亡き王女の為の讃美歌   作:ヨマオ

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第4話 世界を紅く

 廊下は炎に包まれていた。

 辺り一面に黒煙が立ち込め数メートル先すら見通せない。その中をレミリアは新たな蝋燭を片手に、悠々と歩き続けていた。霊夢はレミリアの前進に合わせて後退し、時折激しく咳き込む。

 レミリアは携えた蝋燭を振り霊夢を炎で包み込む。霊夢は結界で防御し隙を見せたレミリアを蹴り抜く。攻撃後は再び距離を放し、口元を抑えながら臨戦姿勢を取った。レミリアは首を傾けて笑う。顔の半分に火が燃え移り、炭となっていた。

「脂を落とそうと頑張ってるのね。偉いわ」

 既に紅魔館の内部構造は弄られ迷宮と化していた。庭が映っていた窓には紅い壁が聳えている。例え走って逃げても瞬間移動を使っても出られるものではないだろう。咲夜自身も把握しているのだろうか、とレミリアはぼうっと考える。

 扉の062と書かれた札が焼け落ちた。062号室はメイド妖精の部屋だ。確かアナの部屋だったかな。

 あらゆるものが燃えている。花瓶に生けられたイヌバラ。レミリアが手掛けた描きかけの絵画。メイドが毎日掃除するカーペット。焼けた扉の中を覗くと、脱ぎ捨てられたように取っ散らかったメイド服が燃えている。そして数人のメイドがピースした写真。みんな私を睨めつける。

 欠伸をすると取るに足りない考えはぼやけていく。霊夢は飽きもしないでレミリアだけを見据えていた。

「ティータイムも近いし、そろそろ終わらせましょうか」

 レミリアは蝋燭を縦に振るい炎を斬撃のように打ち出した。霊夢は横に避け扉に飛び込む。

 レミリアは両手を使って思い切り扉を開け放つ。そこは大広間だった。部屋には、何十人も座れるほどの食卓が数卓あり、全てに白いシーツが張られている。霊夢は食卓の上に片膝を付いている。

「行儀悪いわね。それとも食材になりたいのかしら?」

 レミリアは蝋燭を振ろうとするが、途端に手応えが軽くなる。霊夢の針に穿たれ蝋燭は弾き飛ばされた。

 どうしたものか。レミリアは顎を擦りながら周囲を見渡す。手を伸ばせる範囲には蝋燭はない。扉の隙間からの重々しい煙が鼻を塞ぐ。ここに火の手が来るのも時間の問題かな。気を抜いていると声が聞こえてくる。

「あんたが死なないことはよく分かったわ。私を殺そうとするのに手段を選ばないこともね」

「今のあんたの血肉は美味しそうね。巫女は素朴な味がするのかしら」

 霊夢は、人間がよくするように大きく息を吸い、そして吐く。

「これからが私の本気。降参するなら今の内よ」

 霊夢の両傍に、サッカーボール程の球が出現する。球には太極図の文様が描かれ、微回転している。レミリアは呆れたように笑った。

「ははは。何だそれ。まさかボール遊びで勝敗をつけたいの?」

 レミリアは片足を引きすぐさま動けるように翼を力ませる。微笑は消えていた。霊夢は体勢を変えずじっとしている。2人とも微動だにしない。黒煙は立ち上り続け、陰陽玉は刻々と回転し続ける。お互いの鼓動が静けさを刻み付ける。

 霊夢は一瞬苦しむように顔を歪めたかと思うと、陰陽玉を勢いよく発射した。逃げ道をなくすように弧を描いて飛んでくる。レミリアはバネのように背を屈め、後ろに跳躍して2つの陰陽玉を躱した。そのまま壁に垂直に張り付き霊夢を見上げる。身体を捻じって腕を構え、振り払って荒波のような無数の光弾を放った。

