煌きは白く   作:バルボロッサ

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今回は番外編になります。



断章1

 

 

 

 

 見渡す限り地平線が続いていく草原の大地を、2人の少年が馬を走らせていた。

 大陸の民、その中でも馬術に秀でる遊牧民の子供らしく、幼さの残る少年たちはしかし若年さを感じさせないほど巧みに騎乗している。

 

 しばらく馬を走らせ、やがて湖畔についた少年たちは馬を休ませて草を食ませ、自身たちも草原の上に体を投げ出して空を見上げた。

 二人は兄弟なのか、顔立ちがよく似ていた。

 体躯のいい少年が兄だろうか。弟らしい少年が同年頃の少年より少し体躯が小さいのに対して、兄はかなり大柄だ。

 そしてそれが顔つきにも表れており、兄は自信に満ち溢れて野性味あふれ、弟はどこか気弱く繊細そうに見えた。 

 

「こうして――――」

 

 空を行く雲を眺めていた兄が、隣に寝そべる弟に話し始めた。

 

「空の続く限り、どこまでも馬で駆けて行ける、そんな生き方がしたいな」

 

 この世界には争いが満ちている。

 この広く遮るものなどないように思える草原においても、他部族との諍いは絶えず、時に殺し合い、時に奪い合う。

 

 とある部族の酋長の嫡男である少年が何よりも好きなのは、こんな陽気のいい春の日に、いい馬に跨って、鷹をとともに野原を駆けること。

 

 兄である少年の言葉に、弟である少年は陽気に笑い、頷いた。

 

 

 

 

 ――――遥か昔。ある世界に一人の王がいた。

 かの王の下、あらゆる種族の者たちがその意に服し、崇め、暮らしていた。

 だがその意に従わぬ者たちがあり、70と2の部族の長たちは王がために死力を尽くしてそれに対した。

 

 70と2の部族の中に、王に最も愛された黄金の狼の部族があった。

 その眼は鋭く、遥か彼方を見晴かし、その瞳にはいかなる怖れも浮かばない。

 あらゆるものに立ち向かう勇ましき精神。

 その躰はあらゆる刃を跳ね除ける強靭な体毛で覆われ、その内に宿る肉は敵を屠るための目的にそぐわぬものはない。

 

 黄金の狼を始め、部族の長たちの助力により王は戦いに勝利した、しかしその戦いにより王は倒れた。

 土地は荒れ果て、人は死に往き、滅びを待つばかりとなった。

 そのため上命が下り、黄金の狼を筆頭にして部族の者たちは大いなる湖湛える土地へと渡りて暮らした――――

 

「――――その黄金の狼の末裔たるが、我ら黄牙の民なのだ」

 

 村一番の物知り爺さんの話はいつも長く、そして大体がそんな話から始まった。

 長い長い時の彼方。この世界での彼らの部族のはじまりよりも以前。断絶した歴史の記憶が、まだ彼らの中に断片的に残っていた頃の話だ。

 

 

 

 

 少年が馬を駆けていた。大好きな乗馬ではなく、一刻も早く帰りつかんと欲するがための疾駆。

 

「――――父上!!」

 

 そうして帰り着いた故郷の幕舎で彼を出迎えたのは、物言わぬ躯となった父の姿と、泣き縋る母の姿、そして涙を堪えて母の傍らで肩を震わせる弟の姿だった。

 

 彼らの父は殺された。

 

 かつて敵対し、戦によって打ち破った部族に殺されたのだ。

 少年の父の一生は、まさしくその部族との戦闘に命を賭けた一生だった。父の父の代の頃にはすでに祖先からの宿敵という間柄であったらしく、十数年前に、少年の父が部族を率いて戦い、漸く大打撃を与えたそうだ。

 そうして父は己が部族に十数年の平穏をもたらした。

 草原の世界において、戦で打ち破った部族の男は皆殺し、女は戦利品となる。それが草原の掟だった。だが少年らの父は打ち破った部族の男を皆殺しにしなかった。

 

