煌きは白く   作:バルボロッサ

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第8話

 なにやら最近姫の様子がおかしい

 妙にわくわくとした様子の日々が続いたかと思えば、ここ数日は非常に苛立たしげなご様子だ

 

「夏黄文、ちょっと稽古に行くわよ」

「……かしこまりました、お供します」

 

 私が仕えるのは皇族の姫君。

 

 元々私は寒村の出で本来であればさして出世できるはずもなく終えるはずだった。

 だが私には野心があった。

 そして優秀だった。国の官吏を選抜するための科選試験を優秀な成績で突破できるほどに。

 

 そう、私は選ばれた一握りの者しか通過することのできない科選を突破し、その成績が皇族の方々の目に留まったのか現皇帝の直系の姫君の従者としてとりたてるまでに出世したのだ。

 

 ただ、予定外だったのは……その姫君が第8皇女という皇位継承権の低い、かつ市井の遊女であった母君を持つ次期皇帝など望むべくもない、政治的発言力の低い姫君であったことだ。

 そして姫君はそんな出自ゆえに宮中において孤独な方でもある。

 

 第1皇子の従者となるなどと高望みは抱いていなかったものの、正直これは予想外だった。せめて私と同年の生まれだという第2皇子や姫君と同じお年であるなら第3皇子であれば、まだやりようはあったかもしれないが……

 

 とはいえ第1皇女あたりでなかったのは幸いかもしれない。

 第1皇女は位階こそ高いもの現皇帝の直系ではなく、前皇帝の娘。母君であられる皇后が現皇帝に嫁がれた際に養女となられたそうだ。

 いかに位が高くともそんな経緯をもっていれば出世は望めない。加えて第1皇女は聡明で武勇にも優れると評判が高く、すでに古くからの従者も居る。そこに新参の私が入ってもさして重宝されずに終わるだろう。

 それならば姫君の信を得て、姫君に重宝されれば、いずれはなんらかの目があるかもしれない。

 

 実際、姫君の才が第1皇子と神官と呼ばれる男の目に留まり姫君は武の道を歩かれることを決められたようだ。そして姫君は鍛練を重ねられ、中々の武を身につけられている。

 仕えて数年になられる姫君のご様子が明るくなられたのはいいが、武官として歩かれることに心配がないわけではない……だが、幸いにも私は多少であれば武の心得もある。姫君のお相手として稽古をするくらいはなんの問題もない。

 

 

 話は変わるが、信を得るために必要なのは能力はもちろんのこと、心の機微を鋭敏に読みとり、きめ細やかな心配りを積み重ねていくことだと私は考える。

 

 実際、私は今の環境においてもそれによって周囲から一目置かれる存在となっている。

 私の出自は低い。そのため、なにもしなければ周囲からも冷遇されるだろう。だが私は繊細な心配りによって多くの味方を作っているのだ。言いかえればもはやそれは人心操作術と言っても過言ではないのではないかと考えている。

 

 

 姫君の様子がおかしい

 

 それは憂慮すべき事だが、同時にチャンスでもある。

 心の揺れ動きが大きい時にこそ、私の力は発揮され、大きな信を得ることができる時なのだから。

 そう、これは飛躍のための天佑かもしれないのだ。

 

 こういう時こそ、その優秀な頭脳を活かす時。ここ最近の出来事を、姫様の周囲から広げていって思い返すのだ。

 

 いつものような姫の我儘

 いつものような剣の稽古

 

 いつもの様な宮廷での毎日……

 

 いや、決してそんなことは無いはず。例えば皇族の方々となにかあったのではないか?

 他の皇女たちからは低く見られ、引いてしまう姫君だが、第1皇子である紅炎様を非常にお慕いしている。

 そこでなにかあった……?

 

 いや! いつもの様な、ではない。ここ数日で比較的大きな出来事があった!

