とある正義の心象風景   作:ぜるこば

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今の内にお話しておきますが、次の話に地雷要素があります。
警告タグにかかわったり、オリジナルキャラが出てくるわけではないのですが
おそらく非常に人を選ぶ展開になると思います。
一応、タグを追加しておいたので、タグを確認していただければある程度予想が付くと思います。
まあ、伏線を張っていない訳でもないのですが……
私的にはどうしても必要な展開であったのです、すいません。
長々と言い訳も申し訳ないです。
以下本文ですので、よろしくお願いします。


start line

 上条当麻は学生寮近くの路地裏にある、公衆電話の前に立っていた。

 ケータイは上条自身が朝、踏みつけて壊していたのだ。だが上条はどうして今、こんなところにいるのか?一体誰に電話を掛けようとしているのか?

 その答えは偏に、上条が抱きか かえている少女にある。

 白い肌に緑色の瞳、絹糸のような長い銀髪。歳は十四、五歳くらいで、明らかに日本人ではない。おまけに純白の修道服を着込んでいて、まるで教会のシスターの様に見える。

 禁書目録(インデックス)と名乗ったその少女は、今朝方、上条が知らない間に部屋のベランダにある手すりにぶら下がっていたのだ。上条は何やらデジャブの様な物を密かに感じながら彼女を介抱し、その話を聞いた。

 それによると彼女は魔術組織とかいうシロモノに追われているらしく、それから逃げている途中に上条の部屋のベランダに引っかかってしまったというのだ。にわかには信じられない話であったが紆余曲折あり、結果としては上条が学校へ行くと同時にそのまま別れたはずである。

 はずだったのだが……。

「おい、インデックス!! もう少しの間、我慢してろよ」

 焦った様な声でインデックスを励ます上条。だがインデックスからの返事は、ない。

 それもそのはず、インデックスの背中――ほとんど腰に近い辺り――には大きな刃物の傷があり、そこから血液がだらだらと漏れ出しているのだ。上条が学校から帰ってきた時には、インデックスは既にこの大怪我を負っていた。

 大怪我を負ったインデックスが部屋の前で倒れているのを見つけた時は上条も本当に驚いたのだが、大変なのはその後だった。なんとインデックスを追っていた魔術師と顔を鉢合わせてしまい、そいつが襲い掛かってきたのである。

 上条は何とか撃退したが、インデックスをそのまま病院に連れて行くには問題があった。当然本来ならば一刻も早く病院に駆け込まなければならないほどの大怪我であるのだが、『組織』である敵に居場所を突き止められてそこを襲撃されればそれでおしまいだ。それにインデックスは、衛宮士郎と同じく不法侵入の可能性も高い。

 先ほど上条が戦った、ステイル=マグヌスと名乗る魔術師。超能力なしに炎を操り、明らかに『異常』な空気を纏っていた。見た感じとても年下の相手とは思えないほどの猛攻を受けた上条だったが、土壇場の発想でどうにか打ち勝つ事が出来たのだ。だが、おそらく二度も同じ手が通用する相手ではないだろう。ステイルはルーン文字を印刷した大量のカードを利用して上条を追い詰めてきた。魔術師が学生寮中に貼り付けたルーンをそのインクごと火災報知機のシャワーで洗い流したのは良かったが、次は対策を施されてしまうはずだ。下手に病院で治療をしてもらっていても碌な防御手段もない故、被害も拡大しかねない。

 では一体どうするのか?それがインデックスによれば、回復する手段がまだ一つ残っているのだとか。

 実はインデックスはその禁書目録の名が指し示す通り10万3000冊もの魔道書を完全に記憶しており、彼女がこんな大ケガを負っている理由もそれを欲した魔術師の攻撃によるものだという話だ。つまり、誰かがその魔道書を利用して回復魔術を扱えばよいのだ。何なら、一番近くにいる上条が扱えばいい。こんなケガなど直ぐに治してしまう位の情報が、彼女の頭にはインプットされているのだから。

 だが、そこには大きな問題が一つあった。10万3000冊の魔術書の管理人たるインデックス曰く、魔術とは『才能ない人間』の為に作られたシステムであると。

 結論だけ言えば、上条では駄目なのだ。上条達『超能力者』は、薬や電極を使って脳の回路を無理矢理に拡張している。たとえ最弱であっても、能力者というだけで一般人とは身体の作りが違っていた。つまり、この学園都市に住む学生は、誰一人としてインデックスを救えない。助かる手段はあるのに、救えないのだ。

