神様の弟子になりまして   作:ミツバチ

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第一話 久遠寺涼

 ―――目玉が好きだった。

 

 濡れた瞳は宝石のように美しい。いや、それ以上だ。

 白い強膜と、薄っすらと走る赤い血管。その二色と対比を成して映える、黒、茶色、灰色。他にも様々な色が存在するソレ。人体の中に在って最も美しいその部品に、いつの日からか、“()”は完全に取り憑かれていた。

 

 ―――欲しい。欲しい。欲しい。

 

 狂おしい程の情念が身を焦がす。

 ()()()、私は人の眼球を集めていた。

 

 中でも気に入っているのは、特別な力を備えた眼だ。―――幽霊である私の姿を捉えられるような、そんな眼。

 生前に看護師として勤めていた病院を縄張りに。

 私は、私を見ることの出来る人間の眼球を蒐集している。

 

 そして今夜――新たな品が、私のコレクションに加わるのだ。

 

 寝台の脇に立ち、獲物を見下ろす。

 年端のいかない少女。すやすやと、穏やかな寝息を立てている。

 端整ながら歳相応に幼気な顔。(まぶた)を閉じた寝顔は如何にも可憐だけれど、それ以上に私が惹かれたのは――当然、彼女の眼だった。

 

 まるで髑髏(ドクロ)のような。

 瞳孔を二つ有する、重瞳の紅い眼。その美しくも禍々しささえ感じる眼球に、私はすっかり(とりこ)になっていた。

 

 ―――欲しい。欲しい。欲しい。

 

 寝台に横たわった少女の顔に手を伸ばす。そして――その目玉を、抉り取った。

 

 

 ―――――瞬間、“()”は目を覚ました。

 

 

「……ぐっ、ぁああ」

 

 無様に呻き、身を(よじ)る。

 狂気に満ちた思念が脳味噌にへばりついていた。それがひたすらに気持ち悪い。眼を抉る快感と、そして()()()()()()()()()()()。決して自分のものではない感情と記憶――加害者と被害者の情念が諸共(もろとも)に流れ込んできて、気が狂いそうだった。

 

 眼が痛い。

 

 粘つく涙が止め処なく(あふ)れ出して頬を濡らす。

 ぐるりと腹の中で内臓が捻じれる。内側から蹴られるような生理的な鈍痛に吐き気を催した。まるで心臓がもう一つ出来たかのように、盛んに脈動している。

 俺は発作的に、自らの腹に拳を打ち付けた。

 多少、気が紛れる程度の効果しかない。だが何もしないよりマシだった。何度も拳を振り下ろす。すると、少しずつ症状は落ち着いた。

 

「糞……ッ!」

 

 忌々しさに、思わず毒づく。

 

 だが、そんな場合ではないことも理解していた。

 俺は半ば転がり落ちるように寝台から飛び降りて、全力で駆け出す。病室を抜け出して廊下を疾走し、階段を駆け上がる。誰かに見咎められる可能性はあったが、あえて無視した。

 

 ……俺は、なにをやっているんだろう?

 

 自分でも訳が分からなかった。

 今から俺が向かったところでどうしようもない。あらゆる意味で成す術などないだろう。眼を抉られた少女は間違いなく死んでいるだろうし、場合によっては俺もあの看護師の悪霊に殺されるかもしれない。

 だがこのまま、見なかった振りをするのは御免だった。

 

 あの少女の病室は――確か、四人部屋の603号室。

 

 看護師が噂していたのを聞いた記憶を必死で掘り起こす。

 事故で入院し、それを境にIQが160を超える天才児になったという彼女。そしてその彼女が今日の昼間に、『眼を抉る看護師』の霊を見てしまったことでお祓いを受けたという話。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ……ッ!」

 

 喉が引き()る。心臓の鼓動が煩い。運動には自信があったのだけれど、長い入院生活で随分(ずいぶん)と鈍ったようだ。

 

 それでも程なくして、目当ての病室に辿り着いた。

 

 俺があの光景を視てから、五分と経っていない。ナースコールを押して当直医を呼び、迅速に手当てをすれば――今ならばまだ間に合うかもしれない。

 

 あまりにか細い可能性。それに(すが)り付くように手を伸ばす。

 

 カーテンを引っ掴み、一気に開ける。

 そして――俺は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。

 

「―――……誰?」

 