 霊夢は巫女服を靡かせながら走り出し光弾を躱し結界で防ぐ。陰陽玉にも光弾が当たるが速度は衰えずレミリアを狙い続ける。 舌打ち。

 レミリアは壁から跳んで迫り来る陰陽球を回避する。再び弾幕を放つが霊夢には当たらない。逸れた光弾は食卓に着弾しシーツが焼け落ちていく。

「このまま我が家を廃墟にさせるつもりね!」

 レミリアは翼を高速で羽ばたかせ霊夢に肉薄する。しかし反応され、扉の方に蹴り飛ばされた。勢いのままレミリアは廊下に飛び出し、炎を両手に集める。そして炎の柱を霊夢に放った。

 結界で防ぐ霊夢。炎は左右に分かれ大広間を火の海にする。霊夢は追撃に備え前方を睨みつける。

 霊夢の後方で炎が弾ける音が聞こえた。すぐさま振り返ると、炎上する塊が炎柱から飛び出す。塊は火の中から霊夢を見据え1本の腕を振りかざす。翼を羽ばたかせ霊夢の眼前に鋭利な爪を突き出した。

「痛ッ!?」

 ほとんど呻き声のような声が響き、何者かが床に転がる。倒れ伏したのはレミリアだった。霊夢の背に一回り小さな陰陽玉が浮かんでいる。レミリアの腹部には風穴が開けられていた。レミリアは炎に包まれながら不良の機械のように痙攣する。

「何、これは……!?」

 痛かった。先までの霊夢の打撃とは比にならない程に。患部を直接燃やされるような痛みが続き、身体の奥には心を直接抉り取られたような深い痛覚が残る。立ち上がることができない。吐血する。霊夢はそれを眉を顰めて見下ろしている。

「陰陽玉はあんたの力を削り取る。もう分かったでしょレミリア。あんたは私に勝てない」

 レミリアの視界に靄がかかる。靄が晴れてくると、眼前に差し出される手があった。それは霊夢の手だ。清潔で綺麗な手。泥も血さえも付いていない、とても卑しい手。

「汚らしい手を向けるな人間め」

 レミリアは口から血をだらだらと垂らし、荒い息をしながら立ち上がる。霊夢は目を丸め差し出した手は行き場をなくした。

「人間如きが私に勝てると思っているのか? 思い上がるのも大概にしろよ? 私はレミリア・スカーレットだぞ!」

 笑みを作る。心の底から。掌を霊夢に向け妖力を集めていく。霊夢は咄嗟にそれを薙ぎ払い、蹴りでレミリアを壁際に飛ばした。それでもレミリアは楽しそうに笑い声を上げた。霊夢は泣き出しそうなぐしゃぐしゃの顔をして、歯の隙間から息を吸う。

「もう戦う必要はないって言ってるのよ! 勝負はもう付いたでしょ!?」

「勝負が付いたって? 私の目はまだ紅いだろう? 霧を止めたければ私の心の音を止めてみろ!」

 レミリアは未だ治らない腹の穴に手を当て、血を掌に集める。血は固まり戦斧の形に象られていく。走り出した霊夢に向かって戦斧を横薙ぎにした。食卓の木片が宙を舞う。霊夢は斧を回避し、レミリアに拳を叩き込んで飛ばした。床に身体を打ち付けながらも笑うレミリア。それを追う霊夢。

「レミリア。もう一発よ」

「やってみろよ」

 霊夢の脇に陰陽玉が現れる。レミリアは体勢を立て直し戦斧を薙ぎ払う。だが霊夢は床に触れそうなほど背を低めて回避した。そして陰陽玉を叩き込まんと腕を引く。レミリアは笑みを深める。

 レミリアの腹の穴から、紅い霧が霊夢を覆うほどに放出された。霊夢は激しく咳き込み床に転がり込んだ。苦しそうに顔を抑え藻掻いている。レミリアは機を逃さず戦斧を首めがけて振り下ろす。

 石が削られる音。霊夢の影はない。霊夢は転がり壁を蹴って陰陽玉を振りかざしていた。口元に霧を防ぐ結界が張られている。レミリアは咄嗟に腕で身を守るが、陰陽玉にその腕を削がれた。