 

 皇帝が他国の特使を歓待するための式典を開かれたことだ。

 その時、特使を出迎える任に当たられていたのが第1皇子ということで、少々話題になっていた。

 そう! 兄王とも言われ、姫君が慕われている紅炎様が、だ

 

 

「あっ、白龍ちゃんと……うっ……」

 

 思案しながら姫の後ろを供しているといつのまにやら鍛練場へと着いていたようだ。辿り着いたそこには、すでに先客が鍛練していたようで姫が嫌そうに声を上げている。

 

 練白龍

 第4皇子にして第1皇女の弟君だ。そう、あの方もまたその出自は前皇帝の子息だった方だ。昔、大火に見舞われ、奇跡的に生き延びられた際に負ったとかで、顔の左側に火傷の痕がある方。

 姫と彼の姉君とはあまり良好な関係ではない(といっても姫の一方的な思いのようにも見えるが)。だが、白龍皇子と姫とは、第1皇子を除く他の皇族の方と比べるとまだ良好な関係のほうだろう。

 おそらく姫が武の稽古を為さる際に、きちんと相手をできる者が限られているからだろう。

 

 位が低いとはいえ姫は皇女だ。加えて可憐な容姿をされている。

 

 そんな姫君に、一般の兵などが、本人に頼まれたからとはいえ本気で稽古をつけるというのは、おいそれとはできまい。

 かといって姫に物怖じしないほどの位の将軍職の者に稽古を頼むには、(そうとは見えないが)姫の押しの弱さが邪魔をしている。

 私が姫の稽古のお相手をよく務めるのはそういった経緯もあるのだが、正直私も本気で打ち込むのは気が引ける……

 

 だが、白龍皇子となれば話が違う。位は劣るものではないし、槍術ではあるのだが、しっかりと鍛練を積まれており、才ある姫君と比べてもなかなかに武を修められている。年も近く稽古の相手として適任に近い。

 

……の、だが。

 

 

「くっ! もう1本、お願いします」

「ふぅむ。よし」

 

 なにやら今は土埃に塗れて悔しげに目の前の相手を睨み付けていた。

 その相手は黒い髪を1本後ろに束ね、細身の木でできた剣を肩にあてて白龍皇子を見下ろしており、皇子の威勢のいい声を受けて切っ先を向けた。

 

 その男には見覚えがあった。

 和国特使、皇光

 海を隔てた隣国和の国の第2王子であり、迷宮攻略者と言われている男。

 

 和国と煌帝国の関係は、煌が帝国になる前からの関係で、そのころから良好な同盟関係となっていると聞いている。

 ただ近年、宮中においては、中原に勢いを増す煌帝国からすると東洋の島国ひとつ、恐れるに足りない小国。和国からの貢物として迷宮攻略者が献上された。などと噂されている。

 もっとも皇族の中では第1皇子を筆頭に、随分とあの男を評価しているという話も聞くが……

 

「ん? これは、姫君。っと、たしか……紅玉皇女でしたね」

「……こんにちはぁ、特使さん」

 

 白龍皇子と向き合っていた男は姫君に気づいたようで、片手をあげて立会いを中断し、挨拶をしてきた。

 姫君も挨拶を返したのだが……なにやら機嫌の悪さが悪化しているように見えるのは気のせいだろうか。

 

「皇光ですよ。皇女」

「えぇ、うかがってます、特使さん」

 

 ……どうにもこれが初対面ではなさそうなのだが、一体なんなのだろう、この空気は。特使の方もなにやら困ったように頬を掻いている。

 

「……たしか皇女も武芸を嗜まれるとか。鍛練にこられたのですか?」

「えぇ。どなたも居られないと思っていたら白龍ちゃんが、居たので驚いたわぁ」

 

 常のような高圧的な態度に輪をかけて威圧的なお言葉だ。しかもあからさまに特使 ―光殿― の名を避けている。

 

「紅炎殿からうかがったことですが、なかなかの腕前とか。よろしければ1本お相手いたしましょうか」

「……大きなお世話です。お暇なのですね。特使さんは」

 

 第1皇子の名前が出た瞬間、姫君がぴくりと反応したのは気のせいだろうか。それにしてもこの空気は一体なんなのだ。

 和国の王子、というのがなにか姫君の気に障るところでもあったのだろうか?

