ロストメモリーズ ~ 幻想郷に舞う剣の影 ~   作:姉川京

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第一章・三年後
第19話「新しい自分」


 あの日から三年が経った。剣獅は三年の間に、人里や命蓮寺、博麗神社、魔法の森などで様々な人や妖怪と交流を深めた。

 

 

―――人間の里

 

 

 朝陽が幻想郷の東の空を照らし、赤から淡い水色に染め上げ、爽やかで優しい風が人間の里を吹き抜ける、気持ちのいい一日の始まりだった。仕事を始める人々がちらほら見える。

 

 剣獅は、真新しい木製の看板の仕上げに取り掛かっていた。看板には達筆ながらも力強い筆致で、「稲羽鍛冶屋」と彫られている。彼は手に持った金槌を勢いよく振り下ろし、看板の四隅に丁寧に釘を打ち付けていく。乾いた木を貫く「カン、カン」という澄んだ金属音が、朝の静寂を小気味よく破った。

 

 三年の歳月は、剣獅の肉体に鋼のようなしなやかさを与えていた。その動きには以前にも増して迷いがなく、細いながらも大地に根を張った大樹のような安定感があった。

 

「よっし……良い感じかな」

 

一段落して一息吐き、一歩下がって店の(たたず)まいを眺める。簡素ながらも、彼の鍛冶師としての情熱と、幻想郷での新しい生活の基盤となる確かな重みが感じられる店構えだ。

 

 その時、剣獅の背後の空間が音もなく、波打つように歪んだ。

 

「準備も順調そうね、剣獅」

 

スキマから顔を覗かせたのは、幻想郷の管理者であり、現在の剣獅の事実上の保護者である八雲紫だった。その視線は店だけでなく、彼の心の内を見透かすように穏やかだ。彼女は優雅な笑みを浮かべ、日の光を浴びて淡く輝く金髪を揺らした。

 

「あ、紫さん!はい、まだ開業前ですけど、いつでも始められますよ」

 

剣獅は楽しげに返事をする。彼の瞳には、親友、そして仲間として火千代を迎え入れることへの抑えきれない喜びが宿っていた。

 

「ふふ、今から楽しみって顔ね。あなたの抱える“三年”の重荷が、ようやく半分降ろせる瞬間だもの。応援しているわよ」

 

紫の言葉は単なる激励ではなく、これまでの苦労を労うかのような優しさを帯びていた。三年という八雲一家の監視期間も終わり、今では完全に信頼されている剣獅。スキマが静かに閉じる。

 

 軒先で道具を片付けていると、地を踏み鳴らすような賑やかな足音が近づいてきた。最初に声を上げたのは、白黒の魔法使い、霧雨魔理沙だ。箒を肩に担ぎ、その瞳は好奇心と幾分かの警戒心を湛えている。その隣には、お馴染みの巫女服を纏った博麗霊夢が、いつものように気だるげな表情で立っていた。

 

「おお!これがお前の店か!やるじゃねーか!」

 

魔理沙は看板を指差し、興奮気味に身を乗り出した。

 

「ふぅん……紫が支援したわけ?」

 

霊夢は軽くため息をつき、皮肉めいた視線を剣獅に送った。

 

「そうだよ、勿論ちゃんと返すさ。材料費や土地の手配まで、色々助けてもらったからな」

 

剣獅は苦笑しつつ答える。紫が関わっているとなれば、霊夢の反応は予想通りだ。

 

「そう……まあ、頑張りなさい。変なもの作って里の秩序を乱さないようにね」

 

霊夢はそう言い捨てると、魔理沙を促してその場を後にした。二人の賑やかな声が遠ざかるのを見送ると、剣獅は腕を組み、空を見上げた。

 

「さてと、そろそろ時間か。火千代を迎えに行くかな」

 

彼の瞳の奥には、三年間の修行を終えた火千代への期待と、共に新しい道を歩み始めることへの静かな決意が宿っていた。

 

 

―――命蓮寺

 

「すみませーん!」

 

 境内の砂利を踏む、剣獅の元気な声が響き渡る。静寂を破るその声に、すぐに出迎えたのは封獣ぬえだった。彼女は相変わらず掴みどころのない表情を浮かべているが、その目にはどこか親しみが滲んでいる。この三年の間に、剣獅は命蓮寺の妖怪たちと交流を深め、友人としてすっかり打ち解けていた。

 

「あ、剣獅じゃない。火千代を迎えに来たの?時間ぴったりね」

 

