それにしても、なんだか今回は迷走している気がします。
書き上げるときの難易度が、上から二番目くらいでした。
衛宮士郎は学園都市の通りを走っていた。血だらけの上条を抱え、出来うる限りの全速力で月詠小萌のアパートを目指す。
上条当麻の身体は命に別状はないにしろ、やはり重態であった。痣だらけ、などというレベルではない。右腕はずたずたに裂かれ、骨が折れている部分もあった。まさに満身創痍という言葉がぴったりな様相である。そんなものだから、衛宮士郎も慎重に上条の身体を運ばざるを得なかった。揺らさぬように、振動を与えないように。歩幅は大きく、飛ぶ様に道を駆けた。
『シロウ、先程の
『……インデックスの記憶の事か』
衛宮士郎が走っていると、セイバーが遠慮がちに話しかけてくる。ついさっきまで衛宮士郎は、あの神裂火織と名乗った女魔術師の話を聞いていたのだが、その話は二人に衝撃を与えるには充分な内容であった。本当に苦しそうに、事の真相を話す神裂の顔を思い返しながら、セイバーは言葉を続ける。
『私は、……あの
『
『確たる根拠――、確証がある訳ではありません。 ……ただ、あれほどまでに真摯な思いをぶつけられては、それが真実だと否応にも思い知らされませんでしたか? 彼女のあの様相は、本当にインデックスを助けたいというのだという気概が、直接伝わってくるようでした。 ……私には、とても彼女が嘘を言っているようには見えなかったのです』
『嘘を言っているようには見えなかった、か』
セイバーの話を聞いて、衛宮士郎はぼそりと呟いた。彼とて、神裂の話を全く信じていない訳ではない。ただ、敵の話を頭から信じるのもどうかと思ったので、セイバーの意見を聞いてみたかっただけなのだ。
正直な話、衛宮士郎自身も神裂の話には信憑性を大分感じていた。神裂の話が本当ならば、インデックスの記憶喪失の話など、色々と合点がいく事も多い。何よりセイバーの言う通り、神裂が嘘を言っているようには見えなかったのもまた事実。逆にあの状況で嘘をつけていたのならば、それは相当な腹黒でないと、そんな事は出来ようがなかった。あの場で初対面であるならばまだしも、事前に神裂が上条を見逃しているのを見てしまっている分、彼女がそんな性分だとは信じ難い。結局の所、二人揃って神裂の主張を暗に認めているという事であった。
頭の中がどうしても神裂の話の方に寄ってしまっている事を自覚しながら、衛宮士郎はその考えを切り捨てる。確かに神裂の話も重要だが、今はそれ所ではなかった。
『どちらにせよ、今は当麻の事が最優先だ。あの魔術師の話の真偽など、その後でも充分出来るだろう?』
『そう、ですね』
セイバーも頷くように同意する。一刻を争うほどの状態ではないが、長引けば危険なのは変わらない。そうして慎重ながらも飛びに飛び、数分後には小萌先生のアパートの前に辿り着いていた。
扉をノックもせずに勢いよく開けば、そこには驚いた様な顔をした小萌先生にインデックス。上条のいきなりの帰還に、状況が上手く読み込めていないのか、二人とも固まってしまっている。
「上条ちゃん!!」
それでもやはりと云うか、最初に動いたのは小萌先生だった。衛宮士郎が背負っている上条の存在に気がついたのだろう、叫び声に近い悲痛な声を上げながら駆け寄ってくる。
「か、上条ちゃんが血だらけじゃないですかっ! 一体どうしてこんなことに……ッ!?」
「落ち着け。今はとにかく応急処置だ。包帯や治療用のセットくらいはあるだろう?」
衛宮士郎のその声に、あわあわとうろたえていた小萌先生は応急処置用の道具を探し始めた。だが、しばらくして、ふと顔を上げて呟く。
「でも、急いで病院に運んだ方がいいんじゃ……?」
「…………む」
確かに、小萌先生の意見も最もであった。これだけの大怪我なら、病院で処置した方がずっと確実だ。このままでは、下手をすれば障害だって残ってしまうかもしれない。だが、この科学が発展した学園都市ならば、その医療機関に世話になればそういった心配もないのだ。衛宮士郎も、上条のために救急車を呼ぶのは大賛成だった。
