咲夜を連れ、紅魔館で最も地下にある大図書館に入った。
紅色の壁とカーペットに、レミリアの10倍の高さもある本棚が並び立つ、紅魔館でも屈指の大部屋だ。本棚全てに色とりどりの本が敷き詰められ、荘厳ささえ感じられた。
レミリアたちは突き進み、司書の大机に辿り着く。パチュリー・ノーレッジはコーヒーを啜りながら分厚い本を捲っていた。パジャマを髣髴とさせる薄紫の服は、彼女の性格を端的に表現している。
「何の本?」 レミリアは机に手を置く。
「水を沸騰させる魔法の応用について」
「つまらなそうね」
「どうだった?」
「交渉決裂」
「え? マジ?」
パチュリーは本から目を離しレミリアの方を向いた。丸々とした目が滑稽だ。
「決裂ってどんな風に? 寸でまで粘ったとか」
「まるで譲る気がなかったわ。作戦負けねパチェ」
「レミィも信用してくれたくせに」
「まあ、ごめん」
レミリアは咲夜がいつの間にか用意した椅子に腰掛ける。
「確か霧は脅しのつもりだったよね?」
「うーん。吸血鬼の力をちらつかせれば、素直に応じると思ったんだけどね」
「まあなったものは仕方ない。実行することも視野に入れなければならないね」
「本気で言ってる?」
「マジマジ」
レミリアはいつも通りの微笑で話している。パチュリーは落ち着きなく頭を掻く。
「あのねレミィ、霧を撒くってことは人里を襲撃するということ。人里を襲撃するということは人間が減るということ。そして人間が減りすぎるというのは、結果的に幻想郷の結界が崩壊するということよ。この意味は分かっているんでしょうね?」
「当然」
「つまりは幻想郷の維持を望む人間、妖怪を敵に回すってことよ。古今東西からあんたを殺さんとする、血に飢えた軍勢が大挙するでしょうね」
「面白そうじゃない?」
「思い付きで命の危機に曝されるこっちの身にもなってほしいわ」
「パチェも好きなくせに」
「すごく適当なこと言うわね。第一あなたは――」
口が止まらないパチュリーに向かって、レミリアは指を立てる。
「私の言うこと聞いていれば万事上手くいくのよ。今までもそうだったじゃない? それにあんたらが抗議する権利なんてないわ。霧を撒くって言ったら撒くのよ」
「あー……。あーそうね。分かったわよ。あんたはいつもそうね」
パチュリーは呆れたように頭を振る。そしてフッと笑みを零した。
「そういうことだから咲夜」 とレミリア。 「早く手足を動かしなさい」
咲夜は露骨に嫌そうな顔をする。
「お嬢様もパチュリー様も、悪ノリに付き合わされる身になってくださいよ」
「拒否する権利もないわよ? さあ作戦会議よパチェ」
一層眉をへの字にする咲夜を後目にレミリアは翼をばたつかせる。パチュリーは本を閉じ机に乗り出す。
「まず目的の確認よレミィ。私たちの目的は幻想郷を相手取って戦争することでも、人里を壊滅させることでもない。あの子の復讐と、人間共にレミィの力と恐怖を植え付けることよ。なら人間に癒えない傷を刻み付けるにはどうするか。象徴を打ち砕くことよ。彼らの象徴といえば?」
「博麗の巫女」 レミリアは不敵に笑う。
「そう。人里の管理者であり人間をあらゆる妖怪から守護する存在。そんな彼女を殺せば、愉快なことになると思わない? 霧は巫女を釣る餌にするわ。人里に霧を撒けば必ず巫女は現れる。それをぱぱっと殺して霧を止めるの」
「霧止めるちゃうの?」
「あのねぇ、巫女を殺した後も出し続けていたら人間が全滅しちゃうじゃない。それに霧を止めることで、魑魅魍魎にもう害意はありませんっていうアピールができるの。刺激は最低限に越したことはない」
パチュリーは頭を抱える。
「あーこんなことになるなら霧なんて言わなきゃ良かった。何でこんなリスクの高い行動を取る羽目になるのよ」
「言ったことはちゃんと守らないと。それこそ私の威信に関わってくるよ」
「巫女を殺したらいろいろと不味いんじゃないですか?」 と咲夜。
