ロストメモリーズ ~ 幻想郷に舞う剣の影 ~   作:姉川京

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第17話「3年後に向けて・その6」

ーー命蓮寺

 

 翌朝、淡い陽光が命蓮寺の屋根瓦を優しく照らし始めていた。鳥のさえずりが微かに響く中、剣獅は隣を歩く八雲紫と共に本堂へと足を踏み入れた。伽藍(がらん)全体を包み込むような静謐な空気に満ちた空間で、彼らは住職である聖白蓮(ひじりびゃくれん)と向かい合った。剣獅の表情には、これから語る一人の少女の未来を案じる真剣な色が深く宿っている。彼は訥々(とつとつ)と、火千代が辿った過酷な運命を話し始めた。

 生まれつき異質な能力を持つ故に家族から受けた苛烈な仕打ち。そして昨夜、その絶望の淵から這い上がれず、自らの命を絶とうとした痛ましい事件。 感情を抑えつつも、具体的な描写を交え詳細に語られる剣獅の声に、白蓮は静かに耳を傾けた。彼の説明が終わりわずかな沈黙が場を支配した後、紫が静かに口火を切った。

 

「と、いうわけで……その子を、ここに住まわせて欲しいのよ」

 

紫の言葉に呼応するように、剣獅も深く頭を垂れた。

 

「どうかお願いします」

 

白蓮は顎に手を当て、深い思案の表情を浮かべた。

 

「なるほど……昨夜、そのような悲劇が」

 

彼女の声には、心底から案じるような響きが含まれていた。そして視線は、懇願する剣獅へと静かに向けられる。

 

「ところで、剣獅さんでしたね」

 

「はい」

 

「あなたが命蓮寺を望んだと伺いましたが、その理由をお聞かせいただけますか?」

 

白蓮の眼差しは先ほどよりも一層、真摯な光を帯びていた。

 

「はい。昨夜、永琳さんと共に火千代がこれから暮らすべき場所を考えておりました。その際永琳さんが、安心して過ごせる場所として博麗神社とこの命蓮寺の名を挙げられたんです。聖様も非常に慈悲深く、温厚な方だとお聞きしましたので」

 

剣獅の言葉に白蓮は静かに頷く。しかし、彼の言葉はまだ続きがあった。

 

「それだけではありません。もう一つあります。ここには小傘さんがいらっしゃるそうですね?」

 

白蓮の表情に、微かな驚きの色が浮かんだ。

 

「ええ、よく遊びには来ますが……」

 

「実は、火千代は鍛冶師を目指しているんです。鍛冶に精通している小傘さんなら、彼女にその基本を教えてくださるのではないかと、そう思ったのです」

 

剣獅の言葉を聞き終えると、白蓮の顔から先ほどの堅苦しさが消え去り、すべてを優しく包み込むような微笑みが広がった。

 

「なるほど……私としては、全く構いませんよ」

 

「本当ですか!?」

 

剣獅の目に、安堵と希望の輝きが宿る。

 

「ええ。そのような哀れな子を、放っておくことなどできませんから」

 

「ありがとうございます!小傘も頼んだぞ?」

 

剣獅はそう言いながら、二人の背後の柱の陰から微かに気配を発している場所に視線を向け、声を掛けた。まさか気づかれているとは思わなかったのか、柱の陰からひょこりと顔を出した小傘は、間の抜けた「ふぇ?」という声を漏らした。おそらく剣獅を驚かせるつもりだったのだろう。

 

「ん?」

 

剣獅の視線を受け、小傘はさらに驚いたように問いかける。

 

「いつからわちきに気づいてたの!?」

 

「最初からだ」

 

「あうぅ……もう、全然驚いてくれない……」

 

小傘は肩を落とし、しょんぼりと落ち込んだ様子を見せた。

 

「気配が丸わかりだからな」

 

「むぅ……」

 

頬を膨らませる小傘に、剣獅は問いかけた。

 

「それで、話は聞いていたのか?」

 

「いちおー」

 

「火千代のこと、頼めるか?」

 

小傘はぶすっとした表情で答える。

 

「わちきだって忙しいのに……」

 

「人を驚かせるのが……か?」

 

剣獅の核心を突く言葉に、小傘は一瞬言葉に詰まった。

 

「そ、それが食事なんだもん!」

 

「頼むよ、小傘にしか頼めないんだ」

 

「わちきにしか?」

 

「小傘にしか」という言葉が、彼女の心に微かな波紋を広げたようだ。その表情には、ほんのわずかな変化が表れる。

 

「ああ。それに、小傘にとっても悪くない話だと思うぞ?」

 

「え、どういうこと?」

 

剣獅は言葉を続ける。

 

「俺と火千代は、三年後に人里で鍛冶屋を始めるんだが、もし成功したら……火千代の師匠である小傘は、きっと『もっと凄い奴なんだ!』って、みんなを驚かせられると思うんだよ」

 

「で……でも、成功する保証なんてないじゃん」

 

小傘の不安げな言葉に、剣獅はまっすぐに彼女の目を見つめた。その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。

 

「必ず成功する。約束するさ」

 

その言葉には、一切の迷いがなかった。

 

「……約束だよ?」

 

小傘の不安げな声に、剣獅は深く頷いた。

 

「ああ、絶対に成功する。だから火千代のこと、頼まれてくれるか?」

 

剣獅が自分を頼ってくれたことが心底嬉しいのか、彼女の顔がパッと輝いた。まるで(つぼみ)が花開くように。

 

「分かった、任せて!」

 

「ありがとう。やっぱり頼りになるな」

 

「えへへ……そんなこと言っても、何も出ないよ?」

 

