とある正義の心象風景   作:ぜるこば

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すいません
完全不定期で


違和感

「…………」

「なあ」

「………………」

「なあってば」

「……なんだい全く」

 上条の声に心底めんどくさそうな表情を隠そうともせず、ステイルは返事をする。アウレオルス=ダミーとの一戦を終えた後、二人は別棟へと足を運んでいた。『偽・聖歌隊』の核はあの時既に破壊してある。今二人が探しているのはアウレオルス=イザード本人の方だ。ステイルの勘ではダミーと核を破壊すれば、侵入者の対処に本物がやってくると踏んでいたのだが……

「全然こないじゃねえか。やっぱあいつ本物だったんじゃねえのか」

 上条の言うあいつとは勿論、先程戦ったダミーのことである。上条からしてみれば、どうしてステイルがあんな簡単にあれをダミーと言い切ったのか不思議であった。

「あれは間違いなく偽者さ。本物はあんなに幼稚じゃないし、弱くない」

「幼稚って、得物自慢がそんなにいけないことなのか?」

 上条にはわからない。だが何度も言うようにアウレオルスは戦闘ではなく研究が本分の魔術師。そも武器を誇ること自体が妙なのだ。

「得物自慢が、じゃない。おかしいのは、奴が『瞬間錬金』そのものを自慢げにかざした事だよ」

「…………いやいや、あれは十分やばいじゃねえか。触っちまえばそれで終わりだなんて、普通に考えてまずいだろ」

「それはあくまで君の、魔術師でない者の考えだ。魔術はそもそも研究の手段であって、結果じゃない。君らで言う科学者が、実験の結果じゃなくて実験装置そのものを学会で自慢するようなものさ。ほら、そう考えるとおかしいだろう?」

「……まあ、確かに」

 言われてみれば、と上条は納得する。アウレオルスが学者であると言う観点から見れば、ステイルの指摘も妥当なものに感じた。なんだかんだ言って苦戦しなかったというのもあるが。そんな上条の雰囲気を感じ取ったのか、ステイルが呆れたように声をかける。

「まさか、自分の力だけでアウレオルス=ダミーに勝ったと思っているんじゃないだろうね」

「あれ、お前なんかしてたっけ?」

 別に嫌味を言っているのではなく、上条はあの時頭が真っ白でほとんど何も考えていなかったのだ。ステイルは後方にいたせいもあって、上条の意識には入っていなかったのである。

「借りを作ってたとでも思われるのも嫌だから言っておくけどね。あの時僕の助力がなければ君はただ返り討ちにあうだけだったんだよ?」

 ただステイルはそうは思わなかったようで、若干口をひくつかせながら言葉を返す。上条の方は助力があったと言われても、本当に判らないのだからしょうがない。そうして思案顔で考え込み始めた上条に、ステイルは一息吐いて説明をはじめた。

「さっき君の不意打ちが決まったのは、奴が僕が作った蜃気楼――――つまり君の幻に気を取られていたからさ。あれがなければ君は今頃、どろどろの黄金になっていただろうね」

「……蜃気楼って、お前いつの間にそんな事したんだよ」

「そんなの当然、炎剣を出したときに決まってる。そもそもあれは蜃気楼の魔術を誤魔化す為のフェイクであると同時に、奴の注意を僕に引かせる為のものだったんだから」

「つまりあれか? あのアウレオルス=ダミーは俺の幻を見てたのか?」

「正確には、あの場で固まったままの君の幻だ。君が奴に向かって突進しそうだったからね。事前にその場に留まった姿勢の君の幻を出して、あとは君の姿を奴から隠す。そうすれば、ほら」

 結果はさっきの通りさ、とステイルは続ける。

「まあ君の右手があるから最後まで隠し通せはしなかったようだけど、効果は十分だったろう?」

「…………」

 思い返してみれば、あんなに上条が近づくまでダミーが気づかなかったのも妙な話。それがステイルの魔術で上条の位置そのものを誤魔化されていたとしたら、なるほど納得も出来る。