 …………そう、『学生』は。

 逆説的に云えば、『才能ない人間』なら誰でも魔術が扱えるということだ。インデックスも、多少の危険はあれども『一般人』ならサポートさえあれば回復魔術の行使は可能であると断言した。

 そこで上条が真っ先に頭に浮かべたのは、つい最近一緒に住み始めたばかりの同居人。学園都市の能力とは縁が遠いはずの人間である衛宮士郎だ。衛宮士郎ならば、一般人である彼ならば魔術が使えるはずだと、上条は今急いで公衆電話で彼に連絡を取っているのである。幸いにして、一昨日に一緒に携帯電話を買ったばかりである。電源さえ入っていれば、電話は繋がる。

「頼む、出てくれ……」

 もはや祈るようにして、受話器を耳に押し当てる上条。衛宮士郎が出なければ、今度こそ手詰まりになってしまう。何度か発信音が鳴り続き、駄目か? と上条が諦めかけた時、

『もしもし、当麻か?』

 繋がった。

 とにかく繋がったという事実に感謝し、慌てて上条は返事をした。

「士郎!? 良かった、繋がった……」

『一体どうしたのだ、当麻! 帰ってみれば学生寮は火事だし、君の姿も見当たらない』

 何かあったのか? と心配そうに聞いてくる衛宮士郎に上条は、どう説明しようかと頭で考えを巡らす。だがここで曖昧な事を言って不思議がられてもどうしようもないし、問答をしている暇はない。とりあえずここに来てもらうことにしようと上条は決めた。

「士郎、悪いがこっちは説明している暇もねえ。緊急事態なんだ、今すぐこっちに来てくれ!!」

『……ッ!! 判った。直ぐに向かおう』

 上条の焦る声に何か事情を察したのか、何も聞かずに返事をする衛宮士郎。上条は衛宮士郎の察しのよさに感謝しながら、とにかくここの場所を伝えたのだった。

 

 

 

 

 既に学生寮の近くまで来ていたので、上条が指定したところまで衛宮士郎は10分と掛らずに辿り着く事が出来た。公衆電話の近くに上条の姿を確認すると、走って駆け寄る。衛宮士郎には遠目からでも、上条が何か人のようなものを背負っている事が分かった。

「士郎!」

「一体何があった当麻。その背中の娘は?」

 よくよく見てみれば、どうやら上条が背負っているのは白い服を着た少女であった。ただし腰の辺りに無残な傷があり、大量に出血していて非常に危険な状態にあると推測される。血を流しすぎたのか、少女は完全に気絶していた。

「いや、さっきも言ったけど説明している暇がないんだ。今は何も聞かずに、こいつの言う事を聞いてくれ!」

「しかし、その娘は凄い大怪我ではないか! まずはその傷を治さなければ!!」

「そうだけど、こいつ見た目どおり宗教やっててさ。宗教上の理由とか何とかで治療をする前にちょっとどうしても儀式をしないといけないんだよ! 途中で魔術とかよくわかんない事を言うかもしんねえけど、あんま気にしないでこいつの言う事を聞いてやってくれよ!!」

「魔術、だと……!!」

 シスターの様子を見ながら上条の話を聞いていた衛宮士郎は、その一言に凍りつく。聞き慣れた、しかし学園都市の人間からは決して出てこないであろう言葉が上条の口から漏れたのだ。

 魔術。

 彼が今一番気に掛けていた言葉であり、同時にこの場で一番聞きたくなかった言葉でもあった。それとなく上条が背負っている少女に手を触れてよく解析してみれば、彼女の着ている修道服が一級品の概念武装であった事が分かる。何故か今はその力が失われてはいるが、相当な力を持っていた痕跡は残っていた。言い逃れの仕様が無い『魔術』の証拠に、衛宮士郎は息を呑んだ。

 そんな衛宮士郎の様子には気付かずに、上条は話を続けようとする。

「ああ、でもとにかく……」

「当麻、その娘は魔術師なのか」

「いや、本人はそう言ってるけど実際……」

「重要な事だ! 頼む、答えてくれ当麻!! もしかして君は、魔術関連の厄介ごとに出くわしてしまったのか!?」

「……? そ、そうだけど」

 魔術という言葉にそこまで食いつかれるとは思ってなかったのか、衛宮士郎の詰問口調に戸惑いながら答える上条。そんな上条を尻目に、衛宮士郎は額に手を当てて呻いていた。

(まさか……、まさか魔術とはな)