小傘は照れ臭そうに頭を掻いた。その表情には、先ほどの陰はもう微塵もなかった。

 

「それじゃあ……数日後、火千代と一緒にまた伺いますので、聖様、小傘、どうぞよろしくお願いします」

 

「分かりました」

 

「りょーかい!」

 

白蓮の穏やかな声と小傘の弾んだ声が、穏やかな命蓮寺の境内に心地よく響き渡った。

 

 

ーー永遠亭

 

 

 数日後。永遠亭の白い廊下を歩く剣獅と火千代の足音が、静かに響いていた。火千代は先日の出来事が嘘のように回復していた。顔色には健康的な血色が戻り、その瞳には生気が宿っている。もう死のうという絶望的な考えも、今はその奥底へと沈黙したようだった。

 

 退院手続きを終え、永琳と鈴仙の二人が中庭へと続く入口まで彼らを見送りに来ていた。

 

「後遺症もないようだし、もう何の心配も要らないわ」

 

永琳の言葉はまるで澄んだ泉のせせらぎのように、火千代の心に温かく染み渡った。

 

「はい、本当にありがとうございました」

 

剣獅に続き、火千代も深く頭を下げた。彼女の小さな体から溢れる感謝の気持ちが、ひしひしと伝わってくる。永琳は柔らかな笑みを浮かべ、優しく手を振って応えた。

 

「ええ、それじゃあまたね」

 

剣獅たちが(きびす)を返そうとした、その矢先だった。永琳がまるで何かを思い出したかのように、剣獅を呼び止める。その声には微かな切迫感が混じっていた。

 

「ねぇ、剣獅。ちょっといいかしら?」

 

「はい?」

 

永琳の視線は剣獅を捉えて離さない。その瞳の奥には、何かを探るような光が揺れていた。

 

「時間のある時でいいの。一度じっくり……話をさせて貰えないかしら?」

 

「話……ですか? 何についてでしょう?」

 

剣獅は永琳の真剣な眼差しに、わずかな疑問を抱いた。

 

「紫から聞いたのだけど……あなた、記憶を失っているのでしょう?」

 

「まあ、そうですね。幻想入り前の記憶は一切ありません」

 

「そう……それと、あなたが纏っている特異な雰囲気、得体の知れない能力、そしてその(くつ)……挙げればきりがないわ」

 

永琳の言葉に剣獅は静かに頷く。彼の周囲には、確かに常人離れした清浄な何かが漂っている。

 

「そうですか……分かりました。改めて、お時間をいただきます。とりあえず今日のところは帰ります」

 

「ええ、気をつけ……」

 

そう言って剣獅が再び歩き出そうと踵を返したその瞬間、風にめくれ上がった羽織の隙間から、彼の腰に差された剣の柄が、永琳の視界に鮮烈に飛び込んできた。

 

「!?」

 

永琳は再び剣獅の手首を強く掴みながら、尋常ではない焦燥感を露わにして叫んだ。

 

「ま、待って!!」

 

剣獅は驚いて振り返った。その瞳には、戸惑いの色が浮かんでいる。

 

「!?」

 

永琳の顔から血の気が引いていく。その瞳は、剣獅の腰の剣に釘付けになっていた。彼女の呼吸は浅く、胸が不規則に上下している。

 

「ご、ごめんなさい……あなたの、その剣は……?」

 

彼女の声は微かに震えていた。まるで、喉の奥から絞り出すような響きだった。

 

「え?ああ……幻想入りした時からずっと持っているものですよ」

 

剣獅は普段と変わらない穏やかな口調で答える。

 

「少し見せてもらってもいいかしら? すぐ済むわ」

 

永琳の顔には、もはや隠しようのない尋常ではない焦燥感が浮かび上がり、その額には冷たい汗が止めどなく滲んでいた。その様子は、まるで予期せぬ災厄を目の当たりにしたかのようだった。

 

「はい、どうぞ」

 

剣獅は剣を鞘から抜き、永琳へと差し出した。剣を受け取った瞬間、永琳の顔色は一層険しくなった。その手は微かに震え、大量の冷や汗が頬を伝い落ちる。彼女はまるで、世界の根幹(こんかん)を揺るがす禁忌に触れてしまったかのように、その剣を凝視していた。その瞳の奥には恐れと困惑、そして深い知識が織りなす複雑な感情が渦巻いている。

 

「……ありがとう、もういいわ」

 

永琳の声は、かろうじて喉の奥から絞り出されたものだった。

 

「はい。それじゃあ、また」

 

剣獅は穏やかに応じ、剣を鞘に収めると、火千代と共に永遠亭の門へと向かった。

 

「ええ……」

 

焦燥感に満ちた表情を隠しきれないまま、永琳は二人の小さな背中を遠ざかるまで見送った。その背後では、鈴仙が不安げに立ち尽くしている。

 

「待たせたな、火千代。行こう」

 

剣獅の声は普段通りだった。しかし、永琳の尋常ではない様子を間近で見ていた鈴仙は、何かとんでもないことが起きていると直感し、おそるおそる彼女に問いかけた。

 

「……お師匠様?どうかされたんですか?」

 

鈴仙の声は、まるで永琳に届いていないかのようだった。永琳はぶつぶつと、独り言のようにつぶやいている。その瞳には深い困惑と、ほんのわずかな恐怖が宿っていた。

 

「一体……何者なのかしら……あの剣を持っているなんて」

 

永琳の呟きは、静かな永遠亭の庭に不穏な響きを残した。鈴仙はただ、理解できない師の姿を呆然と見つめるしかなかった。

 

「……?」








序章もう少しで終わります。はい。第1章は3年後の話です。




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