煌きは白く   作:バルボロッサ

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第31話

 紫の焔が偽りの世界を統べていく。

 

 失われた命に、願いと契約によって仮初の器を与えて力を得る。

 罪業と呪怨

 

 死した命を操るという禁忌による罪。

 死してなお刃を振るわんとする呪い。

 

 ツワモノたちは剣を、矛を、槍を、弓を、刀を手に取り、この魔城に巣食う不浄の者たちと切り結んでいた。

 

「――――こっのッッ! 亡者風情がッッッ!!!!!」

 

 四方から襲い来る紫紺の亡者たちの群れに、玉艶は魔力を“力”に変換して薙ぎ払った。

 その亡者たちは雑兵ばりではない。

 一兵一兵が死してなお、強い妄念を抱き、そして生前は戦い死したツワモノたちだ。

 だが、かのソロモンの三賢者が一人、そしてその同胞すらをも弑した魔導士の力を前にしては、たかだか具現化された怨念程度、蹴散らせぬはずはない。

 

 蹴散らした亡者が紫のルフへと還り、視界が紫紺に染まり、そこから一筋の剣閃が迸った。

 剣閃は玉艶のボルグへとぶつかり、

 

「!!! ちぃっ! 魔力操作!?」

 

 あらゆるものを阻むマギの絶対的な防壁魔法(ボルグ)を、その剣閃はいともたやすく斬り裂き、玉艶は寸でのところでその刃を避けた。

 

 この亡者の軍勢を指揮するジンの手にするものは、すでに皇 光のものだった和刀・桜花とは姿を変えていた。

 

 ジン本来の武装。

 命を刈り取る黒紫の刃。

 

 いかにマギの堅牢なボルグであろうとも、金属器に卓越した魔力操作まで加えられてはそうそう防ぎきることは難しい。

 

 いや、これが白龍の魔力操作であるのならば、まだ防ぐことはできた。

 この世界と、今は亡き世界における魔導士の魔法ならばいかなるものでも防ぐことはできた。

 だが、相手の振るったその刃は、武器の形状こそ違えども、紛れもなく彼の王の器が振るっていたのと同じ、気と剣技の合一による操気術。

 気の練度や密度は些かたりとも衰えておらず、むしろ最期の命を燃やすその雑念の無さが、これまで以上の気の集中をもたらしていた。 

 

 薄く広げるボルグでは防ぎきれない。

 懐深くまで踏み込まれた玉艶は、かつての名残である剣術を思い出すかのようにマギの杖を振るってその刃を受け止めた。

 

「そっちの力は、あの愚か者の力だったと思うのだけれど?」

 

 マギのボルグを無理やり形状変化させ、杖に宿して攻防一致の武器と為せば、ガミジンの振るう操気術の刃と言えども徹すことはできない。

 玉艶はガミジンの剣戟を受けながら、皮肉交じりな笑みを浮かべた。

 

「我が王の望みを叶える力だ。使えぬ道理は――ない!!」

 

 玉艶の、女の細腕からは想像もつかない腕力に、押し込むことはできず、しかしガミジンは、鍔競り合う刃を支点に力を受け流し、長柄による打突を繰り出した。

 

「ぐっ!! ぉ、のれ!!!」

 

 拮抗が崩れ、続けざまにガミジンが斬り裂く刃を振るおうとし、その直前で玉艶は黒ルフを渦のように暴れさせてガミジンを吹きとばした。

 

「ちっ!! 」

 

 黒ルフの奔流によってガミジンの左手は捻じ切られ、吹き飛ばされたガミジンは、刃を前に突き出し魔力を操った。

 

 

 ――――今こそ望みを果たす時

 彼女を守るために

 あの真っ直ぐな白を穢させないために――――

 

「尸桜・白焔刃ッッ!!!」

 

 ――――今、ここにその“白”を顕現させる。

 

 

 

 

 距離さえおけば、ガミジンの攻撃力は大きく低下する。

 少なくとも遠距離からマギのボルグを貫通することはできないはず。

 玉艶はガミジンの斬撃に対処して、マギとしての自身の特性を最大限活かすために距離をとろうとした。

 だが、その瞬間、玉艶は今までにないほどの“憎悪”を感じ、ガミジンから視線をきった。

 

 ――――目にしたのは二つの白。

 