 

 首を傾げてお二人の会話を横で聞いていて、やはり姫君のぎこちない言葉に訝しみが増していく。

 

 

 そのどこかぎこちないやり取りを見ていてヒヤヒヤした思いを抱いていたのだが、ふっと思い出したことがあった。以前ふとした時に姫がこぼしていた言葉だ。

 

 お友達がほしい

 

 その出自ゆえにほかの皇女たちとうまくいかず、しかし皇女という身分のために年の近い親しい者もいない。

 宮中で楽しく話す下女などを見て、自分も話したい。と思って近づけば、彼女たちは恐れおののいて頭を下げ、走り去ってしまう。

 

 姫君は我がままを言い周りの者を困らせ、時に高圧的な態度に出られることもあるが、それは皇女という身分と親しく話せる友人がいないということも影響しているのだろう。年の近い同性にどのように声をかけたらいいのかわからない。

 だが、その心根は優しいものであることを数年間仕えた私は知っている。

 

 親しくなりたいと思いながら、そのなりかたを知らないがゆえに、逆の行動を、口調をとってしまう。そんな年頃にありがちなことが、いささか強くでてしまうのが姫君だ。

 

 以前女官に話しかけた際にも、高圧的な口調で怯えさせてしまったが、後になって「仲よくなりたかったのに……」と寂しげにこぼしているのを聞いている。

 

 そう、姫君の機微を察するには言動や態度とは裏腹の口調をとってしまうということを考慮しなければならないのだ。

 つまり、今の姫君の思惑は、態度とは逆。親しくなりたいという裏返しかもしれない!

 

 いや、まて……

 少ない情報だけでことを決めるのは愚かなこと。本当に裏返しで良いのだろうか……

 

 たしかに姫君は心優しい方で、(お一人ほど例外はいるが)理由なく人を嫌いになられるお方ではない。会って間もない人物に威圧的な態度をとられるのはいつものことだが、今回のこのよそよそしさはいつもとは違う。

 もしかしたらなにがしらの出来事があって、本当に嫌われておられるのかもしれない。

 

 もっとよく思い返すのだ、姫の心情を察する手がかりを。

 

 和国の王子。第1皇子に出迎えられ、皇帝と謁見した特使。

 貢物と揶揄される迷宮攻略者。

 

 ……そういえば、和国の王子は、件の第1皇女、白瑛皇女と婚約関係を結ばれているという話だが……

 

 それを思い出したとき、はっと閃光が脳裏を走ったように感じられた。

 

 

 武官を志すようになって、姫君は迷宮攻略についての物語をよく読まれるようになられた。

 なんでも神官は姫君に王の器を見たとかで、そのためいずれ迷宮に誘うのだとか。姫君になんという無茶をさせる奴だと、憤慨したのは記憶に新しいが、まあ今はそれは脇においておこう。

 

 迷宮攻略の冒険譚、シンドバッドの冒険を読まれた姫君がうっとりとした顔でおっしゃられていたではないか。

 

【こんな素敵な方と出会いたいわぁ】

 

 と。

 そう、姫君は純粋なお方で、年頃の姫だ。素敵な男性との恋に憧れを抱いてもおかしくはない。

 

 妙にわくわく、そわそわとしていた数日前。あれはこれから出会う他国の王子に憧れを抱いていたのではないだろうか?

 私のような一介の従者ではどのような方が特使として来るのかは知らなかったが、姫君であればもしかしたら第1皇子あたりからうかがっていた可能性がある。

 

 文武に優れ、シンドバッドの冒険の1節のように迷宮を攻略した王子。その容姿は同性の自分から見ても、なかなかに優れている。2代の皇帝に嫁いだ皇后と面影のよく似た白瑛皇女と並び立てば、一角の絵になりそうなほどだ。

 少しのんびりとした感じがするものの、そんな雰囲気もよくよく見れば姫君がお慕いしている兄君、紅炎殿下ともどことなく似ている気がしなくもない。そう思ってみれば、姫君があの男に惹かれることがないとも言い切れないのではないだろうか!!

