煌きは白く   作:バルボロッサ

4 / 54
第4話

 私が殿下と初めてお会いした時のことは、実はよく覚えていない。

 

 物心ついてから聞かされた話によると国の重臣である父が、現国王の第2子である殿下と引き合わせてくれたそうだ。

 どうも現国王と父とは、国王が国王になる前からの付き合いで、年の近い子供がお互いにでき、それが男女であったなら、許嫁としないかという話をその昔、若かりし頃に戯れにされたそうだ。

 

 とんでもない話だ。

 

 おそらく幸いにも、国王の息子は二人とも男児で、第2王子は私と同い年だが、私も男子だ。

 

 そんな縁で幼少期からあの方と親しくさせていただいており、まだ国の事など分からぬ頃は、今にしてみれば不敬にあたることを数多くしでかしていたし、殿下の冒険につきあって後で父と国王から説教をいただくなどということもよくあった。

 

 すでに私も殿下も15となり、私は国の武官として身を置く立場となった。

 

 私にはどうやらそこそこに剣の才があったらしく、この年にして剣技においては将軍職を賜る方に匹敵するという評価を頂いている。もっとも、近年では殿下と試合をしても一本もとることはできない、というよりも、剣技において近い年の者で殿下に勝てるのは、国内では皆無と言っていいだろう。国全体を見れば居ないわけではないが宮中においても殿下に勝てる者は少ない。その数少ない一人は殿下の兄君、数年前から現国王の補佐として政務に携わっておられる兄王だろう。

 

 もう一度言おう。私の力は、(政治的にも実際の力関係においても)殿下に遠く及ばない。

 だが、今日この日ばかりは、不敬を承知で諫言しなくてはならないだろう。

 

 

「よっ、(とおる)、今日もよろしく頼む」

「……よろしくお願いします、殿下」

 

 鍛練場にやってきた殿下とあいさつを交わした。

 近々、大陸の国家、煌から使者が来るらしい。そのため、警務を取り仕切る上役たちは鍛練場や軍部には顔を出さず、宮中での話し合いにかかりきりになっている。

 この方もそういった立場のはずなのだが、ここにやってきたのは鍛練を欠かすことはできないという、いつもの習性ゆえだろうか。

 

 馴染みの家臣たちと気さくに挨拶をかわし、殿下は練習用の木刀を手に取った。今、鍛練場に来ている中で、殿下の剣の相手になる程の者は正直いない。

 

「殿下、手合せ願います」

 

 その地位ゆえにではなく、単純に力量差から尻込みする者の多い中、私は殿下に手合せを申し出た。

 

「ん。やっぱお前が言ってくるよな」

 

 すると殿下は苦笑交じりに、予想していたとばかりの反応を返してきた。

 軽く体を動かしてから、互いに木刀を交えた。私も殿下も、まだ本気ではない。まずは体を温めるように、挨拶のように軽く撃ち合う。

 もっとも、それを取り巻く周囲は、二人の剣技を感嘆の思いで見ていた。

 

「殿下、一つお尋ねしてもよろしいですか?」

「ん? 別にいいが、一つでいいのか?」

 

 撃ち合っている最中、鍔迫り合いに持ち込んで顔を近づけ、尋ねた。

 

「では、幾つか」

「……いいぞ」

 

 一つでなど足りるはずはない。殿下もそれを分かっているのだろう、苦笑を浮かべながら軽く返してくる。

 鍔迫り合う状態から力を込めて、距離をとった。

 

「近々、煌の使者が来られるそうですね」

「ああ。父王も兄王も忙しそうだな。っとお前の父上もか」

 

 2撃、3撃。話す最中にも斬撃を放つが、それは殿下の木刀によって軽く軌道を逸らされた。

 他人事のように言うが、忙しいのはあなたも同じだろう。そうツッコミたくなるのを、ひとまずぐっとこらえた。

 

