煌きは白く   作:バルボロッサ

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第46話

 

「…………お兄、様……」

 

 参戦を告げた紅玉がまず行ったのは、敵陣への攻撃、前線への参陣―――ではなく後陣への飛来。力持たぬ”王”たちとの会合であった。

 

 かつて兄として、王として、上位の存在として畏怖し、僅かでも助けになりたいと願った異母兄たちの前に降り立った紅玉は、彼らの以前とは違う姿に身を震わせた。

 

 かつて少女のようにも見えた、けれども力強い武人であった紅覇や、ボサボサ頭の明晰軍師、紅明は野性味ある姿へと変わっているのはともかく、長兄である紅炎の変わりようは覚悟していた紅玉の心に大きな波紋を起こしていた。

 武人であるはずの彼の左腕と両脚は木製の義肢で、戦うために引き締められていた肉体からは筋肉が落ちつつある姿。

 

 その姿は自身の咎を映しているように紅玉には思えた。

 

 彼女がゼパルの支配を受けていたために操られてしまったから。

 彼女がゼパルの支配に気づかなかったから。

 彼女が迂闊にもシンドリアへなど行ってしまったから。

 彼女が……淡い恋に浮かれてしまったから………………。

 

 揺れる紅玉の姿に、紅炎は目を細め、紅明と紅覇は兄の意を汲んで拱手して膝をついた。

 

「お久しぶりにございます。紅玉陛下(・・)

 

 紅炎も不自由な脚を折る代わりに頭を垂れている。

 紅明の遜る言葉に紅玉の顔が悲痛に歪み、ビクリと震えた。

 

 そう、すでに彼女は彼らよりも上位の存在になってしまったのだ。

 

 お兄様などと呼んではいけない。彼女は煌帝国の皇帝であり、彼らは煌帝国の敗残者なのだから。

 紅明の言葉は、それを紅玉に自覚させるためのものだ。

 それを意識させられ、紅玉はグッと歯を噛みしめた。

 

「煌帝国は、これより七海連合と戦う。和国と煌帝国のために。世界のために。人々の自由な意志のために」

 

 震える声で告げ始めた紅玉。

 彼女が背後の眷属たちに、異形たちに向けてすっと手を挙げて合図をすると、彼らは見覚えのある“もの”を差し出した。

 

「これは……!」

 

 指し示されたのは彼らの武器。

 身の丈を超える大刀――如意練刀。

 黒い羽根を持つ扇――黒羽扇

 そして残る三つは、剣と剣穂と鎧の肩当。

 

 それらは彼らの金属器。あの戦場に立つために必要な力。

 

 すぅ、と紅玉は息を吸い、覚悟を決めた。

 

「練紅炎、練紅明、練紅覇! 汝らの罪は煌帝国皇帝、練紅玉が預かります! 練家の武人として、我らの敵を討ち払う武勇を示せ!!!」

 

 自信がなく、揺れるばかりの飾りの皇帝ではなく、確かな責を担って命じる皇帝へ。

 その脚を震わせながらも、それでも必死なその顔にはたしかに“王”としての責を負う覚悟が宿っていた。

 

 覚悟は十分に伝わった。

 だが―――――紅炎は自身の金属器を手にとることを躊躇った。

 果たして今の自分にこの“王”の力を手にする資格があるのか。

 

 先の戦争で紅炎はまだ戦えると訴える眷属や部下の言を退けて剣を降ろした。

 その結果、紅覇や紅明など多くの者の命が救われたことはたしかだが、武人たちの戦うべき場を、誇りを奪った。

 煌帝国の兵たちも新たな世界で苦汁をなめる結果となった。

 

 己の成した決断は、白龍に負けた自分のとる決断が、今度こそ正しいものであるのか。まして今の紅炎は武人として死んだも同然の体だ。

 白龍の恩情により与えられた木製の義肢でも、炎の金属器であるアシュタロスを使えばたちまち燃え尽きてしまうだろう。

 

「紅炎様」

 

 見下ろしていた異形の眷属たちが、声を揃えた。

 

