とある正義の心象風景   作:ぜるこば

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4話目でございます。
話の進み具合が遅いのはすいません
色々と書き足掻いてたらいていたら、どうもこうなってしまうんです。
コメディパートは本当に難しい。


よろしく御願いします

「いやぁ、さすがに豪語するだけあって大したもんだな」

「喜んで貰えて何よりだ。おかわりはいるか?」

 いりますいりますと返事をしながら、机の上のおかずを口の中にかき込んでいるのは上条当麻だ。食欲を誘う匂いが程よく辺りに漂い、机の上にはあくまで朝飯の範囲を超えない感じで結構な質のおかずやら何やらが置いてある。それでも朝食にしては些かボリュームの多い食事であったが、食べ盛りの高校生たる上条にとっては適量と言ってもいいくらいだ。そして何故かエプロン姿の衛宮士郎は、上条の言葉に満足そうに頷きながら皿を運んでいた。

「なんでだ! なんでただの卵焼きがここまで美味しく感じるんだっ!」

「気になるか? ポイントはダシだ。それはただの卵焼きではない。特製のダシを混ぜたダシ巻き卵なのだよ」

「なんと……!」

 これは是非とも御教授して貰わねばと、おかずの旨さに感動しつつ密かに決意する上条。衛宮士郎の方を覗き見るとこちらに背中を向けて台所に立っていた。

 その背中が言っているような気がする、ついてこれるか、と。

上条とて伊達に一人暮らしをしていない、家事の能力にはそれなりの自負がある。ついてこれるかではない、テメェの方こそついてきやがれと無駄に目に闘志を燃やしながら意気込む上条の姿がそこにあった。

なんかズレているかもしれないが、もの凄く平和な朝の一面でした。

……一体どうして、このような事態になっているのか。時は数十分前に遡る。衛宮士郎が己の現状に頭を悩ませていると、上条の胃が空腹を訴え始めた為、それならばせめてもの恩返しだと衛宮士郎が(勝手に)朝飯を作り出したのだ。

 ぶっちゃけ記憶喪失の人間に飯の用意をさせるのがかなり不安な上条だったが、自信があると衛宮士郎が言うので思い切って任せてみたのだが、

「いや、ホントうまいな。衛宮って実は料理人だったんじゃないか?」

「ふむ、そうかもしれないしそうでないかもしれないな。一応、候補には入れておこう」

 予想以上の出来栄えに軽く感動している上条。朝飯という物の在り方を考え直さねばなるまいなと心の中で決める程、衛宮士郎の朝飯は良く出来ていた。上条の言う衛宮士郎が料理人なのではという意見は、お世辞ではなく彼の本心である。食が進むとはまさにこの事だなと頷きながら、上条はご飯を口に放り込んでいた。

「っていうか料理に自信があるってことは、何で覚えてたワケで?」

「そういわれてもな、私にもよくわからん。芯から身についている技術というのは、自然と体が覚えているものなのだろうよ」

「ふーん、そういうもんなのかね」

 あいにく記憶喪失になんてなった事ないからわかんねえけど、と付け加える上条。まあ衛宮士郎の記憶喪失はあくまでフリであるので、本当にそうなのかは知らないが。実は衛宮士郎自身もまともな料理をするのは随分と久しぶりであったので、腕が余り落ちていなかったことに密かに驚いていたりする。何しろ長い戦場生活では質より量、味より栄養を重視した食事を中心に取っていた為、味覚が妙な事になってはいないか心配だったのだ。家事が趣味とも言える衛宮士郎にとって、このことは素直に嬉しかった。

食事のあとは、上条が布団を畳み衛宮士郎が食器を洗ってゆく。全ての雑事が片付いた所で、二人は今後の事を話し合おうと食事中に決めていたのだ。上条からしてみればさっさと本題に入りたい所ではあったが、本人が手伝うと言うのならばしょうがない。勿論、家事が少なめで済むというのも本音の一つではあるが。