ただ、ネックがあるとすればそれは……、
(あの傷を、どう説明すべきか……)
そう、上条の右腕に刻まれている切り傷の事。明らかに尋常でない状態で、至る所が血塗れているのだ。事件性すら臭わすこの傷について、病院側が言及しないはずがない。そうなった場合に、一体どう言い訳するのか。それが一番の問題であった。
『まさか、事故をでっち上げるわけにもいくまいしな』
『この際、正直に話してみるというのはどうでしょうか? 事故でなく、何者かに襲われたということにすれば……』
『それだと
『しかし、あれほどの傷、そうそう日常生活で付くものではありません。下手に言い訳をするよりも、そちらの方が確実かと』
『………………』
セイバーの意見に、衛宮士郎はううむと唸る。現状ではどうやっても追求は間逃れない状況であるのだが、衛宮士郎としてはなるべくリスクを回避したかった。
ここは普通の街ではない。科学技術が発達し、あらゆるオカルトが鼻で笑われてしまう学園都市なのだ。そんな中で、もしも上条が魔術という科学での説明がつかない異端に触れた事が分かってしまったら。穏便に事を済ませなければ、上条にも様々な制約が掛かる可能性だってある。長い期間監禁されて、魔術について事情を聞かれる恐れもあった。
(どうするべきかな……。馬鹿正直に話すのは、本来なら避けるべきではあろうが……。)
だが、そうやって衛宮士郎が考えていると、今まで黙っていたインデックスが不意にポツリと声を上げた。
「とうまを、病院に連れて行ってあげてよ……」
囁く様な掠れた声で、そう口を開いたインデックス。その顔は俯いていて、彼女の表情をはっきりと確認する事は出来ない。ただ、白く小さな手をぎゅっと握り締めて、身体はふるふると震えているのが分かった。そうして下を向いたままだった顔を上げ、衛宮士郎に訴える様に言葉を続ける。
「私のせいで、あなたがとうまを病院に連れて行くのを躊躇っているのなら、気にしなくていいから」
「…………」
「そのせいで私が捕まる事になったって、構わないから! ――――私の事は、どうなったっていいから!!」
だから、とうまを病院に連れて行ってあげてよと、彼女は声を絞り上げた。頬は涙で塗れ、唇も真っ青だ。心なしか青褪めている様にも見え、瞳は乾く事を知らない。だがその顔は、彼女のその顔は決して、悲壮に暮れるそれではなかった。大切な誰かの為に動く覚悟。その意志が、インデックスの表情からは読み取れる。
別にインデックスのせいで、衛宮士郎は上条を病院に連れて行く事を迷っている訳ではないのだが、彼女は自分が原因だと感じたらしい。確かに、この現状を考えれば仕方がないのだろう。大怪我をした上条を衛宮士郎が背負って来たのだから、敵と何らかの抗戦があったのは予想するのも難くない。
――――実際は
その上で、上条の如何について考えていたのだが、流石のインデックスもそこまでは考えていなかったらしい。自分が犠牲になってでもいいから、上条当麻を助けたい。だがそのおかげで、思いもよらぬ形で彼女の心の内を、衛宮士郎は聞く事が出来た。
色々と今後について考えてはいたが、そうまでインデックスに覚悟を決められては、こちらとて仕方がない。
「……分かった。君がそこまで言うのなら、そうしよう。すまないが小萌先生、救急車を呼んでくれないか」
「あ、……はいっ」
今まで呆然とした表情で二人の会話を聞いていた小萌先生は、跳ねるようにして電話に飛びつく。そうしてジコジコと黒電話のダイヤルを回し、慌てながらもしっかりとした様子で救急の番号に繋げた。どうやら病院側にもきちんと繋がったらしく、上条の状態を細かく伝える小萌先生。インデックスも顔をぐしぐしと拭き、とりあえずは落ち着いた様子を見せる。そんな二人の様子を見ながら、衛宮士郎はふうとため息を一つついた。一旦は場が落ち着いたと思ったのか、そんな衛宮士郎にセイバーが声を掛ける。
