御帳に整えられた茵に一人の麗人がその身を横たえていた。
瞳は閉じられ、眠っている彼女の顔は安らかで、長い黒髪が開いた花のように広がっている。
掛けられた大袿が胸元で上下に動いているのを見て、湧き上がる感情を彼は持て余すように顔を険しくした。
シンドバッド率いる七海連合が攻め入ってくる今、和国は一人でも多くの金属器使いを必要としている。
だが、今の彼女が戦力になることはないし、戦力にしたいとも思わない。
それは信頼できないからというのが彼の理性の訴えだが、彼のなかの直感とも言うべきなにかがそれとは別の理由で彼女を戦力にしたくないと訴えかけているようだった。
無意識に彼は、安らかなその寝顔にかかる黒髪に手を伸ばして流すように触れ、指先に温もりを感じてほっとした。
――――安堵した?
自らの心を律することが、理解することができなかったことにハッとして彼は手を引き、彼女に背を向けた。
これより赴く先は戦場。
王の器が入り乱れて戦う悪夢のような激戦となるだろう。
それにかつて和国が大黄牙帝国の侵略に抗った時と同様に、世界の過半を敵とするような戦いだ。
最後にちらりと、彼女の――練白瑛の眠る姿を目に写し、光は静かにその場を立ち去った。
✡ ✡ ✡
和国近海の海上を王たちが率いる軍団が進んでいた。
七海の覇王に忠節を誓う眷属たち、ササンの騎士たち、イムチャックの戦士たちが乗る船。アルテミュラの怪鳥によって空を往くエリオハプトやアルテミュラの兵士たち。
その先導に立つ七海の覇王シンドバッドの表情にはこれから起こるこの世界最後の戦いの、そしてこの先に待つ“冒険”への期待に満ちているかのごとく、自信に溢れた笑みがある。
一方―――――
迎え討つ和国の剣士、兵士たちの先頭に立ち瞑目する閃のもとには兵団の準備が整ったことを告げる伝令が次々訪れていた。
そして兵団の準備が整い、戦気が熟したのを感じ取って瞳を開いた。
「アラジン殿。もう一人のマギへの連絡は?」
先の会談で伝えることのできなかったもう一人のマギや“王の器”への連絡はアラジンの遠距離通信魔法によって話をつけていた。
「大丈夫。もしもの場合も…………」
事前の準備を終えたことを告げるアラジンだが、そのもしもの場合を想像したのか、顔を険しくした。
もしもの場合……それは“イル・イラー”が降臨してしまうことだ。シンドバッドや七海連合の王たちと戦争している最中に“イル・イラー”が降臨すれば戦場は滅茶苦茶になりかねない。
だがアラジンとは立場の違う閃は、将兵たちの前で気落ちしたようにも見える顔をするわけにはいかない。
閃はスラリと愛刀・紫微垣を抜いた。
導き示す存在、天帝を意味する銘をもつ和刀の輝きに、将兵たちの間に流れていた戦気が一段と張り詰めた。
「先の大陸における戦において、我々は煌帝国に、そして七海連合に味方した」
戦を前にした宣言。
シンドバッドの戯言のような宣戦布告の大義を真に受けて心を揺らす武人はいないが、それでも儀式めいた宣言を行うのは戦場を前にして戦意を高揚させるためのものだからだ。
「それは我らと煌の盟約に基づくものであり、この世界を破滅に誘う者たちを敵とするシンドバッドの義にこそ味方したからだ。だがシンドバッドは、その討つべき敵を我がものとし、和国に害をもたらし、そして今度は恣意によって世界の意志を捻じ曲げようとしている!」
アルバというアル・サーメンの首魁と手を組んでいたという理由で紅炎を世界の大逆人に仕立て上げたのに、その当人を迎え入れ、独断で和国に攻め入って虜囚となったのを幸いに今度は和国に大罪を擦り付けた。
シンドバッドはたしかに世界の多くにとって英雄かもしれない。
だが和国や、彼の英雄譚を彩る者たちにしてみれば傲慢な殺戮者でしかない。
「世界の多くはすでにシンドバッドの手の中にある。だが、全てではない! 無論我らも唯々諾々と大罪人とはならぬ! 和国の剣士たちよ! 今こそその武を示し、災禍を斬り払うのだ!!!」
応えて、意気を上げる兵士、そして武人たち。
傾聴と鋭絶の精霊カイムを纏う皇閃。
罪業と呪怨の精霊ガミジンを纏う皇光。
厳格と礼節の精霊アモンを纏うアリババ・サルージャ。
忠節と清浄の精霊ザガンを纏う練白龍。
