とある正義の心象風景   作:ぜるこば

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三話連投です。
次からはちゃんと週一です。



watched&watching

『で、現状は?』

『そうですね……』

 セイバーは再び洗面台の前に立っていた。体の調子を確かめるかの様に軽く全身を動かす。勿論未だ眠っている他の三人を起こさぬよう、そっとだ。

『特に支障はありません。戦闘も問題ないでしょう』

『ふむ』

 別に、どこか体の調子が悪いといった様子はなさそうだった。ただ、彼女に問題があるとすれば、

『流石に、クラス特性であった対魔力や騎乗といったスキルは失われていますね』

『それだけか?』

『……約束された勝利の剣(エクスカリバー)も使えないようです。聖剣の召喚すら出来ません』

『それは……、痛いな……』

 衛宮士郎の嘆きに、全くですとため息をつくセイバー。彼女としては聖剣を湖の精霊に返還した覚えはないのだが、実際に使えないのだからどうしようもない。

『まあ、風王結界(インビジブル・エア)は無事なのが救いですね』

 そう言ってセイバーは手の内でほんの少しの風を起こす。ヒュルヒュルと手の内で渦巻く風は、現状ではセイバーの一番の武器だ。

 セイバー自身が今は剣を一振りも持っていないが、そこは衛宮士郎の投影が役に立つ。この世界に於いて武器に困る事はないのは大きかった。いざとなったら衛宮士郎が投影する、勝利すべき黄金の剣(カリバーン)もある。投影の件で思いついたのか、ふと衛宮士郎がセイバーに尋ねた。

『そういえばセイバー。その姿で投影は出来るのか?』

『無茶を言わないでほしい、シロウ。私は魔術師ではないのですよ、出来るはずがないでしょう』

『そういえばそうだったな』

 セイバーは魔力炉心を保有しているおかげで、魔術回路が無くとも体内で魔力を生成する事が出来る。だが決して彼女自身が魔術師と言うわけではないのだ。セイバーには魔術が使えない。風王結界(インビジブル・エア)やら何やら、セイバーは魔術じみた事もやってのけていたので、衛宮士郎はどうやら本気で忘れていたらしかった。スマンと謝る衛宮士郎に、気にしないでくださいと返すセイバー。

 若干バツが悪そうなのは、さっき衛宮士郎に気付かれないように小声で、トレース・オンなどと呟いていた事とは関係がない。

 もしかしたら使えるかもとか考えて呪文を唱えても、何も起こらなかったのが恥ずかしかったなんて事を隠している事とも関係がない。

 たぶん。

 きっと。

 

 

 

 

 上条当麻が小萌先生のアパートで目を覚ました時、衛宮士郎は既に起きていた。上条が布団から身体を起こすと、昨夜以上に綺麗になった部屋が目に付く。どうやら衛宮士郎は朝起きてからも部屋の掃除をしたらしかった。彼のいる台所からは朝食のいい匂いがふわふわと漂ってくる。寝起きの若干ぼんやりとした頭で、上条は衛宮士郎に何となく声を掛けた。

「……なに作ってんだ?」

「卵粥だ。傷が塞がったのなら、次は体力を回復させないといけないからな」

 よく見れば、心なしか部屋のあちこちも整理整頓されている気がする。具体的に言えば、あれほどあったタバコの吸殻やビールの空き缶も全部なくなっていた。どうやら衛宮士郎が全て片付けたらしい。

「あれほど汚いと、朝飯を作る前にまず掃除をしたくなってな」

だそうで。そして小萌先生の姿が何故か見えない。

「士郎、小萌先生はどこに行ってんだ?」

「彼女は外だ」

「外? なんでまた」

「タバコが吸いたいそうだ」

「なるほど」

 そんな会話をしていると、部屋のドアが開いて小萌先生が外から戻ってきた。

「なんで先生の家なのに、ウチでタバコが吸えないんですー?」

「馬鹿者、当たり前だ。ここには未成年の学生に怪我人もいるんだぞ」

 部屋に帰ってきて、開口一番にぶー垂れる小萌先生。だが衛宮士郎が涙目の彼女に返す声はにべもない。どうやら衛宮士郎が小萌先生を追い出したらしい。

「仮にも教師が、生徒の前でタバコを吸うのはどうかと思うがな」

「仮にもって……」

 先生れっきとした教師なんですけどー! と抗議の声を上げる小萌先生だが、衛宮士郎からして見れば子供にしか見えない。この容姿でタバコを吸うなんて、少年少女にいろんな意味でも悪影響だと思う。

