普段シリアス成分を多めにしているので、今回はコメディ率高めです。
その赤を知る前
私には世界の全てが虚ろに見えた。
西大陸最大の版図を誇る大国、レーム帝国。豊かなこの国において貴族という階級に生まれた自分は、生活する上では何不自由なく過ごすことができた。
高い教養を授かることもでき、また若くしてそれを多方面に活かすことができた。
レームの文官における重鎮の一人である父。その嫡男である自分ににじり寄る者は多かった。
恵まれた生活。国民に対しては保障の整ったレームという国にあって、有数の貴族であるのだから、生きていく上では何不自由はない。
だが、不満はあった。それは傍から見れば、どうということもないものだろう。
例えば人付き合い。
特に父が心血を注ぐ政治とやらにおける人付き合いなどその最たるものだ。
あのようなものになぜあれほどまでに感情を傾けられるのか不思議で仕方ない。
腹の中の黒いイチモツを隠してどいつもこいつも似たような笑顔を貼りつけるやりとり。口からでてくるのは一見綺麗に聞こえて、一皮下には虫が蠢くようなものばかり。
あんな伏魔殿での人付き合いなど関わりたくもないものだ。
だが、残念ながらそうもいかない。
とばっちりは私にも容赦なくやってくる。例えば父に連れられて出席した夜会。ひどく退屈だったそれなど、その最たる厄災でしかなかった。
かつての私には……
夜会で出会う人はどれも同じ顔に見えた。
似たり寄ったりのハリボテの笑顔を張り付けた道化のような人たち。もっとも、そんな道化を演じることが政治の世界で、この世界で生きていく上では都合がよかった。
見るのもうんざりする笑顔を同じように張り付けて、過ごしていた。
自分で為したのではない富と権力、そして僅かながら知られはじめてきた私自身の名声に惹かれてくる者たち。適度に相手の自尊心を満足させるような言葉を吐いて、気持ちの悪い笑顔を浮かべていれば、それだけで適当に過ごすことができた。
咽るほどの花の匂いを身に着けてすり寄る女も多くいた。その顔には、やはり見分けのつかない気持ちの悪い笑顔があった。
色のない世界。
その中で僅かながらも楽しみがあるとすれば、研究をしているときだった。
「調子はどうかしら、レオルド」
「シェヘラザード様……このようなお見苦しいところに」
レームの最高司祭であるシェヘラザード様の肝いりで進められていた“化学”。
いずれ来る東大陸の煌帝国や七海連合との戦いのための兵器の開発。
それをしているときは、わずかながら、自分の“生”を実感できた。
自分の考えや功績が、国に、世界に爪跡を残す。家名とは無関係に自分の名が世に知られる。
色の無い世界で、それが唯一、自分が世界に生きていることを告げていた。
乱雑に散らかった研究室に足を踏み入れたのは幼く見える少女。地に着くほどに長い髪。薄手の衣を纏い、手には身長よりも大きな杖がある。彼女こそ、200年にも渡りレームを守護し、導いてきた最高司祭。シェヘラザード様だ。
部屋の散らかりようには意に介さず、私の手元にある開発中の兵器の図面を覗き込みに来た。
「申し訳ありません。滑空状態であれば利用は可能そうなのですが、どうしても最初に箱体を浮かせることできず……」
シェヘラザード様は、世界でも数人しかいない魔法使いであるにもかかわらず、なぜかその魔法を使わない、人の力による発展とやらを説いておられる。
私には父譲りの政治の才もあるらしいのだが、どうやら工学に関しても秀でているらしい。
現在作成しているのは魔法を使わずに空を飛ぶための箱だ。
なんでも東の煌帝国には迷宮道具という不思議な道具があり、その中には空飛ぶ絨毯などというものもあるそうだ。
御力を見せることはあまりないためよくは知らないが、200年を生きるというシェヘラザード様の御力をもってすれば、そのような道具を作ることもできるはずなのに、この方はそれをしない。
曰く「自然に発展するのがいいのだ」とのことだ。
なんとも回りくどいことだが、おかげで人の顔をうんざりしながら見なければならない政治から少しばかり離れる口実ができるのだから有難いことだ。
だが最近はその研究もあまりうまく行っていない。
人を乗せ、空を飛ぶことができる箱。
現在開発中の“爆発を起こす壺”と合わせれば魔法や金属器という限られた者しか使うことのできなかった空からの強力な攻撃が一般の兵士にも可能になるものだ。
だがこれがなかなかに難しい。
風を捕まえれば、ある程度浮いていることもできるのだが、浮き続けることは難しい。しかも最初に風を捕まえるのが大きな制約となってしまい、これではとても戦場に出すことなどできないだろう。
机の上の図面と睨めっこして、何か別の方法はないものかと思考していたが、不意に頭を撫でられて思索が中断した。振り返ると少女のような外見の、とっても偉い司祭が手を伸ばして私の頭を撫でていた。
「あまり無理をしては駄目よ、レオルド。ずっと研究室に籠りきりと聞いたわ。たまには街に出て楽しんできたらどう?」
「はぁ……しかし、街での娯楽など剣闘士や賭博のような下賤で低俗なものばかりで……」
まるで子供でもあやすかのような口ぶり。
大人や政治家との付き合いで、対人関係を滑らかにするやりとりは聊かばかり心得ているものの、10歳前半ほどの外見の少女からの慰めに不敬にも間の抜けた返答を返してしまった。
父などは、彼女の外見と中身のギャップに慣れているだろうが、父たちの半分にも、彼女と比較すれば10分の1ほどしか生きていない身の上では、慣れぬのも仕方ないだろう。
「そんな言い方をしてはムーたちが悲しむわ」
「失礼。しかし、シェヘラザード様も剣闘士のような娯楽は御嫌いでしたよね」
思わず本音をこぼしてしまった自分に、シェヘラザード様は窘めるように言った。
