煌きは白く   作:バルボロッサ

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第42話

 宙に浮かぶ数多のアル・サーメンの魔導士(人形)たち。それらを束ねるように指揮するアルバによって、人形たちが動き出した。

 

熱魔法(ハルハール)

 

 唱えられたそれは、怒号が斉唱になるがごとく、紡がれ、合わさり、束ねられていく。

 

熱魔法(ハルハール)」「熱魔法(ハルハール)」「熱魔法(ハルハール)

 

 縒り合わさっていく詠唱に合わせて、魔法式がアルバの調律のもとで纏められ、一つの赤い巨大な――極大の八芒星を宙に描いた。

 

 ―――――「極大魔法白閃煉獄竜翔(アシュトル・インケラード)

「なにっ!!?」

 

 極大の八芒星から現れた白き煉獄の竜の姿に、それを知るアラジンやアリババたちが顔色を変えた。

 恐怖と瞑想の精霊、アシュタロスの極大魔法、白閃煉獄竜翔(アシュトル・インケラード)。それはあの練紅炎の手にしていた3つの金属器の内の一つの力。

 今この世界で彼だけに許された極大魔法だったはずなのだ。

 だが驚愕はそれだけで終わらない。

 

雷魔法(ラムズ)」「雷魔法(ラムズ)」「雷魔法(ラムズ)」「雷魔法(ラムズ)

 

 今度は黄色の極大八芒星。

 

 ―――――「雷光滅剣(バララーク・インケラード・サイカ)

 

 シンドバッドの始まりの金属器、憤怒と英傑の精霊、バアルの極大魔法。すべてを滅する雷光の極大剣。

 

「“金属器”も“ジン”も、元々アルマトランのもの! “神杖”の極大魔法程度なら、“アル・サーメン”の魔法を束ねればこの通りさ!」

 

 猛るアルバの指揮によるアル・サーメンの混成斉唱は止まず、さらに一つの八芒星を描かんと魔杖を振るった。

 ジンの金属器とは、元々はアルマトランのもの。72本の神杖を基にして作られた、ただ一種の魔法のみを扱える魔法道具。

 理論上、どのような魔法であれ、実在するのならば魔法式で組めないことはなく、アルマトランのマギであるアルバの知識と魔力、そしてアル・サーメンの魔導士たちの魔力があれば魔法を束ねてそれを再現することは決して不可能ではない。

 

風魔法(アスファル)」「風魔法(アスファル)」「風魔法(アスファル)

 

 そしてまた一つの魔法陣が描かれる。

 

「三つの極大魔法を同時にッ!!!?」

 

 それはかつての彼女(練白瑛)が混沌と狂愛の女王から加護を受けていた、白のルフ――風を支配する極大魔法。

 

「消えてなくなれぇ!!! 轟風旋(パイル・アルハザード)!!!」

 

 アシュタロス(炎獄の竜)バアル(雷滅の王)パイモン(暴風の女王)

 一つでさえ何者にも防げないほどの大魔法だと言われるジンの極大魔法が3つ。

 マグノシュタットではイルー・イラーを滅することこそできなかったものの、それでもあの黒き神の体を消し飛ばし、滅びを先延ばす一助となった複数極大魔法の同時攻撃。

 まして人の身であれば、たとえマギのボルグだとしても受け止めることなどできようはずもない。

 だが――――

 

「傾聴と鋭絶の精霊よ。汝が王に力を集わせ、虚空を斬り裂く大いなる断絶をもたらせ」

 

 閃が愛刀・紫微垣の刀身に刻まれた八芒星に魔力を集中させ、アルバのとは異なる黒輝のルフを嘶かせた。

 それは炎や風、雷などとは違う。この世界の物理法則そのものに干渉する力。

 堕転により輝きを失った黒とは違う。7型の力を司るルフによる輝き。

 

「極大魔法。カイル・インケラード・サイカ!!!」

 

 全てを斬滅する極大魔法の詠唱とともに振るわれた剣閃が、放たれた3つの極大魔法の進路(・・)を斬り裂いた。

 

「なっ!?」 

 

 驚愕の声が敵味方から上がる。

 魔法には相性があるために厳密ではないものの、それでも3種類の極大魔法を1つの金属器で防ぐことなどできるはずもない。

 