 皆で軽く朝飯を摂った後、上条達はインデックスの看病をする事になった。一夜明けたインデックスには風邪と似たような症状が出ていて、朝になっても高熱と頭痛でぶっ倒れていた。熱のせいか肌は桜色に上気し、暑苦しそうに片足を布団からはみ出させている。実は下半身は、パンツしか穿いていないのだが。

 衛宮士郎は台所で食器の片づけをし、小萌先生はインデックスのおでこに乗っけていた濡れタオルが温くなったので、洗面器の水につけてジャブジャブと洗っている。

「ところで上条ちゃん、結局この人たちは上条ちゃんの何様なんです?」

「妹と兄」

「大嘘にも程があるです。二人ともモロ外人さんです!」

「……インデックスはともかく、士郎は日本人なんだけど」

「う、嘘です! こんな色黒で、銀髪の日本人なんて先生信じません!!」

「本人の前で言うのはどうかと思うのだが……」

 あんまりと言えばあんまりな物言いに、衛宮士郎が思わずツッコミを入れた。本人も一応、あの弓兵にそっくりな容姿になってきている事を実は気にしていたりする。おかげで、鏡の前で自分の姿を見るなりなんか苛々するのだ。

 少しの間皆でインデックスの看病を続けていると、小萌先生が上条のほうへ顔を向けた。

「上条ちゃん」

 突然、小萌先生の口調が変わった様な気がした。今までのおちゃらけた雰囲気ではなく、身に纏うのは教師のソレだ。どうやら真剣な話をしようというらしいと、衛宮士郎には予想がついた。

「当麻、私は外の様子を見てくる」

 その場の空気を感じ取って、衛宮士郎が立ち上がる。これから先は生徒と教師の話だ。

 ある意味部外者である衛宮士郎が軽々しく聞くものではない。そう判断して、部屋を出る衛宮士郎。流石にインデックスをつれていく訳にもいかないので、衛宮士郎は外で二人の話が終わるのを待つ事にした。

 ついでに言うと、セイバーは今眠りについている状態である。基本的に表に出ていない方は常時眠っているのだが、いざという時や呼び掛けさえすればすぐに起きるので大した問題は無かった。眠っている間についての出来事も片方に聞けば解決するし、そもそもそんなにころころと入れ替わる必要も無い。真昼である現時点では敵からの襲撃の可能性も低いので、わざわざセイバーが起きていなくとも良かった。

 そうして衛宮士郎が部屋の外に出ると、都会の夏らしい湿った風がその頬を撫でる。本音を言えば、月詠小萌を魔術の厄介ごとに巻き込みたくはないのだ。ほとんど何も説明しない事が最善なのだが、そこは上条に任せる事にした。

 今回の事件の中心にいるのは、あくまで上条当麻なのだ。無責任かもしれないが、それにたとえ月詠小萌が魔術に関わる事となったとしても、衛宮士郎が護るべき人が増えるだけの話。それ自体は衛宮士郎にとって苦にはならない。

 ただ、彼女の人生が変わってしまう事だけが不安だった。魔術と言う異端を知った以上、その騒動にいずれ巻き込まれるのは必至だ。特に今回のような、敵の攻撃に現在進行形で晒されている場合にそのリスクは跳ね上がる。敵の襲撃と言えば、上条はどうやら一人で魔術師を相手にしたらしい。特殊な力を持つとはいえ、戦闘のプロであるはずの魔術師にどう対処したのか、衛宮士郎には非常に興味があった。

(あとで、当麻から詳しく聞いておくべきだな)

 どうやって敵の魔術師から逃げ切ったかはわからないが、出来るだけ情報がほしい衛宮士郎にとっては、せめて敵の容姿くらいは掴んでおきたい。そうすれば、こうして外の様子を見るときにも大分役に立つというものである。