その口ぶりは剣闘士として戦っている人たちが悲しむというよりも、まるでご自身が悲しまれているようにも聞こえた。
剣闘士、剣奴。奴隷。そうしたものの存在を快くは思っていないのだろう。思っていなくても、発展のためには必要だ。そうした割り切りの中でもがくのも、また必要な葛藤なのだろう。
「そう、ね……でも、私は好きよ。この国の子を見るのが。この国で生きる皆の姿を見るのが」
大きな相違。
人の世を疎ましく思う自分とは異なり、彼女は人の世を、この国を大切に思っているようだ。
200年も続く生。
こんな色の無い世界を200年も見続けるなんて苦行。自分には到底できない。
結局、研究室に籠っていてもいい案は浮かばず、気分転換代わりに外へとでた。
出たはいいが、色褪せた世界で見るモノなどなかった。
たまたま闘技場に行ったのだって、シェヘラザード様の言葉が少しだけ頭に残っていたからだ。
だが、そこで――
――私は出会ってしまった。
生物種として圧倒的に不利なはずの体躯の差。
そんなものなど無関係に、ただ狩る者として存在する者があった。
戦いという場において、鮮烈に輝く色は赤。
そのしなやかな脚が地を蹴ると、小さな体は赤い軌跡だけを残していく。
その細い腕が振るわれると、人を食う猛獣は狩られる立場を明確にしたように赤い血を流す。
戦いが始まる前には、気怠げに色の無い世界を眺めるようだった顔は、戦いの中において眩いばかりの生を実感していた。
赤く輝くその生は、どんなものよりも生きていることを体現していた。
✡✡✡
あれから数日。
研究の中でも、ふと鮮烈な輝きを思い出すようなことがあった。
「……ルド。レオルド!」
父に呼びかけられて、物思いから回帰した。
「すいません、父上。どうされましたか?」
「どうされましたか、ではないぞ。今日の夜会、お前ちゃんと分かっているのだろうな?」
話の内容は、いつものくだらない夜会のことだった。
人付き合いのためにその場で“遊んで”こいということだ。
「大丈夫ですよ父上」
自分としても、くだらないながらもとりあえずやりたいようにするためには、退屈ながらも人間関係とやらを円滑にしておかなければならない。
心と表情とを切り離して世を渡る。
それは生きていくうえで当然の行為だ。
「まあお前なら心配いらんと思うが。今日の夜会にはアレキウスの子飼いの奴隷が出てくるとも聞いておる。気をつけろよ」
「アレキウス家の奴隷、ですか……?」
「ああ。イグナティウスのやつの息子だ。以前から似たような面の奴隷どもをかき集めていたようだが……忌々しい」
アレキウス家はレームにおいて武門の名家だ。
現在の当主、イグナティウス・アレキウスもまた数々の武功を上げ、迷宮攻略という華々しい戦果をもって軍最高司令官の位についている。
イグナティウス様が迷宮攻略したというのもあるが、アレキウス家はシェヘラザード様の覚えが非常にめでたい。なんでも彼の家は昔シェヘラザード様が選んだ初めての王の器の末裔であるそうだ。
文官を多く輩出する当家とは対照的で、父は一方的に彼を敵視している節がある。
だが、いくら文官の名家の者が嫌っていても、彼を認める最大の後ろ盾が、彼を迷宮に誘った最高司祭ではたてつくわけにはいかない。
そのため、研究という功績においてシェヘラザード様の覚えめでたい自分に、父は強く期待しているらしい。
「イグナティウス様の子息というと……ムー様ですか?」
「所詮は奴隷の血だ! 野卑な娘も居るそうだが、近づくのならばムー・アレキウスにしておけ。忌々しいがアレはアレで使い道のあるヤツだ」
ガンッと机を叩いて憤る父だが、その様は無様とも言えた。
奴隷、というのはおそらくムー・アレキウスが貴族の出自でありながらファナリスという少数民族の ――奴隷狩りによって少数になってしまった民族の血を引いているからだろう。
だが彼には紛れもなく貴族の血が流れているし、若くして重鎮の者たちと渡り合えるだけの聡明さを持ち、歴然たる武功としての功績を残している。
内心で「そんな卑屈な器だからあなたの代で当家は失墜していっているのですよ」と皮肉りながら、表面上では期待に応えるように適当な返答を返していた。
✡✡✡
夜会ではやはり、いつもと同じような顔ぶればかりが自分の周りにはいた。
同じような笑顔を貼り付け、文官の名家という名声にすり寄ろうとする。
だが、少し離れたところで、目を引く人が一人だけ居た。
引き締められた肢体。背中まで届くほどの髪。切れ長の瞳は、今は温和そうな雰囲気をつくっており、丁寧な応対は並み居る貴族と渡り合っており、貴公子然とした振る舞いに暇を持て余した剣闘士好きのご婦人方が熱を帯びたような視線を向けている。
長い髪。
その色は、数日前に見た輝きを思わせる赤だった。
数日前見た“彼女”よりも背が大きく、性別も異なるが、彼を見ていると輝きを思い出してか、不思議とそこだけ色づいたように見える。
少しそちらの方に意識を向けて、聞き耳を立ててみると、どうやら彼こそが、アレキウス家の子息、ムー・アレキウスらしい。
牽制のつもりか、皮肉でも言いに行ったのか、父が彼に近づき、気持ちの悪い笑顔を浮かべて話しかけている。
途端に色褪せた視界の中で、ムーは笑顔で父に応対しているが、色が褪せるのと同じように興味も萎んで視線を外した。
貴族方やご婦人方の相手を適度にしつつ退屈感が増してきたころ。ふと、視界に赤が映り込んだ。
—―彼女だ――
闘技場では遠目だったが一目でわかった。
剣闘士として戦っていた彼女がなぜここに。とも思ったが、あのムー・アレキウスも闘技場で戦うことがある、というよりも大人気の剣闘士だそうだ。
特徴も似ているし、ひょっとしたら彼女が父の言っていたアレキウス家の奴隷なのだろうか……?