 レミリアは痛みに呻くが、すぐさま後ろにステップして距離を取る。戦斧を片手で投擲するが霊夢には結界で弾かれる。

「煩わしいね」

 意識が朦朧とし言葉が途切れ途切れになる。腕と腹から血が止まらず、ドレスが赤黒く染みていく。

「吸血鬼狩り以来かな。あんたにくれてやることになるとはね」

「もう立てないでしょ」

 意識が若干戻ると両膝を付いている自分がいた。床に血溜まりが広がり、滑稽なほど愕然としている顔が映る。顔は爛れ、片腕はなく、翼さえ足りていない。そこには想像したくもない自分がいた。

「もういいわね」

「いいや?」

 レミリアは尚も立ち上がった。しかし出端をくじくように顔面に蹴りを入れられる。それでも翼をはためかせ後ろに飛んだ。まるで虫のように。そしてにたにたと笑っている。

「何であんたはそこまで――」

「弾幕勝負といこうか霊夢!」

 レミリアは自身の血から無数の矢を作り出し霊夢に向かって飛ばす。それを霊夢は不格好に跳んで避ける。両者は大広間から飛び出し廊下に出た。霊夢の傍らで作られていく針。それが何本もレミリアの前胸部を貫通した。

「痒いね」

「結」

 霊夢は手を握った。同時にレミリアに刺さった針が発光し出し、爆ぜた。

 レミリアの首が宙を舞った。首は何の抵抗もなく床に落ちる。レミリアは呆然とし、ただ天井を見ている。足を速める音。レミリアの首のない身体が足を踏ん張る。そして霊夢に襲い掛かるが、陰陽玉に脇下から両断された。

 レミリアは両目に妖力を溜め始める。覆い被さる巫女の影。身体の治癒は間に合わない。妖力はまだ十分に溜まっていない。霊夢は陰陽玉を振り上げた。レミリアは目を見開く。

 

