ステージの照明が落ち、最後の音が、熱狂の残響と共にフロアに吸い込まれていく。
ことねたち四人は、まだステージの上にいた。
鳴りやまぬ拍手と、アンコールの声。
涙で滲む視界の中、仲間たちと肩を抱き合い、ただ、この奇跡のような瞬間を、全身で味わっていた。
やがて、イベントのMCが、興奮した様子でステージに駆け込んできた。
「すごい熱気だ!みんな、最高の夜になったかい!?」
ウォーーー!と、フロアが地鳴りのような歓声で応える。
「今夜の二組、完璧な演奏で我々を異次元に連れて行ってくれた『Cyanotype』!そして、荒削りな魂で、このフロアに火をつけてくれた、まだ名前なき最高のバンド!どちらが良かったかなんて、野暮なことは聞かないぜ!」
MCは、両腕を広げて叫んだ。
「今夜の勝者は、どっちじゃない!この場所にいた、俺たち全員だ!最高の音楽に、もう一度、最大の拍手を!」
その言葉に、フロアはこの日一番の肯定と祝福に満ちた、温かい拍手と歓声に包まれた。
そうだ、勝ち負けじゃない。
今夜、ここには、二つの全く違う、しかし、どちらも本物の音楽があった。それだけで、十分だった。
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一方、その頃。
楽屋に戻った四人は、まだ、夢の中にいるかのようだった。
扉を閉めた瞬間、外の喧騒が嘘のように遠のき、静寂が訪れる。
四人は、互いの顔を見つめ合ったまま、誰一人口を開けない。
ただ、互いの荒い呼吸と、早鐘のように打ち鳴らされる心臓の音だけが、楽屋に響いていた。
最初に、その沈黙を破ったのは、美咲だった。
「…………やりきった」
ぽつり、と呟かれたその一言。
それを合図に、張り詰めていた糸が、ぷつん、と切れた。
「うわあああああああああん!」
美咲が、子供のように、その場にへたり込んで、泣きじゃくり始めた。
「よかったよぉ!あたしたちのライブ、よかったんだよぉ!信じらんない!」
その、あまりに素直な感情の爆発に、拓也が、ふっと笑みを漏らした。
「……ああ。やりきったな」
その瞬間、静が、おもむろに拓也の胸を、ドン、と軽く叩いた。
「……拓也さんのギターソロ、最高だった」
「え?お、おう…」
「美咲のドラムも」と、今度は泣きじゃくる美咲の頭を、ぽん、と撫でる。
「あのバラードのビート、すごく、良かった」
そして、最後に、ことねに向き直る。
「……ことねさん。あなたの歌が、私たちを、ここまで連れてきてくれた」
その、いつもはクールな静の瞳が、熱く、潤んでいるのを、ことねは見た。
「ち、違います!みんながいたから…!拓也さんのギターが、美咲さんのドラムが、静さんのベースが、あたしに、歌わせてくれたんです!」
ことねの目からも、また、涙が溢れてくる。
四人は、涙でぐしゃぐしゃの顔で、互いを見つめ合い、そして、誰からともなく、笑い出した。
「あはははは!」
「なんだよ、これ!」
「みんな、顔、ひどいよ!」
その、温かくて、最高に幸せな空間を、扉の開く音が、破った。
「てめえら、いつまで浸ってんだ。さっさと着替えやがれ」
ミコが、腕を組み、呆れたような顔で立っていた。
その手には、人数分の瓶コーラと、一本のビール缶が握られていた。
「……おら」
彼女は、それを、四人の前に、無造作に置いた。
「未成年はコーラだ。酒は成人してから飲め」
飲み物を置いたあと、ミコはCyanotypeの物販で買ったらしい、青いリストバンドをテーブルの上に、ことりと置いた。
「……あいつらも悪くなかった。気に食わねえが、たいしたもんだったぜ」
ミコもまた、二つのバンドの価値を、認めていたのだ。
その、不器用な優しさに、四人は、また、顔を見合わせて、笑った。
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【青の静寂、そのあとに】
一方、その頃。
「Cyanotype」の楽屋は、ことねたちのそれとは対照的に、水底のような、静寂に包まれていた。
三人は、淡々と、寸分の狂いもない動きで、機材を片付けている。その表情からは、満足も悔しさも、一切読み取れない。
最初に、その静寂を破ったのは、ベーシストの鳴海だった。
彼女は、自分のタブレットに表示された、ライブの音響分析データを見ながら、淡々と事実だけを報告した。
「……観客の心拍数、体温の上昇率。いずれも、私達のパフォーマンス時よりも、あのバンドが、37.8%上回っていました」
「……非効率な、エネルギーの伝播」
ドラマーの一条が、静かにつぶやく。彼の思考は、常に、最も効率的な解を求める。
「俺達の演奏は、99.8%の精度で、設計図を再現した。だが彼らの、エラーだらけの演奏の方が、より多くの生体反応を引き出した。この矛盾」
リーダーの深月は、何も言わず、自分の指先を、じっと見つめていた。
彼の脳裏には、ことねの、あの、泣きながら笑う、矛盾した、しかし、どうしようもなく人間的な表情が、焼き付いて離れなかった。
(……非効率な、パラメータ、か)
凛は、かつて自分がことねたちに言った言葉を、反芻する。
あの時、自分は、確かにそう断じた。感情など、音楽という数式における、ただのバグ(エラー)に過ぎないと。
(僕たちの『解』は、完璧だった。寸分の狂いもない、美しいだけの世界)
(だが、彼女たちのエラーだらけの『問い』は、それ以上に、人の心を、惹きつけたのかもしれない)