 一通りの家事が終わった後、落ち着いて今後を話し合おうと衛宮士郎はお茶を二人分注ぎ、上条も机を挟んで反対側に腰を下ろした。朝がそこまで遅くなかったおかげで、まだ時計の針は正午よりも幾分か前だ。机の上では、注がれたお茶が白い湯気をゆらゆらと立てながら二人分鎮座している。夏場だからかそれが何となく暑さを増すように感じさせるが、それでも心なしか落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 そう多分に感じている訳ではないが、緊張感が薄れるのは上条にとってもありがたかった。食事中に衛宮士郎は、既に超能力の存在については納得したと上条に伝えてある。上条は何で衛宮士郎が急に超能力について納得したのか不思議に思ったが、そこは適当にお茶を濁されてしまった。本人は今までの情報を統合して判断した結果だと言っていたが、何かをきっかけに急に納得したのは上条にも気になる所ではある。だが信じてもらえるのであればそれに越したことは無いわけであるし、上条も深く突っ込むのは止めにしていた。今やっているのは、衛宮士郎の軽い現状整理である。

「つまり、身分証も何もなくて、学園都市に許可をもらって入ってきた覚えもないと」

「そうなるな。君の言うところの不法侵入だろう」

「何でそんなに落ち着いていられるんだよ……」

 普通もっと焦らない?と呆れる上条。先程からそうであるが、この衛宮士郎と言う人物は何だか全体的に落ち着き過ぎている様な気がする。だって名前しか覚えていない状態で、見知らぬ土地に放り出されているのだ。普通だったらもっと不安がってもいいもんだよなと上条は考えていた。だが実際に記憶喪失で無い上条には、衛宮士郎の心境など分からない。案外記憶喪失になった人っていうのは皆こんな感じで落ち着いているものなのかなと、そんな感想を上条は抱くのであった。

 そうして衛宮士郎について色々と考えていた上条であったが、その時あの黒いスーツケースのことを思い出した。そういえばと部屋の隅っこに放置していたスーツケースを、上条は衛宮士郎の目の前に引っ張り出す。大型でかなり重い物なのだが、下に車輪がついているので楽に動かせるのだ。ベランダから運んできた時もそう苦労はしなかった。まあ、ごろごろとそれを転がした時に車輪が床を傷つけてしまったのが難点ではあったが。

「なあ、このケースに見覚えはあるか?」

「いや、ないな。一体なんだそのスーツケースは?」

「……たぶんだけど。これ衛宮と一緒に落ちてきたんだと思う」

「私と?」

「ああ、衛宮のすぐ傍に落ちてたんだ。何か分からないかと思って開けようとしたんだけど、鍵が掛かってて」

「ふむ」

 鍵はベランダを探しても無かったんだよなと付け加える上条。衛宮士郎は上条からスーツケースを受け取ると、こっそりと解析魔術をかけた。何か未知の物体を手に取った時それを調べる前に解析を掛けるのは、戦場で生活していた衛宮士郎にとってもはや癖のような物である。

 向こうの世界の一般的な魔術師にとってどうかはともかく、解析魔術は衛宮士郎にして見れば非常に有用な魔術であった。これならば触れただけで爆発物なども判別できるし、なにより消費魔力が低コストというのも大きい。元々衛宮士郎はそう魔力量が多いほうではないのだ。それに構造が把握できるのは何も小物だけでなく、建物だってその気になれば解析出来る。土地勘の少ない土地では良く役に立ったものだと、衛宮士郎は内心思い返していた。そんなことを考えながら、改めて詳しくスーツケースを解析する衛宮士郎。だが何度解析しても、何の魔術もかかっていない様子である。それに見た目もいたって普通のスーツケースであった。

しかし、

(二段構造になっているな)

 ケースの内部に、少し仕掛けがしてある様であるのが分かった。スーツケースは本来、開くと両側に収納スペースがありそこに物を入れるのが普通なのだが、このスーツケースは何故かその両方ともが二段底になっているのだ。

 しかもまるで隠しスペースであるかの如く、簡単には見つからないように細工がしてある。怪しさ満点のその空間には、何かが入っている事も衛宮士郎は判別できた。ただし、爆発物だとかそういった危険物が入っている様子ではない。スーツケースを開けた瞬間に、部屋ごとドカンと吹っ飛ぶという心配はないらしい。衛宮士郎は少し思案すると、鍵穴がある方が自分の前になる様にとスーツケースをずらした。

「何か針金のようなものを持ってないか?」

「針金? いや、もってないけど。なんに使うんだ?」

「鍵開けだ。これ位なら私でも開けられるだろうからな」

「鍵開け!! そんな事まで出来んのか!?」

 アンタ本当に何者だ!? と驚く上条に、ないなら仕方ないなと衛宮士郎は呟くと上条に分からぬようポケットから取り出すようにして、投影した針金を引っ張り出した。解析で構造さえ把握出来れば、単純な鍵ならば空けることが出来る。幸いスーツケースの鍵穴は、そう複雑な構造の物ではなかった。

(あれ、ポケットに針金なんて入ってたか……?)

