ロストメモリーズ ~ 幻想郷に舞う剣の影 ~   作:姉川京

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すみません、矛盾が見つかりまして……修正しました。

第1話「イナバ」

年齢は十五~十七といったところだろうか?

十二〜十四→十五〜十七






第13話「3年後に向けて・その2」

ーー人里・鋼塚家

 

 人間の里のとある一軒家、鋼塚家では重苦しい空気が、常に底冷えする霧のように立ち込めていた。朝の光がわずかに差し込む廊下で、火千代の兄らしき男がけだるげに頭を掻きながら、居間にいる父親に不平をぶつけた。その声には火千代の存在に対する、隠しきれない苛立ちが滲んでいる。

 

「なぁ親父、あいついつまでウチにいるんだよ?」

 

居間から聞こえる父親の声は、研ぎ澄まされた刃のように冷たく、感情の欠片もなかった。

 

「……さぁな」

 

「俺、前もあいつのせいで火傷したんだけど」

 

兄は不満げに、自分の手の甲を突き出した。そこには変色した古い火傷の痕が、痛々しく残っている。その光景に台所から顔を覗かせた母親は、苦虫を噛み潰したかのような顔を歪ませた。視線は部屋の隅で小さくなっている火千代に向けられている。親としては決して口にしてはならない言葉が、彼女の唇からこぼれ落ちた。

 

「本当に私の子どもなのかしら……」

 

その会話のやり取りは、まるで鋭利な破片のように火千代の心に次々と突き刺さった。耳を塞ぎたくても、その言葉は彼女の内側まで届いて深く抉る。朝の静けさを破るように冷たい言葉が飛び交う。

 

(やめて……)

 

「本当は妖怪の子なんじゃないか?」

 

「鈴奈庵や稗田さんのところにも能力持ちはいるけど、大人しい能力だよな」

 

「拾われ子だろう、そうであってほしいね」

 

家族の視線がまるで呪縛のように火千代を縛り付ける。その目に宿る嫌悪と嘲りが、彼女の全身を硬直させた。

 

(そんな目で見ないで……)

 

「いつ私たちに危害を加えるか」

 

「家燃やされる前に追い出そうぜ」

 

(あたしはそんなことしない!)

 

火千代は、もう限界だった。心の奥底から湧き上がる叫びは、しかし喉元で詰まって声にならない。彼女は弾かれるように立ち上がり、そのまま家を飛び出した。背後で、家族の冷たい視線が突き刺さるのを感じた。

 

 

◇◇◇◇

 

 

ーー人里・鈴奈庵

 

 

 家を飛び出した火千代は、慣れた足取りで鈴奈庵へ向かっていた。ここ数ヶ月、家の重苦しい空気に耐えられなくなった時、この貸本屋は彼女にとって唯一の逃げ場所だった。この店の看板娘、本居小鈴とは既に親しい友人関係を築いており、彼女の飾らない優しい笑顔は、火千代の凍えた心をそっと温めてくれる。

 

「小鈴ちゃん」

 

火千代の声に気づいた小鈴は、ぱっと顔を上げた。

 

「あ、火千代さん!こんにち……あ」

 

小鈴は火千代の顔を見た瞬間、まるで凍りついたかのように動きを止めた。彼女の目元が赤く腫れていることに気づいたのだ。

 

「……大丈夫ですか?目がちょっと赤いですけど」

 

火千代は慌てて、努めて明るい声を出した。

 

「あ、ああ……花粉症かな?」

 

小鈴はその言葉に一度は頷きながらも、その聡明な瞳の奥で火千代の真意を静かに察していた。

 

「そうですか……時々人里にいらっしゃる鈴仙(れいせん)さんに相談してみては?」

 

「……そうするよ」

 

火千代は胸の奥で渦巻く苦しみを必死で隠し、ぎこちない苦笑いを浮かべた。その笑顔は今にも崩れ落ちそうな脆さだった。

 

「……」

 

小鈴は火千代の抱える事情に踏み込むべきか、それとも友人としての線を守るべきか、内心で激しく葛藤していた。しかしその葛藤を乗り越え、彼女は意を決して言葉を紡いだ。

 

