人里は様々な物売りや楽しげな笑い声が混ざり合い、どこか温かい雰囲気を生んでいた。軒先に吊るされた色鮮やかな飾りや、湯気を上げる出店の香りが郷愁を誘う。橙は小さな指先で可愛らしい彫刻品の木目をなぞり、その瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。隣では、剣獅が温かい湯呑みを両手で包み込み、甘いたれの団子をゆっくりと味わいながら、穏やかな午後の日差しを感じていた。
「何か面白いものはあったかしら?」
その日差しを遮るように、剣獅の横にふわりと現れた紫が二人に声をかける。その表情には、いつもながら底知れない余裕が漂っている。
「はい!可愛い彫刻品や玩具がいっぱいありました!お兄さんと団子屋さんでお茶してました♪」
橙は嬉しそうに振り返り、紫を見上げた。頬にはうっすらとみたらしのたれの跡が残っている。紫はそんな愛らしい姿に目を細め、包容力のある笑みを浮かべながら小さな頭を優しく撫でた。
「あらあら……よかったわねぇ♪」
そして、その紫色の瞳が、ゆっくりと剣獅へと向けられた。
「それで、剣獅はどう?」
剣獅は湯呑みを置き、先程怒鳴られた遠くの鍛冶屋の看板に目をやった。
「鍛冶屋があったんですけど……なんだか、懐かしい感じがしたんです」
剣獅の言葉に、紫は興味深そうに柳眉を少し上げた。
「幻想入り前は鍛冶をしてたの?その歳で?」
「分かりません……何も思い出せないんです」
「……まぁ、焦ることはないわ」
「はい」
「そうだ!道具を用意してあげるからやってみたら?」
唐突な提案に、剣獅は驚きで目を丸くした。
「え?鍛冶をですか?」
「ええ、丁度藍も料理に使う新しい包丁を欲しがってたしね」
「仮に鍛冶をしたことがあったとして……記憶ないんですよ?危ないですよ……」
剣獅の真剣な懸念に対し、紫はどこか楽しげに口元に妖艶な笑みを浮かべた。その瞳の奥には何かを見透かすような光が宿っている。
「実際にものを前にしたら、自然と手が動くかもしれないわよ?経験っていうのは、案外身体が覚えてるものよ」
その言葉には不思議な説得力があった。剣獅は紫の言葉に一縷の望みを託すように、小さく息を吐いた。
「……そうですね、じゃあお願いします」
剣獅は、湧き上がるかすかな期待に身を委ねることにした。
「任せなさい!」
紫はそう言って、楽しげな笑みを浮かべた。
二日後、八雲邸の庭の隅。ひっそりと佇む小さな小屋の扉が開け放たれていた。中には妙に使い込まれた道具たちが所狭しと並んでいる。古びた革の蛇腹が大きく息をするふいご、鈍い光を放つ金床、年季の入った槌、水が張られひんやりとした木桶、様々な目の粗さのやすり、そして丁寧に油が塗られた砥石。
「こんなに……どこから持ってきたんですか?」
剣獅はまるで昔からそこにあったかのように鎮座する道具たちを見回しながら、紫に問いかけた。
「ん~……外の世界?」
紫は煙に巻くような言い方で舌を出して誤魔化すように微笑んだ。その表情からは苦労して集めた様子は微塵も感じられない。
「ああ……(察し)」
剣獅はそれ以上深く聞くのをやめた。
「じゃあ、あとはいろいろやってみなさい。楽しむ感覚でいいのよ」
紫はそう言って、剣獅の背中を軽く押した。
「ありがとうございます」
一人残された小屋の中で、剣獅は自分の両手をまじまじと見つめた。指の付け根や手のひらには、小さな肉刺の跡がいくつか残っている。無意識に何かを強く握っていた証だろうか?それは冷たい鋼の剣だったのか、それとも熱い槌だったのか……記憶の霧は晴れない。
「……包丁、作ってみるか。まずは砂鉄だな」
小屋から顔を出すと、庭の緑が目に鮮やかだった。縁側では紫が湯呑みから立ち上る湯気を眺めながら、優雅にお茶を飲んでいる。
「人里近くの川には、良質な砂鉄が流れ着くことがあるわよ」
「分かりました、行ってきます!」
