煌きは白く   作:バルボロッサ

19 / 54
今話から第3章 天山高原編 となります。


第3章 北天山高原編
第18話


 雄大なる大草原。

 見渡す限り低い背丈の草木と地平線。

 煌帝国の帝都から遥か西方。

 

 天山という峻嶮な山々を超えたその先に、白瑛たちは訪れていた。

 

 他国を侵略する帝国軍として。

 

「伝令! 本陣営より西方50里に異民族の集落を発見。人口百余名ほどの規模と見られます。我が隊の進軍経路上となりますが、如何致しましょう…………」

 

 軍備に身を包む兵たちの中で、白桃の衣裳を纏う白瑛が報告を受けていた。

 その横には彼女を守護するように和国の特使と眷属たる李青舜が控えている。

 

「……私が参りましょう」

 

 西征軍北方兵団の将、練白瑛自らの出立の言葉に兵の顔には驚きが浮かび、千人長の呂斎は忌々しげな顔となった。

 

 本国から白瑛たち北方兵団に下された戦略は、西方侵略に際して、北方の山岳地帯を制圧することにあった。

 煌帝国の西方進軍経路は大きく分けて山岳路と海路の2種類。平路もあるにはあるが、そこには中央砂漠という広大で不毛、過酷な大地が広がっており、軍を進めるには難しい。

 白瑛が預かったのは、その内の一つである山岳路、北天山高原の制圧とうい任務であった。

 一方の海路には東方を盟友国 和を要とし、西方には大陸から大きく尖り出たバルバッド王国という海洋国家を拠点候補としている。

 

 バルバッドは今現在、サルージャという王族が支配する王政国家とはなっているが、王の才覚の問題もあって、今現在その経済状況は破綻寸前。数年前から煌帝国が介入を行い、資金を援助しており、引き換えにその国政権利の一部を譲り受けていた。

 その権利の中には、海洋国家として要の海洋権と通商権も含まれている。

 徐々に国政の権利を譲渡され、最終的にはバルバッドの王族には未婚の皇女である第8皇女 練紅玉が王妃として宛がい、名実ともに国を併合、戦略拠点として総督の練紅炎が駐屯する計画が進められている。

 

 百戦百勝は善の善にあらず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。

 

 戦好きという評判にもかかわらず、いや、炎帝とも称される戦巧者の紅炎だからこそ、戦による武力統合だけではなく、外交手段、内政手段をもって、徒に兵を動かす事無く国を併呑することを紅炎は狙っており、それを実行していた。

 その意を受けた白瑛もまた、天山の村々を兵をもって統合するのではなく、積極的に交渉を行って自国に取り込んでいた。

 

 だが、その戦術は必ずしも北方兵団の総意とは言い難かった。

 

「百余名程度の少数民族など、姫様自ら赴くまでもないのでは?」

「いいえ。数の大小ではありません。一つの民族を、煌帝国の民としてあずかろうというのです。礼を尽くすのは当然のことです。……何か集落の特徴で気付いたことはありますか?」

 

 白瑛のとる説得戦略にあからさまに異を唱えるのは、千人長である以上に、第1皇女にして“前”皇帝の娘である白瑛の監視役として軍に派遣されている呂斎である。

 白瑛の説得路線では平定までに時間がかかり過ぎる。それでは世界統一が遠のいてしまうと言って、呂斎は常々武力統合を訴えていたのだが、白瑛はそれを意に介さず、偵察に行っていた兵から説得の手掛かりを得ようと情報を収集していた。

 

 武功を上げること、いや、戦争をすることこそが望みである呂斎からすれば、極力戦争を回避しようとする白瑛の路線は忌々しい限りであり、これまでもたびたび衝突していた二人は、天山を超えたこの地においても対立を見せていた。

 

 異民族の村を訪れる白瑛と青舜、そして光。 

 監視役たる呂斎ではあるが、軍を預かるという役目もあり、また白瑛子飼いの光雲たちという存在もある以上、無闇と動くことはできなかった。

 