 上条が衛宮士郎のポケットを探った時には、そんな物は無かったはずである。というより、記憶喪失の癖に鍵開けまで出来るのか。そんな上条の疑問をよそに、衛宮士郎は解析の結果を参考に、針金を曲げたり伸ばしたり(こっそり強化したり)しながらスーツケースの鍵開けをし始めた。

 馴れたような手つきで、針金で鍵穴を弄ること一分ちょい。鍵自体は簡単なものだったので、割りとあっさり開錠することが出来た。カチャリと軽快な音を立てて、鍵が開く。

「開けるぞ」

「お、おう」

 上条が頷くのを確認すると、止め具を外しスーツケースを開いた。何が入っているのかと、怖さ半分期待半分でスーツケースの中身を確認した上条だったが、

「……普通だ」

「普通だな」

 何とも平坦な感想。しかし上条の気の抜けるほど、その中身は至って普通だった。数点の洋服に財布などのちょっとした小物。いかにも旅行者然とした中身である。特に怪しいものも入っておらず、危険を感じさせる物も無い。こりゃ本当に一般人かもと上条は内心一人ごちていた。なんせ刃物の一本すら入っていないのだから。

 ……表向きは。

 衛宮士郎が確認したとおり、このスーツケースには隠しスペースが存在する。本当なら二段底になっている隠された下の段の方を今すぐにでも確かめたかった衛宮士郎だが、わざわざ隠してあるだけあって何があるのか確かではない。だから上条の目の前で開ける事は一旦止めておこうと決めた。上条に隠しスペースの存在を悟られぬようにしながら、そのまま上段の中身を二人で漁る。服は色々あったが、余り派手なものは無い。上条は、衛宮士郎が服から何か思い出せないかと彼に聞いてみた。

「服のほうに見覚えはあるか?」

「特には……。いや、これは?」

「執事服? 何でまたそんなものが」

 普通の服の方に見覚えが無いのは嘘ではない。だがケースを探っていた衛宮士郎が目に止めたのは、高級そうな執事服だった。執事服なんて実物は始めてみたなと考える上条。何かのヒントになるんじゃないかと、メーカーの印などを見つけようとするがそれは無かった。衛宮士郎にしてみれば、なんだか倫敦時代にバイトで働いていたとある魔術師のお嬢様の屋敷で着ていた物にそっくりな気がする。

 ……主に金髪縦ロールのお嬢サマから、時計塔時代に礼儀作法についてかなり厳しく躾けられた記憶が甦る。あの時はあかいあくまも一緒に騒ぎ始めて大変だったなと、思わずため息をついてしまう。

「どうしたんだ、額なんて押さえて?」

「なに、これを見ているとなんだか嫌な悪寒に襲われてな……」

「なんだそれ? ……その執事服に見覚えがある訳?」

「ああ、確証は無いがおそらくこれは私の服だ」

 なんで入ってるかは知らんがなと、衛宮士郎は続ける。綺麗に仕立て上げられてはいるが、これだけなら分かった。丹念に製造元を消されてはいるものの、何せ物に頓着しない衛宮士郎にとっては珍しくかなりの思い入れのある物である。自分が彼女の屋敷で使っていたものに違いは無いだろうなと、簡単に予想がついたのだ。

「じゃあやっぱり、このスーツケースは衛宮の物なんだな」

「で、あろうな。他人のスーツケースに私の服が入っているはずもない」

「でも執事服に見覚えがあるってことは、衛宮はもしかして執事だったんじゃないか?」

 それなら料理上手いのもなんとなくわかるし、と続ける上条だったが、もう一つ大事な事を忘れていた事を思い出した。そう、上条は最初に衛宮士郎を調べた時にあるものを手に入れていたはずである。というよりその持ち物のおかげで、上条は衛宮士郎を警備員(ジャッジメント)に引き渡す事を止めたのだから。その事を思い出して、上条は意図せず大声を上げる。

「そうだよ、写真があったんだ!」

「写真?」

「そうこれ。衛宮のスーツの胸ポケットに入ってたんだ」

 勝手に見ちまってごめんな、と謝りながら自分のポケットから上条は写真を取り出した。それは衛宮士郎が様々な人に囲まれながら写っている、あの写真だ。上条は写真を見つけたあとにポケットにしまいこんで、そのままであったのだ。思い出してよかった、と上条はほっと息をつく。