「殿下のご準備は整われたのですか?」

「ん。なんか知らんが、兄王から今日は鍛練場の方に顔を出せと言われたんだ。まあ、外交の話しやらは、あのお二人が行なわれるし、俺がやるのは同行してくる姫の子守りくらいだからな」

 

 準備はもう終わったと、にこやかに告げる殿下。その顔面に一撃打ち込みたくなった。いや、実際に打ち込んで、しかしその剣は見事に殿下の木刀に撃ち落とされた。

 

「そうですか……ところで、殿下。巷で噂の迷宮のことをご存知ですか」

「やっぱり一つじゃないじゃないか。全然話が変わったぞ」

 

 撃ち落とされて構えが崩されたところに、殿下から横なぎの斬撃が放たれるが、それは距離をとることで躱し、詰められる前に構え直した。

 

「まあ、知ってるが……」

「では、数年の間、聳え立っていたあの不思議な塔が昨日、忽然と姿を消したという話はご存じですか?」

 

 これは単なる確認作業だ。

 殿下がこのような回りくどいやり方を嫌っているのは知っているが、こうでもしなければ、抑えきれない感情が暴発しかねないのだ。

 離れた距離から瞬時に詰め寄り、突きの2連撃を放つ。

 

「っ。おい」

 

 その突きの鋭さが会話をしながらのものでは、まだ準備運動の段階でやるものではなかったからだろう。殿下から少し驚いたような声が上がった気がした。

 突きが躱され、殿下から近接での斬撃が飛んでくるがそれに木刀を合わして受け止めた。

 

「現れた時と同様、消え去るときも突然だったようですが、今回は前触れがあったそうです」

 

 ご存じですか。とジト目で伺うと、殿下の頬に一筋、汗が流れ落ちていた。

 まだ、この程度の準備体操で汗をかかれるお方ではないのに不思議なことだ。

 

「……それは、知ってる」

「そうですか……ではもう一つ。昨日何をされていたのですか、殿下」

 

 距離をとり、正眼に構えた状態でようやくの本題を口にした。

 

「うん、聞いて驚け。昨日はお前の言う、その迷宮に行ってきてたんだ」

 

 すごいだろ。と開き直ったように、にこやかに言い放つ馬鹿を前に、私は渾身の力を込めて木刀を振り下ろした。

 その打ち下ろしは鋭く、自己最高レベルの斬撃と評することもできただろう。

 

ド、ゴッッ!!

 

 と木刀によるものとは思えない破壊音が鍛練場に響き渡り、観戦していた兵士はいつの間にか遠くに避難していた。

 

「…………」

「…………おいおい。鍛練場に穴を開けるな」

 

 殿下の立っているところから、わずか数10㎝ほどの位置に叩き込まれた斬撃は、鍛練場の地面に穴を開けていた。気のせいでなくば、殿下の持っている木刀が最初に比べて少し短くなっているような気がするし、離れたところにこつん、と音を立てて木刀の切っ先のような物が落ちた気がしたが、そんな些細なことは脇に置いておこう。

 

「行ってきたんだ、じゃねえよっ! あんた、あの迷宮がどういうところか知ってて行ったのかよ!?」 

「おう、知ってたぞ」

 

 かのシンドバッドが攻略したのと同じ、万の軍勢ですら飲み込む凶悪な黄泉路へと続く入り口だ。

 

「なら、ほいほいとそんなところに行くなよ! しかも誰にも言わずに!」

 

 おそらく国の外交に関わる一大事を前にしてわざわざ閃王子が殿下を鍛練場に来させたのは、私に説教をさせるためだったのだろう……

 

「言ったらお前、止めるだろ。危ないからって」

「分かってるなら行くなよっ!」

 

 先ほどから言葉遣いが昔の頃のに戻っている気がするが、仕方ないだろう。閃王子のお墨付きを頂いたということにして、とりあえず不敬罪とかうっちゃって、今は馬鹿の説教の方が大事だ。

 