 護衛、という名分をつけようとも、武人としての戦闘力では煌帝国内でもトップクラスに相当するだろう光が居ては、“もう一つの思惑的にも”分が悪かった。

 

 

 

 物見の兵からの報告をまとめたところ、白瑛たちはこれから赴く集落の民の正体についてある程度予測を立てていた。多数の馬を飼育している点、その扱い。着ている衣裳から見て……

 

「黄牙の民の集落か……」

 

 馬に乗り村へと向かう白瑛たちだが、光は集落の民について呟いた。

 

「光殿は残られた方がよかったのでは……?」

 

 かつて世界統一目前に迫った大黄牙帝国。それは阻む一助となったのは他ならぬ光の故国である和だ。 

 野望を阻まれた黄牙の民。

 自国を侵略されかけた和国の民。

 どちらにとっても遺恨のある間柄だけに、青舜は不安そうに懸念を述べた。これから行くのは降伏勧告という相手を逆撫でしかねない行為でもあるのだから、それだけに光の存在は危険な札となる恐れがあるのだ。

 

「遅かれ早かれ煌帝国と和国の関係は分かることです。交渉の場に光殿が居なくとも、そのあと、遺恨を掘り返してしまうのであれば意味がありません」

「ということだ」

 

 武をもって併呑すれば遺恨を残す。

 志を違えたまま治めてもいずれは破綻を招く。

 

 白瑛も和も、望むのは平穏なる世界。その志を説くためにこそ白瑛は自ら赴いているのだ。

 もしも黄牙の民が和国への恨みを今もなお継いでいるというのなら、それを晴らす事無く抱き込めばやがてはその恨みの暴発を生むだろう。

 だからこそ、それを確かめる意味でも光を連れて行くことを白瑛は反対しなかった。

 

「俺の方は心配いらん。何代も前の、それこそ伝説になるほど昔の戦のしこりなんぞ俺も和国も引きずってはおらんさ」

 

 一方の光の方は、侵略されたと言っても遥か昔、それも撃退したことだと言い切った。

 

「? 何かほかに懸念事でもあるのですか」

 

 光の答えに青舜はわずかに違和感を覚えて問いかけた。

 先程の光の呟きは何も心配がないとは思えない呟き方であったのだ。それが分かるくらいには青舜は光と顔をあわせているのだから。

 

「……以前貿易で訪れていた国での噂だが……黄牙の民というのは、ある特殊な体質を持っているそうだ」

「特殊な体質、ですか?」

 

 青舜の問いに光は少し考えるように言い淀み、結局口を開いた。

 白瑛に聞かせるにはあまり耳心地の良いものではないのだが、上に立つ者として、これから赴く先の情報として白瑛は知っておく必要があることだから。

 

「異常に死ににくく、頑強な体をもつ一族、だそうだ」

「それは、光殿のような、ですか?」

 

 光の言葉に、思い浮かべたのは当の光が持つ、和国特有の武術 操気術だ。

 加えて以前の賊軍との戦いでも、体を貫かれても反撃していた光の体の再生力を思い出して青舜は尋ねた。

 

「あれは俺の金属器としての力だ。操気術も鍛練法こそ和国特有だが、本来は誰しもが持つモノだ。そうじゃなくて単純に肉体的な頑丈さが並外れている、というのを聞いたことがある」

 

 操気術、西方では魔力操作と呼ばれる術法は、和国の剣客と魔力操作の民と呼ばれる者たちのみが操る術と言われているが、厳密にはその会得が難しいために中々広まらないだけだ。

 実際、白瑛や光が煌帝国内を駆けまわっている間に、帝都にいた白龍は、帝都を訪れた魔力操作の民 “ヤンバラの民”から魔力操作を教わったそうだ。

 