「そもそも君が暴走しなきゃ僕があいつを燃やしてただけさ。そんなに自分の功績を主張されても僕が困る」

 そんな風に続けるステイルに対し、別に自慢なんかしてねーよ、と返しながら上条はふと思いついたことを口にした。

「そういえば、あいつは偽者なんだよな」

「だから何度もそういってるだろう」

「……あれが偽者――――作り物なら、量産できるんじゃね?」

 当然と言えば当然の疑問。作る方法が確立されているなら、それはつまり理論上では何度でも作れると言うわけで、再びあのアウレオルス=ダミーが二人の前に立ちふさがる可能性もあるはずなのだ。だが上条の素朴な疑問に対し、ステイルは否と首を振った。

「確かに、本物さえ生きていればまた作れるだろうさ。しかしおそらくそれだけのものを作り上げる時間がない上に、あれは量産には向かないよ」

「量産には向かないって……」

「思い出してみろ。さっきの奴は自分が偽者であることにすら気づいていなかったんだぞ。そんな奴らを量産して、仮に偽者同士が鉢合わせたらどうなる?」

「あー………… そいつは不味いな」

「だろう? どう考えても良くて同士討ちで、仮に片方が生き残ったとしてもそいつは――――」

 発狂寸前さ。そんなステイルの結論に、上条もそうだろうなと考えていた。

 例えて言うならドッペルゲンガーというある種の怪談、都市伝説だ。しかもこの場合はどちらも偽者なのだから質が悪い。どうあがいても破滅しかないのだから、なるほど確かに精巧さ故に量産には向かないだろう。

 なんとなく、なんとなく上条はあの偽者に憐れみを覚えた。そんな上条をよそにスタスタと廊下を歩いていたステイルだが、一旦立ち止まって大儀そうにふぅと息を吐く。そのまま自然な動作で懐からタバコを取り出すと、わざわざマッチで火をつけて煙を燻らせた。

「おい、ここは校内全面禁煙だろうが」

「はっ、何を今更。禁煙以前にここはとっくの昔に無法地帯だろう」

「……屁理屈いいやがる」

 上条のじとっとした目もどこ吹く風。まともに取り合う気もないステイルは頭の中で現状を整理していた。

(そもそも、だ)

 ほとんどアレイスター押し付けられる形で上条を連れてきたステイルだったが、当初は――――あのセイバーとか言う厄介な少女が来るまでは、彼を敵の気を逸らすおとりに使う予定であった。なにせ今回の敵は自分一人でも十分に対処できると元々ステイルは考えていたのだ。

 わざわざ幻想殺しを使う理由もなく、頼る必要もない。むしろこの結界の中においては異物でしかなかった。ステイル一人なら魔術さえ使わなければ隠密に行動も出来よう。だが、上条の幻想殺しはいわば巨大なアラームと同様なのである。それもそのはず、自分の世界に等しい結界内部を、そこに在るだけで強引にかき消す異物に気づかない方がそもそもおかしい。だというのに。

(――――なぜ、本物がこない?)

 偽者で対処できなければ、その異物、脅威を自分の目で確かめに来るはず、というのがステイルの大まかな考えであった。それを返り討ちにするというのがなんとなく考えていたことだったのだが、一向にその気配がないのは流石に妙だ。

(いや、篭城するつもりか? 自分の方に勝ち目がないと諦めて?)

 それもまた有効な手段では在る。素の地力では、ステイルはアウレオルスには負けはしないと考えていた。なにせステイルは魔術師を殺すための魔術師、必要悪の教会(ネセサリウス)が一員だ。戦闘向きでないアウレオルスと比べて、どう考えても経験も何もかもに大きな開きがある。

 そんな彼に対してアウレオルスが魔術師同士の戦闘での勝利を諦めたのだとしたら――――ステイルに勝つには、搦め手を使うほかない。

(例えば、こうして無闇矢鱈に歩かせる事で体力を奪うとかかな)

 いくら魔術師でも、その根本は人間だ。体力はこの結界のせいでどんどん消費していくし、腹も減る。長期戦になれば、睡眠も取れないこちらが不利だ。『偽・聖歌隊』の核を破壊してしまった以上、あとはこの建物そのもの隠し部屋を虱潰しに探すくらいしか手がかりはない。

