戦火の心臓 作:Navi
鼻腔を突くのは焼けた鉄と焦げた肉が混じったような、どこか甘ったるい嗅ぎ慣れた硝煙の匂い。
何年も染みついた硝煙の残滓が、皮膚の奥までこびりついて離れない。
いくら踏みならしても湧き出てくるのは積み重ねられた戦いの跡だけ。
…ここ数年はこの場所に生えていた緑の姿は見なくなってしまった。
「…!こちらポイント
「バカな……これ、偵察部隊の規模じゃねえぞ…!?」
今日も聞こえるのは聞き慣れた銃声と轟音。
いつからかこの音を聞くこと自体が当たり前となってしまったが、これは国というものを守る為には慣れなければいけないものである。
…そして同時に明日を迎えられるか分からない、生きたいと嘆く声は聞き捨てろとも教えられた。
「『こちらポイントδ…!左翼から来た部隊と交戦中…!さらに四時の方向にも敵影アリ…!…済まない…こっちも後方への支援要請も届いていない…!』」
「了解……クッ…ダメか…!アーチスは…帝国は今日で『スチード』を落とすつもりか…!」
「…!?十時の方角、先導部隊から砲撃…!!」
「なっ…!?(しまっ…)」
ーーーやる事は変わらない。
自分は与えられた命令をこなすだけでよいのである。
それが自分に求められている全て…それこそが
そのためには自身の無駄な考えや他者の施しは不要であると教えられた。
「『ーー…ーーー……ポイントδ、βから支援要請アリ…そこから行けるか?』」
「……こちら『猟犬』……了解…」
手に持っている火器や身につけた爆弾にも不備な点はない。
戦況はこちらが不利な状況、理由はアッチが用意した先導部隊が扱う戦術兵器だろう。
しかしそれが大きな問題にならないように想定として様々なことを教え込まれた。
アレもその想定の範囲内、ならば後はその想定を超えられても補うように動けばいいだけ。
「…これより、
ーーーそれが
*******
「…ゴホッ…ゲホッ…!…っ…大丈夫…か……っ?!」
…一度放たれた車輪型兵器の爆撃はここで耐えていた自分を含めて十数人の身体を防衛地点ごと吹き飛ばした。
自分は奇跡的に爆炎による火傷と違いはあれど身体中の打撲で済んだが…
「…っ……腕の…感覚…が……どうなっ…て…」
「…!こっち…だ…!(クソッ…!…もう…この地点もダメか…!?)」
砂煙が晴れて広がったのは同部隊の
咄嗟に完全に崩れることなく残っていた堀の中に身を隠して負傷した部分の止血を軽くだが行う。
「…かなり痛むかもしれないが、少しの間だけでも我慢してくれ…よ…!」
「あがっ…!…っ…他の…奴は…?」
「………」
「…そうですか……もう…」
「…っ……いや…俺たちも長いこと耐えたんだ……そうだ…この場所を失ってもまだ…!」
…近づいてくる大量の地面を踏みつける足音に心臓の鼓動が早まり、足や身体も迫る死の恐怖に怯えてか震えが止まらない。
だがこっちもただでは終わらせる気はない…まだ防衛地点の一角を落とされるだけの小さな足掛かりになるだけだ…
堀の中に先ほどの爆発の直前に投げ込んでおいた銃を手に取り、動作確認を素早く行った後にそれを肩に担ぐ。
「…足は…まだ動くよな?…俺がアーチスの先導隊を引きつける…遠回りになるが森の方を回ってスチードへ退避しろ…!奴らは森の地形までは把握できていないはずだ…」
「なっ…!?」
「…どうせ持たない足でもまだ動くなら使うしかない…森の中ならワンチャンあるかもしれない…いや、そう信じなきゃ俺たちは何もできない…」
ならば自分が出来ることは負傷しているコイツをスチードへ帰すことだけ。
そしてまだ動ける自分は少しの時間稼ぎとして誘導だけでも行う必要がある。
あっちは距離にして数百メートルまで迫っているためこれは時間との勝負であると直感で判断し、堀から遮蔽物の多い岩石地帯まで飛び出そうとしたが、背後から呼び止められた。
「…出来ませんよ…!そんなの…!いくらなんでも1人で誘導なんて無茶ですよ…!」
「っ…ここが陥落するまでもう秒読みなんだ…!…『少佐』に戦況と状況の報告をするだけでも明日には繋がるんだ…!…もう時間はない……頼むぞ…!!」
「ちょっ…!」