 だがかつて、ソロモン王は指先一つで物理法則を操り、あらゆる魔法、攻撃、礫、刃を止め、反らし、跳ね返した。

 カイムの力魔法はその片鱗を再現したもの。物理法則を空間ごと斬り裂く力。

 炎も風も雷も、全てはこの世界にあり、世界の物理法則に従う存在。ゆえにその物理法則そのものに干渉し、空間そのものを断絶させたカイムの極大魔法を乗り越えることはできない。

 

「ソロモンの力魔法を再現してッ!!?」

 

 それこそが“最強の力魔法”の片鱗。

 

 アルバの放った3つの極大魔法の全てが、その進路を阻まれ、斬り裂かれた物理空間に飲み込まれて消えた。

 そして世界がその傷跡を修復すると、合わせたかのように絶妙なタイミングで飛翔した光がアルバへと翔けた。

 アル・サーメンの魔法を束ねて放つほどの余地はなく、ただ杖に魔力を込めて魔法を放とうとするアルバ。

 

「このっ――――!!」

「尸桜・白焔!!!」

 

 だがアルバが魔法を放つよりも早く、光の金属器に刻まれた八芒星が紫に輝く。

 その白は、国に巣食い、世界を蝕む毒のごとき仇敵を討つことを怨執とした焔。そして同時に白の血縁に連なる者を守らんとする白。

 白瑛の体を傷つけることなく、しかしアルバの動きを拘束するために、白焔がまるで蛇のごとくにうねり、彼女の四肢に絡みつかんとした。

 

「くっ!!」

 

 アルバは咄嗟に右腕を引いて、杖手を取られるのだけは防いだ。

 その間にさらに距離が詰まる。

 もはや魔法の距離の内側。アルバの魔剣ならば届く距離。だが光の剣の距離からは遠い。

 その間合いの差を―――― 

 

「――なっ! ッッ!! 武器をッ!!!?」

 

 光が魔装化して二刀ある武器の一刀を手槍のように投擲することで埋めた。

 あまりにも唐突で、不意を打った攻撃に、アルバの反応として咄嗟にマギではなく剣士としての自分が出た。

 投擲された武器を杖で弾いたのだ。

 咄嗟に動いた反応で光の鋭い投擲を防ぐことができたのはさすがの腕前だが、同時にそれは迫りくる光のもう一刀に対して無防備を晒すということ――ではなかった。

 

八ツ首防壁(ボルグ・アルサーム)!!」

 

 攻め手を失っても、それでもアルバにはまだ魔法があった。マギの不破の盾にして八頭の大蛇を象る防御結界。

 

 投剣と防御結界によって二人の距離は完全に和刀の間合いに入った。

 

「―― 一閃ッ!!!」

「くッ!!!!」

 

 そして堅牢な盾にして矛となるボルグを、光は手に残るもう一刀の横薙ぎによって斬り裂いた。

 

 互いに一手の剣を振るった残身。互いに向ける剣気の視線が絡み合う。

 四肢を白焔に繋がれて逃れることはできず、魔剣を振るい、ボルグを斬られた。

 だがそれは一刀を投げ、一刀を振るった光も同じ。

 次の一手は先に魔剣を振るったアルバが早いはず。

 

「く、ぉのぉおおおおッッ!!!!」

 

 吠えたのはアルバ。

 一刀となった光が、その一刀を振るいに来るという予期は目の前の光景が否定していた。

 再び剣を振るうために動いたアルバに対して、光は無手となった腕を引き絞り、そこに気を集中させている。

 

「ッッ!!! ――――がふっっ!!!!」

 

 杖を振るうよりもはるかに早く、突き出された掌底が、白瑛の体の胸に深々と衝き込まれた。

 彼女の豊かな胸を衝撃が貫き、衝撃は心臓へと届き、アルバは吹き飛ばされた。

 

「ぐっ、このっ! 鬼猿どもがッッ!!!」

 

 だが当然、掌底一閃のみで撃墜されるほどアルバは柔くはない。

 吹き飛ばされたアルバは、胸元を押さえて咳き込み、すぐさま光たちを睨み付けた。

 その瞳にはますます憎悪が深まっている。

 対する光は、投擲した一刀を魔力で編まれた絹布を引いてその手に戻し、二刀の位に戻っていた。

 まるで決着はついたかのように悠々としているかのように見える姿。その姿に憤怒を募らせたアルバは、しかし魔力を滾らせた瞬間にそれに気が付いた。

 

「な、に……?」 

 

 胸元に違和感。

 

「これは!!??」

 

 掌底を打ち込まれた心臓を中心に広がるその違和感は、マギであるアルバにはあまりに慣れ親しんだ存在――――魔力。

 操気術により、掌底に込められた魔力が、掌打とともに自身の体の内に流し込まれていることに気が付いた。

 根を広げるかのごとくに脈動が広がっていく。

 