「あのっ……何かあったらいつでも相談に乗りますからね!?」

 

その言葉はまるで乾いた大地に降り注ぐ恵みの雨のようだった。火千代の胸に、じんわりと温かさが広がる。

 

「……!ああ、ありがとう」

 

火千代はまた彼女の純粋な優しさに、救われた気持ちになるのだった。

 

 

◇◇◇◇

 

 

ーー八雲邸

 

 

 八雲邸では、藍が夕食の準備をしていた。料理に使う包丁のうち一本の切れ味が鈍っていることに気づき、手入れの依頼を剣獅に持ちかけた。

 

「剣獅、包丁の手入れをお願いしてもいいか?」

 

剣獅は二つ返事で快諾し、藍から包丁を受け取った。

 

「分かりました、すぐ終わるので待っててください」

 

「ああ」

 

「……」

 

剣獅が無言で包丁を研いでいた。砥石の上を滑る金属の乾いた音が、静かな厨房に響く。彼の集中した横顔を、背後から紫が静かに見つめていた。その視線は剣獅の心の奥底を見透かすかのようだ。

 

「気になるの?人里であった女の子」

 

紫の声は確信に満ちていた。

 

「え?」

 

剣獅は驚いて振り返る。

 

「顔に出てるわよ」

 

紫はふわりと笑みをこぼす。

 

「……紫さんに隠し事は出来なそうですね」

 

剣獅は苦笑いを浮かべた。彼の心には確かに火千代のことが深く刻まれている。

 

「一緒に鍛冶屋をやるんでしょ?」

 

「そのつもりです」

 

「鋼塚家、ね……あそこの家系は特に妖怪を忌み嫌うのよね」

 

紫の言葉に剣獅の表情が曇る。

 

「何か理由が?」

 

「五十年くらい前だったかしら……先祖が妖怪の山で襲われてるのよ。その人の兄弟も一緒だったみたいだけど、それで亡くなってるわね」

 

紫は淡々と語った。その過去の悲劇が、今の鋼塚家の排他的な態度に繋がっていることを示唆する。

 

「だからって……」

 

剣獅の言葉には怒りがにじむ。火千代への理不尽な扱いが許せないのだ。

 

「ええ、その子を粗雑に扱っていい理由はないわね。……とはいえ、その子の特異な能力、気になるわね」

 

紫は扇子を顎に当て、思案するように目を細めた。

 

「やっぱり珍しいんですか?」

 

剣獅が問うと、紫は静かに頷く。

 

「そうね。先天的にしろ後天的にしろ……霊夢や咲夜のように特殊な例もあるけど」

 

剣獅は深く息を吐き、悔しそうに拳を握りしめた。

 

「俺……何も出来ないのが悔しいです」

 

その力のない声には、火千代を救えない無力感が滲んでいた。

 

「確かに、家庭のことに他人が口出しする権利はないわ」

 

紫の言葉は冷たく聞こえるかもしれないが、幻想郷の掟を重んじる彼女なりの道理だった。

 

「……」

 

剣獅は沈黙し、歯を食いしばる。

 

「彼女が助けを求めてきたら、迷わず手を差し伸べてあげなさい」

 

紫の言葉で剣獅の顔に希望の光が差した。

 

「はい!もちろん」

 

彼の瞳には、固い決意が宿った。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

ーー鋼塚家

 

 

 鈴奈庵で昼間の時間を過ごし、火千代は重い足取りで家路を辿っていた。家族と共に囲む夕飯の食卓は、常に冷たく重い空気に覆われている。八雲邸での温かい団欒とは正反対の、凍えるような沈黙がそこにはあった。その日も兄の食事のマナーが悪いのか、父親に厳しく注意されていた。顔に分かりやすく苛立ちの影が差している。

 

「おい、音を立てて食べるな」

 

「へーい」

 

兄はそっけなく返事をしたが、その声には反発の色が隠せない。

 

「このところ米も不作で困ったものね」

 

母親の声に深い諦めが宿る。

 

