第4話「博麗の巫女」
「〇〇鍛冶屋」→「松江鍛冶屋」
博麗神社の境内は春の息吹を一身に浴びて、淡い光に満ちていた。巫女装束を纏う博麗霊夢は組んだ腕に力を込めるでもなく、所在なさげな面持ちで境内に佇む一人の少女を見やった。その少女、霧雨魔理沙は箒を無造作に肩に預け、内側から発光するような金色の瞳で霊夢の傍らに立つ見慣れない少年に射抜くような視線を送っていた。
「弾幕のことならこの私に任せろ!」
魔理沙の声が境内に響き渡る。背後の桜からははらり、またはらりと、
「弾幕の基本なら教えたわよ」
霊夢はその言葉に微かな倦怠感を滲ませた吐息を漏らした。
「だったら腕試しといこうじゃないか!」
しかし魔理沙には霊夢の言葉の真意などまるで伝わっていないらしい。逸る胸の内を隠しきれないといった声音で、勝負を申し込んだ。その顔つきは獲物を前にした猫のように期待に満ちている。
「あんたはすぐそうやって勝負仕掛けんのやめなさいよ……」
霊夢は呆れたように肩をすくめた。
「何を言うか!実践こそが何よりの教師だって言うだろう?」
魔理沙はもっともらしい理屈を並べ立てた。
「確かに……一理あるな。魔理沙、手合わせをお願いするよ」
その時、二人の軽快な応酬を静かに見守っていた少年、稲羽剣獅が少し考えた後に穏やかな声を発した。彼の金色の瞳は魔理沙の言葉に興味を示している。
「上等だ!その意気や良し!」
魔理沙は快活な笑みを浮かべ、自信に満ちた様子で自身の親指を立てた。
「剣獅、やめときなさい!魔理沙はこう見えて実力者よ?」
霊夢は憂いを帯びた眼差しで剣獅に忠告した。幼馴染である魔理沙の実力を、誰よりも理解している故の言葉だろう。
「こう見えては余計だ!」
魔理沙は不満げに頬を膨らませ、霊夢を鋭く睨んだ。境内にそよぐ春風が、彼女の黒いスカートの裾を
「いや、実力者なら尚更だ。願ってもない機会だよ」
剣獅は霊夢の忠告を意に介さず、真摯な眼差しで応じた。彼の言葉には揺るぎない自信が静かに宿っている。
「ほら、剣獅も乗り気じゃないか」
魔理沙はしてやったりとばかりに得意顔で霊夢に言い放った。その瞳は挑戦者を前にして昂揚感に輝いている。
「分かったわ……なら場所を移しましょ」
霊夢は諦念の色を滲ませた小さな息を吐き、広がる青穹を見上げた。白い雲が緩慢な速度で空を横切っていく。
「よし、それなら魔法の森の入り口近くの開けた場所がいい!」
そう言うなり魔理沙は使い慣れた箒に軽やかに飛び乗り、まるで重力など存在しないかのようにふわりと宙に浮かんだ。彼女のスカートの裾が、風を孕んで大きく波打つ。
「ちょっ……待ちなさい!」
霊夢も慌てて後を追うように空へと身を躍らせた。彼女の鮮やかな緋色の巫女服は、降り注ぐ陽光を浴びて一層その彩度を増す。
「置いてくなよ!」
「すまんすまん…剣獅は飛べないよな……て、ありゃ?」
空中で静止した魔理沙が、訝しげに剣獅たちのほうを振り返った。その刹那、彼女は剣獅の足元に目を疑う光景を目にする。彼はあたかもそこに透明な足場があるかのように、何もない空間に立っているのだ。
「ん?」
その不可解な光景に霊夢も丸い瞳をさらに大きく見開いた。彼女の表情には、隠しきれない驚愕の色が広がっている。
「……剣獅、あんたどこに立ってんのよ!?」
剣獅はまるでそこに透明な足場があるかのように、何もない空中に平然と立っていた。彼の表情は本人も事態を理解していないようだ。
「げっ!空中で立ってやがる!」
魔理沙は信じられないといった表情で目を大きく見開いた。彼女は自分の目を疑うように剣獅の足元を凝視している。
「あれ……本当だ!」
指摘されて初めて自分が宙に浮いていることに気づいた剣獅は、間の抜けた声を発した。彼の瞳にも困惑の色がじわりと広がっていく。
「本当だ!じゃないわよ、あなた何したの!?」
霊夢は信じられないといった表情で剣獅を問い詰めた。彼女の細い眉が、訝しげに吊り上がっている。
「分からない。気づいたら立ってたんだ」
剣獅は首を傾げ、本当に心当たりのない様子で答えた。その表情も声音も至って真剣そのものだ。