 下手に操ると危険だからと教えなかった光の態度に業を煮やしてのことだそうだが、白龍自身には才があったのか、未熟ながら一応魔力操作をある程度覚えたようだった。

 ただ、その術法は光の眼から見て非常に危うく、命を削る危険がある、ということを言い含めてはいたのだが、光を敵視している白龍だけにどこまで聞いているのかというのが白瑛たちにとっての不安事となっている。

 

 魔力操作は決して民族固有のものではなく、また光の修復力も生来のものに起因するモノではない。そのようなものではなく、黄牙の民はただ頑強なのだ。

 剣で刺されようと火で炙られようとも耐えきる頑丈な体を持ち、大草原に生きて馬と共に生きる。

 それが黄牙の民だ。

 

「そしてその稀少さゆえに、」

「近年では奴隷狩りの被害にまで遭っている」

 

 光の言葉に白瑛の表情が沈鬱なものとなり、硬い声音で続きを喋った。

 

「奴隷、ですか……」

「知っていたか」

「はい……」

 

 二人の会話に青舜の表情に影を宿した。

 

 和国は主に工芸加工品などを貿易品として取り扱っているが、国や商人によっては奴隷を取り扱う者もいる。

 光は貿易船の護衛として外洋に出ていた光もそのことを商人伝いに聞いていたのだ。白瑛もまた、和国との関わり、そして西征軍の将となり北天山に派遣されることが決まってから、あるいはその前から、いずれは遭遇するだろう黄牙の民について調べていたのだろう。

 

「それが……見えてきたな」 

 

 光がもう一つ、持っている情報を伝えようとした時、小高い丘が開け、視界に放牧民特有のテントのような家屋が目に映った。

 世に名だたる騎馬の民らしく、集落には人口比にすると多くの馬が放し飼いにされており、馬を囲う柵も、厩舎もないというのに逃げる様子もなく人に慣れている。

 

 馬の乳を搾る女性。狩りの準備だろうか、大きな剣を手入れする男性。狩りに行く馬上の男性を見上げる子供。

 

「あれが黄牙の民の…… !」

「姫様!?」

 

 争いの気配のない、のどやかな集落。その中の一つの光景を見た瞬間、白瑛は馬を駆けさせた。

 厚手の衣裳を着ている村人の中で、長い三つ編みにターバン、袖のない薄手の衣裳を着た子供が一人。馬に慣れていない様子で近くの大人が目を離した隙に不用意に馬によじ登ろうとしている。

 人に触られていることに慣れているからか、馬は無闇とは騒ごうとはしないがそれが災いして子供は中途半端に馬によじ登れてしまっている。

 だが、

 

「うわぁあああああ!!!」

 

 馬術に長けた白瑛だからこそ、それを予見したのだろう。果たして予見通り、馬に不慣れな小さな子供を半端に乗せた馬は、流石に不快感を覚えたのか前脚を高く上げて嘶き、暴れるように駆けだした。

 

「誰か馬を止めろ!!」「落ちるぞっ!!」

「危ない!!!」

 

 馬の暴走と子供の危機に気づいた周りの者が慌てるが、馬はかなり興奮しているのか慣れている筈の大人の制止も振り切って駆けている。

 

「アラジン!!!   !!?」

 

 馬を追っていた大人の一人が自分の脇を駆けて行った馬と見慣れない女性、白瑛の姿に気づいた。

 白瑛は自身の馬で暴走馬に追走し、暴走馬以上の速度で追い抜いた。追い抜きざま、小柄な子供の体を片手で抱き上げ、自分の馬に移した。

 

「流石の馬捌きだな」

「言ってる場合ですか。行きますよ、光殿!」

 

