ロストメモリーズ ~ 幻想郷に舞う剣の影 ~   作:姉川京

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読んでくださっていた方々へ

 数ヶ月も空けてしまい、申し訳ございません。多忙故に時間とモチベーションを保てていませんでした。また、投稿再開します。





第18話「3年後に向けて・その7」

 同日、淡い陽光が命蓮寺の参道を柔らかく照らし、瓦屋根の端を金色に染め始めた。鳥のさえずりが遠く微かに耳に届く中、剣獅は隣に立つ火千代の小さな手をそっと包み込むように握りしめた。火千代の顔には、新しい暮らしへの淡い期待と、見知らぬ場所への深い緊張が複雑に入り混じる。その足取りは、地面に吸い付くようにわずかにぎこちなかった。剣獅は彼女の不安を敏感に察し、安心させるように優しい笑みを向けた。

 

「大丈夫だ。聖様もみんなも、きっと温かく迎えてくれるさ」

 

火千代は言葉なく頷いたものの、その視線は本堂の入り口に縫い付けられたままだった。深々と息を一つ吸い込み、二人は静かにその敷居を跨いだ。

 

 本堂の広間には、すでに何人もの妖怪たちが集まっていた。彼女たちの視線は、扉をくぐった剣獅と火千代に一斉に注がれる。剣獅は、聖と小傘以外にも多くの見慣れない顔ぶれが並んでいることに、わずかな戸惑いを覚えた。火千代は、目の前に広がる多様な姿の妖怪たちに圧倒され、反射的に剣獅の背に隠れるように身を寄せた。妖怪たちもまた、突然現れた人間二人に対し、好奇と警戒の入り混じった視線を送っていた。

 

 最初に目を引いたのは、頭に花の飾りと虎模様の腰巻きをつけた天女のような姿の妖怪、寅丸星(とらまる しょう)だ。彼女は穏やかな微笑みを湛え、ゆっくりと二人の間合いを詰める。その隣には、犬の耳を持つ可愛らしい姿の妖怪、幽谷響子(かそだに きょうこ)が、探るような瞳で二人を見上げていた。さらにグレーの羽織と鼠の耳を持つ妖怪、ナズーリンが警戒するように鼻先をひくつかせ、周囲の匂いを嗅ぎ取る。その傍らではセーラー服の少女、村紗水蜜(むらさ みなみつ)が、一切の感情を顔に出さず二人を観察している。そして彼女の隣に立つ尼僧のような姿の妖怪、雲居一輪(くもい いちりん)は腕を組み、静かながらも鋭い眼差しをこちらに向けていた。

 

その背後から、ぬるりとした得体の知れない気配と共に、封獣(ほうじゅう)ぬえが姿を現す。彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、火千代の目の前にすっと影を落とし、低い声で囁いた。

 

「……可愛い人間が迷い込んできたかと思えば、その目は怯えているわね……何を企んでいるわけ?」

 

火千代はびくりと体を震わせ、剣獅の背中に一層深く身を埋めた。その小さな肩が細かく震えているのが、剣獅にも痛いほど伝わってくる。

 

「おい、あまりこの子を怖がらせるな」

 

剣獅はぬえの無遠慮な態度に眉を寄せ、軽くたしなめるように声をかけた。悪気はないと理解していても、火千代を怯えさせたことに不満が募る。

 

「ちぇ……つまらない男め」

 

ぬえは不満げに口を尖らせたが、それ以上火千代を脅かすような行動は取らなかった。

 

その時、柱の陰からひょこりと顔を出したのは、先日会ったばかりの多々良小傘(たたら こがさ)だった。彼女は傘をくるりと陽気に回しながら、嬉しそうに駆け寄ってくる。その視線はまず剣獅に向けられたが、すぐに彼の隣に立つ火千代を初めて認識したようだった。

 

「剣獅!待ってたよ~!」

 

小傘の明るい声が響くと、火千代の顔にようやく安堵の表情が浮かび、こわばっていた肩の力がわずかに抜けた。剣獅は小傘に小さく頷き返し、彼女は改めて火千代へと視線を向けた。

 

「で……こっちの子が火千代ちゃん?」

 

小傘の問いかけに、火千代は剣獅の影から半分だけ顔を出し、ぎこちない声で返事をした。

 

「は、はい」

 

剣獅は火千代の緊張を解きほぐすように、その肩をそっと抱き寄せた。そして二人は、改めて本堂の奥へと視線を向けた。そこには、落ち着いた佇まいを見せる聖白蓮(ひじり びゃくれん)が静かに座していた。剣獅は火千代の手を引いて、その前へと進み出る。

 

「聖様、再びご挨拶に参りました」

 

剣獅は深々と頭を下げた。彼の隣で火千代もまた、ぎゅっと手を握りしめながら、震える声で続いた。

 

「あ…あたし…私を……ここに、置いてください……お願いします」

 

その小さな声には、これまでの苦しみと、未来への切実な願いが痛いほど込められていた。白蓮は二人の姿を静かに見つめ、その慈悲深い瞳に温かい光を宿らせた。

 

