帝都から離れた地方都市。その一つの県令(地方都市の行政官)の邸宅。
戦によって潤っている煌の帝都とは異なり、この地方は平定されしばらくたっているものの、地方都市にはまだ十分に経済が発展しているとは言い難い状態だ。
だが、この邸宅には十分以上の財が蓄えられているようで、それを象徴するように、その主も豊満な身体つきをしている。その県令は今、
「き、貴様ら! こ、こんなことをしてただで済むと思っているのか! わしは、煌帝国の県令だぞ!」
見るからにみすぼらしい一団によって縄を打たれ、床に転がされていた。一団の服装は基本ばらばらだが、帯に鈴の付いた羽のようなものが飾られている。
屈辱に顔を歪め、吠え叫ぶ県令ににやにやとした笑みを向ける者もいるが、周りの者に指示を出している男はそれを一瞥して蔑んだような眼差しを向けた。
「誰のおかげで、生きてこられたと思っているのだ! この賊めが!! 今に」
「今になんだ。次は帝国軍でも来るか?」
「ひっ……」
威勢よく叫んでいた県令だが、頭領らしき男に冷酷な声を浴びせられて一瞬で顔を青ざめた。
「誰のおかげで生きて来られた? 誰のせいで多くの民が苦しんでいると思っている」
「き、く、来るな!」
続けられた言葉に県令の男はなおも反論しようとするが、頭領の男はすらりと大剣を抜き歩み寄った。
農村では戦火の痕、田畑の荒廃などが残り、加えて徴税としてわずかな蓄えが毟り取られていく。多くの民が苦しんでいる現状の上で、しかしこの地方役人は肥え太り、まるで別の世界のような邸宅を構えている。
戦費に充てるためだか、中央への上納のためだか、はたまたこの役人の脂肪のためだか、そんなことは彼らには一切関係がない。事実としてあるのは、戦乱を終えたはずのこの地方の農民は未だ苦しめられているという事実だけだ。
「お頭。あらかた運び終えましたぜ」
「またいつものように、ですかぃ?」
県令の邸宅から蓄財を運びだした配下の者が頭領に声をかけた。
「ああ。こっちも片付け終えたらすぐに行く」
「ひ、あっ。ま、待て。く、来るな……」
脅える県令の言葉を無視して頭領の男は近づき、手にしていた大剣を・・・
✡✡✡
帝都から離れた野営地。仮に築かれた幕舎にて議論が重ねられていた。
「なりません。まずは対話を試みるべきです」
「なにをいまさら! 相手はただの盗賊崩れ。鎮圧することが任務でありましょう。後の憂いを断ち、今後このような反乱を起こす気を起こさせないためにも殲滅すべき! それをいきなり交渉などと、皇帝陛下の威光が疑われかねませんぞ」
煌帝国第一皇女、練白瑛は皇女という身分でありながら、武の才に恵まれていたこともあって ―そして立場の危うさゆえに― 武官として戦地に赴いていた。
「今は盗賊に身をやつしていたとしても、彼らも煌帝国の民。戦火に苦しんでいたからこそのはずです。それをいきなり武をもって治めるなどというやり方はできません」
「っはぁ。甘いですなぁ、姫様は! まるで戦のことをお分かりでない」
度重なる戦争により生活が立ち行かなくなったのか、国に対する不満が高まったのか、農民の中には農地を捨てて盗賊に身を落す者もいた。
今回白瑛たちが派遣されたのは地方の都市から離れた位置で活動している中規模な盗賊集団の鎮圧。地方の県令からの討伐要請によって国軍が派遣されたのだが、どうやら県令自体が襲われたらしい。
賊軍自体は義賊を名乗っているらしく、狙っているのは主に地方の富豪や豪族などで、館を強襲して、そこから富を強奪し、民に配っているという者たちである。
そのような賊軍の経緯ゆえに、白瑛は兵を預かる者の一人としてそもそもの反乱についての話し合いを
千人長として、そして前皇帝の娘の監視役として派遣された男、呂斎は攻撃を
それぞれ軍議の場において行軍方針として提案していた。
「……どう思われますか、光殿は?」
「俺が口を出してもいいのか、これ?」
軍議の場の一角に席を宛がわれた白瑛の従者、李青舜は武勇においても名を知られている今回の同行者、光に意見を求めた。
