夢を、見ていた。
長く長い夢。
すでにこの世界からは消されて、歴史ではなく物語となってしまった
「…………そういう、ことか………」
夢から醒めて目を覚ました光は、つい最近になって
魔導士ならぬ身で、ルフを知覚する認識力のない光には今現在、和刀の周りのルフが活性化しているのを見ることはできない。
だが金属器に刻まれた八芒星の周囲には、ピィピィと囀るルフが嘶き集っていた。
✡ ✡ ✡
大峡谷――――
「調子の方はどうだい、アリババくん?」
「ああ……まだ少し力が入り辛いけど、なんとかいけそうだ」
和国におけるアルバ襲撃から時が経ち、アラジンの傷も癒えたころ、アリババはアラジンの魔法によって、ユナンの下を訪れていた。
「また身体が変わって動かし方が分からなくなっているんだよ。身体とルフを元に戻す訓練が必要だけど、和国の方でやるのかい?」
「ええ。やっぱり向こうの方が、状況の変化が分かりますし、閃さんも修行の手配をしてくださるそうですから」
その目的はアリババの元の身体を取り戻すこと。
アリババの身体は、数か月前の煌帝国の皇位争奪戦争に先駆けて勃発した洛昌での白龍との戦いによって、精神と肉体とを切り離されてしまっていた。
なんの運命からか、切り離されて死んだはずのアリババの精神はアルマトランの魔導士や“光”の協力によってこちらの世界に戻ることができたのだが、その際の依り代として埴輪のような人形の体を使用していた。
すぐにでも肉体を取り戻したいアリババではあったが、漂着したのが彼の肉体が安置されていた大峡谷から遠く離れた和国であったことや、安全に移動するための魔法を行使できるアラジンが深手を負っていたなどの理由から少しの時が必要だったのだ。
そう、この世界はすでにアラジンや彼らにとって危険ともいえる世界になりつつあった。
「そうだね。……シンドバッドは……20年前、シンドバッドに力を与えたのは、僕なんだ」
アリババの懸念と予定には肯定を示したユナンは、何事かを沈思すると懺悔するかのように呟いた。
「あの頃は、僕はこの世界に本当に嫌気がさしていたんだ」
そして彼のマギとしての物語を語り始めた。
それは彼方の伝説として終わってはいない英雄の始まりの物語でもあった。
「王を選んでは滅び、仲間たちと共に国を築いては滅んで……憎しみ、戦い、殺し合い、滅びて、繰り返す。何度でも飽き足らない、そんな、僕の涙も枯れ果てるような世界を……」
選んだ者は王となり、栄え、そして滅ぶ。
栄枯盛衰が世の常とはいえ、それを延々と繰り返し当事者として在り続けることの苦難は、ユナンからマギとしての義務感と涙とを奪い去るには十分すぎた。
「変えてほしかった。特別な“王の器”に、この繰り返しの歴史を。……そしてシンドバッドはその通り、この世界を今までの武力がすべてを決する世界から平和で豊かな理想郷に変えようとしていた……そう、思っていた」
ゆえに願った。
世界の在り方そのものを変えてくれる強大な“王”の出現を。
それが単なる物語の中の一つにすぎないと思っても、それでもこの繰り返しが少しでも変わるのならと……
その結果、確かに世界は変わろうとしている。
シンドバッドという絶対の
それは繰り返しを否定したいユナンにとってみても、納得できる答えではなかった。
また選択を誤ったのか。そもそも正しい選択などあったのか。それでもあのシンドバッドに自信と王の力を与えるきっかけを作ってしまったのはユナンだ。
ユナンの“始まり”の選択がこの世界の全ての人の意志を殺すことになるかもしれない。
その自責と悔恨とに震え俯くユナンに、アリババはポンとその肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ。まだ、何も決まっていません。この世界がどうなるか。みんなが、善くしようとしているんですから。もちろん、シンドバッドさんも」
告げるアリババの瞳はまっすぐで、不思議と信頼できるなにかがあった。
アリババは知っている。
まだ世界はシンドバッドの色に染まり切っていないことを。
この世界を物語として眺め続けている存在がいることを。
