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白玉桜、そこは冥界に存在する立派な日本屋敷のことを指す。そこでは様々な霊魂が飛び交っており、春になると数多く植えてある桜の木に花が咲き一面が華やかに彩られる。その風景はとても綺麗で目を奪われてしまうものだ。だがしかし、今現在の季節は春ではなく夏真っ盛りなので、その風景を見ることはできない。ただただ、太陽の強い日差しが鬱陶しく感じるだけなのであった。
「……妖夢、本当にやるのか?」
「ええ、見ててください。伝蔵さんから貸してもらった本、とても勉強になりました。あれから私は学びました。私もいつまでもこの桜観剣、白桜剣にこだわってはいけないと。やはり強くなるにはあと一工夫必要だと言うことを!」
その白玉桜の中庭に、二人はいた。
一人は男性の妖怪の伝蔵。彼はいつも通りの黒を基調とし、所々に赤が散りばめられた浴衣を着てその場に立っていた。そして何故か口元をひきつらせていた。
そしてもう一人は女性というより少女という表現が似合う半人半霊の魂魄 妖夢。彼女は自身の白髪の短髪を風にたなびかせ、伝蔵の前で刀を持ちそこにいた。
だが、妖夢が今持っている刀は普段と異なっている。彼女が右手にもつ長剣、桜観剣は変わらないが、左手に持っているのは短刀の白桜剣ではなかった。その彼女の左手には、いつも伝蔵が使っている無名の刀が逆手持ちで握られていた。そしていつもは手に握るはずの白桜剣はというと、何故かそれはーー妖夢の口にくわえられていた。
「今からでも遅くない。やめるなら今のうちだぞ?今しかないよ?止めた方がいいって」
「心配は無用ですよ伝蔵さん。ほら、よく口に刀をくわえたまま喋れるなと思いませんか?練習したんですよ!大変でした!」
「え?ああうん。そうなんだ……」
元気よく伝蔵に自分の努力の成果を話す妖夢であるが、それを聞いている彼は何故か目を虚ろにして笑っていた。その顔には「おいおいマジかよ」と言った驚きと憐れみを見ることが出来た。もちろん、それに少女は気づいていない。
「それではいきます!」
妖夢が伝蔵の前で刀を構える。その構えは、右手の桜観剣、左手の伝蔵の剣を前に掲げ、そしてーー回転させるというものであった。
回転は時計回り、右手に持つ刀と左手に持つ刀を高速で持ち替え続けて円を描く。その回転の速さから、彼女の周りの風が荒れた。
「三刀流、奥義ーー」
妖夢がそう呟く。それを聞いてしまった伝蔵は、白目になっていた。目が点になるのを通り越して、真っ白になっていた。
二本の刀の回転はさらに速度を増す。そして、その速度が音速の領域まで捕らえ始めた頃、妖夢は力強く一歩を踏み出しその刀をーー振り切った。
「ーー三・千・世・界!!」
その一部始終を見終わった伝蔵は、両手で自身の顔を覆い隠し、反省するのだった。
ーーああ、拾った漫画なんて貸すんじゃなかった、と。
◇
異変が終わって数日がたち、いつもの平穏が戻ってきたことをようやく実感できる。そう、俺はそう、思っていたんだ。だが、それは幻想だった。何処までも現実は悲しみに彩られていた。大切なモノなんて、以外と近くに転がってるものよ?理論と一緒だ。異変なんて、以外と近くに転がってるモノなのだ。それは紫が中二病を始めだした時にわかっていたはずなのに、俺は今、直面している現実に負けてしまいそうだった。直視したくなかった。だって、まさか、まさかーー
「ーー三・千・世・界!!」
妖夢ちゃんまで、中二病になってしまうなんて。
自分の顔を両手で覆い隠す。視界に広がっていた現実から、目を背ける。
くっそぉ。俺が何をしたっていうんだ。なんで紫に続いて妖夢ちゃんまで異変に巻き込まれ、そして染まってしまうんだ。もしかしたら……これは俺が悪いのか?心当たりがないと言えば嘘になる。たしかに俺が、妖夢ちゃんに某海賊漫画を貸すときに「いいか、妖夢。この本には剣の極意が載っている。しっかり学ぶんだぞ」っとカッコつけて言ってしまったのだ。それを真に受けて真剣に彼女は読んでしまったのではないだろうか、漫画なのに。
ぐへぇ、妖夢ちゃんが素直すぎることを考慮するべきだった。素直であるが故に、ハデな技名の方に食いついてしまうのは必然じゃないか!