…分かっている。
たった1人が外に飛び出したところで気を張っている帝国側の先導隊に一矢報いることすら難しいことくらいは…分かっている。
だが、それでも…スチードの明日に繋がる細い一本の糸の1つにでもなれたら…本当に微力でもこの意思が繋がるのなら…先が変わることだってあると信じることしか出来ない。
「(……!!後ろから…!?)」
静止を振り切って堀から身体を出そうとした時、後ろから迫ってきた走る足音があった。
すでに後ろに回られていたのかと反射的に銃口をその音の方へと向けたが、離さないようがっしりと掴んでいたはずの銃は目にも止まらない速さで手元から無くなっていた。
「……そこに待機していろ…邪魔だ。」
「………誰…だ…?」
声のした方を向くと、堀から出かけているこちらをじっと見下ろす泥が所々に目立つ自分よりも見た目が幼い子供のような人物おり、その手にはたった今手元から消えた銃が握られていた。
陽の光を取り込む鋼に近い色合いの髪が1番最初に目に入りそうな見た目をしていたが、それよりも先に目が入ったのは一切の光が灯っていない冷え切った暗い目であった。
「…ポイントβに到着……これより戦闘を開始する。」
見た目からは想像出来ないほどの威圧感を放つその姿に言葉を詰まらせていると、この人間はこっちの言葉に返答は行わずに一言そう言い残して視線を前に向ける。
そして特にそれ以上の言葉を発することなく、すぐに数百の人間と様々な兵器を持って進行している帝国側の軍隊へ迷いなく突っ込んで行った。
「…!?お、おい…!!そんな無謀……な…」
凶行とも取れる行動を見てすぐに焦って堀から顔のみを出してその行き先を追ったが、すぐに言葉が出なくなる光景が広がっていた。
飛び出していったその人物は、正面から向かっていったことに動揺していた帝国側の攻撃を掻い潜りながら正確な速射と回避を行い、空いた部分から一気に中心へ押し進むような動きをしていた。
他の部隊員のいる中心へ一瞬にして押し進められた帝国側はすぐに統率が乱れ始め、そのまま至近距離の銃撃戦を始めたが、現れた人物は後ろにも目がついているのかと思うほど素早く軽やかな動きでそれらを軽々と回避して1発、また1発と最低限の弾数で打ち倒していく。
「…嘘…だろ…?」
密集している状況だとすぐに分が悪くなると判断した帝国側は腰から引き抜いたナイフで応戦しようとする動きも見られたが、その人物は片手で突っ込んできた敵隊員の腕を掴んで空中へと持ち上げて激しく地面に叩きつけた。
呼吸すらままならない状態になっていた帝国側の隊員であったが、対して流れるように地面に落下してきたところを一切の迷いなく手に持っている銃で撃ち抜く。
この一瞬の出来事に
「…ま、マジか………これ…」
「…っ……何が…起きてるんですか…?」
「いや、1人格好は違うがこっちの国の兵士が現れて1人で
一歩、射撃。
その一瞬の時間で何人もの人間が力無く倒れる。
二歩、旋回。
完全に見えない背中にいる人間からの銃撃を跳躍しながら避け、そのまま先にいた人間の喉元を撃ち抜く。
三歩、反転。
さらに背後にいた人間の銃火器を持っていた弾切れした銃身で叩き落とし、流れるように姿勢を低くして膝を蹴り砕く。
現れた人間の動きは止まらない、誰も止められない。
そしてまた1人、背後から撃たれたと思しき人間の頭部が弾けた。
「…1人で……部隊そのものを…っ…!!それって、まさか…!?」
「…?!何か知って……うおっ…!?」
こうして少しの話をしている間にも圧倒的な速さで現れた兵士は帝国側の数を減らしていき、すでに三分のニが削り取られた。
残ったのはあの凄まじい爆撃を行う兵器が複数とその近くにいる部隊兵のみとなったが、撃ち倒したことで返って見通しが動きが取りやすくなった帝国側の部隊の銃撃の激しさが増した。
しかし、それでも冷静に地面に転がっている帝国な部隊員の死体を軽々と片手で持ち上げて盾のように使うと、すぐ横へと飛び出して大量に落ちている銃を使い捨てながら残党を撃ち抜いていった。