「昔ならお前を誘って行ってもよかったんだが、流石にその年で達臣に説教くらうとかわいそうだからな」

「だれも、俺が行きたかったなんて言ってないだろ! 話し通じねえな、おい!」

 

 勝手に迷宮になど行けば、誰かしらから怒られるのは分かっていたのだろう。

 怒りの声をあげて、ふと我に返る。なんだか、殿下のペースに嵌りつつあることを自覚して、少し激高していた感情を抑えた。

 

「こほん。殿下、迷宮の攻略、あるいは魔物の討伐などをなさるのであれば、しかるべき人員をもって臨まれるのが基本です。そしてあなたの役目は、その人員の選抜と統率でしょう。あなた自らが先頭にたって、しかも単独で乗り出してもしものことがあれば、どうなさるのですか」

 

 殿下は決して馬鹿ではない。冷静さを以て滔々と話さなければ、あのペースに振り回されてしまう。そんな風に考えていた冷静さは、

 

「どうなさるって……そのまま兄王が、国王の跡を継ぐだけだろ」

 

 続けられた殿下の言葉によってどこかに吹き飛んでしまった。

 

「そういうことじゃねえよっ!!」

 

 落ち着けたはずの精神は、殿下の、自らの選んだ主君の一言で一瞬で沸騰した。

 

「そういうことだろ。すでに兄王は政務もちゃんとこなしているし、子もいる。せいぜい軍務を司るやつが一人いなくなるくらいだろ」

「あんたは、俺の選んだ主君だ!」

 

 まるで自分のことなど、どうとも思っていないかのような言葉にキッと睨み付けた。それに対して殿下は感情の見えない眼差しを向けた。

 

「融」

「あんたに王になってほしいわけじゃない。ただ、俺が仕えることを選んだのはあんたなんだよ!」

 

 一歩間違えれば反逆の罪に問われかねないほどの暴言だ。

 もっとも、あの閃王子のことだ、私の考えなどずっと昔にお見通しであろう。だからこそ、今日、この場に殿下を来させたのだから。

 

「わざわざ出世の見込みのないやつにつこうとするなんて、バカなやつだな」

「…………バカで構わん。あなたと似たようなものだ」

 

 別に国王にも閃王子にも不満があるわけではない。ただ、幼いころから見てきた殿下に仕えたいという気持ちの方が強いだけだ。

 

「そういうやつだから、置いて行ったんだよ」

 

 いざとなったら勝手に死にそうな奴だからな。

 溜息交じりに告げる殿下を苦々しく思う。

 どうということのない所へと行くのならば、きっとこの人は自分にもちゃんと話してくださっただろう。

 

 

「なにも言わなかったのは悪かった。今回のはなんとなく、俺が自分の力でやらなきゃいけない気がしたんだよ」

 

 迷宮を攻略した。聞くところによるとそれは、ジンという強大な力に選ばれたことを意味するらしい。

 おそらく、なんらかの直感的なもので、その巡り合いを感じ取ったのだろう。

 勝手に死にそう。この人にそんなことは言われたくはない。この人こそ、自分で勝手に決めたことに従って、無茶をして、気づいたら死んでましたなんてことになりかねないと思ってるのだから。

 忸怩たる思いで言い返そうとすると、

 

「異国の姫君を驚かす秘宝でも手に入れようとか思ってな。なんとなく、今度来る姫の子守りは長く続きそうだからな」

「そっちかよ!!」

 

 先ほどの流れはなんだったのかと思うほどの、ほのぼのとした理由に思わず返した。

私の感動を返せ! そう叫びたくなった私を誰が咎められるだろう。

 

「それに、迷宮は挑戦者に応じて難易度が変わるらしいからな。下手に人を連れて行っても犠牲者が増えるだけだろ?」

「…………はぁ」

 

 なんだかんだ言って、この人は強いのだ。

 ともに行っても無駄に犠牲が増えるだけなら自ら単独で赴くことも辞さない。

 今回の事もちゃんと殿下なりに、考えがあってのことだったのだろう……たぶん。

 