 どんな写真かと受け取った衛宮士郎は、写っている光景に一瞬目を疑った。

 ……それはその写真が、衛宮士郎の持つ苛烈な記憶にあまりにも場違いな、とても穏やかなものだったからだ。もはやはるか昔のように感じさせる、倫敦時代の思い出。衛宮士郎の今までの人生において、一番充実していたと言っても過言では無い一時。それを凝縮させたものが、そこにはあった。

(これは……、一緒に写っているのは凛に桜それにルヴィアか……)

 なんとなく見覚えのある景色をバックに、他にも様々な知己が一緒に写っている。朧げな記憶は、こんな写真をとったような気がすると己に訴えかけていた。おそらく、衛宮士郎が戦場へ飛び出すより少し前に撮ったものであろう。衛宮士郎の記憶にある彼女達の姿と、写真に写っているその姿はなんら変わってはいなかった。ただ衛宮士郎自身にこの写真を常に携帯していたという記憶は、無い。

――――それともただ忘れてしまっているだけなのか。思いもがけない形で友人 達の姿を見たせいか、衛宮士郎の心の内で様々な感情がのた打ち回る。だが衛宮士郎は、それを強引に押し留めた。今この場で、感情を露にする事は出来ない。記憶喪失と言っている以上、それを突き通さねばならないし、上条に疑われるわけにはいかない。深い所まで立ち入らせないよう、あくまで衛宮士郎は平静を装う事にした。多少何かが目の奥で熱くなるような感覚がしたが、溢れ出る感情を押さえ込むことには成功する。上条にもその変化を悟られた様子は無かった。

「どうだ、今度はなんか思い出したか?」

「……………いや、……やはり何も思い出せんな」

 衛宮士郎がどうにか答える事が出来た言葉に上条は残念そうな表情で、そうか…と呟いたが衛宮士郎の内心の動揺には完全に気づかなかったらしい。その事に衛宮士郎は安堵しつつも、新たな思いが頭の中を駆け巡る。

(しかし、何故この写真が私と一緒に?)

 疑問。

 執事服といい、写真といい。衛宮士郎自身に縁のあるものがこのスーツケースの中には多すぎる。状況から察するに、おそらく両者とも衛宮士郎をこの世界へ送った人物が忍び込ませたと推測するのが妥当だろう。

 だが、誰が。何のために?今一度、混乱している記憶も含めてこの世界に来る直前の出来事をどうにか思い出さないといけないな、と内心考えていた衛宮士郎。そこへ上条があっと突然声を上げた。

「ほらここ、この写真の後ろに写ってる建物。これって時計塔(ビック・ベン)って奴じゃないか?」

「……本当だな」

 上条が写真の上を指し示した先には、左上の方に小さく、しかし大きな時計塔が写っていた。英国の中でも有数の名所。時計塔(ビック・ベン)。魔術協会の本部も時計塔だが、あちらは英国博物館の地下にあるもので、こちらは正真正銘の観光名所の方だ。

 衛宮士郎は人物の方ばかりに気をやっていたから、背景にまで気が回っていなかった。

「それならもしかしたら、衛宮の知り合いが英国の倫敦にいるかもしれないな」

「なるほど。確かにそうかもしれん」

 実際には英国どころかこの世界中どこを探したって、この世界には衛宮士郎の知り合いは一人たりとも存在しないのだが、そこは調子を合わせるように適当に頷いておく。上条は記憶の事の方が気になるらしいが、衛宮士郎は実際には記憶喪失と言うわけではない。

 上条には嘘をついているが、記憶自体はある。ただ少し、それが混乱しているだけである。

(まあ、記憶喪失と言うのもあながち嘘ではないがね……)

 当然の如くここに跳ばされる直前の事も全く思い出せないが、衛宮士郎は別にそこまで焦ってはいなかった。それよりももう一つ、別の深刻な問題がある。確かに今の衛宮士郎は戸籍も身分も何もない、法的にはどこにも存在しない人物だ。知り合いもいなければ、身元を保証するものも何も無い。いずれ今はまだにしろこれからどうするにつけても、身分という物をどうにかしないといけなくなるだろう。しかし、問題なのはそこではない。