 それがために起きたことだった。

 

 酒宴に招かれた父がそれを受け、酒に酔い油断していたところで毒を盛られたのだそうだ。

 父を連れ帰ってきた部下の男が悔しそうに少年に教えてくれた。

 父は毒に苦しみながらも己が部族のもとまで馬を走らせて戻り、幕舎まで戻って数日間苦しみ続け、そして少年が戻ってくる数刻前に息を引き取ったのだそうだ。

 

 それを聞き、そして父の亡骸を前にした少年が感じたのは憤りだった。

 草原の掟に背き、男どもの息の根を止めず、女どもを奴隷にしなかったがために禍根を残し、掟の報いを受けたのだ。

 

 少年の固く握った拳が震えているのは、決して父の死を嘆き悲しみ涙しているからではないのを、少年の弟は知っていた。

 

 

 それから、少年らの部族には過酷な運命が待ち受けていた。

 

 父の後を継いだ少年がまず行ったのは、明確な序列化であった。

 少年には幾人かの兄弟姉妹がいた。

 酋長である少年を頂点に、すぐ下の同母弟である弟を補佐とし、異母弟たちをその下に置いた。

 

 だが事はそう上手くは行かなかった。

 

 まず異母弟たちとの仲違いが起こった。

 少年よりも大柄で腕力のあった異母弟たちは徒党を組んで少年に反抗したのだ。

 強力な指導者であった父を失った少年の部族は求心力を失い、部族がほぼ瓦解していた少年には、そんな異母弟たちですら貴重な臣下であった。

 しかし、やがてはそれにも決着をつけなくてはならず、少年は異母弟たちの内、もっとも長兄であった異母弟を暗殺することで紀律を正した。

 

 それだけでは終わらなかった。

 遊牧の民の財産である馬を盗まれることもあり、さらには少年の成長を恐れた他部族の襲撃を受けた、そして酋長となった少年は捕虜となり、弟たちの部族から引き離されてしまった。

 

 

 

 酋長である兄の犠牲のおかげで襲撃から逃げることのできた者たちは、しかし一様に顔を暗くしていた。

 

「…………兄さん……」

 

 捕らわれてしまった兄のことを思い、今や全権を委任されてしまっている少年は呟いた。

 

「酋長さん……戻ってこなかったね」

 

 少年の呟きに背後から応えた者がいた。少年はちらりとその人物を見て、再び視線を眼下に広がる草原に目をやった。

 今、彼らは草原から離れ、山麓へと逃げ込んでいる。

 ここからならば草原からの襲撃があればすぐに察知できるし、身を隠しやすい。

 しかし遊牧の民の要である馬や羊に十分な草を食ませることができない。

 もっとも今はその家畜や馬がいないがために逃げ込めているのだが……

 

「お兄さん、生きているといいね」

「生きてる。生きているに決まってるッッ!」

 

 彼らには力がなかった。

 兄から代理での権力を授けられている少年とて、それは所詮部族内での力。そして今やその部族自体も10人にも満たない血族のみしかいないくらいだ。

 むしろ血族の中からも他部族の庇護を受けるために出て行ってしまった者がいるくらいだ。

 さらには肝心の兄――酋長すらもいなければ、部族の崩壊は目前といっていいだろう。

 

 ザッ、土を踏み自分の隣に立つ音が聞こえる。

 少年の隣に山高の帽子をかぶり、長い杖を手にもつ、見慣れない服装の女が立ち、少年と視線をそろえた。

 

 ――力さえあれば…………――

 

 力さえあれば、兄を奪還できる。

 こんな家畜も育てられない場所から草原へと戻ることができる。

 家族を守り、離散した部族を取り戻し――――そして……………

 

「あるよ。力ならある。そう、君ならば手に入れられるよ。世界を変える、大いなる王の力を」

 