「キサマッッ! これでっ!! こんなちっぽけな魔力でッ!! マギである私をどうにかできると思っているの!?」

 

 他者の魔力は、他人の体にとっては毒も同じ。

 一つの命には一つの魔力が宿るもの。それがこの世の摂理。

 他人の魔力が体の中を流れれば、その二つの異なる魔力は体の中でバラバラの意志のもとに暴れ狂い、体を痛めつける。

 それを攻撃にも転用することができるのは、魔力操作の一族(ヤンバラ)や彼らの教えを受けたシンドバッドの先例からは既知のこと。

 

 そしてアルバは、元々他者の体に巣食い、意識を寄生させて乗っ取る怪物。

 摂理に反して他者の体を乗っ取れるのは、元々その体(白瑛や玉艶)がアルバのルフに適合した存在だからだ。

 適合する体、血脈を延々と生み育て、紡ぎ続ける。それによって千年を超える繰り返しを、力を保ったままで乗り越えてきた。

 そこに紛れ込んだ異物(ルフ)はアルバの支配を揺るがす一石となる。

 

 だが、もとよりマギは魔力を操る術に長けた存在。魔力操作によって打ち込まれた程度の魔力など、大樽の中の一滴ほどの濃さでしかない。

 常人ならば悶絶したとしても、マギたる彼女であればルフを押し流し体外に排出するのにわずかな手間ほどで済む。

 

「いや。――――だが、これで終わりだ、アルバ。その体、返してもらうぞ」

 

 それでも毒は毒。そして光の狙いにとって、その体の支配がわずかでも揺らげば、それでよかった…………

 

 光が八芒星の刻まれた愛刀・桜花を掲げた。

 

「まさ、か……」

 

 冥獄のジン――――ガミジン。

 その力は死者の願いに沿う形で死霊を束縛し、使役する力。

 

 そして、練白瑛の体を乗っ取っているのは、意識体である――つまりは“死霊”であるアルバ。ガミジンにとって使役する対象。

 

 光の狙いに気づいたアルバの顔が青褪めた。

 

「やめろ……」

「亡者を統べる罪業と呪怨の精霊よ」

 

 掲げる桜花に刻まれた八芒星が紫色に輝いた。

 命を司るルフの煌き。

 この世界に留まりたいと――――破壊するために、この世界にまだ“そこに在り続けたい”という死霊(アルバ)の願いを叶えるための力の具現。

 

「怨執に囚われし冥者を捕らえよ」

「やめろぉおおおおおッッッ!!!!!!!!!!」

 

 アルバの絶叫と同時に、白瑛の体が深紫の輝きに覆われた。

 

 操気術による魔力の混入によりアルバと白瑛の適合を揺らがせ、ガミジンの力により意識体であるアルバのみを囚える。

 それが光が――“閃”が考えた筋書き。

 光の器を割ったガミジンだけでは、操気術によって魔力を打ち込むための徒手空拳での接敵はできなかった。できたのはただ斬ることのみ。

 閃だけでも、斬ることはできても、アルバを囚えることはできない。

 ガミジンではなく、その主である光と閃の二人だからこそできたことだ

 

 長く響いたアルバの絶叫が、やがて紫色のルフが収束するのに合わせて止んでいき、そして小さな玉となって桜花に刻まれた八芒星へと吸い込まれた。

 

 

 

「勝った、のか……?」

 

 アルバと光たちとの戦いを地上から見上げていたアリババが、アルバの壮絶な絶叫が小さくなって光玉となって光の金属器に吸い込まれたのを見て、恐る恐ると、言葉にした。

 

 マギたるアラジンの力ではなく、意識体であるアルバを逃すことなく、まして白瑛を殺すのでもなく、アルマトランの魔女を捕まえた。

 アラジンの“ソロモンの知恵”を狙う強敵にして、シンドバッドとともに世界を改変せんと目論む魔女。それを今、捕まえることができたことの意義は大きい。

 

「あっ! いけない!! 白瑛おねえさん!!!」

「くっ!!」

 

 アラジンや白龍たちが見上げる宙で、ぐらりと白瑛の体が傾いだ。

 

 空を飛ぶことのできるアルバの支配から逃れた白瑛では、魔装もなしに宙に留まることはできない。

 アラジンや白龍が動き出そうとするも深手を負った体の動きは、意識とは裏腹に鈍い。

 