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青舜と白瑛の付き合いは相当に長い。
白瑛の父が存命の頃、光との出会いよりもずっと古く、幼いころからの顔なじみであった。青舜自身は白龍よりも1歳年上で白瑛よりも4歳年下だ。
白瑛に許嫁ができたころ、青舜はまだ8歳。二人とは違い王族ではなかったがゆえに、それはまだ分からぬ頃であった。
親しくしている友人が時折海の向こうの国を訪れ、楽しげな話や土産を持ち帰ってくるのを楽しみにしていた頃もあった。
白瑛の父が亡くなり、白瑛が武官を志すようになった頃も、その主君を変えようとはせず、逆に白瑛につき従う従者として志願したのだ。それは大きな変革だった。
国の統治者が変わったこともあるが、白瑛はなにか凛とした印象が強くなり、白龍はなにか張り詰めた糸のように、ともすれば切れてしまいそうな雰囲気となった。だからそんな彼女たちを支えて行こうと思ったのだ。
そんな日々の中で現れた白瑛の許嫁、皇光は青舜の想像とは少し違っていた。いや、期待通りだったのかもしれない……
歓迎の式典があったあの日・・・
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「あの方が姫様の許嫁の方なのですか!?」
「ええ。皇光殿……変わりがないようでほっとしました」
式典が終わり、件の特使は第2皇子が案内し、青舜たちは別行動で私室へと戻っていた。道すがら特使について尋ねると青舜にとっては驚きに値する内容の言葉を白瑛はほんわりと答えた。
「ええと、それは……よかったですね?」
「…………」
それに対して青舜はちらりと白龍を見ながら引き気味に祝辞を述べた。述べるべきかどうかは判然としなかったが、少なくとも白瑛にとっては待ち望んでいた人の元気な姿が見られて嬉しそうである。
式典の最中、皇帝陛下が他の皇女を勧める場面もあったが、かの人は特に揺れることなくするりと躱していた。
ただ式の前に件の許嫁に関して白龍と話していたこともあって白龍も青舜も微妙な面持ちがぬぐえていなかった。というよりも白龍に関してはあからさまに不満そうだ。
白龍の数歩前を歩く白瑛は弟のなにやら不満そうな顔には気づいていないかのようにニコニコ顔だ。
「たしか紅明皇子が案内されてから、こちらに来るということでしたよね?」
「ええ……お茶でも用意しておこうかしら?」
まだ人となりのよくわからない和国の王子といきなり行動を共にしなくてもよかったのは、心づもりのできていなかった青舜にとっては好都合だった。だが、案内役が許嫁の白瑛でなく、第2皇子というのはどこか気にかからないでもない。
出迎えたのが第1皇子というのに加えて、式典中の皇帝の態度も光を彼らの派閥に組み込もうという意図が透けて見えるようでもある。
だが、そんな思惑を感じ取っているのかいないのか。はたまた絶対的な信頼をあの王子に寄せているのか、白瑛はどこかピントのボケた心配をしている。
「お茶はともかく……姫様。数年間何の連絡もなかった王子がなぜ今になって我が国に現れたのでしょう?」
率直に言って不審だった。
幼いころからお傍にいるからこそ、姫様たちの今の立場の危うさは分かっている。
「さあ? それでもあの方は、約束を違えることはしませんよ?」
不安に思う、そして警戒心を抱いている弟と従者をよそに、当の姫は笑みをたたえて返した。
「姉上はあの男を信用しすぎです! 数年間もお会いになっていなければ、どのように変わっているか!」
「ふふふ。たしかに、随分とたくましくなられたように見えましたね」
警戒心、というよりもむしろ敵意に近い感情ではないだろうか、というほどに感情を露わにしている白龍に対して、白瑛はわざととぼけているのではないかという反応であり、
「おっと。まだ一言も会話していない内からそのように言われるとは、大した評価の高さだな」