「アリババくん……うん。僕は今はこの谷を離れられないけど……何かあったら、その時は必ず力になるから」
振り切ってはいない。
まだ選ぶことに恐れはある。
また間違えてしまうのではないかという恐れ。“何かの存在の導くままに”物語を繰り返してしまうのではないかという恐れ。
だが、いかに恐れていても物語はいずれ結末を迎える。
それはこの世界での繰り返しと同様にか、かつて滅びた世界と同様にかは、まだ分からない。
その結末が彼らの望み通りの結末になるとは限らない。
だからせめて力を尽くそう。
この物語が誰かを愉しませるものではなく、彼ら自身の物語を締めくくれるように。
✡ ✡ ✡
天山高原の、陸の孤島とでも言うべき場所で会談が行われていた。
そこはシンドバッドが今後の世界の運営を考えて、七海連合から世界の同盟に移行した時の本部にと考えての場所だった。
「――――それでは、どうあっても白瑛殿をこちらに返してはいただけないということですか? 皇 閃殿」
片や今や世界の指導者たるシンドバッドと、それに意を同じくする王たち。
「返すもなにも、彼女は我が弟の婚約者。断じてアナタのモノではありませんよ。シンドバッド殿」
そして対するは今や世界に数少ないシンドバッドとは意を異なるものとする王の一人、和国の王子である閃だった。
閃はシンドバッドに抗弁して、彼を囲む者たちに視線を巡らせた。
古くからシンドバッドの、シンドリア商会と手を結んでいた各国の王たち―――――ササンの騎士王ダリオス・レオクセス、極北イムチャックの秘境の酋長ラメトト、女系国家アルテミュラの女王ミラ・ディアノス・アルテミーナ、エリオハプトの王アールマカン・アメン・ラー。そして煌帝国第5代皇帝 練 紅玉。
いずれも閃や光と同じく金属器使い。彼らがその気になればさしもの閃も無事では済まないだろう。もっとも、そんな事態になればシンドバッドにも取り繕いようもないであろうが。
ただし、そんな懸念を抱かざるを得ないほど、会談の内容は平行線をたどっていた。
「しかし彼女は我が商会の最高顧問です。我々の業務にも差支えがでてしまうのですよ」
煌帝国の皇位継承戦争の時から、表向き白瑛は親シンドバッド路線へと転換しており、戦後も実弟が皇帝となった煌帝国には戻らずにシンドバッドの、シンドリア商会の下で立ち位置のよくわからない顧問として動いていた。
その動きは対外的にも、そして対内的にも不審を抱く者がいないではなかった。
シンドバッドは白瑛を手元に置いて何らかの助言を密に受けており、それは彼の眷属であり古くからの仲間たちにも不信感を抱かせるほどだった。
だが白瑛を手元に置いてからのシンドリア商会の技術革新には目まぐるしいものがあるのも事実。
それまでシンドリア――七海連合はマグノシュタットを強引に支配下におくことで、この世界における最高水準の魔法技術と研究環境を整えたが、現在シンドリア商会が唱えている技術革新は、そこからもたらされるであろう恩恵を遥かに超えていた。
一般レベルにまで普及可能な汎用的魔法道具の数々――個人移動用の空飛ぶ絨毯や長距離通話可能な携帯魔法道具、火を灯さずとも不夜城にすることが可能な光灯魔法道具などなど。
今まで一部の迷宮攻略者たちや魔導士たちのみが使うことができていたような魔法道具がシンドリア商会から次々に発売され始めたのだ。
さらには大型航空魔道具による国家間の空輸・旅客計画まで唱えられているほどだ。
それらはマグノシュタットにおける魔導士たちの研究の成果でもあるだろうが、技術革新の速度から見て、“他の”要素が紛れ込んでいることはたしか。そのミッシングリンクを為している存在こそが、白瑛――アルバなのだ。
ゆえに、シンドリア商会に富と強さを集約したいシンドバッドにしてみれば、白瑛――アルバ、より正確にはアルバの持っているアルマトランの知識は他に流出すべきではない、彼のみが保有すべき知識なのだ。
だからこそ、その彼女の返還を求める会談は平行線。
「業務? 必要なのは、彼女の中に居た傍迷惑な亡者の知識でしょう」
「…………」
「アル・サーメンと手を組んでいたという理由で練 紅炎を排斥しておきながら大した変節漢だとは思いませんか、七海の覇王」
閃の言葉にもシンドバッドの顔に浮かぶ微笑みは変わらない。