 頭のおかしい看護師の悪霊に襲われた少女。その彼女が、闖入者(ちんにゅうしゃ)である俺を静かに見上げている。

 とても小柄な少女だ。おそらく年齢は一桁台――低学年の小学生と思しい。

 お下げにした黒い髪と、頭頂部のアンテナみたいな癖っ毛が特徴的な少女。その肌は(ろう)を思わせるほど不健康に白いが、頬は林檎のような可愛らしい赤みを帯びている。あどけない顔立ちは整っていて、しかしその表情は子供とは思えないほどに冷静に()いでいた。

 

 だが最も目を引くのは――やはり、その双眸(そうぼう)

 妖しく輝く、髑髏じみた重瞳の紅い瞳。

 

 彼女は不思議そうに小首を傾げている。その手には、ビニール袋を輪ゴムで捩って造られた人型の人形があった。

 人形は、注連縄で首を縛られている。

 それがガタガタと、まるで痙攣(けいれん)するように不気味に震えていた。

 

「君は、何をしたんだ……?」

 

 思わず、疑問が口を突いて出た。

 少女は手元の人形に視線を落としてから、それを俺に向けて掲げ、答える。

 

「『眼を抉る看護師』の霊を、これに捕まえた」

「は? つ、捕まえた……?」

「そう。ベッドに私の髪を結んだ身代わりの形代を置いて、私自身は塩水を口に含んで隠れてた。相手が目玉を抉ったと思って油断したところを塩で攻撃して、この人形に入るように脅した。それから勝手に逃げ出さないようにするために、こうして注連縄で縛ってる」

 

 淡々と、事も無げに言う少女。

 

 人形がガタガタと震えている。

 

 聞いているだけで頭がおかしくなりそうだった。

 

「……私は質問に答えた。今度はお兄さんが答える番。貴方は、誰? どうして私が襲われているって分かったの?」

 

 再び、少女が尋ねてくる。

 

「……俺は久遠寺(くおんじ)(りょう)。下の階の、501号室に入院してる。君が襲われているのが分かったのは……正直、どうしてなのか自分でもよく分からない」

 

 無意識に腹を押さえる。

 

 俺は、俺自身の身に何が起こったのかを把握していない。何か異常な現象に見舞われているのは理解しているが、それだけだった。

 ……あるいは。

 オカルト好きだった、俺の双子の妹ならば、何かを知っていたのかもしれない。だが事情を訊くことは永遠に不可能だった。

 

 何故なら彼女は――既に死んでいるからだ。

 父と母を殺し、その上で自分の腹を切り裂いて死んだのだ。

 

「…………」

 

 少女は、じっと俺の腹を見ている。……いや、視ている?

 

 彼女は俺の腹から視線を切って、こちらの顔を見上げてくる。そして、静かに告げた。

 

「涼。―――貴方のお腹の()()は、呪いを受けた霊障?」

「……君には、分かるのか?」

「うん。お腹と、それから――()()()()()()

 

「―――――ッ!」

 

 弾かれたような勢いで、全力で背後を振り返る。

 そこには何もない。少なくとも、俺の眼には何も視えなかった。

 だが彼女の言葉が嘘だとは思わなかった。

 

 間違いなく――俺は、呪われている。悪霊に取り憑かれている。

 

 腹が、急激に痛み始めた。

 その痛みは、陣痛によく似ている。

 俺はその場に膝を突き、激痛を発する腹を抱えて(うずくま)る。凄まじい吐き気に襲われ、何度もえずいた。

 

 ぐるりと腹の中で臓器が捻じれる。

 腹を内側から蹴られたように痛む。

 

 これらは比喩(ひゆ)ではない。我ながら信じ難いことなのだが――()()()()()()()()()()()。それは伝説で語られる鬼のように、俺の腹を食い破って出て来ようとしているのだ。

 

 じわりと、入院着の生地に血が(にじ)む。腹が裂け掛かっていた。

 

「……大丈夫?」

 

 傍に屈み、少女が俺の背中を撫でる。

 口調こそ淡々としているが、その仕草はこちらを労わる気持ちに満ちているのが分かった。だけど、だからこそ限界だった。

 

 死にたくない。

 助かりたい。

 救われたい。

 こんなのは嫌だ。腹に化け物を抱えて生きていくことなど出来ない。激痛と生理的嫌悪感で気が狂いそうになる。誰でもいいから、一刻でも早く助けて貰いたかった。

 

