亡き王女の為の讃美歌   作:ヨマオ

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第2話 鵜の魚

 魔理沙は霊夢の後を追って森の上を飛んでいく。

「ところで霊夢。自信満々に飛んでるけどどこに向かってるんだ?」

「さあどこかしら」

「えぇ?」

 思わず情けない声が出てしまった。咳払いする。

「いやお前、昔からそうだけどさ、行き当たりばったりすぎないか?」

「勘があっちだって言ってるのよ」

「情報はしっかり噛み砕いて吐き捨てるものだぜ? 魔法だって噛み進めまくって硬い原理を味わうんだから」

「別に私は魔法使わないし」

 魔理沙はわざとらしく肩を竦め、頭を振った。

「やれやれ、何で十年も友達やれてるのか分からないぜ」

「原理不明ね」

 ふいに霊夢が止まる。魔理沙は横につく。

「どうした?」

「あそこ」

 霊夢が指差した先は木が生えているだけで特に何も発見できなかった。それでも霊夢は曇りなく一点を見詰めている。

「行くわよ」

 真っ直ぐ降りていく霊夢。魔理沙は戸惑いながらも追従する。

 丈の短い草原に降り立つ。葉が寄せ合って日の届かない、鬱蒼とした森。霊夢は土を踏み締め、進路の枝を跳ね除けながらぐんぐん進んでいく。

「なんかあるのか?」

「えぇ」

「信用ならんなー」

 変わり映えのない風景が続く。歩いても歩いても似たような木ばかりで、本当に目的地に近付いているのか甚だ疑問だった。魔理沙の不安に反して霊夢の歩みに迷いはない。

 霊夢はある木に向かって進んでいく。辿り着くと木の後ろに回り込んで見えなくなった。魔理沙も訝しがりながら回り込む。

 木の裏で霊夢は立ち尽くし、前方下を凝視していた。目線の先には少女が蹲っている。いや、普通の人間では森の瘴気には耐えられない。十中八九妖怪だろう。

 妖怪は薄暗い森に溶け込むような黒い洋服を着て、金色の髪に赤いリボンをつけていた。彼女は、まるで顔を洗うように手を盛んに動かし、首を振っている。その作業にえらく夢中なようで私たちには気付かない。一体何をしているのだろうと、魔理沙は覗き込んだ。

「うわっ」

 軽く顔を顰める。

 妖怪は人間を食らっていた。両手を血でどろどろにしながら血肉を掻き出している。骨を折って食べやすい大きさに切り分け、犬歯を開いて骨ごと齧り付く。時折血で染まった指をしゃぶる。軟骨を齧り取る音と生臭い匂い。閉め切らない口から洩れる、柔らかい血で粘つく肉。そこら中に血と肉と骨が飛び散り充満していて、汚かった。

 険しくなる霊夢の表情。霊夢の手にお札が現れる。妖怪はようやく気配に気付いたのか、返り血で真っ赤になった顔をこちらに向けた。

「やば」

 妖怪の身体から闇が放出された。反応する間もなく魔理沙たちは闇に飲み込まれる。

「うお何だこれ」

 目の前が真っ暗になる。霊夢の姿が見えない。それどころか僅かに差していた日光さえ見えなくなった。一糸の光さえ通さない完璧な真っ暗闇だ。

「不味いな」

 魔理沙はミニ八卦炉を取り出す。光を奪う魔法だ。私たちの視界を奪い奇襲をかけるつもりだ。闇から抜け出さねば。どうやって抜け出す。閃光魔法を試してみるか? いや相手に隙を与えることになるかもしれない。そもそも相手の目は見えているのか? 闇は球状に放たれたように見えた。なら相手も視界が――。