『シロウ、それでは病院の方には、トウマの傷についてどう説明を?』
『仕方ない、聞かれたならば正直に話すさ。幸い今のインデックスとのやり取りで、一応のあてもついた』
『あて? 何か、病院側の矛先を上手くかわす方法でも思いついたのですか』
『ああ。こちらからどうすることも出来ないのならば、向こうの連中の自浄作用に任せようと思ってね』
衛宮士郎の「向こうの連中」という言葉に、セイバーは一瞬だけ考えるそぶりを見せたが、直ぐにその内容に思い至ったかの様に口を開いた。
『……向こうの連中と言うと、先程の魔術師たちの事ですよね』
確認するようなセイバーの声に、衛宮士郎はそうだと頷く。
『インデックスに以前聞いたのだが、こちらの魔術師にも元の世界と同様に、ある程度の魔術の秘匿義務があるらしい。いっその事、彼らが病院側の記憶改竄なり何なり、それなりの対応してくれるのを期待しようと考えたのさ』
『確かに、それならば魔術についての心配は必要ありませんが……。しかし、そう都合よくいくものですかね? 何の伝もないのに、勝手にこちらの証拠を隠匿してくれるなど考えづらいのですが』
『伝ならば、こちらにはインデックスがいる。それに元々あちら側から仕掛けてきたんだからな。これくらい利用しても罰は当たるまいよ』
『……言われればその通りですがね』
あまり合点がいっていないような声色のセイバーではあるが、上条に治療が必要なのは間違いない。結局その後、三人で上条とともに病院へ向かったのであった。
「手術中」の赤い光が、蛍光灯の白光に混じってぼんやりと輝く。
ここは学園都市のとある病院、その手術室に繋がる廊下。インデックス、衛宮士郎、小萌先生の三人は、そこにある黒い長椅子に腰掛けていた。他に人気はなく、ただ彼ら三人だけが長い廊下に陣取っている。辺りには病院らしい薬品の匂いが漂い、静寂がその場を支配していた。衛宮士郎は腕を組んで目を瞑っており、小萌先生はじっと俯いている。インデックスはシスターらしく祈っているのだろう。手を組んで、静かに瞑想していた。まさに三者三様、各々静かに、上条が手術室から出てくるのを待っているのだ。
上条は病院に救急車で搬送された後、直ぐに手術を受ける事となった。全身の大ケガもそうだが、どうやら血液が足りなくなっているらしい。輸血や一部の骨折の治療など、やはり入院も間逃れなかった。手術についてはカエルの様な顔をした医者曰く、上条は絶対に助かると豪語されたのだが、それでも三人は手術室の外で待っている事にしたのだ。
カチ、カチと、時計特有の冷たい音がやけに耳に残る。項垂れた三人が並ぶ中、不意に小萌先生が声を上げた。
「どうして、こんなことになったんですか……」
随分と泣き腫らしたのであろう、真っ赤な目に加えて目元に涙の筋がついた顔を衛宮士郎のほうに向けて、彼女はそう口を開いた。衛宮士郎を攻めるというよりも上条が傷ついた事の方が悲しい、そんな目をしている。
「――――、」
対する衛宮士郎は答えない、というより答えられないといった方が正しいか。まさか魔術が原因だなどとは言えるはずもないのだ。彼女は一般人、巻き込みたくはない。
説明を求める声にも黙秘を貫く衛宮士郎に、小萌先生はぐすりと鼻を啜った。彼女とて馬鹿ではない、こんななりをしているがれっきとした大人の女性だ。インデックスや衛宮士郎のような非日常的な存在に、わけのわからない事件に上条が首を突っ込んでいることぐらい分かっている。
それでも月詠小萌は教師なのだ。教師が生徒の心配をするのは当然、至極当たり前のこと。手間の掛かる生徒ほどそういう傾向がある小萌先生にとって、上条は非常に気に掛かる存在だ。そんな生徒が大怪我をした。これをなんとも思わない方がどうかしているだろう。本当なら衛宮士郎に問い詰めたい、何があったのか、どうして上条がこんな怪我を負ったのか。だがそれで何かが解決するわけではないのだ。上条が直ぐに元気になるわけでもないし、きっと彼女自身がこの事件に協力できるわけでもないのだろう。それにこれ以上踏み込んでは、自分を巻き込まないようにという上条の配慮も裏切る事になる。結局、今の月詠小萌には、こうして生徒の無事を祈ることしかできないのだ。そう、隣で手を組んでいる小さなシスターのように。……そうして月詠小萌もまた、上条の無事を祈るのであった。