「何が原因なんだろうな」

 

兄も母も直接口には出さないが、その視線と声の抑揚で、その言葉の矛先がどこに向かっているのか、火千代は痛いほど理解できた。それは彼女の存在を責める無言の刃だった。

 

「……」

 

火千代は自身の心に巣食う不安を押し殺していた。鍛冶師になりたいという夢を、まだ家族に告げていない。また、彼らの怒りの矛先を自分に向けられるのが、何よりも怖いのだ。

 

(いつか言わないと……鍛冶屋になりたいって……)

 

ここ数カ月、ずっと喉元まで出かかっている言葉を、今か今かとタイミングを窺っていた。遂にその言葉を発しようと、小さく唇を開いたその時だった。

 

「ぁ…あのっ…」

 

父が突然、何の前触れもなく苦しみ始めた。

 

「ぐっ!!」

 

彼は胸元を抑え、前のめりに倒れ込む。額が食卓にぶつけられ、カチャリと食器が揺れた。その衝撃はテーブルを囲む全員に緊張を走らせた。

 

「!?」

 

それにいち早く反応を示したのは、母親と兄だった。

 

「あなた!?」

 

「親父!!」

 

二人の声に切迫した色がにじむ。

 

「ぐぅう……」

 

父は苦しげな(うめ)き声を漏らした。母親が父の額に手を当てると、その目に驚愕の色が広がり慌て出した。

 

「まぁ!凄い熱!!」

 

「うわ……」

 

兄も父の容態に困惑するが、母親は目に憎悪と恐怖を宿して火千代を鋭く睨みつけた。

 

「火千代、またお前は……」

 

父の容態の原因として、大した根拠もなく火千代に濡れ衣を着せてきたのだ。その言葉は火千代の心を容赦なく打ち砕く。

 

「あ、あたしは……」

 

火千代は震える声で反論しようとするが、母親の怒りは既に沸点に達していた。その顔は憎悪で歪んでいる。

 

「出ていけ!!」

 

鋭い罵声が部屋中に響き渡る。火千代はそれでも必死で反論した。

 

「あたしのせいじゃない!」

 

しかし母親の腕が振り上げられ、乾いた音が響く。平手が彼女の頬を打ち、火千代は勢いよく尻もちをついた。熱い痛みが頬に広がるが、それよりも心の痛みが勝った。

 

「黙りな!!」

 

「うっ!」

 

地面に倒れ伏しながらも、彼女は諦めずに無実を訴え続けた。

 

「い、医者呼んでくる!」

 

そう叫び、火千代は震える体を叱咤するように立ち上がり、家を飛び出した。背後から母親の絶叫が追いかけてくる。

 

「待ちなさい!」

 

「絶対…絶対あたしのせいじゃ……」

 

彼女の言葉は、夜の闇に吸い込まれていった。

 

 

◇◇◇

 

 

ーー迷いの竹林

 

 火千代は無我夢中で、鬱蒼(うっそう)とした迷いの竹林に足を踏み入れた。夜の竹林は昼間の明るさとは打って変わり、あまりにも静かで不気味な気配に満ちている。背の高い竹が風にざわめく音だけが、耳障りなほど大きく響く。

 

「はぁ…はぁ……」

 

必死に走ったせいで流石に息が切れ始めていた。肺が焼け付くように熱い。

 

「この中に、あの永遠亭が……」

 

(絶対あたしじゃないって…証明してみせる!)

 

その思いだけが、彼女の体を動かす原動力だった。父の容態への心配と、自分への濡れ衣を晴らしたい一心で足を進めた。

 

◇◇◇◇

 

 数時間、あるいはそれ以上が経っただろうか。一向に建物の影は見えない。どれだけ進んでも、視界に映るのは全く同じように続く闇の竹林の景色だけだった。方向感覚は完全に麻痺し、疲労が全身を蝕んでいく。

 

「……はぁ…はぁ」

 

彼女の体力ももう限界だった。足は鉛のように重く、視界がチカチカと点滅する。

 

(どれくらいの時間歩いたんだろう……)