「今度行くときはちゃんとお前には声をかけるようにするよ」

「……ほどほどになさってください」

 

 バカな子ほど可愛い、というのはこういう心境なのだろうか。まだまだ子をつくる予定のない私には分からないことだが、きっと違う気がする。

 

「それじゃあ、だいぶ慣れてきたし。そろそろ本気で行くぞ」

「…………」

 

 構えとしては八双に近いだろうか、ただ構えと共に声音まで変わった。準備体操は終わりということなのだろう、殿下の持つ木刀にうっすらと気が纏わりついている。自分も木刀に気を纏わせてそれに応じる。

 

 

 操気術。大陸では魔力操作能力と呼ばれているものらしい。

 誰もが多かれ少なかれ持っている自分の体内の気を繰り、洗練して武器に宿すそれは、優れた使い手ならば紙で木刀を断つこともできる。そして融が先ほど炸裂させた一撃にも同様の力が込められていたのだ。

 

 世界的に見て、わずかな人間しか操ることができないその技術を体系化しているのは、和の国の武人と大陸の流浪の一民族くらいらしい。

和の国の武人でも、一角の剣客のみが身につけているものだが、殿下のそれはその中でも別格だ。

 

 爆ぜるように距離を詰めた二人の剣が激突して、融の木刀から剥がれ落ちた気の残滓が零れ落ちる。

 

「っ!」

 

 剣の質が異なるため一概には言えないのだろうが、やはり純粋な激突においては融の剣は光の剣に劣るようで融の口からこらえきれないように声がもれた。

 気は体内を巡る血のようなものだ。あまり使い過ぎたり、留めきれずに漏れ出ると疲労も早いし、場合によっては命を削る。ゆえに戦闘に用いる場合は鋭く、先鋭化して無駄を失くす必要がある。

 今のは剣の技術もそうだが、操気術の面で光の方が、硬度、先鋭化の面で優れていたため、纏わせた気が剥がれそうになったのだ。

 

 剣戟を重ねるために融は先程よりも鋭く気を収束させていく。

 何気なく振るう武器にそれを為せる者は、そう多くない。

 

 

 国の未来を担う二人の剣士の剣戟を、鍛練場の兵士たちは感嘆の思いで見つめた。

 

 

 激しさを増す剣。苛烈に攻め立てる融のそれを、光は捌きながら剣閃を走らせる。

 

 剣を振るう。その事のみに心を集中させ、二人は剣を交わせる。互いの立場や先程のことなど無関係に、ただ剣を以て会話する。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」 

「ふー、腕あげたじゃないか、融」

 

 しばらく剣をぶつけていると、やはり先に力尽きたのは融だった。

 

「……あっさり、砕いてくれた人に、言われたくありません」

「当たり前だ。それに、昨日化け物と暴れて結構気が昂ぶってるのもあるんだろうな」

 

 気が昂ぶる。通常なら気分が高揚するという意味だが、操気術を用いる者にとって気が昂ぶるというのは直接的に戦闘力に関わるものだ。

 幾度かの撃ち合いの後、捌くのではなく鋭く放った光の剣閃によって融の木刀は、纏わせた気ごと断ち切られたのだ。

 

「くそっ。やっぱり実践か」

「こらこら、言葉遣い。それとお前は止める立場だろうが」

 

 先程もそうだが、あまりに親しくしていた時期が長すぎて、ついつい立場を忘れてしまうことがある。それではいけないと思い、普段は殊更丁寧な対応を心がけているのだが、操気術を使い、さらにはそれを断ち割られたことで精神にぶれが出ているのだろうか。

 

「すいません……そういえば、ジンという力を手に入れたのですよね?」

「ああ。なんかでっかくて青いやつがついて来たな。しかも勝手に刀に模様を刻みやがった」

 

 光は空に二つの四角を重ねて八芒星を描いて、こんなやつ、と示した。

 