そんな風に俯き続ける小萌先生に、衛宮士郎の内心は身を切るほどの思いで満たされていた。――――まさに、後悔。悔やんでも悔やみきれぬといった表現がこれほど似合う心情もない。衛宮士郎は只単に上条に大怪我をさせただけではない、月詠小萌との約束、上条を傷つけないという約束さえも守れていないのだから。後先立たぬ後悔は、その身を苛なまないことを知らない。二人の祈りとは対象に、衛宮士郎は己を攻めて付けていた。
そのまま長いとも短いとも言えない時間が経つ。のっぺりとした白い壁を見据えて、蛍光灯の光は相変わらず三人を照らしていた。先程までは時折聞こえていたコツコツという靴音も、今では殆ど耳にしない。
病院の静けさと言うものは、待つ身にとっては辛いものだ。時間が長引けば長引くほど、ぐるぐると思考は巡る。あの時ああすれば、もっと事は上手く運んだのではないか。いまさらIFを考えてもどうしようもない事だが、それでも考えられずにはいられないのが人の性だ。それは衛宮士郎とて、例外ではない。彼の頭は今、上条のことがひっきりなしに渦巻いている。
『ステイル=マグヌス相手に魔術を出し渋るべきではなかった。もっと早く当麻の元に辿りつけていれば、ここまでひどい怪我ではなかったはずだ』
『……果たして本当にそうでしょうか?』
満足とは言えない結果に己を攻める衛宮士郎に、セイバーは反論した。
『シロウが遅れたからこそ、トウマの怪我がアレほどで済んだとも考えられませんか?』
『……どういう事だ?』
『仮にシロウがあの神父を全力で打倒し、トウマと魔術師の戦いに途中から乱入したとします』
その場合を考えてみてくださいとセイバーは続ける。
『二対一という不利な状況にもちこまれる前に、魔術師がとりあえずは目の前の敵、――――つまりトウマをさっさと殺してしまおうと考える可能性があったとは思いませんか?』
『…………』
『それにあの魔術師、とてもシロウが魔力を消費した状態で、余裕を持って相手に出来る敵ではなかったでしょう。……それに、シロウのとった選択肢の結果として、トウマは障害もなく回復することが出来る。私は、あなたの判断が過ちであったとは考えませんよ』
それよりも今後のことを考えましょうと、セイバーはそう締めくくった。
暴論だな、と衛宮士郎はそう思う。仮定に次ぐ仮定で成り立っている、まさに机上の空論。そもそも神裂火織は人を殺める事に抵抗がある節であったし、それならばまず上条と分断されたこと自体が失敗だ。だが、らしくないほどに論理的ではないが故に、衛宮士郎にはセイバーが自分を気遣っている事に気がついていた。その選択が間違っていなかったと強調する事で衛宮士郎を励ます、彼女なりの配慮なのだろう。
(並行世界に移ってまで、俺は彼女に気を遣わせるか……)
衛宮士郎はそんな自分に呆れた。なんとも情けない話ではあるが、実際にそうであるから仕方がない。それに確かに、終わったことをいつまでも考えていても、どうしようもない事ではあるのだ。
(このまま悩んでいても、周りに無駄に心配を掛けるだけか……)
こういうときこそ、自分がしっかりとしておくべきだなと衛宮士郎は反省した。不安や後悔が伝播し、周囲に悪影響を与えては元も子もないのだ。衛宮士郎は、はぁと一息つくと、それよりこれからの事でも考えていくかと決めたのだった。
とりあえずは前向きになった衛宮士郎を見て、セイバーはほっと胸を撫で下ろしていた。確かに先程の衛宮士郎の行動には、反省すべき点は多々あるだろう。しかしだからこそ、セイバーは衛宮士郎には前を向いてもらいたいのだ。