いや、それとも彼女がイグナティウス様の娘なのだろうか?
今はどこぞの貴族の男性の話し相手をしているが、レーム貴公子ぶりが板についている兄とは異なり、夜会の場には慣れていないのか彼女の笑顔は固い。
他の婦女と同じように笑顔を貼り付けているが、強張り気味のものだからか不思議と興味がわいて少し眺めてみた。
杯を口に運ぶ手つきには洗練さが乏しく、ぎこちない。
闘技場で見たときと髪型が違うが、それが気になるようでしきりに頭を掻こうとして、髪が乱れるのを恐れて手が止まるといった行動を何度もしている。
何を話しかけられているのか、それとも男性の向けてくる視線に混ざる好色なものが気に食わないのか、強張っていながらもなんとか笑みを作っていた口元が、はた目にも微痙攣したようにひくついていっている。
貼り付けた笑顔が剥がれ落ちて、剥き出しの生が現れようとしている気がした。
――面白い――
失敗はしているが、同じように貼り付けた笑顔なのに、なぜ彼女の笑顔は面白いのだろう……?
会話の内容を聞いてみたくなって、近づこうとしたその時。
バリン。と彼女が手にしていた
「うわっ! 杯が壊れ、冷たっ!」
中にはまだ葡萄酒が入っていたのだろう。液が飛び散り、彼女の白い装いだけでなく、話していた男性も被ることとなった。
瞬間、彼女は“しまった”という顔になった。
「す、すまないのだ。えっと……」
慌てた彼女は、キョロキョロとあたりを見回し、手近なところにいた給仕の奴隷から布を受け取り、ふき取ろうと手を伸ばした。
だが
「痛だだっ!! なにす、ぐはっ!!」
ごしごしと布を顔面に押し付け、容赦なくふき取ろうとする彼女の力に男性が痛みに悲鳴を上げた。彼女の行動を無礼ととったのか、男性が怒って無理やり彼女の腕に掴みかかり、次の瞬間には吹きとばされた。
「うわぁっ!! すまないのだっ!!」
おたおたとして取り繕おうとしようにも、がくがくと男性を揺らす様は、まるで不埒者に止めを刺さんとしているかのようにも見える。
「…………」
生きている。
仮面だらけでまるで色のない世界の中で、彼女はまるで生を体現しているかのように見えた。
隠そうとしても隠しきれない自己という存在。
あっさりと隠れてしまう小さな自分とはまるで違うもののように見えた。
気づけば我知らず口元が緩んでいた。
世界が色づいて見える。
鮮烈な赤が、世界を華やかに見せてくれる。
彼女と話がしてみたい。
人付き合いなど極力避けたい私が、珍しくそう思った。
騒ぎを聞きつけてムーがやってくると、彼は二言三言、彼女に言い聞かせるように話すとがっくりと気落ちした彼女の肩に手をおいてその場を引き受けた。
落ち込んでいるのか彼女は夜会の華やかなところから離れてバルコニーの方へと歩いて行った。
✡✡✡
「やってしまったのだ……」
先程の無様を思い出して彼女はしょんぼりと萎れていた。
夜会には今までも数度出たことがある。
だが、そのいずれも自分は失敗してしまっていたのだ。
簡単な皮肉に反応し、兄の悪口にムキになり、夜会という場で“お上品に”女性に触れてくる優男を吹きとばす。
レームの名門・アレキウス家。
もっと頑張って自分を抑えて、その家名に相応しい上品な態度を心がけなければいけないのに上品に振舞わなければならないというのは分かっているのに、どうしてもそれができない。
アレキウス家の、皇帝やシェヘラザード様の威光のおかげで、同胞たるファナリスを、奴隷となっていた彼ら、彼女たちを解放することができた。そして兄さんはファナリス兵団として同胞たちを纏め上げ、レームの堂々たる軍団として立場を守ろうとしている。
社交の場での自分の態度如何で、その大切な同胞たちの扱いが変わるかもしれないのだ。
自分の不甲斐無さに彼女はぎゅっとバルコニーの欄干を握り締めた。
「お一人ですか?」
声がかけられた。
振り向くとそこにはレームの貴族らしく金髪の男がいた。優男で、兄さんやファナリス兵団のたくましい筋肉など微塵もないもやしのような男だ。顔には夜会に出席する男に特徴的なつくったような笑顔が浮かんでいる。
「そう……ですわ」
正直なところ。
先程の件でかなり落ち込んでいるのだからそっとしておいてほしかった。
だが、落ち込んでいる場合ではないのだ。
夜会はまだ続いている。アレキウスの娘として恥じない振る舞いを続けなければいけない時間はまだ残されているのだ。
どうやら男は先程の不幸な
レームの貴族の優男など、どいつもこいつも、ちょっとファナリスとしての力を見てしまうと腰を抜かして離れて行ってしまうから。
だからこそ、このように話しかけてきた相手を無下に扱うことはできない。
男は彼女の内心に気付いていないのか気付いているのか、貴公子然とした微笑みを浮かべながら彼女の隣までやってきた。
少し棘々した思いを隠し切れないまま見返すと、男はくすりと笑った。
「レオとお呼びください。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