「あなたの言い方をお借りすれば、気の問題、といったところでしょうか」
「なっ!?」「えっ!?」
いつの間にか、白瑛の視線は白龍と青舜の背後の扉へと向いており、そこからかけられた声にくすくすとした微笑を扇で隠すように笑顔を向けた。白瑛たちも驚きの表情で振り向いた。
その時が、青舜にとって、等身大の光を見た初めての瞬間だった。
その人は式の時に皇帝と対面していた特使の顔ではなく、どこか楽しそうに、飄々としたところのある、そして優しげな眼を姫に向けている人だった。
「遅くなった、かな?」
「いえ? お元気そうでなによりです」
会話を聞いていたのだろうか、ちらりと白龍に視線を向けた光は少し申し訳なさそうな表情となっているが、白瑛の嬉しそうな笑みが変わることはなった。
「……約束を果たしに来た」
「はい」
不機嫌そうな白龍に困ったようになっていた光だが、すっと眼を閉じ、表情を改めると、真剣な顔を白瑛へと向けた。
光と白瑛、二人の視線が無言で交わされる。
紡がれる言葉はなく、光の言った約束を青舜は知らない。
だが、それでも、きっとこの人は姫様の味方だと、そう確信できるほどに一途な瞳で姫様だけを見ていた。
それが分かるのか、白龍もふいっと機嫌悪そうにしつつも、なにも言うことなく、視線をそらした。
しばらく沈黙の中で視線を交わしていた光は不意にふっと微笑んだ。
「これから、よろしく頼む」
「こちらこそ。よろしくお願いします……光殿。白龍と、こちら従者の青舜です」
改めて挨拶を交わした白瑛は室内の二人を紹介した。
「あ、李青舜です」
「……お久しぶりです」
一応君臣の序列を考えて白龍の言葉を少し待ったが、唇を尖らせている白龍が切り出そうとしないため、青舜から挨拶を返すと、白龍もしぶしぶ挨拶を返した。
「おお! 白龍殿か。随分と大きくなられたが……ふぅむ……」
「光殿?」
どこか考え込むように白龍をまじまじと見ている光に、白瑛が首を傾げた。
「ん? ああ、それでこちらが青舜殿か」
「え? あ、はい」
白瑛の言葉に見つめていた視線をきって、青舜へと振り向いた。青舜とは初めて会うにもかかわらず既知の人物のような口ぶりに今度は青舜が少し首を傾げた。
「白瑛殿の友人で、白龍殿の武術の好敵手なのだろ?」
「なっ!」
「え!? あ、いえ……」
どこか人が悪いような笑みを向ける光に、そして従者という紹介とは全く異なる認識に白龍も青舜も驚いたように声を上げた。
「これからよろしく頼む、皇光だ」
「よろしくお願いします」
しばし青舜を見定めるようにまじまじと見た光はなにやら嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そういえば、紅炎殿となにか話されたのですか? 随分と気にされていましたよ?」
微笑ましげに従者と許嫁のやりとりを眺めていた白瑛は、ふと式典でご機嫌だった第1皇子を思い出して問いかけた。
「ああ。何しに来たかと聞かれたから答えたら爆笑されたな」
「何と答えたんですか」
白瑛の問いに光は肩を竦めて答え、紅炎の話題に白龍はすっと表情を冷たいものへと変えた。その声音に光はちらりと白龍に視線を向けた。
「白瑛のために来たと答えた。そうしたら大爆笑だ」
「えーっと、それは……」
嘘か真か分からず返答に困る青舜と、凍えるような眼差しを向ける白龍に対し、白瑛は眼を丸くしている。
白瑛は少し驚いたのち、扇を口元にあてて楽しそうにくすくすと笑った。
「変わりませんね。光殿は」
「む?」
初めて会った時も、なんでもないことのように、びっくりするような事を言っていた。その変わらぬ姿に、白瑛は微笑みを向けた。
姫様の話にでてくる破天荒な冒険をした王子。
実際に見てみると、たしかにどことなく第1皇子に似ている気もするし、ただ、その眼は、自らの主を見つめるその眼は、優しさに満ちているように思えた。
きっとこの人は、姫様を裏切ることはない。不思議とそう予感させてくれる人だった。
✡✡✡