 (わら)にも縋る思いで、俺は少女の手を取る。

 

 そして、恥も外聞も捨てて懇願した。

 

「……お願いだ。俺を、助けてくれないか」

 

 

 ―――――それは、2017年9月の出来事。

 

 後に、思い返せば。

 全てはこの時に始まったのかもしれない。

 

 * * *

 

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」

《―――遅い。もっと早くしろ》

「はい! すみませんお師匠様ァッ!」

 

 神様のような、如何にも不遜(ふそん)な響きを孕んだ少年の声。それに対して半ば自棄気味に、血を吐くような勢いで叫んで答え、俺は無我夢中で修行に打ち込む。

 

 霊的エネルギーを練り上げ、それを内臓に送るイメージを描く。

 

 人体の各臓腑に宿る神を活性化させる『存思』の法だ。

 

 そして―――

 

 出来るだけ迅速に九字の『手印』を結び、次いで人差し指と中指を立てた刀印に切り替え。

 縦横と順番に、目の前の空間を四縦五横の格子状に切る。

 

 いわゆる九字護身法。

 

 密教から端を発して修験道に派生し、更に陰陽道に組み込まれた日本独自の呪術。霊的エネルギーで肉体・精神に干渉する呪いを弾く業――被甲護身の一種だ。

 手印の次は『反閇(へんばい)』。

 同じように臨兵闘者――と九回、足を地面に打ち付けて独特なステップを踏む。重要なのは図形を描く事。そうすることによって星や地脈の力を自らに降ろし、肉体の強化が可能となる。

 

《まだまだだな。意気込みは兎も角、そんな様では実戦で到底役に立たないぞ。全てを一動作の内にこなせ。息をするな、言霊を削れ。極限まで無駄を省くんだ》

 

 容赦のない駄目出しを浴びせられる。

 しかも後半に関しては、助言のようであって、その実言っていることが滅茶苦茶だ。どのように短縮すればソレが可能になるのか、皆目見当もつかない。

 

 俺は恨みがましく、こちらを見下ろす師の姿を見やる。

 

 そこにあったのは同級生の姿だ。

 

 俺と同じ学校に通う女生徒。制服は派手に改造されていて、襟元は緩められスカートは短い。チョーカーやブレスレットなどの装飾品で溢れた出で立ち。肉付きの良い足は水玉模様のストッキングに覆われている。履いている靴は当然の如く学校の指定外のものだ。

 ひらひらと蝶のように揺れる掌。その指先の爪は、(きら)びやか色のネイルによって彩られている。

 彼女は金色に染めた長い髪を、赤いリボンで結んでサイドテールにしていた。

 その顔立ちは人形のように整っていて、くりくりとした大きな眼が目を引く。

 派手な顔に派手なメイク。いわゆるギャルだ。淡い色のルージュが薄く引かれた唇の隙間から、可愛らしく八重歯が覗いている。

 

 洒落た格好とは裏腹に、今の彼女の態度はあまりに不遜で酷薄だった。

 

 屋敷の裏庭――汚れるのも構わずに、積み上げられた廃材を尻に敷き、尊大に足を組んでいる。そして神のような佇まいで俺を見下ろしていた。

 

 形の良い大きな眼――星が刻印された瞳を凶悪に細め、少女は告げる。

 

《駄目だな。やはり実戦でなければ身が入らないか。―――来い、騰蛇(とうだ)

 

 少女の足元の地面に霊的エネルギーが走り、式神召喚の陣が描かれる。そこから現れたのは、白い和服を着た人型の式神だった。

 如何にも陰陽師といった装束。顔には名と晴明桔梗――いわゆる五芒星――が描かれた布が掛けられており、頭は髪の代わりに炎が燃え立っている。

 

《相手をしてやれ。()()()()()()()()

 

 その言葉は優し気に聞こえるが、実際は『殺さない範囲でなら幾らでも甚振っていいよ』という非常に物騒な意味である。

 

 本当にこの師は滅茶苦茶だ。

 初対面の時はいきなり腹に穴を開けられた上、ボコボコにされた。挙句に「気に入った。お前、僕の弟子になれ」などと宣告され、以来こうして強制的に修行をさせられている。

 