 唐突に襟元を掴まれ引き付けられる。

「飛ぶわよ」

 霊夢は淡白に告げると、一気に空へ上昇した。風を切って2人は暗闇から抜け出し目は風景を取り戻す。見下ろすと直径30mほどの闇の球が森の一部を覆っている。

「あの妖怪はどこだ?」 魔理沙は急いで魔法陣を描く。 「闇の中じゃ目視確認できないぜ」

「問題ないわ」

 霊夢は1枚のお札を指に挟む。お札は弛みなく丸まって針になった。霊夢は針を掴み、迷いなく闇の中へ投げる。鷹のように空を裂く針。闇に吸い込まれたかと思うと、途端に闇は爆ぜて霧散した。掻き消えていく闇の中で、妖怪は眉間を針に貫かれ、放心した顔つきで膝をついた。

「相変わらずだな霊夢」

 意図せず沈む声。いくつもの魔法陣を解除する。

「行くわよ」

 霊夢は地に降り立って、妖怪に刺さった針を引き抜く。眉間から流れる血が口に入り、妖怪はハッと気を取り戻した。

「ゎあー、生きてる? 今のところ?」

「あんた誰」 霊夢は吐き捨てるように言う。

「や、やめてよ博麗の巫女。痛いのやだよぅ」

「名前は」

「ルル、ルーミア」

 ルーミアは苦笑いで揉み手をする。

「い、いや、悪いとは思ってるよ? 人間に手を出しちゃいけないってのも分かってたし、普段は齧るくらいだし、でも1人くらいいいかなーって」

「全く酷いことするよな」 魔理沙は木に凭れ腕を組む。 「妖怪ってのはつくづく分からないぜ。人間なんか食べて美味いのか? あんなに食い散らかして、食べられる方も可愛そうだよ」

「だだだって貰い物だったし。食べ切らないとマナー違反だし」

「貰い物?」 と霊夢。

「そう貰い物。勿論人間1人分だよ」

「誰から貰ったの」

「吸血鬼」

「え?」

 声を発したのは魔理沙だった。目を丸くして霊夢に向く。

「吸血鬼って霊夢が倒したんじゃなかったのか?」

「前に倒したのは姉のレミリア。妹がいる」

「聞いたことないぜそんな奴」

「フランドール・スカーレットよ。フランも紅魔館にいた」

 霊夢は魔理沙を一瞥もせずルーミアと目を合わせていた。驚いた様子は全くなくて、さながら異変の全容を知っていたような。いつもの勘なのか?

「フランは今どこにいるの?」 と霊夢。

「し、知らないよ。死体を置いていかれただけだし」

「何か頼み事とかされなかったのか?」 魔理沙が口を挟む。

「されなかったされなかった。ホントにポンと渡されただけで」

「他の人間もお前がやったのか?」

「他って何のこと? 別でも配ってたんですか?」

「霊夢、こいつ使えないぜ」

「そうね」

 霊夢は拳を作る。ルーミアの額から、目に見えて汗が噴き出した。

「いやいやいや待ってよ巫女様。ホントに悪いと思ってるって。それにあの人間外から来たみたいだよ。幻想郷の人間じゃなきゃセーフでしょ?」

 魔理沙は死体を見やる。格式張った濃紺の服。首を絞めつけるようなネクタイ。あんな固苦しいものを好き好んで着る奴は幻想郷にはいない。

「ありゃ確かに外の世界から来てるな」

「そうそうそうそう」 ルーミアは激しく手を振る。 「だから、ね? 巫女様が私をしょっ引く義理はないでしょ? ね?」

「いや、取り敢えず退治するわ」

 みるみる蒼ざめるルーミア。そんな表情に霊夢の拳骨が振り下ろされた。

「やりすぎだな霊夢」

 倒れ伏してびくびくと痙攣するルーミア。放置して2人は森を歩く。

「脳の血管が破裂して死んじまうぜ。更生させたいならちゃんと生かさないと」

「このくらいじゃ死なないわよ」

「ふーん。まあ馬鹿は死んでも治らないって言うしな。死ななきゃ治らないって論拠と合わせると、馬鹿は不死身だぜ! 何言ってるんだ私」

 魔理沙は手を頭にやる。

「でも目的地は決まったな。吸血鬼の根城、紅魔館! 楽しくなってきたぜ」

 魔理沙は胸に沸き立つものを感じた。今まで吸血鬼のような強力な妖怪とは会ったことがない。手合わせしてきたのは精々中堅どころの妖怪だ。ぎりぎりの辛勝だったがマスタースパークの火力が決め手になった。そのマスタースパークを吸血鬼にも通用するのか試してみたい。