未だに白龍が光に向ける眼差しは敵対的な色があるものの、よく剣の稽古をつけられていたし、青舜もまた稽古の相手として立ち会った。
実際に剣を交えると、その強さは従者である青舜のものよりも、白龍のものよりも数段強かった。
ただ、白龍が興味を示した操気術という力に関しては、危険な技術だからと教えてはくれなかった。そういった子ども扱いのような言葉のかけかたが、また白龍の気に障って三白眼でにらむこととなったりしているのだが、そんなやり取りを白瑛は楽しそうに、微笑ましげな眼差しで見ていた。
白瑛は武官として、青舜はその従者として、国に仕えている。
しばらくして、白瑛は国内の暴徒の鎮圧のために、兵を率いて戦場へと派遣された。てっきり特使は同行しないものだと思っていたが、どうも第1皇子や皇后の口利きがあったようで、特使は第1皇女直属という扱いになるらしく、戦場へと同行した。
兵を率いて、と言ったが、前皇帝の派閥の筆頭と目される姫様に手放しで戦力をつけることはできないらしく、呂斎という男がつけられた。
なんでも、近く編成される征西軍の中の一団の将軍候補として有力視されている有能な人物だが、青舜は彼が好きではなかった。
たしかに実力はあるのだろう。兵法や用兵術にも通じている。だが、青舜の主である姫にたいしてあからさまに侮りの視線を向け、その発言も口を開けば甘いだの、なにも分かっていないだのばかりだから。
青舜が光に意見を求めたことを耳聡く聞きとめたのだろう。白瑛と議論していた呂斎が光に視線を向けた。
「なにか意見がおありですかな、皇殿?」
「なかなか議論がまとまらんようなので、少し口を挟まさせてもらおうかと思っていたところだ」
言葉こそ丁寧だが、その口調は嘲っているようにも聞こえて光よりも青舜がむっとした表情となる。だが、光は気にした風もなく、特使の顔で答えた。
「ああ。あなたはたしか、迷宮攻略者。戦のことにも多少は詳しいのでしたな」
迷宮を攻略するということは、単純に力に優れているだけではない。そして和国の王子である光は和において戦巧者であったという評判があり、呂斎もそれを聞きかじっていたのだろう。
「勘違いされては困りますぞ。第1皇子殿下の口利きで同行しているとは言え、あなたは所詮他国の人間。我が国の戦のことに口出しできる立場にはありませんぞ」
光の立場は外交特使ではあるのだが、紅炎と玉艶の差配によって白瑛旗下となり、今回の行軍にも席を設けられていた。
とはいえそれですべての者が納得して受け入れられるかというと、無論そんなことはなく、呂斎の侮るような眼差しは変わらず、冷たい目で突き放すように言い切った。
「もっともだな」
「それとも、ご自慢のジンの金属器とやらで賊を殲滅なさるおつもりですかな?」
煌帝国においても練紅炎という強大な迷宮攻略者が知られており、戦における絶大な破壊力が知られている。
「いいや。この国の民相手に使う気はない」
呂斎の問いに光はあっさりと否定の言葉を返した。
金属器の力の強大さは、その主である光自身がよく知っている。そして、光のジンは内乱の鎮圧に使うようなものではないということも。
「相手はこの国の民だ。皇帝の威厳どうこう言うのなら、それを無闇に弑するのことの方が威厳を損ねかねんと思うがな」
「ふん。御大層なことで……そこまでおっしゃるのならご意見を伺いましょうか」
先程呂斎が述べた言葉を返すように言い返した光に、呂斎はむっとしたように問いかけた。
✡✡✡
「はぁ……」
「陣中ではため息をついている暇はないぞ、白瑛殿」
軍議は光の意見を汲んで一応のまとまりをみた。だが、呂斎を満足に説得することができなかったことが響いているのだろう、白瑛は重たい息を吐き、光が苦笑気味に苦言を呈した。
「駄目ですね。軍一つまとめることができないなんて」
「仕方ないさ。戦場を渡り歩いてきただけあって軍の指揮能力では向こうの方に一日の長がある」
光の意見は両者の折衷案であった。
