トム・リドルの日記帳TS概念 作:死喰い人喰い人
私が住む世界は虚構の舞台である。この事実に気づいたのは、私が七才の誕生日を迎えた日のことだ。
その夜までの私は曖昧な世界に生きていて、およそ自我と呼べる物心がついていなかった。父の思い出話によると、魔法力の兆しもなかったという。
当然かもしれない。我々の持つ魔法の力は、我々自身の確固たる意志によって操られるのだから。
哲学的ゾンビじみた私は七歳の誕生日祝いも嬉しそうにしていた。あるいは今の私が実感できていないだけで本当に嬉しかったのだろうか。二階の自室へ柄にもなく階段を1段飛ばしで飛んでいき、そこで足を滑らせて転落し、頭を打った。
ゴツン。
そんな生易しい音で済んだかはさておき、結果は生易しくなかった。
頭は血まみれ、意識はなし、呼吸は不自然。父は半狂乱で癒者を呼んだらしく、何針も縫った上で何日も危険な状態だったという。
私はその間、
この世界と現実の狭間、あるいはこの世とあの世を結ぶ通路、はたまた宇宙と自分を切り分ける境界線。
真っ白くも真っ黒く、同時に虹のように煌めいている場所だ。そこには全てがあり、何もなかった。
私はそこで、前世の私を見た。知ったと言ってもいいし、感じたとも思い出したとも云える。
重要なことはただ一つ。私が生きる世界は、前世の私が好んだ小説に酷似していた点だ。
◇
ぱら、ぱら。ぱら、ぱら。
本を捲る。新聞を開く。辞書を引く。
私が住む屋敷には旧家なだけあり、それなりに立派な書庫がある。私はこの埃と黴と叡智が詰まった空間が好きだ。
父の仕事関係だろう、表にある(つまり、私が触ってもいいと判断された)文献にはいくつか頻出の名前がある。
どれも前世の私がよく知る人物たち。前世の私が愛した物語における、中心人物だ。
この英国魔法界に混乱と殺戮をもたらした“例のあの人”。
今世紀で最も偉大な魔法使い、アルバス・ダンブルドア。
そして“例のあの人”の敵たる主人公、ハリー・ポッター。
“例のあの人”は赤子の頃のハリー・ポッターを狙ったが、彼の母でありリリーの犠牲により肉体を失った。きっと今もアルバニアの森にて、潜伏しているだろう。
そしていずれ、
アルバス・ダンブルドアは“例のあの人”に対抗した組織を立ち上げた。彼が消滅してからはハリー・ポッターを導かんとしているはずだ。
そしていずれ、
ハリー・ポッターはまだ待ち受ける運命を知らない。彼は両親を失い、理解なきダーズリー家にて暗黒の日々を送っている。
それでもやがて、
勝利してもらわなければ、困る。
ぱら、ぱら。ぱら、ぱら。
静かな密室に、紙の音だけが響く。
あの夜から四年が経ち、私は十一歳になった。私の趣味は何よりも読書である。前世の性分は死んで生まれ変わっても拭えないらしい。
ギルデロイ・ロックハートの、胡散臭くて誇張と虚飾と娯楽性にまみれた冒険譚。
バチルダ・バグショットの、資料性に拘るあまり構成の調整を投げ捨てた魔法史。
ニュート・スキャマンダーの、実直な好奇心が反映されている魔法動物の研究書。
どれも素晴らしい時間を私に与えてくれた。当然だろう、ここは前世の私が愛した世界なのだから。そして恐らく今の私も、この世界を愛している。
この書庫は、私の城だ。
数百年に渡り溜め込まれたガラクタじみた文献、それに父や私が仕入れた雑多な書籍群。叡智を力と見做すならば、私の血族が継いできた力の心臓部分と言ってもいい。
いくらか父により闇が間引きされているにせよ、それでもこれまでの四年間を経て、私はこの場所の主となっていた。
この屋敷を受け継ぐ家督が実質的に私のものなのだから、ある種自明の理かもしれない。
しかし、この場所には一つだけ
書棚の奥の方にある、古びた日記帳だ。それは私の心を惹きつけ、ざわめかせる。詩的なレトリックではなく、単なる事実だ。
あの日記帳には魔法的な機能として、そういった力があった。その事実を私は知っている。
前世の記憶による、虚構としての知識。あの日記帳は物語において、重要な役割を果たすアイテムである。危険で魅力的な、
だが私の知る限り、ここにあるはずはない。
かの日記帳は私の知る物語において、現在ノット家ではなくマルフォイ家に潜んでいるはずだ。