 しかも強引に引きはがされた影響からか、白瑛は意識を失っているらしく、まさしく糸の切れた操り人形のように虚脱しており――――しかしその体は魔装姿の剣士、皇 光によって抱き留められて落下を免れた。

 

 

 

 二刀を手にしながら、器用に腕の中に白の華人を抱き留めた光は、意識を失い瞳の閉じられたその顔を眺めた。

 

 “断絶し、見せられた記憶”の中の顔と同じ顔。

 “記憶”の中でその顔はいつも凛として張りつめ、しかしふとした時に見せる微笑みは淑やかな華のごとく柔らか。

 真っすぐな気をそのまま表す黒真珠のごとき瞳は今は閉じられており、ややの苦悶をたたえていた表情は、“なぜか”光の腕に抱き留められてしばらくすると消え去った。

 まるでその腕の中にあることが、彼女にとって安らげる場所であったかの如く…………

 

「姉上!!!」

 

 地上に降りた光の耳に真っ先に聞こえてきたのは、彼でなく腕の中で気を失っている“女性”に対するもの。

 “女性”に向けていた視線を引きはがし、声の主に向けると、警戒心を露わに睨みつけてきている煌帝国の元皇帝の姿。

 すでに魔装は纏えておらず、深手を受けた個所を押さえながらではあるが、それでも金属器である偃月刀は離していない。

 そしてモルジアナに支えながらのアラジンと埴輪姿のアリババも光の動向に注視しており、兄である閃は様子を窺うように光の傍に魔装姿のまま降り立った。

 

 白瑛を片腕に抱いてその弟と対峙する光。

 

「……………………」

 

 ふっと、ため息をつくように吐きだし、対峙している白龍へと腕の中の女性を放り投げて渡し、魔装を解除した。

 

「! 光殿……」

 

 咄嗟に受け止め、脱力しているその体を抱きとめた白龍は驚いた顔で光を見返した。

 乱雑な扱いながら、先ほどまでとは異なり敵意と殺意を向けられることはない。

 その気ならばアルバが抜け出して不死ではなくなった白瑛を、腕の中にあり気絶していた彼女を殺害することなど容易だったはずだ。

 それをしないということは、かつての記憶を取り戻したということ。

 しかし―――――

 

「勘違いするな。そいつを斬らなかったのは意味がなかったからに過ぎん」

 

 光はアラジンやアリババたちの希望を明確に否定した。

 

こいつ(アルバ)に憑りつかれていたそいつ(練白瑛)を斬ったところで、不死身では死にもしなければ問題の解決にもならん。そして本体(アルバ)を囚えた以上、そいつ(練白瑛)には用がない…………それだけだ」

 

 否定しながら、光は和刀を鞘に納めた。

 

「光おにいさん。君は…………」

 

 殺害の意味を否定しながら、それでも殺意自体は向けておらず、愛情もない。

 利も(ことわり)もなく白龍(白瑛との関係性)を斬ろうとしていた先ほどまでとは明らかに異なり、しかし“欠けた器”が完全に戻ることはなかったのだ。

 アラジンが痛ましげな目を光に向けた。

 憐憫にも似たその視線を感じてか、光は眉を顰め、ふぃと顔を背けて言葉を続けた。

 

「貴様らが知っているのはガミジンが作り出した虚構だ。その皇 光(ガミジン)はもう死んだ。いくら克明な記憶を見せようが、所詮他人のもの。貴様らが記憶し、期待する俺が戻ることなど、もう、ない…………」

 

 それは決別の言葉にも似ていた。

 練白瑛との。練白瑛を愛した自分との。彼女にまつわる過去との。

 

 そして背を向ける光。

 その背に、彼の兄である閃が声をかけた。

 

「光――――」

「兄上と国王の決定には従います」

 

 光はその声を遮った。

 それは言葉でこそ白龍たちとの不戦を意味していたが、拒絶的な態度はまだ彼の立ち位置に不安を感じさせるには十分。

 その不安をよそに光は背を向けたまま歩き始めた。

 

「…………馬鹿()を回収してきます」

 

 去り際、ほんの刹那だけ光の視線が白瑛を捕らえたように見えたが、それは気のせいだったのかと見紛うほど淡々と光は駆けて消えた。

 

 全知たる“ソロモンの知恵”は、たしかに白瑛にまつわるルフから、光に彼女との繋がりを想起させることはできた。だがそれは彼の中で激しい葛藤をもたらすことでもあった。

 