「なんだよそれ、お前の能力か?」
魔理沙は腕を組み、顎に手を当てて剣獅を見つめた。彼女の金色の瞳には、探るような光が宿っている。
「いや、俺の能力は関係ないと思うな」
剣獅はきっぱりと否定した。彼の言葉には、迷いがない。
「何の能力持ってんだ?」
魔理沙は興味津々といった表情で身を乗り出した。彼女の黒い帽子が、風で斜めに傾いた。
「【壊れたものを再生する程度の能力】と、あとは目に関する能力だな。色々不思議なものが“視える”」
剣獅の言葉に霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。二人の表情には困惑の色が浮かんでいる。
「二つも持ってんのか?っていうか視えるってなんだよ……」
魔理沙は訝しげな表情で眉をひそめた。彼女は剣獅の言葉の意味を測りかねているようだ。
「因みに二人は?」
剣獅は二人に問い返した。
「私は【空を飛ぶ程度の能力】よ」
霊夢は当然のことのように答えた。彼女の緋色の巫女服の袖が春風に優雅に揺蕩う。
「私は【魔法を使う程度の能力】だな」
魔理沙は胸を張り、得意げな表情で答えた。彼女の背後では、使い込まれた箒が誇らしげに佇んでいる。
「なるほど、魔理沙はまんまだな」
剣獅は納得したように小さく頷いた。
「弾幕はパワーだぜっ!」
魔理沙は拳を握りしめ、力強く宣言した。彼女の表情は自信に満ち溢れている。
「魔理沙はこればっかりよ」
霊夢は呆れたように小さく溜息をついた。彼女の視線は、遠くの空を漂っている。
「霊夢の能力は単純に空を飛べるだけじゃないんだろ?例えば重力以外、あらゆるものから浮いて攻撃が当たらないとか」
剣獅の言葉に霊夢は僅かに目を見開いた。彼女の朱色の瞳には、驚きの色が浮かんでいる。
「……そこまで分かるの?絶対に当たらないのは【夢想天生】を使ったときくらいだけど……」
霊夢は警戒するように剣獅を見つめた。彼の洞察力に底知れぬものを感じているようだ。
「無敵じゃないか」
「だから遊びにしたんだよ」
「待ちなさい、話が脱線してるわ」
霊夢は本題に戻そうと、わずかに語気を強めた。境内の木々の間からは春の鳥たちの賑やかな合唱が聞こえてくる。
「おっと、すまん」
魔理沙は悪びれる様子もなく、へへっと笑った。彼女の白い歯が、陽光を受けて輝いた。
霊夢は剣獅が履いている雪駄に似た黒い履物に視線を向けた。それは特に装飾もなく質素な造りだが、どこか不思議な雰囲気を漂わせている。
「もしかしてその
「一回脱いでみればいいんじゃないか?」
魔理沙に促され、剣獅は意を決してその沓を脱ぎ、空中で一歩踏み出そうとした。すると沓が足から離れた瞬間、彼の身体は抗うことなく重力に引かれ、地面へと一直線に落下し始めた。脱げ落ちた沓はまるで生命を失ったかのように、地面に音もなく落ちた。
「うおっ!?っと……歩けないな、これのせいだったか」
辛うじて体勢を立て直した剣獅は地面に降り立ち、脱げ落ちた沓を見つめた。その神秘的な効果を目の当たりにした魔理沙は、目を輝かせ身を乗り出した。
「マジ!?凄えななんだその沓!」
彼女の金色の瞳は好奇心でらんらんと輝いている。
「俺が幻想入りした時から履いてたやつだな。よく覚えてない」
剣獅は首を傾げ、記憶の糸を手繰り寄せようとしたが何も思い出せない。彼の表情には、僅かながらもどかしさが滲んでいる。
「あ~記憶ないんだっけか?」
魔理沙は納得したように小さく頷いた。どうやら霊夢に粗方事情は聞いてるようだ。彼女の視線は地面に落ちた沓に注がれている。
「まぁな」
ひとまずは場所を移してからだ。剣獅はそう言って霊夢と魔理沙を促した。
「と……とりあえず場所移すか。その話はまた後だな」
「そうしよう」
霊夢と魔理沙はそれぞれ頷き、再び優雅に空へと舞い上がった。剣獅は落ちた沓を拾い上げ再び履き直すと、二人の後を追うように静かに飛び立った。春の陽光が降り注ぐ中、三つの影が弾幕修行の場を目指して緩やかな速度で青空を駆けていく。遠くには鮮やかな緑を広げる魔法の森が見えてきた。