 分かりきっていた結果を今一度確認して、衛宮士郎は思わず自分の不運を呪いたくなった。衛宮士郎がこの世界で魔術を使える以上、ある程度は魔術関連の事が存在し、発展している可能性は以前から考えていたし、それを確かめる為に今まで学園都市から出ようと策していたのだ。別にその存在が確認された事自体には大して驚きは無い。

 問題は、それがここで、上条当麻の周りで起きたという事だ。

 まさかこんな形で魔術と接触するとは、衛宮士郎には思いもよらなかった。もしかしたら自分が原因なのではと衛宮士郎は勘繰ってしまう。もし自分が原因で上条が魔術に巻き込まれてしまったのなら、衛宮士郎は何としても上条を魔術の脅威から守りきらねばなるまい。どの道上条が魔術の存在を知ったなら、これ以上自分が魔術師である事を隠し通すのは不可能であろうと衛宮士郎は考えた。

 ここらが潮時かと、衛宮士郎は軽くため息をつく。

「いいか、当麻。落ち着いて聞けよ」

「だから、早くしないとインデックスが………!」

「私は魔術師だ」

「…………は?」

 衛宮士郎の口から出てきた予想外過ぎる言葉に、上条は口を開けて固まってしまった。呆然とした目で衛宮士郎を見ていて、現状を理解し切れていない気がする。それもそうであろう。魔術とは無縁だと思っていた同居人が、いきなり自分が魔術師であるなどとカミングアウトしたのだから。

「詳しい事情は、後で必ず話す。問題は私が普通の魔術が使えない特殊な魔術師であるという事だ」

 上条の返事を待たず、言葉を続ける衛宮士郎。確証はないが、おそらく衛宮士郎はこの世界の術式を扱えないだろう。勿論試してみた事はないけれども、魔術基盤が違う恐れがあるし、下手に失敗すれば何が起こるか判らない。ここでこの世界の魔術を使うのは、あまりにハイリスク過ぎた。

「し、士郎。お前、なに言って……」

「当麻、君が混乱するのは分かる。だが今は時間がないのだろう?」

 そう強く言って、衛宮士郎は血濡れのインデックスに目線を向ける。上条も釣られてインデックスに目線を向け、ごくりとつばを飲んだ。

真っ青な顔をしたインデックス。白い修道服は血で無残にも紅に染まっている。おそらく、このまま放っておいては数時間もしない内にインデックスは失血死してしまうであろう。

 そんなインデックスの様子を今一度見て、上条は何かに耐えるかのように目を閉じて拳を握り締めた。正直短時間の間に様々な事が起き過ぎて、上条は色々と整理が出来ていないのが現状だ。だが一つだけ確かな事があるとすれば、それは時間があまり残されていないという事。今ここで上条の心の内をぶちまけても、何の解決にもならないならば……。

「……わかった。言いたい事はすげー色々あるけど、今は全部飲み込んでやる! 教えてくれ、どうすりゃインデックスは助かる!!」

 上条は覚悟を決めた。

 数日の間一緒に暮らしているだけであったが、上条は衛宮士郎の人格を既に認めている。

 衛宮士郎は信頼出来る。

 信頼出来るはずだ。

 たとえ衛宮士郎が今まで自分が魔術師であることを隠していたとしても、上条の彼への印象がそれで全部ひっくり返るわけでもない。だって彼らがこれまで過ごした日々は、決して嘘ではなかったのだから。

 上条は縋る様な、だが覚悟を秘めた目で衛宮士郎を見つめた。覚悟は決めた、だから協力してくれと、その目が衛宮士郎に訴えかける。衛宮士郎はその決意を確かに認めると、よしと頷いて改めて上条に聞いた。

「インデックスとやらが言う、回復魔術には一体何が必要なのだ?」

「インデックス自身が魔道図書館らしいから、特に『才能』が必要なわけじゃないらしい。ようは『一般人』なら誰でも良いそうだ」

「つまり、超能力者たる学生は駄目という事か……」

 至極簡略的な話を上条から聞き、衛宮士郎はうむむと唸る。学園都市はその人口の八割が学生であるという非常に特殊な街だ。この場合、超能力者である学生同士の友人関係など何の役にも立たないのである。逆に言えば、残りの二割に知り合いがいれば良いわけであるが。