商人であるころから、それが交渉の場において重要なファクターであるからだ。
ただ彼の背後にいる“王”たちの纏う空気が一変したのは明らかだった。唯一紅玉のみが同調しておらず、しかし何かを堪えるようにしていた。
「変節したとはあなたも分かっていませんね。私が願っているのはこの世界をよりよくすることです。そして、どうあっても彼女をこちらに戻していただくことはできないというのは、和国には我々と敵対する意思がある、ということですか?」
あくまでも余裕の態度を崩さないシンドバッド。だが机に肘をつき、指を絡めてやや前屈みになりながら返した問いかけは、強者のゆとりを見せながらも和国を明確なる敵として色分けするのも秒読みといったようにも見えた。
「和国は未だに我々が提唱する国際同盟への加入をお認めにならない。すでに煌帝国は賛意を示してくださっているのですよ。そうですよね、紅玉姫?」
そして話を振られ、同意を求められた紅玉はビクッと身を震わせた。
「は、い………」
まるで自信のない姿と、まるで脅されでもしているかのような肯定。
だが別に紅玉は、煌帝国は直接的に脅されているわけではない。
ただあの内戦と内紛を経て、数多の国が独立し、煌帝国を見捨て、身内の争いを治めることができなかったという事実は煌帝国皇帝としての権威を地に貶めるには十分だった。
それに練紅玉という少女はもとより自信に乏しい少女だ。“白”の治世においては日の目を見るはずのなかった“紅”の血統の中でもとりわけ下位の出自。その生い立ちも決して彼女に自信を植え付けはしなかった。
金属器を持ち、将軍として任じられてもどこか自信がなく、決定的だったのは皇位継承戦争での結末のつけ方だ。
シンドバッドのゼパルによって精神支配された結果、味方であった異母兄たちを裏切って捕らえるという戦果を挙げた。それは決して彼女の自信になるようなものではなかった。
そして内紛を自国の力で治められなかった責をとって皇帝位を辞した白龍から皇帝という冠と重責を受け渡されても、そこに皇帝としての威など備わりようはずもなかった。
そんなかつての強大帝国の落ちた皇帝の姿を冷静な目で閃は見た。
「………………」
ひとまず、煌帝国についてはこの場でできることはない。
現状、煌帝国には金属器使いは紅玉一人しかおらず、内紛は鎮圧したとはいえ国内情勢は落ち着いたとは決して言えない。
兵役制も奴隷制も解体された煽りをもろに受けて、経済基盤も軍事基盤もガタガタに揺らいでいる状態なのだ。
閃はひとまず紅玉皇帝から視線を切ってシンドバッドへと向き直った。
今、やるべきは煌帝国と和国の関係性を強調することではない。
「勘違いしておられるようですが、和国は煌帝国の属国ではない。必ずしも煌帝国と歩みを共にするわけではありません」
古くから和国と煌の間には盟約があった。白瑛と光の婚姻によってさらにそれを強めようともした。
だが決して和国は煌の麾下になったことはない。
自らを恃み、決断する。
それは自信を喪失している紅玉にはできないことで、彼女は眩いものを見るかのように和国の王子を見た。
「ほう。では国際同盟にも加盟せず、煌帝国からも離れ、この世界でただ一国。孤立の道を歩むと?」
だが続けられた言葉に紅玉はハッとした。
この流れはまずい。
かつて強大さを誇っていた紅炎旗下の煌帝国においても七海連合との戦いができなかったのは、弟たちを捕らえられたのもあるが、この世界において孤立させられてしまったのも理由の一つだ。
七海連合にはあまりにも多くの金属器が集まっている。眷属の中には多数の同化眷属もおり、各国にはそれ以外にも精強な戦士が数多いる。
たとえあの時、紅炎が被害を最小限に抑えるための投降を諾とせず、継戦したとしても最終的には数多の屍を築いて敗北したであろう。
その“世界”という牙が、今度はかつての同盟国へと剥く様を、紅玉はただ見ていることしかできず―――
「いいえ。和国が選ぶのは鎖国への道ではありません。」
しかし紅玉の懸念を裏切って、閃がシンドバッドに気圧された様子はなかった。
王の器。
それは金属器があるから、マギに選ばれたからなどという理由からではなく、世界の一翼を担う者、一つの国を守る者としての王の心構え。