弾切れの瞬間を狙われ白兵戦に持ち込まれても、手に持っている銃を軽々と横凪で振り抜いて敵隊員を一撃で鎮めつつ、吹き飛ばしたその敵隊員が持つ銃を素早く奪い取って機械的な動きでまた突っ込んでいく。
ただ淡々と、その人物は1つの軍隊に対してたった1人で圧倒的とも言える殲滅戦を繰り広げていた。
「(…本当に…圧倒的だ……だがこのままじゃ…まずあの馬鹿デカい兵器をどうにか………何か周りに…)」
「いっつつ…!すみま…せん…!俺にも何が起きてるか見せて…もらえませんか…!?」
「…!あ、ああ…!すぐに引き上げる…!」
負傷した部隊員を何とか引き上げようとしながら横目で状況を見ているが、動きの衰えは全く見えない。
だが、依然遮蔽物となるのが撃ち倒した部隊兵の身体しかない状況であり、あの兵器の銃口は素早く動き回る兵士を捉える為に動き続けていた。
そして、帝国側の銃撃を避けるため少し広い場所へ飛び出したことで兵器の砲台の狙いが定まった。
「…あっ!?やっぱりあれは…!」
「…!!そっちはダメだ…!!」
「………」
爆発音が遅れて鼓膜を揺らし、耳鳴りが世界の音を塗りつぶす。
無情にも叫んだ声が届かないほどの轟音が響き渡り、生じた砂煙が天高くまで登った。
今の砲撃は帝国側の軍隊員も巻き込んでの砲撃であり、現れた人物の近くにいた帝国の軍隊員も跡形もなく消え去っていた。
しばらくの間、今ので生じた残響と振動が止むのを待っていた帝国側であったが、突如として兵器が下の車輪側から巨大な爆発を引き起こして原型を留めることなく粉々になった。
「…!?」
「っ…!な、何が…!?」
爆炎と上がった煙の中を素早く動く影が目に入ったが、同じように他の兵器も最初の爆発を起点として連鎖的に爆発を起こして一瞬にして残っていた兵器もスクラップと化した。
爆発によって飛び散った兵器の破片は周りの隊員を貫き、炎は血と肉の焼ける匂いを充満させて広がる。
そんな地獄のような景観の中でただ1人、倒れた人間の身体を踏みつけながらゆっくりと歩く影が炎越しに見えた。
こちら側からも、帝国側から見てもおどろおどろしささえ感じる衝撃的な光景にあちらの軍隊員たちは一斉に逃げ惑い始めたが、煙と爆炎の中から放たれた銃弾からは誰も逃れることは出来なかった。
また1人、また1人と地面に人が倒れていくにつれて聞こえてくる声も少なくなっていく。
「(…現実の景色…なのか…?…これが……?)」
「す、すごっ…!まさか本当にこんな間近で見ることが出来るなんて…!」
…隣のコイツは先程の苦悶に満ちた表情が嘘のようにはつらつとしたものになっていたが、自分は逆に恐怖の感情が優っていた。
何故ならこれは戦いというよりも、潜在的な死の恐怖が呼び起こされるような無情な蹂躙劇である。
そして、より鮮明に響いた銃声の音を最後にそれ以上の悲鳴も痛みに悶える声も何も聞こえなくなった。
パチパチと音を立てて燃える兵器と完全に息の切れた帝国の部隊の上を踏み歩き、炎と煙の中から初めて対面した時と全く変わらない表情であの人物が現れた。
しかしこちらは、今までその一部始終を見ていたのにも関わらず、脳みそがこの光景を理解しようとしないでまだ呆然と見ていることしか出来なかった。
「…嘘、だろ……本当にこれを…たった1人で…」
自分の声にならない呟きが、煙の中に消えた。
焼けた鉄の匂いだけがまだ空気を満たしている。
音を聞き逃したと思うほど静かな視線の先にはもう銃声も叫びもなかった。
そしてそこに立っていたのは、ただ一人…
「は、ハハッ…!これが『猟犬』…!スチードが生み出した人間兵器…!」
「…!?猟犬…!?それはまさかあの…!?」
その名前を聞いてスチードの軍内でしばらくの間流れていた話があったのを思い出した。
曰く、その人物がたった1人で
そしてその時に殺した数は…ざっと5万に登るという。
常識で考えれば荒唐無稽で、誇張された与太話だと俺もろくに取り合っていなかった。
だが、その噂の中で繰り返し語られていた『ある言葉』だけは、なぜか妙に耳に残っていた。
「(…『猟犬』……ずっと嘘か誇張だと思って聞き流してたが、これを見せられれば…)」
「『ーー…ポイントβ、こっちの声は届いているか?猟犬を投入したが戦況はどうなっている?』」