(…………)

 別にステイルとしては時間制限があるわけではないのだ。長引けば確かに件の『吸血殺し』の少女への危険性は高まるが、そんなの正直彼にとってはどうでもいい。科学側であるし、元より興味もない。この事件さえ解決できればいいのだ、ステイルは。

(一旦、引き返すのも一つの手かな)

 向こうが長期戦を望むなら、こちらもそれなりに対処しなければならない。一つだけ、あの廊下で別れたセイバーの事も気になると言えばなるが、優先順位は事件解決のほうが上だ。

(そうと決まれば……)

 善は急げ。未だにこちらを呆れた目で見ている上条に向かってステイルは声をかけた。

「一回、入り口に戻るよ。どうやら立て直す必要がありそうだ」

「あ? 立て直す?」

 何言ってんだお前、という上条に説明することなく、ステイルはさっさと歩き出す。慌てたのは上条だ。ここまできておいて何の説明もなく戻るだなんて彼には意味がわからないが、こんな場所においていかれても困る。半ば駆け足で、ステイルの後を追いかけるのだった。

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 アウレオルス=イザードは肩を上下させながら息を吐いていた。眼前の少女の僅かな隙をついて押さえ込むことには成功したものの、それより先に進むことが出来なくなっていたのである。

 ……ここで言う先、とは物理的なものではない。邪魔者を押さえ込んだ後の、次の段階――――すなわち、その排除という意味だ。本来ならこの黄金練成(アルス=マグナ)、一度相手を押さえ込んでしまえばそれで決着がつくはずなのだ。

 だが、この場合はそうはいかなかった。何しろ倒れこんでいる少女は完全に沈黙しているわけではない。彼女が一瞬の隙を見せたせいで黄金練成のによる必殺の一言を言うことには成功したものの、どういう訳か全ての動きを止めているわけではないのだ。少女は倒れ伏しながらもぐぐとこちらを睨み付け、じりじりと手足を動かしている。

 その動きはそれこそスローモーションのように遅いが、――――確実にアウレオルスの方へと近寄ってきていた。

「――――――――ッ!!」

 アウレオルスは思わず後ずさる。無言の圧力と止まらない動き。それが、それがとにかくアウレオルスには恐ろしかった。先程まで圧倒されていたこともあったのだろう。

 ――――彼にはもはや、この少女を敗北させるイメージを抱くことは出来なかった。それは黄金練成にとっては致命的だ。そもそも黄金練成はほとんど全能の魔術ではあるが、その力にはやはり制限がある。黄金練成は、『言葉通り』に世界を歪める魔術ではない。正確に言えば、『想像通り(・・・・)』に世界を歪める魔術なのだ。

 そもそも頭の中の世界を現実へと引っ張り出すのがこの術式。それならば確かにアウレオルスが『想像出来うる』範囲のみでしか、様々な現象を引き起こせないのである。つまりセイバーの敗北を想像出来ないアウレオルスは、黄金練成で例えば『死ね』などの言動を実現できないのだ。とりあえず無我夢中で倒したはいいものの、その先がないというのが現状だった。

「厳、然。貴様は……そこで、無様に伏しているがいい」

 それだけ言うのが精一杯。ふらりと、アウレオルスは踵を返してそこから去ろうとした。なにしろこれ以上手の打ちようがない。近づけないし、制限を加えることすらできないなら、あとは放置するだけだ。いや、後に回したと言うべきか。ともかく今はどうすることも出来ない脅威を一時的に押さえ込むだけ押さえ込んで、アウレオルスはその場を離れようと決めたのだった。 

 ――――だが、それがすんなりいくほど、セイバーという英霊は甘くない。アウレオルスが体の向きを変えたその時、ひゅるりと彼の頬を風が撫でた。

(……か、ぜ? 何故、屋内で風など――――)

 屋内での風。その事にアウレオルスが違和感を覚えたのも一瞬、その次の一瞬にはアウレオルスの体は宙に浮いていた。

「ば――――――――っ!!」

 かな、と叫ぶ暇もない。突風、それもただの突風ではない。確実に何らかの指向性をもったそれが、アウレオルスの全身を叩きつけたのだ。もうほとんど、反射的に口を開く。

(愕然。この風は、まさか奴の…………!)