「生憎、私にそんな知り合いはいない。私に出来るのは……」

 これ位だなと、意識を自身の内側へ集中させる衛宮士郎。

 思い描くのは彼の半身とも言える存在。在るだけで持ち主の傷を癒し、老化を停止させるという伝説の宝具。

 騎士王の鞘。全て遠き理想郷(アヴァロン)

 長い間ともに戦場を歩んだその宝具だけは、二十数年この体に宿っていた為かほとんど負担を掛けずとも投影出来る。

 出来るはずだったのだが、

投影、開…始(トレース、オ…ン)!?」

 突然の衝撃。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)の投影を始めたとたん、強烈な鈍痛が全身を襲う。まるで内から何かが飛び出してくるかのような痛みが、衛宮士郎の全身の神経を苛んだ。

「ぐぅっ、あがっ!?」

「士郎!?」

 上条が心配そうに声を掛けるが、返事をするのも辛いほどの痛みが衛宮士郎を苦しめる。単なる身体の痛みだけではない。吐き気や頭痛、ありとあらゆる衝動が衛宮士郎の身体の内をぐちゃぐちゃに掻き回した。

(何、故だ? 他の投影や魔術を行使する時には、こんな事起こって、は、いないのに……!)

 今までこの世界に来て幾度となく投影自体は行使している。宝具だって最初の一日に破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)を投影し、真名解放までしているのだ。それなのに投影しただけでこのような衝撃が走るのは、こちらでは衛宮士郎にとっては初めての経験であった。しかも意識を手放してしまいそうになるほどの激痛は、時を経るに連れ段々と増してくる。

しかしそれでも、衛宮士郎も然る者。

 ただ己でイメージする。

 この投影の成功を。

 元よりただそれだけに特化した魔術回路、決して衛宮士郎には不可能ではないはずだ。

 強引にその強靭な精神力によって痛みをねじ伏せ、何とか投影を完遂させる。

「はぁっ…、はぁっ……」

「そ、それは?」

 いきなり衛宮士郎の手に現れた、鞘のようなものに上条は目を丸くする。ついさっきまで魔術の存在を信じてはいなかった上条にとって、何もない虚空から物が出てくるなんてオカルト以外の何物でも無い。衛宮士郎はがくんとその場に膝を突いたが、どうにか意識は保てていた。

「気休め程度に、しかならん、がな、私が使える、唯一の回復魔術、とでも言うか……」

 息も絶え絶えになりながら、鞘をインデックスに押し付ける。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)はその本来の持ち主が現界してこそ始めて、その加護による効力を発揮できる宝具だ。真名解放による効力は、あくまで衛宮士郎にしか効果を及ぼさない。今のままでは、あまり意味を成していないと言えよう。現にインデックスの顔色には、目に見えた変化はなかった。インデックスの方もぐったりとしていて、鞘や衛宮士郎に気付いた様子もない。

「だが、無いよりは、マシなはずだ」

 未だに続く激痛を抑えながら答える衛宮士郎に、上条が心配そうに見上げる。

「お、おい。大丈夫か、士郎?」

「私のことは、いい。それより、誰か心当たりのある人物は、思い、ついたか……」

 衛宮士郎はとにかくその事を気にしていたが、その言葉に上条はああと力強く頷く。

「小萌先生。教師なら、能力開発も受けていない、『一般人』のはずだ」

 あの先生、この時間でもう眠ってるなんて言わねーだろうなと、上条は笑うのだった。

 

 

 

 

 上条のクラスメイトから小萌先生の住所を聞きだして路地裏から十五分ほど歩くと、三人は小萌先生のアパートに着いた。ちなみにインデックスは、今は衛宮士郎が背負っている。

「ここか……」

「なんというか……、随分と古いな」

 二人が驚くのも無理は無い。そこは東京大空襲も乗り切りましたという感じの、超ボロい木造二階建てのアパートだった。洗濯機も外に出ていて、風呂場の概念がなさそうな年代モノ。ここだけ学園都市から昭和に、タイムスリップしてしまっているかのような印象を受ける。

 だが、今はそれについて文句を言っている暇も無い。とにかくインデックスの治療をするのが先だという事で、二人で手分けして小萌先生の部屋を探す。幸いにしてアパート自体がそう大きいものでもなく、厳重なセキュリティーが敷かれている訳でもなかったので、すぐに見つけることが出来た。