 

「もう…歩けな……」

 

限界を迎えた火千代は、そのまま前へ倒れ込んだ。しかし、地面にぶつかるはずの衝撃は感じない。誰かの腕が、彼女の体をしっかりと支えてくれたのだ。ゆっくりと目を開けると、そこにいたのは迷いの竹林の案内人、藤原妹紅(ふじわらのもこう)だった。月夜に煌めく長い銀髪に、いくつものリボンが揺れている。彼女は火千代を安心させるため、どこかぶっきらぼうながらも柔らかい笑みを浮かべた。

 

「おっと!こんな時間にどうした?お嬢ちゃん」

 

火千代は力なく、掠れた声で答えた。

 

「あ……父さんが熱を出して……」

 

妹紅はその短い言葉と、火千代の全身からにじむ疲労と絶望から、彼女の事情を瞬時に察した。

 

「永遠亭に来たんだな?ていうか里の医者は?」

 

その質問に対し、火千代は気まずそうに目を逸らした。言葉を濁す彼女の様子に妹紅は何も言わず、深くは追及しなかった。

 

「……」

 

「……分かった、案内する……て、もう歩けないか。ほら」

 

妹紅は呆れたように言いながらも優しくしゃがみ込み、親指で自身の背中を指し、おんぶを促した。火千代は戸惑いながらも頬を紅潮させ、妹紅の温かい背中にそっと乗った。

 

「ここは、私ら案内人がいないと迷って出られなくなるんだよ」

 

妹紅の声は優しく、それでいてどこか達観していた。

 

「はい……」

 

「私は藤原妹紅。この竹林の案内人だよ。お嬢ちゃんは?」

 

「鋼塚…火千代です……」

 

「火千代な、いくつだ?」

 

「えっと……十五」

 

妹紅は火千代の年齢を聞き、その見た目と年齢が一致していないことに、僅かな驚きを覚えた。彼女の体は年齢の割にあまりにも軽く、幼い印象を受ける。次の火千代の言葉は、妹紅が更に深い事情を察するには十分すぎるものだった。

 

「は!?ちゃんと食ってんのか?」

 

「家ではあまりよく思われてなくて」

 

火千代の重く沈んだ声。その言葉に、妹紅の表情がわずかに硬くなった。

 

「……そうか」

 

 

◇◇◇◇

 

 

ーー永遠亭

 

 

 妹紅の背中に揺られ、遂に永遠亭の前までやってきた。そこは伝統的な昔ながらの立派な日本屋敷であった。しかし不思議なことに、時が止まったかのように古びた様子を全く見せず、どこか幻想的な雰囲気を漂わせている。ずっと不気味な暗闇を歩いていた火千代の目には、その屋敷が砂漠の真ん中に現れたオアシスのように、輝いて見えた。

 

 妹紅は躊躇なく、屋敷の重厚な扉をどんどんと叩いた。その音は静寂な夜に大きく響く。

 

「永琳、人里で急患だと」

 

しばらくすると、中から月夜に煌めく美しい銀髪の女性と、ウサギの耳を持った長い薄紫色の髪の少女が現れた。この永遠亭を実質的に仕切り、幻想郷で比類なき医療技術を持つ凄腕の薬師、八意永琳(やごころえいりん)と、その弟子である鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバである。永琳は、妹紅の隣に立ち尽くす少女に視線を向けた。その鋭い眼差しは、一目で少女がまともな生活を送れていないことを見抜いていた。

 

「あら、妹紅。その子は?」

 

「その急患の子だってよ」

 

妹紅は簡潔に答える。火千代は永琳の前に進み出た。

 

「あの、お父さんが急に凄い熱を出して……」

 

火千代の切迫した言葉に、永琳は静かに頷き事情を察した。彼女の顔には確かな理解と、わずかな憐憫(れんびん)の色が浮かぶ。

 

「……分かったわ。ウドンゲ、準備して頂戴」

 

「はい!」

 

鈴仙は素早く返事をし、医療道具の準備に取り掛かった。火千代の心には、かすかな希望の光が灯り始めていた。

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