦炉を構える。そして目隠しの白煙を放出した。

「今のうちだ」

 2人は煙に紛れて鎖から逃げ森に降り立った。フランは再生した爪を噛みながら辺りを見回している。

「なあ霊夢」

 後ろから声をかける。しかし霊夢は少したりとも振り向こうとしない。一瞬の身動きさえ見逃さないよう、霊夢は吸血鬼を凝視していた。

「霊夢」

 魔理沙は霊夢の手を握った。そして、その冷たさに絶句した。雨粒の滴る手は氷のように冷え切って白くなっている。手の甲や平はところどころ皮膚が捲れ上がっていて、他の箇所ではかさつきが色濃く広がる。指の関節には鮮明に残る赤切れと、ごつごつとした傷跡の盛り上がりが残っている。指を動かすと、爪には不自然な段差があった。青黴のように変色した爪が並び、それでいて割れた爪から新しく爪が生えかけていくつもの歪な層を成していた。

「霊夢」

 思わず手を握り締める。振り返らない霊夢。

「大丈夫なのか。私、霊夢のこと」

「大丈夫よ。逃げて」

 魔理沙の髪が風圧で吹き上がった。霊夢は魔理沙の手を振り払い、矢のように森の奥に消えた。

「霊夢……」

 水っぽい轟音が鳴り渡る。光線が闇夜を瞬いて、木が次々と折れていく。

 ……今更何をって、思ってるんだろうな。

 ぐしょぐしょになった浴衣の裾を握る。

 霊夢はずっと1人で戦っていたんだ。あんなに身体をぼろぼろにして、あんなに身体が冷たくなるまで。それなのに私、気付けなかった。霊夢を見ようともしていなかった。私はずっと、霊夢のこと、巫女としてしか……。

 魔理沙は立ち尽くしている。鬱然と茂る真っ暗な森の下で、雨に打たれ続ける。

「ごめん」

 魔理沙は飛んだ。風のように。

 高速で飛翔する2つの人影。フランは樹間を滅茶苦茶な方向に抜けながら数多のレーザーを撃つ。それを避けながら追う霊夢。霊夢はなかなか距離を詰められず一方的な状況。そこに割って入る魔理沙。

「マジックミサイル!!」

 フランの進行方向に回り込みミサイル弾を放った。フランは僅かに反応が遅れるも無表情でバリアを展開する。

「魔理沙!」

 霊夢が叫んだ。

 フランは魔理沙に向けて魔法陣を描く。それが発火するより先に、陰陽玉がフランの腹を穿った。フランは痛みに呻き魔法陣が立ち消える。霊夢は拳を打ち込んでフランを吹っ飛ばした。