「あの時、白龍陛下に敗れ、紅炎様を敗残の将と為したは我らが弱さゆえ!」

「ですが今一度、我らに抗うべき力をお与えください!」

「白徳大帝の志は、決して世界の人の意志を殺すことではありませんでした!」

「今度こそ、共に戦うことを、お許しください! 紅炎様!!!」

 

 周黒惇、楽禁、李青秀、炎彰。

 煌帝国の武人としての忠誠は今の紅玉陛下にあっても、その身を捧げ、眷属と同化した彼らの忠義忠節は、今も彼らの“王”の下にある。

 紅炎はその思いを噛みしめ、脳裏に偉大なる“王”の姿を、輔けたいと願った二人の皇子の姿を描いた。

 その思い、彼らの志を継ぐという決意も、全ては紅炎が望んだこと。それを無為にさせることなど許せはしない。

 

「―――――――」

 

 紅炎は右手で剣を、かつて白雄皇子より賜り、金属器となった剣を手にした。

 

「よかったよ。これでここまで来た意味がなくならずに済んだ」

 

 その時、紅炎の背後から声をかける者がいた。

 

「お前は! ……ユナンだったな」

 

 先ほど錬金魔法により和国の兵士たちを守ったマギ。彼の顔はマグノシュタットでの戦いのときや、継承戦争前の会談で覚えがあった。

 同じマギであるアラジンやジュダルともまた違う、超常的とも、厭世的ともいえる雰囲気を漂わせる流離のマギ。

 和国側についたということは今は、煌帝国とも味方、といってよく紅玉たちと同時に現れたのも彼の魔法によって煌の将兵の移動を手伝ってきたのだろう。

 元々、ユナンはシンドバッドのマギでもあり、紅炎たちは訝し気にこの不思議な雰囲気のマギを見た。

 だが、続けられた言葉に紅覇も紅明も驚愕した。

 

「白龍くんのザガンによる義肢とはいえ、その手足でシンドバッドたちと戦うのは難しいだろうからね。君の手足を、戻すために色々と準備をしてきたんだ」

「なにっ!」「!」

 

 紅炎の手足は白龍の失われた手足の代償としてフェニクスにより彼に移植されたものだ。そのため癒しの力を持つ金属器でも治療することはできなかった。もとよりフェニクスの治癒では失われた四肢の再生まではできないのだ。

 

 だが―――

 

「さぁ、フェニクスの金属器を――――――“錬金魔法(アルキミア・アルカディーマ)”」

「これはっ!」

 

 ユナンの魔法、命令式に応えてルフが紅炎の義肢へと絡みつき、そこに肉の手足を作り出していった。

 錬金魔法とは、この世界の万物を構成する極小の粒に干渉する魔法。

 それによって堅牢な盾を作ることも、木材を生み出し家を作ることも、食べ物を作り出すこともできる。ただでさえ複雑長大な命令式が必要なために人体という複雑な構造物を作り出すことは難しいが、マギとしての力があれば手足を作り出すことは可能。

 

 驚きつつも紅炎は剣の柄飾りに宿るフェニクスを発動させた。

 問題は、いくら肉の手足を作り出せてもそこに紅炎のルフが通わなければ義肢とは大差ないということなのだが、そのために命のルフを司るフェニクスが必要だった。

 そしてさらに。

 

「夏黄文。お願い」

「承知しました、紅玉姫――陛下!」

 

 紅玉に加護を与える水のジン・ヴィネアの眷属、癒しの眷属器をもつ夏黄文もその力を発動させた。

 錬金魔法により作られた肉の器に、水の眷属器によって血が通い、命を司る金属器によってルフが宿る。

 

「炎兄……」「兄上……」

 

 新たに作り出された手足を動かし、感触を確かめる兄の姿に紅覇と紅明が潤んだ声を漏らした。

 失われた“王”の姿。練家の武人として戦う力と場。

 もはや逡巡することはなかった。

 

 紅覇は如意練刀を捧げるかつての部下――関鳴鳳と視線を交わし、自身の金属器を手にした。紅明も眷属である忠雲の差し出す金属器を手に取った。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 七海連合の王の同化眷属たちがユナンの作り出した防壁を破ろうと攻撃を結集していた

 