「ああ、いるか?待ち遠しくてな」

 

「いるわ、ちょっと待ってなさい」

 

ぬえは軽く肩をすくめると、本堂へ身を翻した。その声は、広大な本堂の隅々まで届くように響き渡る。

 

「火千代ーっ!剣獅が来たわよーっ!迎えだ、迎えーっ!」

 

「はーい!」

 

本堂の奥から返ってきた声は、三年前の怯えた、細い声とはまるで違う。明るく、未来への希望に満ちた響きを持っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

やがて姿を見せた火千代は、この三年の間に随分と見違えた。飢えや恐怖に苛まれた過去の家とは違い、衣食住が満たされ、安心感に包まれた命蓮寺での生活は、彼女を身体的にも精神的にも大きく成長させた。その姿は以前の面影を残しつつも、線が細い少女から、女性的な魅力も磨かれた若者へと変貌していた。

 

しかし、最も劇的な変化があったのはその名だろう。彼女は、悲劇的な過去と鋼塚家との「呪縛」に正式にケジメをつけ、聖白蓮の養子となった。ただし、聖の姓を名乗るのではなく、彼女の新しい人生の象徴となる姓を、聖、剣獅と共に、時間をかけて考え抜いた。

 

そして最終的に、「いつか幻想郷で最高の鍛冶師になる」という、剣獅と分かち合った夢と、自らの力を活かす決意を込め、『錬峯』に決まった。

 

錬峯火千代(かねみね かちよ)。それが、彼女が新しい人生を歩むための、輝かしい名前だ。

 

「店の準備は出来たぞ。いつでも始められる」

 

剣獅は目の前に立つ火千代の晴れやかな顔を見て、満足そうに頷いた。

 

「ごめん、全部任せちゃって」

 

火千代は申し訳なさそうに言ったが、その目にはもう、かつての深い影はない。

 

「気にするなよ。俺が好きでやってることだし、二人の未来のためだ」

 

「ありがとう、剣獅」

 

二人の間に流れるのは、単なる師弟や友人を超えた、深く信頼し合う特別な空気だった。

 

「おはようございます、剣獅さん」

 

しとやかな声とともに、聖白蓮(ひじり びゃくれん)が本堂から姿を現した。その佇まいには、三年間火千代を見守り、導いてきた者の確かな自信と慈愛が宿っている。

 

「あ、聖さん。おはようございます」

 

剣獅は深々と頭を下げる。

 

「火千代のこと、どうぞよろしくお願いしますね」

 

白蓮は柔らかな笑みを向けた。彼女の言葉は三年前、火千代を預かる際に剣獅が言った言葉をそのまま返した形だった。

 

「三年前と逆ですね。勿論ですよ、聖さん。俺が責任を持って導きます」

 

「……」

 

ソロリソロリと、背後から剣獅たちに近づく影。その奇襲は、以前なら火千代を驚かせただろうが、今の彼女には全く通用しない。

 

「小傘もありがとね?私に鍛冶を教えてくれて」

 

火千代は当然のように振り返り、声をかけた。そこには、傘を前に出して驚かそうと企んでいた多々良小傘が、口を尖らせてムスッとしている。

 

「……もう全く驚いてくれない」

 

「私にはもう効かないよ。伊達に聖さんの元で修行してたわけじゃないし」

 

「でも、これから火千代を通して、皆が驚いてくれるはずだよ。小傘が丁寧に教えてくれた、鍛冶の技術(わざ)に」

 

剣獅がそう言うと、小傘の瞳は一瞬で輝きを取り戻した。

 

「そ、そうだよね!火千代ちゃん、センスあったもんね!」

 

「ああ、小傘の指導のおかげだよ」

 

火千代も真っ直ぐ小傘に頷いた。

 

「それじゃあ、そろそろ行きますね」

 

剣獅が告げると、白蓮は深く頷き、手を合わせた。

 

「ええ、いってらっしゃい。火千代、あなたの新しい門出が、光に満ちたものとなるよう祈っています」

 

「いってらっしゃーい!」

 

小傘も満面の笑みで手を振り、火千代たちを見送る。その笑顔には別れの寂しさよりも、火千代の成長と、未来の共同事業者としての大きな期待が滲んでいた。

 

火千代は命蓮寺の門を背に、剣獅の隣を歩き出した。三年間心を癒し、強大な力を制御する方法を学び、そして何よりも自分を許すことを知った。彼女の視線はもはや過去の影ではなく、光り輝く未来の槌音(つちおと)へと向いていた。

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