 直刀を雄々しく振りかぶる雄々しく猛き焔

 青龍刀を振るう力強く咲く蓮のごとき焔

 

「それは……ッッ!! 白雄、白蓮――――ッッ!!!」

 

 練白瑛の敬愛した二人の兄。光にとっても義兄であり、練玉艶が産み落とした子。

 その二人の死してなお留まりしルフが、ガミジンの能力で呼び起こされて、かつての母(憎悪の相手)に牙を剥いていた。

 

 生前の黒髪は焔の白に消え、快活な笑みを浮かべていた白蓮の相貌も、皇太子然とした凛々しい白雄の相貌も、今は怨讐ともいえる感情に支配されたかのように憎しみに染まっている。

 

 ガミジンが操る亡者の中でも、別格のような魔力を感じるのは、そこに込められた遺恨が深いためか、主の思いの為せる業か。

 

 

 夢半ばに途絶えたとはいえ、かつて天華を平定するために振るわれた剣技は、まさに往時の鋭さをもって玉艶の体に襲い掛かった。

 

 その剣撃は鋭く、かつて三国を平定した煌帝国の原動力として相応しき将たちの武。

 かつての滅びた世界で屈指の剣技を誇ったマギの残骸は、立て続けに襲い来るその剣技を躱し、奥から見上げてくる敵を見据えた。

 

「ッッ。酷いことをするのね、光。義理とはいえ兄をその死後まで戦わせるなんて。しかもその母となんて」

 

 その行いは外道の所業だろう。

 死者に鞭打ち、あまつさえ家族を殺させようというのだから。

 まるで嘆きの母のごとき台詞を、毒婦が如き歪んだ笑みで吐いた。

 

 

 

 その毒を受けて、しかしガミジンはその面に微塵も陰りを浮かべはしなかった。

 

「咎なら受けるさ。今ここで、為すべき事を為してから!!」

 

 覚悟ならとうの昔にできている。

 今ここで揺らぐことなどありえない。

 全ては望みのために

 皇 光の、白雄の、白蓮の、そして……今また一つ。

 

「――ッッ!!!??」

 

 三つ目の白が呼び起こされ、玉艶がボルグごと吹き飛ばされた

 長大な矛を振り被り、汗血のごとくに命のルフを散らす騎馬に跨る武の王。

 

「これ、はっ! 白徳ッッ!!?」

 

 練玉艶のかつての夫にして、弑した初代皇帝。

 三国を統一した勇猛な大帝――――練白徳の死後の怨念が、今、かつての妻に、皇后に、牙を剥いていた。

 

 無論、白徳の矛だけではない。白雄、白蓮、二人の皇子と合わせ、3人の刃に白焔が宿り、地に叩きつけられた玉艶へと襲い掛かった。

 

「っ、くっ! なめ、るなぁあああッッ!!!!」

 

 吹き飛ばされて地に落ちた玉艶は、しかし堕ちたマギとしての本領、この世界に宿る黒のルフを全開にして八つ首のボルグを展開し、白の亡者どもすらをも吹きとばした。

 

「ふふ、ほほほほほッッ!!! いくらジンの力でも!! 死霊の攻撃ではマギの防御(ボルグ)は破れないようねぇ!!!!」

 

 届かぬ刃を嘲笑う玉艶。

 アルマトランのマギたる彼女のボルグは、同じくマギのアラジンと比べてもなんら遜色がない。どころかその蓄積された経験と魔力に裏打ちされた強靭さを誇っており、無名の将兵たちの斬撃はおろか、白雄や白徳の攻撃すらも防ぎきっている。

 ガミジン本体の斬撃ならば、操気術の剣技によって徹すこともできるかもしれないが、先程のような奇襲はもう成功しないだろう。

 玉艶はガミジンの位置に注意を払っており、再び宙に浮いて巧みに距離をとった。 

 

 なぜなら、攻撃を受けさせしなければ、遠からず、決着はつくのだから――――皇光の、ガミジンの自滅という形で。

 

 

 白徳たちと亡者たちによる波状攻撃を受け続ける玉艶の魔力も、消耗していくとはいえ、マギの魔力とただでさえ残り少ないガミジンの魔力では比較にならない。

 ただ防御している、それだけでガミジンは遠からず消えてなくなる。

 そのことを玉艶もガミジンもよく理解しており、

 