「そちらの鍛練はなさらないのですか?」

「んー。昨日帰りに少し試したが……まぁ、おいおい慣らしていくさ」

 

 伝承によるとその昔、異国に侵略されそうになった国を救った王の力が、ジンという精霊による力だったらしい。

 その力は、凪の海を大荒れの海に、風を嵐に、万の船団すら海の藻屑に帰すほどの強大な力だったらしい。

 だが、そんな強大な力を手に入れた殿下は、なぜかあまり気が乗らないような反応をした。

 

「? あまりお気に召さない力だったのですか?」

「そういうわけでも……あるのかもしれんな、うん」

 

 力を得たからといって、それがすぐにどうこうなるわけではない。その力をどう使うか、なにを為すかが重要なのだ。そのためには力に慣れて、自在に操れるようにしなければならない。にもかかわらず、それをよく知る殿下の反応に少しだけ、訝しさを覚えた。

 

「まぁ、必要な時に何もできない。なんてことにはならんようにするさ」

「……できれば、殿下が先頭に立って、そんな事態に直面しないことを祈ります」

 

 ただ続けられた言葉に、できれば、そんな力をふるう場面になど直面してほしくないと思い直した。

 ジンという力がなくても、個人としての殿下の力は強い。にもかかわらず、強大な力に頼らざるを得ない事態などというと、それは小規模な争いを超えて、国家間の戦争クラスになるだろう。

 もしくは、今回のように殿下が宮中を抜け出してどこかに冒険まがいのことをしでかしているとき。

 

「分かった、分かった。今度からは自重する」

 

 少しジト目でにらみつけると、ひらひらと手を振ってそんなことないとアピールしている。

 

 殿下との鍛練は、ためになるし、楽しいのだが、いつまでも鍛練場の真ん中を占拠しているわけにもいくまい。殿下が真ん中を占拠していると尻込みして(突発的な試合相手に選ばれることを恐れて)人が近寄りづらくなってしまうのだ。

 殿下とともに鍛練場の端の方に移動していると、殿下はふと思い立ったように、

 

「ところで融。外交使節が帰ったら、東の方で話題になってる帰らずの洞窟ってとこに二人で行ってみないか?」

 

 と楽しそうに語ってくださった。ただ、殿下の楽しそうな気配とは裏腹に私は脱力感に襲われていた。そして

 

「全然分かってねーじゃねーか!」

 

 鍛練場に怒号が響き渡った。

 

 

 穏やかな和の国における1日。

 特殊な島国だなんだと言われても、そこに住まう人の営みに大きな違いなどあるはずもない。

 

    

 

 

   ✡✡✡

 

 

 

 煌の国使を迎える行事は滞りなく行われ、大きな混乱もなく、無事に国使を送り返すことができた。

 

 融も都の警務を担う者として、常よりもさらに厳格な警備を敷くこととなり、この一週間ほど警務にかかりきりとなって自分の鍛練の量が落ちていた。そのため鍛練場に足を運んでいた。

 

 

「姫君とのご婚約おめでとうございます」

「なんだ、その話か。達臣にでも聞いたのか?」

 

 煌からの国使、そして姫君が帰国して数日。融がすでに鍛練の遅れを取り戻そうと努めている中、殿下もまた鍛練場に足を運ばれるようになった。

 

「はい。正式に煌と条約を結ぶとか。今日の朝議でも話題に上ったと、先ほど将軍の間でも話されておりましたよ」

 

 数年前までは国王の、今は兄王の秘書のような立ち位置になっている私の父から聞いた話でもあるし、今朝の朝議においてのぼった話でもあるため、武官の休憩所ではその話でもちきりだった。

 

「煌との同盟はともかく、婚約はまだだ。正確には許嫁になっただけだ」

 

