とある正義の心象風景   作:ぜるこば

21 / 25
暑くなってきました
夏場は買い物が多くていけませんね


思惑の網目を抜けて絡まり

 そこに照明はなく、けれども光に包まれていた。無数の計器やボタンが星のように瞬くことで部屋を明るく照らしているのである。そして床を埋め尽くすほどのケーブルは、その部屋にあるただ一つの水槽に繋がっていた――――そう、一人の『人間』が浮かんでいる水槽に。

 ここは通称『窓のないビル』にある……と言われている、学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーの部屋だった。本来ここには水槽に浮かんでいるアレイスターその人しかいないはずだが、今日は客人が二人。

 いや、客人と言うには少々アレであったが、形は違えど二人の魔術師がそこにいた。イギリス清教が必要悪の教会(ネセサリウス)に所属するステイル=マグヌス、そして、

「さて、ここに私が呼ばれた理由をそろそろ教えて貰おうか」

 買い物袋を引っさげた衛宮士郎だった。当然、彼は自分の意思でここに来た訳ではなく、見ての通りの買い物途中だ。

 上条が参考書を買いに行くと言い始めたので、ならばこちらは冷蔵庫の中身を補給してこようと衛宮士郎一人でスーパーに出かけていったのだが、その帰りに突然の呼び出しを受けて拉致されたと言う形である。

「……ふん。学園都市で何をしてるかと思えば、まだ上条当麻にひっついていたのかい? 魔術師だったら余計なことはせずに、さっさと『外』に出たらどうだ」

「こちらとて外に出たいのは山々なんだがな。早く冷蔵庫にしまわなければ、アイスも溶けるし食材も悪くなる」

「………………」

 ずれた会話を続ける二人。ステイルは外の意味が違う、と内心で毒づく。そんな二人を細めた目で見ながら、アレイスターは口を開いた。

「ここに君たちを呼び出した理由だが……、イギリス清教はわかっているだろう?」

 確認の声にステイルは頷く。衛宮士郎はと言うと、私にもさっさと説明してくれないかと目で言っていた。いきなり拉致されたことは勿論だが、彼には横にいるステイルの方が気にかかる。ステイル自身ではなく、彼とこの場にいる状況が、ということだが。

「ふむ。では君のためと、状況の確認のために今一度事情を話そう」

 アレイスターは衛宮士郎のほうを向く。不気味な奴だ、と衛宮士郎はそう思う。人を捨てた人などごまんと見てきたが、ここまで人の範疇の限界に留まる、いや範疇を『広げた』人間はそういないだろう。

 通常なら広げた分だけその性も散見し、コントロールするどころか自意識の確立すら難しくなるものなのだが、この『人間』にはその気配が全くないことが呆れる。衛宮士郎には科学の力だけでここまでいける理屈など到底理解できないが、そこにたどり着くまでの道のりを考えるとやはり空恐ろしくも感じるのだった。

 実はアレイスターもアレイスターで衛宮士郎にはほんの少し感じることがあるのだが、そこは今は関係ない。……本人すら意識していない可能性もあるが。それはさておき、アレイスターは淡々と事態の説明を始めた。

吸血殺し(ディープブラッド)、という能力がある。学園都市が保持する能力の一つなのだが…… 簡単に言えばその能力を持つ能力者が監禁されたのが始まりだ」

 吸血殺し。その名を聞いて衛宮士郎やセイバーが最初に思い浮かべたのは当然、死徒のことである。生きる者の肉を喰らい、人を外れた日陰者。彼らがこの世界に潜んでいる可能性を考えていなかったわけではないが、こういう単語があるにやはり死徒の類は存在はするのかと二人は確認しあった。

