煌きは白く   作:バルボロッサ

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第2話

「ふっ!」

 

 黒い髪をたなびかせて放たれた斬撃は、彼女の持つ模造剣に比べて細身の木刀にいなされるようにして防がれた。

 剣先が流れ、わずかに体勢が崩れる。その隙を見逃さず、相手は素早い動きで木刀を振り下ろした。鋭い奇跡を描いたその斬撃はしかし、彼女の体にあたる直前で止められた。

 

「一本、だな」

「……参りました」

 

 木刀を収めるように引いた光が告げると、白瑛はわずかに悔しそうに負けを認めた。

 

 

 光が第4の迷宮を攻略し、白瑛と出会ってから、そろそろ2年が経とうとしていた。その間に煌は三国を平定し、煌は煌帝国となり、ついには広大な中原にまでその手を伸ばしつつあった。

 

 最初に白瑛とその兄たちが国使として訪れた要件は、やはり大陸の制覇に乗り出した煌と和との友好条約の締結のためだった。

 広大な中原を東方から西方に向かう陸と南方の海から攻める。そのために煌の東の海上に位置する和は、煌の後背を狙えるところに位置していた。

 

 武力をもって攻めるには、和の国の力は侮りがたく、しかも大陸とは陸続きになっていない島国ゆえ、大兵団の投入による制圧は難しい。

 ゆえに煌は、和と盟を結ぶことを選んだようだ。そのため、煌の皇帝唯一の娘であり、第1皇女である白瑛と和の王族 –現国王の第2子である、皇光 との婚姻関係を望んだのだ。それはかつてガミジンが問いかけたように光と白瑛とが許嫁となることだった。

 

 というのも現在、和の国の国王は光の父だが、実質的政務はその後継である嫡男の(せん)が担っている。そして彼にはすでに妃がおり、その子はまだほんの赤ん坊。それゆえ、年が近い未婚の王族で、ちょうどよく迷宮攻略者となった光が皇女と将来を誓うこととなった。

 すでに光は17歳。王族という身分を考えれば、そろそろ妃がいてもおかしくはない年齢だ。しかし一方の白瑛はまだ先日14歳になったばかり。皇族の結婚適齢期が早く、政治的な思惑があるとはいえ、当人たちにとって王族の責務としての自覚はあっても、あまり実感のわかぬことでも無理からぬことだろう。

 特に白瑛は最近武術の鍛練に入れ込んでいるらしく、国内ではお付きの女官を嘆かせているらしい。それゆえ、二人の婚姻も現在は許嫁という形をとり、輿入れはまだ数年先の予定となっている。

 

「随分と鍛練を積まれているようだな、白瑛殿」

「それでも光殿にかすりもしなかったではありませんか」

 

 幾度かの立会い。白瑛の剣技は、力こそ弱いが並みの兵のそれと比べると十分に才あるものだった。ただ3つ年上の、しかも迷宮を単独で攻略するほどの光の力には遠く及ばなかったようで、すねたように光を見上げた。

 

「さすがに馬術に続いて、剣でまで遅れをとるわけにはいかんからな」

「ふふ。それでは明日は遠乗りでも参りましょうか」

 

 おどけて言う光だが、もちろん馬術であからさまに劣っていたわけではないし、下手なわけでもない。しかし先日披露した白瑛のそれはまるで、馬と会話するかのように見事に馬と息の合った手綱さばきだったのだ。

 

「む。あまり白瑛殿を男勝りにしてしまうと女官殿から睨まれてしまうやも知れんな」

「あら。これでも裁縫という女性らしい特技も持っているのですよ?」

 

 少しむくれてみせる白瑛だが、その姿は2年前と比べると随分と女性らしさが増しており、黒い髪は腰ほどまで伸びつつある。

 

 政治的思惑から許嫁となった二人だが、その関係は冷たいものではなく、穏やかなものだ。ただ、少なくとも白瑛にとって、和の国の光は、来るたびに面白い話をしてくれ、武芸にも優れたお兄さんといった感じではあった。それは、彼以上に年の離れた兄に向ける感情とはいささか異なるものの、兄に比べ年の近い従兄に向ける感情と似ている。

 光と白瑛の従兄が、ともに武芸に優れている点や普段どことなくぼんやりとしている点がよく似ているのもそれに拍車をかけているのかもしれない。

 

「ほほう。つい先日、振る舞っていただいたお茶はなかなかの味だったが、料理の方もお得意なのですかな」

「あ、あれはっ! この国のお茶にはまだ慣れていなかったのです」

 