 言葉が、漏れていたのか。

 はっとして隣に立つ女性へと振り返った少年は、そこに不思議な笑みを浮かべて少年を見ていた。

 少年の全てを見通すようであり、この草原の果てを、世界の真理を見透すようでもあった。

 兄や従兄に比べれば矮躯で力の乏しい少年だが、それでも遊牧の民の男であるからには、膂力で女に劣るはずはない。

 けれども女性の眼が、存在が、今は他のどんな部族の存在よりも不気味に思えた。

 

「お前は……なんなんだ……?」

 

 彼女は不思議な女性だった。

 彼女とは盗難された馬を、兄たちとともに奪還しにいく途中で出会って、そのまま部族のところに連れて帰ってきたのだが、彼らが今まで出会った女性のどれとも違っていた。

 

 彼らの価値観では、女は所有物に過ぎなかった。

 少なくとも兄からも父からもそう教わってきたし、事実として部族の中でも外でもそうだった。

 弱く、力を入れて突けば簡単によろめき、男ほど重たいものを持てず、殴りつければ容易に倒れて泣き出す。到底戦闘になど出れず、外を出歩けば攫われ略奪される存在。

 羊や馬と同様に部族の宝であり、少し違うのは部族内で共有されるものではなかったこと。そして部族を受け継ぐ子を産むことができることだった。

 同じ狼の血が流れているのが許しがたいという兄ほどではないが、彼もまた女という存在は男とは違う弱い生き物なのだと思っていた。

 ところがこの女性はどうだ。

 危険な草原をたった一人で馬もなく彷徨い、不可思議な術を使って馬の奪還に協力してくれた。

 女性を子を産む物としか考えていない兄ですら、この女には不気味さを覚えて手を出していない。

 

「私の名前は―――――。王の選定者、マギよ」

「マギ……」

 

 名前など、どうでもよかったのかもしれない。

 ただ守るためだけに力を求めた少年は、そうして差し伸べられた手をとった。

 

 

 

 それは大昔の話。

 

 この世界で“最初に”迷宮を攻略し、王の力を手にし、ジンの力を手に入れた“王の器”の物語。

 断絶した、彼方の記憶の欠片………………………

 

 

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 少年が手にした“王の力”は凄まじかった。

 数の上でも質の上でもあれほど圧倒していた敵部族をものともせずに薙ぎ払い、蹴散らし、虜囚となっていた兄を救い出したのだ。

 その力に兄は驚き、まずは力が手に入ったことを喜んだ。

 

 “王の力”は凄まじく……凄まじすぎた。

 

 兄を救い出した後、彼らは報復を行った。

 その報復により、敵部族は草原に屍の山を晒した。あまりにも一方的で、あまりにも理不尽なほどの力の具現。

 残された者たちが降伏を申し出るまでにそう時間はかからなかった。

 早々に物言わぬ屍となった敵酋長に代わって戦意喪失した男たちと、戦えない女や老人、孤児となった少年たち。

 

「男は殺せ」

「え……?」

 

 そんな降伏した者たちを前に、酋長である兄は告げた。

 

「聞こえなかったのか、男は皆殺しにしろと言ったんだ」

 

 すでに多くの戦士が死んでいるが、それでも老人や戦意喪失した戦士など、男の生き残りはそれなりにいる。

 彼らは“王の力”の隔絶した力に畏怖し、抗う意思など残っていない。にもかかわらず、兄は殺戮を宣言した。

 

「そんなっ! 彼らはもうこの部族の傘下だ! この小さな部族を大きくするためには」

「分からないのか!!」

「!!?」

 

「父はなぜ殺された! こいつらはなぜ今這いつくばっている! 全ては始末をつけなかったからだ! 詰めの甘さが、やつらの禍を招いたのだ!」

 

 “王の力”を持った少年は、絶望的な瞳で降伏してきた者たちを見た。

 二人のやり取りに、彼ら自身の明確なる死を感じ取り、怯えた瞳で懇願するように少年を見上げていた。

 

 

 