 そんな事を考えていると、不意にドアが開き小萌先生が出てきた。どうやら話し合いは終わったらしい。財布を手に持っているところを見ると、買い物にでも出かけるところなのだろうか。衛宮士郎は、そのまま入れ替わりで部屋の中に入ろうとして、

「ちょっと待って下さい」

 小萌先生に、呼び止められた。衛宮士郎が小萌先生のほうを向くと、先程までの様子からは考えられない様な毅然とした眼差しでこちらをじっと見ている。

「上条ちゃんとあなたがどういう関係なのかは、今は聞きません」

「…………、」

 でも、と月詠小萌は衛宮士郎の顔を見据えて、こう言い放った。

「もしもあなたのせいで上条ちゃんが傷ついたとしたら、先生はあなたを絶対に、絶対に許しません!」

「……そうか」

「はい」

 その澄ました顔をぶん殴ってやりますと小萌先生は続けた。意志は強く、目に宿る光は衛宮士郎の心を射抜く。その言葉には決して嘘偽りなどないのだろう。月詠小萌はそう言うと、衛宮士郎の返事を聞かずに去っていった。それだけで、衛宮士郎にも分かった。彼女がどれほど生徒思いなのか、どれほど大切に思っているかを。そう感じさせるのには充分すぎるほど、ただ一言から感じ取った。

 しかし、そんな心配は衛宮士郎には今更の話だ。

 何故ならそれは、

「もとより……、そのつもりだからな」

 衛宮士郎にとっては当たり前。ただ当然のこと。

 たとえ己の命を捨ててでも、彼の正義は見知らぬ誰かのためにある。それでも小萌先生の言葉は、戦場の感覚を、誰かを護りながら戦う感覚を取り戻すにはいい気付けだった。ここ最近ろくな戦闘もなく、ぬるま湯に浸かっていた身にはちょうどいい。それに何も聞かないと言う事は、少なくとも上条の安全を任せるくらいは月詠小萌が衛宮士郎を信用しているという事でもあった。

 その事実やその他様々な配意に感謝し、衛宮士郎は彼女が去っていった方向に頭を下げる。そうして今度こそ部屋に戻ろうとして、

「…………ッ!!」

 再び、その足を止めた。信じがたい景色を、衛宮士郎は目にしたからだ。衛宮士郎の目の端に写ったのは、ある一組の男女だった。

とにかく衛宮士郎は部屋には入らず、懐から携帯電話を取り出して操作してるフリをする。このアパートから600mほど離れた雑居ビルの屋上に、その男女は突っ立っていた。

 別にそれだけならなんの問題はないのだが、重要なのは彼らが明らかにこちらを観察しているという事である。片割れの男の方は双眼鏡を持ってこちらを見ているのが分かった。

 衛宮士郎の数少ない誇れる才能の一つに、異常なまでの目の良さというものがある。強化を掛ければ㎞単位で、たとえ掛けずともかなりの距離を視認する事が可能だ。600mほど離れた雑居ビルの屋上程度なら、衛宮士郎はその口の動きまで判別出来る。特にその男女は一際異彩を放つ格好をしているので、傍目にも怪しさ丸出しであった。

 男の方はどうやら白人らしい肌の色に、髪は夕焼けのような赤色に染め上げられている。二メートル近い身長で、神父のような漆黒の修道服を着ているくせに、ピアスに指輪にタバコ、さらには右目のまぶたの下にバーコードの形をした刺青までもが刻んでいた。おまけに意外と童顔で、歳は十四、五歳に見える。神父と不良をごっちゃにしたような格好に、流石の衛宮士郎も軽く引いた。

 だが女の方も負けず劣らずのおかしな格好をしているのだ。歳は十七、八だろうか。男よりも頭一つ分ほど背は低いが、日本人にしては十分高い方だろう。腰まで届くほどの黒髪のポニーテールに、着古したジーンズと白い半袖のTシャツといったラフな格好をしていた。ジーンズは左脚の方だけ何故か太腿の根元からばっさり斬られ、Tシャツは脇腹の方で余分な布を縛ってヘソが見えるようにしてある。足には膝まであるブーツ、2m以上ある日本刀は拳銃のホルスターの様な革のベルトに挟まれていた。