そしてマギ・アラジン。
4人の王の器と一人のマギが空へと翔け、迫りくる七海連合の王たちを迎え撃った。
✡ ✡ ✡
「急がなければ…………始まってしまう」
戦場から離れた空を、異形を侍らせた“王”が翔けていた。
すでにこの世界では珍しくもなくなった空飛ぶ絨毯。それらに4体の異形とそして幾人かの従者たちを乗せて彼女は急いでいた。
遠く、和国ではすでにこの世界の行く末を決めるための戦いが始まってしまっているだろう。
異形たちの顔にはそれぞれ戦場に向かう覚悟と、“主”に捧げる忠節、そして今度こそ“主”とともに戦うという決意が満ちていた。
戦うべき時に、戦えなかった無念。
それが“主”の決定であったとはいえ、“主”は彼らの、将兵たちの命を救うために武人としての誇りも、皇族としての在り様も捨てて大罪人となった。
まだ戦えた。まだ抗えた。まだ……………
牢獄の中で無念は尽きなかった。
“主”との繋がりも断たれ、この身を捧げた“主”が生きているのか、それとも死んでいるのかも分からない状況だった。
だから今度こそ、“主”とともに戦いたい。
主君はすでに“主”とは異なり、その戦いの場を授けてくれたのは違う主君だが、心はいまだ“主”とともに在りたいと訴えている。
✡ ✡ ✡
和国領内、前線から少し離れた後方にて、金属器を持たない“王の器”たち――練紅覇、紅明、紅炎は護衛監視を受けていた。
遠く、見上げる空の先では精霊と同化して巨大化した七海連合の眷属たちや、アルテミュラの怪鳥による空からの攻撃を受けていた。その更に先では、シンドバッドたち七海連合の王と和国の王や白龍、アリババたちが魔装となって激突していた。
「くっ……」
「………………」
それを遠くから見守ることしかできない紅覇と紅明は悔しげに唸った。
彼らは先の戦争で敗北した後、金属器を取り上げられており、戦力としては無力。今回の戦においても参陣を許されてというよりも金属器を持たない彼らが七海連合の強襲を受けた時ことを考えての処置だ。
分けても紅炎は遠くを見つめるその顔に、常よりもさらに深い縦皺を眉間に浮かべていた。
金属器を持たないだけの紅覇と紅明とは異なり、紅炎の場合は左腕両脚を失って木製の義肢でなんとか立てているに過ぎない。それでは到底剣を振るうことなどできない。武人としては死んだも同然なのが今の練紅炎という存在なのだ。
白龍が魔装ザガンの力で微生物を操り攻撃を仕掛けると魔装フォルネウスにより異形の鎧を纏ったラメトトが極北で鍛えられし豪槍を振るってそれを蹴散らす。
魔装ガミジンとなった光はその二刀をもって、魔装アロセスの鉄壁不破の防御とササンの騎士王の槍術に対して切り結んでいる。
炎の大剣を操るアリババは、魔装アモンの宝剣による王宮剣術と師匠であるシャルルカンに鍛えられたエリオハプト流剣術を織り交ぜて、魔装ヴァッサゴと化したエリオハプトの王アールマカンと壮絶な剣戟を繰り広げている。
金属器使いの数の不足を補うためにアラジンはマギとしての無限の魔力を杖に預けて力魔法を駆使し、この世界の物理法則を操って三種の系統魔法を内包する三面六臂の魔装ケルベロスと化したミラと対していた。
そして
「
魔装バアルと化したシンドバッドの雷による攻撃を、持ち前の先読みと魔装カイルの力と神速の剣術によって消し去る閃の戦い。
金属器使いと魔法使いの戦いは、五局の盤面で拮抗していた。
だが一方で――――
「怯むなッ!! これ以上、同化眷属を奥に進めるな!!」
眷属たちの侵攻を防ぐ和国の武人たちは劣勢となっていた。
「はぁっ!!!」
ドッ、と中空にあって強力な蹴り技を放つモルジアナの脚が、アルテミラの怪鳥を地面に叩き落とし、モルジアナ自身はアモンの眷属器によって炎熱の浮力を得た
「橘花―――ッッ!!」
操気剣によって同化眷属の巨体すら切り裂く立花融や和国の剣士たちはなんとか戦線を保とうとしているが、如何せん眷属の規模が違いすぎる。
和国側の眷属は誰ひとりとして同化を果たしておらず、その数も少ない。一方で七海連合側の
「双月剣!!」
二刀を振るって風の刃で切りつけるのは、白瑛の眷属である李青舜。