 年の割に武芸に優れ、聡明で長じれば誰もが羨む美人となるであろう白瑛だが、残念ながら女性らしい料理の腕にはあまり自信がないようだ。先日も光の家の者と親しくなって和の国のお茶を入れる練習をして、光に振る舞ったのだが、その味は味覚には煩くない光も思わず顔を顰めてしまうほどのものだった。

 落ち着いた雰囲気のある白瑛だが、料理の腕を指摘され、少し顔を赤くして抗議する姿は、年相応の少女らしさもあり、光は笑みをこぼした。

 

 

「はっは。そういえば、今回はご兄弟はともにいらしていないが、白龍殿の調子はどうですか?」

 

 からかうだけからかって話題をそらした光に白瑛は少し膨れたような顔を向けるが、弟の話となったことで、その話題に乗ることにしたようだ。

 

「まだまだ、幼い子供です。ただ、光殿の冒険譚に影響を受けてか、以前よりも鍛練に励むようになりました」

「ほう。それはそれは。今度来られた時が楽しみだ。白龍殿はたしか9歳になられたのだったかな」

 

 出会いから2年。半年に一度ほどの間隔で白瑛は和の国を訪れていた。約束通り、一度は弟の白龍を伴ってきたのだが、白龍は姉の傍から離れず、光に対して恐々とした、というよりも敵意にも似た眼差しを向けて、白瑛を困らせていた。

 ただ、白瑛から迷宮攻略の話を聞くことに思うことがあったのか、はたまた実際に姉の許嫁に会い、剣の稽古を受けたことになにかあったのか、国に戻ってからの白龍は、以前よりもしっかりと槍剣の鍛練に励んでいた。

 

「はい。友人の青舜も、白龍とともによく剣の稽古をしていて、最近ではどちらの腕が上かといったことから、どちらの背が高いかといったことまで競っております」

「はっはっは。白龍殿ならまだまだ大きくなられよう。いずれはご友人の青舜殿ともお会いしたいな」

 

 以前会った時の白龍はまだまだ背丈も小さく、おどおどと姉の後ろに隠れてしまうような少年だったが、友人と共に切磋するほど武を磨いているのであれば、光にとって楽しみが増えるというものだった。

 

「さて、少し中に入ってお茶にでもしようか」

「お入れしましょうか?」

 

 鍛練を行ったことによる喉の渇きもあるし、時間的にも休憩の頃合いだ。光が白瑛を誘うと白瑛は、少し前の意趣返しとばかりに答えた。

 

「ふむ。では、白瑛殿のお手並みを……なんだ? 少しおもての方が騒がしいな」

 

 あれから幾度か練習しているようでもあったので、切り返そうとした光だが、屋敷の表通りの方から慌ただしく駆けてくる人の音に、訝しげに言葉を途切らせた。

 白瑛とともに、視線を向けると、慌ただしく、光の兄である閃の秘書のような役柄の家臣が血相を変えて入ってきた。

 

「どうした、達臣(たつおみ)?」

「殿下、火急の用です! すぐに参内されてください!!」

 

 国政を担う兄の秘書らしく普段は理知的で穏やかな風貌の壮年の男 ―達臣―は、いつになく息を切らして、急いで膝をつき礼を失するほどの慌ただしさで用件のみを伝えた。あまりの雰囲気に光は眉根を寄せた。

 

「参内? ふむ……すまん、白瑛殿。なにやら急な要件が入ったらしい。悪いが」

「いえ! 練皇女様もどうか御同行ください!」

「えっ?」 

 

 要件は不明だが、尋常でない事態が起きたことを察した光が、中座することを白瑛に告げようとすると、それを遮って達臣は同行を促した。事態の推移に白瑛が驚きを示した。

 

「あ。では、支度を……」

「皇女様、一刻を争います。無礼は承知ですが、なにとぞお急ぎください!」

 

 先程まで中庭で鍛練を行っていたため、白瑛も光も城へ赴くには不釣り合いな様相となっている。白瑛が急いで支度をしようとするが、それすら時間が惜しいとばかりに、達臣は促した。

 だがいくら火急の用とはいえ、他国の皇女に強いる仕打ちではない。光が厳しい表情で家臣を睨み付けた。

 

「達臣。いかに火急の用とはいえ、内容も告げず、他国の姫にそのような無礼が通るはずなかろう! 呼び出しの要件を申せ!」

 