察しの悪い男だ。
不機嫌なのだから放っておいてほしいのに。
ただ、無礼な振る舞いはできないし、どうせやってきたのは向こうからなのだからこの際、貴族の振る舞いの練習台にでもしよう。
そう割り切って彼女は自らの名前を返した。
「みゅ、ミュロン・アレキウスなのだ!」
練習と割り切りはしても、いやある意味、練習だからこそ緊張しているのかミュロンと名乗った彼女は少し噛みながら自分の名前を言い切った。
「ミュロンさん、ですか……なるほどイグナティウス様のご息女でしたか」
レオと名乗った男は武門の名家として名高いアレキウス家の子女の名を覚えているほどには政治に詳しいのか、ミュロンの父の名前をだした。
「そ、そうなのだ!」
「お噂はかねがね」
つい家名を名乗ってしまったが、いきなりハードルが上がった。
見知らぬ貴族だからこそ、練習にちょうど良いと思ったのに、アレキウス家という名家の色眼鏡をかけられてしまえば、求められる振る舞いのハードルが断然に跳ね上がる。
しかも“お噂”とはなんなのか。
もしや自分の失敗談は、貴族の間で噂に上るほどに知れ渡っているのか。
上がってしまったハードルとは逆に、自らの無様さを思い返してミュロンは頭に血を上らせかけた。
だが
「大層美しい方が居られるとお噂をお聞きしたことが。いや、想像していた以上にお美しい」
「んなっ!!?」
別の意味で顔が真っ赤になった。
正直、そんな挨拶をかわす夜会に憧れはあった。
だが、ファナリスの代名詞ともいえる赤毛を見れば、美しさとは別のものを即座に連想されて、夜会でその挨拶がでてきたことは今までなかった。
しかも普段周りにいるのは、粗野な振る舞いばかりする困りものの脳筋などなど。
耐性のないところへの不意打ちに、ささくれ立っていた心が変な方向にはね飛んだ。
隠したつもりだったが、驚きが顔にでも出ていたのかレオは面白そうに「ふふ」と笑った。
「たしか剣闘の試合にも出場されておられましたよね」
「むぐっ!! そ、そうなのだ。いや、そうですわ! 僕もファナリス兵団の団員ですから」
「いつも出ておられるのですか?」
「そ、そんなこともないのだ! あの時は……偶々、そう偶々団員に勧められて出ただけなのだ!」
嫌なところを見られて、しかも覚えられている。
ファナリス兵団の団員の一人である脳筋に勧められて出場した剣闘試合。
夜会の失敗続きに加え、ファナリスとしての力を思うように振るえない鬱屈を晴らすのには少し物足りなかったが、久々に楽しかったあれがまさか今になって足枷になるとは。
兄さんのように強さが象徴として扱われ、レーム貴公子としての振る舞いをこなせれば別だが、基本的に野蛮な赤毛はビビられる。
お上品に振舞いたい今は、剣闘試合のイメージなど足枷でしかない。
「そうですか。それは残念です。あの時の貴女の姿は、今でも目に焼き付いています」
「のぐっ!!」
いちいち嫌なところをついくる男だ。
むしろ一発ぶち込んでやれば、このもやしの記憶は消えるんじゃないかとも思ったぐらいだ。
黒い気配を漂わせ始めたミュロンをよそに、レオは陶然とした様子で語り始めた。
「あの時の貴女は本当に美しかった。躍動するその躰。猛虎を打ち砕く強靭な脚。翔ける宙になびく赤い髪。このようなところでお会いできて光栄です」
「ぬぐぐ……」
――このようなところで、とはどういう意味なのだ!! あれか、このような上品な場所は野蛮なファナリスには似合わないと言いたいのか!!?――
先程の失敗もあり、なんとか気分を落ち着かせようとするミュロンの手が、握りしめている欄干をべきりと引き千切るが男は全く気にしたふうもなく、よく分からない微笑を向けてきている
その笑みを涙目になって睨み付けると、男はますます笑顔を深くした。
「勿論今もお美しい」
「は?」
続けられた言葉に、間の抜けた声が出た。
「あの時と髪型が違いますね。こちらもよくお似合いです」
「……ちょっと待つのだ」
話がおかしな方向に行っている気がする。
遅まきながらそう気づいたミュロンは話を止めるように呼びかけた。
「その赤い瞳もまるでルビーのようで」
「ちょっと待つのだ!!」
「はい?」
止めてもなお続きそうな美辞麗句を今度はちょっと強く押し留めると、レオはきょとんといった顔でミュロンを見た。
「何を言っているのかよく分からなくなってきたのだが、結局お前は何をしたいのだ?」
きっとこいつの好きなように口を開かせていては埒があかない。
そう思ったミュロンは、とりあえずお上品さとか脇に置いて、話をぶった切るようにすぱっと尋ねた。
本心を隠した長々とした前口上や腹の探りあいを苦手とするミュロンは真っ向から要件を尋ね。
「ふむ……貴女に一目惚れしました、ミュロンさん」
「……は?」
直球ど真ん中。聞き間違えようもない真っ直ぐな言葉が返ってきた。