 問題は魔術。そう魔術の存在、もしくは魔術を扱う組織の有無。

 ここが平行世界であると分かったのなら、早急に魔術方面の情報を入手する事が必要だった。実際に確認した訳ではないが衛宮士郎が普通に魔術を扱える以上、この世界にもそれを研究している組織があると言う可能性は大きい。

 その上で考えなければならないのが、その組織力と純度の規模。超能力を科学技術の一つとして扱うという、衛宮士郎から見ればふざけているとしか思えないような組織がこの世界には普通に存在している。そんなイレギュラーがある時点で、元の世界の魔術組織を参考にこの世界の魔術を計るなど、ほぼ参考にはならない。

 最悪の場合、衛宮士郎が平行世界を超える(超えさせられる)のに使われた第二魔法が既に相手側に観測されており、原因追及のためこの都市になんらかの魔術側の人員が派遣されてくる事も否定はできないのだ。

 上条に迷惑が降りかかる前に、さっさとここを立ち去るのが賢明だろう。衛宮士郎はそこまで考えると、上条の方をちらっと覗き見る。上条はいまだに、何か手がかりはないか、とスーツケースの中を漁っていた。

いい少年だ、と率直な感想を抱く。初対面の人間に、ここまで協力してくれる人はそうはいない。好印象であるし、どことなく人を引き付けるような雰囲気を持っている。

 だがそれだけに、余計に上条をトラブルに巻き込むわけにはいかないなと結論付けた。だから空港の場所でも聞いて、上条に余計な疑いを持たせないうちにここを出ることに決めた。決心したのならばさっさと行動すべきである。衛宮士郎はまだ鞄を探っている上条に、空港の場所を聞くために声を掛けた。

「空港の場所?」

「そうだ、ここにいても埒が明かないからな。とりあえずイギリスにでもいってみようかとおもってな」

 そう言いながら、衛宮士郎はスーツケースをパチンと閉じる。勿論冬木市の事も調べる予定だがここが平行世界である以上、冬木に聖杯戦争の仕組みがそのまま残っているとは考え難い。しかし英国を含むヨーロッパなら、世界の歴史がそう変わっていない限り魔術も発展しているはずだ。魔術の有無に関する情報を掴むのも可能だろう、と衛宮士郎は当たりをつけていた。英国ならば上条にも言い訳がきく。

「でも、パスポートとかどうすんだよ。それに、記憶も無いままで外国なんか言って大丈夫なのか?」

「まあ、なんとかなるだろう。これでも英語は話せる。どうにかして手がかりをつかむさ」

「……やっぱり、学園都市の病院に行った方がいいと思うけど」

「身分証もないのに? 最悪、私は不法侵入として逮捕されてしまうだろうよ」

 確かにそうだけどさー、と上条は続ける。身分証が無いことは上条も把握していた。アレだけ探しても免許証の一つも出てこなかったのだ。病院などいけるはずも無いのは上条とて百も承知であった。

「パスポート無しに外国に渡る方が無茶だと思うけど」

「なに、金さえあれば何とかなるさ」

「身分証無しじゃ、学園都市じゃ何にも出来ないぜ」

「だったら学園都市から出ればいいだけの話だ」

 そういって笑う衛宮士郎を、上条は胡散臭そうな目で見つめる。そう衛宮士郎は知らないが、ここには文字通り大きな壁が存在しているのであった。

「身分証も何もなしにどうやって壁を超えるんだよ」

「壁?」

「そう、壁」

 時代錯誤な言葉を聞いて眉を顰める衛宮士郎に、上条は説明する。学園都市は世界最高の科学技術を保有する都市であり、その情報の漏洩には非常に気を使っていること。学園都市は全体を壁で囲まれていて、管理されているような状況であるということ。その壁は高さ五メートル幅三メートルほどもあると言うこと。おまけに壁の出入り口では厳重なチェックが行われていて、とてもではないが勝手に外には出られない様なものであること。

「それではまるで独立国家ではないか……」

 衛宮士郎は呆然と呟いたが、上条としてはそれが普通なのでとくに疑問に思わない。実際に学園都市がそういった側面を持っている事は嘘ではないし、学園都市だけで通じる条例のようなものもある。そのような説明を上条から聞いて、世界の違いにおける価値観の差異かと衛宮士郎は諦めたが、それにしたって身分証があったとしても容易に学園都市の外へと出られないというのは問題だった。確かに窓から覗いてもそれと判るほどやけに監視カメラの数が多く、それこそいたるところに設置されているので監視に力を入れていることはわかっていたのだが、まさかここまでとはと衛宮士郎は呻く。

