ロストメモリーズ ~ 幻想郷に舞う剣の影 ~   作:姉川京

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第2話「稲羽剣獅」

 無事、八雲紫から「稲羽剣獅」という新しい名前を与えられた少年は、所在なさげに呟いた。

 

「俺はこれからどうすれば……」

 

その言葉に扇子を優雅に開閉させていた紫が、ふわりとした笑みを浮かべて言った。

 

「そうね……あなたはしばらく、ここに住みなさい」

 

「!?」

 

剣獅は目を丸くして驚いた。予期せぬ言葉に、思考が一瞬停止する。

 

「藍はどう思う?」

 

紫が隣に立つ藍に意見を求める。藍は腕を組み、彼の内面を探るように鋭い眼差しで剣獅を一瞥した後、少し顎に手を当てて考え込んだ。

 

「そうですね、博麗の巫女に預けるという選択肢もなくはありませんが……()()()()()()を考えると、しばらくはここに置いて様子を見るのが最善でしょう」

 

冷静で理知的な藍の判断に、紫は満足そうに頷いた。

 

「決まりね」

 

「い…いいんですか……?」

 

剣獅はまだ信じられないといった表情で問い返した。本当にこんな見ず知らずの自分を置いてくれるのだろうか。疑念とほんの少しの期待が、彼の胸の中で渦巻いていた。

 

「いいのよ、改めてよろしくね。剣獅」

 

紫は優しく微笑みながら剣獅の頭をふわりと撫でた。その温かい触れ心地に、剣獅は“自分は何と呼べばいいのだろう?”と考え、藍と同じように呼ぶことに決めた。

 

「はい……!よろしくお願いします……えっと……紫様?」

 

「あらあら、固いわね~“ゆかりん”でいいのよ?」

 

紫にそう促され、剣獅がその愛称で呼ぼうと口を開きかけた時だった。

 

「あっ、はい。ゆかりn…」

 

背中に強烈な衝撃が走った。藍の容赦ない平手打ちが見事に剣獅の背中を捉えたのだ。

 

「真に受けるな」

 

藍は呆れた顔でそう言い放った。

 

「あぁぁぁあっ!?痛いっ!!」

 

剣獅は悶絶し、思わずその場にうずくまった。突然の痛みに、顔が歪む。藍は慌てた様子で手を差し伸べた。

 

「すっ…すまん!つい……」

 

その様子を見て、紫は艶やかな唇に妖艶な笑みを浮かべた。庭の木々を吹き抜ける風が、彼女の紫色の着物をふわりと揺らした。

 

「ふふっ……これから、ますます賑やかになりそうね♪」

 

ーーー三日後

 

 穏やかな春の陽光が、八雲邸の広い縁側に降り注いでいた。庭の草木は緑を深め、時折吹く風が心地よい。藍は風に揺れる白い洗濯物を丁寧に一枚ずつ物干し竿にかけている。その背後から、少し遠慮がちな剣獅の声が聞こえてきた。

 

「藍さん」

 

「ん、どうした?剣獅」

 

藍は手を止め、振り返って問いかけた。

 

「何か、手伝う事はありますか?」

 

剣獅は少し俯き加減で、申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。

 

「嬉しい申し出だが、気持ちだけ受け取っておくよ。まだ、怪我が完全に治っているわけではないだろう?」

 

「いえ……あれから大分楽になりました」

 

「無理をするんじゃない。まだ三日しか経っていないんだぞ?」

 

「でも……何か、お礼がしたいんです」

 

剣獅の真剣な眼差しに、藍は少しだけ考え込んだ。

 

「分かった分かった、少しだけ見せてみろ」

 

藍はそう言って、剣獅の身体に巻かれた白い包帯に手を伸ばした。丁寧に、まるで壊れ物を扱うかのように包帯を解いていくと、そこには数日前の痛々しい切り傷や打撲の痕が、まるで嘘のように薄くなっていた。かろうじて赤い線が残る程度で、治癒の早さに藍は息を呑んだ。

 

「……!?」

 

藍は目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。

 

「どうですか?」

 