違う、違うんだよ妖夢ちゃん!俺はその後の「背中の傷は剣士の恥だ」っていう名言の方に着目して欲しかったんだ!!決して君を一流の剣士の技を真似させて、一流の中二病にしようと思ったんじゃない!一流の剣士の心意気を覚えて、一流の剣士に近づけさせようと思ってたんだよ!!なーんでこうなった?もしや……紫が自分だけじゃ恥ずかしいから妖夢ちゃんの境界を操ったのか?そうか、全ての謎は解けたぞ。
妖夢ちゃんが中二病になったのは全部、八雲 紫っていう大妖怪の仕業だったんだよッ!!(←責任転嫁)
「一体なにをしてるの妖夢。刀なんてくわえちゃって」
「出たな紫ィ!!!空中にスキマ開いて見てないで降りてこいよぉ!決着つけたらァ!!」
「え、なんでいきなり喧嘩腰なの?」
この異変を始めた張本人、八雲 紫が自身の能力を使いここに来た。彼女の背後には目玉が無数に浮かんだ気味の悪い空間が広がっており、彼女はそれに腰かけるような形で俺達二人を見下ろしていた。
くっ、なんて白々しいんだ。お前がやったことはもうわかってるんだよ。別に、俺はお前が中二行動をとってしまうのは百歩譲って許してやることにした。年齢的に厳しいことも、目を瞑ってやることにした。でも、でも!これは違うだろ!?一人の少女に強制的に黒歴史を作って、それを背負わせ続けるのなんて、そんなの間違ってるだろ!?
「紫、お前のしたことはたとえお天道さまが許してもな。この俺が許さねぇ!オラぜってぇ許さねぇ!!」
「……また何か勘違いしてるわね。相手にするのが面倒くさいから用件だけ言うわ。明日の昼、博麗神社で宴会をするわ。貴方も参加するように」
俺は紫の幻想をぶち壊そうとしていたが、その『宴会』っという言葉を聞いて体が固まってしまった。
「……え?なんでそんなことするの?」
「前回の異変が終わったことを記念して行うのよ。宴会という形でね」
「おい、おいおいおいおい。……なんで俺が参加しなくてはいかんの?俺今回の異変にほぼ関係ないよ。全くと言っていいほどだよ?」
「私も最初は貴方を呼ぶつもりはなかったのだけどね。どうしても、吸血鬼の妹の……フランと言ったかしら?彼女が貴方をご指名なのよ。それじゃあ、準備はしておいてね」
そう言い、紫はスキマに入り込み姿を消した。俺は茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
「別にそんなに悪いことではないじゃないですか、伝蔵さん。宴会ですよ?楽しんでくればいいのでは?」
「……タノシイ?タノシイって、なんだっけ?」
「で、伝蔵さん!?」
ーー宴会。それは俺にとって、悪でしかない。あの雰囲気、あの強制力。別にどんちゃん騒ぎが嫌いというわけではない。俺が嫌いなのは、ただ一つ。あのーー酒を飲まなきゃいけないんだぞ?っというノリである。元来日本人気質が強い俺は、そのノリを拒むことは出来ないのだ。悲しいことに。お酒飲めないのに。
そして、当然のことながら、酒を飲んだ俺の末路は決まっていた。ただ気持ち悪くなって、吐いてしまう。そしてすぐに吐いてしまうモノだから、まだ周りの人たちは酔いが回ってないまま俺のその一部始終を見てしまうのだ。するとどうだろう?その場はもちろんーーシーン、と静まり帰ってしまう。空気が死ぬ。否、俺が殺してしまう。
ターニングポイント。俺の明日の昼の「如何にして宴会で、酒を飲まないように行動するか」という醜い戦いの、幕が上がろうとしていたーー
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日光を自分が持っている傘で遮る。私達吸血鬼にとって、太陽は最大の天敵だ。その光は身を焦がし、灰と化すことを躊躇わない。普通なら日が出ている時間帯は外出することなどないのだが(むしろどの時間帯でも引きこもっていたが)、今日だけは特別だ。
今は宴会の真っ最中。ハクレイの巫女や新しい箒を嬉しそうに振り回してる魔法使い、私の姉である吸血鬼にその従者であるメイド、門番に私以上の引きこもり魔女など、多くの人物で賑わっていた。
私はその中である人物を捜していた。その捜している人物はこの中で唯一の男性なので目立たないはずがない。それなのにこの場で見つからないということは、彼はこの宴会に来ることを拒んだのだろうか?