「失礼します」
その時、会談の場の扉を開いて、また一人の参加者が入室した。
世界の行く末を考える者――国の代表者。
「本日は七海連合が提唱しておられる国際同盟に関する我々の回答のためにレーム帝国を代表して参りましたが……よろしいですか?」
「レーム帝国!!?」
レームの金属器使いが一人、ムー・アレキウスの登場に、七海連合の金属器使いたちも意外感を隠せずに表情を変えた。
「おや、
意外感を覚えたのはシンドバッドも同様であろうに、シンドバッドはすぐにいつもの交渉用の微笑みを形作るとレームをとりこむために弁を弄し始めた。
レーム帝国と七海連合とは、マグノシュタットにおける暗黒点を巡る戦いの最中に同盟を結んでいた。
それはあの当時の状況下で世界大戦を勃発させないための方策で、その後、盟約こそないもののレーム帝国は煌帝国とも友誼を結んでいた。すべては世界大戦を起こさせないようにするため、どちらかに与せずに第3の勢力として存在感を打ち出すためだ。
だが結局は煌帝国における皇位継承戦争によって煌帝国が七海連合へと加入してしまったがために第3の勢力とはならなくなってしまった。
そして七海連合とも同盟し、煌帝国とも交友関係にあったレーム帝国もまた七海連合に与するのが、シンドバッドの考える“世界平和”出会ったのだが……
しかしムーはシンドバッドににこりと笑みを返すと閃の横へと、和国の側へと並び立った。
「この度、我々レーム帝国は和国と同盟を結ぶことを決定しました」
「! ……それは、二国が手を結んで七海連合と敵対すると、先の戦争ばかりの世界を再び繰り返すと、そういうことですか?」
やはり、という納得と、まさか、という否定が瞬時にシンドバッドの脳裏によぎった。
納得はこのタイミング、この場にムー・アレキウスが来たこと。
否定はこの流れはシンドバッドが望む流れ――運命の流れから外れているだろうからだ。
このままいけば世界は武力ではなく富の力により順位づけられる。そしてその頂点に立つのはアルマトランの叡智を最も都合よく利用できるシンドバッドをおいてほかになく、事実としてシンドバッドのシンドリア商会は画期的な魔法道具を次々に世に出していた。
かつて覇を競った煌帝国ですらシンドバッドたちに頭を下げて助けを請わねばならない世界になった。
レーム帝国とて同じはずだった。
いかにマギ・ティトスを擁していようと、複数の金属器使いを擁していようとも、世界の流れには抗えない。
遠からず孤立し、世界の同調を求める声に屈するはずだった。
だが、レーム帝国と和国はそんなシンドバッドにだけ見える、この世界にとって最善な運命の流れに拒絶を突き付けたのだ。
それは明確なる敵――――シンドバッドの敵。世界の敵。運命の敵。
区分けを明確化しようとするシンドバッドに、閃は皮肉気な、あるいは憐れむように鼻を鳴らした。
「ふっ。どうあっても貴方は白と黒に分けたいようだ。それほどまで敵を求めているのですか? いや、貴方一人が力を握っていないと気が済まないのですかね」
「………………」
閃の言葉にシンドバッドの眼が細められ鋭くなった。
――とんだ侮辱だ。
シンドバッドは敵を求めてはいない。
敵になろうとしているのは和国の方、レーム帝国の方――運命の流れの見えないその他大勢ではないか。
「あなたが構築しようとする世界は武力から商業に戦争のやり方を変えようとするものだ。それ自体は素晴らしい試みだ。直接的に人の血が流れる機会が少なくなる。あくまでも、その変革が“人の手”によって行われるのなら」
「………………」
「だが争い自体はなくならない。事実、いくつかの国は……その急激な変革に対応できず、凋落し、落伍しようとしている」
ちらりと、閃は紅玉へと視線を流した。
時代の変革に対応できない、それが煌帝国を指しているのは他ならぬ紅玉自身が痛感していることなのだろう。紅玉はカァと顔を赤くして俯かせた。
「それで? その“平和の時代”に乗り遅れた者たちをあなた方がすくい上げると?」
平和の時代に乗り遅れた者たち。それはすなわち武力で戦争を起こし、悲劇を引き起こしていた時代を繰り返すのかという問いにも等しい。