 馬上の重量を変化させながらも、片手で見事に手綱を操る白瑛。

 しがみついていた馬の速度が緩やかになり、止まったことに気づいたのだろう。恐怖で馬の鬣にしがみついている少年の叫び声が小さくなり、収まった。

 着いて早々に起こりそうになった惨事が一つ、無事に収めることができたことに青舜は安堵の息を漏らし、光は卓越した白瑛の馬術に感心したように呟いた。

 とはいえ、護るべき白瑛が一人、まだ味方とはなっていない、というよりも侵略対象であるのだから戦闘状態でないとはいえ、敵の只中に突っ込んでいった状況はあまりよろしくない。青舜は感心している光に一声かけて自身の馬も駆けさせた。

 見れば子供の無事を確認しようとしてか、集落の大人たちが続々と白瑛を取り囲むように駆け寄ってしまっている。

 

 

 

「私は煌帝国初代皇帝が第三子 練白瑛。貴方たちと外交のお話をしに参りました」

 

 落馬しかかった少年を地上に下ろした後、白瑛たちは集落の長という老婆と対面していた。白瑛が光と青舜を護衛のように引き連れているのと相対するように二人の屈強な男を脇に控えさせている小さな老婆。

 

「……ようこそ姫君。私は黄牙一族、第155代大王が孫娘 チャガン・シャマンと申します」

 

 杖をつき、近くで見るとその目は盲しているように見える。だが、まるで見えているように白瑛を見上げている。

 3人を取り囲む集落民の顔は、野次馬的に取り囲んでいるというよりも、警戒心を露わにしている。

 子供を助け、先程名乗ったように皇帝の娘という高貴な身分の来訪者ゆえか、いきなり襲い掛かってくるような流れではないが、それでも長の言葉とは真逆に集落の雰囲気は歓迎的な様子ではない。

 

「存じております。我が国でも、そして海を隔てた国でも、あなた方の伝説は伝え聞いております。かつて最も栄えた騎馬の民族。魔神のごとき力を手に入れた初代大王が築き、世界統一まであと一歩に迫った歴史上最大の帝国、大黄牙帝国」

 

 周囲の雰囲気を察しつつも、白瑛は拱手のまま頭を下げて一礼し、相手方の来歴を述べていく。その言葉に黄牙の民の顔つきが鋭くにらみ上げるようになっていく。

 白瑛の言葉は過去を表しているからだ。

 

 貴方たちは高潔な一族、だった、と。

 

「しかし、近年では奴隷狩りの被害にまで遭っていると伺っております」

 

 ちらりと周囲を窺う白瑛の言葉を現すように、民の眼には猜疑心と、その奥に見え隠れする卑屈さとが陰っていた。

 穏やかな今の暮らしを美としつつも、彼らの血に宿る誇り高さと、肉体に宿る強さがあるからこそ、そしてかつては覇を馳せた民族だからこそ、心のどこかに、過去の偉人に対する申し訳なさがあり、今に対するいら立ちがあるのかもしれない。

 

 だが、白瑛は彼らの表情を見ても、自らの役目を果たすべくチャガン・シャマンへと言葉を続けた。

 

「ですが、その苦労も今日までです。黄牙の皆さん、我々煌帝国の傘下にお入りなさい」

 

「傘下だと!?」「なんだそりゃ」「ありえねぇ……」

 

 白瑛の言葉に、遠巻きに見ていた黄牙の民から動揺の声が湧きたつ。己が出自に誇りがあるからこそ、今を走る強国相手だろうとも膝を屈するをよしとはできないのだろう。

 

「我々煌帝国は先日、極東平原を統一致しました。今後は西のレーム、西南のパルテビアらの統一、つまりは世界統一を志しています!」

 

 煌帝国のある東の大陸とは別の、西の海を隔てた大陸にあるレーム。そしてかの七海連合に属するパルテビア。

 現在の世界は大きく分けて煌帝国、レーム、七海連合が強大な3大勢力が君臨しているのだから二つの勢力にしかけることはまさに世界の覇権へと挑む所業だ。

 

「かつてはそれを是としなかった、和国の方もその志に賛同し、お力をお貸しくださっております」

「和国!!?」

 