「あと一押しだッ! マギの作る防壁であろうと、破れない物などない!」

「煌帝国の兵団本隊がこの戦いに関わる前に、防壁を破って一気に和国の兵団を仕留めるぞ!! 」

 

 現れた煌帝国の皇帝や眷属たちは前線に降りず、後陣へと引いた。

 まだ軍団は到着していないが、紅玉皇帝が金属器をもって戦線に立てば、金属器の数とマギの数で七海連合側が押される可能性がある。

 最終的に勝つのはシンドバッドを擁する七海連合だとしても、かつて大陸を席捲した煌帝国の軍団が到着すれば厄介な展開になりかねない。

 その前に―――

 

「む? あれは!」 

 

 そんな彼らが目の端に捉えたのは、4人の異形の姿。

 

「アガレスより生まれし眷属よ」

 

 竜の如き異形――炎彰

 獅子の如き異形――周黒惇

 

「フェニクスより生まれし眷属よ」

 

 豊満な巨体の異形――楽禁

 

「アシュタロスより生まれし眷属よ」

 

 無数の蛇の頭髪を持つ異形――李青秀

 

 ――『我が身を捧げる。我が身と一つになれ!!!』――

 

「煌帝国の、同化眷属、ッッ!!!!」

 

 咆哮と共に、かつて投獄された眷属たちが今再び戦場に立った。

 

 周黒惇の豪爪が薙ぎ払い、楽禁の巨腕が押し戻し、青秀の操る蛇が捕らえ、炎彰の吐く火炎がドラコーンの放つ火炎を相殺した。

 

 そしてさらに、4人の“王”もまた戦場へと帰還する。

 

「純真と誓願の精霊よ……レラージュ!!!」

「幽玄と探究の精霊よ……ダンダリオン!!」

 

 紫水晶の翼をもち、如意練鎚を手にした練紅覇の魔装レラージュ。

 角を持つ黒の隠者にして最高位の転移の使い手たる練紅明の魔装ダンダリオン。

 

「恐怖と瞑想の精霊よ。汝に命ず。我が身を覆え、我が身に宿れ! 我が身を大いなる魔神と化せ!! アシュタロス!!!」

 

 そして白竜の炎を纏う練紅炎の魔装アシュタロス。

 

 もはや見ることのないと思っていた勇壮なる姿に、紅玉は瞳に涙を堪えた。

 大国たる煌帝国の皇帝としての自覚と責。それからはもう逃げないと覚悟は決めた。けれどやはり、兄たちの勇ましき姿を再び見ることができたのは、それとは別に心を揺さぶった。

 

「悲哀と隔絶の精霊よ! 汝に命ず。我が身を覆え、我が身に宿れ! 我が身を大いなる魔神と化せ!!  ヴィネア!!!」

 

 涙を拭い、雄々しく告げたその言霊で、紅玉の姿もまた転じた。

 魔装ヴィネア。竜宮の乙女がごとき水の魔装。

 

 4人の王が、今ひとたび剣の向きを合わせて戦場へと飛び立った。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 シンドバッドと閃。魔装フルフルと魔装カイム。

 力と力のぶつかり合いは、徐々にシンドバッドが押しつつあった。

 単一の系統の金属器しか持たない閃に対してシンドバッドはより適切な金属器で対応できるのだ。

 閃の本来の間合いである剣も、魔装による空中戦に慣れたシンドバッドにとって間合いを外すことはそう難しいことではない。

 そのままであれば緩やかに形勢はシンドバッドへと傾いていっていたであろう。

 

 そのままであれば……

 

「むっ!」

「――!!」

 

 二人の間に白炎が割り込んだのは、シンドバッドが体勢の崩れた閃に光弾を放たんとしていた時だった。

 一拍遅れて、練紅炎の剣がシンドバッドに襲い掛かり、シンドバッドはそれを間一髪のところで躱した。

 

「死んだはずの大罪人がこうも堂々と金属器を使っているとは、な!」

白炎竜(アシュトル)!」

 

 2対1。

 内心の不利を隠して揶揄を飛ばすシンドバッドに紅炎は白炎の竜で応えた。

 シンドバッドは襲いくる白炎に光弾を浴びせて炸裂させるが、攻撃範囲の狭いフルフルの光弾では質量体ではない白炎を砕ききることはできず、飛翔速度を上げて回避した。

 