 ルフにより見せられた記憶が偽物ではないことは分かる。

 彼の類まれな直感もまた同様の結論を指示してはいるし、ルフから伝わる、彼女を想っていたかつての心もまた、光の中に流れ込んできているのだ。

 けれども同時に、彼女を拒絶し、彼女に関わる全てを否定しなければならないという強迫観念にも似た思いもまた、消すことができないのだ。

 

 “ソロモンの知恵”は壊れかけの“王の器”をいくらかは繕い、けれども決してそれは元通りにはできなかった。

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 

 和国、幽閉島――――

 

 煌帝国の大罪人である練紅炎、紅明、紅覇の三人とアラジン、白龍、アリババ、モルジアナ、そして和国の王族である皇 閃が、一つの机を囲んでいた。

 

「………………」「………………」

「そう、ですか…………」

 

 アラジンたちから、彼らがここに来るまでの顛末を――アルバの襲撃と、光の改変、そして白瑛のことを聞いた紅炎と紅覇は無言の反応を示し、紅明のみがなんとか声を絞り出した。

 彼らはいずれも、皇位継承戦争において光と白瑛に裏切られた者たち――――それぞれの事情はともかく、彼らにしてみれば味方だと思っていた者が敵陣営に与したのだ。

 今初めてその真実を聞き、そして一つの決着がついたことを唐突に知らされた彼らの胸中は複雑だった。

 

 皇 光は戦場に死霊たちを現出させて兵を圧倒し、紅明に重傷を負わせた。 

 白瑛は天山高原の守りを放棄して騎士王ダリオスとササンの軍勢を素通りさせた。

 そしてアルバは……白龍が弑逆した玉艶でもあった。

 

 それぞれに事情があり、止むを得ないと言い切ることもできるが心情は割り切れはしないだろう。

 

「それで白瑛殿は?」

 

 だがそれでも、紅明たちにとって白瑛は家族である。

 白龍と敵対することに彼女が苦悩していたことは知っているが、それとアルバに乗っ取られた末の行為とはまた別のこと。

 彼女は、あの白徳大帝のただ一人の娘で、彼らにとって眩いばかりの従妹にして義妹。

 煌を追放されたとはいっても、それでも家族の情の深い彼らにとって、これ以上身内の血が流れるのはつらいことだ。

 

 白瑛のことを気に掛ける紅明の問いに、アラジンは眠りについている女性の姿を思い返して答えた。

 

「アルバさんから解放されはしたけれど、かなり強引に引きはがされたようで、ダメージが残っているみたいなんだ。だからしばらくは目が覚めないかもしれない……」

 

 体に負った傷はない。

 閃に斬られ、貫かれた心臓の傷跡はなく、光の放った白焔に巻き付かれたことによる火傷なども、彼女の体には残っていなかった。

 ただ一つ、昏々と眠り続けるように意識を失っていることのみが懸念。

 

 それはアルバの意識体を強引に引きはがされたことによる弊害なのかもしれない。

 アルバの意識と白瑛の体――ルフは融合と呼べるほど完全に適合していて、白瑛自身の意識は心層の奥深くへ閉じ込められていたのだ。

 光はそこに魔力を流し込んで融合をかき乱し、緩んだ適合の紐を引きちぎるようにアルバの意識体のみを白瑛から引きずりだして捕まえた。

 仕方ないことではあったのかもしれないが、引きちぎられたことにより多少なりとも白瑛自身のルフや体、心にダメージが残っている可能性はあり、この昏睡はダメージを修復するためのものなのかもしれない。

 とすれば、彼女の目が覚めるのがいつになるのかは、アラジンとてはっきりとは答えられない。

 

 紅明はちらりと兄に視線をやった。

 深く刻まれている眉間の皺は、単に以前に比べて老け込んだから、というものではないだろう。

 紅炎にとって白徳大帝の血統がどれだけ重みをもっているかを、紅明は知っている。

 

 白徳大帝と、彼の嫡子であり正統な王位を継ぐべきであった白雄皇子、そして白蓮皇子。彼らを支えるために紅炎は迷宮を攻略していたのだ。

 彼らにかけられた言葉を今でも覚えているし、彼らの意志をこそ、紅炎は継がんとしていたのだ。

 そして彼らの唯一の実妹である白瑛は、紅炎にとって唯一と言ってもいい、特別な女性。

 一見すると変わらぬ無表情の中に、多彩な心の内を隠す紅炎の、その心の機微を読み取れるのは、唯一の同母弟である紅明を除けば“白瑛様”だけだった。

 本来ならば膝をついて拱手を捧げ、忠誠を尽くしたいはずの相手。

 そこにあったのはもしかしたら恋愛の情などという言葉では片づけられない感情だったかもしれない。

 恋慕であり、愛情であり、庇護欲であり、敬愛であり……しかし“白”と“紅”とが入れ替わったあの日から変わってしまった。――――いや、それはもしかすると、彼女がほかの誰かの伴侶となることを知り、受け入れたときから…………………