「吸血殺し、とは。 なんとも物騒な名前だな」

「……僕らからしてみれば物騒どころの話じゃないはずだけどね」

 ステイルがぼそりと呟く。その言葉にちらりと衛宮士郎はステイルの方を見るが、彼はそれ以上何も喋らない。

「それだけなら何の問題もないのだ。この街で起きたこの住人の事件ならば、七万と六三二程度の解決策は講じられる」

「……なるほど、つまり問題は」

 何かに気がついた衛宮士郎の言葉に、続けるようにアレイスターが繋ぐ。

「そうだ。その吸血殺しを監禁したのが――――魔術師(きみたち)なのがよろしくないのだ」

 アレイスターはそこで一旦言葉を締めるが、二人を見ながらさらに続けた。

「無論、魔術師一人程度ならそれこそいくらでも科学側(こちら)で処理できる手段がある。……が、科学側が魔術側を倒してしまうのはまずい。無用な波紋を広げることになりかねない」

 魔術と科学の線引きがされ、互いの技術を独占している現状。それ故にぎりぎりの均衡がとれており、戦争も未だ起こっていないのだ。だがそこで敵陣で倒れた魔術師から、情報が漏れる恐れが出てきたら?

 情報は戦力だ。技術の漏洩はそれだけで差を広げる。過敏に反応した魔術師が学園都市に乗り込んでくることもありえない話ではないのだ――――そしてそこから戦争に繋がるというのも。

「それで私とこの小僧、か。 対魔術師用のプロを頼るのは分かるが、私は君の便利屋扱いか?」

「ふむ。それについてはあとで話すとする。まだ先に説明したいことがある」

 小僧と言う言葉にステイルはむっとした表情をするが、彼はこれでも一四歳だ。衛宮士郎に小僧呼ばわりされても仕方のない年齢ではある。

「これがその監禁場所。今回の『戦場』だ」

 アレイスターの声とともに、CGのような立体見取り図が目の前に浮かんできた。『三沢塾』と書いてあり、どうやらその何の変哲もない普通のビルが舞台になるらしい。

 漢字の『田』の字を形作るように配置された、一二階建てのビルが四棟。それぞれが空中の渡り廊下で繋がっていて、そこそこ大きなビルだ。

 衛宮士郎はその構造の隅から隅まで目を通すが、いくつか疑問が残った。この『三沢塾』のビル、特にコレといって拠点防衛に向いている点はなく、かといって物凄く堅牢と言うわけでもない。

「しかし、なんだってまたその魔術師はこの『三沢塾』に居を置いたのだ? 目的のものを手に入れたならさっさと学園都市を出るか、もっと目立たぬ場所で事を起こせばよかろうに」

つまりそういう事。衛宮士郎ならこんな場所を誰かを監禁するのに使ったりはしない。それとも使わざるを得なかったのであるなら別だが。

「『三沢塾』は今、少々特殊な環境におかれている」

 衛宮士郎の疑問を受けて、アレイスターが説明を始める。

「このビルは全国規模の進学塾である『三沢塾』の学園都市支部と言った所だ。ただ本来の、いわゆる進学塾としての役割だけではなく、そこには学園都市特有の学習法を盗んでくるための巨大な企業スパイの色が強いがな」

 そう前置きしながらアレイスターが説明したところによると、『三沢塾』が超能力の開発という分野の学習法を盗み取ろうとしたはいいが、この学園都市支部はその能力開発に非常に悪い影響を受けたのだと言う。

 それは能力開発という異端で最先端な科学技術を知ってしまったことによる、過度の科学崇拝。そしてその技術を知っている自分たち自身への選民感覚。

 もはや宗教とも言うべきそれは支部校の暴走へと繋がり、結局『三沢塾』グループの命令すら聞かなくなってしまった。そんな彼らが取った行動が『吸血殺し』の監禁だ。

『学力』と『異能力』がそのままステータスになる学園都市では、レアな能力ほど価値は高く尊敬される傾向がある。要は箔付けのために『吸血殺し』を監禁し、保管・研究そして客寄せとしたのだ。

「………………、」

 話が進むにつれ、衛宮士郎の眉間に皺が寄っていく。どんな理由があろうとも個人を監禁するのは許されることではない。それも箔付けのためなど、常人からすればどうかしている。