 所々が錆びている鉄製の階段を上った先。二階の一番奥の部屋に、ひらがなで『つくよみこもえ』のプレートが掲げられている。ちなみに小萌先生の部屋が見つかった時点で全て遠き理想郷(アヴァロン)は消してあるが、衛宮士郎は未だに激しい痛みに襲われていた。しかも、それとは別に先程から何か内側から張り裂けそうな痛みも全身を襲っている。だが上条に心配を掛けない様に、衛宮士郎はどうにか気丈に振舞っていた。ただこのまま小萌先生の部屋に入ると、以前変装した状態で彼女とは顔を合わせている為に色々と面倒な事になりそうであるので、衛宮士郎は変装を既に全て解いている。

「どうする?」

「当麻、君がまずチャイムを鳴らせ。後は、強引に押し切ろう」

 あの教師ならば子供を邪険に扱かったりはしないだろうと、先日会った小萌先生を思い出しながら衛宮士郎が提案した。上条はそれに頷くと、チャイムを二回ほど鳴らす。……が、全く反応が無いので仕方なく思いっきりドアを蹴破る事にした。

 ドゴン!と上条の足がドア板に激突し、凄まじい音を立てる。だがドアはびくともしない。御近所さんが騒音に文句を言いにくることもなく、代わりに上条の足の親指からグキリと妙な音が響いた気がした。上条は足を抑えて飛び上がり、床をごろごろと転がりまわっている。

「~~~~ッ!!」

「……何をやっているのだ、当麻」

 衛宮士郎が呆れたようにため息をついたその時、

「はいはいはーい、対新聞屋さん用にドアだけ頑丈なんですー。今開けますよー?」

 のんきな声と共にがちゃりとドアが開き、緑色のパジャマを着た小萌先生が顔を出した。若干タバコ臭いのが、何やら嫌な予感を思い起こさせる。

「うわ、上条ちゃん? と、えと……」

 だ、誰ですかー?と疑問詞を頭に浮かべている小萌先生を前に、上条はなんとか足の痛みから回復して正面に立つ。

「ちょっと色々困ってるんで、入らせてもらいますよ先生」

「ちょ、ちょちょちょちょっとーっ!」

 部屋に強引に入ろうとする上条の侵入を防ぐかのように、慌てて立ちふさがる小萌先生。

「せ、先生困ります、いきなり部屋に上がられるというのは。いえそのっ!」

「申し訳ないが、押し問答をしている暇も無いのだ」

「や、だめですーっ!!」

 小萌先生の言う事を皆まで聞かず、上条と先生の二人を同時に押し出す形で衛宮士郎は部屋に入り込んだ。

 正直な所不法侵入なのだが、細かい事を気にしている場合ではない。あわあわとうろたえている小萌先生を無視し、勝手に押し入ったのだが、

「チッ……」

「……うわぁ」

 衛宮士郎は舌打ちをし、上条は呆れた様な幻滅した様な声を上げる。それもそのはず、ボロボロの畳にはいくつものビールの缶が転がっており、銀色の灰皿にはタバコが山盛りにされていた。これで競馬新聞でも転がっていれば完全におっさんの部屋である。とてもではないが、お世辞にも整理整頓された衛生的な環境とは言い難かった。

「あ、あの~」

「当麻、説明は任せた」

「お、俺かよ!?」

 上条が驚いた様に声を上げるが、当然だろうと衛宮士郎が言葉を返す。衛宮士郎は小萌先生と知り合いと言うわけではないし(以前会ったときは変装をしていた)、上条が適切だろうと考えたからだ。小萌先生の方は二人に恐る恐る声を掛けようとして、衛宮士郎の背中に背負われている血だらけのインデックスにようやく気がついたのか青い顔をしていた。

 上条が小萌先生を相手に色々と事情を説明している間に、衛宮士郎は軽く辺りの掃除をする。空き缶をまとめて捨てて、煙草の灰皿も片付けた。そうして部屋を綺麗にするとインデックスの傷が床に触れない様に、注意してうつ伏せに寝かせる。流れ出た血が固まって服まで体に張り付いてしまっては色々と邪魔になるので、衛宮士郎はインデックスの背中の部分の服を取り除いた。

「…………、」

 血塗れた傷を見て、衛宮士郎はその顔を歪める。背中の傷は想像以上にひどかった。腰に走っている深い切れ込みには、ピンクの筋肉や黄色い脂肪、果ては白い背骨のようなものさえ見えている。傷口の周りも、真っ青な唇の如く青色に変色していた。どうしたものかと衛宮士郎が考え込んでいると、突然インデックスがその目を見開く。