 ―――――――その日、草原から一つの部族が消えた。

 

 

 ことさら残忍な性を持ってはいたが、それでもその後も部族の傘下に入りたいと頼ってきたものが多かったのは、兄の示した残虐さは草原において決して異常ではなく、当たり前に行われてきたことだったからだろう。

 むしろ、かつて集落を裏切り彼らを見捨てて出ていった者たちが先んじて帰順を願い出てきた時には恨み言の一つもなく、その感情を押し殺して迎え入れる度量があっただけ、心が広いと言えたのかもしれない。

 

 

 

 “王の器”となった弟を持つ部族の酋長。

 兄弟二人の関係は、弟が兄を支えるというスタンスであったがために続いていた。だがそれは兄にとってはどうであろう。

 

 弟が功績をあげれば上げるほど。弟の“力”抜きで敵を襲撃し、返り討ちにあいそうなところを助けられたりする経験を重ねるごとに。兄弟二人の関係性は歪んでいった。

 そして―――――

 

 

「がふっ! なん……ど、く? 兄上、なん、で……?」

 

 戦いの後、戦利品を分配し、大きく膨らんだ部族の男たちは新たに手にした“所有物”に浮かれ、騒いでいる。兄弟が勝利の馬乳酒を酌み交わし、弟が血を吐いたのはそんな時だった。

 馬乳酒の中に混ぜられた毒に、胃の腑が焼かれたように熱を帯び、口から濁った血が溢れる。

 膝をついた彼の前に立つ兄の足が見えた。

 

「初めに言ったはずだ。この部の酋長は俺で、お前はその次だと。今、どれだけの者がそれを信じる? お前は……お前は、力を得すぎた」

 

 どこか悲し気に聞こえる兄の声。

 自分が部族の紀律を乱しかねない存在であることは彼自身がよく分かっていた。

 だがそれでも、この自分にしか扱えない力は、兄のために、部族のために使うべきだと思っていたし、事実として兄の命令に忠実に従ってきたはずだった。

 

 ――どうすればよかったというのか―――

 

 兄を助けるためにと得た力。

 兄を輔けるために振るってきた力。

 

 それ自体が否定されるというのなら、どうすれば正解だったのか。

 

 兄の声の中にも悲しさが含まれているように聞こえたのがせめてもの救いで、少年はなんとか兄の顔を一目でも見ようと顔を上げた。

 

「!!!!」

「大人しくその“王の力”を俺に渡していればよかったものを」

 

 そこにあったのは、ただただ欲望に塗れた顔。

 血のつながった忠実な弟を殺めることになるというのに、ただ己が地位の安寧を守れることに、そして自分よりもはるかに“優れている”“王の器”を殺すことの愉悦を覚えているだけの顔だった。

 

 

 そして―――――――――

 

 

「なぜ……なんでこんなことに………………」

 

 気が付けば、少年だった彼は血に塗れていた。

 最早原型を留めていない、裂けた血袋となった、●だったモノを前に彼は呆然としていた。

 

「それがあなたの運命だからよ」

「うん、めい……?」

 

 いつの間にか、苦しみはなくなっていた。

 マギである彼女が何かしたのか。ただ、感じる吐き気は先ほどまでの毒によるもの以上のものがあった。

 

「そう。運命。あなたは世界を変革する存在。あなたにこんな運命を強いる、この世界の在り様そのものを否定し、壊すための“特異点”」

 

 ビィビィと、何かが少年だった彼の周りを飛んでいる。

 白から黒へと染まりいくなにか。

 

「さぁ、運命を否定して、立ち上がるのよ。我が“王”よ」

 

 そして差し伸ばされた手を…………かつて少年であった彼はとった。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「愚かなヤツは死んだ…………今より、俺は王となる」

 

 白が黒へと変わったその日。王は自らが部族の、そしていずれは世界の王となることを宣言した。

 

「我が名はチャガン・ハーン!!! 世界の王となる者! この世界を作り変える王だッッ!!!!!」

 