「あ。一目惚れというのは少し違うかもしれませんね。ですが闘技場でお見かけして、今日、お話させていただいて貴女を好きになりました」
ぽかん、と呆気にとられた。
あまりにも直球な物言いに、ファナリスとして超人的な反応速度を誇るミュロンの反応が遅れた。
少したって再起動したミュロンは、ぶわっと顔を朱くした。
「な、なな、なにを言っているのだオマエは!!!?」
「はい? ですから、ミュロンさんのお美しさに」
「ちょっと黙るのだ!」
どうやら……この男はまともなレーム貴族ではないらしい。
こいつの語るに任せては、訳の分からない言葉しかでてこない。そう判断したミュロンは掌をレオの口元に押し付けて黙らせた。
ミュロンにとっては軽く押さえつけたものだが、レオにとってそれはかなりの衝撃だったのか、「がぼっ!」と変な音が口から洩れた。
とりあえず、バカ貴族の口を黙らせることに成功したミュロンは、掌をレオの口に押し付けたまま、沸騰しかけた頭を働かせた。
このもやしは何を言っているのか?
自分をからかっているのか?
いや、自分がどうであれアレキウス家の娘をからかうなどということをおいそれと出来ない筈。
「ほ、ほとんど話もしていない相手に向かって何を言っているのだオマエは!」
なんとか気持ちを落ち着けて早口に捲し立てた。
そうだ。兄さんならいざ知らず。仮に先程の失敗を目撃していなかったとしても、闘技場で戦う姿を観て、今日自己紹介しただけで惚れたなどと言われて誰が信じられるものか。
どうせレーム貴族の腹の探り合いの一種だろうと、朱くなった顔できっともやし男を睨み付けた。
睨みつけられた男は、ビビるかと思いきや、ぱあっ嬉しそうな顔になった。
「それではもう少しお話しましょう。ミュロンさん!」
「いや、なんでそうなる!」
どういう思考回路をすればそういう言葉を返してくるのか。
上品な振る舞いなどすでに大峡谷の彼方に殴り飛ばして大声で聞き返すが、もやしは一向に構うことなくお話を続けた。
「ミュロンさん。何か悩まれていることでもあるのですか?」
「今! まさに、オマエの対応に悩んでいるのだ!」
安易な回答はどつぼにはまるだけだ。
ミュロンにもそれが分かり、少々突き放すように言ったのだが、レオの笑顔は曇ることがない。
「ふふ。夜会のマナーに不慣れなことを気にされておられるのですか?」
「ぬぐっ! な、なんで分か、い、いや。なんにもないのだ!」
しかもにこにことした顔で痛いところをついてくる。
どこを見て気づいたのか。
察しの悪いと思っていた男の以外にも機微の細かいところに思わずミュロンは本音がでかかり慌てて首を横に振った。
手を胸の前にしてぶんぶんと振って否定する。だが、不意にその手が握られた。
「美しい貴女の顔が曇るのは私としても心苦しいのです」
「ふぁっ!!?」
掌を優しく包み込まれ、胸元に引き寄せられた。
ファナリスの男どもや皮肉を言ってくる貴族の男たちとも違う態度に、ミュロンの混乱が高まった。
「是非、ご相談ください、ミュロンさん」
ミュロンの首元にレオの手が伸びる。片手はレオの胸元に抱かれており、手が伸びてくるのに合わせてレオの顔がミュロンの顔を覗き込むように近づいてくる。
妙に艶のある顔がミュロンの瞳の中で大写しになり
「っ。っ……――――っ!!」
声にならない悲鳴が上がった。
✡✡✡
気になっていた赤髪の彼女は、自分が思っていた以上に、自分という存在を剥きだしにした人だった。
だからだろう、いつものように自分を隠すことが少しできなかったように思えた。
彼女と話していると、まるで自分も素のままを表すことができるのではないかと思えた。
仮面を貼りつけた笑顔ではなく、剥きだしの笑顔を、彼女になら向けられる気がした。
体験談、というものは重要だ。
机上にて幾ら論を詰めようとも、実際に体感することに勝るものはない。
空を飛ぶ。
そのことを感じることなく研究室の中だけで事を進めようとしていたことのなんと愚かなことか。
今ならば分かる。
飛ぶために必要なのは自ら飛び立つという源だ。
あの日。
燃えるように鮮やかに色づいた世界で、私は経験したのだ。
空を翔るということを。
得も言われぬ浮遊感から始まり、一拍遅れて身体を撃ち抜いた衝撃、脳髄を駆け巡る閃光。
衝撃は心臓が、鼓動を止めたかと思うほどだった。
あの日、私は空を飛んだのだ。
そして、目覚めたのだ……
✡✡✡
「レオルドの様子が変? どういうことなの?」
「はぁ……それが……」
ミネリウスがアレキウスのムーと顔をあわせて数日後、シェヘラザードは研究チームのホープであるレオルドの様子がおかしいと、彼の父親から聞いて彼の様子を見に研究室にやって来ていた。
レオルドが夜会で怪我をしてから、体が治る間も惜しんで研究室に籠ったとのことだ。
「研究に進捗があったのか、いつにもまして没頭してはいるのですが……」
まるで人が変わったようだ。
人が変わったように研究に没頭するようになったということだろうか?