 かつては黄牙の民も夢見た世界統一。それを阻んだ因縁の和国が協力しているという言葉に再び驚きの声が上がった。

 

 さすがに150代以上も世代が変わり、和国のある海に接しない内陸の天山高原にあっては和刀のことは伝わってはいないだろう。しかし、黄牙の者の視線は見慣れない武器を腰に帯びる光へと向いた。

 あるいは色濃く残る狩猟の民族としての直感が光の気を見抜いたのかもしれない。

 

「黄牙の御先祖様方と同じ夢を、今は私たちが追っているのです。どうか、どうかお力添えを!」

 

 真摯な白瑛の言葉。

 再び掌と拳を合わせて拱手し自らの理念をもって協力を願った。

 

「おい!」

 

 だが、ざわめく周りの者の中から、黄牙の民特有の赤茶けた髪の中でもとりわけ赤の色が濃い男性が声を上げた。

 

「体のいい言い方をするなよ。傘下に入れってのはつまり、俺たちの村を侵略するってことだろ?」

「そうだ!!」

 

 睨み付けるように声をあげる男性の意見に周りの者たちも賛同するように声が上がった。

 男性が背に負う大剣こそ抜いてはいないが、ざわめきは先程よりも殺気立ちつつあり、白瑛は表情をこわばらせ、光と青舜は対応できるように警戒心を上げた。

 四方を囲まれた状態。襲い掛かられた時切り抜けられなくはないだろうがその後を考えると戦闘状態になるのはあまり好ましくはない。

 次の言葉をどうすべきか。

 

「ええい、静まれっ!!」 

 

 だが、長が一喝したことで、周りの者のいきり立つ声はざわめきにまで落ち着いた。かなりの高齢にもかかわらず、いや、齢を重ねているからこその重みが長の言葉にはあるのだろう。血気に逸る若者たちが不承不詳といった顔ながらも静かになった。

 

「姫君よ、時間をくだされ。そのお話、急には受け入れがたい。我々は、先祖代々、独立を守り抜いてきたゆえに。それに……思うところもありますので」

「そうですか……」

 

 とはいえ長としても民の心情を無視して話を決めかねているのか、加えて彼女自身にも思うところがあるらしく、決断を保留するように答えた。

 先程の反応からすると決裂にならなかっただけでもましといったところだろうが白瑛としてはできればこの場での決断が返ってくれば望ましかったのだろう。秀麗な顔をわずかに曇らせた。

 北方兵団の将は穏健派の白瑛だが、軍内部においてその白瑛の監視役という役職ゆえに好戦派呂斎が大きな発言力を持つからだ。

 一度で説得できればよかったのだが、ここで引くと降伏の説得に加えて軍を宥める仕事まで圧し掛かってしまうのだ。

 

 言葉の端々から戦争を引き起こそうという意志が感じられる呂斎のことを思うと白瑛の顔が陰るのも無理からぬことだった。

 

「あの……馬乳酒をお入れしましたので、中でゆっくりおはなししませんか?」

「トーヤ」

 

 そんな白瑛に黄牙の女性の一人が椀を載せた盆をもって近づいてきた。

 白い湯気を漂わせた白乳色の馬乳酒が注がれているようだ。周りの女性からはその女性を止めるような声がかけられるが、トーヤと呼ばれた女性は微笑を向けながら白瑛に近づいて椀を渡してきた。

 

「まあ、ありがとう」

「…………」

 

 一瞬、毒を警戒した光と青舜だが、白瑛はなんの警戒もしていないかのように微笑を返してその椀を受け取った。

 普段から無警戒というわけではないが、女性の様子から、そんな警戒など必要ないと微笑んだのだろう。

 

 

 