 四狗と呼ばれる忠実なる眷属と精強な騎馬の民。

 そして王自身の力によって、彼は瞬く間に世界を席捲した。

 草原を制覇し、天を衝く山を越えて西を征覇し、東は大陸の果てまで余すことなく支配した。

 

 

 

「男として最大の快楽?」

 

 ある時彼は問われて答えた。

 

「決まっているだろう」

 

 それを尋ねてきたのはすでにその身を捧げて異形となった眷属の誰かであったか、それとも支配して朝貢してきた国の元国主だったか。

 

「男にとって最も甘美な快楽は敵を滅ぼし、堕落しきった豚どもを駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい同胞が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すこと以外になにがある!」

 

 その答えのどこにも、在りし日の少年の面影はなかった。

 春の陽気の薫り漂う草原を馬で駆け抜けることを愉しみとした少年は、もはやいなかった。

 

 

 

 西へ西へと覇道を進める王は、あるとき東にもまだ果ての先があることを知った。

 大陸の端のその先。

 草原の民の出である彼からすれば、まさしく異境である海のその先に、彼が制覇するべき国があることを知ったのだ。

 海に浮かぶ島。

 そこにも彼が駆逐すべき猿どもがのさばり生き、凌辱する女どもが安穏としているという。

 そしてそこには目もくらむばかりの見上げるほどの金が溢れかえっており、その輝きで影すらもできない国なのだという。

 

 そうして騎馬の民である彼らは船をつくり、東へと漕ぎ出した。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 見遥かす水平線の彼方の先。そこに今、島を覆いつくすかの如く大船団が向かってきているという報せを彼は受けていた。

 白木の鞘に納められた太刀を腰に帯びた若き青年。

 

「戦は避けられぬ、か…………」

 

 すでに幾度かの使節が派遣されてきてはいたが、その内容は到底彼らの国が呑めるものではなかった。

 譲歩とは名ばかりの恫喝。

 国としての主権はおろか、人としての在り様までも否定する意図が使節の言葉から透けて見えていた。

 

 最早戦いは避けられない。迎撃のための軍もすでに発っている。

 だが数の差は如何ともしがたい。

 なにせこちらは小さな群島国家一つであり、相手は今や世界を制覇すべき勢いを持った大黄牙帝国だ。動員できる兵、従える属国、奴隷、いずれも桁が違う。

 さらには大王であるチャガン・ハーンは魔神がごとき天変の力を振るうという。

 

「――――秦」

 

 名前を呼ばれ、振り向くとそこには4人の友がいた。

 いずれも剣を競い合った仲で、時に殺し合い寸前まで剣を交わしたこともあれば、剣の向きを揃えたこともある。

 そして共に“迷宮”を攻略した仲間だ。

 

「やはり無謀だ。伝え聞くところによるとチャガンには巨神の仲間が4体もいるという。まず間違いなく眷属による同化だ。俺たちも同化をしなければ対抗しきれん」

 

 チャガン・ハーンは4体の異形を使役するという話が伝わっている。

 “迷宮”を攻略した彼らだからこそ、チャガン・ハーンの魔神のごとき力の正体が金属器であると推測できたし、都市を郭壁ごと蹂躙する巨体の異形とやらが同化眷属によるものだと分かった。

 

「お前が俺たちの身を案じているのは分かる。だがそれでは国を守れん」

「チャガン・ハーンは残忍な性を持つ獣のごとき男で、戦の決着は必ず殲滅でしかなく、戦が始まってから降伏しても男は皆殺しにされ、敗北すれば女は皆物のように凌辱される。そんな畜生を王などと崇めることはできん」

 

 大陸の覇者であるチャガン・ハーンの残忍さは、帝国が引き起こした戦場の苛烈さとともに知れ渡っている。

 