(おそらく神父の方が上条を襲った魔術師、そして女の方がインデックスを斬った魔術師か)

 男女の装備から、二人の働きに大体の当たりをつける衛宮士郎。そうして今度はその二人に対して読唇術を試みる。携帯電話を見るフリをしながら唇の動きを読むのは決して簡単な事ではないが、これほど近ければ衛宮士郎にとっては結構余裕があった。

 読唇術。

 唇の動きで相手が何を喋っているかを解読する技術であり、お世辞にも普通の魔術が上手くなくて代わりに視力だけは矢鱈と良い衛宮士郎にとってはこれほど役に立つものはない。会話の途中からであるが、男女の言っている言葉も大体を理解する事が出来た。

 まさか魔術もなしに会話を聞かれているとは思ってもいないのか、思いの外その二人は饒舌である。どうやら上条の幻想殺し(イマジンブレイカー)は予想以上に警戒されているらしく、なんらかの魔術組織がバックアップについているのではないかと誤解しているようだ。

 そしてこの諜報の一番の収穫は、

「増援はナシ、か。それはいい事を聞いた」

 そう、どうやら相手方には増援がないらしい。つまり敵は目の前にいる唯二人のみ。しかも会話の途中で出てきた『ルーン』というキーワードを聞く限り、男の方はルーン魔術の使い手であるという事まで判ってしまった。ここまで都合よく情報をぺらぺらと喋っている姿を見ると、もしや罠かと疑ってしまうが、

(まあ、それはないだろうな)

 衛宮士郎はそう断定する。その主な理由としては、衛宮士郎があの二人を発見できたのは唯の偶然だからである。誤情報をばら撒くつもりなら、もっとわかりやすい位置、見つかりやすい位置でこちらを張っているだろう。そしてその誤情報をこの状況で撒くつもりであるならば、衛宮士郎が魔術師であって、しかも遠視が得意であるという事も予想出来ていないといけないのだ。彼らの前でまだ一度もまともに魔術を使っていない衛宮士郎が、そこまで実力を看破されているとは考えづらい。だから衛宮士郎は彼らの言っている事が全部本当の事であろうと判断したのだ。

 しばらくの間、衛宮士郎は二人の会話を聞き続けて、時間的にそろそろ潮時かと携帯電話をしまってその目を逸らす。欲しい情報はまだまだ不足しているが、流石にこれ以上長い間見続けているとバレてしまう可能性がある。あくまで衛宮士郎の感覚的な話になるが、女剣士の方はその立ち振る舞いからいってもかなり戦闘に特化した魔術師のはずだ。手錬相手には警戒するに越した事はない。そうして衛宮士郎は踵を返すと、部屋の中へと戻っていった。

 

 

 

 

「……何をしている」

「ああ、士郎! ヘルプ、ヘルプミー!!」

 部屋に戻った衛宮士郎は、目に入った光景に呆れたような声を出す。大人しく話をしているかと思っていたら、何故かインデックスが上条の頭に噛り付いていて暴れていたのだ。これでは追跡している方も気が抜けるだろうなと、あの男女を少し気の毒に思ってしまったくらいである。

 衛宮士郎はため息を一つつくと、未だ暴れている二人を強引に引っぺがした。

「当麻はともかく、君はまだ体力を回復させていないといけないのだから大人しくしているのだな」

「へぶっ!?」

 そうしてインデックスを手加減して布団の中に押し込む。なにやらインデックスは恨めしそうな顔でこちらを睨みつけているが、無視した。

「……まあ、暴れられるほどに体力が回復したという事でもあるか」

「だからって人様の頭に噛み付くのはどうかと、ワタクシは思うのです」

「一緒になって暴れていた当麻が言う台詞かね?」

「…………すいません」

 ついでに上条の頭を引っぱたき、衛宮士郎は二人を落ち着かせる。とりあえず衛宮士郎は、自分が外に出ている間の上条と小萌先生の話を確認する事にした。

「で、小萌先生は説得出来たのか?」

「まあ説得と言うか、気を遣わせてしまったというか……」

 とりあえず今回の事は不問みたいな? と話を纏めた上条に衛宮士郎は内心一安心する。一般人がこんな騒ぎに巻き込まれる必要はない。小萌先生が巻き込まれないのなら、それがベストだ。