 そのさなかに彼がそう考えるのも仕方ない。ここにいるのはセイバーとアウレオルスの二人だけ。さらに自分の仕業でないなら、それは後ろで倒れていたはずの少女の仕業に他ならなかった。そしてアウレオルスのその考えは、正に的を得ていたのである。

 風王結界(インビジブル・エア)。彼女が保有する宝具の一つにして、風の魔術。それこそがアウレオルスの体を吹き飛ばしたものの正体である。暴力的な風の圧力は、そのままアウレオルスを横壁に叩きつけようとして――――、

「――――くっ。 ……そう、上手くはいきませんか」

 その光景を見たセイバーは悔しそうに顔を歪めた。彼女が見たのは、文字通り空を切った風王結界に、その場から消えたアウレオルス。普通なら、これが彼でなかったら、勝負が決まっていただろう。アウレオルスは壁に叩きつけられ、後はセイバーの成すがままだ。

 しかし彼は壁に接する直前、黄金練成で自分を移動させる事に成功していたのである。黄金練成がセイバーに対してこれ以上何も出来ないといっても、なにもその圧倒的な利便性、応用性が失われた訳ではない。自分を瞬間移動させることくらい、アウレオルスにとっては余裕の事。

 加えて、彼は既に風王結界を目にしていた(・・・・・・・・・・・)。あの挟み撃ちの罠から脱出するとき、セイバーは『偽・聖歌隊』の攻撃を吹き飛ばすために風王結界を使用した。ならばそれを監視していたアウレオルスが、風の魔術を警戒するのもまた道理である。

 突然の風撃にアウレオルスも確かに動揺はしたが、元より頭の回転は速い人間。『想像』を現実に出来るなら、他人のそれよりも自身のそれの方が簡単に決まっている。結果として、アウレオルスは叩きつけられる直前に上階に逃げることに成功していたのだ。

 そしてちょうどセイバーとアウレオルスの戦った上階、そこには壁に寄りかかる彼の姿があった。乱れた髪を整え、自身が横滑りした廊下を眺める。黄金練成による転移は成功しても風王結界に飛ばされた勢い、つまり慣性までは消しきれていない。

 自身が飛ばされた距離――――ほとんど廊下の端から端を見るにつけて、あの風の魔術には相当の勢いがあったのだろうとアウレオルスは冷や汗をかいた。だが、その最後の悪足掻きさえも彼は回避したのだ。

「…………当然。この空間において、私に敗北などありえない」

 誰とでもなく呟くその言葉は、自分に言い聞かせているようでもあった。事実その拠り所、アウレオルスの心が折れてしまえば、黄金練成の全てが無に帰る。それだけは、それだけは許さない。

 要はもう彼女に近づかなければいいのだ。他の侵入者を片付けた後で、あの少女にはそれ相応の報いを贈る。アウレオルスはそう決心するとふらふらと立ち上がった。ダメージが抜けるまで休む余裕など、もう今の彼にはない。

 どこか危なげな光を目に湛えながら、アウレオルスはその場を離れるのだった。

 

 

 

 

 アウレオルスが去ったのち、セイバーは非常に緩慢な動作で廊下を這っていた。あれからアウレオルスの追撃はなく、どうにかこうにか体勢を整えようとしている次第である。

「…………………………」

『…………………………』

 衛宮士郎とセイバー、二人の間に会話はなく、どこか気まずい雰囲気が漂っていた。それもそのはず、そもそもあの時セイバーが衛宮士郎の言葉に動揺さえしなければ勝負は既に――――いや、この事件そのものが解決していたはずなのだ。隙さえ、見せなければ。