 ぼんやりとした雰囲気のある光だが、それでもこの国の王子の一人にして、迷宮の主ジンに認められる王の器の持ち主なのだ。叱責を受けた達臣は、膝をつき、顔を伏せたまま、肩を震わせた。

 

「も、申し訳ありません。で、ですが……」

「なんだ」

 

 今まで一度も見たことのない光の、王族としての姿に、白瑛は身支度をととのえることも忘れて、事態を見守った。

 

「私の口から申し上げられる内容では……なにとぞ、至急参内し、王と閃王子から……」

「……」

 

 苛烈に睨み付ける光の眼差しを受けながらも、それでも達臣は呼び出しの内容を告げなかった。

 それは光が見くびられているからではない。その証に彼よりもずっと年嵩で、国政において王からも兄からも信頼の厚い忠臣が伝令にされるほどで、その彼が蒼白になりながら告げることができない要件なのだ。

 そのことが分かっただけに、光は一層顔を険しくして、白瑛に向き直った。

 

「白瑛殿、重ね重ね申し訳ない。ですが、尋常ならざるほどの事態が起きているようです。無礼を承知でこのままともに城の方に来てはいただけないでしょうか」

「構いません。私の同行も、というなら、私が関わる要件でもあるのでしょう」

 

 他国の皇女の身繕いを蔑にしてまでの要請は、普通の事態ではない。そのことが事態の深刻さを物語っている。

 二人は顔を見合わせ、達臣を伴って慌ただしく城へと向かった。

 

 

 そして、そこで聞かされたのは、まさしく尋常ではない事態が、‘起きてしまった’という報告。いつまでも続けばいい。そう思っていた島国における穏やかな時間は、この時をもって終わりを告げたのだった。

 

 

   ✡✡✡

 

 

 

「煌皇帝が暗殺された!?」

 

 城についた二人は、そのまま慌ただしく王と兄の前へと通され、驚くべき報告を受けた。それは白瑛の祖国の皇帝。三国を統一した彼女の実の父親が、暗殺されたという報告だった。

 さしもの光も驚愕に声を上げ、白瑛は驚きのあまり口元に手をあてて、息を詰めた。

 

「間違いないのですか!? 父上、兄上!」

「……ああ。帝国に遣わしている魔導師からの連絡だ。数日前、煌皇帝が暗殺され、かなりの混乱が広がっているらしい」

 

 公の場ではほとんど父とは呼ばない光が、思わずそう呼んでしまうほど取り乱しており、兄はそれを咎めることなく受けた連絡を再度告げた。

 それを聞いて光はハッとしたように隣の白瑛を見た。その顔はいつもの肌の白さに加え、蒼白としており、なんとか跳ね回る動悸を抑えようと胸元に手を当てていた。

 

「白瑛殿」

「……だい、大丈夫です。申し訳ありません。取り乱しました」

 

 光に呼びかけられ、なんとか体裁を取り繕った白瑛は、血の気の引いた表情で王たちに頭を下げた。それを受けて、しかし王と閃は険しい表情のままだ。

 

「では、私に帰還命令が出ているのですね」

「……はい。皇女殿下の帰還要請は下っており、わが国にも送還要請が来ております。しかし……」 

 

 自国の王、実父が亡くなられたのだ。当然白瑛に帰国命令は出ているだろう。だが、それを認める閃の口調は鈍く、光が視線を向けるとふっと目を逸らした。

 

「事態はそれだけではないのです、姫」

 

 なにかを思案するように眼を閉じていた王が口を開くと共に、険しい表情で告げた。

 

「それだけではない、とは? 皇帝が暗殺されたほかに何かあったのですか!?」

「……皇帝の暗殺はおそらく、敗残国の兵士の仕業ではないかと宮中で話されているそうです。そして」

 

 急き立てるような光の言葉に閃は躊躇いがちに報告の続きを口にした。

 

「先程報告をしてきた魔導師によると、昨晩、宮殿で大火があったそうです」

 

 

 ドクン、と凍えた心臓が跳ね上がった音がした。

 この話の続きは、先の知らせと同等に、いやそれ以上に事態を、運命を変えていく。そんな予感があった。

 

 

「その火事で、練白雄皇子、白蓮皇子の両皇子が亡くなられたそうです」

「!!?」「なっ!? 白瑛っ!」

 

 皇帝である父が暗殺され、皇位継承権第1位と2位である皇子の兄二人が火災に遭う。まさしく尋常でない事態に白瑛は地面が揺らいだようによろめいた。驚愕した光だが、隣の白瑛が倒れそうになることに寸でのところで気付き、その体を支えた。