 

 紅明自身もまた、思いを断ち切るように一度目を閉じ、次に開いた時には感情を排した軍師としての顔になり、問題の続きを促した。

 

「それでは、問題は次にシンドバッドがどう動いてくるか、ですね?」

 

 紅明の問いに、閃はこくりと頷いた。

 建前の上では、七海連合であった国際同盟はそのまま不可侵略の信条があるため、直接的な武力行為にはでてこないだろう。

 だがこの場にいるだれもが、そんなものは建前にすぎないことを知っている。

 

 かつても開かれた金属器使いたちの会談の後で、シンドバッドはアラジンやアリババには、練紅炎と手を組むことを明言していた。

 たしかにその明言をしたのは、紅炎たちが居なくなった後であり、彼らにはアル・サーメンと手を切るのなら、という条件で手を結ぶと告げていたに過ぎない。

 だが結果は彼らも知る通り、シンドバッドは秘密裏にジュダルが与する白龍と同盟を結び、内乱に介入し、アル・サーメンの首魁である魔女アルバを味方に引き込むという行為を行っていた。

 各国が独立し、多種多様な価値観の元、同盟関係で支え合う世界を理想と宣い、紅炎たちが謳う“一つの価値観による世界”を否定しておきながら、求めているのは“シンドバッド自身が良いと思うことのみが許される世界への改変”。

 

 自身の行動自体に最早筋はなく、なりふり構わず己が善のみを通す。

 それが紅炎のころの煌帝国では悪とされ、シンドバッドが頂点となったこの世界ではあたかも善であるかのように受け入れられている。

 

 紅明の問いかけを聞いて、黙考するかのように眉間に皴を寄せていた紅炎が口を開いた。

 

「アルマトランの知識を有するアルバを和国が押さえたとなると、それを奪い返しにくる可能性が高いな」

「やはり、ですか……」

 

 ある意味、シンドバッドと紅炎の考え方は非常に近い。

 どちらも世界を一つの価値観で統一することを目的としていたのだ。

 ただ、そのやり方が違っていた。

 シンドバッドの方がより狡猾で回りくどく、悪になることも厭わなかった紅炎と違ってシンドバッドは善たる王であることを世界に知らしめていた。

 そしてあくまでも人の世界における価値観を統一しようとしていた紅炎たちに対して、シンドバッドは“聖宮”という、この世界を構成するルフシステムの根幹を弄ることで――つまりは神がなすかのようにこの世界の人々の価値観を一つにしようとしているのだ。

 

 その目的のためにはアラジンの“ソロモンの知恵”が必要であり、その“王道”いや、“神道”を補佐するためにアルマトランの知識を有するアルバが必要であった。

 

 紅炎もまた知識欲の深い王であったからよく分かる。

 この世界の謎を、仕組みを解き明かすためには知識が必要だ。とりわけこの世界の創造に関わったアルマトランの知識ともなれば、それは創造主()の知識にも等しい。

 

「単純な武力ではなく、政治的に攻めてくることになるでしょう。今や世界は七海連合、いえ、シンドバッドを頂点とした国際連合の色に染まっています。まっとうな手段でなくとも、このままでは和国が世界的に孤立し、世界の敵と定められてしまうかもしれません」

 

 シンドバッドにとって、信頼できる筋道とは、己が進む道のみであり、己が掌の上で操られている世界なのだ。アラジン(ソロモンの知恵)アルバ(アルマトランの知識)を和国が独占していることは、シンドバッドにとって耐え難いことだろうと予測することはそう難しくはない。

 

 煌帝国に――――紅炎たちにしたように、シンドバッドは世界そのものを操って“()”をつくり、それを倒す。

 

「そうはなりません。世界はまだ、シンドバッドの色には染まり切っていませんから」

 

 だが、そうはさせない。

 この世界は、一人の英傑(シンドバッド)のものではないし、アルマトランの魔女(アルバ)のものでも、“イル・イラー(異次元の神)”の玩具でもないのだから。

 


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