「さぁ、どうだかな?」

 

 しかしガミジンが不敵に口角を吊り上げた。

 距離をとるというのならそれは“好都合”。

 

 ガミジンの力とは炎を操る程度のことだけでは決してないのだから。

 

「? ……!!? なっ!!」

 

 驚愕の声は玉艶のものだった。

 ガミジンの言葉を合図にしたかのように、突如、ボルグに守られていたはずの玉艶の杖を握る右手が膿疱に浸食された。

 瞬く間に右手から腕を這い上がっていく膿疱。

 

「これは、細菌攻撃ッ!?」

 

 それは紅を死へと導く病。

 瞬く間に、自らの美しい手が死病に侵され、腐っていく光景に玉艶は驚愕し、その背後からしだれかかる亡霊に気が付いた。

 

 それは勇猛なる白と比してあまりにも弱く、愚鈍だった。

 白の代わりに、自らの操りの木偶として据えた紅の傀儡。

 

 だが傀儡とはいえ、心はたしかにあった。

 心があるから、亡き“兄”の后を娶り、その皇子たちを養子として保護し、下位とはいえ皇位の継承権まで与える措置を行った。

 そして、愚鈍とは言え、たしかに彼にも練家の血が流れていた。

 偉大なる大志を抱いたかの練の血脈。

 

「貴様ッッ! 紅徳ッッ!!?」  

 

 二代皇帝、練 紅徳。

 紅炎や紅明たちの実父にして、白瑛の継父。

 玉艶を迎え入れ、謀殺されたその怨念が今、病をもたらす御霊となって玉艶の身体を侵す。

 

「くッッ!!? ぐっ!!!」

 

 杖を握る手を侵食され、玉艶のボルグが歪む。

 見逃さず襲い来る雄と蓮の白き剣閃。

 絶対の防御を誇ったそのボルグが切り裂かれ、大帝の一撃が玉艶の身体を赤く染めた。

 

「おのれっ! 皇 光!!!」 

 

 ボルグが破れ、一気呵成に襲い来る亡霊を玉艶は飛翔することで距離をとろうとし、そして放つ魔法で蹴散らしていく。

 

 だが

 

「罪業と呪怨の精霊よ」

「!!?」

 

 距離を稼ごうとしていたのはガミジンとて同じ。

 

「汝が王に力を集わせ、大いなる冥夜を地上にもたらさんことを!!」

 

 最早時間はない。

 ガミジンを発動させ、残存魔力も実体を維持できる限界値を割り込んでいる。

 

 ――ここで決める――

 

 そのために、ガミジンは己が武器を胸前に掲げて最後の魔力を集中させた。

 

「おのれっっ!!!」

 

 紫紺のルフが嘶き集う。

 極大の魔方陣が紫微に彩られて輝きを増し、

 

 ――「極大魔法―――――!!!」――

 

 閉じられた世界に、死出の扉が開かれた。

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 風が吹いている。

 穏やかな風。緑の絨毯がしきつめられたかのような草原の只中で幼い二人は空を見上げていた。

 

 なかなか会うことのできない人。

 和国の誇る操船技術といえども島国から大陸に赴くには、また大陸から島国にやってくるのはいろいろと大変だ。

 

 だから会えるのはせいぜい半年に一度。多くても月に一度は無理だ。

 だから会えた時はできるだけ一緒に居るようにしている。

 

 初め会ったときはどこか脅えたところがあった少女。

 

 変わっていく世界、変わり行く世界、そして変わらぬ世界の在りように心痛めていた少女。

 

 約束をした。

 満開の桜を見ようと。吹雪のように散って、桃色に染まる世界を見ようと。

 

 雪が舞い降りるのを一緒に見た。

 儚く降りつもり、溶ける雪に染まった白い世界。

 

 高原を共に駆けた。

 遥か遠くを見晴るかす地平線。

 

 

 勁い心を秘めて、淡く微笑む佳人

 

 

 風は白く、汚れなく、それはこれからも吹いて行くだろう。

 

 

 

 

 

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 ―――― 早朝。

 煌帝国の将兵の内、天山高原を任務とする者たちは現在、先の戦争の傷跡を癒し、今後の方策を上層部が定めるために帝都に留め置かれていた。

 