 

 すでに婚約者がいる相手に恋心を抱いてしまった姫君。

 そう考えれば姫君の一連の不審な行動にも納得がいく。

 

 憧れを抱いて出会った王子。彼は期待通り、姫の意中の者となったが、すでに婚約者がいる。その煩悶に囚われた姫は、行き場のない想いを苛立ちにぶつけていたのではなかろうか!?

 このよそよそしい態度も、親しくなりたい、けれど婚約者の居る相手に対する遠慮なのでは!

 

 

 冴えわたる我が頭脳は、この瞬間、私に壮大な計画をもたらした。

 

 第1皇女の政治的権力は高くない。姫君と比べてもさして違いはないかもしれない。

 特使の歓迎の式典においても、皇帝は第1皇女との婚約よりもほかの皇女を勧めるくらいであったのだから、もしかしたら皇帝としては自分の直系の皇女を娶らしたいのかもしれない。

 それならば姫君が特使と結ばれる可能性は0ではない。

 

 そして特使は第1皇子に随分と評価されている。

 

 これは……もしかすると姫君の婚姻を利用して、出世への道が開けるかもしれない!

 姫君にしても慕わしい相手と結ばれるのであれば、姫のためになることであるし、第1皇女は政略結婚から解放される。白龍皇子の様子を見れば、彼の姉の婚約者をあまりよく思っていないのは、その敵意のこもった眼差しから明らか。

 誰もが得をし、私は第1皇子に近づける。天啓ともいえる計画なのではないか!

 

 素直になれない姫君のためにも、ここは私が間をうまく取り持たねば

 

 

    ✡✡✡

 

 

 苛立たしい。

 今の気分を言葉にすれば、それがぴったりだろう。

 

 数日前異国からの特使が来訪すると聞いたときは心待ちにしていた。

 和からの外交の使者が訪れるとき、大体にして彼らは比較的若いものが多かった。あまりおおっぴらには言えることではないが、彼らが来たときには女官などが彼らに異国の話を聞いたりして、それを話題に楽しそうに話しているのを幾度か見たことがある。だから、今回こそ、そういったお話の中に入れるのではないか、あるいは特使の方と直接お話ししたりする機会はないか、と。

 なにせ今回の特使は、今までとは異なり、留学のように長期滞在するという話なのだ。年若い使者でなければそれはできないだろうから、もしかすると年の近しい方でお友達になれるかもしれない……

 

 なんの自慢にもならないが、私は友達を作るのが苦手だ。

 

 作りたくない。孤独がいい、などと思ったことは一度もない。ただ、宮中における立場や皇女としての身分、それらに相応しい態度などから引かれてしまう。

 いえ、それはきっと言い訳、女官の方たちに話しかけるときの私は、肩肘を張りすぎてどう見ても高飛車にしか思われていないのだから……

 

 国内の方とは身分の関係もありうまく話せない。でも国外の方なら?

 

 もしかしたら身分のことなど、気になさらないかもしれない。

 

 

 期待に胸を膨らませた式典当日。謁見の間には大勢の人がいた。

 幾人か嫁いでしまったものの、まだ年齢的な関係から国内にいた異母姉様方。異母兄様方。比較的仲のいい白龍ちゃん。どことなく気に食わない白瑛。その他大勢の武官、文官が紅炎兄様と特使の到着を待っていた。

 

 式典の出だしはちょっとしたざわつきと共に始まった。

 特使より先に入室されたお兄様があの白瑛なんかにお声をかけられたのだ。

 

 

「白瑛。今回の特使殿は随分と面白い方だな。機会があれば、連れてきてくれ」

 

 

 その時は、その言葉の意味が分からなかったが、特使が顔を見せると一部でざわつきが生じた。どことなくお兄様に似ているように思えたけど、お兄様の方がずっと素敵でお強そうに見える、いやきっと強いはずだ。

 後になって知ったことだが、その特使は和国の王子様で迷宮攻略者らしい。

 

 しかも白瑛の許嫁!