 いわんや衛宮士郎をば。正義の味方を理想として掲げる彼が、そんな暴挙を許すはずがない。

「客寄せパンダの『吸血殺し』とはな…… つまりそいつらにとっては誰でもよかったのか? 希少価値を持つ能力者なら誰でも?」

「そうだ。『三沢塾』からすれば『この世に一つしかない、再現不能の能力者』ならば誰でも良かったようだ」

「……別にそいつらの教義が不老不死だったりする訳ではないんですね」

 ステイルが確かめるように口を開く。彼からすれば学園都市のヒエラルキーの仕組みなど興味はないのだが、今回は別だった。『吸血殺し』。それが関わってくる以上、それが示すある生物にも否応なしに意識を向けなければならないからだ。

「だがこの事件の肝要はそこではない。先ほども言ったがその『三沢塾』が『吸血殺し』を監禁したというだけならば、七万と六三二の策がある。しかしその処分をする前に、吸血殺し狙いの魔術師がやってきて、『三沢塾』をそのままの取ってしまったから話がややこしいのだ」

 宗教と科学と言うものは決して水と油ではない。むしろ混ざりやすいものと言えよう。故に科学技術の最高峰でありながら教育現場でもある学園都市では、科学宗教には十分に気を使っているのだ。

 何しろ『モノを教える』という環境は、些細なことから洗脳へと繋がりかねない。『三沢塾』の場合は処分の直前に魔術師が丸ごと乗っ取ったという感じだ。

「……なるほど、そういう顛末だったか」

 ようやく納得が言ったと衛宮士郎は息を吐く。対して、ステイルは未だ浮かない顔をしている。何かいまひとつ信じられないと言うかのように。

「君は………… いや、この学園都市には本当に吸血殺しが、そんな能力が存在するんですか? いるとすれば、それはつまり――――」

 衛宮士郎に何か言いかけたステイルは、それを途中でアレイスターへの疑問に切り替える。彼にとって吸血殺しを認める事は、それに殺される『ある生物』を証明することになるのだ。それが何を意味するのか、特に魔術師にとってはそれが如何ほどの禁忌か。

『ある生物』が存在することなど、許されることではない。何故ならそれらは不老不死ゆえに『無限』の魔力を持つとされているから。有限な人の人生における魔術師がその寿命、生命力から精製する魔力の量を決定的に死で制限されている事に対して、『ある生物』にはその制限がないのだ。底のない永久資源と思えばいい。

 そしてそれを自由に扱えるのだとしたら――――それこそ、核にすら匹敵する脅威である。そんなことくらい魔術師にとっては当然のはずなのに、ステイルはほとんど何の反応もしない衛宮士郎が気にかかった。

 ポーカーフェイスと言えば聞こえはいいが、ここまで無関心だと妙な話だ。先ほどの台詞から見るに、衛宮士郎にとっては吸血鬼の存在より誰かが監禁されていることのほうが気をひく事らしい。

 おかしな奴だ、とステイルは再確認する。結局あの禁書目録の事件のあとに衛宮士郎については調べるだけ調べてみたのだが、全く、それこそほんの一片たりとも情報が出てこなかったことには驚かされた。

 どんな形であれこの世界に存在する以上、何かの痕跡を残しているはずなのにその影も形もないのだ。実際にはそこにいるのに、それを支えるものが何一つないとは。

「……吸血鬼狙いの魔術師。自分が吸血鬼にでもなるつもりか、はてさてそれを利用して何か事を起こす気なのか。 どう思う? ……おい、聞いているのか?」

「……ん? ああ、勿論聞いていないとも」

 考えに没頭していたステイルは衛宮士郎の声に意識を戻した。ふてぶてしくも落ち着いた態度に衛宮士郎はやれやれと肩をすくめるが、特に気にした様子はない。

「それで我々はそのビルに乗り込んで、件の魔術師を撃破すればいいのだな?」

 アレイスターのほうに向き直った衛宮士郎は自分たちが取るべき行動を確認する。そうと決まれば善は急げ。誰かが今この瞬間にも監禁されていると知った以上、今すぐにでも動きたくなるのが衛宮士郎だ。解放されれば飛んでいきそうな様子の彼に、だがしかしアレイスターは否定の言葉を投げつけた。