 正直な話、衛宮士郎は暗示系統の魔術が苦手だ。出来ない訳ではないが、ここの高性能な技術力を誤魔化せるほどかと言われるとそこまでの自信は無い。ただ、それだけ厳重な警備を敷いているのなら逆に魔術側も関与しにくいのではないかと当たりをつける。

 どのみち簡単には学園都市の外へ出られないなら、どの程度のセキュリティを敷いているのか調査が必要だなと衛宮士郎は考えた。魔術の方に関しては、幾らなんでもインターネットやらなんやらで調べられる事ではないのでとりあえず先延ばしにしておく事にする。

(私のことが感知されていなければよいがな)

 ……この世界の魔術に関して何一つとして情報を持っていない今の状態で、仮の事を心配してもどうしようもない事は分かっているのだ。とにかく学園都市を出ることが第一目標だなと衛宮士郎はゆっくり息を吐く。上条はというとそんな衛宮士郎の様子を見て、やっぱ身分が無くとも記憶を取り戻す方が先だよなといくつかの病院の名を軽く挙げていた。

「記憶を取り戻すんだったら、今言ったような専門の病院にいけば大丈夫だとは思うけど」

「病院や警察は少し遠慮したいな。何分、身分を保証するものを何も持ってないのでね。病院に行った途端にすぐ逮捕、というのは避けたい」

「じゃあ、どうすんだ?」

「そうだな……。では、学園都市の案内をしてくれないか」

「学園都市の案内を? 俺が?」

「いや、何か用事があったならかまわない。できれば、というだけだ」

 外に出ればなにか思い出すかもしれないからな、と言う衛宮士郎。上条もそれならと納得し、外に出かける準備をする。本当は衛宮士郎が学園都市の実状をこの目で見たいというのもあり、案内が無いよりも有る方がよいだろうと思ったのだ。どうにかして不法に脱出しなければならない現状、情報収 集は重要だ。

それに何せ全くの未知の都市でもある。特にここは学園都市という、衛宮士郎にとってはほとんど別世界のようなもの。不必要な騒ぎを起こして、警察機構に目をつけられるのも遠慮しておきたい。上条としても一度拾った以上このままほうっておくわけには行かないよなと何だかペットに対するような考えをしていた。それに身分証がないのは確かにまずいし、記憶が戻るかもしれないなら案内した方が良いに決まっている。幸い今日は日曜日なので、上条の都合も良かった。特に入っている予定も無い。

 何かの助けになればと衛宮士郎に学園都市を案内するために、二人は部屋の外へと足を向けたのだった。

 

 

 

 

「で、何だよその格好は?」

「まあ、念のための変装という奴さ」

 あまり、気にするなと言う衛宮士郎を見て、上条は呆れたような声をあげていた。

 二人は今、学生寮を出て第七学区の通りを歩いている。上条は適当に夏服を合わせて着込んでいたが、衛宮士郎は相変わらずスーツ姿だ。しかも御丁寧に、黒髪のカツラに度無しの眼鏡としっかり変装をしている。勿論、全て衛宮士郎がこっそりと投影したものだ。そんな小道具スーツケースの中に入ってたっけと上条は不思議に思ったが、付けているならあったんだろうなと自分を納得させる他無い。まさかマジシャンじゃあるまいしなと、上条は当たらずとも遠からずの感想を抱いていた。

「別にそこまでしなくていいんじゃねえか?」

「そういうわけにもいかん。私は色々と目立つからな」

 衛宮士郎の言葉に、上条はまあそうだけどと返す。ただでさえ学生だらけの町に190cm近い銀髪に黒い肌の青年など、いらない目線をひきつけかねない。身分証も持っていない(ついでに戸籍上の記録も全くない)衛宮士郎が、警備員にでも目をつけられてしまえば即逮捕だ。そういう意味でも念を入れるにこした事はない。そういった衛宮士郎の説明を聞きながら上条は通りを歩いていたが、不意に気になったことを衛宮士郎に聞くことにした。