 それを知ったのはお兄様のもとを訪れていた時だった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 歓迎の式典から数日後のこと

 

「あの……お兄様」

 

 煌帝国でも屈指の将軍でもあるお兄様が帝都に居られる期間はそう長くはない。いずれまた戦地へと赴かれてしまう。

 お兄様とジュダルちゃんに見込まれて武の道を志した私も、今はまだ研鑽の途中。共に戦場を駆けることは許されていない。

 それゆえ、お兄様とお話したくて、ご迷惑かと思いつつ訪れたのだ。だが、

 

 

「なんだ。白瑛に聞いたときはまさかと思ったが、本当にあいつへの贈り物のために迷宮に挑んだのか!」

 

 聞こえてきたのは愉しげに話されるお兄様の声だった。

 

「別にそれだけではないが、まあ、そうだな……まったく、この話をするたびに同じ言葉を返してくるやつばかりだ」

「そうだろうさ。俺ですらそんな真似はせんな」

 

 そっと柱の影から覗くとそこに居たのは件の特使だった。なぜお兄様と!? それもあんなにも親しげに! 

 話す口調も式典の時の様な礼儀に則ったものよりも砕けたモノだ。おまけに話の中にまであの女が出ているのが余計に癪に障る。

 

「といっても紅炎殿は二つ目の迷宮を攻略されたのだろ? それこそ俺には真似できんことだ」

「ほう。そうは見えんな。機会さえあれば攻略できそうに見えるが?」

 

 この世界において迷宮攻略者は限られている。

 10年前に攻略されたという第1迷宮では1万人を超える死者を出したと言われており、一つの迷宮を攻略するのにも相当な難易度だからだ。

 まして複数の迷宮を攻略した者ともなれば7つの迷宮を攻略したというシンドバッド。そして先年、2つ目の迷宮を攻略したお兄様のみだ。

 

 私もジュダルちゃんから迷宮挑戦を勧められてはいるものの、お兄様もそして私自身もまだその時ではないと思っている。

 

「遠慮しておく。あんなデカいの一ついれば十分だ」

「ふっ、十分、か……」

 金属器の力、というものを私はまだ直に見たことがないけれど、その力が強大であることは伺っている。

 

 苦笑している特使にお兄様は見惚れてしまうような、すっとした眼差しを向けている。

 

 ええ、やはり、お兄様の方が断然上に違いない。

 あの方も今、それを認めた。複数の金属器を持つお兄様に対して、一つの金属器で手一杯のあの方。どちらが上かは明らかなはず!

 

「ところで」

 

 うっとりとした思いでお兄様を眺めていると不意に会話の流れが切り替わり、

 

「あちらの方はどなたなんだ?」

「ああ、妹の紅玉だ」

「え?」

 

 気づけば二人ともが私の方に視線を向けていた。

 

「紅玉、こちらに来てちゃんと挨拶をしておけよ」

「あっ、はい」

 

 お兄様に呼ばれて小走りに近寄ってみれば、特使の方の身長はお兄様よりも低く、それでも私よりは遥かに長身だった。髪は長く、背中で1本に括られており、その色は白龍ちゃんを思わせる黒だった。

 

「は、初めまして。練、紅玉ともうします」

「あなたが、紅玉皇女でしたか。皇光です」

 

 お兄様の手前無礼なマネや無様なところは見せられない。緊張しながら挨拶をするとまるで知っているかのような反応が返ってきて下げていた頭を上げた。

 

「白瑛殿や紅炎殿からお話はうかがっております。可愛らしく武にも優れた妹御がおられるとか」

「いえ、そんな……白瑛?」

 

 お兄様が私のことをそう評してくれていた。そのことにほんわかとした気持ちになったが、その前になにやら気に入らない名前がついた気がして思わず聞き返した。

 

「ああ。光は白瑛の婚約者だからな。今日は白瑛に無理を言ってよこしてもらったんだ」

「紅炎殿、一応まだ婚約はしていないが……」

 

 面白そうに特使のことを紹介するお兄様の言葉に、なぜだかガンっと衝撃を受けた気分になった。

 

 お友達になれるかもと期待していた方がよりにもよってあの女の婚約者!?

 しかもなぜこんなにお兄様と親しげに!

 あの女に無理を言ってということは、私の知らない間にお兄様はあの女と親しげに話されていたということ!?