「前例はあるわ」 パチュリーが答える。 「何百年だか前に好戦的なのが巫女に挑んで、そのまま殺しちゃったことがあったらしいの。でもそいつは特にお咎めなしだったし、巫女は翌年には補充されたわ」
「つまり煮ても焼いてもいいわけね」 レミリアはちろっと舌を出す。
「節度は弁えなさいよレミィ」
「そもそも巫女に勝てるんですか? 前は魔界の神をしょっ引いたって話じゃないですか」
咲夜は半ば観念しているようだ。それでもレミリアは口を尖らせる。
「咲夜、まさか私の力を見くびっているの? 咲夜も美鈴もパチェだって私の手にかかれば赤子に成り下がりよ」
「お嬢様も赤子に近似してますけどね」
「赤子の下は……人間?」
「まあまあ」
パチュリーが割って入る。
「確かにレミィは赤子以下かもしれないけど、強さだけは本物よ。吸血鬼として裏打ちされた圧倒的身体能力や妖力がね。前の侵略でも見たでしょう?」
「あの胡散臭い奴の介入がなければ、私たちは今頃幻想郷を手中に収めていたよ。巫女もハイエナ妖怪も、ディナー前のいい運動にしてやるわ」
レミリアの紅い目が燃えている。漆黒の翼を大きく広げた姿は、まるで玉座に腰掛けているように、咲夜の目には映った。
「思い出しましたよお嬢様」
「何を?」
「普段はちゃらんぽらんですし」
「もうちょっとかっこいい言い方はないの?」
咲夜は面倒臭そうに肩を竦める。レミリアは笑みを深くした。
「そうと決まれば準備を急がないとね。善は急げって言うし」
レミリアは紅魔館の庭、石畳の道を歩いている。夜道を淡く照らす石の外灯。悪魔を模った緑のオブジェ。ティータイムに最適な広くて美しい庭園だ。心地よい淀んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。だがどこか物足りない。原因は考えずとも分かっている。
深紅の門の外に紅美鈴が佇んでいる。緑のチャイナ風ドレスを着て、赤い髪をストレートに腰まで下ろしている。いつもなら夢の世界に半分入っている折なのに、珍しく目を険しくしていた。
「調子はどう美鈴?」
「お嬢様、絶好調ですよ。月もあんなに綺麗で」
美鈴が指差した先には満月が浮いている。まるで血に漬けたように真っ紅に染まった、美しい月。
「異状はない?」
「今のところは。あっ」
阿保面で野生の妖精が飛び回っている。瞬きする間に妖精は妖弾に打ち抜かれ、湖に墜落した。
「この通り異状ないですね」
「ナイスショット」
レミリアは門に背を預ける。
「門に寄りかかったら駄目ですよ。お召し物が汚れるじゃないですか」
「いいのよ別に」
「やっぱりお嬢様も不安ですか?」
美鈴は友達と喋るような、屈託のない表情で聞いてくる。美鈴はいつもあけすけで純粋だ。
「不安というより寂しいわね」
「寂しい?」
レミリアは首だけで後ろを振り向く。月が照らしているにも拘わらず、庭園は薄暗い。木を剪定する忙しない鋏の音。仕事をサボって鬼ごっこをするメイド妖精の笑い声。その全てをこの庭は欠いていた。人影もなく、葉が擦れる音しか聞こえなかった。
「こんな場所私は嫌いだよ」
「私もですよ。あ、もしかして今回の霧って私たちのためだったりします?」
美鈴は観察眼も鋭い。
「まあそうね」
レミリアは態とよそよそしく話した。美鈴はパッと顔を明るくする。
「やっぱりそうなんですね! 嬉しいことですよお嬢様。ありがとうございます」
「そんなこと言うのはお前だけだよ美鈴」
「感謝しちゃ駄目ですか?」
「そうねぇ、されないくらいが丁度良いわね」
「そういうものですかね」
美鈴はまだ首を傾げている。話題を変えようとレミリアは口を切る。
「美鈴、みんなと紅魔館に入ってていいのよ? パチェも敵わない相手だし」
「大丈夫ですよ。門番である私の仕事です」
「本当に言うこと聞かないわねぇあんたは」
「たはは申し訳ないです」