「…!?少佐の声…!」
砂まみれの通信機から聞こえてきたのは何よりも信頼できる人物の声であった。
返答を行うために通信機に向かって口を開こうとしたが、すぐ近くから血と硝煙の混じった香りが漂ってきた。
「オールクリア。ポイントβの敵軍隊の殲滅は完了済み。すぐにポイントδへ移動する。」
「…!!猟犬………っ!?」
横から割り込むように発せられた声。
異様な寒気が全身に走りすぐに振り向いた先にいたのは、返り血に全身を染めた『それ』だった。
表情は先程対面した時と全く変わっていなかったが、全身を
「『…了解。猟犬はすぐにδに移動を開始。そして他の隊員は周辺の安全の確認が取れ次第すぐに帰還を。』」
「…!こちらβ!了解しました…!」
「少佐…支援感謝致します…!猟犬が来てくれて…本当に助かりました…!」
「『そちらもよく耐えてくれた。この国のため、前線を確保し続けてくれたこと…本当に感謝する。』」
「「…!!」」
その言葉を最後に通信機から先の声は途切れたが、今はただ言葉に出来ないほどの達成感に満ちていた。
すぐに堀から重症の隊員を引っ張り上げて地面に座らせ、破損することなく残っていた痛み止めを打ち込むとコイツはその場に力が抜けたように寝転がった。
自分も安堵の息を目一杯吐いて深く座りこむと、猟犬と名前で呼ばれていた人物がこちらに背を向けて歩き出そうとしていた。
「はぁーーー…生き残ったぁ…!…しかし本当に凄いものを見ましたね…?」
「…!猟犬…!来てくれて本当に助かった…!…本当に……どうなるかと思って不安で…」
「……」
言葉として伝えたいことが沢山あるせいか、上手く口が回らずにいると足を止めて振り返り、こちらをじっと見てきた。
改めて見直しても年端も行かない青年のような目の前の人物がこんな血や泥で汚れているということを知覚してしまい、堀の中から身動きが取れなかった自分の不甲斐なさが浮かんできた。
無表情で何を考えているのか全く分からないが、それでも感謝の言葉だけでもと思っていたが、こちらが口を開く前に相手側が感情の見えない小さな声で言葉を紡いでくる。
「…こちらは命令通りのことをしただけだ。そんな感謝の言葉を向けられるほどのことはしていないはずだ…少佐の命に従い、早急にスチードに戻れ。」
「なっ…いや、そんなことは…!」
「…こちら猟犬。生存者は2名でうち1名は重症。しかし周辺に
「…!待っ…」
淡々と通信機越しに状況の説明をしたのち、風のように早い足取りで猟犬はまだ銃声の音が鳴り響く方角へ駆けていった。
ロクに言葉を向けられなかったことを若干後悔しながら、改めて隣で寝転がるコイツと同じように深いため息を吐きながら寝転んで空を見上げた。
残された俺たちは点々とした薄い雲が広がる空の下でしばらく生き残ったことに対する安心感に浸っていたが、不意に隣から声が聞こえてきた。
「…行っちまった…」
「…そうですね……でも…本当に凄かったですよね…!?あんな大量の部隊を1人で相手して殲滅……見ていてこれ以上ないくらいシビれましたよ…!」
「…そうだな…?だが…あんなまだ青年になったばかりのような子供が『猟犬』か……嫌な世の中だよな?…いつになったら平穏とやらがやってくるんだか…」
「…そんなのどちらかが完全に潰れるまでですよ。戦争なんてそんなもんです…でも、それでも俺は最後まで抵抗するつもりです。俺にとって…スチードだけが生きた証になるんで。」
「…そうか……そろそろ
「そうですね…っ!いっつつ…!…すみません…肩…借してもらえませんかね…?」
「あぁ…ほら、掴まれ…さっさと戻るぞ?」
炎の勢いが弱まるにつれて段々と肉の焼ける匂いが薄くなり始めてた頃、コイツの痛みが若干引いてきたのを確認して立ち上がって身体を支えながら歩き出す。
…最初は吐き気を催すほど不快で仕方なかった血や人体の燃える匂いに対して、いつの間にか何も思わなくなっていることに一抹の哀しさすら覚えてしまう。
しかし、今日目の前で起こった衝撃のことは決して忘れないだろう。
この目に焼き付けた『猟犬』の戦いの記憶だけは…絶対に…