「そういえば、これから衛宮はどうすんだ?」

「とりあえず、どうにかして学園都市を出ないとな」

「いや、そっちじゃなくて。寝泊りの方」

「うん? まあ、なんとかするさ。幸い無一文ではない。どこかホテルでも借りて……」

「でも身分証も持ってないんだろ」

「……最悪、野宿でもかまわんよ」

「いや、だからな」

 ほら、と上条が指をさした先には円柱形の警備用のロボットがいた。警備ロボットは学園都市のいたるところに配置されていて、常にあたりを見回っている。何かしらの違反をすれば、学生証の提示を求めてくるときもある。

とてもではないが、学園都市は身分証もないような人間が野宿を出来るような環境ではない。それなりに学園都市の生活に慣れた人間なら可能かもしれないが、衛宮士郎は学園都市初心者だ。まず、無理だろう。公園で寝ていても、職質(?)されるのが落ちだ。

 衛宮士郎は、警備ロボットや他にもそこらを動き回っている清掃用のロボットを見て呻く。窓からその存在を確認はしていたが、まさかそういった機能を持つものだとは思いもしなかった。

「……あんなものまであるのか」

「ああ、言っただろ。学園都市は「外」より数十年先の技術力があるって」

「……治安維持の技術が進んでいるのは喜ぶべき事ではあるな」

 今の私にとっては少しまずいがなと、衛宮士郎はぼそりと続ける。そんな衛宮士郎の横で上条は何かを考えるかのように顔を伏せていたが、不意にそうだと声を上げる。

「なんだったら四、五日の間、俺の学生寮の部屋にいてもいいぜ。このままじゃ、ホントに捕まっちまうだろ」

「は!?」

 衛宮士郎は予想外の上条の言葉に、思わず間の抜けた声を出してしまう。しばらく身を固まらせた後、いやいやいやと頭を振る。

「悪いが正気か? こんな初対面の人間で、しかもなにやってるかわからないような男を家に泊めるほど信用すると?」

「人を見る目はそれなりにあるつもりだけどな。衛宮って悪い奴に見えないし。まあ、衛宮が嫌って言うなら別だけど」

「申し出はありがたいが、大丈夫なのか?」

「何が?」

「寮なら寮監がいたり、規制が厳しかったりするのではないか?」

 私がいることで迷惑がかかるだろう、と聞く衛宮士郎に上条は大丈夫、大丈夫と笑って返す。

「いいんだよ。うちの管理人室はアレ、管理人室って名前のただの物置だから」

「……それはそれでいいのか?」

 都市内との警備の落差に呆れる衛宮士郎だったが、せっかくの申し出を断る理由もなかった。上条に迷惑を掛けたくないというのも事実だが、捕まってしまっては元も子もない。

 よくよく考えてみても、もしもこの世界の魔術側が第二魔法を観測できたとしても、その観測自体は既に終わっているはずのものである。

 誰かが確認の為に派遣されてくるとしても、それは衛宮士郎の有無には関係が無い。むしろ何も知らない上条を、一人ここにほうっておく方が危険だろう。魔術側の様子を見るという意味でも、世話になった方が良いかもしれないなと結論付ける。

 上条としてもそのまま放り出しては必ずつかまってしまうと理解しておきながらも、衛宮士郎をほうっておくのは後味が悪かったのだ。衛宮士郎自体なんか不思議な感じがする人ではあるが、少なくとも危険人物であるようには思えないし。

 ……どっちにしろ二人とも随分とお人よしである、という訳であった。

「で、どうする? 泊まるか?」

 上条が再び聞いてくる。衛宮士郎は少しの間逡巡していたが、何かを決めたような顔をすると上条の方を真っ直ぐ向く。ここまで来たからには、乗りかかった船だ。拠点があるのは衛宮士郎にもありがたかったし、何より上条の好意を無碍にする事も今更出来ない。上条の目を見つめながら、その頭を下げる。

「すまん、少しの間厄介にならせて貰う」

 言葉とともによろしく頼むと手を差し出す衛宮士郎。そんな衛宮士郎に、上条は気にすんなよとその手を握るのだった。

 ここに奇妙な縁で出会った男が二人、その共同生活が始まったのである。

 




12000字
コンスタントに10000字を越えることが出来たら、それはとってもうれしいなって。
今のうちに宣言しておきますけど、本SSにはオリキャラは全く出てきません。そういった要素を期待していた人にはごめんなさい。
自分、オリキャラとか考えるの苦手なんですよね。
ちょい役で出てきたとしても、それはナナシの通行人Aみたいな感じです。
詠唱とか能力とか考えるのも苦手だし。
そういうわけで他の所で文章力などを精進したいと思いますので、よろしく御願いします。

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