 ある者たちは久方ぶりの帰郷で家族の許へと帰って疲れを癒し、ある者たちは次なる戦いに備えて鍛錬に励もうとしていた。

 

 そして、それに気が付いたのは鍛錬を行うために練兵場へと赴いた者たちだった。

 

 

「おいっ! 皇っ! すめらぎっ!!!」

 

 北方兵団旗下の武人、菅光雲が必死に叫んでいた。

 だが、その叫びに、呼ばれた男は応える余力はなく、今にも途絶えそうな弱々しい血霧の呼吸をするのみだった。

 

 応急手当に血止めを試みる、などということを考えるまでもない。

 どこもかしこも血塗れで、それは返り血などではなく、紛れもなく彼の体から流れているように見えた。とりわけ右の腕は二の腕から先がなく、閉じる寸前の眼は右目のない隻眼だ。

 

「くっ! 早く、白瑛皇女に報せをっ!!」

「あ、ああッ!!」

 

 自分の鍛錬と眷属器の練習ためにやってきていた黄牙の眷属に怒鳴るように指示を出すと黄牙の男の一人――ボヤンが慌てて練兵場を飛び出した。

 

 まさかとは思った。

 皇 光という男は、金属器使いで、和国の凄腕の剣士で、白瑛将軍をとりわけ気にかけた婚約者で、不死身じみた回復力をもつ化物のようなやつなのに―――今目の前にいる男は、もはや死に体となっている。

 だが白瑛という名に反応したのか、光の唇が震えるようにわずかに動いた。

 

「ッ! 皇ッ!!」

「ぅ炎に伝え…………あれは、アル…………いしんを…………瑛と、…………」

 

 辛うじて、わななくような唇の震えが言葉を紡いでおり、光雲は手当てを止めて死に体の口元に耳を近づけた。

 

「こ、ぅ炎? ……第一皇子か! 第一皇子に伝えればいいのか!?」

「………………」

 

 手当などでこの状況が改善する見込みはない。

 

 ――せめて白瑛皇女がここに間に合うまで――

 

 光雲は、光の意識を繫ぎ止めるために聞き返すが、それに対する光の応答はなく、目からは力が失せたように澱もうとしており

 

「光殿ッッ!!!」

 

 間に合わないか、と思った直後、白瑛の声が練兵場に響き渡り、光雲は慌てて身を躱し、 その場所に白瑛が滑り込んだ。

 

 

 

 

 かつて白瑛は、その光景を見ることができなかった。

 

 父の死と、二人の兄の死。

 

 それを見ることができたのは弟だけだったのだ。

 その時の衝撃はどれほどだったのだろう。その場に立ち会うこともできなかった自分が、遠い地で受けた衝撃を、その場で目の当たりにしてしまった時の悲しみの深さは。

 

 

 練兵場に足を運んだのは、ここにならいるのではないかと思ったからだった。

 起きてから光の姿が見えなかった。

 青舜にはすぐに会えた。でも彼が居なかった。

 

 もしかしたら光雲や黄牙のみんなと朝から鍛練でも行っているのだろうか。そう考えて白瑛は青舜とともに練兵場に足を運んだのだった。

 

 もうすぐ練兵場、という矢先、中から慌てて出てきたボヤンに慌てて中に引きいれられた。

 

「は、白瑛将軍! 中に、中に来て下さい!!」

 

 ただならぬ様子に、白瑛は駆けだして中に入り、青舜もそれに続いた。

 そして、その光景を見た瞬間、足を止めた。

 

 

「えっ……?」 

 

 誰かを中心にして、自分の眷属たちと旗下の兵が集まっている。

 その中心にいる人物を、血まみれで蹲る人を見た瞬間、声が漏れた。

 目に映る光景を脳が拒む。

 

「光、殿……?」

 

 愛おしそうに自分を支えてくれた右腕が半ばから無かった。

 毅然と伸ばした背は力なく壁に押し付けられていた。

 体のあちこちから血が滲み出ていた。いや、流れ出た跡がどす黒く体を染めていた。

 

 夢ではないその光景を理解した瞬間、白瑛は駆けだした。

 

「光殿ッッ!! ……光!」

 

 血に濡れることなど気にも留めずに白瑛は光に手を伸ばした。

 悲鳴のようにかけられる声。だがそれに応える声はなく、まるで桜が散るように抱いた体が薄らいでいく。

 かつてはあれほどあった存在感が、身近に感じられた空気が薄れていた。まるで――まるでそこにいるのはただの抜け殻であるかのように。

 