 そして彼女が外に出た事で、漸く三人でこれからについて話し合えるようになった。まさか一般人がいる目の前で魔術だ何だと話す訳にもいかなかったので、実は彼らは昨夜以降何も話し合ってはいないのである。小萌先生がいつまで外に出ているかは分からないが、とにかく今の内に色々と作戦を練ることにした。インデックスは横になったままだが、会話する分には支障は無い。

「ところで、あなたは何者なの?」

 話し合いに入る前に衛宮士郎がお茶の準備をしていると、インデックスから声が掛かった。今更ながら、彼女は衛宮士郎という魔術師の情報を知る気になったらしい。衛宮士郎としても手に入った情報を纏めて相談し合おうとしていたので、自己紹介という意味も含めて改めて自分の立場を説明する機会は必要だった。

「そうだな。では情報の共有も兼ねて、私のことも少し話すか」

お茶の用意をした衛宮士郎が、ちゃぶ台に湯飲みを三つ置く。インデックスが早めに、普通に会話出来るほどの状態に回復したのは幸いだった。

「まず私の名前は衛宮士郎、魔術師だ。今は当麻の家に厄介になっている」

「……やっぱり魔術師なんだ。でも、なんであなたが回復魔術を使わなかったの?」

 インデックスは昨夜の事を余り覚えてはいないが、上条から先程聞いた限りではこの衛宮士郎という人物も魔術師だという事は知っている。でも魔術師ならばどうして昨夜、彼が回復魔術を使わなかったのだろうか。結果的には成功したが、一般人よりも魔術師のほうがインデックスとしても術式を構築し易かったのは事実である。

 それにインデックスからしてみれば、上条や小萌先生は自分への関わりようが理解できる二人だった。上条は自分を救ってくれた超能力者だし、小萌先生は上条の教師で一般人。

 それなら分かる。

 でも衛宮士郎は彼女にとって全くのイレギュラーだ。この科学が支配する学園都市という街に存在する、魔術師という異物。自分のように迷い込んだ風にも見えないし、インデックスという魔道書を狙っている訳でもなかった。勿論学生でもなければ、ましてや教師でもない。何故彼がここにいるのかが、彼女にとっては疑問だった。

 もっと言ってしまうのならば、正直インデックスは衛宮士郎を疑っているのだ。衛宮士郎が魔術師である以上、インデックスは彼にとって莫大な価値を持つ道具であるはず。言うなれば宝箱が隣に転がっているのと同じ状況である。それなのにこの衛宮士郎という男は、その宝箱に一切の手をつけなかった。自分の価値を良くも悪くも把握しているインデックスにとって、このような現状で衛宮士郎を疑い、その目的を探ろうとするのは当たり前の事であるのだ。実際今もインデックスは、衛宮士郎のその一挙一動に目を光らせていた。

 インデックスがそんな事を考えているのを知ってか知らずか、衛宮士郎は先ほどの彼女の疑問にあっさり答える。

「私は少々特殊な魔術師でね。いわゆる普通の魔術という奴がほとんど使えない。だからあの場では小萌先生に任せるしかなかったのだ」

「私は一〇万三〇〇〇冊の魔道書を完璧に記憶している魔道図書館だよ? そのサポートがあっても使えないって言うの?」

「残念ながらな。感覚的には超能力者と同じだと思ってくれればいい」

「ふうん」

 変な珍獣を見るような目で、衛宮士郎を見つめるインデックス。衛宮士郎の答えは意外なものであったが、だからといって彼女の疑いが全て晴れるのに充分な返答でもなかった。だがしかし、普通の魔術が使えないという事はつまり、