 

「お兄様たちが、そんな……」

 

 あまりの報告に白瑛は信じがたい思いで数瞬、自失した。しかし、報告にない二人の家族の名を思い出してはっと顔を上げた。

 

「白龍は! 弟の白龍と母上はご無事なのですか!?」

 

 王に対して声を荒げて詰問するというらしからぬ態度だが、光も閃もそれを咎めようとはしない。それほどまでにこの報告は白瑛にとって重大かつ過酷で、光たちにとっても重い意味を持っていた。

 

「玉艶皇后は幸いにも宮殿を離れておられたらしく、難を逃れたそうだ。そして白龍皇子は……」

 

 腕の中の白瑛の体が凍えるように冷えており、震えているのに気づいた光だが、差し伸べる自身の手もまた震えていることに気づいていた。閃は二人の様子に何も言わず、ただ報告の続きを述べた。

 

「なんとか火災より逃れたが、かなりの火傷を負われたらしく、報告のあった段階では治療中とのことだ」

 

 白瑛はなんとか気持ちを静めようと胸元でギュッと両手を握りしめ、光は気遣わしげな眼差しを白瑛に向けた。

 

「大丈夫です。すいません光殿」

 

 なんとか持ち直したのか白瑛はすっと光から身を離し、未だ蒼白な顔ながらも皇族としての顔で王へと向き直った。

 

「お見苦しいところを、申し訳ありません、王」

「いや、無理からぬことだ。私とて信じがたい」

 

 報せが報せだけに、取り乱した白瑛の態度を王は咎めず、険しい表情のまま、わずかに気を遣う眼差しを向けた。

 

「皇女殿下。このような状況下で申し訳ありませんが、こちらとしても直ちにあなたを煌国に送らねばなりません」

「はい」

 

 今の白瑛の精神状態は非常に危うい。卒倒してもおかしくはない顔色をしているのだ。だが、事態はそうのんびりとしていられる状況ではない。

 まだ成人前の女性とはいえ、白瑛も皇位継承者の一人なのだ。ましてそのトップ二人が亡くなった以上、国内に彼女がいない時間が長引けば長引くほど立場は悪化するだろう。

 

「至急用意を整えます。2、3日……いえ、明日までには煌への船を整えます。皇女殿下もご出立の用意を」

「はい、ありがとうございます」

 

 漁船を出すのではない。他国へ渡る船を用意するのだ。通常であれば1日どころか3日程度で準備を終えられるはずもない。しかも現状での白瑛の立場を考えれば、万に一つもあってはならないし、非礼な船を準備するわけにもいかない。だが、それでも、急がねばならないほど事態は切迫していた。

 

 眼前に両手を掲げる煌国式の礼をとって辞去する白瑛に、光も随行しようと踵を返す。だが

 

「光は少し残りなさい」

 

 その足は父である王の一言で止められた。光は苛立たしげな表情を隠そうともせず、王へと振り向いた。

 

「申し訳ありませんが、白瑛殿をお送りせねばなりません」

 

 普段の穏やかな態度や父王に対する礼など微塵も想定しないかのような言葉に、閃は少し顔を暗くする。

 

「光、残りなさい」

「彼女の護衛のためです。すぐにまた参内します」

 

 国内で皇族が立て続けに亡くなったのだ。しかも皇子二人も他殺である可能性が非常に高い。まさかとは思うが和の国内に、白瑛の命を狙う刺客が放たれていないとも限らない。いや、もしかするとお付きの中に紛れ込んでいる可能性すらあるのだ。

 

 現状、白瑛は皇位を継ぐ可能性のある有力人物なのだ。国内で万一のことがあれば、両国にとって致命的な事態になりかねない。だからこそ、彼女の許嫁であり、迷宮攻略者である光自身が護衛につくのが、最も安全な方法であり、なにより今の彼女を置いておくことなどできない。しかし

 

「残りなさいっ!!」

 

 兄の声は、先の事態にも劣らぬ切迫感をもっていた。その声に光は忌々しげに足を止め、控えていた達臣に振り向いた。

 

「達臣。直ちに白瑛殿に護衛をつれていけ」

 

 苛立ちを隠そうともしない声で命じ、耳元に顔を寄せた。

 

「女官や白瑛殿からもなるべく目を離すな。屋敷までの道、屋敷。俺が行くまで誰も近づけるな」

 