「否。今回の作戦に参加するのはステイル=マグヌス、上条当麻の両名のみだ」

「……何だと?」

 ここまで説明しておいてどういうことだ、と威圧感を放つ衛宮士郎。これにはステイルも意外だったようで、興味深そうに二人の様子を見つめている。

「魔術師の私が参加せずに、どうして当麻を参加させる必要があるのだ!」

「無論、それはアレが魔術師天敵となりうる能力を所持しているからだ。対魔術師としてアレ以上の適任はいまい」

「魔術師を能力者が倒すのは問題だと言う理由はどうした!? なんのための話だったのだ今までのは!」

「アレは無能力者(レベル0)だ。重要なことは何一つ知らないし理解できるほどの脳は持ち合わせていない。ゆえに科学側(こちら)の情報が魔術側(むこう)に漏れる心配はなく、その逆もまた然りだ」

「ぐっ…………! 貴様っ!」

 怒りを露にする衛宮士郎だが、アレイスターはそれをつまらなさそうに見つめている。衛宮士郎が参加できないだけならまだ分かる。

 だが上条が参加するのに、自分が参加できないと言われては黙っていられない。そんな戦場に上条を実質一人で放り込むなど、彼からしてみれば狂気の沙汰だ。

「ならば私が参加出来ない理由は何だ! ここまで話しておきながら不参加とは、納得のいく説明があるんだろうな!」

「…………」

 確かにそれはステイルも気になるところではあった。これだけ事情を話しておきながら除け者にされるにはそれなりの理由があるはずだ。何か衛宮士郎の情報に繋がるのでは、と二人の話に耳を傾ける。

「君の不参加の理由だが、第一にその魔術師は以前の君との約束とはなんの関連性もない者である事。第二に君自身の不注意だ」

「私自身、の……? ……一体、どういうことだ」

 以前の約束、つまり衛宮士郎が学園都市に入り込んだことに関するそれについてのことならまだわかる。だが不参加の理由が自分自身にもあると聞かされてはそうも言えまい。

 衛宮士郎がすぐにその事情を問いただせば、アレイスターは目の前に一つのレポートを映し出した。『三沢塾』の見取り図を出した時の様に空中に浮かぶそれは、衛宮士郎の目の前にて停止する。

「これは……」

 それを見たとたん衛宮士郎は苦い顔をする。横からステイルも覗き込んでみれば、それは一枚の映像とそれに基づく報告書だった。

 その内容を要約すれば八月一日のカージャック事件について言及されたものであり、そこに現れた謎の人物という話であったが、

「これは君の事であろう? こちらとすれば内側で解決できるものを勝手に動き回られるのは迷惑な話。今回の件に君が首を突っ込んで場をかき乱しては、非常に面倒なのだ」

「……そうきたか」

 衛宮士郎が舌打ちし、目を細めて報告書をじっと見つめる。ちょっとした不意打ちのようなものに、逆に彼は落ち着きを取り戻す。確かにこれは衛宮士郎の過失だ。そしてそのリスクも背負うことを覚悟して先の事件に関わった以上、彼からは文句が言えない。相応のデメリットを覚悟していたはずだが、まさかこんな形で顕れるとは。

 だが、何かが、何かがおかしいと、彼の勘が告げている。この言いがかりのような理由付けにというだけでなく、漠然とした何か。上条の事、自分の事、アレイスターの事。三つの要素が衛宮士郎の頭の中でぐるぐると廻り、警鐘を鳴らす。

「こちらの情報操作で場を収めたとはいえ、あまりおおっぴらに動かれても困る。君は魔術師という異物がここに紛れ込んでいることをもっと自覚すべきだな」

「…………」

 黙り込む衛宮士郎だが、その目は何かを探るようにアレイスターを見つめていた。外された事に対する不満ではなく、アレイスターの意図を掬うかの如くじっと目を向ける。

「君がここに呼ばれた理由だが――――」

 アレイスターが言葉を続ける。いつも通りに動じず、天地逆さに浮かびながら。

「――――警告という所か。水面を波立たせる小石も、積もれば目立つ」

 話が終わり帰る直前まで、衛宮士郎はアレイスターを見つめていた。

 