 数的不利に加え、閃のカイム対策のための魔装では紅炎のアシュタロスとは相性が悪い。

 シンドバッドは右手を掲げ、その人差し指に嵌められた指輪のルフを輝かせた。

 

「魔装――――ヴェパール!!!」

 

 その姿は禍々しく毒蛾のごとく蠱惑的で、髑髏の首飾りをつけた半魚の魔装。傍らに剣の生えた双頭の蛇が揺蕩っている。

 

 さらなる魔装の交換に閃と紅炎が警戒レベルを上げた。

 

千剣時雨(ヴェパール・イステラーハ)

 

 命令とともに、蛇の体から無数の剣が生まれ、その切っ先が二人へと襲いかかった。

 

「ちっ!」

 

 先程のフルフルのときと同様、質量体である剣では白炎を切ることはできない。だが今度は手数の多さによって紅炎がそれを受け止めきれない。すかさず閃が紅炎の前に躍り出た。

 

空閃斬(カイル・ゼルサイカ)!!」

 

 斬撃が宙を裂き、物理法則の通用しない虚無へと無数の剣が呑み込まれていく。

 だがシンドバッドの千剣は自由自在に空を翔け、二人へと襲いかかる。

 

「皇閃、練紅炎。君たちならあるいはこの運命の理不尽さを理解できると思っていたのだがな!」

 

 攻撃の手を緩めずに、シンドバッドは顔には愉しげな笑みを浮かべながら、言葉だけは残念そうに言った。

 

「ソロモンという滅びた世界の王が”運命”などというレールを敷いた世界。それに君たちももう気づいているのだろう? イル・イラーはこの世界にも幾度も干渉している!!  この世界はまるで箱庭だ! このままではいつまで経っても人に自由は存在しない!!」

 

 がなるように訴えるシンドバッド。紅炎はもとより鉄面皮を小揺るぎもさせず、閃は蔑みにも似た眼差しを向けた。

 

「それで? だから“聖宮”を使ってこの世界の全ての人々のルフを書き換え、自分の意思に従わせるのが自由だとでも?」

 

 イル・イラーは確かにこの世界に干渉している。

 それはアルバから得た情報によって用意に推測できたことだ。

 だが、いかにイル・イラーの干渉やソロモン王の作った正常な流れ、“運命”から解放したとしても、それがシンドバッドの意のままになった世界では人々に自由などない。

 ソロモン王の傲慢とやらがシンドバッドの傲慢に変わるだけだ。

 

「それはまず手始めだ!」

 

 シンドバッドはそれを否定した。

 

「この世界をウラルトゥーゴという神が造り、その上にイル・イラーという神がいる。ならば俺はそれを倒し、俺がその神の座につけば! この世界の百年先、千年先も争いのない平和な世界が築ける!!! そうして初めて、人は、この世界は、何者からも自由になるんだ!!!!」

 

 語られるはシンドバッドの計画。この世界の人々の志向を“聖宮”を使って統一するという、その次。

 

「神を、倒す?」

 

 百年先、千年先の世を考えて…………激して告げるシンドバッドの言葉に、閃はなぜかゾクリと悪寒を感じた。

 

「君たちには“運命”を誰かに握られているという感覚は理解できないだろう……実に幸運な事だ。だが、永遠に理解できないままでいられるとは限らない。アルマトランでの惨劇を君たちも知っているだろう?」

 

 何も理解できていない者に対するかのような問いかけ。

 かつて紅炎やシンドバッドたちはアラジンの魔法によって滅びた世界――アルマトランの、その終焉に至った惨劇を見た。

 

「アルマトランの魔道士たちは、ある時 全員が“運命”をはっきりと理解してしまった! それにより、それまで自由意志で生きていたと思い込んでいた自負が一気に崩壊してしまったんだ……」

 

 長く苦しい抗いの果て、魔導士たちは全ての種族の平等という目標を叶えた。

 そしてその代償に家族を、親しい者たちを、仲間たちを喪った。

 

 そしてそれは、戦いの中で、などというものではなく、ただ運命だから、そういうものだからということで虐殺されたのだ。

 

「戦っても、努力しても、家族を守っても、何をしても無駄、全て誰かの手の内という感覚だ。自分が神の操り人形だったという事実… すなわち“運命”! それを理解した時の圧倒的な虚無感…………そんなものに人間は耐えられないんだ!! 結果、どうなったか分かるだろう!!