「もしかしなくても、あなたは魔道書が使えないの?」

「そうなるな。正直君の持つ10万3000冊の魔道書は、私にとってはあまり 意味を持たないものだな」

 だがそれがどうした?と真顔で聞いてくる衛宮士郎に、インデックスはなんだが気の抜けた思いであった。確かにインデックスもさっきから直球の質問をぶつけてはいるが、まさか衛宮士郎がそんなにストレートに答えるとは思いもしなかったのだ。それによくよく考えてみれば、ここで衛宮士郎が嘘をつく理由が彼女には分からない。というより嘘をつく必要が無いのだ。インデックスを連れ去る機会など、それこそ今まで山ほどあったはずだ。それらを全て見逃してまで、衛宮士郎がここに居残る理由など無い。だが逆に衛宮士郎が嘘をついていないのなら、インデックスにはもう一つの疑問が湧いてきた。

「じゃあ、なんであなたは私を助けたの?」

「なんで? 君は魔術師に追われて困っていた。おまけに当麻もそれに絡んでいる。逆に、私が君を助けない理由が無いと思うが……」

 助けを求める人を救うのは当然であろう?と意外そうな顔で言う衛宮士郎に、今度こそインデックスは気が抜けてしまった。

「ねえ、とうま。この人、本当に魔術師?」

「いや、俺に聞くなよ……」

 ひそひそ声のインデックスに答えを求められた上条も困った顔で返すが、インデックスの疑問もまた当然である。魔術師とは本来、何事も自分のためになる事しかしないような人種だ。彼らが組織に入るのも、その方が見返りも大きく自分の目的を達成しやすいからであり、決して組織に入る事自体が目的ではない。何の利益にもならないのに困っているというだけで人助けをするなど、衛宮士郎が魔術師であるかどうかすらインデックスは疑ってしまう。まあだが現状としては、とにかく衛宮士郎を警戒し続ける必要は無いとインデックスは判断したのだった。

 そうしてこそこそ話していた二人に、衛宮士郎はもういいか?と声を掛ける。

「次は情報整理だ。まずもってこちら側が守ってばかりでは埒が明かない。インデックス、君はどうすればその身元の安全が保証できる?」

「どうすれば私が助かるのかって事? ……それなら私は英国式の十字教、イギリス清教に所属してるから、英国式の教会に保護して貰えればいいと思う。そこまでは他の魔術結社も入って来られないはずだし」

「つまりその教会が見つかるまでインデックスを保護していければ俺達の勝ち、奪われたら負けか」

 うむむと唸る上条に、衛宮士郎が聞く。

「当麻、この学園都市にそもそも教会があるのか?」

「……一つくらいならあるかもしんねえなー」

 それが英国式かは判らないけど、と続ける上条。

「下手をしたら、学園都市から出なければならない必要もあるか」

「今更だけどかなり厳しいんだな……」

 男二人揃って声が沈むが、文句を言っている場合ではない。

「インデックスの方からは応援は望めないのか? 組織からのバックアップがあれば、かなり楽になると思うのだが」

 衛宮士郎の言葉にそれは無理、とインデックスはふるふると首を振る。

「なんでだよ? イギリス清教にとってもお前は重要なんだろ。何とか連絡して、匿って貰えばいいじゃん」

「ううん、それが出来れば一番なんだけどね。私はその連絡方法も分からないんだよ。私が日本に来たのも一年ぐらい前から、らしいし」

「らしい?」

 曖昧な表現に上条が眉を顰めた所で、

 

「うん。一年ぐらい前から、記憶がなくなっちゃってるからね」

 

 インデックスの口から、そんな言葉が零れた。

 記憶が、無い。

 その事を何でもないかの様に話すインデックス。インデックスは完璧な笑みを浮かべているが、注意して見ずとも理解出来た。

 彼女のその笑みの裏にある、焦りや辛さ。やがてインデックスはポツリポツリと語りだす。最初に目を覚ましたのが路地裏である事。自分の事さえ分からずに、ただただ逃げる事だけを考えた事。まだ幼き少女が、見知らぬ土地で唯一人。それはどれほど、どれほど心細い事だろうか。

 否、心細いなどと言う話ではない。魔術の知識だけが頭を巡り、見えない敵から追われる生活だ。それを一年も続けるなど、きっとだれにも理解出来ないほどの不安が彼女を襲っていたはず。上条はそんなインデックスの話を聞いて、何とも言えない感想を胸に抱きながらその重い口を開いた。