 

 

 

『それで? あの説明で納得したのですか?』

『まさか。……あれだけが目的なはずがない』

 ここは既に窓のないビルの外。外に出た衛宮士郎はロッカー(冷蔵用)に食材を預けると、三沢ビルが見える所まで来ていた。

 と言っても数キロは離れているが、衛宮士郎には問題がない。適当に腰を下ろしながら、セイバーと先ほどの会話について思い返す。

『わざわざ警告だけにあそこまで招くかと言えば、疑問が残る。他に目的があった、と考えるべきだな……』

『シロウにあそこまで事情を聞かせたのが気になりますね。最初から外すつもりならば、状況を説明する前に追い出すはず…… 参加させないものに余計な情報を与える意味はありませんからね』

『情報を与えることに意味があった、と見るべきか? いや、そもそも招くことが目的だったか……』

 考え込む衛宮士郎。セイバーはそんな衛宮士郎から意識を外し、自らも考えを巡らせる。

(さて、先ほどのアレイスターの意図はおいておくとして。……吸血鬼ですか)

 死徒という呼称がされなかった以上また違った吸血種がそんざいするのだろう、とセイバーは予想をつける。衛宮士郎はアレイスターに意識が向いていたので気づかなかったかもしれないが、セイバーは吸血鬼という言葉を耳にしたときのステイルの妙な反応が引っかかっていたのだ。

 あの禁書目録の事件の時に目にしたステイル=マグヌスの戦闘力ならば、普通の死徒位だったら対処できる程の力があると彼女は踏んでいた。

 そのステイルが――――幾多の死地を潜り抜けたはずの魔術師のプロが、あそこまで吸血鬼に反応する理由。

(もしかしたら、こちらの世界の吸血鬼は元の世界のソレよりはるかに格上の存在なのでしょうか。だとしたら、あの態度にも納得いけますが……)

 それよりも心配なのはトウマですね、とセイバーは考える。どう見ても上条を好いているようには思えないステイルと、いくら対魔術師の切り札を持つとはいえ戦闘の素人の上条がタッグで戦地に赴くなど、嫌な予感しかしない。

 それに……、とセイバーはさらに思考を繰り返す。

(吸血殺しがある以上、吸血鬼そのもの(・・・・・・・)を敵の魔術師が飼いならしている可能性もあるはず。だとすれば余計にトウマは危険ですね)

 こちらの世界はどうかはわからないが、元の世界における死徒がどうして脅威なのか。その原因の一つに、人の動体視力を遥かに超えた駆動力がある。

 つまり、常人の目では死徒の動きを追うことすら出来ないのだ。それは上条に関しても言わずもがな。いくら幻想殺しが異常・異端の全てを砕いたとしても、当たらなければ何とやらだ。

 振るう拳が空を切れば、そこら中に臓物をぶちまける事になるのは上条になる。この世界の吸血鬼が死徒を上回ると言うならなおさら。

(それだけは…… それだけは、避けなくては……)

 上条自身のため、そして衛宮士郎のため。彼女は決意を固くする。

『セイバー……』

 そんな彼女に、かけられる声。無論、衛宮士郎のものだが、その声はどこか躊躇いがちだ。

『提案があるのだが………………』

 

 

 

 

 そのころ上条は、ステイルによって錬金術師というもののレクチャーを受けていた。記憶をなくした上条は当初ステイルと出会っても分からなかったのだが、そこは話を合わせたり逸らしたりしてどうにかこうにか乗り切った。まあ会ってそうそう不興を買い炎剣を振るわれたりもしたが、それ以外は概ね上々と言ってもいいだろう。

 ついぞ上条は秘密を隠し通したまま、ここまできているのだから。だがステイルの話を聞きながらそれに反応するかのように出てくる自分の『知識』については、記憶を失う前の自分は一体どんな交友関係があったのだと頬が引きつくくらいだった。