 

 ソロモン王は的であり、父であったダビデの為したことの意味を知るために、イル・イラーの次元へとアクセスを試み、”運命”の存在を知った。知って、イル・イラーの”運命”から人々を解放するために、ルフに自分の意思を上書きした。

 

 だがその時には魔導士たちは”運命”の存在を知ってしまっていた。

 何のために戦ってきたのか。それがどういった理由からなのか。なぜ息子は、家族は、愛する者たちは理不尽に殺されなければならなかったのか…………全てはただ、”運命“でそうと決まっていたから。

 

「アルマトランの魔道士たちは“運命”の存在を否定する、ただそれだけのために世界を滅亡させる戦争を起こした!!」

 

 そんなものを受け入れることはできない。

 それがソロモンによって上書きされたとはいえ、支配者が変わっただけのこと。所詮他人の意思によるもの。

 

 だからこそ、アルマトランの魔導士たちは“運命”に反逆した。それにより世界が滅びようとも、新たに創られたソロモン王の傲慢なる世界を憎み続けた。

 

「そんなことはもうさせない。俺は世界を“運命”から解放する。ソロモン王の意思から脱却し、(イル・イラー)の箱庭を打ち崩す。まぁ、“運命”を破壊するのが俺の“運命”といったところだ。君たちには理解しようもなかったか?」

 

 常のとおり、自信に満ち溢れ、人々を善なる方向に導く偉大なる王の言葉。

 問いかけられれば誰でも付き従いたくなるようなカリスマを前にして、しかし閃も紅炎もそれに安々と屈するような器ではない。

 

「ご大層な計画ですが、イル・イラーという、神とやらをどうやって倒すつもりですか?」

 

 神とは人を超越している存在だからこそ神だ。

 この世界そのものに干渉でき、人々の記憶を、思いを、思考をすらも歪めることができる存在。世界そのものを創ることすらできる存在を、どうやって倒すというのか。

 

 閃の問いに、あるいは理解への端緒を見出したのか、シンドバッドはにっと強い笑みを浮かべた。

 

「そのためにまずは全ての人々の“ルフ“が必要なんだ!」

「なに?」

 

 世界の人々の力、ではなく、“ルフ”が必要。

 先程感じた悪寒が強まるのを閃は感じ、紅炎もさらに顔を険しくした。

 

「この世界のすべてを、一度ルフに戻すんだ。そしてその力を使って、俺が神を倒す!!!」

 

 全てはこの世界の自由のため。

 一度この世界全ての人を殺す(ルフに還す)

 

 傲然と、高みから見下ろすかのようなシンドバッドの威と言葉に、閃は理解した。

 

 ――もはやこの男に、人としての視点はないことを。

 

 自分が、彼自身が憎む“運命”に選ばれた特別な存在なのだと思い込み、常人とは違うのだと崇められ続け、世界を変える王なのだと、神になるのだと囁き続けられた彼には、もはや思想の異なる他者を納得させる感性もない。

 ただ自分に付き従う者たちを魅了するカリスマによって、思想を同じくする者たちを突き動かしているのだ。

 

 対話とは対等な立場の存在だからこそ成り立つ。

 説得とは、相手に受け入れる余地があるからこそ成り立つ。

 ならば、人としての視点・感性を失ったシンドバッドには対話も説得も意味をなさないだろう。

 

 

「おじさん! 聞いておくれよ!!」

 

 だがかつてのシンドバッドを知るからこそ、諦められない者たちもいた。

 

「この世界全ての人をルフに還してまで神を殺す必要なんてないんだ! “ソロモンの知恵”と”聖宮”の全ての力を使えば、ルフシステムそのものを壊して穴を埋められる。外部者の女衒から断絶し、干渉を寄せつけない独立した世界を守ることもできるんだ! 自由のためというならそれで十分だよ!」

 