『……何故あんな隙を見せたんだ、セイバー』

 沈黙を先に破ったのは、衛宮士郎だった。

『何故、ですか』

 衛宮士郎の言葉に動きを止めるセイバー。目を閉じ、何かを押さえ込むかのようにその顔を歪ませる。無論、衛宮士郎も自分があの時口にした言葉が彼女の気を引いたのだということも判っているのだ。判っていて、なお問いかける。何が原因で動揺したのかではなく、何故あんな言葉(・・・・・・)に動揺したのかと。

 セイバーの方も、その意図は汲んでいる。汲んでいるからこその沈黙だった。やがて息を吐くと、セイバーは逆に衛宮士郎に問いかけた。

『逆に聞きますが、なぜシロウはあんな判断をしたんですか?』

『…………』

 衛宮士郎は直ぐには答えない。今は表に出ていない故、セイバーにも彼の表情などは読み取ることなど出来ないが、それでも重い沈黙が降りる。それでもやがて何か嫌なものを飲み込んだかのような声で、衛宮士郎は言葉を返した。

『あのまま奴を逃がしたら、何をしでかすか判らんだろう。吸血鬼の利用だなんて一歩間違えずとも大惨事に繋がる。特にこんな閉鎖された都市空間では、な。 ――――ならば二〇〇〇人を犠牲にしてでも、あの時は奴を止めるべきだった』

『――――――』

 セイバーの、言葉にならない驚愕。ああ、と彼女は息を吐く。それは彼女の知る衛宮士郎ではなかった。短くも濃密な二週間を共にしたあの少年の、焦がれるほどの理想ではなかった。

 百を犠牲に千を救う。それはもはや正義の味方の行いではなく、ただその身を呪う業である。あの少年なら、セイバーの知る衛宮士郎なら、あの時そんな選択をすぐに下しただろうか? 

 ――――いや、しないだろう。その選択は違う。それは彼の養父の考えに近いものだ。あの少年ならば、悩みに悩んでどうにかしてでも全てを救う策を講じたはず。それがたとえ、不可能に近いものだとしても。

 セイバーの衝撃。あの時彼女が衛宮士郎の言葉に怯んだ理由がそれである。『大勢の為に二〇〇〇を切り捨てる』という選択肢そのものでなく、『あの衛宮士郎がそんな選択肢をした』事が、セイバーは信じられなかったのだ。 

 ……そう、思わず敵から意識を外してしまうほどに。それほどに、彼女にとってそれは衝撃だった。全てを隔てなく救ってみせると言っていた彼が、あんな簡単に人を、その命を切り捨てるはずがない。少なくともセイバーには、衛宮士郎が迷いなくその行動を取っていたように見えたのだ。

 そんな行動を取ることが出来ながらも、正義の味方を目指すという矛盾。ただただ理念と行動との矛盾が、そこにはあった。それをセイバーは今初めて、初めてこの局地的な戦場で感じ取ったのだ。衛宮士郎とセイバーの意識の、認識の差。

 ――――だが、そもそもこれはセイバー自身が先送りに先送りしてきた問題が表出したものとも言える。根本的な問題。何故衛宮士郎がこの世界に送られたのか、何故それに彼女が憑いて来ているのか。それについてセイバーが衛宮士郎に尋ねた事は、実は殆どない。

 時間がなかった? いや違う、彼女には時間は山ほどあった。しいて言うなら、機を逸していたのだ。

 この世界に来てそれなりの時間はたっているが、未だ衛宮士郎の学園都市での――――この世界での地盤は固くない。先日のアレイスターとの邂逅を含め、予断を許さない状況が続いていると言えよう。そんな不安な案件を衛宮士郎がいくつも抱えている中で、セイバーは彼にこれ以上の負担(・・)を増やしたくなかったという事だ。

 負担。こちらで巧く生き抜くだけで精一杯な現状、元の世界に戻る事を今考えるのは衛宮士郎にとって思慮の外である。そも平行世界間の移動なんて彼にはどうしようもない。

 ……ではこの世界においては? 衛宮士郎もセイバーも実はそれなりに見当がついていた。この世界には――――おそらく平行世界間の移動手段はない。少なくとも余程深くこちらの魔術に踏み込まなければ、それこそ元の世界の魔法並みに踏み込まなければその一端に触れることすら出来ないほどのものだろうとの予測は既に立っていた。