……彼女はよく知っている。衛宮士郎には、明らかに自分を責めすぎるきらいがある事を。そうして一人で背負い込んでいった結果があの弓兵ならば、セイバーはそれを断固として防がなければならなかった。何故自分がこんな所にいるのかなど分からない。どうして衛宮士郎と共にいるのかなんて知らない。ただ衛宮士郎の最悪の結末を回避する、それが自分に出来る事だと、セイバーは直感していた。
表立って動く事ができない現状ならば、せめて彼を励ますくらいはしてあげたい。常に一緒にいるならば、共に歩んでいけるなら。痛みを分かち合い、心の澱を掬うことも出来よう。そう考えながらセイバーは、衛宮士郎と共に上条が手術室から出てくるのを一晩中待ち続けていた。
次の日、衛宮士郎は上条の病室で本を読んでいた。本の内容は、人間の脳の構造に関する医学書であったり論文であったり。昨日から通して読んでいるのであろう、上条のベッドの横には、そういった類のもので小山が出来ていた。
昨日の今日だけあって、上条自身は未だ目を覚まさず、深い眠りについている。昨夜の手術は成功し、後遺症の心配もないといった出来ではあるが、体力は回復している訳ではないのだ。下手をしたら三日は目を覚まさないかもね、とはカエル顔の医師の談である。
しばらく静かに本を読んでいた衛宮士郎ではあるが、その一冊を読み終わったのかそっと本を閉じた。幸いと言うべきか、この病室には上条以外の入院患者がいないので、衛宮士郎が一人で長時間病室に居座っていても咎める様な人はいない。そんな衛宮士郎のタイミングを見計らっていたのか、本を読み終わると同時にセイバーが話しかけてきた。
『結局、事情は聞かれませんでしたね……』
『そうだな。ケガについてどころか、その原因まで聞かれないとは思ってもいなかった』
衛宮士郎は思案顔で言葉を返したが、その顔は浮かない。昨夜、上条を病院に連れて行った時、てっきり事情を色々と聞かれると思ってそれなりに身構えていたのだが、何故か全く問われる事がなかったのだ。明らかに異様な怪我をしているのに、その訳すら聞かれない。これがどれほど異常な事か。通常の病院なら事件性を感じさせる怪我を負った患者が運ばれてきた場合、必ずその怪我の要因を聞くはずである。警察機構への報告義務もあるはずだ。
『可能性としては、あの魔術師達が手を打ったという可能性もなくはないが……』
『それにしても手際が良すぎます。彼らとて、そう簡単に事を成すことが出来るのでしょうか?』
『……そもそも、この学園都市の連中は魔術の存在を全く把握していないのか?』
『と、言うと?』
『もしかしたら、一部の上層部は魔術の存在を知っているのかもしれないな』
衛宮士郎の口から漏れた意外な言葉に、セイバーは驚いたように声を上げた。
『まさか!? 一般人が魔術の存在を認識しているなどそんな事――――!』
『どうしてないと言い切れる? ここは元の世界とは違う。もしかしたら、そういった可能性もあるかもしれない』
『だとしても、どうしてシロウはそのような考えに至ったのですか?』
『よく考えればおかしな点はいくつもあったはずだ。今回の怪我の事もそうだが、これだけ厳重に閉鎖された学園都市に、部外者たる魔術師が一体どうして侵入できたのだ? 当麻や月詠小萌の事だって、詳しく調べるのならば学園都市側の協力は不可欠なはず。学園都市が彼らに協力していなければ、どれもこれも容易に出来ない事ばかりだろうよ』
『……確かに、そうですね。幾らなんでも、彼らは自由に動きすぎている気がします。昨夜の戦闘で破壊された機器も、決して安いものではないはず……』
考えれば考えるほど、学園都市側の関与が確実なものとなってくる現状に、セイバーも眉を顰める。しかし、だとすれば、
『だとすれば我々は、非常にまずい現状にあるのでは?』
そう言葉を重ねたセイバーに、衛宮士郎もああと頷いた。
『もしも、あの魔術師達が学園都市側と通じているのならば、確実に俺達の事も学園都市に割れているだろうな』