白瑛の主張する交渉のカードは、勢いに乗る賊軍相手に最初に繰り出すには、あまりに低姿勢であり、使者の命というリスクが高すぎため、いきなり出すことはできないだろう。だが呂斎の主張するような殲滅戦では今後の民の反感を買いかねない。
そこでひとまず一当てして、賊軍を指揮している大将首を獲るか、士気を挫くかしてから降伏を促してはどうかというところに落ち着いた。
戦を起こして命を奪ってしまってはそれこそ交渉はまとまらないと主張する白瑛
交渉などで纏めてしまっては、またいつ反旗を翻すかしれないと主張する呂斎
双方からの反論を受けた光だが、なんらかの事情があろうとも賊として、安らかに暮らしている民の生活を脅かしたのは事実。いずれにしても処罰は必要だという点。
一部隊の長として戦術に多少通じていたとしても、大局的な政治眼に乏しい呂斎には、反旗を翻すことを恐れていては国など纏めれないという大局的な意見によって反論した。
なおも不服そうにしていた呂斎だが、交渉失敗後の軍の指揮を呂斎に一任するという形をとることで落ち着きを見せた。
「呂斎はたしかに部隊の指揮に関しては将軍からも認められていると聞きます。しかし、姦計を好み戦場での振る舞いが酷いとも……」
軍の方針を決めて、その後戦術を詰めていく際にもいろいろと白瑛と呂斎は揉めていたのだが、それは真っ向からの戦と交渉を好む白瑛と奇襲などを好む呂斎の戦運びの主旨の違いが明確に浮かび上がっていた。
「兵は詭道とも言う。ああいった戦い方をするのも味方の犠牲を減らすという意味では大切なことだ」
清流のようなたたずまいと心を持つ白瑛にとって、光の呂斎寄りの言葉はむっと来るものがあったのか、拗ねたように瞼を閉じた。
「光殿はあのような戦の仕方を好むのですか?」
「好みの問題ではなく、人の上に立つ者ならば、様々な意見を受けて、最善の方法を選ばなければならないということだ。常に自分の好みが最善とは限らん」
今でこそ特使として、白瑛の旗下に収まっているが本来は光も軍を指揮する者。将としての経験は白瑛のそれよりもずっと長い。
「……」
「光殿は随分とあの男を買っているのですね」
白瑛の沈黙に青舜も少し怒ったような視線を光に向けた。
「あの手の奴は上手く手綱を握らんと毒になりかねん、が戦にはああいった毒も必要だ」
「戦に勝つためならばすべてを皆殺しにする、そのような事では……」
呂斎の作戦である殲滅を前提とした方針は白瑛にとって到底受け入れられるものではない。
苛烈なやり方こそが、自らの父を、そして兄を殺したのかも知れないのだから……
だが、戦において犠牲を少なくするために策を弄して攻めることも必要な事だ。人の死を受け入れた策を認めた光に、白瑛は瞳を悲しみに染める。
「そうならんために、お前の戦い方がある。心配するな、今は俺がいる」
「ジンの力を、使うのですか?」
光の頼もしげな態度に青舜は意外そうな声を上げた。呂斎との会話では使わないと言っていたが、それでも強大なジンの力を用いれば、例えそれが威圧であっても絶大な効果がある。
「いや、使わん」
「大丈夫なのですか?」
ジンの力を前提にしないその態度に青舜は改めて問いかけた。
「俺の力はジンだけじゃないんだがな」
「あ、いえ。そういうことでは……」
迷宮を攻略したその力そのものも、迷宮攻略者の大きな力とはいえ、ジンの力はあまりに誘惑を含む。苦笑したような光の言葉に青舜は戸惑いを見せた。
「世を変えたいと、弱き民を救いたいと願うほどの気持ちがあるのなら、できうることなら同じ道を歩けないものでしょうか」
今回の討伐対象が単なる賊ではなく、民を救うために立ち上がった義賊であるためだろう。白瑛は犠牲者を出すこともそうだが、自らの思いと夢のためにも、極力戦にはしたくないようだ。
「さて、な……それは、向こう次第だな」
✡✡✡
「姫様。賊軍の拠点が目視されるところまで進軍しました」