 ………………自分が記憶喪失なことに関して、上条が何も思わなかったわけでは無い。とくにあの、自分を禁書目録(インデックス)と名乗る少女。彼女が自分を慕っている様子を見るたびに、陳腐な表現だが上条には胸を締め付けられるような痛みが走るのだ。

 彼女が――――あのインデックスという少女が慕っているのはあくまで『前の』上条だ、今ここにいる上条ではない。彼女を助けたのも前の上条だし、彼女に関する全てがそう、記憶を失う前の自分に起因しているのだ。あの衛宮士郎と言う同居人に至っても同じこと。

 彼が病院で見せた様子を考えれば、いかに上条の事を心配していたかも分かる。頼れる兄貴分、のようなものか。買い物途中で迷子の道案内をすることもあれば、いつのまにか赤の他人に絡んでいる不良たちを相手に立ち回っている時もあった。

 困っている人がいたら迷わず飛んでいくヒーローのような男。そしてあれだけの人物が気にかける前の自分とは一体どんな人物なのか。『今の』上条が気にしないはずが無いのだ。いつかばれてしまうのかと、この騙し騙しの生活が終わってしまうのかと考えると、上条は背筋に嫌な汗が流れる。

 それだけは嫌だ。自分のためではなく彼らのために、上条は今日も嘘で自分を包む。それで彼らが救われるなら、それでもいい思って。

 

 さて、協力しなければ禁書目録(インデックス)を回収すると脅された以上、上条はステイルに協力しなければならないわけだが、その三沢塾に監禁されている『吸血殺し』の保有者、名を姫神秋沙(ひめがみあいさ)という。

 …………実は数時間前に、上条はその姫神と出会っていたのだ。もちろんこんな事に巻き込まれる前の話であるが、あの様子はとても監禁されていた者の様子に見えなかった。というか監禁されているはずなのに、そこらのファーストフード店に普通に居座っていたのである。

 その時はちょうどインデックスと青髪ピアス(上条の学友、らしい。当然上条自身は覚えていない)をつれてその店を訪れていたのだが、そこで彼女と相席になったという訳だ。……しばらく馬鹿なやり取りをした後に、彼女は黒い服を着た男たちに連れて帰られた。

 今思えば姫神は助けを求めていたのではないのかと、上条は思う。電車賃が足りないと呻きながら、彼女は椅子に沈んでいた。その電車賃とは脱出のために、追っ手を振り切るために必要なものだったのではないか? それを考えると上条はざわりと胸中が泡立つ。

 この感情は、怒りではなく、苛立ち。『三沢塾』、錬金術師、ステイル、上条自身、そして姫神に。あそこでなりふり構わず助けを求めれば救われていたのかもしれないのに、呼ばなかった。それは何故? おそらく、それは……

(あいつが…… あいつが周りを巻き込むのを……!)

 恐れたから。それに尽きるだろう。――――おかしな話だ。それならあの時姫神は、電車賃すら貸すことの出来なかった上条を巻き込むことをしまいとしたのだから。電車賃があったら、上条がそれを貸すだけのお金を持っていれば逃げ切れたのかもしれないのに。

 それは自分を殺してまで、他人を助けるようなものだ。上条には、それがたまらなく腹が立つ。物として扱われながらも、それをあるがままに受け入れる少女。自ら傷つこうとも、周りの幸せが自分の幸せだとでも言うかのように微笑む少女。

 どこか、心のどこかに、そんな少女がもう一人いた気がする。ならば上条は救わねばなるまい、その少女を。何より上条自身が、その少女に言いたいことがたくさんあるのだから。

 

 

 

 

 錬金術師。彼らは主に中世に於いて活躍し、しかし今では半端な学問として魔術の世界では見なされている。そんな錬金術師の共通する到達点とは、『世界の全てを頭の中でシュミレートすること』だ。