そんな同盟を許せば、国際同盟の提唱する世界平和が崩れる原因にもなりかねず、シンドバッドの、そして七海連合の王たちの気が剣呑さを帯びた。
それに対してムーが一歩前に出ようとして、しかし閃はそれを制した。
「我々はなにも戦争という形に戻したいわけではありません。ですが、今のままでは七海連合のみが世界を担う立場となってしまう。我々はこの世界に生きる者として、対等な立場でこの世界の行く末を考えたいのです」
七海連合のみが、とは言ったがそれはやや過小な表現だ。本音をいえばシンドバッドのみが世界の流れをつかもうとしている。
それは人としてのやり方だけに限ったとしてもだが、彼が本当に目指しているやり方、人のみならぬやり方をしてもだ。
「…………」
「この世界のことは、この世界に生きる者たち全てが考える権利がある。我々は戦争がしたいわけではない。我々が戦うべきは、そのような自由や権利を一方的に奪うモノだと、そう考えております」
わずかに、シンドバッドの瞳の中にいらだちにも似たなにかがよぎったのを閃は感じ取り、しかしそれをあえて無視した。
続けた言葉は、宣戦布告にも似ていた。
それはかつてのシンドバッド王の掲げていた大義に当てはめてみれば、争い合う理由にはならなかっただろう。
だが、世界のすべてを握り、“聖宮”によって人々の思考をシンドバッドの都合のいい方向に塗り替えようとしている今の彼からすれば、その宣言は相容れぬものでしかない。
✡ ✡ ✡
「少し直接的過ぎましたかね?」
「まぁ、そうですね。……ですが、あれでもなおシンドバッド王に従うとなれば、もはや七海連合の王たちは傀儡も同然です」
物別れに終わった会談の場を後にした閃とムー。
当然ながら、和国に単身攻め入って王族と干戈を交えたアルバを渡せというシンドバッドの一方的要求を閃が呑むことはなく、和国とレーム帝国の同盟を撤回させる権利は七海連合にはなかった。
結局、あの場で為したのは彼らの思いはシンドバッドの求める世界とは違うのだと宣言しただけで、それは意味の分かっているシンドバッドにしてみれば宣戦布告ととられるものだった。
「しかし今更ですが、よく我々との同盟を決定してくださりましたね」
足を止めて、閃はムーに向き直って尋ねた。
和国とレーム帝国との同盟。それは国際同盟を締結せんとする七海連合に対抗するためにとれる数少ない手ではあったが、明らかに不利になることを否めない決定でもあった。
レーム帝国は帝国と冠してはいるが、実際のところは共和国制であり、まして金属器使いとはいえ一議員でしかないムーだけの決定では国のかじ取りはできない。どちらに与するかはムーや最高司祭であるティトス、そしてほかの議員たちも説得させての決定だ。
彼我の力の差を鑑みればその説得がどれほど難しかったのかは容易く想像がつく。
「もともとレームは一国であっても国際同盟に与するつもりはありませんでしたから」
だがムーはそんな困難を感じさせない笑みで返した。
「シンドバッドの考える世界では国という境界は意味をもたなくなる。シェヘラザード様が残したレーム帝国という存在を俺は、いや俺たちは守りたいのです」
シンドバッドは、この世界から国という枠組みそのものを取り外すつもりだというのは、以前から彼自身が言っていたことで、武力も国としての独自性も認めずに商業の力のみで強者を決めようとするやり方だ。
それによりレーム帝国という在り方が失われるのは、レームを愛し、守ろうとしたシェヘラザードの想いにも反すること。
彼女を慕う者たちの未だ多いレーム帝国が七海連合に賛意を示すはずはもとよりなかったのかもしれない。
「まして貴方方の掴んだ情報を信じれば、シンドバッドはそんな意志そのものを塗り替えようとしている。人は、自分の足で生きていける。この世界を創ったのが、アルマトランの魔導士だとしても、これからの未来を造っていくのは人であるべき……それこそが、シェヘラザード様が遺された意志」
そしてアルバから得た情報によればシンドバッドは国としての在り方どころかルフそのものに干渉して人の意志そのものを捻じ曲げようとしている。