研究チームからも同様の意見がよせられているのだが、もともと彼は研究室に籠りきりになることも珍しくなく、ここ数日も顔を見ていなかった。
この前会ったときは行き詰っていたようだったため息抜きを勧めたのだが、行き詰まりから脱したのならばいいことではないのか。いまいち要領を得ないミネリウスの返答にシェヘラザードは首を傾げつつ、研究室の扉を開いた。
そして……
「よぅし!! これで熱する量と錘の配置を調整すれば……これなら!!! ……おや! シェヘラザード様!!」
「…………」
研究室の中には妙にテンションの高い、知っているようで知らない誰かがいた。
「今日も愛らしいお姿でなによりです! いや、金紗の髪の妙がいつにもましてシェヘラザード様のお可愛らしさを彩っていらっしゃる!! 今日はなんと世界が輝いて見える日だろう!!!」
「………………」
斜め後ろに立つミネリウスは一体この光景をどのような顔で見ているのだろう。
もしかすると弱った視力のせいで見間違えているのかも知れないが、この声は間違いなくレオルドのものだ。
ただ、彼の背後にバラのようなものが咲き乱れているのはきっと気のせいだろう。
「いえ! お忙しいシェヘラザード様がここにいらしたのは私の世界を輝かせるためなどではないのは勿論存じております! ご懸念の空飛ぶ箱に関しては今しばらくお待ちください!! 有人にて飛ぶ箱を作るには至ったのですがレーム帝国の光たる装飾を今、他の研究者たちに描かせているところです!! レームの人の力の象徴たる赤がよろしいかと思うのですがどうでしょうか!!」
「……………………そうね」
妙に饒舌かつ誰だコレと言いたくなるレオルドの説明。まだ続きそうだったそれを遮るようにシェヘラザードは一言だけ告げてそっと扉を閉めた。
「あ、あのシェヘラザードさま……?」
「…………」
閉じられた瞳。
それはなにか見てはいけないものを見てしまったために閉じられているように思えたのはミネリウスの気の所為だろうか。
恐々と声をかけるも、とっても偉い司祭様は無言でその場を後にした。
✡✡✡
レーム帝国に新たなる光。
レームの軍団を増強するための兵器の試作が完成したという報告をムーは受けていた。
魔法の力無しに人を乗せ空に浮く箱船。
その乗船人数は数人と少ないものの、今後、魔導師の多いマグノシュタットや魔法道具を多数保有する煌帝国と戦う際には大きな力になるだろう。
ファナリス兵団として、そして金属器使いとして圧倒的な個の力を有するムーとはいえ、軍団の増強要因となり得る装備の開発は切実な問題だ。
ムーを含め、ファナリスたちはたしかに個人戦闘力はずば抜けて高いのだが、持久力がない。
体力ではなく魔力の持久力。
この世界に不自然に生まれついた彼らはその身に宿る魔力が少なく、それゆえに金属器や眷属器を使った戦闘時間は極めて短い。
つまり王手をかけるまでに戦局を動かしていく力が軍団にあるのはレーム軍にとって重要な事なのだ。
そして今日。夜会にてその研究チームの中心人物といわれる男とムーは会っていた。
レオルド・ミネリウス
文官の名門、ミネリウス家の時代当主であり、政務だけでなく発明に秀でた人材としてシェヘラザード様の覚えめでたい男だ。
レームはマギ・シェヘラザード様という最高司祭によって一枚岩ともいえる帝国だ。だが、その一枚の中、最高司祭という殻を外してしまうと思惑はばらばらとなる。
その筆頭とも言えるのが彼の父親だ。
彼の父、ミネリウス家の現当主はファナリス兵団のことを快く思っていない派閥の主要な人物だ。
奴隷制度を用いるレーム帝国にあって、奴隷の出であるファナリスを大量に囲いこみ一兵団にまでしたアレキウス家には反発も大きい。今の所、迷宮攻略者であり、軍の最高司令官である父、イグナティウス・アレキウスの力とシェヘラザード様の威光があって表立ってはいないが、やはり団員の多くは元奴隷という誹りを免れていない。
今、大きく注目されており、いずれはミネリウス家を継ぐであろうこの男のことが分かれば不安の芽も一つ減るのだが……
「ミネリウス様の発明された道具には父やネルヴァ様も驚かれておりましたね」
「いえいえ、火薬兵器の発明の方も、上手くいけばいいのですが。あれができれば個人の武に頼らずとも、攻城戦の効率が飛躍的に上がるでしょう」
一見、和やかな笑顔を向け合って話しているムーとレオルド。
だが、その腹の中には笑顔に隠された思惑が色々と渦巻いているのを二人だけでなく周囲の者も察していた。
攻城戦や都市制圧戦はファナリス兵団の得意とするところだ。
それが活躍の場を奪われるということは、ファナリス不要論。つまり奴隷は奴隷に戻れという意味にもとれる。
たしかにたゆまぬ努力を続けるレーム軍は精強だ。