 国内の臣下や護衛の者が信頼できないわけではない。だが、それだけ、光にとって白瑛の身は大切なものとなっていた。

 光の命に、達臣は頷きを返すと、一礼して王の前を辞した。白瑛はすでに辞去しており、急いでその後を追ったのだろう。

 

 

「…………」

 

 告げられる要件がなんのことか察していた光は、睨みつけるような眼差しを兄と父にぶつけていた。

 閃や王にとって、兄と父として、そして国にとって、白瑛と光が仲睦まじいことは歓迎すべきことだった……つい先ほどまでは。

 それが分かるだけに、閃はこれから告げなければならない内容に陰惨たる思いを抱いていた。

 

「光、現状は認識しているね」

「……はい」

 

 それはただの確認だった。王子として、光は閃に劣らぬ聡明さを持っているし、なにより、ジンに認められるほどの者だ。

 

「彼女の皇位継承権は高い。だが、今この瞬間に、彼女が煌国内にいないことは、致命的だ……何者かの意思が介入していたとしか思えないほどに」

「…………」

 

 皇帝、そして二人の皇子が立て続けに亡くなり、もう一人の皇子は現在安否不明。国内や宮廷の混乱は未曽有のものだろう。わずかでも皇帝の座を空席にする予断などない。

 

「おそらく、皇帝には皇太弟、紅徳が就くはず」

 

 現皇帝、いや前皇帝には弟が一人いる。武勇に優れ、機智に富む兄とは異なり、暗愚とも言われているが、拠り所となるものが不在の状況ではほかに道はない。

 まだ幼いものの白瑛が国内に居れば、事態は異なったかもしれない。もっともその場合は、白瑛自身の命が危ぶまれていたのだが。

 

「現皇太弟には、子息が多い。特に嫡男の紅炎は、戦略に優れ、お前と同じく迷宮攻略者となったという報告もある」

「紅炎殿……」

 

 白瑛から彼の話は幾度か聞いていた。従兄に光とよく似た人がいる、と。そして、最近になってだが、煌に出現した迷宮を攻略し、その力をもって戦場に立っていると。

 

「またご息女も多い。煌と和との関係を考慮すれば」

「兄上。私は、一刻も早く、白瑛の護衛に就かねばなりません。迂遠な言い回しは時間の無駄です」

 

 ゆっくりと現状を整理するように告げる閃の言葉を、光は強引に遮った。その言葉に閃の顔からすっと表情が消えた。そして、

 

「光、皇女が煌に帰国され次第。通達があると思うが、お前と皇女の婚姻関係は白紙となる」

 

 白瑛と光の婚姻を進めていたのは煌における前皇帝の勢力だ。なるべく対等の協定を結ぶための条件として、未婚の皇族、王族で最も格のある二人が姻戚を結ぶことになっていたのだ。協定はともかく、両国の対等な関係を崩さないようにするためには、少なくとも次の皇帝の直系の皇女が和の王子と結婚する必要がある。

 

「……要件は以上ですか?」

 

 そんな現状ならば、混乱した今の状態でも察することができるほどに、光は聡明で、しかし頑迷でもあった。

 

「光」

「それまでならば、護衛に就きます」

 

 感情を消したような顔で返答した光に、兄が呼びかけるが光は聞く必要がないとばかりに、踵を返そうとした。

 

「光、もう少し待ちなさい」

 

 それを留めたのは、父の深みのある声だった。その声に光は振り返り、苛烈な色を灯した眼差しを向けた。

 

「国王。たしかに俺は、国の思惑から彼女と許嫁となった。そのことに不満はないし、両国の関係も分かる」

 

 初めて会ったときはまだ、小さな妹のような娘だった。来訪の理由はなんとなく分かっていたから、きっと不安な思いや怖い思いをしているだろう。だから少しでもそれを和らげてあげようといろいろ考えた。

 親密な国交を結ぶのなら、この国を好きになってもらいたい。そう思っていた。

 

 だが、

 

「それでも、俺は彼女自身を見て、道を選んだ。他者から示された道だろうと、ほかに選択肢がなかったといえど、選んだのは俺だ!」

 

 出会った彼女は聡明な娘だった。痛いほどにまっすぐで、強くあろうとして、それでもその本質は優しい娘だ。

 冒険や和の国の話に面白そうに眼を輝かせ、

煌の国の話に、戦争の話に瞳を曇らせ、

 

 世界の、民の平穏を望む、優しい人だ。

 

「選んだからには違えない。彼女の立場が弱くなるというなら、その分俺が強くなる。相手が人だろうと、迷宮攻略者だろうと、この思いは変わらない!」

 