数日前、剣獅が火千代を命蓮寺に預けたいと聖白蓮に打診した際のことだった。

 

「……火千代さんの能力は、確かに強力なもの。そして、その制御は容易ではないでしょう」

 

聖白蓮は静かに剣獅の言葉を受け止めた後、慈愛に満ちた眼差しで語った。

 

「しかし、その力は決して災いだけをもたらすものではありません。正しく導き、心を清めれば、必ずや貴女自身の、そして周りの人々を照らす光となるでしょう。命蓮寺は、あらゆる存在を受け入れる場所。貴女の苦しみを理解し、その力を善き方向へ導く手助けをするのが、我々の務めです」ニコッ

 

その言葉に、剣獅の心に安堵が広がった。聖白蓮の深い理解と、分け隔てなく救いの手を差し伸べる姿勢は、常に彼の尊敬の対象だった。

 

「ありがとうございます、聖様」

 

剣獅の力強い決意に、聖白蓮は穏やかに微笑んだ。

 

――――――

 

 命蓮寺の門前。先ほどまで本堂を照らしていた淡い陽光も、すでに傾き、茜色の空が広がり始めていた。剣獅は火千代の肩に手を置き、その小さな背中を優しく見つめる。

 

「それじゃあ、火千代。これから頑張れよ。俺も時々会いに来るから」

 

剣獅の言葉に、火千代は不安げな瞳で彼を見上げた。その瞳の奥には、ほんのわずかな寂しさが揺らめいていた。

 

「本当?」

 

「ああ。聖様が火千代の能力制御の修行をつけてくれるはずだから、俺は格闘でも教えようかな?」

 

火千代は首を傾げた。

 

「格闘?」

 

「ああ。幻想郷で生きていくなら、ある程度自分の身は守れないとな。ここは聖様がいるし、皆優しいと思うから安全だけど、妖怪の山や魔法の森じゃ話が違うからな」

 

剣獅の言葉に、火千代はゆっくりと頷いた。その瞳の奥に、かすかな決意の光が宿る。

 

「……分かった」

 

剣獅は柔らかな笑みを浮かべ、火千代の頭をそっと撫でた。

 

「三年後、二人で絶対成功させような」

 

「……うん」

 

「家のことなら俺たちに任せてくれ」

 

「……うん」

 

剣獅は一度、火千代の瞳の奥を見据えた。数日前、鋼塚家を訪れた際の記憶が脳裏をよぎる。あの時、「眼」の能力で父親の体内を視た。そこに蠢いていた病魔は、確かに火千代の能力とは無関係の、人智を超えた異質なものだった。その確信が、彼の言葉に一層の重みを持たせた。彼の脳裏には、父親の病魔の不気味な輝きと、どこか不自然に歪んだ空間が残像のように焼き付いていた。

 

「あと……火千代の父親の病気のことだが……あれは、君のせいじゃない。俺がそう断言できる。むしろ、君のその力は、あまりにも強大で、そして……人間が持ち得る範疇を超えた、何か根源的なものと深く繋がっているのかもしれない。だから、あれで自分を責めるな。君はあの家の呪縛から解放されるべきだ」

 

「……うん」

 

言葉少なげな火千代の返答に、剣獅はもう一度、その心の奥底に語りかけるように優しく言葉を重ねた。

 

「……火千代。これだけは覚えておいてくれ」

 

火千代は小さく首を傾げて剣獅を見上げる。その視線は彼の言葉の続きを待っていた。

 

「?」

 

剣獅はまっすぐ火千代の瞳を見つめ、静かに力強い声で続けた。

 

「君の味方は、君自身が思っている以上に多いんだ。俺も聖様も、紫さんや永琳さんもきっとそうだ。それから……小鈴ちゃんもだ。これからは、存分に周りを頼ってくれ」

 

その言葉は、火千代の心を覆っていた厚い氷をそっと溶かすようだった。火千代の瞳から、大粒の雫が堰を切ったように溢れ落ちた。長年、心の奥底に鉛のように沈み込んでいた重荷が、剣獅の言葉と共に少しだけ軽くなったのを確かに感じた。涙で歪む視界の先で、剣獅の表情がぼんやりと優しく映る。

 

「!」

 

剣獅は満足げに頷くと、傍らに立つ小傘の方へ視線を向けた。

 

「じゃあな。小傘も頼んだぞ」

 

「任せて!」

 

小傘は元気よく返事をし、火千代を安心させるようにその小さな手をぎゅっと握った。火千代は、剣獅の背中が門の向こうに消え去るまで、じっと見送っていた。そして、小さな声で呟いた。頬に一筋の雫を伝わせながら。

 

「……ありがとう」

 

その言葉は夕暮れに染まる命蓮寺の門前に、静かに吸い込まれるように消えていった。

 

 そして季節は巡り、約束の時が来た。三年という月日が、それぞれの場所で彼らを確かに成長させた。

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