兵器の開発にも勤しみ、個々の練度も恐らく侵略戦争を続ける煌帝国に引けをとらないだろう。
それは確かに必要な事だ。
だが、だからといってファナリスの力を不要と断じられるわけにはいかない。
ファナリスはこの世界の人間たちとは違う。ファナリスが生きる場所は戦場なのだ。
そう思っているのはムーだけでなく、団員も同じだ。
だからこそ、戦場におけるファナリス不要論を台頭させるわけにはいかない。
夜会の場が政治的思惑の渦巻く場となりつつあった。
だが
「兄さんに何をしているのだ、オマエ!」
その場はいともたやすく崩れ去った。
「ミュロンさん!!」「ミュロン!」
ムーの妹、ミュロンの怒ったような声が響き、二人の若きレームの担い手が振り向いた。
片や喜色を満面にし、片やぎょっとしたように。
相手はアレキウス家の武門とは異なるモノの、決して引けを取らないレームの大貴族。流石に心証を悪くするのはムーといえど避けたい相手だ。
ぎょっとしたムーだが、相手もまた同じように妹の名前を読んだことに「ん?」と首を傾げて視線を戻した。
どうやら相手も同じらしく首を傾げるムーとずんずんと近づいてくるミュロンを交差するように指さして見比べている。
「ん? 兄さん? お義兄様?」
「おい、今なにか違くなかったか?」
ちょっとしたニュアンスの違い。
ミュロンはそれを気配で察したのか頬を引き攣らせてレオルドを睨んでいる。
交互に兄妹を見比べていたレオルドは、兄の方に視線を向けてじっと見つめた。
赤い髪。口元には特徴的なピアス。ファナリスに特徴的な切れ長の瞳。
沈黙してじっとムーを見つめていたレオルドは不意にムーの手を掴みとると胸元に抱き寄せて近寄り、ムーを見上げた。
「ムー様。いえ。お義兄様!」
「誰がお義兄様なのだ。誰が」
先ほどまでもにこやかな微笑みを浮かべてはいたが、それは仮面。
政治の場で本心を偽り隠す鎧だった。
だが今、見上げてくる瞳は剥き出しの感情が込められたかのように情熱的で……少し引ける……
「勿論! 僕のミュロンさんにとってお兄様ならばムー様は私にとってもお義兄様!!」
「誰がお前のなのだ!!!」
どうやら……妹とはすでに旧知の間柄らしい。
青筋を浮かべているミュロンだが、レオルドはそれを気にせず、というよりもそれを愉しんでいるかのような満面の笑みを浮かべている。
「ははは。随分と気に入られたみたいじゃないか、ミュロン」
旧知というよりも好かれていると言うべきか。
ファナリス嫌いの父をもつというのに、まるでファナリスに脅えたようすもない。
これならば多少砕けた態度でも大丈夫なのではないか。
そんな期待をしていたムーの前で、ミュロンがレオルドの襟首をとっ捕まえようとして
「団長。なんですかこいつ?」
「うわぁ」
不意に、背後からひょいと襟首を掴まれてレオルドがぶらーんと宙に浮いた。吊り上げられた男は急激に高くなった視点に驚きの声を上げた。
「ロゥロゥ! そんなでも一応貴族だ。上品にしろ!」
どうやらミュロンの騒ぎ声に、団員の何人かが物見高く近寄って来たらしい。
今現在、とっても大貴族の子息であるレオルドを片手で子猫のように持ち上げているのはロゥロゥ。奴隷だったころに手荒に扱われたためだろう、顔の左側の肉が向けており、剥き出しの筋肉が見える大男だ。
「あぁ? このひょろいのがか? あれか。テメェに妙に引っ付いてるっていう物好きか、ミュロン」
ムーやミュロンとは異なり純血のファナリスであるロゥロゥの腕力は凄まじい。
人並み外れた怪力を誇るムーですら軽々と薙ぎ払うほどだ。加えてその顔の迫力の凄まじさ。
並ではない貴族ですら一目でビビるその容姿と、ぶらーんと摘み上げられた状態で間近に対面することとなったレオルドは
「よ、呼び捨て!? ミュロンさん! 誰ですかこいつは!?」
まったくその強面の顔には関心をもっていなかった。
研究室にこもってばかりというレオルド・ミネリウスが武に長けているという評判は聞いたことがないが、この状況でまったくビビった様子がないのはなかなかに大したものかもしれない。
「ははは。インテリファナリスのお前にゃ、このお賢そうなもやしが似合いなんじゃねえの?」
「なにぃっ!?」
ぶらーんぶらーんと揺れている大貴族の子息をよそに、喧嘩するほど仲の良いミュロンとロゥロゥ。
ちょっと無礼が過ぎるかと思って止めようとしたムーだが
「お似合い……ミュロンさんとお似合い……」
ロゥロゥに摘み上げられている当人は思った以上に幸せそうな顔をしていた。「えへへ」という言葉がでてきそうなほどに緩んだその顔を見て、別に何も問題はなさそうだと思った。…………のだが、その横ではミュロンがプルプルと肩を震わせており
「ふんぬっ!!」