 トーヤという女性の言葉により、そのまま物別れとなりそうだった交渉は場所をテントのような家の中に移して行うことになった。

 テント内で会談するババと白瑛。数人の黄牙の民と青舜が互いの護衛として中に入り、光は周囲の警戒としてテントの外、入口の正面に立っていた。

 中に入れば外の様子が分からない。

 白瑛の来訪を侵略と捉え、殺気だっている黄牙の民が血気逸って、武装を揃え襲撃してこないとも限らない。

 その時にテントの中に居ては即座に反応できない。それゆえの警戒だったのだが

 

「…………」

「あ、アラジン……」

 

 先ほど白瑛に危ういところを助けられた子供が、なにか不思議なモノを見るように光をじーっと見上げていた。

 少し前まで、遠巻きに見ているだけだったのが、いつのまにやらその距離を縮め、今は光の和刀の殺傷圏内、すぐ足元近くにまで来ており、心配しているのか周りの大人が恐々と声をかけた。

 

 まだ10代前半といった幼い容姿。村の大人以外の人間が珍しいのかとも思えるが、着ている衣服や顔立ちなどから、当の少年自体がこの村の人間とは見えなかった。

 なによりも

 

貴方(・・)は……いや。何か用でも、童?」

 

 彼の本能がそれを告げていた。

 この少年は違う、と。

 

 それが言葉に表れかけ、言い直した光に、アラジンと呼ばれた少年は口を開いた。

 

「おにいさん。おにいさんのルフは、不思議な色をしているね。なんなんだい、それは?」

 

 子供の言葉に、光は驚いたように眼を開いた。

 光のそれは操気術を応用して体内の気の流れを操り巧妙に隠している。例えルフを見ることができる魔導師でも、並みの者であれば見抜くことはできないはず。

 

 だが、以前にもそれを見抜いた者がいた。

 

 煌帝国の神官 ジュダル。

 生命の根源たるルフと共にある魔導師の頂点たる存在だ。

 

「…………流石は―――っと言ったところか」

 

 小さな呟き。光の直感以上に、彼の本能がアラジンを知っているから。

 その呟きは小さく、アラジンには聞き取れなかったのだろう、首を傾げて見上げるアラジン。

 

「おにいさんは……」

「和国の特使 皇光。今は将軍旗下の剣客だよ、童」

 

 言いかけた言葉を遮るように、自らの名を明かした。その言葉にアラジンは納得したわけではないだろうが、興味が逸れたようで首を傾げた。

 

「ワ国? どこにある国なんだい?」

 

 素っ気なくしたつもりが、無邪気そうに見上げてくるアラジンに、光は溜息をついた。

 話をしていて警戒を怠る、というほど気が鈍ってはいないが、テントの中で白瑛が大事な話をしているのに、子供とおしゃべりをしている訳にはいかないのだ。

 

「ここから東。山の向こう、海の向こうにある国だ」

「へえ……海の向こうにある国か。見てみたいな」

 

 だが光は“アラジン”を無視するわけにはいかず、東の方を指さして答えた。

 遠く海を隔てた光の故郷。

 子供らしく冒険にでも興味あるのか、アラジンは遠い国に思いを馳せるように眼を輝かせた。

 まだ話したりないかのように口を開こうとしたアラジンだが、言葉を発する前にテントの幕が開き、中から白瑛と青舜が出てきたことで遮られた。

 光はアラジンから視線を外し、白瑛へと視線を向けた。見送りだろうか、白瑛たちに続くように長老たちも中から出てきた。

 

「白瑛」

「光殿。一度、軍に戻ります」

 

 決裂、というには酋長とその周りの者の顔には迷いが浮かんでいた。

 傘下に入ることに対し、はっきりと拒否という結論をだしたのであれば、流石に武力衝突になる公算が大きい。だが、明確に戦意を見せているようには見えなかった。

 

「チャガン殿。我らの志にどうかご協力を。貴公の賢明なご判断を願います」

 