剣獅はそう言って、小屋を後にした。
「いってらっしゃ~い」
紫は手をひらひらと振って見送った。その表情には、どこか期待のようなものが滲んでいた。
ーー人間の里、郊外
木々の緑が濃く、小鳥のさえずりが心地よい川辺。陽光は木漏れ日となって水面を揺らし、川底の白い砂や色とりどりの小石まではっきりと見えるほど水は澄み切っていた。せせらぎの音だけが静かに辺りを満たしている。
「本当に綺麗な川だな。底までこんなに透き通っているとは……さてと」
剣獅は川辺に腰を下ろし、用意していた磁石を取り出した。手のひらサイズのそれは、どこか不思議な光沢を帯びている。川底や岸辺の砂に磁石を近づけ、黒い砂鉄の粒子を探そうとしたその瞬間。彼の意識はまるで別の次元に繋がったかのように、鮮明な映像を捉えた。砂の中に埋もれた微細な砂鉄の粒がまるで発光しているかのように、はっきりと視えるのだ。
「……また、この感覚か。まるで全てを見通せるような……これも俺の能力なのか?」
戸惑いながらも剣獅はその不思議な力のおかげで、効率よく砂鉄を集めることができた。西の空が茜色に染まり始めるころには、持ってきた五つの木桶はずっしりとした重さの砂鉄で満たされていた。
「……採りすぎたか?」
自分でも驚くほどの量だった。満杯になった桶を持ち上げようと、力を込めて立ち上がったその瞬間。背後に、微かながらも確かに何者かの気配を感じた。しかし警戒するよりも早く、それは唐突に現実となった。
「わぁっ!」
「うわっ、なんだ!?」
背後から突如として明るい少女の声が響き、同時に大きな影が剣獅を覆った。振り返る間もなく大きな唐傘が目の前に現れたのだ。驚いた剣獅は体勢を崩し、手にしていた桶を落としてしまった。乾いた砂利の上に、ザァー……という音と共に黒い砂鉄が散らばり、一部は勢いよく川の流れに飲み込まれていく。
「やったー!驚いた!」
少女は無邪気に笑っている。
「ああ……」
剣獅はせっかく苦労して集めた砂鉄が、川の流れに黒い筋を描きながら消えていくのをしばらくの間呆然と見つめていた。そしてゆっくりと顔を上げ、唐傘を持った少女の方へ振り返った。その表情には、隠しきれない苛立ちが滲んでいる。
「何するんだよ、危ないだろ!?」
大人げなく少しばかり語気を強めた剣獅に、少女は大きな目を丸くして慌てたように後ずさった。
「あ、え……ご、ごめんなさい」
しかしその特徴的な唐傘とどこか不安定な雰囲気を見た瞬間、剣獅は直感的に理解した。
「……君は妖怪か?」
「ええ、何で分かるの!?」
少女は目をぱちくりとさせた。
「なんとなく……君の纏う雰囲気が、人間とは違うからな」
「あぅぅ……わちきが驚かされちゃった」
「驚かせて回ってるのか?相手によっては驚くだけじゃすまないぞ」
剣獅の言葉に、少女はしょんぼりとした表情を浮かべた。
「そうだよね……」
「砂鉄どうしよう……せっかくたくさん集めたのに」
足元に散らばった砂鉄と川の流れを見つめながら、剣獅は深くため息をついた。
「砂鉄集めてたの?」
少女が剣獅の足元に散らばった黒い砂鉄に気づいて尋ねた。
「あぁ、包丁を作ろうと思ってな」
「包丁?もしかして、鍛冶師なの!?」
少女の瞳が興味深そうに輝いた。
「……の真似事かな。今は」
「ふ~ん、じゃあお詫びにわちきが砂鉄が沢山採れるところに案内してあげる!」
少女は先ほどまでのしょんぼりとした表情から一転、得意げに胸を張った。
「え、君もそういう方面に通じてるのか?」
剣獅は、目の前の小さな妖怪に、改めて驚きの目を向けた。
「へっへ~ん、わちきはね、実はちょっとだけ鍛冶ができるんだよ?」
「驚いたな……じゃあ、お願いしようかな。あ……俺は稲羽剣獅。君の名前は?」
「わちきは、
小傘と名乗った少女は、大きな唐傘をくるくると楽しそうに回しながらにっこりと笑った。夕焼け空の下、剣獅の予期せぬ出会いが新たな物語の始まりを予感させていた。