ロストメモリーズ ~ 幻想郷に舞う剣の影 ~   作:姉川京

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第16話「3年後に向けて・その5」

 

――永遠亭

 

 迷いの竹林を駆け抜け、永遠亭へと辿り着いた剣獅と永琳の胸には焦燥感が渦巻いていた。目にも留まらぬ一瞬の空間移動を経て、二人は永遠亭の静謐(せいひつ)な治療室へと滑り込む。永琳は傍らに控える月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバと共に、意識のない火千代を素早く集中治療室へ運び込み、寸刻の猶予もなくその処置に取り掛かった。

 一方、剣獅は張り詰めた空気が漂う治療室を後にし、再び竹林へと足を踏み入れた。立ち込める霧の中を駆け抜け、人里を目指す。火千代の捜索に協力してくれた人々、特に藤原妹紅のもとを訪ね、あえて「無事」という言葉を選び、発見の報告と深々と頭を下げて感謝の意を伝えた。火千代が依然として危険な状態にあることを隠したのは、これ以上彼女たちに心配をかけまいとする剣獅なりの配慮だった。 妹紅たちはその知らせに顔中に安堵の色を浮かべ、皆それぞれ安堵の面持ちで家路へと足取りを軽くしていった。

 八意永琳という類稀(たぐいまれ)な薬師の技術の粋が凝らされた永遠亭での治療は、驚くほど短時間で幕を閉じた。長く感じられた待機の時間が終わり、集中治療室の前の椅子でその吉報を受け取った剣獅は安堵の息を深く吐き出し、これまで張り詰めていた全身の力が一気に抜けていくのを感じた。

 

「ふぅ……一命は取り留めたわ。ひとまずは大丈夫なはずよ」

 

永琳の声は僅かな疲労を滲ませながらも、確かな響きを帯びていた。

 

「あぁ…よかった……」

 

剣獅はただその一言を絞り出すのがやっとだった。永琳は火千代の容態を再確認しつつ、わずかな疑問を口にした。

 

「そこまで多くの瘴気は取り込んでなかったみたいだけど……妙に体内の損傷が少なかったのよね」

 

剣獅は自身の能力を思い出し、はっとしたように答えた。

 

「あ、それ多分俺が一度内臓を修復したからだと思います」

 

永琳の鋭い視線が、探るように剣獅に向けられた。

 

「あなたが?」

 

「はい、【壊れたものを再生する程度の能力】を持ってるので」

 

永琳の瞳に、剣獅の能力に対する強い関心が揺らめいた。その驚きを隠しつつ、彼女は改めて問いかけた。

 

「そう……改めて聞くのだけど、あなたが稲羽剣獅ね?」

 

「はい、剣獅でいいですよ」

 

「分かったわ、私は八意永琳(やごころえいりん)。この永遠亭で薬師をしているわ。私のことは好きに呼んでちょうだい」

 

鈴仙もやや緊張した面持ちで続いた。

 

「私は弟子の鈴仙・優曇華院・イナバです。鈴仙って呼んでください」

 

剣獅は二人の自己紹介に穏やかに頷いた。

 

「分かりました。あと永琳さんのことは慧音さんから名前だけ聞いたことありますよ」

 

「慧音とは知り合いなのね?」

 

「はい、あと妹紅さんとも。竹林の中も案内してもらいました」

 

「そうなのね……あなたには他にも聞きたいことが沢山あるけど、まずはあの子ね」

 

永琳の視線が再び集中治療室の奥に向けられた。

 

「火千代のことですね」

 

「ええ、家の事情は知ってるの?」

 

「はい、一応。正直あそこまで酷いとは思いませんでした」

 

剣獅の言葉には火千代への深い同情と、自身の無力さへの悔しさが滲み出ていた。永琳も静かに頷いた。

 

「そうね。私も直接話したけど、あの場所ではあの子はもう生きられないわ」

 

剣獅は思案するように沈黙した後、一つの可能性を口にした。

 

「……紫さんに相談してみますか?」

 

剣獅の何気ない一言が、永琳の顔に驚愕の色を走らせた。彼女の表情には、一瞬にして深い警戒心が宿った。

 

「八雲紫!?あなた、彼女とどういう関係なの!?」

 

「……居候です」

 

その意外な返答に、鈴仙は思わず声を上げた。

 

「えっ、一緒に住んでるんですか!?」

 

「そうです」

 

鈴仙は信じられないといった様子で目を丸くした。

 

「信じられない……あの紫様が」

 

「霊夢や魔理沙にも驚かれましたけど、それは一旦置いときましょう」

 

剣獅は呆れたような鈴仙の反応を軽く流し、話を本筋に戻した。永琳もすぐに気を取り直した。

 

「そ、そうね。ごめんなさい。……あの子がこれからどこで生きるべきか、ということだったわね?」

 

「はい」

 

「いくつか候補はあるけど……」

 

「例えば?」

 

「うーん……博麗神社か命蓮寺(みょうれんじ)が一番ね」

 

剣獅は少し考えてから、命蓮寺の場所を思い出した。

 

「命蓮寺……ああ、人里の外れにあるお寺ですね」

 

「ええ。あそこなら衣食住は確保できるし、住職の(ひじり)もとってもいい人よ」

 

永琳の説明を聞きながら、剣獅の脳裏に一つの考えが閃光のように走った。彼の顔に確信めいた表情が浮かび上がる。

 