 かつてともに冒険を繰り広げた彼らは、今は国を守るための守護者たちだが、その身はいまだ人の姿形を保っている。

 眷属同化が人の身には危険な業で、使えば使うほど――その身を精霊に捧げるほどに、その体は人のものから外れていき、やがては意識までもが完全に精霊と同一化してしまう。

 ゆえに彼らの“王”は、眷属となった友たちにそれを禁じた。させなかった。

 今まではそれでなんとかなっていた。

 

「俺たちはこの国に生きる民のために剣を振るうわけじゃない。お前だから、俺は共に剣を振るうのだ。お前があのチャガン・ハーンを斬るのなら、俺たちはこの身どころか、命を眷属に捧げることになったとしても構わん」

 

 だが今回はそうもいかないかもしれない。

 金属器使いであるチャガンの相手ができるのは同じく金属器使いのみ。

 そしてただの眷属である彼らと、同化眷属とは引き出せる力が格段に違うのだ。

 

 だがそれでも…………

 

「お前たちの命はいらない。俺の望むのは、お前たちとともに生きていく自由な未来だ」

 

 友に人であることを捨ててくれなどとは願えない。

 人としてこれからも隣を歩いていく、それが望む未来なのだから。

 

 

 

 

 そして始まる戦い。

 

「さぁ、往くぞ。世界を我らの物に。強欲と蹂躙の精霊、アンドラスの名の下にッッ!!―――――蹂躙せよッッッ!!!!!!!」

 

 船団から雄叫びの声が上がる。

 チャガン・ハーンの姿が蒼い狼のごとき魔装の姿へと変わり、彼に従う眷属の狼人たち――四狗もまた同化を行い巨大化した。

 

「静慮と克己の精霊、キメリエスよ。汝が敵を討ち払うために、我に力を授けよ」

 

 迎え撃つ“和国”の(つわもの)たちもまた、長刀を抜き、槍を構え雄叫びを上げた。

 秦の姿もまた変化し、背には翼を、そして角の生えた仮面を被った魔装を纏った。

 

 

 この世界においてはじめての、“王の器”同士の、金属器による戦いは苛烈なものとなった。

 戦場となった海は荒れ、船団を飲み込み、天は雷によって裂けた。

 

 

 

「我が覇道を阻むか! 島国の猿風情が!」

 

 これまでチャガン・ハーンの前に立ち塞がった者はいなかった。

 “王の力”を振るえば屍となるか、あるいは微塵も残さず消え去り、それを見た同胞たちは怯え、頭を垂れて許しを請い、その首を刎ねてきた。

 

 だが今。ただ一人空を駆けてきた狼の前に立つ鬼は、チャガンの“王の力”と互角に渡りあっている。

 

「この国は侵させはしない。たとえ…………」

 

 チャガンと対する“王の器”――秦は視界の一部に眷属たちの戦いおさめた。

 遠くからでもその激突の様子は容易く見て取れる。

 海に立ち、雲まで届くほどの巨人たちが戦っている。

 4人の友であった眷属たちは、彼自身の意に反して精霊に己が身を捧げ、翼の生えた長鼻と角をもった異形へと変貌した。

 

 同化眷属同士による戦いは、他の兵たちを戦場から遠ざけて、それでもなお激しさを失ってはいない。

 

 ――例え友を失っても…………――

 

 眷属の同化はその身を捧げる禁忌の業だ。

 一度でも同化をしてしまえば、最早その身は只人に戻ることはできず、使えば使うほどに人から外れ精霊へと――ジンの眷属へと変わっていく。

 

「強欲と蹂躙の精霊よ! 汝が王に力を集わせ、この世の全てを、大いなる我のものと為せ!!!」

「静慮と克己の精霊よ。汝が王に力を集わせ、常世を斬り裂く、大いなる神威をもたらせ!!!」

 

 

 ―――――『極大魔法―――――』――――

 

 

 二人の金属器使いが、互いの“器”を破壊しあった戦いが、この世界ではたしかにあった。

 

 それは、今はもう改変され、泡沫と消えた歴史…………

 

 

 

 


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