斥候を放ちながら進軍した一行がようやく賊の本拠地と思われる近くへと到達した。拠点は山間の渓谷に築かれており、奇襲のかけにくい、言いかえれば真正面からしか攻め込むことができない天然の要害に築かれていた。
「さて、賊どもも気づいてでてきたようですが……戦の時間ですかな?」
こちらの接近はすでに悟られており、しかし攻め込みにくい土地故に逃走はしにくかったようだ。要塞に籠っての籠城ではなく、野戦を選択した賊軍を見て呂斎が嬉しげに顔を歪ませた。
「いや。将が一人、出てきたようだぞ」
陣を展開した賊の中から一人、馬に乗った人物が国軍へと進み出ており、光がそれを指さした。
「なにか主張があるのでしょうか?」
「……聴いてみましょう」
青舜が白瑛に振り向いて問いかけ、白瑛は一人出てきた人物を注視した。
「おや、まずは一当てするのではないのですかな?」
「ただの話し合い、という気ではないようだが……別に状況次第でいいだろう?」
白瑛の決定に呂斎は不服そうに声を上げるが、光は肩を竦めて戦の始まりを一旦保留するように進言した。
進み出てきた馬上の人物は白瑛たちを国軍の将と見定めたようでキッと視線を固定すると大きく息を吸った。
「煌帝国の軍だな!! 俺は当方の大将! 無駄な犠牲を出す気はない! 一騎打ちを所望する! 武人としての誇りがあるのなら受けよ!!」
大音声での言葉は、距離を隔てても届いていた。
「だ、そうだが?」
「ふん。我が軍との兵力差に真っ向から挑んでは勝ち目がないと見ての苦しまぎれの戯言でしょう。受ける必要を感じませんなぁ。弓兵隊に仕留めさせましょう」
最終決定権のない光はどうするか問いかけるように振り返り、呂斎は彼我の戦力差を押し出して先制攻撃を進言した。
「……受けましょう」
「姫様!?」
「なにを戯言を! 兵力差は明らか! しかも大将が一人のこのこと出てきているのですぞ!」
しかし、白瑛の決定は元々の戦術方針とも呂斎の進言とも異なるものであり、その選択に青舜も驚きの声をあげ、呂斎は強硬な反論をした。驚いたような二人に対して、凛とした瞳を敵将に向ける白瑛を見て光は愉快そうに口元に笑みを浮かべた。
「俺が行こう」
「光殿!?」
呂斎と白瑛、二人の口論の始まりそうな様子に光は腕を上げて機先を制した。その腕に握られているのは納刀したままの刀。その様子に青舜や白瑛も驚きの声を上げた。
「一騎打ちで解決するなら安いものだろう」
「策であった場合はどうするのですかな?」
慎重そうに見えた光の言葉に、呂斎も驚きの表情となっていたが、キッと眼差しを強張らせて問いかけた。
単騎のみがでてきての一騎打ちの所望だが、賊軍とはえてして統率がとれていないもの。あの男が本当に大将であるかは分からないし、よしんば大将であったとしても後方の賊軍が奇襲を仕掛ける可能性は十分にある。
「その場合は弓兵隊で一斉掃射すればいいだろう」
「そんなっ! その場合は光殿は!?」
その可能性は光も考慮はしているのだろう。だが、返した言葉は現実的なもので、青舜は眼を剥いて声を荒げた。
「俺ならまあ、なんとかなるだろ」
それに対して光はあっさりと返し、ちらりと白瑛に視線を向けた。白瑛は驚いたような表情となっていたが、光の頼もしげな様子にこくりと頷きを返した。
一騎打ちの所望に応え、一人馬を進めた光と賊軍の大将が両軍の中間地点で向かい合った。馬上の男は抜身の大剣を右手に持ち、近づいてくる光を睨み付けている。
「煌帝国の将か?」
「厳密には違うがな。煌帝国第1皇女の練白瑛旗下、皇光だ」
十分に互いの距離が近く、しかし一足では接近できない距離まで近づくと相手は警戒の眼差しのまま問いかけてきて、光はあえてこの国において自身の最も低い肩書を述べた。
「……羽鈴団、大将
「懸念せずとも俺を一騎打ちで破れば、交渉材料くらいにはなるぞ?」
一騎打ちの目的は士気の高揚などではないようで、光の肩書の低さに素っ気なく答えた。それに対して光は自身の価値を売りつけた。
「…………」
「煌では一家臣だが、一応和国からの特使だ」
「ならいい。この戦、俺がけりをつける」