アルバによって白瑛のルフを押し込められていた時には使用できなくなっていたパイモンの眷属器だが、光が白瑛の躰からアルバを引き剥がしたことにより、そして彼女自身の金属器が傍らにあったことによって、その力を取り戻していた。
和国の剣士たちも卓越した身体能力と操気術とによって立体的な動きを展開して巧みに同化眷属たちを相手にしていたが、青舜の双月剣による中間距離からの攻撃は一撃で同化眷属を倒すことはできなくとも、戦線をなんとか支える一役を担っていた。
だが、そんな青舜に蛇のごとく襲いかかるものがあった。
「くっ! これは、鏢ッ!?」
素早く襲いかかる二匹の蛇。
それは青舜の双刀に巻き付き、青舜は反射的に眷属器を発動させて風の輪刃によって鏢から逃れた。
――眷属器“
ほぼ同時に鏢から紫電が迸り、ギリギリのところで回避できた青舜だが、かすめた紫電がわずかにその手を痺れさせた。
八人将、バアルが眷属――ジャーファル。
シンドバッドの側近にしてかつて暗殺者として闇に身を沈めていた男が、雷の眷属器をもって和国に味方する白風の女王の眷属に襲いかかった。
「あれはっ! ジャーファルさん、ッッ!」
空を翔けて怪鳥と敵兵を蹴り落としていたモルジアナは、その卓越した五感、視力によって、白龍の友人でもある青舜が襲いかかられているのを認識した。そしてその襲撃者が、シンドリア王国で彼女やアリババを親身になって世話してくれたジャーファルさんだ。
モルジアナの脳裏にバルバッドで初めて会ったときから、シンドリアに滞在していた時の思い出がよぎる。
「――ッッ、!!!!」
瞬間、咄嗟の動きでモルジアナは両腕を交差して自らを庇った。
――――ドゴッッッ。間一髪で間に合った防御だが、ファナリスの強靭な腕による防御を貫くほどの衝撃がモルジアナを襲い、彼女は一直線に地面へと叩き落された。
「ガハッ! ―――――っ、くッッッ」
猛烈な痛みを耐えながらモルジアナは先程まで自身が在った空を見上げた。
そこに居たのは金の甲冑をわずかに身にまとった、赤髪の青年。彼女と同じファナリスにして、ジャーファルと同じくバアルの眷属。
――眷属器“
「マスルールさんッッ!!」
そしてシンドリア滞在時に彼女の師として世話してくれた、マスルールさんだった。
「くっ! 不味いッッ」
こちら側の数少ない眷属器使いである李青舜とモルジアナがシンドリアの八人将によって抑えられているのを横目で見つつ、融は自身も眷属器を持つ敵と刃を交えていた。
「流閃剣《フォラーズ・サイカ》!!」
「橘花ッッ!!!」
斬撃の残る風の刃と蛇のように曲線を描く出処の読みづらい剣技。
周囲を囲む流閃剣《フォラーズ・サイカ》――フォカロルの眷属の力を融は気を通した斬撃で斬り払い、刺突を仕掛けてきた相手、八人将の一人シャルルカンの剣を往なした。
操気剣と眷属器。剣に自負を持つ二人の剣士の戦いは拮抗しており、融も他者の戦闘にまで回れなくなっていた。
他の和国の剣士たちも、八人将であるミストラルの槍術やヒナホホの豪銛によって苦戦を強いられ、追い込められていっていた。
怪鳥を操るピスティ、魔法による援護を行うヤムライハ、同化眷属として剣士たちを薙ぎ払うドラコーン。
拮抗する“王”たちとの戦いとは異なり、戦線は傾きつつあった。
「――――ッッッ!!」
シンドバッドの放つ雷光をカイルの斬撃で相殺しながら対峙していた閃も、ほかの金属器使いたちと同様に戦線が劣勢に追い込まれていくのを感じ取っていた。
本来であれば前線指揮を執るのは閃か光の役目だ。
だが金属器使いと対峙できるのは金属器使いかマギクラスでなければ難しい。
まして閃が戦っているのは七海の覇王シンドバッド。今の世界において最初にジンの主に認められた、つまりは最も金属器使いとしての経歴の長い“王”だ。
「どうしましたか、閃王子? 余所見をしながらとは随分と余裕なご様子だ」
「くっ!!」
閃の注意の一部が逸れていることを対峙するシンドバッドは的確に見抜いていた。
だが無論のこと、閃に余裕などあるはずもない。
「そうですね。アラジンと同じ力魔法がその余裕の源だというのなら、それを打ち破ってみせよう!」
それすらも分かっているであろうに、シンドバッドは眼の前の敵を打ち倒すために全力を尽くす。
