神様の弟子になりまして 作:ミツバチ
2017年、10月末―――
唐突に、寳月夜宵が俺の病室を訪れた。
「お見舞いに来た」
「…………どうも」
相変わらずの能面みたいな無表情で、淡々と告げる夜宵。
突然の再会に戸惑う。
彼女と顔を合わせるのはあの夜以来、実に一ヶ月振りだ。その間は霊感がない俺にはよくは分からないが、色々と忙しくしているようだったので、こちらも下手に関わらず遠巻きにしていたのだが。
今日は、一体どういう風の吹き回しなのだろうか。
……そういえば。
よくよく見てみれば、彼女の服装は入院着ではない。半ズボンにパーカーという、一目で分かる私服姿だ。
「退院するんですか?」
「うん。お先に。だからその挨拶をしようと思って。それと決意表明も」
なんのだ……?
思わず首を傾げる。知ってはいたが、本当に掴みどころのない少女だ。
夜宵は備え付けの椅子に座ると、静かに俺を見上げる。
「どう? あれから、お腹の様子は変わらないまま?」
「ええ、まあ……」
自分の腹に視線を落とす。
そこには、化け物がいる。
夜宵は手を自分の目の前に
「……確かに、私が前に視た時と変わってない。―――涼。どうしてお腹がそうなったのか、分かる範囲で説明してくれる?」
尋ねる声は、やはり淡々としたものだった。
どう答えたものかと、僅かに逡巡する。
しかし結局、俺は自分の身に起こった出来事を吐き出していた。自分一人で抱え込むにはあまりに重すぎるもので、しかし他人と分かち合うにはあまりに荒唐無稽な内容だから。膿を絞り出すみたいに、言わずにはいられなかったのだ。
―――事の発端は。
「俺には、双子の妹がいたんです。名前は
それは、中学一年の夏――去年の6月頃だった。
相手は分からない。妹は、頑として口を割らなかった。そして堕ろすように叱る両親に酷く反発し、出産を強行した。
しかし母体があまりに幼く、その上かなりの早期出産だったことも相まってか。死産だったと、親から告げられた。
赤子を取り上げたのは両親だった。
久遠寺家は、最低でも江戸時代まで
耳に
それに両親の産科医としての評判は良かった。だから、手を尽くしてもなお残念な結果になってしまったのだろう――と、信じて疑わなかった。
だが、子を亡くした当の母親がそれで納得できる訳がない。
妹は狂った。
獣のような、凶暴な様に成り果てた。ぼんやりとしていて大人しい性格だった彼女が、まるで別人のようになっていたのを覚えている。そして今年の一月のあの日に――父と母を殺し、俺をも刺した。そして自らの腹を切り裂いて死んだ。
俺はこの病院に担ぎ込まれて、どうにか一命を取り留めたのだが―――
「腹に腫瘍があるんです。卵くらいの大きさのやつ。それを摘出する手術が一度行われましたが、開腹した途端に医者が手術を中断して腹を塞ぎ直しました。それで――その担当医と、手術に立ち会っていた看護師達は、急にみんな病院を辞めたそうです。噂ではそれから行方不明だって聞いてます」
おしまい、と締め括る。
怪談というにはあまりにありきたりな話。だが実際に自分の身に降りかかった身としては、ただの怖い話だと切り捨てる訳にはいかなかった。
「……そう。その
「経過観察中ですよ。一応、悪性ではないだろうってことで、再手術の予定はありません」
言って、鼻で笑う。
痛む上に、
目を伏せ、慎重に話を吟味している夜宵。
何らかの結論が出たのか、彼女は顔を上げた。
「大体の事情は分かった。結論から言うと、今の私では手に負える相手ではないっぽい。それぐらい、涼に憑いている呪いは強力。だけど希望がない訳じゃない。一般的におおよその
出産という言葉に反応し、俺は思わず口を押さえた。
文字通りに反吐が出そうだ。
口元にまで昇ってきた酸っぱいものを無理矢理に飲み下す。
俺がそうしている間にも、夜宵は言葉を続けた。
「―――だから、戦力を整えてから呪いの元凶を狩る」
……今、なんて、言った?
瞠目して、夜宵の顔を凝視する。その表情は相変わらず無表情で、波風一つない湖面のように凪いでいた。そしてだからこそ、先程の言葉が本気なのだと理解する。
―――……お願いだ。俺を、助けてくれないか。
確かに、俺は寳月夜宵にそう懇願した。
だがあれはある種の気の迷いというか、極限状態が原因で口から突いて出た世迷言だ。しかも相手は年端のいかない幼女である。そして、俺の腹にいるのは正真正銘――本物の化け物なのだ。
それを、狩る?