剣獅は少し不安そうな顔で藍を見つめた。

 

「……本当に、治ってきているな」

 

藍は信じられないといった様子で、剣獅の肩をそっと撫でた。その回復の速さに言葉を失っていた。だがしかし、彼の背中にある雷のような青白い紋様は相変わらず、まるで生まれつき背中に刻み付けられているかのように、初めて会った時と全く変わっていない。そしてどことなく神聖で、人の世のものとは思えない強い気を感じる。

 

「……お前は本当に人間か?」

 

「え?」

 

藍の心の内が無意識に漏れた。

 

「おっと……なんでもない、気にしないでくれ」

 

「はぁ」

 

藍は慌てて話題を逸らすように剣獅の赤い髪に視線を向けた。夕焼けのような、鮮やかな赤色だ。

 

「それはそうと、お前は髪が長いな。男でそれは邪魔じゃないか?」

 

「まぁ、そうですね。何か結うものあります?」

 

「あるぞ、ちょっと待ってろ」

 

藍はそう言うと、家の中へと入っていき、しばらくして黒いシンプルな髪留めを持って戻ってきた。

 

「ほら、後ろ向け。結んでやる」

 

「ありがとうございます」

 

剣獅が背を向けると、藍は指先で彼の赤い髪を丁寧に梳き始めた。さらさらとした、絹のような手触りだ。結んでいる最中、藍はその夕焼けのような美しい髪に見惚れていた。

 

「……綺麗な髪だな。夕陽みたいだ」

 

◇◇◇◇

 

その日、夕飯を食べている時に紫は剣獅の変化に真っ先に気づいた。

 

「あら、剣獅髪を結んだの?」

 

「はい、藍さんにやってもらいました」

 

紫は柔らかい笑みを浮かべ、誉められた剣獅は照れたように頬をほんのりと赤らめた。

 

「いいじゃない、よく似合ってるわ」

 

「ありがとうございます」

 

「そうだ、今あなたその服しかないでしょ?新しい服買ってきたら?」

 

「明日買いに行こう」

 

「そんな……悪いですよ」

 

「心配いらないよ、それに少ないと不便だぞ?」

 

「すみません……お言葉に甘えさせていただきます」

 

「うむ!」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌日剣獅は藍とその式神である猫又の橙と共に、人間の里の服屋に案内された。賑やかな里の喧騒が、一行を包む。

 

「いらっしゃい!……おお、藍さんじゃねぇか!今日は男連れか」

 

店の主らしき恰幅の良い男がにこやかに藍に声をかけた。その隣では、店番の若い女性が剣獅を興味深そうに見ている。

 

「女の子みたいな顔だねぇ」

 

「違うわ!……ほら剣獅、何か選べ」

 

藍は少し語気を強めて否定し、剣獅に促した。所狭しと並べられた色とりどりの衣類に、剣獅は少し戸惑いながらも目を凝らした。

 

「これとか」

 

剣獅が手に取ったのは、鮮やかな緑色の大きな羽織だった。上部は淡い緑、下部に向かって濃い緑へとグラデーションになっている。そして、裾の部分には特徴的な狐の意匠が刺繍されていた。

 

「緑の羽織……ほぉ、このマークは狐だな?ニヤニヤ」

 

藍は剣獅が選んだ羽織の模様を見て、意味深な笑みを浮かべた。

 

「ほぇ!?偶然です!!」

 

剣獅は慌てて弁解したが、その顔はほんのりと赤い。

 

「分かった分かった、嬉しいぞ♪」

 

藍は楽しそうに笑い、剣獅の反応を面白がっているようだ。

 

「ほんとに違いますって!」

 

「お兄さん可愛い~♪」

 

橙がひょこひょこと顔を出し、無邪気な笑顔で剣獅をからかった。里の賑やかな声と橙の明るい声が、服屋の中に響き渡る。

 

「橙……からかわないでくれよ」

 

剣獅は困ったように笑った。

 

 結局その日は気に入った服を何着か買った。紫の懐が寒くなり、密かに枕を濡らしていたのは別の話。

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