 そうでなければアレイスターに対して衛宮士郎のあのような、言ってしまえば穴だらけの拙い説明に耳を貸すことすらしなかったであろう。先日の件にしても、その気になればいつでも衛宮士郎を処断できるだけの力がアレイスターにはある。そんなアレイスターが衛宮士郎をこうして学園都市に留まらせているのは、一重に利用価値があるからのはず。

 衛宮士郎にはアレイスターが一体自分のどこに利用価値を見出しているのかはあまり見当がついているわけではないが、わざわざ『衛宮士郎』である以上、この世界の魔術師と衛宮士郎との違和感をあの統括理事長が覚えた可能性も高い。そうなれば自然、衛宮士郎もその行動を慎重にせざるを得ないのだ。そんな雁字搦めな中で行動したあのトラックの騒動。自分を度外視する衛宮士郎の根本自体は変わってはいないとセイバーは再確認した出来事でもあったのだが、

(私の見立てが甘かったという事ですか……)

 思い返せば今までの行いで気にならない所がなかった訳ではない。そもそも見た目があまりにあの弓兵に酷似しているではないか。白い髪も黒い肌も、魔術の無茶な使用による副作用の産物だ。つまりそれだけ、この衛宮士郎も(・・・・・・・)自分を酷使してきたという事。

 何が彼を変えたのか、その答えをセイバーは知りたかった。だが、

(今は……まだ……)

 タイミングが悪い。有利な状況から一転、体を床に縛り付けられたこの状況で彼らに問答などしている余裕はなかった。下手をすれば、余計な亀裂を生む恐れもある。言いたいことや聞きたいことは山のようにあったが、セイバーはそれを全て飲み込んだ。

『……その判断はともかく、確かにあの時隙を見せたのは私自身のミスです』

 申し訳ありませんと、彼女は無理やりに首を動かす。衛宮士郎は特にそれについては言及せずに、その固い口を開く。

『互いに言いたいことはあるかもしれないが、今は状況打破を優先しよう。なんとか、まともに動けるようにしなければな』

『そう、ですね……』

 結局のところ事情はどうあれ、この状況に陥ってしまったのはあそこで隙を見せたセイバーのミスだ。そんな彼女に負い目がないはずがない。自然、問いただす声も小さくなる。それに衛宮士郎の声からは、この話題はこれで一旦終わりという雰囲気が言わずもがなに読み取れた。

 今はとりあえずは追求しない。 …………今は。

(この事件が解決したらその時は――――)

 その時は、必ず。衛宮士郎としっかりと話し合おうと、セイバーは決めたのだった。

 

 

 

 

 その頃、インデックスは盛大に泡を食っていた。比喩ではない。『驚き慌てる』という意味でもない。正に文字通りである。

 学生寮の上条の部屋。その風呂場で、今インデックスは子猫の体をワシャワシャと洗っているのだ。その一幕での出来事。体を包む泡から逃げるようにして暴れた子猫が散らした一塊が、インデックスの口にちょうど命中したと言うわけだ。

 うぺっと彼女は泡を吐き出して、その苦さに目を潤ませる。一体何故このような状況になっているのか。セイバーが学生寮を出た後、上条とインデックスは部屋に戻ってきたわけだが、上条がステイルと話している間にインデックスが捨て猫を拾ってきていたのだ。

 これ以上住人が増えると色々とまずいので当然断固反対の上条と、どうしても捨て猫を飼いたいインデックスとの間で、まるで親子のようなやりとりがそこにはあった。

 …………結局『三沢塾』に行く予定やそれにインデックスを巻き込みたくない上条の思惑もあり、彼が折れることでこの問題は解決したのだが。ちなみに名前はスフィンクス、珍しいことに三毛猫のオスである。

 そんな子猫の泡を洗い流しながら、インデックスは考える。衛宮士郎がいないのは別にいい。彼はしょっちゅう家を空けているし、大抵は夕飯などを作り置きしてくれていた。今日も簡単な下拵えだけはしてあるようだ。上条家の最近の食事事情はだいたいいつもこんな感じである。