『……私達にとっては、嫌な状態ですね』
『今更な話だ。ここまで手を出した以上、何があっても当麻だけは守ってみせるさ』
『…………インデックスの事は、どう説明しましょうか』
『……そう、だな』
とりあえず、今一番重要なのはインデックスの事である。彼女の記憶の事について、どう対処するべきか。衛宮士郎だけでは、結論を出す事は出来ない。インデックス以外では一番の当事者たる上条が目覚めぬ今、下手な行動を打つのも良くはなかった。今後、一体どう事を運んでいくか。そんな事も考えながら、衛宮士郎は昨夜の出来事、あの魔術師との会話を思い返したのであった。
「――――同僚だと? 君らと、インデックスが!?」
「そうです。我々も、彼女と同じ
学園都市の夜に、衛宮士郎の声が通る。ここは、衛宮士郎と神裂火織が戦っていたビルの屋上。二人は既に武器を納め、互いの声が聞こえる距離で、向き合って言葉を交わしていた。あの一戦の後、互いに違和感を覚えていた二人は結局、一旦互いの事情を説明する事になったのだ。
とりあえず衛宮士郎は、自分がインデックスを狙ってはいない事、ステイルも殺してはいない事を話し、逆に神裂火織からはインデックスの記憶の事、その事情について軽く話を聞かされた。そうして意外な話を聞いた衛宮士郎は、表面にこそ出してはいないが、内心では驚きが隠せていなかった。それについてはセイバーも同じのようで、先程からずっと黙って神裂の話を聞いている。
「しかし、仲間ならば何故インデックスを斬ったのだ。間違いなく命に関わるほどの傷だったぞ、あれは」
「……それについては完全にこちらの責任です。まさか、「歩く教会」が無効化されているなんて、思いもよりませんでしたから」
「あの、インデックスが来ていた法衣の事か」
「あれには本来、法王級の魔術的な加護が掛かっているはずでした。聖ジョージの伝説に出てくる
それを考慮に入れていなかったのは、私の落ち度でしたと、神裂は続ける。そんな神裂の様子をじっと見ていた衛宮士郎であったが、今度は神裂の方から衛宮士郎に疑問が投げかけられた。
「それより、あなたは一体なんなのです? 魔術師の癖に学園都市に住み着き、こうしてここで暮らしている。インデックスと一緒にいる理由も、是非とも聞いておきたいのですが」
神裂が口を開くその口調は、未だ固い。衛宮士郎もそうだが、二人とも相手の話を鵜呑みにするほど安直な人間ではないのだ。依然互いを警戒しながら会話を続けるのは、むしろ当然の事であった。そんな中で、衛宮士郎が神裂の疑問に答えるべく口を開く。
「理由、と聞かれてもな。インデックスにも言ったが、困っているから助けたのだ。それ以外に他意はない」
「そんな馬鹿な! あなたは魔術師なのでしょう!? 何か見返りを求めて、彼女から知識を得る為に行動しているのではないのですか?」
「……まったく、くどいな。強いて言うなら、当麻にも助けを求められたからだ。 ――――――それとも人を助けるのに、何か理由が必要なのか?」
「――――――ッ!!」
ばっさりと、自分の言葉を切って捨てた衛宮士郎に、神裂火織は絶句した。助けたいから助けるのだと。そこに理屈はなく、ただ人を救いたいから動くのだと、目の前の男はそう言ったのだ。その理念は、奇しくも彼女自身の魔法名、『
……似ていると、ほんの少し、ほんの少しだが神裂は感じる。自分とこの男は、何かが似ていると。しかしそれでいて、決定的に何かが違うとも思った。初対面に近い相手に何をとは神裂自身も感じてはいるが、一戦剣を交えたせいであろうか、何故かそんな事を考えてしまうのだ。
驚愕している神裂を余所に、衛宮士郎はちらりと上条の方を見た。思いがけず神裂と口を交わす事になったが、本来はそんな事をしている暇もない。未だ血を流しながら倒れている上条を視界に入れた衛宮士郎は、そろそろ話を切り上げようと心に決めた。そうして先程から何やら考え込んでいる神裂に向かって、今回はここで互いに引くよう声を掛ける。