 着地する霊夢。険しい表情を魔理沙に向ける。

「あんたは」

「逃げないぜ霊夢。私は逃げない」

 魔理沙はぎこちなく笑みを振った。

「知ってるだろ? 私が頑固者だって。逃げないって決めたら絶対に逃げない」

「邪魔だって言ったでしょ。足手纏いなのよ」

「さっきみたいにフランの気を引くくらいできるぜ」

「逃げてよ」

 雨の重みに押し殺されそうな声。リボンと巫女服が雨粒を吸い込んでへたり込んで、霊夢の身体に張り付いている。

「私なら、大丈夫だから」

「どうしたの博麗の巫女?」

 霊夢はすぐさま声の方向に身体を向けドーム型の結界を展開する。

 森の暗がりの中、フランはぬらりと立ち上がる。

「また人間を戦いに巻き込むのね。人間を守るのが使命じゃなかったの? ねえ博麗の巫女。人間が殺されてもいいの?」

 何個もの魔法陣が浮遊しバルカン砲のように弾が発射された。四方八方からの弾幕は結界にぶつかり、激しい火花を舞わせ散っていく。

 霊夢が振り向く。

「一緒に逃げるわよ。屋敷の時みたいに守る」

「嫌だぜ」

「このまま戦うとあんたを守り切れない」

「守る必要はないぜ。一緒に戦う」

「危険よ。本当に殺されるわよ」

 霊夢の額には屋敷で切り裂かれた跡が残っている。前髪が短く切り揃えられているから、額の盛り上がった傷跡がよく見えた。

 唇に力が入る。

「じゃあ霊夢も戦わないでくれよ。殺されるかもしれないんだろ? 危険だよ。逃げよう」

「私なら大丈夫」

「大丈夫じゃ……!」

 声を荒げかけたのを魔理沙は抑えた。跳ね上がる猛烈な雨粒と靴まで浸かる水溜まりに身体が冷まされていく。

「……分かってるよ。逃げるなんてできないよな」

「なら」

「私も逃げられないよ。霊夢を置いて逃げるなんて私にはできない」

「大丈夫だって」

 地面が盛り上がり木の根が弾丸のように突き出した。魔理沙の胸を穿つ前に霊夢が根を掴んで止めた。

「たるんでるわね」

 フランは木に凭れて笑みを浮かべる。

「その人間、うっかり殺しちゃうよ。巫女の信念はこんなに簡単に揺らぐものだったのね。だから人里を危険に晒すんだよ。何代も積み上げてきた巫女の信頼と責任は」

「違う!!」

 魔理沙は声を張り上げた。

 フランは少し沈黙するも、嘲るように目を細める。

「何が違うっていうのさ」

 魔理沙は霊夢を見た。霊夢は振り返らずフランを向いている。

 雨足はさらに強まり絶え間なく土を跳ね上げていた。降雨は水溜まりに数えきれない波紋を作り出し、荒波を立たせている。鳥も蝉も雨のせいでどこかに失せてしまって、重々しい環境音ばかりが響く。

 魔理沙は息を吸い込んだ。口と鼻から、雨音にも風音にも負けないよう、深く深く。吹き荒ぶ湿った風を腹に詰め込む。そして口を開き、苔むした石のような空気を、力強く吐き出した。私のありったけの言葉を、風に乗せて、雨を切って、何より霊夢に向けて、思い切り放った。

「霊夢だって、人間だ」

 フランの瞳に宿る蔑みの色が一層強まる。

「人殺しが」

 フランの笑みは消えている。魔法陣から私たちを破壊するための弾をひたすらに撃ち続ける。

 霊夢は体勢を変えずずっと前を向いていた。弾が結界に弾かれる閃光を顔に浴びながら、雨の湿気の中に佇む。十数秒かした後、口を開く。

「私は、殺したから、1人でやらなきゃって。レミリアみたいにやらなきゃって」

 か細く、消えてしまいそうな声だった。まるで雨に溶けてしまいそうな。霊夢は肩を強張らせ、ごく僅かに横顔を動かし、耳だけを魔理沙に向ける。

「私、いいの?」

 魔理沙はふっと表情を崩す。

「友達だろ」

 霊夢は前を向き、顎を引いて項垂れる。

 雨音。ぼろぼろの手から冷たい雨粒が滴り落ちる。

 また十数秒か経った後、振り返り魔理沙と顔を合わせた。雨に濡れた、普通の少女の顔をしていた。

「倒すわよ」

「ああ。一緒に倒そうぜ」

 魔理沙はミニ八卦炉を握り締めた。霊夢もお祓い棒を握り締める。

 

 結界が解かれるのと同時に、魔理沙はバリアを展開し、霊夢はフランに向かって飛び出した。弾幕の密度を上げるフラン。霊夢は結界で弾幕を防ぎ切りフランをお祓い棒で殴り飛ばす。

 魔理沙は弾幕が収まったのを確認し、すぐさま浮上し森から飛び出した。そして八卦炉を下に合わせ魔法で暴風を巻き起こした。木の葉があらかた吹き飛び視界が開ける。

 巻き上がってはらはらと落ちていく葉。揺れる幹。垣間見えたブロンドヘア。照準を合わせ光線を放った。光線はフランの背中に命中し動きを止めさせる。そこに踏み込む霊夢の右足。陰陽玉がフランを抉り取った。