 目に映る赤い長髪。レミリアの首は何者かに抱きかかえられ陰陽玉を躱した。霊夢は陰陽玉を突き出した格好で静止している。

「美鈴……?」

「咲夜さん!」

 レミリアを抱え走り出した美鈴が叫ぶ。途端に壁が崩れ、咲夜と複数の妖精が姿を現した。

「面倒かけないでくださいよお嬢様」

 咲夜はナイフを両手に構える。一瞬で霊夢の周囲をナイフが囲むが全て結界に弾かれた。

 霊夢はメイドたちを相手しながら逃げる美鈴の方を向く。その顔は顧み、喘ぐような表情をしていた。

 美鈴はレミリアを抱え、入り組んだ廊下を右に左に走り続ける。霊夢やメイドの姿は既に見えなくなっている。美鈴は足りない何かを補うように、激しく呼吸をしていた。

「もう大丈夫ですよお嬢様。このまま逃げてお身体が治るまで潜伏します」

「壁越しにいたの?」

「お嬢様がピンチだと思って、急いで走りました。咲夜さんたちも付いてきてくれましたよ」

「止まれ美鈴」

「止まるわけにはいきません。あの巫女が追い付けない場所まで逃げないと」

 レミリアは苛立ちを見せ始める。

「止まれって言ってるんだよ。私に咲夜たちを見捨てろって言うの?」

「私たちもお嬢様を見捨てられません」

「良いから足を止めろと――」

 突然、美鈴は足が縺れて転んだ。地面に触れないようレミリアの身体は持ち上げている。

「美鈴? どうし」

 レミリアの目には、美鈴の球状に抉られた背中が映った。断面からは血液がとめどなく溢れ出し走った軌跡を描いている。

 レミリアの顔が紅潮する。頭がくすみ状況を上手く認識できない。瞳孔が揺れ動く。治癒しかけの心臓がタガが外れたように暴れ出した。

 レミリアは押さえつけるように目を閉じる。数秒経って開くと、心臓の高鳴りは収まっていた。落ち着いた声で美鈴に話しかける。

「大丈夫美鈴? 痛くない?」

「こんなの全然痛くないですよ。こんなの……」

 美鈴が痛々しく呻き始める。傷口から逃げるように身体を捩って。

「おかしいですね……さっきまで痛くなかったのに……。本当ですよ? 背水の陣のお陰ですかね」

「もういいよ美鈴。私のことは置いて図書館に行け。処置してもらえば痛みも和らぐから」

「そうはいかないです。お嬢様が治るまで私が守ります」

「足手まといって言っただろう? 私の言うことが聞けないの?」

「今度ばかりは聞けません」

「美鈴」

 レミリアは静かに声を張った。背中の傷に目をやると治るどころか爛れたように傷口が広がっていた。美鈴の妖力が切れた証拠だ。治癒はもう見込めない。

「お嬢様、腕を貸してもらっていいですか?」

「あぁいいよ」

 レミリアは服と共に治った腕を美鈴の枕代わりにする。美鈴は腕の中で震えていた。とても弱々しく小鹿のようだ。唇を噛む。この半分しかない身体では運んでやることもできない。

「お嬢様。すみませんでした」

 消え入りそうな声で美鈴が話す。

「何を謝るの?」

「私たちがお嬢様に頼り切っていたばかりに、そんなにお身体をボロボロにされて。私たちは何も気付かないで。本当にすみませんでした」

「いや違うよ。悪いのは私だ」

 美鈴の眼は徐々に虚ろになっていく。美鈴は痛みに喚く元気もなくまるで死体のように静かにしている。

 唐突にレミリアの脳裏に数多の過去がフラッシュバックした。血塗れの自分の手。零れたものに必死に手を伸ばす。だがどうしても届かない。何度も何度も伸ばすが、その度に遠のいていく。残るのは湿った感触だけ。どこを見渡しても血は拭うことができず、何も掴めない。それでも。

「ごめんね」

 レミリアは囁くように言った。咲夜たちにもあの子にも、死んでいったみんなにも語りかけたような気がする。美鈴の手に手を重ねる。

「次は上手くやるから」

「私死ぬんでしょうか」 美鈴が空気のように喋る。

「死ぬでしょうね」

「そうですか……」

 美鈴は少し考える様子を見せる。

「お嬢様、最後に1つお願いしてよろしいでしょうか」

「何?」

「もう戦わないでください」

 レミリアの胸の奥から電流が流れた。電流は手から頭まで駆け巡り、レミリアの思考を壊し得るものだった。

「何で?」 声が震える。

「お嬢様、とても苦しそうでした。あんなに傷だらけなのに、あんなに笑って」

「あれは好きでやってたのよ」

「それでも痛かったですよね。自分が傷ついても戦ってましたよね。本当は館を火事になんかしたくなかったですよね」

「気にしなくていいのよ」

「私が言えることじゃないですけど、あんなお嬢様を見るのは、私たちも苦しいです。お願いします」

 重なった手を、美鈴が握ってきた。美鈴の目に涙が溜まる。

「お嬢様、ごめんなさい……!」

 溺れてしまいそうな脆く悲痛な声だった。美鈴の涙がボロボロと零れる。手が潰れそうなほど握り締められる。

「ありがとう。美鈴」

 声を絞る。だが返答が出ない。気付けば目を逸らしていた。

 それを察したのか、美鈴はしおらしく笑顔を見せた。その表情が胸を突く。

「お嬢様、今までありがとうございました」

「こちらこそありがとう。美鈴」

 レミリアも安心させるように笑いかける。意図せず少し引き攣った。

 美鈴が再び呻き始めた。

「美鈴!」

「お嬢様……!」

 手を、美鈴が強く握ってくる。レミリアも強く握り返す。

 美鈴は命を繋ごうと必死に息をしていた。しかし徐々に浅くなっていく。手を握る力が弱くなる。そして完全に力が消え瞳孔が開いた。腕はだらりと垂れ下がり、物も言わなくなってしまった。

「お、お嬢様。お、遅れて申し訳ございません」

 メイド妖精が酷く緊張した様子で立っていた。目を合わせようとせず、歯を小刻みに打ち鳴らしている。

「ギンナ。美鈴を図書館へ連れてってやれ」

「は、はい、ただいま!」

 レミリアは握る手を放す。妖精は恐る恐る美鈴を抱え、そのまま走った。レミリアは走り去る美鈴を見ている。美鈴は涙をいっぱいに溜めた目でレミリアを見ている。そして廊下の角に消えていった。

 

 レミリアは壁に凭れ、天井を仰ぐ。

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