「とにかく、今は互いに一時休戦という事で構わないな? 私としても、早く当麻を治療したいのだが」
「……分かりました。今日は我々も引きましょう。ところで、心得ているとは思いますが、インデックスに残された
「三日、だろう。分かっているさ」
神裂の確認するような声に、衛宮士郎も相槌を打つ。そう、神裂達が言うには、インデックスの記憶消去の一年周期――――、つまり彼女の脳が限界を迎えるまでは、あと三日ほどしかないらしいのだ。神裂がそれをこちらに知らせたのも、その期限が彼らにとっての限界である事を知らせる為であろう。インデックスの記憶を消すのには、それより遅くとも早くともいけないと、神裂はさらに語った。それはつまり言外に、|こちらの代わりにそれまでインデックスを逃がさないようにしておけ《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》、という事でもある。抜かりの無い事だと、衛宮士郎は考えながら、神裂と別れ、上条のほうへ飛んで行ったのであった。
そして現在。昨夜の事を考えていた衛宮士郎は、病室の戸が開く音と共に、意識を今へと戻した。入り口の方を見れば、インデックスが両手で鞄を抱えながら、上条が寝ているベッドへと歩いてきている。
「受け取ってきたか」
「うん。こもえが言うには、これで全部のハズだって」
そう言いながら、彼女は抱えていた鞄をベッドの脇へ下ろした。インデックスには、病院の玄関まで上条の荷物を取りに行って貰っていたのだ。上条の入院が決まった後、衛宮士郎は小萌先生に頼んで、彼女のアパートに運んでいた上条の諸々の荷物を、全てこの病院に運んできてくれるように言っていた。
別にそれを受け取るだけなら衛宮士郎が病院の入り口まで降りていっても構わなかったのだが、インデックスが余りに沈んでいたので彼女の気分転換も兼ねて、荷物を取りに行かせたのである。
どうやらインデックスも上条の怪我は自分のせいだと思い込んでいる節があったので、衛宮士郎としてはそれを見越しての配慮をしたのだ。まあ、荷物を取りにいくだけにしてはやけに時間が掛かっていたので、病院の一階でしばらく小萌先生と話をしたのであろう。
今ではインデックスも、昨夜よりは落ち込んでいないようには見えた。
そんな風に、既に上条の事を随分と気に掛けているインデックスを見て、衛宮士郎は内心、ふうと息を漏らす。
『当麻を餌にインデックスの逃亡をも防ぐ、か。中々どうして、えげつない事をする』
『それだけ彼らが、彼女を大切に思っているという事でしょう。悪役に徹する事で、インデックスの苦しみを和らげたいのだと思いますよ』
『……その割には、当麻に猶予をくれたがな。今の内に、せいぜい別れの準備でもしておけという事か』
セイバーの意見に、衛宮士郎はぼそりと返した。神裂達としては、インデックスにはどうしても逃げられたくないのだと言う。ただインデックスを監禁しただけでは、イギリス清教の追跡から一年も逃げ切った逃走の達人たる彼女なら、もしかしたらまた脱出されるかもしれなかった。それ防ぐ為に、あえて「上条当麻」と言う枷を彼女につけたのだろう。現状では効果覿面だなと、衛宮士郎は一人ごちた。
そうして結局、上条当麻が目覚めぬままに、徒に時は過ぎていく。起き上がる事なく眠り続ける上条を見ながら、インデックスと衛宮士郎は病院で一日を過ごしたのであった。
10400字くらい
筆が重いと形容するのか、この指の遅さです。
前書きにも書いたけど、難産でした。まだ色々と、手を加えるかもしれません。
あと、上条さんのあれが原作と違うのは、
原作が、どうみても病院逝きコースの怪我じゃないかと私が感じたからですね。
骨が折れたとか、腕がつぶれたとかかいてあるのでして。
自宅療養じゃ辛いかなーってことで、勝手に改変(?)しました。
そのせいかもしれませんね、色々と動かしにくくなったのは。
まあ、一巻のプロットはもう出来てるんですが。