魔装バアルが解除され、シンドバッドが一瞬無防備を晒す。
だが次の瞬間には、シンドバッドの首を飾る銀の装飾具が光り輝いた。
「魔装の交換!?」
複数攻略者であることの強み。
多くの金属器は例外はあれど、通常一つの系統に特化している。だが魔装を切り替えることで、より相手に適した戦闘形態をとることができるのだ。
「魔装―――フルフル!!!!」
竜のような姿であったバアルから、今度は黒いコウモリのような羽の生えた姿への換装。
狂気と冥闇の精霊フルフル。
その両手に黒い輝き――閃と同じ力魔法である七型のルフが集中し、光弾が放たれた。
「ちっ、カイム!! !? なッッッ!!!!」
閃に襲いかかる、と見せた光弾は直前で破裂し、複数の光弾へと分裂した。
そしてそれらは閃が相殺するために放ったカイムの力魔法を付与した斬撃。物理法則を切り裂いた断絶を超えて飛来した。――閃の背後、和国の兵士たちに向けて。
「この世界の物理法則を司る力魔法。使えるのが貴方やアラジンだけだとでも思っていたのか?」
力魔法によって切り裂かれた空間を通常の物理法則に縛られた火や雷が超えることはできない。だが物理法則そのものである力魔法は別だ。
放れた光弾の速度に追いつくことはできず、閃にはただシンドバッドの放った攻撃が自国の兵士たちに襲いかかるのを目の当たりにすることしかできず――――――
――「
しかしそれが着弾したのは、宙に出現した亀甲模様の壁だった。
「!!」
「なんとか、間に合ってよかったよ」
「お前は…………ユナン!!!」
壁の前に立つのはかつてシンドバッドを導いた流離いのマギ。大峡谷の守り人たるユナン。
彼のマギとしての力をもって創り出されたのは、この世界には存在しなかった物質による堅牢な盾。
物理法則そのものを内包し、カイムの空間断絶を乗り越えることのできるフルフルの光弾だが、しかしそれはこの世界の物質を破壊するという特性を帯びたがゆえにこの世界の物質に干渉し干渉される。
つまり物質的に堅牢な盾であれば誘爆させることで防ぐことが可能。
「僕だけじゃないよ」
和国の兵士たちの窮地を救ったユナンだが、それだけではなかった。
ハッとして眼下に視線を転じると、海の様子が一変していた。
うねりを上げる荒波、などという規模ではない大波が、それこそ同化眷属であるドラコーンたちの巨体を覆い尽くすほどに持ち上がっており、彼らを前線から押し返していた。
「この力は…………!!」
空に浮かぶ幾つもの魔道具。それは今でこそシンドリア商会、シンドバッドによって一般に普及されつつあるが、かつては限られた者たちのみが乗ることのできた
その上に立つのは、一振りの剣を持つ赤髪の乙女。そして彼女に率いられた異形の眷属、そしてかつての主に忠節を尽す者たち。
「これは、
煌帝国第5代皇帝 練紅玉が金属器である簪の武器化魔装した剣を震える手で握りしめ、七海連合の侵攻を阻んだ。
だが煌帝国はすでに七海連合に加盟しており国際同盟にも参加している、シンドバッド側の国であるはずだった。
軍事力が乏しくなった時には七海連合の庇護を受けて反乱を鎮圧し、独立した被侵略国たちへと賠償も七海連合の加盟国であるがゆえに恩恵を受けてきた面がある。それらを無視して、和国に味方するのは道理にそぐわない。
それを責めるようなシンドバッドの眼差し、他ならぬ紅玉自身がそう感じているのだろう。
震える紅玉を傍に侍る彼女の眷属にして側近、夏黄文が不安げに心配するような視線を向けた。
だが―――ぐっ、と想いを断ち切るように金属器を強く握りしめた紅玉は、まだ震えの残る口を開き、告げた。
「シンドバッド様。私達煌帝国は、たしかに七海連合に加盟し、その恩恵を受けました。皇位継承戦争においては被害を少なくするために早期決着を紅炎お兄様に決断させ、国内の続発する反乱には鎮圧のための軍事力を提供し、商業の力が強まってからは商いに疎い煌帝国のために多額の資金を借款していただきました」
それらは煌帝国が受けた恩恵。侵略国家という拭い難い事実と、世界を破滅に導かんとしたアル・サーメンに与していたという大罪への後ろめたさ。それらは七海連合の一国であるということから大目に見られてきた面がたしかにある。