そうなれば、ムー自身の中にある“彼女”への想いそのものを歪められることにもなる。
子供の頃からずっと見てきた彼女の姿。
骨と皮だけの体をベッドに縛り付けて、のたうち回りながらもレーム帝国を守る姿。
彼女と彼女の仲間たちの願いの結晶。それを死に物狂いで守る“母”。
そんな彼女の姿は勇敢で美しく、誰よりも偉大な英雄だ。
そんな彼女への誓いを、歪めさせは絶対にしない。
人は自分たちだけで生きていける。
自分の頭で考えて、よりよい道を模索しながら進化して行ける。
それで時に間違うこともある。かなしいみちを選び迷ってしまう時代もある。
でもそれも含めて人なのだ。時に間違え、傷ついて、それでも前へ進めばいい。
それでこそ人は己を誇り、自分の足で歩いて行けるのだ。
かつての主への誓いと忠節。自国を守るための覚悟。
そのためにただ一本の剣となる。
それは閃にとってよく知る、和国の剣士たちの在り方にも似ていた。
ふっと微笑み、閃は右手を差し出した。
「貴方が味方でよかった」
少し意外をつかれたのか、ムーはわずかに驚いたように目を見張り、その手をとった。
「目的を目の前にしていたシンドバッドは、そう時をおかずに手を打ってくるでしょう」
お気をつけてと、手を取ってなされた忠告に閃は頷きを返した。
✡ ✡ ✡
パルテビア帝国、帝都クシテフォン―――そこに居を構えなおしたシンドリア商会の本部の最奥で、破談となった会談を終えたシンドバッドは頬杖をついてため息をついた。
「練紅炎、皇閃ならあるいはとも思ったのだがな。やはり俺以外の誰一人として運命が見えている奴はいない……俺だけに、運命が見えているのか」
思考に沈みこむようにして呟くシンドバッドの脳裏にあるのは二人の“王の器”の姿。
かつて覇を競い合った練紅炎。
3体ものジンに主として認められ、多数の金属器使いを従え、そしてアルマトランの知識を貪欲に求めていた彼は、この世界で唯一といっていい、シンドバッドに極めて近い思考をしていた。
おそらく彼は漠然とこの世界に干渉しているモノに気づいており、そのためにはアルマトランの知識や力が必要だと考えていたのだろう。
それに加えてこの世界を統一しなければこの世界は荒廃する一方で、国という境界があるからこそ戦争はなくならず、違いがあるから争いはなくならない。争いをなくすためには人の思想を統一しなければならない。
その考え方はまさにシンドバッドのやろうとしていることと同じだ。
そしてアルマトランの魔力の堆積した島を抑える国の王族である皇閃。
彼は魔導士ではないにも関わらず、気を読むことに長けた彼らはもしかしたらこの世界の多くの人たちよりも運命を見通すことに長けているのかもしれない。
シンドバッドにはない王族の血。アルマトランとの繋がり。そんな恵まれた環境にありながら、いや、あったからこそ彼にはもっと大局的な見方ができなかったのだろう。
――「―――――――――――。――――――――――。」――
「…………」
囁きかけてくるなにかを感じて、シンドバッドは目を閉じた。
この囁きかけてくるものがなんなのか、初めは分からなかった。
あるいはこれが天啓、神の声とやらなのかとも思ったが、そうではないと気が付いたのは、アラジンからアルマトランの話を聞いてからだった。
“イル・イラー”と一体化したアルマトランの破壊者“ダビデ”。
半分堕転したことにより身に受けることとなった黒いルフ。それが“ダビデ”と結びついたことにより、彼が訴えかけてきているのだと、気が付いたのだ。
「………………ふぅ」
深く、ため息をついたシンドバッドが目を開いた時、その意志はすでに決まっていた。
シンドバッドだけに見える“運命の流れ”。
“神”を自称するこの世界の支配者である“イル・イラー”を倒すため、百年、千年後の未来の自由と平和のために戦う。
それが彼が歩むべき“運命”なのだ。
世界に対する反逆罪として、七海連合が和国への討伐軍を起こしたのは、それからほどなくしてのことだった。
最終章後編開幕です。いよいよ最終決戦に突入します。
現在鋭意執筆中で、ラストまでの物語は頭の中では思い浮かんでます。ただ文字にするとこれがなかなか……
最後まで残り僅かですので、もう少しお付き合いください。