「――――出血に伴い、血液中にある生命力(マナ)が流出しつつあります」

 まるで機械が喋っているかの様な、トーンの変わらぬ不気味な声。二人で話していた上条と小萌先生も、ギョッとした顔でインデックスの方を向く。衛宮士郎もそんなインデックスをじっと見つめて観察していた。

 インデックスは大怪我を負っている人間とは思えない、完全に『冷静』な瞳で口を動かす。

「――警告、第二章第六節。出血による生命量の流出が一定量を超えたため、強制的に『自動書記(ヨハネのペン)』で覚醒めます。……現状を維持すれば、ロンドンの時計塔が示す国際標準時間に換算して、およそ十五分後に私の体は必要最低限の生命力を失い、絶命します。これから私の行う指示に従って、適切な処置を施していただければ幸いです」

「…………君の治療に必要な人員は何人だ」

「超能力者でない『一般人』一人で充分です。他の方々は退出して貰って構いません」

「わかった」

 衛宮士郎との短い会話を終え、それきり目を開いたまま黙ってしまうインデックス。そのなんともいえぬ迫力に気圧されたのか、上条と小萌先生は固まっている。そんな二人に喝を入れるが如く、衛宮士郎が声を上げた。ここで重要なのはこの二人だ。一刻も早く治療が必要であるのに、固まっていては元も子もない。

「当麻、しっかりしろ。彼女が言うには、まだ間に合うらしい」

「あ、ああ」

「私はいったん外に出ている。治療が終わるか、必要な事があったら呼んでくれ」

 そう言って衛宮士郎はドアを開け、アパートの通路に出る。一般人に出来る回復魔術という事は、衛宮士郎の助力はとりあえずは必要ないという事でもあるのだ。

 それにそれよりも重要な懸念が、衛宮士郎にはまだあった。上条から詳しい事情を聞いたわけではないが、インデックスが斬られていて病院に行くでもなくあんな裏路地にいたという事は、少なくとも敵がまだ存在するはずなのだ。一応、追跡されているかいないかは小萌先生のアパートに来るまでに確認をしていたが、念には念を入れてインデックスの治療が終わるまで衛宮士郎は辺りを見張る事にしていた。

「ぐっ……」

 上条の手前何とか倒れることは我慢していたが、衛宮士郎を苛む痛みは段々と酷くなってきている。倒れそうになる体を壁で支え、強化を施した目で隅々まで見渡した。

(今のところ、特に異常はなしか)

 追跡の気配もなく、見張られている感じもない。そのまましばらく見張っていると、アパートの扉が開いて上条が出てきた。

「どうなった?」

「ああ、なんとかなるだろ。小萌先生には、インデックスは何かの宗教に入ってるって言っておいた」

「妥当だな」

 まさか魔術の事を説明するわけにもいくまいと、衛宮士郎は頷く。上条はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「説明してくれんだろ」

何をとは言うまでもない。衛宮士郎が魔術を知っている理由、それを今まで隠していた理由。聞きたいことは山ほどある。それら全てに答えてくれと、上条は口を開いた。

「士郎。記憶喪失って言うのは嘘だったのか?」

「……嘘では、ない。私は確かに記憶喪失だ」

 自分が魔術師であるという事以外はほとんど何も覚えてないよと、衛宮士郎は静かに上条に真実を語り始めようとした。

「君の部屋で目覚めた時、私は本当に…………っ!!」

「士郎!?」

 しかし衛宮士郎が話し始めたその時、突然その体が前のめりに崩れ落ちる。ガツンと頭を揺さぶられる様な衝撃が、突如として衛宮士郎を襲ったのだ。まるで穴の中を落ちているが如く、急激に意識が薄れていく感覚。先ほどからずっと続いている痛みが、ここにきて一瞬でも気が緩んでしまったのか一気に増していった。もはやどうしようもなく崩れ落ちる衛宮士郎を、上条はどうにか支えようとするが重過ぎて支えきれない。二人の体格が違い過ぎるのだ。

(原因は、なんだ? 全て遠き理想郷(アヴァロン)の、投影か……?)

 それしか考えられないのが現状であるが、どうにも今の状態では考えを纏める事も難しかった。上条が何事かを叫んでいる事は判ったが、朦朧とした意識ではその言葉を捉える事が出来ない。

 結局上条に真実を話す事なく、衛宮士郎はその意識を手放してしまった。

 




10000ちょい
前書きにも書いたとおり、次の話は御注意ください。

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