という力のこもった蹴りをレオルドに見舞い、レオルドは「ごふほぅっ!!」という声を上げて吹き飛ばされた。
「ははは。なんだ案外満更でもねえってか?」
「誰があんなもやしと!」
煽り立てるロゥロウにミュロンは見事につっかかり、「くぬっ、くぬっ!」と殴りかかっている。
ちなみに吹き飛ばされた大貴族の子息はぶくぶくと泡を吐きながらも満ち足りたような笑顔を浮かべていたとか。
✡✡✡
最近、闘技場に活きのいい新人が入ったらしい。
ミュロンが出ないのであれば、どうでもいいことだが、そんな情報をレオルドが耳に入れたのは、その“活きのいい新人”が、お義兄さんことムーと戦ったという理由からだ。
あのお義兄様がどこぞの誰かに負けるはずはないが、善戦したらしいその新人は、闘技場のヒーローにいたく気に入られ、アフタヌーンティーに招かれたとか
「ミュロンさん、ミュロンさん!」
「なんなのだ……またお前か」
折しも、件の新人君とともに茶会を催そうという頃合いだったのか金髪で特徴的な髪型の少年がミュロンとムーに帯同していた。
「お義兄様が剣闘の試合でお怪我をされたとか!?」
折しも、というよりも話を聞いていても経ってもいられずにやってきたのだ。真剣な様子で問いかけるレオにミュロンは呆れ顔を返した。
レーム最高の剣士であり、ファナリス兵団の団長でもあるムー・アレキウスが闘技場で怪我を負うなどあるはずがない。
「兄さんが怪我? そんなのあるわけないのだ。ちょっと骨のある奴がいただけで」
「そんなことより!」
呆れたように言い返そうとしたミュロンの言葉を遮って、レオはミュロンの肩をガバリと掴んだ。
「どこの馬の骨ともしれないやつをアフタヌーンティーに誘われたとか! 私ですらミュロンさんに誘っていただいていないのに!」
余計なことを言うために。
「…………ふんっ!」
ドゴリと、容赦ない蹴りがレオに突き刺さった。
女性とはいえ、ファナリスの蹴りをまともに受けた青年はビクビクと倒れており、覚えのある光景に、アフタヌーンティーに誘われた少年は気の毒そうな視線を向けた。
「えーっと、ムーさん。あの人は……」
「ああ。彼はレームの貴族のレオ君といって、ミュロンの恋人だよ」
恐る恐るといった様子で尋ねる少年 —―アリババに、ムーは根気強くアタックをかけ続ける大貴族の次期当主を紹介した。
「恋人!?」
「チガウ!!!」
そうは見えなくても、ミュロンはアリババよりも年上の貴族だ。彼氏どころか伴侶がいたとしてもまあ不思議ではないのだが、この強烈な女性に相手がいたことは素直に驚きだ。
だが残念ながらその説明は妹には不評だったらしく、大声を上げて驚いたアリババの声に、ミュロンが顔を赤くして否定した。
ちなみにその足元では蹴られたレオが横たわっていたりする。
ムーの紹介に反応したのか、それともミュロンの否定に反応したのか、レオはがばりと身を起してアリババを指さした。
「! お前が馬の骨だな! ミュロンさん手ずからのお茶を飲もうなど、お義兄様が許そうとこの私が許さん!」
「黙れもやし!!」
堂々宣言したレオだが、アリババがなにか反応を返す前に再びミュロンによって蹴り沈められた。
「ちょっと待っているのだアリババ。今このバカを黙らせる」
「あっ。ちょっ。ミュロンさ、ごふっ! あっ」
ぐりぐりと踏みつけるミュロンの足元で、件の貴族が嬉しそうな顔をしているのはきっと何かの気のせいだと、アリババはそう思うことにした。
というわけで、おそらく大多数の皆様の期待を裏切りミュロンさんヒロイン回でした!!
だって可愛いいんですもん、ミュロンさん! 18巻巻末のしおしおして涙目のミュロンさんとか、ムーとロゥロゥになでなでされて涙目のミュロンさんとか! 巻末に登場するレームの話はすごく面白いです!
勿論モルさんも好きな女の子ですよ。でもあの子にはグレートハンサムとか豆腐さんとか
居るじゃないですか! モルさんの話とか探せば結構ありそうなので、ミュロンさんを愛でたかったんです!
赤くなったミュロンさんにふんっ! と蹴られる一角獣とか爆発しろと思いました!
基本的にモルさんと紅玉ちゃんのように大多数派のところにつっこむことはしないつもりですが、シャル×ヤムとかは興味あります。あとピスティちゃんの話はいずれしたいなぁとは思っています。
ロリビッチなピスティちゃんをハラハラしながら遠くで見守るシンドリアのモブ文官とか。
本編はシリアス中心なのでたまにはこういうお馬鹿な話で息抜きをしたくなりました。書いていていつもとは別の意味で楽しかったです。
次回は(多分)通常運転の「煌きは白く」になります。レオルド君は、本編には“まったく”影響を及ぼさないモブキャラなので滞りなく、和国の王子様と煌のお姫様の話は進んでいきます。