「ーー中々しぶといわね」
その言葉と共に、私の横に不気味な空間が広がる。そこから現れたのは八雲 紫。私が彼を連れてきてほしいと頼んだら、簡単に了承してくれた妖怪だ。お姉様は彼女のことを胡散臭い嫌な女だと言った。確かにそれには同感だが、彼女は別に、悪い妖怪なのではないと思う。そのことをお姉様に伝えると驚かれ心配されたのだが、私は自分の意見を変えるつもりはない。だって、もし彼女が本当に悪い妖怪であったのなら、こんな幻想郷(世界)なんて、創るはずがないのだから。
「何がしぶといの?」
「ああ、フランドール。すまないわね。伝蔵が脱走して中々捕まらないのよ」
「……別に嫌がってるならムリに連れてこなくてもいいけど?」
「いえ、八雲に二言は無いわ。必ず連れてきましょう。ーー道具屋にもいなかったし、人間の里付近にもいなかった。となると後は……あそこしかないわね」
そして紫は姿を消し、私は一人残された。彼が来るまで私は何をしていようか。そう一人思考していると、向こうで咲夜と一緒にいる姉が、こちらにこいと手招きをしてくれていた。
それでは、駆け足で向かうことにする。慌てて、遮っている日光を浴びないよう気をつけて。ーーこの世界の時間は有限だ。
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「俺の名前は伝蔵。今日は今まで一番長い一日になる」
「そう。よかったわね」
相変わらずの冷たい反応を返すのは、お人形大好きアリス・マーガトロイド。孤高の戦士の彼女よりも、ぼっちレベルで上位の者は存在しないだろう。彼女はそこまでのぼっちニスト。そう、だからこそ俺は今回、彼女の家に隠れ潜んでいるのだ。
忘れもしない昨日の夜。白玉楼で自分に与えられた一室で俺はガタガタ震えていた。宴会に行かなくては行けないという運命に、心を折られかけていた。だが、そこで終らないのがこの俺こと伝蔵である。諦めの悪さに定評がある幻想郷一の剣豪(笑)である。
そう、その時ふと、俺にある言葉が脳内で響き渡った。その言葉、「諦めないで伝蔵君。こういう時こそ、発想を逆転させるの。『相手に酒を飲まない方向にどうやって話を進めていくか』なんて難しいことを考えるんじゃない。そもそも『どうして自分は酒を飲まなきゃいけない雰囲気にさらされてしまうのか』を考えるのよ」という神の言葉が。
そして俺は理解した。
そうだ、そもそもの話……宴会に行かなければいいんだよっ!と。
確かにこれはリスクの高い選択ではある。もし逃げてる最中その姿を目撃されてしまったら、後に宴会にいる奴らから顰蹙をかうこと間違いなしだ。だが、もし誰にもバレず、次の日になって紫に「すまねぇ紫。宴会にいけなくて。実は第三の魔王と戦っててな……」というような誤魔化しの嘘を伝えれば……?
「そうだったの。じゃあしょうがないわね」っという話になるに決まってるじゃないか(錯乱)!
というわけで俺は今、アリスに俺が今日ここに来たことを一応口止めしておき(まぁ、話す相手いないと思うけれども)彼女の家に居させてもらっているのである。ふっ、完璧すぎる、俺のこの作戦。アリスの人脈の無さまで考慮した隙のないタクティクス。自分が恐ろしい。
「でもアリスちゃん、そろそろ真面目に友達を作った方が良いのでは?俺は本当に心配なのだが」
「貴方がいるじゃない」
「バッカお前。友達はたくさんいた方がいいんです。なのにそれが俺一人って……涙ふけよ」
「ハァ。……面倒くさいわね」
「面倒でも諦めんなよ!熱くなって友達作れよ!!」
「いや、貴方の相手をするのが面倒くさいのだけど」
「そこは面倒くさがるなよ!泣いちゃうぞ!!」
こうかはばつぐんだ!伝蔵は泣きそうになっている!