「なるほど……そうか!」

 

鈴仙が思わず肩を震わせ、たじろいだ。

 

「ど、どうしたの?」

 

「永琳さん、命蓮寺は火千代にとって最高の環境かもしれません。お願いしてみます!」

 

剣獅の突然のひらめきと勢いに、永琳はやや呆気に取られた表情で答えた。

 

「え、ええ……」

 

「明日の朝一で命蓮寺に行ってみます。とりあえず今日は火千代をお願いします」

 

「ええ。というより退院まで数日かかるから、焦らなくてもいいわ」

 

「分かりました」

 

剣獅が踵を返し、永遠亭の出口へ向かおうとしたまさにその時、鈴仙が蚊の鳴くような声で呼び止めた。

 

「あ、あのっ……」

 

剣獅が振り返ると、鈴仙は何かを言いたげに口を開きかけたが、すぐに言葉を飲み込んだ。

 

「ん?」

 

「えっと……ごめんなさい、なんでもないです」

 

鈴仙は顔を赤らめ視線を逸らした。

 

「……そうですか、では」

 

 剣獅はそのまま永遠亭を後にした。彼の姿が完全に消えた後、鈴仙が永琳に問いかけた。

 

「お師匠様……」

 

「どうしたの、ウドンゲ?」

 

鈴仙は剣獅の残した言葉と、彼自身の謎めいた雰囲気に依然として囚われているようだった。

 

「やっぱり彼、気になりませんか?名前とか特に……」

 

永琳は静かに目を閉じ、考え込むように答えた。

 

「ええ、稲羽(いなば)……ね」

 

「月の関係者じゃないですよね?」

 

鈴仙の問いかけに、永琳は静かに首を横に振った。

 

「そっちの線は薄いと思うわ。でも、彼の能力も興味深いし……今度紫に話を聞いてみましょうか」

 

永琳の瞳には、剣獅への深い好奇心と、その謎を解き明かそうとする探求心が宿っていた。

 

 

ーー八雲邸

 

 

  夜が更け、深夜の静寂が幻想郷を支配する頃、剣獅は八雲邸へと戻ってきた。人里の灯りはほとんど消え、遠くで蟲の音が微かに響くばかり。深々と瞬く星々が天上を埋め尽くし、あらゆる音が吸い込まれたかのような静けさが、夜半を過ぎた時間であることを物語っていた。

 

「……ただいま戻りました」

 

邸の縁側で月を眺めていた八雲紫が、柔らかく微笑みながらゆっくりと振り返った。普段はもう深い眠りについているはずなのに、今夜は剣獅の帰りをずっと待っていてくれたようだった。その隣には、藍も控えている。

 

「ああ、おかえり」

 

「何かあったの?」

 

藍の問いかけに、剣獅は言葉を詰まらせた。

 

「……」

 

「おいで。話してみなさい」

 

藍がそっと、縁側に座るよう促した。剣獅は誘われるように腰を下ろし、やがて重い口を開いた。火千代が魔法の森で死を望んでいたこと、永遠亭での治療、そして彼女の過酷な境遇について、紫と藍に一部始終を話した。彼の言葉には、火千代を救いきれなかった自分への悔恨が込められていた。

 

「……そう、あの子が」

 

紫の声には珍しく深い感情が滲んでいた。藍もまた、その話に心を痛めているようだった。

 

「危なかったです、ほんとに」

 

「そこまで追い詰められてたなんて」

 

「もっと……彼女のことを理解してあげてれば」

 

剣獅は自らの拳を固く握りしめ、言葉を続けた。その時、彼の眼が一瞬夜闇を切り裂く光を放ったように見えた。まるで彼の能力が、言葉に込められた感情に呼応したかのように。紫はその瞬間を決して見逃さなかった。しかし、紫はあえてそのことに触れず、剣獅の自責の念を察して優しい声で諭した。

 

「……!……あまり自分を責めちゃダメよ。結果、あの子を救えたじゃない」

 

しかし、剣獅の表情は固いままだった。

 

「まだですよ」

 

紫は首を傾げた。

 

「?」

 

「俺は彼女が死ぬのを阻止しただけです。まだ、心を救えてません」

 

彼の言葉には、火千代の全てを救いたいという揺るぎない強い決意が込められていた。

 

「どうするつもり?」

 

「あの子はもうあの家では生きられません。別のところで生きるべきです」

 

「当てはあるの?」

 

「明日、命蓮寺に行ってお願いしてみようと思います」

 

藍が剣獅の提案に納得したように頷いた。

 

「そうか、聖様か……確かにあそこなら適任だな」

 

剣獅は命蓮寺を選んだもう一つの理由を語った。

 

「衣食住の確保ってのもありますけど、彼女も鍛冶師を目指してるんです」

 

紫の目がある可能性に気づき、わずかに見開かれた。

 

「……もしかして小傘?」

 

「ええ。彼女は鍛冶に精通していますし、三年後まで鍛冶のいろはを教えてくれるんじゃないかと」

 

「なるほど……それも含めて命蓮寺なんだな」

 

「はい、そうです」

 

紫は剣獅の考えが的確であると判断し、小さく息を吐いた。

 

「分かった……でも今日のところはもう寝なさい。あなたも疲れたでしょう……ふぁ~あ」

 

紫が欠伸をしながら促すように言うと、剣獅もまた、深く頷いた。

 

「はい」

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