 つまりこの広大な世界を取り巻く膨大な数の公式を全て理解し、それを頭の中で再現すること。無論それだけでは終わらない。――――彼らはその頭の中で構築した世界を、現実世界(・・・・)に持ってくる術を既に見つけているのだ。

 ……まあそれは非常に大変なことである。そもそもその複雑な法則を一つでも間違えてしまえば、途端にそれは意味をなくす。いくら頭の中でシュミレートしようとも、歪んだ偽者では世界と言う法則を塗り替えるには足りないのだ。だが一番の問題はそこではない。

 少し考えれば分かる事だが、膨大な公式を計算するのにはそれ以上に莫大な時間がかかる。水の流れ、木々の揺れ、人の動き。

 ありとあらゆる現象を、全てを計算しなければならないのだ。そんな計算が、一体どれほどの時間を費やせば完成するだろうか? 少なくとも、人の一生では払いきれないほどの時間がかかる事は間違いない。つまり呪文自体は既に存在していても、それは人の手には負えない代物なのだと言うことである。

 ――――そう、人の手には。もしも人を遥かに超える時間を持つ生物がいたら? もしもそんな生物(・・・・・)がその呪文を唱えたら? それは、世界の全てを操れる力を持つに等しい。それ故、無限の時間を持つとされる吸血鬼の存在は錬金術師の悲願であり、もっと言えば魔術師全体の悲願でもあるのだ。

 上条はその説明を聞きながら少し錬金術師という者達を哀れに思う。答えを知りながら限られた寿命のせいで届かないとは、それは、悔しいだろう、苦痛だろう。

 上条からしてみれば、そんな途方もない事を人外の手段で実現させようとはどんな奴なのだろうと考えたのだが、聞けばステイルはその件の錬金術師と知り合いらしい。

 アウレオルス=イザード。

 ステイル曰く、錬金術は確かに脅威だが、奴に出来るのは『三沢塾』に罠を張ることぐらいだ、と。そうして『三沢塾』に向かいながらアウレオルスについての話を聞いていた上条は、ふと気になったことを口にした。

「そういえば士郎はどこ行ったんだ? 先に『三沢塾』に行ってんのか?」

「ああ、奴なら今回は不参加さ」

 は?、と抜けた声を出す上条に、ステイルはにやりと口を歪ませる。

「まあ僕も詳しくは知らないけど、自業自得ってやつだな。あいつはこの事件に関与することを禁止されてる」

「禁止されてる? お前、人を助けるのに禁止も何も、そもそも許可なんて――――」

「いるんだよ、君が知らないだけでね。今回の事件は複雑な事情を抱えてる。脳が腐ってなければ直ぐにでも気づきそうなものだけど?」

 心底馬鹿にしたような声で鼻を鳴らすステイル。上条はむっとした顔をするが、やはりまだ納得いかない。

 だってこんな話を聞いて、あの衛宮士郎が首をつっ込まないはずがないのだ。人助け癖とも言うべき性を持つ男。助けたいのに許可が出ないから助けられないなど、そんな馬鹿な話はないだろう。

 ステイルのあの口ぶりでは、衛宮士郎はこの事件について既に話を聞いているに違いない。それなのに、監禁されている少女がいると分かっているのに、動けないだなんて、

(そんなのは、間違ってる……!)

 上条は抗議の声を上げようと顔を上げてステイルの方を見ようとした。だが、その視線はビルの足元でピタリととまる。

 いつの間にか、二人は既に『三沢塾』のすぐ近くまで来ていたのだ。不規則な形をした、しかしそれ以外は何の変哲もないビル。

 しかし上条が、そしてステイルまでもがその場で釘付けにされたのは、何もビルのせいではなかった。

 その原因は、ビルの入り口近くに佇む人影のせい。

 燃えるような夕焼けを背に、そこにいたのは――――――――――――――

 

 




10000字
短めですが、切りたいところで切りたかったのでこんな感じに
次は久方に戦闘シーンを含む話なので、気をつけないといけません
具体と抽象を織り交ぜて、かつイメージしやすいように
戦闘シーンでの長い擬音の多様はださいですからね

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。