 アラジンが考えた解決策。

 光からアルバのことを、イル・イラーの干渉のことを聞き、それ以前にソロモン王が創ったこの世界のルフシステムの、ルフを白と黒とに分けてしまう在り方を思った時から、考えていたことだ。

 ルフシステムは必要ないのかもしれない。

 もちろん願った未来を目指すことは悪いことではないし、それを否定し、投げ出し、諦めてしまうほどの絶望なんてないほうがいい。

 けれどもそうして選んだ道だって、それはその人の意志であり、その先に得られたものを他人が軽々に悪だと非難することはできないはずなのだ。

 

 ならばルフシステムを管理するだけの力のある“聖宮”の力を使い切り、そこから接続してしまっているアルマトランと、イル・イラーの次元との間を断絶してしまえば、この世界は自由になる。

 

「分かっていないな、アラジン」

 

 だがシンドバッドはアラジンの提案を一笑に付した。

 

「それではこの世界から争いはなくならない! 今は俺が力を握って、世界をコントロールできているが、百年先、千年先の未来を保証できない」

「百年先……千年先!?」

 

 百年先というならばまだ世界のリーダーとして考え得る未来かもしれない。

 だが千年先。そんな先の時代のことまで保証――支配といいかえてもいい――しようとするのはアラジンにも考えもつかないことだった。

 たしかにアルバやアル・サーメンという千年を生きて妄念を保ち続けた魔導士たちもいるが、この世界においてそれをした人間はいない。マギですら死んで生まれ変わっている。

 

「それに、君の方法でも今の世界は滅びる」

 

「………………え?」

 

 続けられた言葉にアラジンは聞きそびれたかのように呆けた顔をした。

 そしてそれは閃や紅炎たちにとっても同じことだった。ピクンと反応した彼らもまたシンドバッドの言に耳を傾けた。 

 

「この世界はすでに幾度も、それこそ創造されたころから、創造される前からイル・イラー(外つ神)の改竄を受けている。そしてルフシステムの破壊。これも問題だ」

 

 シンドバッドの独壇劇場。すべての聴衆はシンドバッドの言葉に、動きに、耳を傾け、聴き入ることが当然であるかのような強い力ある言葉。

 

「ルフシステムはこの世界の根幹を為す原理だろう。それを破壊し、イル・イラーの影響を排除するということは、この世界そのものを否定することと同義だ! イル・イラーの改竄の程度によっては、この世界は“始め”からやり直すことになるんじゃないのか!」

 

 イル・イラーの世界の改竄というのは、さながらソロモンやウラルトゥーゴが精密に作り上げられた砂の城に対して、その設計構想を無視して出鱈目にテコを入れているのに等しい。

 イル・イラーを排斥したとして、その程度がイル・イラーの今後の干渉を消すだけならばこの世界は歪さを残しながらも続いていくかもしれない。だが、イル・イラーがこれまで行ってきた影響までも消し去ったとしたら……? 砂の城に入れられたテコを強引に引き抜けば、その程度によっては砂の城は脆くも崩れ去るかもしれない。始まりのところまで…………

 

「ならば! 後の世界の、永劫の平和のために今いる人々の力を結集して神を倒そうじゃないか! ソロモン王が放棄した平和という責務を果たすべきだ!!」 

 

 言い切るシンドバッドは、今まさに敵対している者たちにも手を差し伸べるかのように力強い言葉を発している。

 その言葉にアラジンの心に迷いと動揺が生じた。

 

 この世界が終わる。

 それを阻止するための戦いであったはずなのに、突きつけられたのはそれすらも無意味だというものなのだから。

 動揺した心にシンドバッドの言葉が滲み入る。

 どちらにしろこの世界が終わってしまうというのなら、シンドバッドの言うように未来の平和のために神と戦うべきなのか?