和国の名前を出すと、却って尻込みしかねないかと懸念して低い肩書を告げたのだが、むしろ戦の命数を直接的に左右する将ならば誰でもいいようで、馬上を降りて促すように光に視線を向けた。
おそらく馬上戦が得意ではないのだろう。光はそれに合わせるようにひらりと馬を降りて、納刀したまま視線に応えた。
構えようとしない光にピクリと眉根を動かしたのは、賊と言えども武に自信があるがゆえに癇に障ったのだろう。
「来い」
「……菅光雲。参る!!」
それでも挑発するような光の声に、怒声と共に名乗りを上げて賊軍の大将、光雲は大剣を振りかぶって一気に光に襲い掛かった。
「大丈夫なのでしょうか?」
「ふん。攻略者殿のお手並み拝見、といったところですな」
「……」
離れた位置から見守る白瑛たち。青舜は不安げに白瑛の方をちらちらと見ており、呂斎は相変わらず侮るような視線を光に向けている。そして白瑛はただ信じて待つように凛とした眼差しを向けている。
敵将は離れた距離を一気に詰め、気迫と共に振り下ろした。その動き、斬撃は正規軍の将にも勝るとも劣らぬ、たしかに一軍の大将を名乗るだけあるものであった。
納刀したままの光に鋭い斬撃を撃ち下ろし、
キンッ
という金属音とともに二人がすれ違った。
「光殿……?」
勢いのまま通り過ぎた光雲と軽やかに数歩を歩いた光。ただすれ違っただけに見えた二人の様子に青舜が訝しげな声を上げた。
通り過ぎた前後での違いは二人の立ち位置。そして納刀されていた刀がいつの間にか抜き放たれていること。
次の瞬間
「ぬ、がっっ!!!」
「なっ!!」「光雲様!!」
光雲の大剣は真っ二つに断ち割られ、左肩から腹部にかけて鮮血を噴き上げた。
一瞬の出来事に賊軍から驚きの声が上がり、ざわめきとともに殺気立ったように全軍が前のめりになった。
軍気の動きに光は無形の位におろしていた刀の切っ先を動かそうとし、白瑛や青舜たちも応戦するように身を乗り出すが、
「待てっ!!」
膝をついた光雲の叫び声に双方の動きが止まる。その姿は血に濡れており、胸元に当てている手も鮮血に染まっている。
大将の叫びに賊軍はびくりと動きを止めて、歯を食いしばるように国軍を睨み付けた。光は地に蹲る賊将に眼をやり、白瑛たちは賊軍の思わぬ統率に驚きの表情となった。
「俺の、負けだ。大将が一騎打ちで負けたのだ。貴様らは、手を、だすな」
「光雲様……」
途切れ途切れの声で配下を制止する光雲。賊軍だがその上下関係はしっかりしているのか、光雲の言葉に上げかけた武器を下ろした。配下を抑えていたのが力による恐怖からではこうはいかないだろうが、大将がやられて咄嗟に進軍しようとしたことやその制止に素直に従ったところを見るとよほどの信頼関係があるのか。
「聞いての通り、この、戦は、俺たちの、負けだ」
「……軍の規模を見て、無用な戦を避けて、自分一人で事を終わらせる、といったところか」
「…………俺一人が起こし、俺だけが戦ったものだ。あの連中に咎は、ない」
傷の深さは即死に至らないものとはいえ、明らかにこれ以上の戦闘継続は不可能なレベルであり、潔く敗戦を認める光雲に、光はその思惑を読み取って視線を向けた。
羽鈴団は賊としてはなかなかの規模の大きさで、砦も天然の要害を改造したものではあるのだが、正規の討伐軍は彼らを殲滅するに足る規模を、羽鈴団の数倍の規模を擁しているのだ。
勝敗が明らか故に無用な犠牲を出すことなく終わらせようとした策だったのだろう。
「残念だが貴様らが起こした罪は今日の戦だけではないだろう。県令の襲撃、強盗。それらすべてがお前一人の罪で収められるものではない」
だが、今回の戦においてはたった一人しか戦っておらずとも、そもそもこの討伐軍が派遣されるに至った経緯の中で、地方の豪族や県令には数多の犠牲が出ている。それらすべてをこの男一人がやったとは思えないし、当然そんなことはない。
「強盗、か……それは、貴様ら国軍とて同じことだろう」
「ほぅ?」