 吸血鬼に勝てる! と思うほど私は頭妖精ではない。でも実戦、経験こそが最大の学習だ。吸血鬼との戦いで経験を吸収して、私はより魔法の高みへ近付けるだろう。自由に近付けるだろう。自然とにやけてしまう。

「霊夢もそう思うだろ?」

 振り返り笑いかける。だが、誰もいなかった。一緒に歩いていると思っていた霊夢は、ついて来てなどいなかった。

 霊夢は日の当たらない木陰でしゃがんでいた。霊夢の正面には木に横たわる死体がある。霊夢は死体に背の高さを合わせ、目を瞑り、手を合わせる。

「ごめんなさい」

 物言わぬ死体に、霊夢は語りかけた。立ち上がり魔理沙を振り返る。

「神社まで連れて行くわよ」

 低く押し殺すような声音だった。その声の響きが、言葉が、やけに耳の中に残った。

 

 外堀にしては広すぎる湖を超えて、紅魔館は霧の中から幻想のように現れた。血で浸したような紅い館は、現実離れした曖昧な印象と、確かにそこにある存在感を与える。窓はほとんどなくて、散見される窓もカーテンが閉められて館内を伺うことはできない。番のいない門と無人の庭を超え、霊夢と魔理沙は玄関前に着地した。

 扉を開け放ち館内に入る。見渡す限り紅い広々としたエントランス。入ってすぐ目に入る位置に巨大な肖像画が飾られている。魔理沙の背丈の5倍はありそうな金の額縁。その小世界で、吸血鬼が紅いウィングチェアに腰掛けていた。油絵で描かれた吸血鬼は10歳前後の幼い姿をしている。子供特有の小さな体つきと丸みを帯びた目鼻立ち。そんな幼さとは裏腹に、所作は落ち着いていて座る姿勢はゆったりとしている。レミリア・スカーレット。子供らしからぬ柔和な笑みからは、揺るぎない気品と貫禄を。魔理沙を真っ直ぐ見詰める紅い瞳からは、幾年もの移ろいを焼き付けた深みを、絵画からでも感じさせられる。

 霊夢は絵画に目もくれず先へ進む。後を追う。

「もぬけの殻か?」 魔理沙たちは階段で足音を響かせる。 「いや待て、霊夢の勘はこう言いたいはずだぜ。もぬけの殻はお前の頭だ! って」

「あんたの頭はギチギチよ」

「つまりクリーミーってことだな。で、敵はどこだ? 先制攻撃をお見舞いするぜ」

「多分廊下の方ね」

「よし来た! 私に任せておけ!」

 魔理沙は階段を駆け登って廊下に出る。規則的に扉が並び、それが無限に続くような長い通路。ミニ八卦炉を取って足を左右に広げる。

「やあやあ我こそは霧雨魔理沙であーる。射線上に入った奴から床の染みにしてやるぜ。目立たないからいくら汚してもいいよな」

 返事はない。場は静かで薄暗い。魔理沙は猫のように目を光らせて様子を窺う。

 耳がごく小さな足音を拾い上げた。扉越し。1人。ミニ八卦炉を向ける。

 恐る恐る扉が開いていき半開きで扉は止まる。そこから少女が顔を出した。吸血鬼よりも幼そうなメイド服を着た妖精。不安げで泣き出しそうな表情だ。魔理沙は目を細め八卦炉に魔力を込める。