 

 だが――――

 

「たとえこの世界が詰んでいるとして、それで貴方の身勝手な野望のために擂り潰される理由にはなりませんね」

 

 アラジンに手を差し伸べていたシンドバッドに斬撃が放たれ、彼の主張ごと薙ぎ払った。

 カイムの空間斬撃を回避したシンドバッドは、説得に応じる様子を欠片も見せない閃に対して声をあがた。

 

「身勝手か。たしかにそうだ。俺が神の座を奪い、それを超えようというのはそれを俺がしたいから、欲望があるからだ。だがそれこそがこの世界を唯一自由にでき、世界から永劫に争いを失くす方法でもあるんだ!!!」

 

 かつてルフを操作して上書きしたソロモン王は人の寄る辺をそれぞれの心に求めるようにした。世界を制御する手綱を放棄し、一人の王に拠らない世界を望んだ。

 この世界を創ったウラルトゥーゴは、ソロモン王の意思を継いで、人々の意思に決断を求め、しかし複数の王を選び続ける世界を求めた。

 イル・イラーは、彼らの、そして他の多くの人間や王たちが創り行く世界に干渉し、より愉しむための世界を求めた。

 

 シンドバッドの求めるものは、鑑賞者にして干渉する者を排除し、ソロモン王が放棄した手綱を取り戻し、ウラルトゥーゴが乱立することを許してしまった王を唯一人にする世界だ。

 

 その世界は、たしかに争いのない世界かもしれない。

 

「おまえの欲望がどこに向かおうと、俺にはどうでもいい」

 

 白炎の竜が、シンドバッドに襲いかかる。

 

「前にも言ったはずだ。俺はおまえが気に食わん」

 

 かつて王たちの語らいの場で、偽りの手を差し伸べてきたシンドバッドに対して放った言葉を紅炎は再び繰り返した。

 

 たしかに、紅炎の思考と志向はシンドバッドとよく似ている。

 だが決定的な違いがある。

 

 己一人の力を絶対のモノと信じ、自分の意志のみが未来永劫絶対のものだとするシンドバッドに対して、紅炎は受け継がれる志をこそ、尊いのだと信じている。

 かつて彼にそれを教えてくれた王子の志――本来人に貴賎など、命の重みに違いなどないということをこそ、心に刻み込んでいる。

 

「閃おじさん、紅炎おじさん…………」

 

 心を揺るがすことのない勁い意志。

 そんな王たちの姿に、アラジンもまた決意を秘めた瞳をシンドバッドに向けた。

 その瞳に、敵を見る眼差しを見たシンドバッドは先ほどまでの熱を帯びた雰囲気を一転、冷徹な瞳で敵対する王とマギたちを見下ろした。

 

「残念だ。所詮、君たちも運命を理解できなかったな」

 

 冷たく紡ぎ出されたその言葉と同時に、場の空気が変わった。

 ルフを見分けるマギの瞳は、より著明に変化に気づいた。

 

 常から多くのルフが慕うように周りを漂わせていたシンドバッド。その周囲のルフが、白から黒へと転じている。

 

「なっ!? 黒ルフ!! いや、あれは…………」

 

 まさかの堕転―――ではない、その黒ルフはシンドバッドの周囲から分離するように形を造り、あたかもそこに別の人物がいるかのように人の形になっていく。

 

 その姿をアラジンは知っていた。

 彼に宿る“ソロモンの知恵”に、その知識の中、アルマトランの光景の中にその姿があった。

 賢者の冠を戴き、第三の瞳を開いたかつての世界の狂える王。

 いや、狂ってなどいなかった。

 遥かなる運命を見通し、世界のあらゆるを掌上に転がした魔導士。

 

「ダビデ!!?」

 

 ソロモン王――ソロモン・ヨアズ・アブラヒムが父、アラジンの祖父、ダビデ・ヨアズ・アブラヒム。

 半堕の王と結びついたかつての世界の特異点。

 神とならんとした存在が、ルフのみの存在とはいえこの世界に舞い降りた。

 

「さぁ、運命の決着の時だ!」

 

 

 シンドバッド率いる七海連合の王とその眷属たち。

 和国の二人の王の器と煌帝国の王たち。

 王の選定者マギと彼に選ばれた王。

 

 王と王佐の魔導士たちは集う。世界の始まりと終わりの場へと。

 

 その狂宴を兵たちは見上げ、そこにまた新たな王の眼差しが加わった。

 

「シンドバッド王………光」

 

 千年魔女に囚われていた風の女王もまた、世界終焉の戦いへと参戦しようとしていた。

 

 






連日投稿3日目
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