だが―――
「ですが、アル・サーメンを排除するためという名目で紅炎お兄様を大罪人としながら、その首魁を密かに囲い、それが和国に捕らえられた途端罪を彼の国に擦り付けて侵略を行う…………シンドバッド様、貴方の真意を今、ここでお明かしください!」
あの戦いで、形勢を大きく動かしたのは練白瑛の裏切り行為と和国・七海連合の参戦だが、決定的な刃となったのは
軍団の総指揮を任されていた紅明が深手を負わされ、白瑛・紅玉が裏切り、紅覇が捕らえられた。兄弟や眷属、部下、そして数多の兵士の命を重んじた紅炎はそれゆえ投降を決断した。
だがそもそも、あの戦いの前にシンドバッドは紅炎と手を組む用意があると告げていたのだ。ともにアル・サーメンとアルバを討ち、煌帝国の毒蟲を排したならば世界の安定のために手を組むこともできると。
しかし白龍がアル・サーメンを崩壊させ、結果的に仕留めきれていなかったとはいえ玉艶を討ったあの状況下で、突如として紅炎を大罪人として参戦するなど道理ではなかった。七海連合の大義があるためにできなかった
紅玉の恋心を知っていながらそれすらも利用し、参戦の理由であったアルバが白瑛の中にあることを知っていながら彼女を迎え入れ、全ては七海連合に、シンドバッド自身の利のために行ったことだ。
それが戦争だと、政治だというのならたしかにそうだ。
だが果たしてそこに筋の通った大義はあるのか。
決意をもっての紅玉の詰問に、シンドバッドはこの戦場の場には合わないため息を深々と吐いた。
「まったく、そのためにこんなことを仕出かしたのですか、紅玉姫? 大人げがありませんね」
「なッ!?」
姫から王へ。決意を固めた紅玉の在り様は、しかしシンドバッドの目にはなんら変わらないものに映っているらしい。すなわち道理をわきまえず、その時々の感情に流される小娘と……
「
さも当たり前のことであるかのように平然と告げるシンドバッド。
その考え方はまさしく“王”で、他者のことなど斟酌したものではなかった。そして同意を求める態をとりながらも、相手に理解を求めるようなものでもなかった。
「煌帝国の反乱を裏から誘発したというのも、煌帝国の力を削ぐためだというのですかッッ」
白龍が退位するころの状況はあまりに不自然だった。
いくら被侵略国が独立志向を持っていたとしても、煌本来の領土内においても同時多発的に反乱が起こり、それらは別に打倒煌帝国を掲げた統合的な動きではなかった。
それに白龍やアラジンは警戒を持っていたし、そのことは紅玉にも伝えられていた。
だが信じていた。
「我々が、俺が! 大きな力を握っていれば二度と悲劇は起きない!」
「なぜですかッ!」
一度は憧れ、恋い焦がれた王。
その彼が、
けれどそんなものに乗っ取られるはずがないと。
たしかに、シンドバッドはダビデに乗っ取られてはいない。彼自身はダビデを利用しているつもりなのだろう。
だが――――
「俺には声が聞こえるからだ。俺は神と同化した。神にも等しい存在から認められた特別な存在なんだ!」
その姿は信じていたシンドバッドの姿とは違った。
もしかしたらそれはただの幻想だったのかもしれない。
七海の覇王、シンドバッド。彼はこうあるべきだと、勝手に夢描いた姿を見ていただけにすぎなかったのかもしれない。
今目にしているシンドバッドは、紅玉たちが幻想していた彼でも、ダビデでもない。
新たに神になろうと試みる何者かだった。
「……………ありがとうございます。シンドバッド様」
貴方のおかげで世界は平和になった。
貴方のおかげで目が覚めた。
だが―――
「この世界は貴方お一人のものではありません」
紅玉姫――いや、紅玉皇帝が開いた瞳は不安に揺れる少女のそれではなく、まだ小さいながらも帝国を担う皇帝としての、”王”としての覚悟が宿っていた。
「お兄様を、練紅炎を大罪人としながら、諸悪の根源を身中に納めて混乱を引き延ばし、今度はそれを口実に和国を攻める。これにもはや大義はなく、シンドバッドの私掠である! これより煌帝国は、古の盟約に基づき、和国に味方し、この世界の改変を目論む敵、七海連合とその首魁、シンドバッドを討つ!!!」
最終話まで残り4話に確定しました。