「……じゃあ、どうして記憶をなくしちまったのかも分かんねーって訳か」

 うんというインデックスの答えに、上条と衛宮士郎は黙り込む。衛宮士郎が今覚えているのは、静かな怒り。

 衛宮士郎が怒っているのは、どうして彼女が記憶を失っているのかなどではない。何故インデックスが一年もの歳月の間、イギリス清教の誰にも助けてもらえずに彷徨う羽目になったのか。ただその事に、衛宮士郎は憤慨していた。

 元々、衛宮士郎は組織と言うものを信用していない。それは前の世界における経験から起因するものであるが、彼が信じるのはあくまで個人までだ。組織そのものを完全に信用する事は、衛宮士郎にとってはありえない。

 そもそもたった一人の少女に一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を記憶させている時点で、イギリス清教とて信用が置けるものではなかった。しかもそのくせ一年間も彼女を放置しているのだ。確かに向こうにも事情があるのかもしれない。インデックスを助けに来られない何らかの事情が。だがそんな事は衛宮士郎にとっては関係が無かった。いくら組織側に事情云々があろうとも、彼らがインデックスに手を差し出さなかったのは事実なのだから。

 そしてインデックスのその話を聞いた事で、衛宮士郎のもう一つの疑問も氷解していた。そう、それは上条とインデックスの間柄についての事である。出会って間もないはずなのに、どうしてインデックスが上条にここまで懐いているのか衛宮士郎にはどうしても分からなかった。

 しかしインデックスが一年間も一人だったというのなら納得も出来る。一年彷徨い続け、漸く出会った唯一人の味方。それが上条ならば、人格的にもインデックスが短期間であそこまで懐いているのには理解が及ぶのだ。

だが同時に、その問題点も一つ思い浮かぶ。

(インデックスの引渡しそのものも、また問題……か)

 この事件が解決したとして、はたしてインデックスをそのままイギリス清教に引き渡して良いものかと衛宮士郎は考えるのだ。しかし今は敵襲されている最中であるのも事実。とにかく今は目先の厄介事に集中しようと、衛宮士郎は心に決めたのだった。

「……必要悪の教会(ネセサリウス)と言ったな。それはなんだ?」

 とりあえず、インデックスの話で気になった事を衛宮士郎は尋ねる。

 必要悪の教会(ネセサリウス)

 先程のインデックスの話に出てきていた魔術関連の組織で、彼女が本来所属しているイギリス清教の部署の一つらしい。だがどうやらこの世界の魔術師にとってはその組織はかなり有名らしく、そんな衛宮士郎の質問にインデックスは目を丸くした。

「そ、そんな事も知らないの? やっぱりあなた、本当に魔術師?」

「魔術師さ。常識知らずではあるがね」

さして気にせずさらりと答える衛宮士郎に、上条がこっそり耳打ちする。

「なあ、素直に記憶喪失だって言えばいいんじゃ…」

「駄目だ。出来る限り情報は制限した方がいい」

「はあ」

 衛宮士郎のその情報制限の徹底振りを上条は不思議に思ったが、本人が隠したがっているならしょうがないかと言葉を飲み込む。衛宮士郎が心配しているのは、何もインデックスを警戒しているからではない。もしもインデックスがイギリス清教に帰るとしたら、彼女は当然今までの出来事について説明を求められるだろう。上条の事や、衛宮士郎の事。事細かに聞かれるに違いない。

 たとえ彼女が助けてもらった恩義から詳しい説明を避けようとしたとしても、強引に魔術によって口を割らせるかもしれない。だがそうなった場合、困るのだ。衛宮士郎の情報について少しでも相手側に知られるというのは。

これからこの事件がどんな結末を迎えるのかまだ分からないが、イギリス清教という魔術組織と関わってゆく可能性がある以上その対策は必須。ゆえに衛宮士郎は己の情報を、些細な事すら漏れる事を固辞したのだ。