とても可能だとは思えない。むしろ正気を疑う。
「入院している間、私はあの後も霊について検証を続けた。これはその結果として出た結論。時間は掛かるけれど……―――必ず、貴方を助ける」
俺の眼を見据えて、確と言い放つ夜宵。
「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」
尋ねずにはいられなかった。
俺と彼女は、一度顔を合わせただけの赤の他人だ。そんな相手のために危険を犯す義理などないだろう。それにこの呪いが命に関わるような代物だというのは、彼女とて理解している筈。だから俺には、夜宵の動機が分からない。
そんな疑問に対して、やはり夜宵は無表情のまま答えた。
「理由自体は簡単。分かり易く言うと、下心」
「はあ? 下心?」
「そう。私は力の強い霊を捕まえて、それを手駒にしたい。半年前の事故で私の両親の命を奪い、ママの魂を連れ去った――とある強大な霊に戦いを挑むために」
骨が軋むほどに固く拳を握って、夜宵が吐露する。
瞬間――腹が、捻じれた。
内臓が蹴られる。生理的な鈍痛に吐き気を催し、俺は咄嗟に身体を丸めた。歯を食い縛り、目を瞑って痛みを堪える。すると、視界が紅く反転した。
「ぐっ……!」
思わず呻きを漏らす。
腹の化け物が、何かを貪り喰っていた。
理解した途端、瞼の裏側に情景が浮かび上がった。血で濡れた紅い視界。その中に浮かぶ、暗黒の太陽。それは子宮に宿った胎児だった。
周りには、精子のように黒い
黒い太陽からは一本の触手が伸びていて、それは
―――そこまで視てから、俺の意識は急速に自分の肉体へと戻った。
「だいじょうぶ?」
椅子から下りた夜宵が寝台の傍に立ち、俺の背中を擦っている。
「……ッ! 今、のは……君の母親……?」
「―――もしかして、私の記憶が視えた?」
指摘され、思わずぎょっとする。
「分かる、んですか……?」
「推測はしていた。以前、涼は私が目を抉られたと思って駆け付けた。だけどそれは、『眼を抉る看護師』の霊が視た光景。実際に抉られたのは形代。だから現実のものじゃない。よって貴方の霊感は、お腹のお化けが見せているものじゃないかと考えた。おそらく、好みに合う人間や霊の思念、記憶といったものの霊的エネルギーを捕食しているんだと思う」
それはまた――とんでもない悪食だ。
嫌悪感で思わず顔が歪む。
歯が軋むほどに強く食い縛り、
半透明な臍の緒のようなもの。それが俺の腹から生えている。
その先を視線で辿り――ソレの姿を目にして、俺は無意識に息を呑んだ。
紅い、丸いもの。
人の頭より二回りも大きい。子宮の中で身を丸めた、胎児の姿。
それは奇しくも、先程に夜宵の記憶の中で視た黒い太陽にあまりにも酷似していた。
「―――私が貴方を助けたい理由はもう一つ。貴方の
今の俺が、同じものを視ていると確信しているのだろう。夜宵は、強い語気で宣言した。
これが、彼女の決意表明か。
「……分かりました。そこまで覚悟できてるのなら、何も言いません。……いや、むしろ改めて頼ませて下さい」
この人なら、本当になんとかしてくれるのではないか――と。既に、そんな風に俺は思い込んでいた。
相手は年端のいかない少女だ。
だけど―――
「―――夜宵さん。俺を、助けてくれませんか」
「任せて。全身全霊で最善を尽くすと約束する」
力強く頷く夜宵。
小柄な子供だというのに、彼女の姿はこれ以上ないという程に頼もしく見えた。
* * *
2018年、8月。
あの日から十ヶ月もの月日が経った。
俺は変わらず、病院にいた。
見慣れた501号室。
換気のために開け放たれた窓から夏の風が吹き込み、カーテンを揺らす。その煽りを受けて、手に持っていた本のページが忙しなくはためいた。
煩わしい、読書の邪魔だ。
俺は枕元に置いていた
窓とカーテンを閉める。
幸いにもここは個室なので、誰にも文句は言われない。
俺はベッドに戻り、本を手に取った。そして横たわった状態でリクライニング機能を使い、上体を起こす。そして足元の方に移動させていたベッドテーブルを手繰り寄せて、肘を突き、寛ぎ易い姿勢を確保した。
「…………」
読んでいた本をテーブルの上まで持ってきて、改めて表紙を観察する。
随分と古い代物だ。
装丁も、中のページも全て和紙。紐で綴じられた古めかしい書物で、実際に古文書である。虫食いによって所々傷んではいるが、なんとか読めはする。
それは僕の家――久遠寺一族に伝わる、呪術に関する秘伝の書だった。
―――馬鹿馬鹿しい。
そう一笑に付したいのをどうにか堪えて、俺は栞を差したページを開く。そしてスマートフォンを片手に、翻訳しながら読んでいく。
とはいえ、そう苦労はしない。
おそらくは老朽化対策として、戦前――昭和初期ぐらいの頃に、当時の言葉で翻訳しながら新しい紙に書き写されたものだ。非常に達筆である点を除けば、読むの自体にそれほどの苦労はない。
病院に外出届を出して自宅に戻り、蔵から持ってきた古文書。
似たようなものが既に何十冊とあって、ロッカーの中に山と積み上げられている。その内容は個人の日記から覚書やら家系の記録、手記、回顧録、妙な薬の製法、呪術の指南書などと多岐に渡っていた。
去年の10月――見舞いに来た寳月夜宵。
あれから見舞いに来た訳ではないけれど、近況についてはスマートフォンのSNSアプリで知ることが出来ている。彼女は俺の呪いを
必ず助ける――と、彼女は約束してくれた。
だが、だからといって。ただ助けてくれるのを呆と待っているのは
しかし、成果は芳しくない。
ただ、色々と収穫はあった。
俺が生まれ育った家。一族。それはいわゆる――憑き物筋の家系らしい、ということだった。