 式神は主に(うやうや)しく頭を下げると、こちらに向き直った。

 瞬間、凄まじい圧力が俺を襲う。

 騰蛇から発される戦意を受けて、恐怖で身体が震えた。怖くて仕方がない。それでも逃げ出すことは許されなかった。

 

 もしも背中を見せて逃げようものなら、間違いなく殺される。

 

 式神ではなく、師である神様に。

 もっと言えば――神様に取り憑かれ、身体を操られている少女に。

 

 ―――やるしかない。

 

 俺は両手の指を組み合わせ、手印を結ぶ。

 中指と薬指を立てて指先の腹を合わせ、折り曲げた人差し指と小指の背を合わせる。陰陽道ではなく、密教に伝わる秘伝の印相。

 

 ―――それから。

 

 激闘の末――すっかり日が落ちた頃。

 

《もういいぞ。飽きた。今日はここまでだ。(ゆめ)、鍛錬を怠るなよ、馬鹿弟子》

 

 告げると、少女から師匠の気配が消える。式神の姿も()き消えた。

 彼女の身体が不安定に(かし)ぐ。倒れてしまいそうだ。俺は満身創痍の身体に鞭打って慌てて駆け寄り、少女を支える。

 

 呆としていた星の双眸が、ゆっくりと焦点を結ぶ。

 

「あれ……りょーくん……?」

「ああ。おはよう、愛依」

「おはよー……あれぇ? あたしって寝てたのー? ここってりょーくん()だよね?」

 

 寝ぼけた様子で目を擦り、大きな欠伸を漏らす愛依。その佇まいからは、先程までの苛烈さが嘘のように消えていた。

 俺は、ちらりと愛依の傍らへ視線を向ける。

 霊感がない俺でも感じる程の霊的圧力。神様の気配。まるで『いつでも見ているぞ』と脅されているような気分になる。

 

「……つかれてたんだろ。お兄さんのこともあるし」

「うん……ありがとね、りょーくん」

 

 言って、愛依は目元に浮かんだ涙を拭った。

 欠伸のせいか、それとも――辛いことを思い出したせいか。俺は己の迂闊な発言を心底から呪い、後悔した。

 

 愛依はぺちぺちと自分の頬を叩き、気合を入れるように拳を握る。

 それから、すっかり暗くなった空を見上げた。

 

「もう夜になっちゃってるね。お腹空いたな~……なにか食べに行こーよ、りょーくん!」

「ちょっ、待ってくれ、少し休ませて……」

「だーめ! あたし、もうお腹と背中がくっつきそうなんだから! ほーら、はやくはやく!」

 

 俺の手を引っ張り、ずんずんと歩く愛依。

 身体は鉛のように重かったが、それでもどうにかついて行く。奔放な彼女に引っ張り回されるのは嫌いじゃなかった。むしろ好ましいと感じてすらいる。

 弾ける笑顔は光輝いて見えて、その明るさに心を洗われる。

 

 彼女と過ごす時間は楽しい。

 

 こんな時間が永遠に続けばいいと思う。

 

 だが――その願いは、決して叶わない。

 

 神代愛依は四年後――二十歳になれば、死ぬ。

 神様の花嫁として連れて行かれるのだ。そしてその先に待っているのは、地獄と呼ぶ事すら生温い永遠の責め苦である。

 

「…………」

 

「―――りょーくん、今日はどこ行く? ミスド? それともふんぱつしてエグシンとか?」

「甘いのばっかりだな……」

「いーじゃん! おいしーんだから! それにドーナッツは穴が空いてるから実質カロリーゼロだし! あー! 話してたら余計にお腹空いてきた! 今日はたくさん食べるぞー!」

 

 拳を空に突き上げて意気込む愛依。それに思わず笑みを零してしまう。

 繋いだ手が温かい。

 彼女は一瞬一瞬を全力で、大切に楽しんでいる。いつでもそうだ。そんな愛依の姿はとても(まばゆ)く見えて、尊く感じる。そしてそれ以上に儚いとも思う。

 

 俺は無意識に腹を押さえる。そして、とある少女の姿を脳裏に思い浮かべた。

 

 俺では愛依を救えない。助けられない。

 神様の力は強大だ。俺一人では、万に一つも勝ち目などない。だが――彼女なら、あるいは。神代愛依を救えるかもしれない。

 

 寳月夜宵。

 

 俺の家に巣食っていた悪霊を封じた、彼女ならば……―――――

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