 直系ではない皇族との婚姻をそのままにすれば、煌と和との対等な関係は崩れるかもしれない。和が格下とされるかもしれない。

 いや、もしも前皇帝の親族を暗殺したのが、外部の者ではなく、国内の政情からなら、白瑛の立場は一層危うく、両国の関係悪化につながるかも知れない。

 

 

 それでも、

 

 彼女を見放すことだけはできない。

 

 あの優しさを隣で見て居たいと思った。

 あの真っ直ぐな姿を支えたいと思った。

 

 彼女を、選んだのだ。

 

 

 光の激高した様子に、閃は冷たい眼差しを向け、二人の間に一触即発の空気が流れ、父王は深々と息を吐いた。

 

 最近では政務に関わることが多くなったとはいえ、閃も国内では指折りの剣士だ。光との実力差はほとんどない。もっとも、光がジンの力を -今まで一度も、だれにも見せたことがない迷宮攻略者としての力を- 見せるのならば別かもしれないが、その場合、ここはまさしく戦場となるだろう。

 

「光、それが、お前が選んだ決断なのなら。それを最大限尊重しよう」

「国王!」

 

 今まさに、二人の王子がぶつかりそうなほどに緊迫感を高めている中、それを鎮めたのは父の一言だった。光はわずかに驚いたように目を見開き、閃は咎めるように声を上げた。その閃に対して父である王は、軽く手を上げて言葉を制した。

 

「光は迷宮攻略者だ。こちらが望めば、煌もそう悪いようには扱えまい」

「……」

 

 最も無難な選択肢は、一度婚姻関係を白紙に戻し、協定を結ぶのであれば改めて煌側から縁談の話を受ければいいのだ。

 元々、協定自体、持ちかけてきたのは煌の方だ。ここで協定がなくなれば、戦線を西に移行し、国土が肥大化している煌の方がむしろ困るだろう。

 

「だが、その道を選ぶのなら、光にも伝えておかねばなるまい」

「?」「父上っ!」

 

 王の話が、わずかにずれたことに光は訝しげな眼差しを向け、閃は堪えきれず咎めるような声を上げた。

 

「光。先ほどは姫の手前。姫の身の安全のため、敗残兵の仕業という風に言ったが、一連の流れを見るに、我々は事態をそうは見てはいない」

「……」

 

 暗殺の件に関して、父王は、いや兄もまたなんらかの答えを得ているのだろう。そのことに、そしてそのことを白瑛に伝えなかったことに光の顔は険しさを増した。

 

「いや、そもそも、私は煌の……帝国の建国の件についてもそうと睨んでおる」

「父上?」

 

 なにか、おかしな言い回しだった気がした。今、父王は煌という国を、あえて帝国の建国の件と言い直したのだ。

 

「帝国の建国と、大陸の中原における戦乱の拡大。そして迷宮攻略者の出現と世界に起き始めた異変。私は、これをある組織が絡んだ出来事ではないかと見ておる」

「ある組織、とは?」

 

 国の成長から大陸の戦火、そして人ならざる力の迷宮に関してまで、それを一手に操っているとした途方もない規模と力をもつ組織だろう。重々しく語る父王の言葉に、光も激高した頭を冷やし、促した。

 

「名は分からん。ただ私は八芒星の組織と呼んでおる」

「八芒星……」

 

 その文様には覚えがあった。あの日、迷宮を攻略し、強大な力を宿した愛刀に刻まれていた文様が8つの頂点を持つ星の印だったのだ。

 

「お前が攻略した迷宮との関係は不明だ。それが、組織の手によるものだとは思っていない。だが……まったくの無関係ではないだろう」

 

 白瑛の隣に立つことを決めたのと同様、あの迷宮を攻略し、そのジンを従えることを決めたのもまた、光自身の決断だ。国のためならいざしらず、それが何者か分からぬ輩たちの、しかも平穏を乱そうとしている者たちの誘導によるものだとしたら、気分のいいはずがない。

 

「それゆえ、私はあえて煌との協定を結んだ……かの組織のことを知るために。光、あの組織は、あらゆる姿をもって、国へと近づき、なんらかの方向へ、争いを起こす方向へと導いてくる」

 

 

 この時はまだ、父王の語る、その強大な力に挑むだろうことを感じていながらも、翻弄する運命を、その逆流する流れを、知る由もなかった。

 ただ、

 気をつけなさい、と忠告するその言葉を聞きながらも、胸に抱いた思いは違う方向へと進んでいた。

 


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