 もちきりだったのは同盟の話が、というよりも光王子の婚約の話が、だ。

 殿下も御年15。私のようなまだまだ下っ端の役人ならいざ知らず、王族であれば、そろそろ責務として、そういう話があってもおかしくはない。

 兄王に子がおられ、王位を継承するのは兄王、閃王子だということが、ほとんど決まっているものの、それはそれ。第2王子にも妃の話はあったはずだ、にもかかわらず、そういう話が少ないのは、

 

「いえいえ。兵たちの間では、これで暴れ馬のような殿下も大人しくなってくださるだろうと専らの噂です」

「はっはっは。言ったやつ誰だ。今日の鍛練の相手に指名してやるから大人しく吐け」

 

 近隣どころか、少し離れた村や邑において、怪異とされる化け物騒動が起こるたびに飛び回る殿下に手を焼いていたり、会う女性会う女性、大人しすぎてつまらん、と酷評する殿下についていけるお方がいなかったためだ。

 

「ははは。それゆえ、今日の殿下の相手は私一人に押し付けられましたよ、こんちくしょう」

「ちっ」

 

 不本意ながら殿下を御せる数少ない人物の一人と目されているらしい私は、興味津々の武官たちに事の成り行きを伺ってくるようにと、早い話が人身御供のように殿下の前に放り投げられたのだ。

 

「煌の姫君はいかがでしたか?」

 

 ちらりと宮中でまみえた姿は、まだ幼くはあれど、流石に一国の姫だと納得させられる気品があり、白い肌と黒い髪、そして長じれば類稀とも評されるだろう容姿の方だった。ただ、容姿に優れているだけだったり、単に気位の高いだけの女性では、殿下の性格には合わないだろう。

 

「なかなか聡明で興味深い姫だったぞ」

「それはそれは」

 

 出てきた言葉にわずかに感心した。殿下が女性を褒めるのは珍しい。決して初対面の女性に対して粗野な振る舞いをなさるお方ではないが、付き合い続けられる方は少ない。

 よもや他国の姫に、武芸に付き合えなどという誘いをかけたり、貴族の女性を慄かした生々しい冒険譚など聞かせたりはしなかっただろうが、それでも殿下から“聡明で興味深い”といった言葉を女性を評する言葉として聞いたのは初めてだ。しかし、

 

「剣の方も年の割になかなかの使い手だったし、見かけによらず負けん気が強いところが面白い」

「ふむふ……ん?」

 

 なにか、聞き捨てならない会話がさらっと流されたような気がした。

 

「あの年で、厩舎の暴れ馬もうまく乗りこなしたし」

「おい」

 

 おかしい。数日前、殿下が用意したという歓迎の品とやらを拝見したが、この国では珍しい白い羽毛の扇だった。扇を好んで使う女性は多いから、あれなら大丈夫だろうと安堵したのを覚えている。

 女性によっては、生々しい冒険譚を嫌う方も居られるだろうから、迷宮の話は慎むようにと念を押したのも覚えている。

 

「戦の話に物怖じしない女子は初めてだったな」

「あんた他国の姫になにしたんだよ!」

 

 手に持っていた木刀を落とし、殿下の襟首を締め上げて問いただした。

 

「なにって、剣の鍛練と遠乗り。あっ! お前は怖がるかもって言ってた冒険の話はすごく面白かったらしいぞ」

 

 ちらりと垣間見たあの箱入りのような少女の経験したであろう壮絶な数日を思って、融はくらりとよろめいた。

 

「なにやっちゃってんの、殿下!? あの方まだ12だろ!? なにさせてんの!?」

 

 おかしい。こんな常識知らずではなかったはずだ。

 いささかぶっ飛んだところはあれど、まさか碌に男と話したこともないのではないかと思えるほど可憐な少女に剣を持たして、暴れ馬に乗せたとでも言うのだろうか。

 

「人聞き悪いこと言うなよ。迷宮の話はあっちから聞きたいって言ってきたんだよ。……ん? 初めに口を滑らしのは俺だったかな?」

「そっちじゃねえよ! なに剣とか握らしちゃったの!? 暴れ馬って!? あの殿下くらいにしか懐かない暴走馬!?」

 