 ――そんなことはないッッッ!!!!――

 

 頭が真っ白になっていたけれど、それだけは信じられた。なんでこんなに傷だらけなのか分からないけれども、この人は絶対に死なない。

 どんなに傷だらけでも瞬き一つの間に元通りになるのだから。自分を残して死ぬような人では絶対にないのだから。

 心臓が痛い程に脈を打ち、感情が思考を拒否しようとする。

 腕の中で花弁が散っていくように消えていく。

 

「待って、ひかる……」

 

 ―――傷が治らない。

 きっと魔力が足りないのかもしれない。

 魔力が足りないのなら自分の分を使ってもらってもいいのだ。いくらでも渡すから。

 どれだけでも持っていってほしい。それでこの喪失を防げるのならば。

 また家族を喪うならば。いくらでも使ってほしい。

 

 でも魔力が流れない。気を使って血を止めるなんてことも自分にはできない―――

 

「いやっ……待って……」

 

 ―――でも、まだ手はある。

 傷を治せる魔導士がいる。たしか妹の眷属が治癒の力をもっていたはずだ。紅炎殿だっている。フェニックスの金属器の力ならばきっと…………

 城のどこかにはジュダル殿だっているはずなのだ。魔導士の最高位。創世の魔法使いである彼ならばどんなことだってできるはずだ。

 

 だけど、それが必要なのは今なのだ。

 今ここにはそれがない。

 

 消えていく

 大切な人が

 自分を守ると誓ってくれた人が

 

 

「いや」

 

 

 それに応えてくれる守護者は、もう、居なかった。

 

 最後の花弁が

 

 

 

 

 

      散った…………

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 西方――バルバッド。

 

 征西軍総督である練紅炎にはやるべきことが山積していた。

 先のマグノシュタットにおけるイル・イラーとの戦いについての処理、七海連合とレームの同盟に対抗するための処置、その七海連合との会談への備え、バルバッドの統治について、他にもほかにも。

 とりわけ紅炎の関心が大きいのは、戦いの助力の対価として約したマギ・アラジンのもたらすであろう知識と…………

 

「兄王様」

 

 第二皇子である紅明が深刻な表情で姿を現した。

 

「本国の魔導士からの緊急連絡が入りました。皇光が――」

「……逝ったか」

「……はい」

 

 アルマトランの、今は亡き世界の真実の一欠片を得るために最後の命を燃やしただろう“義弟”。

 

「白瑛はどうした」

「……皇帝より天山へと帰還するよう指示を受けたそうです。紅覇とともに守備に就くように、と」

「……そうか」

 

 あれと婚儀を結ぶはずだった|従妹≪義妹≫が、どれほどの悲しみを負ったことか。

 それが例え、もとより叶うはずのない未来であったとしても。

 

「和国の動きはどうだ」

 

 だが今は、感傷に浸っている場合ではない。

 マグノシュタットを奪いそこね、レームが七海連合と盟約を交わしたことで、世界の趨勢は煌帝国に逆風を送りつつある。

 レームに対しては、かの国の思惑もあって七海連合からの切り離しを行っているが、それでも鬼国とも称される和国が、離反することだけは防がねばならない。

 ほかでもない。白瑛のために、すべてを賭けた、家族となるはずだった男のためにも。

 

「かの国の王もまた金属器使い。警戒は密に行っておりますが、信義を重んじる閃王子のことです。白徳帝のころからの盟約を容易くは破らないでしょう」

 

 光の兄であり、国王位を継ぐことになる王子、皇 閃もまた、紅明たちと同じく金属器使い。

 特使であった弟が死んだことを口実に離反する可能性はたしかにある。

 和国が離反して煌帝国の後背を突くようなことになれば、征西により前線が西に傾いている今の帝国には致命傷となる事態が考えられる。

 だが光と同様、和の国の王族は義理堅い。

 彼らの父である王のころから知っているが、煌との関係は深い。

 

 そう易々とは両国の関係が破たんすることはない。そう思えるのだが…………

 

 

 

 

 

 だが事態は、世界は、紅の思惑とは離れた方向へと、突き進んでいくこととなることを、まだ彼らは知らなかった。

 


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