彼は、負けたとは思っていない。音楽の価値は、そんな単純なものではない。
だが、自分たちの完璧な数式では、決して、導き出すことのできない、未知の現象を、目の当たりにしてしまった。
深月の、冷たい硝子の心臓に、初めて、小さな、無視できないほどの、ヒビが入った瞬間だった。
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【一番星の野望の炎】
ライブハウスを後にする、十王星南と、彼女のプロデューサー。
「……さて、今日のライブどうでしたか?」
プロデューサーの問いかけに、星南は、夜空を見上げ、うっとりとした表情で、しかし、確信を込めて言った。
「『良い』の定義によるわね。完成度という指標なら、文句なくCyanotype。彼らの音楽は、現代音楽における、一つの到達点よ。でも…」
彼女は、目を閉じた。脳裏に、あの、赤い光景が蘇る。
「人の心を動かす、というパラメータにおいて、ことねは、計測不能なほどの輝きを見せた。あの荒削りな衝動、不完全さ故の切実さ…。あれこそ人が、アイドルに、音楽に、夢を見る根源的な理由なのよ」
「私が欲しいのは、その両方を手に入れることができる、唯一の存在」
星南は目を開けた。その瞳は、夜空のどの星よりも、強く、輝いていた。
「今日のステージを見て、その確信はさらに強くなったわ。ことねの持つ『赤の衝動』を、『青の理論』で磨き上げ、究極のアイドルをこの手で生み出す。そのために、私は、なんだってする」
彼女の野望の炎は、より一層、強く、大きく、燃え上がっていた。
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そして、現在。
楽屋の片付けも、そろそろ終わろうとしていた。
「……なあ」
拓也がおもむろに切り出した。
「俺たちのバンド名そろそろ決めないか?」
その言葉に、全員の動きがぴたりと止まる。
以前はまとまらなかったこの議題。
「……うん。あたしも、そう思ってました」
ことねが、微笑む。
あの、30分間の物語を経て、自分たちが何者なのか、その答えは、もう、見つかっている。
「あたしたち、完璧じゃないし、これからも、きっと、たくさん、間違えると思う」
ことねは、仲間たちの顔を、一人ひとり、見渡した。
「でも、それで、いいんですよね?」
その問いかけに、三人は、最高の笑顔で、頷き返した。
「ああ。間違えても、転んでも、また、立ち上がればいい」
「そうそう!その方が、絶対、ロックだって!」
「……それが、私たちの、やり方」
そうだ。
あたしたちは、これでいいんだ。
「じゃあさ、もう一回、考えようよ!私たちの名前!」
美咲が、スティックで、テーブルを陽気に叩いた。
「この前は、全然まとまらなかったけど、今なら、いける気がする!」
「そうだな」と拓也も頷く。「あのライブを経て、俺たちの色が見えてきたからな」
「色…」
ことねは、その言葉を、ゆっくりと反芻した。
「色、か…。Cyanotypeさんは、完全に『青』でしたよね。冷たくて、綺麗で、完璧な青」
「うんうん!」と美咲は頷く。
「じゃあ、私たちは、間違いなく『赤』だね!情熱と、衝動の赤!」
「でも」と、静が口を挟む。
「それだけじゃない。私たちの音楽には、『ツバサ』の、オレンジ色の夕焼けみたいな温かさも、『秒針を噛む』の、深い藍色みたいな切なさもある」
その言葉に、全員が、はっとする。
「そっか…。赤だけじゃない。青だけでもない。オレンジも、藍色も…」
拓也が続ける。
「俺のロックな音。美咲のポップな音。静のアーティスティックな音。そして、ことねの、全部を巻き込む、光みたいな歌。全部違う色だ」
そうだ。
あたしたちは、一つの色じゃない。
ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃで、いろんな色が混じり合ってる。
その時、ことねの脳裏に、一つの言葉が、閃光のように、舞い降りた。
「……ナナイロ」
「え?」
「七色…。虹の色。赤も、オレンジも、青も、藍色も、全部、入ってる」
ことねは、仲間たちの顔を見渡し、興奮で声を弾ませた。
「それに!『名前がない』っていう意味で、『名無し色』っていうのも、どうかなって…!」
その、あまりに完璧なダブルミーニング。
スタジオは、一瞬の静寂に包まれ、そして、次の瞬間歓声で爆発した。
「それだーーーーっ!!」
美咲が、テーブルから飛び上がらんばかりに叫んだ。
「ナナワタ(名前のない私たち)より、全然かっこいい!それに、可愛い!最高じゃん、ことねちゃん!」
「……ナナイロ」
拓也が、その響きを確かめるように、噛み締める。
「いいな。俺たちのごちゃ混ぜな感じが、すごく出てる」
静も、その目を、珍しくキラキラと輝かせていた。
「……虹の色。そして、まだ何色にも染まっていない、名前のない色。私たちの、無限の可能性。……完璧な、名前」
そうだ。これしかない。
これこそが、あたしたちの名前だ。
ことねは、深呼吸を一つすると、高らかに、宣言した。
「バンド名、決まりました!」
「あたしたちのバンド名は――」
「「「「ナナイロ!!!!」」」」
四つの声が、奇跡のように、一つに重なった。
物語は、まだ、始まったばかり。
祭りのあとの静けさの中で、確かに、次なる物語の、始まりの音が、高らかに、響き渡っていた。