 拱手し、礼を尽くす白瑛の様子から、どうやら話し合いは一度持越し、という形になったのだろう。

 黄牙の民の厳しい視線を受けながらその場を去ろうとする白瑛に光も続こうとし、

 

「お待ちくだされ。和国の王子殿よ」

「……今は特使ですが……何か? 黄牙の酋長」

 

 長に話しかけられて振り向いた。中の話し合いの際に白瑛から身分を聞いたのだろう。王子という肩書を口にした長に光は訂正を加えて返した。

 長の後ろでは大柄の黄牙の戦士が光を睨み付けるように見据えていた。そして長自身の眼差しもなにかを測るように厳しいものだった。

 

 見えぬはずの盲いた瞳は、常人には見えない世界の理を見つめているようにも思える。

 光の人となりを見測るように見上げた長の口が開いた。

 

「かつて世界統一を前に立ち塞がった貴国が、なぜ今になって帝国の世界統一に協力する気になったのでしょうか? よければお教え願いたい」

 

 問われた質問は、黄牙と和。二つの国家の昔と今とを問うものだった。

 変わらぬ伝統を守る国と盛衰を露わにする国。

 黄牙の者たちの眼差しを受けて、光は体を向きなおして答えた。凛とした眼差しを向けて。

 

「……今になってもなにも、遥か昔の先祖の意志など知ったことではありません。剣をもって襲い掛かってくれば剣をとるが、手を差し伸べてきたからその手をとったまでです」

「…………」

「それに、今はただ己が信念を貫くためにここにいるだけです」

 

 和の剣客としての生き方を。

 過去の栄光などではなく、ただ今を生きる者として、その意思と矜持を守るために。何があっても、自分の信念を曲げないために。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 結局、交渉は物別れに終わった。

 だが、長には長の考えがあるらしく、しばらく話し合う時間を設けるということで白瑛たちは集落を去った。

 

「黄牙の方は、降るでしょうか?」

「そう、願います……」

 

 軍営へと戻る馬上での青舜の問いかけに白瑛は祈るように答えた。

 話し合いで纏めねば兵を用いての平定になりかねない。例え今、血を流させたとしてもその先にある世界を築かなければ、異変が起きつつあるこの世界をまとめることなどできないのだから。

 

 だが、それ以上に、白瑛は先程の会談で黄牙の長に告げられた言葉に顔を暗くしていた。

 

「何か気になることでもあったのか?」

「…………」

 

 それを察していたのか、隣で馬を走らせている光が問いかけた。心配して、というよりも、懸念事項を全て吐き出させるための光の問いかけ。

 白瑛は、光の言葉にしない思いをくんで、数瞬目を閉じた。

 

「光殿。黄牙の集落に入る前に、奴隷狩りの件で何か言いかけていたことがありましたね」 

 

 瞳を開き、口を開いた。

 交渉の前、子供が暴れ馬から落馬するという惨状を防ぐためにうやむやになってしまったが、光は貿易中に得た情報で、黄牙に対する奴隷狩りに関して何らかの情報を得ているようだったのだ。

 

「聞いたか」

 

 まっすぐに向けてくる白瑛の瞳。そこに何か許しがたいものを知ってしまった覚悟のようなものを見て取り、光は短く問いかけた。

 内容を省いたその問いに、白瑛はしっかりと理解して悲しげに頷いた。

 

「……チャガン殿は直接には言いませんでしたが、光殿。あなたの様子からすると、その奴隷商人と通じているのは……」

「煌の者、か」

 

 黄牙の民、のみならず東方の奴隷を取り扱っているのは煌帝国の人間である、という情報。

 光の様子からそれを察することができるほどに白瑛は鋭く聡明だった。

 

「なっ! まさか! 信じがたいことです。そのような、陛下の威信を傷つける行為!」

 