や、やめろよ。そうやって言葉で抉ってくるの。結構傷ついちゃうんだぞ。今の俺の心境は例えるとするのなら、「コラ!たけし!今日もこんな遅く帰ってきて。今何時だと思ってるの!」と心配しているが故に怒っているのに、その息子は「うっせぇババァ!俺の勝手だろ!!」っと言って反抗心をモロにぶつけられ傷ついた母親のようなものである。いや、むしろアリスちゃんはストレートに俺の存在を否定してるので、たけしくんよりも酷いのではないだろうか。さすが、この年で人形に夢中な少女(笑)は格が違った。
「まぁ、前向きに考えておいてほしいでござる」
「……善処するわ」
こりゃあ今回もダメだなと確信した時、俺の予知に近い直感が危機を告げた。そう、この場に訪れるであろう、ーー危機(八雲 紫)を。
「ーーまずい!奴が来る!!」
「少し落ち着いてくれない?」
「これが落ち着いていられるか!俺の直感によると奴が来るまで後……24秒しかない」
「一体何を言って」
「アリス!ちょっと狭いけど、ここに隠れさせてもらうぞ!!」
「は?いや、ちょっと私の家のクローゼットの中に入らないで!!殺すわよ!」
「それしか選択肢がないんだッ!!!」
くそっ、この服邪魔だな。なんでこんなに衣装とか入ってるんだよ。うん?これは……布か。こんな三角形の布、何処に着けるのかね?ハンカチか?もしくは頭に被るのか?流石は都会派。流行の最先端にいやがる。
「ーー私は甘くないわよ。今すぐそこからでなさい。じゃないと……消すわ」
必死に部屋の中に籠ろうとしている俺に対し、アリスは声を低くして告げる。
アレ?これは真面目に怒ってる感じ?え、じゃあ仕方ないでごさる。場所を変えましょう。人の嫌がることはしたくないのでね。
「わかった、わかったでござる。じゃあ早く隠れられる場所を!時間がない、さっさと言うんだ!!」
「はいはい。それじゃあ魔法でなんとかーー貴方、その頭に被ってるモノ、は」
こちらは早く身を潜めたいというのに、アリスちゃんは目を見開いたままで動きを静止し、俺に何も指示をよこさない。くそ、本当に時間がないのに。
「すまない。早くしてくだせぇ」
「……伝蔵、貴方自分が今何被ってるか分かってる?」
「はい?ああさっきの狭い所にあった布のこと。これがどうしたっ、てん、だ」
頭に装着してあった布を外し、手に取る。別に頭に着ける見たいな形をしていたから何となく被ってみたのだが、何か間違っていたのかな?と思ってそれをよく見てみた。そして、ーー気づいた。
言い訳だが、当然狭い部屋の中は扉を閉めきっていたので暗かった。そして全く光が入っていなかったので、夜目を効かせることができる俺でも、形がぼんやりとみえるだけであった。
だから、しょうがなくね?俺は自分が今まで被っていたものを驚愕しながら、それを両手で前に掲げ、叫んだのだ。
「これは、下着じゃないかッ!!!!!」
「ーー死ね」
◇
「フランドール。連れてきたわよ」
「そう。ありがと……うわ!なんでこんなに傷だらけなの」
「すまんな、妹ちゃん。少し遅れてしまった」
「いや、それよりもなんでそんなにボロボロに……」
「なぁに、ちょっと一仕事してきただけさ。気にするな」
伝蔵をこの宴会の席に連れてきた八雲紫は、となりの彼が何故このような有り様になっているのか知っていた。そして知っているがゆえに、その事情をフランドールに伝えることが出来なかった。
「そうだったの……ごめんなさいね、無理をしてまでここに来てもらって」
「フッ、気にするなよ」
紫は、なんだか情けなかった。
なんでこんなのがこの幻想郷の、剣における頂点に君臨しているのか。君臨させてしまっているのか。早めに妖夢に強くなってほしいとこのときほど紫が願ったことはない。
「それで、俺に用ってなんだ?」
「……うん。その、えっとね?」
フランが彼に言葉をかけるのを少し躊躇う。それで紫は察し、その場を後にすることにした。その紫の行動を見て不思議そうな顔をする彼だが、そんなのは一々気に止めない。もうそれは紫には分かりきっていたことであったし、紫は彼はそれでいいのだと思っているからだ。