 

 

 

 などなどという出来事があり・・・・

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 今に至る。

 

 光の口から紅炎の名前が出てきたことにイラっとしたのか、紅玉は感情のままに返答してしまい、光が頬を掻いている。紅玉も大声を出してしまったことにはっとしており話題が止まる。

 

「ふむ……皇女、そちらの方は?」

「供の者です」

 

 ふと、光の視界の隅にいた紅玉の従者 ―夏黄文-がわずかに動きを見せ、話題を転換するように夏黄文の方へと視線を向けた。

 

「夏黄文と申します」

「皇光です」

 

 尖ったような紅玉の言葉に促されたわけではないが、あまり外交特使と関係悪化させるのも不味いと思ったのか、夏黄文はすっと前へと進み出て名を名乗った。

 

「先ほどは姫君が失礼しました」

「ん? 別になんでもありませんよ。こちらこそいきなり稽古にお誘いしてしまい非礼でした」

 

 夏黄文は先ほど紅玉が大声で拒絶を示したことに謝罪した。

 

「いえ。王子の腕前や武勇については私もお聞きしています。姫、どうでしょうか。ここは一つ、お相手いただくのも悪くはないのではないでしょう?」

「嫌よ」

 

 間をとりもつような夏黄文の勧めに紅玉はぷぅと頬を膨らませてそっぽを向いた。その様子に夏黄文がため息をつきたくなったかのような表情となるが、くすりと笑う音が聞こえて振り向いた。

 

「いや失礼。白瑛殿から聞いていたとおりの妹さんだと思いまして」

 

 楽しそうに微笑む光だが、一方の紅玉の頬は一層膨れたようになっていた。

 

「義姉上、夏黄文失礼します。光殿、稽古の続きをお願いします」

 

 妹を見るような眼差しを向ける光に対して膨れている紅玉。息を整えていた白龍がその間に割って入るように声をかけた。

 

「うん? ああ、鍛練の途中だったな。よし」

「光殿、白龍」

 

 白龍の鍛練再開を促す声によって状況を思い出した光だが、その腰を折るように横からたおやかな声がかけられた。

 

「姉上」

「どうした白瑛殿?」

 

 声をかけてきた白瑛に白龍は少し弾んだ声を返し、光は歩み寄って尋ねた。白瑛の背後にはなにやら顔を青くした彼女の従者 ―青舜―がつき従っている。白瑛は紅玉と夏黄文の姿に気づくとぺこりと軽く会釈し、つんとそっぽを向いた紅玉にも微笑みを向けた。

 

「いえ、そろそろいい頃合いかと思いまして、休憩にいたしませんか?」

「ふむ。たしかにいい頃合いではあるか。どうする白龍殿?」

 

 にっこりとほほ笑む白瑛の言葉に光は木刀を腰にさしながら白龍に問いかけた。尋ねるような言葉だが、木刀を帯に戻したのだから光の行動はすでに鍛練を切り上げる方向に入っている。

 とある事情で姉とこの男をあまり一緒にいさせたくない白龍は、ため息をつきつつ自身も鍛練を切り上げようとして、

 

「実は作っていたお菓子がちょうど焼き上がったところなので、光殿にどうかと思いまして。よければ紅玉もどうかしら?」

 

 友人兼姉の従者が青い顔をしている理由を察して、刻みつけられた本能から顔を青くした。

 

 脳裏をよぎった、ナニカ。

 腹痛と吐気に苦しめられ、数日間彷徨った生死の境。

 

 瞬時に顔色の変わった白龍とは異なり、事情を知らぬ光はなんだかにこやかな顔をしており、一方の紅玉は少し不機嫌さが増したようになった。

 

「結構「ひ、姫様!」よ……?」

 

 誘いをかけられた紅玉は目も合わせようとせずそっぽを向いたまま拒否しようとして、その声を遮るように白瑛の背後に控えていた青舜が声を上げた。

 

「見れば紅玉皇女も鍛練のご様子。せっかくですから私もここで鍛練をしていこうかと……」

「なっ、青舜!」

 