 二人の会話に青舜が激したように声を上げた。青舜とて、幼いころから白瑛の傍に侍る従者だ。当然宮中において綺麗なモノばかりを見てきたわけではない。

 数日前まで阿るような態度をとっていた者たちが、あっという間に掌を返したように蔑む眼差しを送ってきたこともある。いや、今なお彼の姫である白瑛にそういった眼差しを向け、侮蔑の言葉を吐いてきている。

 

 それでも、理想をもって臨む自国の者が、その誇りを自ら傷つけるような行為を行っているというのは耳に快いものではない。

 

「だが、他国の方ではそういう噂が流れている。あの紅炎殿がそれに関与しているとは思わんが、一部の者が関与しているところまでは否定しきれん。もしもそれが真実で、軍内部に手引きしている者がいるのならば今の状況は好都合だろう」

「……好戦派の中に、手引きしている者がいる!?」

「可能性はなくはない」

 

 今の状況。大軍を率いて黄牙の村の近くまで来ているというこの状況で、奴隷狩りというのは好戦派にとって非常に好都合な状況だ。

 好戦派としては自分たちから仕掛けたくとも、将軍である白瑛がそれを容易くは認めない。だが向こうから仕掛けてくれば、防戦のためと、戦を始める名分が立つ。

 元々奴隷狩りに関与しているかどうかは別においておいたとしても、好戦派の者が、奴隷狩りを行う輩を利用するというのは事態を動かす一手としては十分にありえた。

 

 白瑛としては自軍を信じたいのだろう。だが、光の提示したことが事実であれば、彼女の信ずるものに対する大きな裏切りとなる。それは放置できない。 

 白瑛は秀麗な眉目を歪めて黙然とし、青舜は憤りの表情を浮かべた。

 

「そちらの方は、俺と光雲たちで調べておこう」

「当てがあるのですか? 軍が駐屯しているこの近隣で奴隷狩りが軽々に動くとも思えませんが」

 

 光の言葉に青舜はわずかに驚いた顔を向けた。

 

「協議に入っているということは軍全体に知れているだろう。何かが動くとすればなるべく早く動かざるを得ん」

「…………」

 

 たしかに青舜が懸念するように、動きを止める可能性もある。だが、今の状況は、“どちらにも”転ぶ可能性はあった。

 

 黄牙の民を傘下に収めるのを目前に、隠れる可能性。

 黄牙の民に牙を剥かせるためにあえて挑発する可能性。

 

 今までの少数民族に対してもその可能性がなかったわけではないが、黄牙の民は挑発の対象としては別格だろう。

 かつて世界に覇を唱えたという自負。そして因縁の和国の武人という存在。

 

 白瑛の掲げた理念を汚したい者にすれば絶好の標的となれる可能性がある。逆に黄牙の民が大人しく傘下に下り、状況を白瑛が知ればその保護に傾注することは容易に想像がつく。そしてそうなれば奴隷狩りを生業として黄牙の民を狙う者にとっては非常にやりにくいこととなる。

 

「黄牙の民の心には私たちに対する猜疑心が根付いています。それを何とかしなければ……」

「白瑛殿の方は、交渉が纏まるにせよ、決裂するにせよ、向こう方が出す結論に対して備えておいた方がいい」

 

 とはいえ、奴隷狩りの件と黄牙の一族が降ることとは、イコールではない。奴隷狩りの横行が黄牙を頑なにすることはあっても、奴隷狩りを止めたからといって彼らが降るとは限らないのだ。

 そしてその場合、どちらにしろ武力衝突という未来が待っているのが現状だ。

 血の流れる戦など起こしたくはない。

 だが、それでも将として、自身が選んだ理念のために、血を流すことを厭うことはもはやできないのだ。

 

「はい。よろしくお願いします、光殿」

 

 キッと顔を上げた白瑛の表情は先を見つめる将だった。

 

 凛とした眼差し。まっすぐな気の流れ。

 信念の揺らぎはなく、ただ、如何にして血が流れるのを防ぐかのみを見据えていた。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。