「よし、第一目標。妖精にしては良い度胸――」

「博麗の巫女様」

 妖精は小走りで廊下の中央に移動し、深々と頭を下げた。

「待って魔理沙」

 肩に鉛がのしかかる。霊夢が私の肩を叩いて視界の端から現れる。

「お待ちしておりました博麗の巫女様」 頭を下げたまま震える声。

「フランはいないのね」

「左様でございます。妹様は既に出立されました」

「どこに行ったの?」

「私は何も知らされておりません」

「ありえんだろう、霊夢」 魔理沙は人差し指を立てる。 「これは罠だよ。この屋敷に何某かの仕掛けがあって、一生ここから出られなくなるんだぜ」

「そうなの?」

「仕掛けなどございません」

「ここは吸血鬼の根城だろ? 何もないなんてことがあるかよ」

「私の役割は妹様からの伝言役でございます。自分を探る者がいたら紅魔館に来るだろうから伝言をと」

「伝言って何?」

 妖精は頭を上げる。魔理沙と目が合った。だがすぐに霊夢に目を移される。間違えて魔理沙のことを見てしまったかのように。

 妖精は腕を内に寄せ、震える唇を開く。

「ここは壊さないでくれ、と」

 霊夢はしばらく目を合わせていた。どれくらい合わせていただろうか。きっとたった数秒だろう。息を吐き、魔理沙に向き直る。

「中は見て回りましょ。ただし戦いはなし」

「あー? いつ不意打ちされても文句言えないぜ? それとも勘か?」

「そんなとこね。きっと攻撃されないわ」

「流石に根拠薄弱だぜ。しおらしい演技をしていても霊夢はこいつらの恨みを買っているだろう。それにさっきのルーミアって奴は無抵抗でも成敗したじゃないか。論理が通らんな」

「一貫性がないのは分かっているわ。あんたが納得し難いっていうのも。でもお願い」

「お願いねぇ」

 同じ高さから投げ掛けられる、真っ直ぐで歪みのない霊夢の視線。魔理沙は少し考えた後、わざとらしく呆れたように息を吐いた。

「あー分かったよ。見逃してやるぞ妖精。ただし間取りとかは聞き出すからな」

「ありがとう魔理沙」

 霊夢は魔理沙の目を見て口元を緩めた。

 

 2人は紅魔館の地下図書館、その更に下へ通ずる石階段の前にいた。地上と図書館の探索では目ぼしい収穫はなかった。あと探していないのはここだけ。

「妹吸血鬼が住んでいた場所らしいな」

 魔法で宙に灯りを浮かせ階段を下りていく。長い螺旋を降りて、石壁に埋め込まれた木製の扉に辿り着く。

 軋む木扉を開け灯りで照らすと、地上と変わらない一室がそこにあった。ウッドな壁紙とよく毛が立ったカーペット。高級感のある木の本棚と羽ペンの備えられた机、座り心地の良さそうな革椅子。書斎だろうか。

 次々と扉を開ける。寝室、食卓、トイレ、石壁が剥き出しの部屋、燃えカスの山が残る部屋。そして最奥の扉を開く。

 その部屋では、巨大な魔法陣が床に描かれていた。十数人が1度に乗れるほど大きな陣。見たところ人を別の場所に転移させる魔法陣だ。

「こいつで夜逃げしたのかな」

 魔理沙はしゃがんで転移魔法陣に触る。

「使えそう?」 と霊夢。

「いや、機能停止している。鍵になる魔力を流し込めば動くはずだぜ」

「できるの?」

「鍵の解読はちょっと前にやったことがある。そんなに時間掛からなさそうかなぁ、速度重視の単純化された法式だし。魔力の生成に数日はかかると思うけど。あーでも新しいルーチンがいるかも」

「ふーん」

 霊夢は得心していない顔をする。まあ理解させるつもりで話してはいないが。

「数日ね」 霊夢は腕を組む。

「鍵を聞いて来てくれるのか?」

「そういうつもりじゃないわ。ごめんね」

「別に怒っちゃないよ。ただ時間が掛かるのはしょうがない! ってやつ」

「そう。頼むわ」

 ぽんと肩を叩かれる。顔が綻んでしまっている自分に気付く。

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