 馬とは慣れていない者にとって、大変危険な生き物だ。特に暴れ馬となると近づけば蹴飛ばすは、踏みつけるはで少女にとっては命を脅かしかねないものだろう。とりわけ、厩舎には殿下と閃王子くらいしか乗りこなせない暴れ馬がいたりするのだが

 

「あれには俺も驚いた。どうも和の馬よりも大陸の馬は大きいらしいな。そこらの放蕩貴族よりもよっぽど上手く乗りこなしたぞ」

 

 どうやら姫君は馬の扱いに長けているらしい。私の中の姫君像が音を立てて崩れていっているのだが、ひとまずはそれよりも他国の姫に対する無礼な振る舞いを咎める方が先だろう。

 

「剣、というのはどういう意味ですか。まさか、無理やり鍛練に付き合わせたんじゃないでしょうね?」

「お前、俺のことなんだと思ってるんだ? 向こうの方から武芸には自信があるから見てくれって言ってきたんだよ」 

 

 あんな可憐な方がそんなことするか! そうツッコミたくなったものの、たしかにそれは殿下の興味を買っただろう。奇妙に納得を覚えてしまい、激しい脱力感に襲われた。

 

「あの年であれだけの腕前なら、もう数年経てば、そこらの兵士にも引けはとらんだろうな」

「……それはよかったですね」

 

 殿下の立場を考えれば、好みが婚約相手に反映するかと言えば、なかなか難しいだろう。それでもその巡り合わせが良いものであるのならば、良いことだ。

 姫君に対する理想を壊されたことをそう慰めた融は遠い眼差しで自らの主君を見た。

 

「うむ。次に来るときは、弟君も一緒に来るらしくてな」

「はあ……」

 

 楽しそうに話す殿下を見るに、二人の関係は良縁と思ってもいいのだろう。ほっとした反面、運命が違えばともに歩いていたのは自分だったかと思うと奇妙な感慨を抱かざるを得ない。

 

「冒険の話が好きらしいから次来る時までに色々と見て回らないか?」

「…………分かりました。」

 

 まあ目の届く範囲でのことなら、多少割を食うが、仕方ない。ため息交じりに頷きを返した。

 

 昔からわけのわからぬ怪物や噂になっているところなどを冒険させられていた。覚えている最初の記憶では、まだ5歳にもならなかったころ、殿下に連れられてわけのわからぬうちに宮中をうろつき、気が付くと閃王子の寝室だったということだ。

 あの時の閃王子の笑顔が大変恐ろしいものだったのが、印象的だ。

 

 長じるに従って、殿下も私も武芸を身につけたからか、段々と冒険の難易度も上がっていった気がする。殿下はそこら辺の選定が実に絶妙だ。無茶はするが決して達成不可能なところには私を誘うことはなかった。

 ただ、都の外の森の主とされる猪を仕留めに行ったり、近くの村を荒らす熊退治などは比較的マシだったが、熊が盗人に変わり、盗賊団に変わったあたりから、流石に達成可能といえども、諫言をするようになった。聞き入れられたことはほとんどないが。

 相手が実体をもっているのならまだいいが、怨霊の憑りついた廃寺とか訪れたものが変死する謎の祠とかの冒険は正直勘弁していただきたい。 

 

「それじゃあ、まずは東の方の帰らずの洞窟から行くとするか」

「頼みますから、もうちょっと得体の知れるものにして下さい!」

 

 はてさて、今回の冒険で待つものはどういうものなのか。

 まあ、殿下が‘誘ってくださる場合は’、なんだかんだで上手くいくこと大体なので、その後の心配だけをしておこう。

 

 

 本当に怖いのは、

 

 誘ってくださらないとき、この方の手にすら余る事態に、お一人で挑んでしまわれることだ。

 

 

 




アニメ5話の白瑛がよかったです……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。