羽鈴団全体の罪を指摘した光に対して光雲はそれまでの受け入れたかのような表情から、侮辱されたことを憤る険しい表情を向けた。
「戦、戦で土地を荒し、それが終われば重税を課す。家族を失った俺たちの、生きていく糧すら奪っていく貴様らの行いと、どこが違う!」
傷の痛みはかなりのものだろうに、光雲の顔には今自身が感じている痛みではなく、今までにみんなが受けたであろう痛みを思って声を荒げた。
「世界とはそんなものだ。今の俺にはそれに対する答えなど持ってはいない。ただ、この世界の先に進むためには国の中で争っている暇はない」
思いを込めた光雲の叫びに、光はすっと視線を凍てつかせて光雲を見下ろした。光の答えに光雲はギリッと歯を砕かんばかりに噛み締めて睨み付けた。
その眼差しを受けて、一国の王子であった男は、手にしている刀を地に伏す男の首筋に突きつけた。その切っ先はまったくぶれることがなく、自らの行いの是非に揺れる気はない。
そして、
「待って下さい!」
その切っ先は首を刎ねるその直前に、制止の叫びが自軍からかけられた。
「なんだ?」
注意は足元の光雲に向けたまま、光は声の主、白瑛に問い返した。
「光殿。少し待っていただけませんか。話をしたいのです」
「……」
白瑛の真剣の眼差しを受けて光は見上げてくる光雲としばし睨み付ける様な視線を交えた。かなりの深手は負わせているものの、それでも追いつめられた獣の怖さがあるだけに、光は刃こそ下げたものの、いつでも切り捨てられるように、抜身のまま距離を置いた。
「菅、光雲殿とおっしゃいましたね。あなた方は襲撃で得た富を民に配っていると聞きました。それは真ですか?」
傍に控える青舜は心配そうに白瑛を止めようとするが、白瑛はそれを片手で制して光の横まで進み出た。
「……それを知って、どうする。貴様らに言ったところでなにも変わらんし、どのみち俺の運命は変わりはしない」
「それを変えたいと願うのです。この争いの世界を変えて、誰も死なぬ世の中を創りたい。それが我らの願いです」
燃えるような瞳に宿るのは不信と憎悪。世界のあちこちで渦巻く、運命を恨んでいく麩の流れ。
だが、それに対して白瑛はその名の通り、黒き流れを恐れぬ言葉を口にした。
「県令からはあなた方が凶悪な賊軍であると聞きました。しかし、もし彼の言う通りだとしたら、彼は生きてはいないでしょう」
「……」
ここに来るまでにいくつもの農村を通ってきた。開墾されているはずの農地も民たちも痩せ細り、通過する軍を見る民の視線は恐々としたもの、あるいは彼らの味方に仇なす敵を見るようなものだった。
襲われた県令。彼の邸宅からは、数多の財が奪われたそうだが、そもそもそんな山上にある地方都市の県令が大量の蓄財をしていることがおかしい。
十分に調べられてはいないが、強奪された財の量と都市の収支を考えれば一目でおかしな流れがあることは白瑛にも分かっていた。
生きていく糧すら、と光雲は言った。だが、本来であればそれはある程度考慮されているハズなのだ。
普通の国では戦費に税の増加を行うとしても、煌帝国ではそうとは限らないのだから。
あの神官たちがもたらす迷宮攻略。その恩恵によって、多大な財宝が手に入る煌帝国は、それだけで国庫を潤しているのだ。
ならばなぜ彼らは重税に苦しんで、強大な戦大国である帝国に反旗を翻したのか。
「この地域における税の不正な流れに関しては、中央にも伝え、適切な処置を行い、保護することを約束します」
地方役人の不正。
戦、戦で外にしか目が向いていなかった武官も、政争にあけくれ中央にしか目が向いていなかった文官にも等しく罪はある。
だが、
「あなたに世界を変えたいと思うほどの気持ちと、多くの人を動かしていく力があるのなら、私たちと来て下さい」
前回から投稿間隔があいてしまいましたが、お読みいただいていた方にはお待たせしました。アニメの方でアラジンが白瑛を思い出すシーンがカットされてがっくりきたり、幼い白瑛がでてきてテンションが上がったりと紆余曲折を経てようやく書きあがりました。