 朝は夜に出かけていつの間にか帰ってきている衛宮士郎が朝食をつくり、昼はその日によりけり、夜は大体衛宮士郎が作った下拵えを上条が仕上げるか、そのまま衛宮士郎が作るか。だからインデックスからすれば衛宮士郎がいないのは何の問題もないはずなのだが。

「…………うーん」

 風呂場から上がったインデックスは首を傾げる。問題は上条の方。彼は自分が嫌なことは絶対にやらない。そういう性格なのは、インデックスも今までの生活を――――とくにあの七月末の事件を見るに身に染みていた。そんな上条がたかが子猫の事とはいえ、自分の意見を曲げたのだ。

 いや、たかがではない。言うなれば一つの命を預かるという事でもあり、食費だって馬鹿にならないだろう。普段なら、絶対にありえない。では何故、何故に上条はそれを許したのだろうか。

「なーんか変だよねえ」

 ねえスフィンクス? とインデックスは洗い立ての猫に同意を求める。スフィンクスの方もわかっているんだかいないんだか、にゃんと一声。なんともいえない焦燥感を覚えながら、インデックスは部屋をくるくると歩き回った。

 今すぐにでも問いただしたいが、そもそもどこにいったかわからない。先程電話がかかって来たのだから掛けなおして聞けば良いとも思うが、インデックスは使い方を知らないのだ。せめてあの衛宮士郎が一緒にいてくれればまだ安心も出来るというものだが、彼は昼以降、少なくともインデックスはその姿を見かけていなかった。

 上条一人。そのことが、余計彼女を焦らせる。上条からすればインデックスこそが庇護すべき対象なのだが、インデックスはそうは思っていない。なにせ魔術は使えないとはいえ、彼女もまた専門家だ。上条が何か魔術の厄介ごとに巻き込まれたなら、それは自分が手を差し伸べるべきだとさえ考えている。

 そしてじりじりとした感覚に耐えかね、結局彼女は外に出てみることに決めた。いつもの修道服、『歩く教会』を着込み、勇み足で外に出る。どこに行くかなんて考えてもいないが、もはや彼女はじっとしていられなかった。バン、と音を立てて扉を明け、通路へと駆け出す。とにかく外に出ようと考えたインデックスはそのまま階段のほうへ向かおうとして、

「――――あ」

 見つけた。見覚えのあるカードが、壁に張り付いているのを。そう、それはステイルが彼女の安全を守るために置いたカード。敵に対して反応し、魔女狩りの王(イノケンティウス)を発動させるものだ。ここにそれを置いたが為にステイルは今、魔女狩りの王が使えないわけだが、インデックスからしてみればこれは大きな手がかりだった。

 まずステイル=マグヌスがここにきている事、上条が魔術関連の厄介ごとに巻き込まれていることは判る。彼女にとってはどちらの情報も寝耳に水なのだが、おおかた上条と衛宮士郎、それにステイルが自分に隠していたのだろうと眉をへの字にしかめた。こうなっては彼女も黙ってはいられない。カードから伸びる魔力線を辿れば、魔術が使えないインデックスとて行き先を突き止めることも可能だ。

 あの真っ白い病室で感じた空恐ろしさを、再び味わいたくはない。上条を危険に晒すことに、彼女はもう耐えられなかった。そんな恐怖と焦りに駆られて、彼女は戦場に、あの鉄臭い渦巻く場へと走り出すのであった。 

 

 

 

 

 ――――ステイルは出会い頭に、上条に対してお前はインデックスの『枷』だと、新しく付けられた首輪だと言っていた。なるほど確かに上条は枷なのだろう。しかし、それは何もインデックスのみを、もしくは上条のみを縛るものではない。何故なら枷とは互いの動きを封じるものだ。インデックスは上条を引っ張り、上条もまたインデックスを引っ張る。ただの一組でさえこれならば、雁字搦めの衛宮士郎はいかに。

 

 

 




11000字
春先は、忙しくなりそうですね

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