 なにやら慌てたよう青舜が鍛練を申し出て、それに釣られたように白龍が驚きの声を上げた。

 

「どうした、青舜殿、白龍殿?」

「?」

 

 光と白瑛が首を傾げて見守る先で二人はなにやらこそこそと顔を寄せて密談をしており、「あの男から目を離すなと言ったろう」とか「そんなこと言うなら皇子がなされればいいじゃないですか。絶対心配いりませんって!」とか聞こえてきたりする。

 

 なにやら二人の密談が長くなりそうな状態になってきたことに焦れたのか

 

「ちょっとぉ、私は剣の鍛練をしたいのだけれど、よろしくて?」

「す、すいません紅玉皇女!」

 

 紅玉が少し尖った声で告げ、青舜が慌てたように密談を中断して謝った。そしてはっとなにか良いことを思いついたとばかりに

 

「か、夏黄文さん! よければ私と手合せなさいませんか! ほら、ここは従者同士!」

「えっ!?」

 

 夏黄文の方へと向き直り、提案をしてきた。一方の夏黄文はなにやら慌てたように口を開こうとしたのだが、

 

「いいんじゃなくて。私は白龍ちゃんと鍛練できるし。」

「姫様!?」

 

 当の主である紅玉があっさりと許可を出したことで反論を封じられた。もしもここで紅玉の相手が居なければ反論のしようもあったが、紅玉は稽古の相手を本気でつとめてくれる白龍との練習に乗り気だ。従者同士の鞘当、特に白瑛の従者との、ということでそれを楽しんでいるのもあるのかもしれない。

 

「なっ! 青舜!?」

「おいおい、せっかく白瑛殿が菓子を作られたのだから、後でもいいんじゃないか?」

 

 不意をついて一気に話を進展させた青舜に白龍が睨み付けるような眼差しを向け、光は暗に稽古の終了を促すように口を挟んだ。だが、

 

「いえいえ! 積もる話もあるでしょうし。ここはお二人でごゆっくり! 是非!」

「あらあら、ふふふ」

「ん? ふーむ、そう言うなら……白龍殿。あまり無茶はなさるなよ」

 

 許嫁同士、そう言って勧める青舜に白瑛は微笑を浮かべている。少々気を張り詰めすぎな弟とつんつんとした義妹との比較的良好な関係が微笑ましいのだろう。

 光も白瑛古参の従者をそう蔑にする気はないのか、妙な迫力とともに勧めてくる青舜にちらりと白瑛に視線を向けて、そこにある微笑を見て、少し納得いかなそうに白龍に声をかけた。

 

「…………」

「気、気を付けます! さ、殿下!」

 

 光から無茶な鍛練を抑えるように声をかけられた白龍はふいっと顔を逸らし、青舜が慌てたように白龍の背を押した。

 

「それでは紅玉皇女、失礼します」

「白龍のことよろしくお願いしますね、紅玉」

「……ええ」

 

 白龍と青舜はまだなにか二人で話し合いをしているが、光と白瑛は紅玉に軽く声をかけて鍛練場を後にした。

 去りゆく二人はなにやら親しげに話しており、白瑛の微笑もいつにも増して花の咲いた様となっていた。

 それをじっと見送る紅玉の視線に気づいたのだろう、夏黄文が訝しげな眼差しを紅玉に向けた。

 

「姫様……?」

「素敵な王子様、か……いいなぁ……」

 

 紅玉はぽつりと呟き、それを聞いた夏黄文は、ぎょっとした表情となり、紅玉と光を見比べていた。

 

 

 それは唯の呟きだっただろう。

 

 政略結婚が始まりとは言え、どのような立場となっても、国許から離れても、やってきた人。武勇に優れ、ジンを従える王子様。

 それと寄り添うあの女は国の思惑とは別に嬉しそうに見える。

 

 いつか自分もあんな風に素敵な人と出逢えるのだろうか……

 

 あんな風に微笑みあえる方と寄り添えるだろうか……

 

 そんな思いが零れた小さな呟きだった。

 

 

 

 

 ちなみに翌日。光は腹痛で倒れ、数日間姿を現さなかった……

 

 

 


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