向こうで宴会が行われている。それぞれ様々な妖怪と人間が存在する幻想郷。今回の異変がスペルカードルールの普及に繋がっていく。そして結果が表れれば、この異変は成功したと言えるのだろう。その結果を、紫は余裕をもって待つことが出来るのであった。
◇
「ありがとう」
吸血鬼から告げられた言葉は、とてもシンプルなモノであった。
昼の日差し、それを受けとめ輝く地面。しかし陽炎は見えず蝉の鳴き声だけが季節を形成している。今日は、夏というには少し気温が低い。昨日までの真夏らしいどうしようもない暑さは、姿に影がかかってしまい見ることが出来ないようだ。それでも、また明日現れる予感はするのだが、本当に憎らしい季節である。少しはこっちの気持ちをわかってほしいものだ。
「別に、俺は礼を言われるようなことしてないぞ?」
「そうね。お姉様もそう言ってたわ。『女性を本気で殴る奴に、感謝の言葉なんて言う必要ない』ってね」
「……そいつはごもっともでござる」
彼女の姉の言葉が胸に突き刺さる。
そういえばそんなこともしたなぁ、と昔のことのように思い出した。あの時の俺は本当に余裕がなくて、言葉を伝えるにはなりふり構ってなんていられなかったのだ。でも、巷では男女平等が盛んです。だから殴っても良いのでは?なんて最低な自己弁護をしそうになるが、やめておくことにした。ほら、あっちで宴会してる奴ら皆女だからね?もし聞こえたらボッコボコにされるからね?世の中ってのは男女平等を目指してしまったが故に、立場がいつしか逆転してしまったものなのである。ちくせう。
「ーーでも、ありがとう」
こんな時でもそんなバカなことしか考えてない俺に、それでも彼女はお礼の言葉を言ってきた。
紅い眼をした彼女の、心が込もった感謝の言葉。それはもちろん言われたこっちは嬉しいわけで、照れくさくないと言ったら嘘になる。こちらもそれに匹敵するほどの言葉で返したいのだけれど、なんとまぁ不思議なことに、そんな感動的な『どういたしまして』系統の言葉なんて俺の頭じゃあ当然、出て来ないわけで。だったらなんて言えばいいのかねぇ、なんて今でもまったり考えている。
「……伝蔵?」
返答を返さない俺を、下から不思議そうに覗いてくる彼女。小さな瞳と揺れる金色の髪。今になって、なんで彼女が晴れているのに傘なんて差してるのか?という場違いな疑問が頭の中に浮かぶ。そして、その答えはすぐに解くことができた。そうか、吸血鬼って日光が苦手だったか。
いや、そんな関係ないこと考えてないでそろそろ何か言葉を返さないと。そう思い脳みそをフル稼動させるけれども言葉は出ない。いやぁ、これは難しい。もう勢いに身を任せるのが一番なのではないだろうかねぇ。もともと頭が良くないと自分で分かりきっているのである。だったらそれでいいでしょう。妥協したわけではないっす。これが俺にとってのベストなのだと思うのだ。
「まぁ、なんだ。これからは、姉ちゃんとお手て繋いで生きてけるようにな。喧嘩したら相談しろよ?また俺が右ストレートを放り込んでやる。俺は男女平等をモットーにしてるから、遠慮なんてしないさ」
「ははっ。それじゃあ、そうすることにするね」
「おう」
そう、笑って彼女の言葉に答える。感動的な言葉とは全く関係ないことを言っちまったけれど、これが俺らしいと思う。うん、これでいいのだ。
向かい合った俺達の間を、ひとしきり風が吹き抜ける。それでも互いに視線を外すことはなく、お互いにただただ笑いあって。両目を閉じつつ、風によって生じた幻奏を聴いたまま。それが止むのを待ち続けた。
ーーそれではこれにて閉幕。
俺と彼女にとっての、小さいけれど大きい異変は、ようやく幕を下ろしたのだった。
「そういえば美鈴が捜してたよ?指の間接をボッキボキ鳴らしながら」
「紫ぃー、スキマおねがーい」
斬れぬものなど全くない。『紅霧異変』、完。