「ヅッ」

 呻くフラン。霊夢はフランの頬を殴り飛ばす。吸血鬼は飛ばされた勢いに乗せて翼を広げ飛翔した。

「逃がすな霊夢!」

 恐らくフランは逃げようとする。フランは用意周到な奴だ。霊夢を確実に倒すための準備を進めているのだろう。だが今回は私を攫いに来ただけ。霊夢と戦う準備は整っていないはずだ。ここが最後のチャンス。ここで逃せば万全の状態で戦いを挑まれる。絶対に逃がすな。

 霊夢は針を立て続けに放つも、フランは木を盾にして防ぐ。フランが気を取られている内に魔理沙は爆発する弾を放った。命中し地に倒れるフラン。そこに迫る霊夢。

「フランは転移魔法陣に行く気だ! この場から離れさせるな!」

 霊夢はフランの足を掴み元の位置に投げ飛ばした。フランは飛ばされながら指先を霊夢に向ける。そこを八卦炉で撃ち抜き攻撃を阻止する。

 地に足をつけるフラン。キッと魔理沙を睨み、天に昇る光線が放たれた。魔理沙も八卦炉からのレーザーで迎える。拮抗するレーザー。徐々に魔理沙が押され始める。

 フランの懐に潜り込む霊夢。ブローを打ち込み血を吐かせた。拮抗が揺らいだところを魔理沙のレーザーがフランを撃ち抜いた。さらにバランスを崩したところを陰陽玉が殴りつける。

 宙に魔法陣が描かれても、フランの指先に魔法陣が現れても、魔理沙の光弾が発火を阻止した。その隙に霊夢が攻撃を叩き込む。そして怯んだところをさらに光弾で追撃する。フランに暇は与えない。2人は言葉を交わさずとも、お互いがお互いの息遣いを感じ取ることができた。

 幹に追い詰められるフラン。拳を引く霊夢。拳を放つも、フランは首を傾けて回避した。

 霊夢はすぐさま身を引いた。フランの治癒していない首元から真っ赤な霧が吹き出す。

「目隠し」

 魔理沙はすぐさま風の魔法を放ち霧を払った。フランはその場に突っ立ったまま、魔理沙を仰ぐ。

 瞬間、木が魔理沙の背中に迫った。枝が束ねられた鋭利な先端。魔理沙が振り向くより前に、木の軌道は逸れすぐ傍を突き抜けた。霊夢が陰陽玉で木を折っている。その隙にフランは光弾を放ち、霊夢の腕に爆風があがった。

「霊夢!」

 魔理沙は弾の雨を降らせた。フランはバリアの笠で防ぐ。

「巫女って硬いんだね」

 腕に火傷を負いながら飛翔する霊夢。フランは指を向け照準を合わす。

「痛いでしょう。私だって痛いんだよ?」

 魔理沙は魔力を溜める。あのバリアが厄介だ。マスタースパークでバリアを破壊して、霊夢を助ける。

「もっと痛がれ」

 また霧が放出された。同時に木の槍が魔理沙に向かって突き出す。今度は身を捻って回避するも、霧によって視界が遮られた。

「くッ」

 マスタースパークの魔力を溜めていたせいですぐに霧払いの魔法を放てなかった。どうする。スパークを撃つか? 当てずっぽうに撃つと霊夢に当たる可能性もある。霊夢なら勘で予知してくれるか? 違う。まずは霊夢の状況確認を。

「霊夢! 大丈夫か――」

 木が解けた。真横に突き出してきた木が、まるで縄が解されていくように。そして中から現れた幼い少女。小さな右手と左手が、魔理沙の首を包み込む。

 フランの瞳。蛇のように細く紅い瞳。どこまでも濃くて、どこまでも落ちていきそうな、深紅の瞳。

「恨むなら巫女を恨め」

 手に力を入れられた。だが、魔理沙の首は潰れなかった。フランの腕は途中から千切れて宙ぶらりんになっている。力をなくした腕はぽろりと首から離れて落ちていく。

 魔理沙は下を見る。針を放った霊夢が高速でこちらに飛んでくる。

「れい……」

「何で!!」

 フランは叫び、魔理沙の顔面に噛み付こうとした。しかし霊夢に顔を押しのけられて阻止され、そのまま地上に投げ飛ばされた。

 戦いの轟音が鳴り響く。だが魔理沙はすぐに加勢に行けなかった。首を包まれた生温かさと雨に打たれた幼い手の、蒸した感触。そういえば吸血鬼は流水に弱いんじゃなかったか。