レミリアは湖の方面をじっと見つめる。視界の両端から中心に向かって、紅い霧が真っ直ぐ伸びていた。湖を超え森をすっぽりと覆っている。そして人里に伸びていく。紅い月光と溶け合い、最初からそこにあったように感じた。
「怪我しても知らないよ?」
「大丈夫ですよ。お嬢様なら時代遅れの巫女なんか一撃ですよ!」
「あんたが一撃でしょうね」
「そりゃないですよー」
「そういえばあの漫画面白かった?」
「面白かったですよ。天狗は新聞だけでなくああいうのも……」
出し抜けに、美鈴が全身に妖気を流し、武術の構えを取った。
美鈴の鋭い目線の先に、月を陰に浮遊する人影がある。おめでたい服をたなびかせながら博麗霊夢がそこにいた。レミリアはゆっくりと立ち上がる。
「2日振りね霊夢。よく眠れた?」
「迷惑なのよあんたら」
「短絡ねぇ」
霊夢は怒っているというより、冷徹な目でレミリアを見下ろしていた。さながら兎を狙う狩人のように。
「霊夢、先に言っておくけどごっこ遊びをするつもりはないからね」
「あー?」
「お嬢様、ここは私が」
美鈴が霊夢と向き合う。美鈴の全身から気が沸き立つ。パチュリーよりは弱いが、門番を務めるだけの力はある。
身じろぎ。瞬間、美鈴は霊夢の目前まで跳躍した。頭より高く振り上げられる脚。蹴りが霊夢の脳天に届こうとした。
「ほら、こうなるのよ」
勢いよく吹き飛んだ美鈴を、レミリアは飛び上がり受け止めていた。霊夢は拳を前に突き出している。蹴りが届く前に、霊夢が美鈴を殴り返したのだった。当の霊夢は面食らった顔をしている。
「まあこれで実力差は分かったでしょ。大人しく家に……」
美鈴の息遣いは荒かった。腹部を抑え歯を食い縛っている。
「解せないなぁ。何でこんなのになってるの?」 レミリアは不満そうに霊夢を見上げる。 「美鈴は頑丈なんだよ。何かやったな?」
「あんたら本気でやり合うつもりなのね」
「ごっこ遊びはしないって言ったろう?」
「離してくださいお嬢様」
レミリアの腕から浮き上がり、美鈴は地面に足を付ける。荒い息が止まらない。レミリアは美鈴の腕を掴む。
「もう分かったでしょ。大人しく紅魔館に戻れ」
「お嬢様には、指一本触れさせないぞ!」
美鈴は気合を入れ直すように声を荒げた。止める間もなく空いている腕を霊夢に向け、七色の気弾を放った。霊夢は冷静に気弾を避けたり弾いたりし、高速で美鈴の方に飛んでくる。
「何やってんだか」
レミリアは美鈴を後方に投げ飛ばし、霊夢の矢のように速い拳を受け止めた。骨が振動し痺れる。すぐさま霊夢の腕を掴み動きを止めさせる。
「さっさと戻りな美鈴」
「でもお嬢様」
「足手まといだよ」
美鈴は躊躇うように摺り足をしていたが、よろよろと紅魔館に走っていった。
館に入るのを見届けると霊夢の腕を解放する。その瞬間レミリアの腹部に霊夢の足がめり込み、レミリアは宙を舞った。しかしレミリアは曲芸のように1回転して着地する。
「いきなり酷いじゃない。それにしてもさっきのあんたの面食らった顔はお笑いものだったわね。そんなに弾幕ごっこじゃないのが意外だった?」
「よっぽど殺し合いたいのね」
「スリリングじゃない?」
にやけるレミリアと対照に霊夢は厳めしい表情をしている。
「で、霊夢。今日は何しに来たの?」
「あの霧が目に入らない?」
「随分と苛立ってるねえ。そろそろ人里に届く頃かな?」
「私が止めてるわ」
レミリアはほくそ笑む。巫女が霧を止めるのはパチュリーの見立て通りだ。結界を使っているのだろう。
「つまりあんたを殺せば目的完遂ってわけね。霊夢?」
「争いたくないって言ってなかった?」
「それは植物の名前だよ。パチェが言っていた気がする」
「出ていけって草はないかしら」
「ここは私の城よ? 出ていくのはあんただよ」
「この世から出てってほしいのよ」
レミリアは薄く目をつぶり頭を振った。
霊夢は後ろ足を引き、重心をかける。レミリアは華奢な指を乱雑に動かし、骨を鳴らす。
「こんなに月も紅いから、楽しい夜にしようじゃない」
「永い夜にはさせないわ」