 そして衛宮士郎の無知さには呆れていたインデックスであったが、しかたないなあとため息をつきながらも質問にはきちんと答えてくれた。

「……もうとうまには説明したんだけど、もう一回説明するね」

「よろしく頼む」

 頭を下げる衛宮士郎に、インデックスは上条にしたのと同じ説明を繰り返す。つまりこの世界の十字教の教会というのは、国によって大きく分かれているという事。

 大きく区分すれば、ローマ正教、イギリス清教、ロシア成教。それらの勢力を合わせて魔術側の勢力図は形成されており、各々の『個性』も違っている。

 ローマ正教は『世界の管理と運営』、ロシア成教は『非現実(オカルト)の検閲と削除』。そしてイギリス清教は、

「イギリスは、魔術の国だから」

 インデックスはわずかに言葉を詰まらせる。それがまるで、苦い思い出であるかのように、

「……イギリスは魔女狩りや宗教裁判―――そういう『対魔術師』用の文化・技術が異常に発達したんだよ」

 そうしてその内にある様々な部署の一つに、魔術師を討つ為に魔術を調べ上げて対抗策を練るのに特化した必要悪の教会(ネセサリウス)があるという。

「つまり、対魔術師のエキスパートという事か」

「うん、私もそこに所属してる……、事になってる」

「成程、理解した。つまり敵は、インデックスの頭の中にある魔道書を狙う魔術結社という訳だ」

「魔術結社、ねぇ」

 上条は、昨日闘った魔術師のことを思い出す。

 ステイル=マグヌス。あいつはそう名乗っていた。

 昨日を振り返って上条がステイルについて考えていると、ちょうど衛宮士郎もその事を上条に聞いてきた。

「当麻、君は昨日魔術師の一人と闘ったのだろう? その時の事、詳しく話してくれないか」

「そう、だな」

 昨日の魔術師を思い出すと段々胸がムカムカしてきたが、とにかくステイルの特徴を話す上条。しかし話せば話すほど、衛宮士郎の顔が険しくなっていくのが上条にも分かる。

「設置型のルーンを扱う魔術師、か」

「ああ、昨日はインデックスが仕組みを教えてくれたから何とか勝てたんだけどな」

 今度は分かんねえ、と上条は続ける。事実、ステイルは相当手強かった。油断と弱点をつけたから良かったものの、次はそうはいかないだろう。

 だが衛宮士郎からしてみれば、素人の癖にそこまで行動し、挙句の果てに魔術師を撃破して見せた上条の戦闘センスに驚いていた。虚空爆破(グラビトン)事件の時もそうだが、上条はここぞという時にかなり強いらしい。勿論だからと言って、上条に戦闘を任す気など衛宮士郎にはさらさらないが。そして重要な事に、上条が話した男の特徴はそのまんま先ほど見かけた神父もどきに当てはまっていた。

(ビンゴ。あとは一人か)

 魔術師といえど、いや魔術師であるからこそ戦法や特徴さえ分かればその対策を立てるのは容易い。それに上条が対処できる程度の相手という事は、攻撃力云々は置いておいて速度的には充分奇襲も可能であると衛宮士郎は結論付けた。

「もう一人のほうは、何か情報は無いのか?」

「もう一人?」

「ああ、最低でもあと一人。インデックスの背中を斬り裂いた奴がいるはずだろう」

 なにか心当たりはないか、と衛宮士郎は二人に尋ねる。本当は、最低でもあと一人ではなく、真実あと一人しかいないのだが。敵の応援が無いという事は一応伏せておく衛宮士郎。変に二人に油断されても困るからだ。敵が罠を張って待ち構えているのなら、出来れば二人には常に辺りを警戒して欲しいという話でもある。

 しかし結局、二人には残りの一人に関しては心当たりが無かった。上条はそもそも遭遇していないし、インデックスも背中から斬られたので顔を見てはいない。敵の情報は、一人分のみ。

 それでも、今の衛宮士郎にとっては大変有難い。

 そうして三人は結局、小萌先生が帰ってくるまで話し合いを続けたのだった。

 




13000字くらい
私の目標は、この小説を読んでくださった方がこの作品をきっかけに
禁書ファンなら型月に、型月ファンなら禁書に興味を持ってくれるようになる事ですかね
私自身、他の方々の禁書、型月のSS読むことで、クロスオーバー先の作品に興味を持つ事が多々ありますので
そんな感じに両作品の原作ファンが増えたらいいな、なんて
禁書も型月も本当におもしろいので、おすすめです。

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