 気を戻し、八卦炉を構えた。

「フォーオブアカインド」

 フランが詠唱する。地に魔法陣が出現しもう1人のフランが這い出した。そのフランにマスタースパークを放った。動きを止めその間に霊夢の陰陽玉が腹を貫通する。分身は苦痛の表情を浮かべ、蝋のように溶けてぬかるんだ土に混ざる。本体のフランにも陰陽玉が当たり、吹き飛んで泥の中を転がった。

 うつ伏せに倒れたフラン。きめ細かくてまだ骨張っていない小さな手で、泥濘を掴んで立ち上がる。ドレスも、髪も、頬も、口元も、泥塗れになっていた。10歳前後の幼い容姿に、まるで年老いた農婦のような顔をして、霊夢を見詰める。霊夢は静かに佇んで手には陰陽玉が回っている。魔理沙は中空で片目を瞑りフランに正確に照準を合わせる。

 月明りもない曇天の下で、雨が降り続いている。

 フランの傍らにもう1人のフランが立っていた。先の分身を倒した隙に出したのか。本体が分身の顔を鷲掴みにする。分身は不良機械のように痙攣し身体が変形していった。ドレスや皮膚は紅一色に、スカートや目鼻は皮膚の下に押し込まれていき、腕も足も真っ直ぐ伸びる。そして分身は、1本の紅い槍と成った。

 フランは自身の背丈より一回りも二回りも長い槍を構える。槍の先を霊夢に向けて。

 霊夢は真っ直ぐ立ったままフランを見据える。フランは息を吐き、後退りする。そして駆け出して助走を付け、泥水が巻き上がるほど強く足を踏み込み、腕を振り抜いた。

「グングニル」

 光が瞬いた。槍の先は、泥水の中に突き刺さっていた。呆然とするフラン。魔理沙のレーザーがフランの腕を撃ち槍の軌道を変えさせたのだ。

 水の跳ね上がる音。霊夢は駆け出し、動かないフランに向かって陰陽玉を掲げる。そして、振り下ろされた陰陽玉がフランの背中を抉った。

 

 フランは膝をつき、前から倒れて動かなくなった。霊夢は距離を取って様子を窺う。霊夢の側に魔理沙は降り立つ。

「やったのか?」

「ええ」

 フランの抉られた背中からとめどなく血が流れている。傷は塞がらず血の勢いが減衰する気配はない。

「まだ生きてる」 と魔理沙。

 霊夢は返答せずフランを見詰めていた。しばらくしてフランに向かって歩み出す。魔理沙も一緒に歩く。

 2人が頭上まで近付いてもフランは何の反応も示さなかった。ただ貧民のように泥を掻いて藻掻いている。

 魔理沙は思考を回す。フランは無力な振りをして油断させるつもりなんじゃないか? こうして油断を誘い私たちを近寄らせ攻撃を仕掛けてくるつもりか。今にもフランは満面の笑みで這い上がって喉笛に噛み付いてくるかもしれない。

「……ご……」

 フランが何か譫言を口にしている。雨水に突っ伏した顔から小さく漏れ出る声。何を言っているのかと、耳を澄ましてみる。

「お姉様……ごめんなさい……ごめんなさい……許して……お姉様……」

 フランは泥を掻く指を止め、緩慢な動きで首元に持っていった。そして地を掻く代わりに、首を掻き毟り始めた。譫言を続けながら、紅い爪が赤黒く染まっていった。

 魔理沙は霊夢の顔を見る。霊夢は確かな視線でフランを見詰めている。濡れた髪が頬にへばりついていて上手く表情を読み取れない。

「霊夢」

 霊夢の手を引き寄せ、握った。

「いいんじゃないか」

 霊夢の肩が少し緩んだ気がした。掴んだ手を、霊夢は握り返してくる。

「ごめんなさい」

 フランに向けて霊夢は言った。

 魔理沙はフランを背負い、箒でふわりと飛んだ。霊夢も浮上する。止まない雨の中、霊夢と魔理沙は一緒に飛んだ。

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