ルシウス・マルフォイは父と同じく死喰い人の一員だった男で、罪の追求を逃れた点も似ている。だから何かの間違いでこちらに渡ってしまったのは、不思議ではないと考えるべきだろうか。
「…………やはり、話すべきか」
私は四年間悩んでいた。
はっきり言えば、この日記帳は“例のあの人”を不死たらしめる安全装置だ。正確に言えばその一つに過ぎないのだが、非常に重要であるのは間違いない。これの行く末が未来における“例のあの人”との戦いを左右するのは、間違いない事実だろうと思えた。
だから、まずは手に取る必要がある。
それが悩んだ末に私の出した、結論だった。
「…………」
私は恐る恐る、かの日記帳に手を伸ばした。すとんと何の抵抗もなく書架から抜け、それは私の指に収まる。
それだけの事実が何より恐ろしく、同時に心を弾ませた。
深呼吸して、
『1991年6月20日。晴れ』
羽根ペンの筆先を走らせると、その文章は染み入るように消え失せ、
『へえ、今日は晴れなのか』
『誰だ、君は』
『おっと、驚かせてしまったかな。僕はただの日記帳さ』
『日記帳?』
とぼけるように問いかけたが、私はこの日記帳の機能をおおよそ知っている。
これは若き日の“例のあの人”そのものだ。殺人により魂が引き裂かれる現象を利用し、魂を自ら切り分けたバックアップ。
『名前が必要なら、トムと呼んでくれ。姓も必要なら、トム・リドルと』
『なるほど、君はホグワーツ城の動く絵画のようなものか』
『……おおよそはね』
トム・リドル。これが“例のあの人”の本名である情報はあまり知られていないが、厳然たる事実だった。
この頃の彼は恐ろしく狡猾で、悪徳を隠しながら魅力的な人物として動くことができる。
『君からすると僕は怪しいアイテムに見えるかもしれないけれど、僕は持ち主の助けになるよう創られた存在で、ただの日記帳だ。何か悩みや相談事があれば、頼ってくれて構わない』
『それにはまず、現在における魔法界の状況から語る必要がある。君はどこまで知っている?』
『実を言うと、何も。ここしばらくは誰とも話していないからね』
『なら、教えよう』
私は、若き闇の帝王へ語った。彼の未来を。彼の最期を。
いかに“例のあの人”が魔法界を脅かし、“生き残った男の子”との夜に行きついたか。
その物語を、トム・リドルは辛抱強く聞いていた。
恐らく失望しただろう。未来の自分、分かたれし半身に。
私は“例のあの人”への批難を白々しく交えたから、きっと私にも怒りを覚えたに違いなかった。だが、彼はその感情をおくびにも出さず、フラットな視点を保ち続ける。
『────ありがとう、大体理解できた。僕が主を失っている間、ずいぶん色んなことが起こっていたみたいだ』
彼に主など、いない。
『まぁ、私の悩みは単純だ。友人がいない』
『友か。僕も多くはなかったな』
彼に友など、いなかったに違いない。
『君にも人間だった時代が?』
『正確には、僕のベースとなった人物だ』
彼が人間だった瞬間は、間違いなくあった。
そもそも発端から言えば、トム・リドルは哀れな人物だ。
不幸な家庭に生まれ、名も顔も忌まわしき過去の表徴にすぎなかった。彼のアイディンティティは魔法の才にしか求める術がなく、やがて純血主義を体現するスリザリンの継承者としての妄念に囚われていく。
その道程はやがて多くの人間を不幸に引き込み、最後には自らも破滅へと突き進んでしまった。
どこかで引き返せなかったか。何かの契機により立ち止まれなかったか。
私は、前世からそう夢想していた。
『……トム。私が思うに、君には魂があるはずだ』
『その可能性はある。僕には元となった人間がいるし、かけられた魔法はホグワーツ城の絵画より優れていると自負しているからね』
『もし私が、君を人間として生まれ変わらせると云ったらどうする?』
『…………君に、そんなことができるのか? 君はまだ十一歳の、ホグワーツにも入学していない子供だろう』
『できるとも。
この日記帳を発見したのは四年前、この世界の真実に気付いてすぐの頃だ。
正体に思い至ったのは、数日後。トム・リドルへの感情を思い出したのも、その時だ。
前世の私はトム・リドルを憐れんでいた。
哀れで救いようもない存在で、だからこそ何とかして救われてほしかった。
今世の私はトム・リドルを憐れんでいる。
哀れで救いようもない存在だとしても、今では彼に手が届く可能性があった。
ハリー・ポッターに消し飛ばされ霊魂と化した本体はもはや、悪行を重ねすぎた。何百と人を殺し、蛇のような姿へと変わってしまった。魔法的にも人格的にも、不可逆に破壊されている。
だが、この日記帳は別だ。事故に限りなく近い状況での殺人、それ以外は手を穢していない。中に潜むのは、そんな少年。
マグル生まれを何人も襲っていたとしても、当時の彼は殺す気がなかったのだろう。バジリスクの殺人能力はあまりに高く、制御する気がなければ何十人と死んでいたに違いない。
つまり、救いようがある。私は、そう願っている。
今の私は、前世の私より行動的だ。
彼の姿を、人の身へ返す方法を探した。
彼の心を、人の道へ戻す方法を考えた。
そうして思い悩んだ末、私は一つの答えへ行き着いた。
『────“破れぬ誓い”を知ってるか?』
『破ったら死ぬ誓約を、2人の間で立てる魔法契約だろう』
『そうだ。それを君と私で使う。それから、君が私の魂を吸い取って復活すればいい。それだけだ』
原作における日記帳は、彼を拾って交流したジニー・ウィーズリーの魂を養分として実体化しようとしていた。
同じことが、私の魂でもできるはずだ。
『僕に魂を吸い取る機能なんてないさ』
『機能が無くとも、できるはずだ。極東では言葉に魂が宿ると云うし、単なる魔法力の移譲と見てもいい』
『……“破れぬ誓い”は、どう関係するんだ?』
この点に関する意見が、私のやり方の問題だ。
私は少し躊躇って、それから意を決してペンを走らせた。
『君には私と友人であり続ける、と誓ってもらう』
『何故だ?』
『私が、友人を欲しいからだ』
◇
「……ここは」
目を覚ますと、私はベッドに横たわっていた。見渡せば慣れた部屋、つまり自室だ。
窓の外はかなり暗くなっている。どうも日記帳とのやり取りからかなり時間が経っているようだった。記憶がどうも曖昧だが、彼は私の提案を呑み、私の“破れぬ誓い”を受け入れ────
そこからの記憶が、ない。
「失敗したか」
トム・リドルは魔法にかけては稀代の天才だ。
彼と魔法の分野を交えて交渉するのは、やはり無謀だったのかもしれない。恐らく“破れぬ誓い”の何らかの脆弱性を突かれ、魂のみを餌とされたのだろう。
こうなれば、ダンブルドアに彼の暗躍を警告しなければいけない。
私は起き上がろうとして、為す術もなく崩れ落ちた。身体に力が入らない。
当然か。ジニー・ウィーズリーも回復にはしばらくの時間を必要とした。私もまた、しばらくの休養が必要ということだろう。
────きぃぃ。
その時、部屋の扉がゆっくりと開いた。
思わず視線を送ると、そこには見知らぬ少女がいる。黒いボブカットが特徴的な美形だが、怒り心頭といった雰囲気と表情に呑まれている。
「謀ったな……!」
彼女はローブを翻し、ずんずんとこちらへ距離を詰めてくる。
赤い瞳が光り、邪悪としか言いようのない気配が迸った。
「この僕をよくも……よくもッ!!」
「ちょっと待ってくれ」
私は思わず手を向け、ちょっと待ってくれと全身で訴える。
「君は誰だ?」
「なに……?」
「本気で分からない。どうして私の家にいる?」
少女の姿に見覚えは無い。全くと言っていいほど、無いのだ。私は途方に暮れるように、問いを絞り出した。
すると彼女は少しだけ黙り込み、それから何か合点がいったようにため息を吐いた。
「……ああ、そういうことか。つまり……事故だったと。君の
「誘い……?」
「君は賢く見えるが、どうも外見に囚われすぎているきらいがあるね」
少女は咳払いをしてから、苦々しげに語った。
「僕はトム・マールヴォロ・リドル。かつての古びた日記帳にして、いまや君の友人でもあるわけだ」
「そして最悪なことに、君のせいで」
「こんな姿になってしまった────」
かちり。私の中で、全ての辻褄が合う音。
「責任取ってくれよ、セオドール・ノット」
ハーメルンといえばTSですよね